おどりゃあタコのクソ、アタマんのぼりゃがって!!

本邦屈指の群像劇といえばこれ、深作欣二監督の「仁義なき戦い」(1973)。そして「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973)「仁義なき戦い 代理戦争」(1973)「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974)と続く続編のひとつひとつがこれまた甲乙付けがたく、素晴らしい。広島ヤクザの抗争劇の裏側に、戦後日本の復興年史が透けて見える一連の作品群は、ほんの足掛け2年足らずの制作期間にもかかわらず(いやだからこそというべきか)、ぐつぐつ煮えたぎった坩堝のような熱気と異様な騒擾感に満ち満ちて、どれもこれもが奇跡的に面白い。
シリーズ全四作(ゆえあって「仁義なき戦い 完結篇」(1974)は除きます)、それぞれにそれぞれの見どころがあって、まずは戦後の焦土に蠢く有象無象の"生"をひとかたまりに描いたかのような、"国破れてヤクザあり"の第一作。一転、敗戦によって産み落とされた、時代の申し子ともいうべきエキストリームな二人の若いヤクザに焦点を当てた、第二作。かと思えばドラスティックに群像劇へと回帰し、"もはや戦後ではない"過渡期に権謀術策を弄して覇を競うヤクザたちを描いた、政治ドラマの極みともいうべき第三作。そしてそのストレートな続編にして、ほとんど散文的なまでにドラマを拡散させながら、最後の最後、問答無用のシビれるエンディングでもってシリーズの掉尾を締めくくってみせる、第四作。
とまあ、それぞれ味わいは異なれど、その見ごたえはいずれも超弩級。ひとつひとつについてあれこれ書きたいのは山々ながら、そんなことをしたら、このブログがおそらく向こう一年「仁義」一色になってしまう――というわけで、この際潔く、ひとつの記事にまとめるのであります。
「仁義なき戦い」の原作について
本作の原作は、飯干晃一著「仁義なき戦い 広島ヤクザ・流血20年の記録-死闘篇」、そして「決戦篇」。
昭和三十八年から三十九年にかけて、広島・呉の市民社会を震撼させた、"日本ヤクザ史最大の抗争事件"を題材に、争いの種が蒔かれた終戦直後の混乱期へと遡り、朝鮮動乱を経て高度経済成長へと向かう激動の時代の中で、血みどろの縄張り争いと合従連衡によって二大勢力に収斂した山村組と打越組(映画では山守組と打本会)が、それぞれ関西の巨大組織を後ろ盾に衝突を繰り返し、ついには度重なる殺傷事件に業を煮やした市民意識の高まりとマスコミの糾弾、そして近代化の流れの中でヤクザ社会と縁を切った警察権力の断固たる介入によって、仮初めながらも争いが終結するまでを綴った、生々しいにもほどがあるノンフィクションノベルです。
本書の類稀なる迫真性と面白さの源泉は、なんといっても、文中のところどころに差し挟まれる、山村組の実力者にして抗争の当事者であった美能組元組長、美能幸三の獄中手記の引用にあります。
"その手記にはえらいことが書いてあるそうだ。ヤクザの内幕が克明に記され、なかでも神戸・山口組、あるいは本多会と広島ヤクザの関係については、警察が握っている以上の事実が書かれているという噂だ"(同書 序文より)
ある検事がそう評したという"まぼろしの文章"を、紆余曲折の末に入手した週刊サンケイ編集部と飯干晃一は、美能元組長から登場人物の実名掲載を条件に手記公開の承諾を得ると、抗争の背景事情をめぐる解説を加えた上で再構成し、1972年5月より、週刊サンケイ誌上にて連載を開始します。
山村組きっての武闘派として暴力抗争の真っただ中に身を置き、若い頃から"旅"の付き合いが広く、関西と九州の大組織が絡んだ複雑極まる"盃外交"のキャスティングボードを握ることとなった、美能元組長。そんな人物が記す、広島ヤクザたちの繰り広げる虚々実々の駆け引きのあれこれが、裏社会の実相を暴いた赤裸々な記録としてずしりと読み応えがあるのは当然ながら、なんといっても本書の真骨頂は、ヤクザという人の道に外れた者たちを活写した、生き生きとした広島弁によって紡がれる、まるで紙背からその息吹と体臭が立ち上ってくるかのような、赤剥けの"人間の物語"(同書 著者あとがきより)としての面白さにあります。
ところで本書と同じく"広島ヤクザ戦争"に材をとった、「ある勇気の記録-凶器の下の取材ノート-」(1965年刊)というルポルタージュがあります。大々的な"暴力団追放"キャンペーンのもと、文字通り体を張った現場取材を展開した中國新聞社報道部の記者たちによる、メディアの目線から一連の抗争を捉えた事件報道の記録です(第四部「頂上作戦」には、この本に拠ったと思しき記者たちの様子がちらりと描かれている)。
街頭で繰り広げられる血腥い殺傷事件とその周辺取材にとどまらず、ヤクザたちのシノギの実相――ひとたび隙あらば、容赦なく市民に吸血する組織暴力の阿漕なやり口を掬い上げ暴き立てている点で、ひたすら抗争自体に焦点を当て、結果としてヤクザたちの益荒男っぷりを際立たせてしまっている「仁義なき戦い」とは、まったく異なるアングルから広島戦争を捉えた一冊であり(たとえば本書において、美能元組長は御殿のような屋敷に住む脱税王として糾弾されている)、「仁義」ワールドに対する私の熱狂に冷や水をぶっかけてくれた一冊でもあります。
とはいえ「ある勇気の記録」にどこか食い足りなさを感じてしまうのは、そこに描かれた抗争の様相が、所詮は外部から覗き見た、さらりと表面を撫でたに過ぎないものだからであり、また同時にそのルポルタージュの主体がヤクザではなく、そのタイトルにある通り、あくまでヤクザと対峙する記者たちにあるからです。
「金」「女」「権力」への欲望を剥き出しにして、男の本音と本能丸出しで生きるヤクザたちのなりふり構わぬ人間臭さがあられもなく滲む「仁義なき戦い」と、市民社会の代弁者であることを任じ、己の掲げる御旗の正義を1ミリたりとも疑うことのない記者たちの"第四の権力"者っぷりがなんとはなしに鼻につく「ある勇気の記録」では、悲しいかな、人間ドラマとしてのコクの深さに天地ほどの開きがあるのですね。
「仁義なき戦い」の脚本について
何度観ても飽きない、というより観返すほどにクセになる「仁義なき戦い」シリーズのキモは、一見、飯干晃一の原作をダシにして、あらゆる素材を乱暴に放り込んだごった煮のようでありながら、その実、冷徹な計算のもとに素材を吟味し、捌き、味を整えた、いわば計算されたカオスともいうべき複雑極まるプロットの絶妙なバランス感覚にあります。
"飯干晃一氏の原作の脚色化を命ぜられたわたしは、詳しくノートを採りながら読んでみたが、明快な論理で整理されているものの、それでも「事件」の裏が解りかねる部分が多々ある。それで自主取材を申し出て、何度も広島へ通った"(笠原和夫著「破滅の美学-ヤクザ映画への鎮魂曲」より)
劇場公開(1973年1月)から遡ることわずか四カ月、週刊サンケイ誌上において、原作がまだ絶賛連載中の1972年9月にシナリオの執筆依頼を受けた笠原和夫は、東映プロデューサーの日下部五郎とともに呉・広島を訪れると、美能元組長から映画化の承諾を得る過程で、当の元組長をはじめとする関係者に綿密な取材を敢行、原作のほぼ前半部にあたる、のちの広島戦争の発端となった、呉の抗争に的を絞った"ホン"を書き上げます。
さらに、第一作の公開を待つことなく、第二作の製作が決定した1973年末(公開は1973年5月)、"第一部では薄かった情念芝居を書く"(日下部五郎著「シネマの極道 映画プロデューサー一代」より)というコンセプトのもと、原作においてほんの数ページが割かれていたに過ぎない、山上光治というひとりの若いヤクザに焦点を当て、主役の菅原文太を脇に回した、シリーズ番外編ともいうべき一篇を練り上げます。
そしていよいよ、広島ヤクザ戦争そのものを題材に続編の執筆にとりかかると、シリーズを長引かせるために"ホン"を二つに分けてほしいという製作サイドの無理な注文に応え、大難産の末、抗争が起こるまでの前日譚を描いた第三部と抗争の顛末を描いた第四部を執筆します。
さらに、売れているうちは作り続けるという資本の論理のもと続作の執筆を依頼されますが、"私としては、四部で、もう主題を描ききったと思ったし、あとは現在につながるので、書けないことが多い" (小林信彦著「映画を夢みて」収録の笠原和夫インタビューより)として、潔く「仁義なき戦い」から降板してしまいます。
ところで「仁義なき戦い」全四作の執筆にあたって、笠原和夫が蒐集した資料や調査取材の記録、それに当時の日記の断片やメモ書きを一冊にまとめた、「笠原和夫『仁義なき戦い』調査・取材録集成」(太田出版)という、スクラップブックのような、実にマニアックな資料集があります。膨大かつ複雑極まる人物と組織の相関関係を時系列に沿って整理した一覧表や、巻物のような事件史年表、それに事件関係者をめぐる山のようなエピソードのメモ書きなど、この一巻に収録された資料の分量と密度はすさまじく、いわば「仁義なき戦い」がカタチをなす前の、どろどろの原子スープのような本です。
局面がオセロゲームのように黒白ぱたぱた目まぐるしく入れ変わり、主人公が筋を通せば通すほど窮地に追い込まれ、策を弄すれば弄するほど目論見が外れ、結果として敵対する二大勢力の間をうろうろする羽目になった挙句、ふと気がつけば第三者の目には抗争の元凶とも映る立場に追い込まれている――。シリーズを通して描かれた、そんな複雑怪奇にもほどがある人間関係の綾織がいかに計算し尽くされたものだったのかは、特に山のように登場人物が入り乱れ、その思惑が網の目のように錯綜する第三部・第四部の映画と資料の山を引き比べてみることによって、だんだん明らかになってきます。
"...取材・資料蒐集は大いにするべきだけれども、要諦はその集めた資料の取捨選択である。これは脚本を仕上げる全工程中、一番時間がかかる。資料を読み込んでいると、必ず資料のすき間が見えてくる。こう来た以上、あっちへ行く筈だったのに、なぜこっちへ転んだのか――資料には書かれていないすき間を埋めるのが、われわれ作家たる所以だ。資料のすき間をこちらの創造(想像)力で埋めていきつつ、捨てる材料は思い切りよく、捨てなければならない。資料と資料のすき間を煮詰めるうちに、デフォルメの方向性も見えてくる。脚本執筆に向けて、だんだん頭も身体も熱くなってくる"(笠原和夫著「映画はやくざなり」より)
実在する関係者が存命で、抗争事件が風化したとはとてもいえない状況下、ヤバすぎることは潔く切り捨て(あるいはぼかし)、真相のよくわからない複雑すぎる現実の様相は大胆にデフォルメし、また登場人物も刈り込み、その一方で資料だけでは埋まりきらない空隙を創作によって塗りこめて、そうして一連の抗争の流れをぎりぎりまで単純化・エンターテイメント化しながら、それでもなおごちゃごちゃとよくわからないところにこそリアリズムが宿る、まさに神業としか言いようのない、絶妙なプロットのバランス――。「笠原和夫『仁義なき戦い』調査・取材録集成」を紐解くと、それがいかなるプロセスの果てに生まれたものだったのかが見えてきて、その泥臭くも冴え冴えとした、脚本家というプロフェッションの職人芸に深く感動せずにはいられません。
松方弘樹は三度死ぬ――秩序なき「仁義なき戦い」
私が初めて「仁義なき戦い」を観たのは予備校生のときでした。場所は今はなき男の映画館、「新宿昭和館」。その後しばらくして続編をレンタルビデオで立て続けに鑑賞、以来二十数年間、各作品とも何度再見したかわかりませんが――しかし、登場人物の人間関係を把握し、抗争の流れをようやく理解したと思えたのは、ほんの数年前。原作とDVDに収録された人物相関図を見比べつつ(映画において、原作の実名表記はすべて架空の名前に置き換えられている)、いったい誰が誰で、組織と組織の関係がどうなっているのかを、本気になってチェックしてからのことです。そうして「完結篇」で宍戸錠の演じていた役が、実は「広島死闘篇」で千葉真一の演じていた大友勝利その人だったと気づいたときには、それこそ大友に木刀で頭をかち割られたような衝撃を受けてしまったものです。
このシリーズのわかりにくさの要因は、山のような登場人物が激しく出入りする群像劇であることに加え、抗争を通じて敵味方がころころと入れ替わるところにあります。登場人物の名前を覚えることすらままならぬうち(いやそもそも登場人物が多すぎて名前など覚えきれない)、面従腹背の面々がそれぞれの思惑を胸に離合集散を繰り返し、あるいは安全保障としての盃外交をのべつまくなしに取り交わしたりして(そしてそれがあっという間に反故にされたりもして)、ただですらややこしい複数の対立軸は、一度や二度観たくらいではとても何が何だかわからぬほど、激しく歪んでいきます。
そして、そんなドラマ自体のカオティックな状況もさることながら、ある役者が続編において異なる配役で再登場するのは当たり前、さらには作品をまたいでひとつの役を異なる役者が演じていたりもするという、無秩序かつ無鉄砲な配役がまた、鑑賞者(私)の頭を激しい混乱に陥れます。なにせ登場人物が多すぎるがゆえ、役を"役名"ではなく"役者の顔"で判別している身としては、同じ役者が役を違えて何度も登場するために、頭の中が???でいっぱいになってしまうのですね。
たとえば川谷拓三や志賀勝といった、当時"大部屋俳優"と呼ばれていた斬られ役の役者が繰り返し登場する(そして殺される)のはお約束として、主役クラスの俳優までが続編でゾンビのように生き返ってくるのには、かなり面食らったものです。例を挙げたらきりがありませんが、たとえば第一部で警官隊に射殺された村岡組の梅宮辰夫は、第三部・第四部において明石組の幹部として復活。同じく第一部で逮捕された新開組幹部の渡瀬恒彦は、第三部で広能組のチンピラとして再登場。そして松方弘樹に至っては、山守組の幹部として第一部で殺され、義西会の幹部として第四部で殺され、そして広能の舎弟として再々登場した第五部で、三たび殺されてみせます。
とはいえ、その相貌に馴染のある、これらスター級の役者はまだマシです(役の重要度からいってもその存在が記憶に残っていて、続編に再登場しても、ああ前回とは違う役なんだとわかる)。さらに、第一部で殺され第五部で再登場する伊吹剛や、第二部で殺され第四部で再び殺される小池朝雄あたりも、かろうじて判別できたといっていい。
しかしながら、第一部で殺され第二部で再登場した名和宏(*1)、第一部で殺され第四部で復活した三上真一郎、第二部で殺され第三部で再登場した遠藤辰夫、そして第一部で殺され第三部・第四部に再登場、今度は殺されも逮捕もされなかったにもかかわらず、なぜか第五部でしれっと別の役で登場した曽根晴美あたりに至っては、あれっ、この人どこかで見たことがある(もしくは、あれっ、この人死んでなかったっけ?)、とまあ、その役柄が前作と地続きなのかどうかの区別がさっぱりつかず、頭が果てしなくこんがらがってしまったものです。
そして、そんな秩序なきキャスティングの果てに待っていたのが、先に書いた、「広島死闘篇」の千葉真一と「完結篇」の宍戸錠が同一人物だったという、「仁義」二十年目の極私的な衝撃的真実(*2)。なにせ千葉真一演じる大友勝利といえば、「仁義」シリーズの中でも飛びぬけて印象に残るキャラクターなのであり、同じ役者が役を違えて何度も出てくる裏で、まさかそんな重要人物の配役が代わっていたなどとは、夢にも思わなかったのであります。
(*1)名和宏は、第一部において、第二部・第三部で自ら演じることになる村岡組組長宅を辞去しようとしたところで銃撃され死亡する、土居組組長を演じている。なお村岡組の名称は、第一部では海渡組となっていて、それもまたややこしい。
(*2)第五部の織本順吉と第三部・第四部の室田日出男が同一人物だったことにも激しく驚いた。室田日出男の演じた早川英男もまた、「仁義」シリーズ随一の腹黒い人物として、強く印象に残る存在なので。
時代を体現するギラギラした昭和顔の役者たち
"1作目の後、3作目の「代理戦争」で再登場されましたね。何故3作目でもう一度、ということになったのですか?
―役者が足んないから(一同爆笑)"
(徳間書店「仁義なき戦い 浪漫アルバム」収録の梅宮辰夫インタビューより)
とまあ、配役の混乱の舞台裏を梅宮辰夫が身も蓋もなくぶっちゃけていますが――とはいえ、あとからあとから湧いてくる、ハングリーで貪欲な匂いを全身の毛穴からから発散する"昭和顔"の役者たちの群れを眺めていると、"役者が足んない"どころか、ああもう金輪際、この手の群像劇は日本で作られようがないのだ、と四十年前の邦画界の役者の地層の分厚さに、溜息が出てしまいます。
主役の菅原文太を筆頭に、松方弘樹、梅宮辰夫、渡瀬恒彦、北大路欣也、千葉真一、山城新伍、小林旭、丹波哲郎といった、スター級(当時)の俳優たち。
金子信雄、田中邦衛、伊吹吾郎、三上真一郎、川地民夫、高宮敬二、遠藤辰夫、中村錦司、名和宏、内田朝雄、成田三樹夫、小池朝雄、室田日出男、前田吟、鈴木康弘、加藤武、八名信夫、山本麟一、黒沢年男、夏八木勲、鈴木瑞穂といった、新旧取り混ぜたバイプレーヤーのうず高い山。
そして、役柄(チンピラ)の心理にその野心と功名心がまんまオーバーラップしていたであろう、当時無名の若手に過ぎなかった小林稔侍や誠直也、あるいは川谷拓三や志賀勝、岩尾正隆、福本清三、片桐竜次、野口貴史、エトセトラエトセトラの大部屋俳優たち。
よくもまあ、これだけ、一癖も二癖もある、男臭くてアクの強い(中には小倉一郎のような草食系や、加藤嘉のようなアクの抜けたタイプも混ざっていますが)、しかも芸達者でバラエティに富んだ役者が、ぞろぞろいたものだと思います(*3)。
"菅原君や松方君も皆若かったから、そういう大部屋の連中と一丸になって、もうワーッという勢いで本当に良くやってくれました。撮影所近くの大映通りや、嵐電の線路の砂利道なんかまるでオープンセット扱いで、もう本当に殴る蹴る、擦り傷や切り傷は常識だなんて口で言うのは簡単だけど、あの頃だってそんな撮影やってるところはありませんでしたよ。スターも監督も脇役からエキストラまで、お互いに遠慮のエの字もなかった。本当に面白い撮影だったなあ"(「仁義なき戦い 浪漫アルバム」収録の深作欣二インタビューより)
「仁義なき戦い」シリーズが放射する、製作から四十年経った今なお半減期のまったく見えない異様な騒擾感とダイナミズムの源泉は、まぎれもなく、これら地べたをのたうち回って己を表現することを競い合う、ぎらぎらした昭和の男たち一人一人が発散する、深作欣二監督によってあますことなく絞り出された、熱エネルギーの集積にあります。そして、そんな戦後世代の役者たちの実人生にリアルタイムで染み込み刻み込まれていたからこそ立ち昇るのであろう、泥臭く騒然とした時代の匂いがひとかたまりの巨大な雲となって、実録の実録たるゆえんである、リアリズムに満ちた生気を作品に滴らせているのではないでしょうか。
(*3)さらに付け加えると、第五部「完結篇」で宍戸錠、織本順吉、山田吾一が、「新仁義なき戦い」(1974)で若山富三郎や中谷一郎が、「新仁義なき戦い 組長の首」(1975)で西村晃や山崎努や三上寛が、そして「新仁義なき戦い 組長最後の日」(1976)で小沢栄太郎や地井武男や尾藤イサオが、この長いリストに加わる。
耳で堪能する映画、「仁義なき戦い」
"芸術作品に郷土の土の臭ひを感じさせるといふことは、その作品の味はひと親しみを非常に深めるものである...(中略)...何よりも土の臭ひを出すものはその土地の言葉である"(「溝口健二集成」収録、溝口健二「土の臭ひ「祇園の姉妹」を作るまへに」より)
役者たちのふつふつとたぎるエネルギーに加え、「仁義なき戦い」の生気の源泉は、あまりに自由闊達、天衣無縫過ぎて、ときにさっぱり意味の分からない(それでいて気分だけはよく伝わる)、ユニークにもほどがある広島弁のリズムと響きです(その好例が冒頭に掲げた広能のセリフ)。
溝口健二が云うように、およそ方言ほど、"郷土の土の臭ひ"を手っ取り早く感じさせてくれるものはないとすれば、「仁義なき戦い」シリーズの地方色豊かな風合いは、まさに広島弁あってこそのものです(本シリーズは、主に撮影所のあった京都で撮影されており、その意味でも本作の広島の空気は、ほとんどその方言の響きによって醸成されているといっていい)。
独特のユーモアと人懐っこい響きによって、荒々しい男たちの横顔にどこか愛嬌を与えてもいる広島弁の調べは、東京生まれの私の耳にほとんど羨望すら覚えるほどに心地よく、そしてそんな広島弁によって紡がれるダイアローグの数々は、溝口健二が云うところの"作品の味はひと親しみを非常に深める"だけにとどまらず、たとえば山田洋次の「男はつらいよ」シリーズにおける天才・渥美清のポンポンとした話芸に聞き惚れる快感に近い、映画を耳で堪能する悦びという、滅多に味わうことのできない付加価値を生み出してもいます。
そもそも、原作における美能元組長の書いた広島弁の会話文自体が、惚れ惚れするような名文であり、その多くがそのままシナリオに生かされているのですが、それと同等、もしくはそれ以上のクオリティとテイストで紡がれた、笠原和夫の自然で自由闊達なセリフ回しは、それがいかなセリフであろうとも、いったん広島弁に翻訳されれば、そのすべてが名セリフになってしまうのではないかと錯覚するほどに、圧巻です。そんな笠原節を"広島弁のシェイクスピア"と称揚してやまない、プロデューサーの日下部五郎の証言。
"これだけ下品な言葉遣いを乱舞させながら芸術にまで持ち上げた脚本は他に類例がないだろう...(中略)...セリフの巧みさはというと、彼は書きながら、ゴチョゴチョ言葉に出してセリフを固めていたから、あれが秘訣なのだろう。笠原さんは東京生まれだが、「一度イントネーションを押さえると、方言でセリフ書くのも東京弁でセリフ書くのも同じだよ」と讃嘆する私に笑顔を見せた" (「シネマの極道 映画プロデューサー一代」より)
そして当の笠原和夫もまた、こんなことを述べています。
"クネクネと泥鰌が坂道を歩いているような広島弁の語感は文字の上からだけでは捉えられない。やはりイントネーション(抑揚)をマスターしなければ駄目だ。と云って、身近に広島弁の先生も見当たらない。ハタと思い当たったのは、昔、岡田茂社長が撮影所長の頃、脚本の本読みの席上でクソミソに私の苦心の作をコキ下した時の演説の語調であった。氏は紛れもなき広島県人である。あの時この時のニクたらしい言葉の数々を氏の面貌と併せて思い起こしている内に、菅原文太君の広能や金子信雄さんの山守親分の台詞が生き生きと回転し始めたのであった"(「笠原和夫『仁義なき戦い』調査・取材録集成」より)
そんな創造の工夫の末に生み出された珠玉の名セリフを数え上げれば、それこそキリがなかったりするのですが、わけても第二部「広島死闘篇」において、黒光りする顔にナス型グラサンを掛けた戦後派ヤクザの典型、大友勝利が、木刀片手に唇をひん剥き、戦前派のテキヤである父親(加藤嘉)に向かって吼え立てる、凄味と滑稽味が絶妙のバランスで同居した、身も蓋もなく直截的で下品な一連の啖呵は、「仁義なき戦い」という映画の持ち味がぎゅっと凝縮されているのみならず、その主題をずばりと突いてもいて、何度聞いてもうっとりしてしまいます。
「のう親父さん、神農じゃろうと博打打ちじゃろうとよ、ワシら旨いもん喰うてよ、マブいスケ抱くために生まれてきとるンじゃないの。それも銭がなきゃできやせンので。ほうじゃけン、銭に身体張ろう言うンがどこが悪いの。おう?」
「やってもみンで勝つも負けるもあるかい!おどれら村岡いうたらしびりやがって。あンとらもんの風下に立ってよ、センズリかいて仁義で首くくっとれ言うンか!おう!?」
「言うとったるがの、広島にヤクザは二つも要りゃせンのじゃ!!」
"重喜劇"としての「仁義なき戦い」
"僕が目指したのはバルザックの「人間喜劇」でね。決まった主人公もいない、勧善懲悪もない、群衆としての登場人物全体のうねりみたいなものがエネルギーとなるところを、お客さんに伝えたいと思ってましたから。そういう映画は当時なかったですからね"(「仁義なき戦い 浪漫アルバム」収録の笠原和夫インタビューより)より)
二十歳前後の頃の私にとって、「仁義なき戦い」の魅力は、一も二もなく、怖い世界を安全地帯から見物する面白さ、そしてその凄惨で殺伐としたバイオレンス描写の迫力にありました。さらに言えば、この映画を観るたび、己の欲望に忠実であることにおいてとことん正直な男たちが、暴力で下剋上を成し遂げようとするパワーに内なる獣性を強く刺激され、ブライアン・デ・パルマの「スカーフェイス」(1983)から受ける感覚に近い、野蛮で粗野な昂揚感に、身を打ち震わせてしまったものです。
敵味方がくんずほぐれつしての血みどろ、泥まみれの、無秩序かつ様式的なカッコつけとは一切無縁の暴力描写の数々は、手持ちカメラで撮影された、ぐらぐらと揺れる臨場感のあるリアルな映像とも相まって、今観てなお、火を噴くほどに刺激的ですが、そんな暴力描写や性描写もひっくるめた人間のあられもない営みがリアルに描かれているからこそ、欲にまみれた人間たちのあさましくも情けなく、ときに卑小で悲惨で愚かで無様でなりふり構わぬ姿には、いわば切羽詰まった笑いともいうべき猥雑な喜劇性――笠原和夫の意図した"人間喜劇"の味がじわりと滲みます。そしてそれこそが、今の私にとっては、単なる一過性の刺激物としての価値を超えた、「仁義なき戦い」シリーズ最大の魅力ともなっています。
深作欣二の監督デビューから遡ること三年前、「盗まれた欲情」(1958)で初メガホンをとった今村昌平は、その監督人生の始めから、自身の目指す作風を指して、"重喜劇"ということばを使っています(今村昌平著「映画は狂気の旅である―私の履歴書」より)。土俗的な社会の底辺に生きる、欲望を剥き出しにした人間たちの生々しい生を容赦なく暴き立ててみせる今村映画には、幾重にも装った社会や人間の皮(良識)を剥いて剥いて剥きまくった果てににょっきり顔を出す、軽やかさとは対極にある、まさに重喜劇という造語が言いえて妙にもほどがある、重苦しく醜悪な笑いが滲みます。
"加藤(武)は早稲田大学・演劇研究会の時代から今村昌平と仲間であり、撮影の合間に深作欣二から今村作品のおもしろさを力説された。深作は、のちに夫人となる中原早苗が出演していた「果てしなき欲望」や、加藤が出演した「豚と軍艦」の撮影手法も絶賛していたという"(徳間書店「蘇る!仁義なき戦い 公開40年目の真実」収録の加藤武インタビューより)
とまあ、そんな一文を見つけたときは、思わずポンと膝を打ったものです。なぜなら「仁義なき戦い」を繰り返し観るうち、いつの頃からか、この作品ほど"重喜劇"ということばのニュアンスが相応しい映画はないのではないか、と思うようになっていたからです。
たとえば第一部において、敵対する土居組に決死の殴り込みを掛けようとする山守組の鳩首会議の最中、突如、田中邦衛扮する幹部の槙原が、「わしゃ死ぬゆうて問題じゃないが、女房がの、腹に子がおって、これからのこと思うちゃったら、可哀想で可哀想で、うっうっ」とウソ泣きしてみせる場面。
あるいは第二部において、飯代にも窮した広能組の組員たちが野良犬を殺して用意した肉の正体を察し、菅原文太が「おまえら、何の肉買うてきたんじゃ!?」と青筋を立ててみせる場面。
はたまた第三部において、オンナがテレビを欲しがったために組の管理するスクラップ置き場のスクラップを売りとばし、その落とし前として、(指ではなく)手首を詰めて脂汗を流す組員の川谷拓三に、「くそばか!!こんたらバカしくさって。喧嘩のときゃ何もって飛ぶんじゃい!」と菅原文太がブチ切れる場面。
そして第四部において、加藤武扮する打本会の組長が、抗争相手である山守組の若頭、小林旭扮する武田明に自分の若い衆が今まさに殴り込みに向かったことを電話で密告し、その見返りに借金を申し込んで、「喧嘩相手に金貸す馬鹿がどこにおるか、このボケ!!」と怒鳴り飛ばされる場面――。
ウソ泣きも、野犬の焼肉も、手首詰めも、また抗争相手に借金を申し込むのも、そのすべてが実話に基づくものであるところがすさまじいわけですが、そんな切羽詰まった人間の営みの極限状況に生まれる悲惨で残酷、無様でずっこけた笑いの質は、たとえば「豚と軍艦」(1961)において、ヤクザたちのつつく豚鍋から、かつて彼らが死体の処分に困って豚の餌にした男の金歯が出てきたりだとか、「赤い殺意」(1964)において、夫の留守中に強盗に襲われた主婦が自殺しようと思いながら、ついお釜を抱えて腹ごしらえをしてしまうだとか、あるいは「復讐するは我にあり」(1980)において、情婦に包丁を突き付けられた連続殺人犯が、素っ裸で股間を抑えながら後退るだとか、今村映画に描かれる、ときに惨めでやりきれない、しかし、どこか人間という生き物のしぶとさを感じさせる(だからこそ笑ってしまう)、笑いの質に通じるものがあります。
果たして「仁義なき戦い」のバイオレンスに萌えていた若かりし頃の自分が、そんな本作の喜劇性をどこまで意識していたか、今となっては定かではないのですが(回を増すごとにエスカレートする、金子信雄の悪乗り芸の面白さは別として)、いずれにしても何度も繰り返して観ていれば、その暴力描写がいかに目を背けるほどに残酷なものであろうとも、次第に目が慣れてくるもので、そしていったん目が慣れれば、その裏に縫い付けられたどす黒いユーモアもまた、徐々に透けて見えるようになるものです。今となっては、本来、笑いの介在する余地のない場面や映像――たとえばこの上なく凶暴な大友勝利の一挙一動にさえ、おそらくは製作者たちの思惑を超えたおかしみを覚えてくすっとしまうのであり、私にとっての「仁義なき戦い」の見目と肌触りは、二十年の時を経て、すっかり表地と裏地がひっくり返ってしまった感があります。
第五部「仁義なき戦い 完結篇」について
"一年半と七年か...間尺にあわん仕事したのう"
第四部の終幕で、粉雪の吹き込む拘置所の廊下で武田と再会した広能は、寒さに身を震わせながら、仇敵の山守組長と自分が打たれた刑の軽重の差に顔を顰め、そう呟きます。第一部から第四部にかけて延々描かれた、欲望の皮をつっぱらせた有象無象の生が繰り広げるドタバタの抗争劇は、こうして通常のドラマであればいよいよこれからというタイミングで主役が逮捕され、カタルシス不在のまま、いかにもアンチヒーローたちの群像劇にふさわしい、アンチクライマックスとでもいうべき、巨大な徒労感と虚無感に包まれて幕を閉じます。
前述の通り、脚本家の笠原和夫は、これですべてを描き切ったとして「仁義なき戦い」から降板しますが、東映は代わりに高田宏治を起用し、「完結篇」と題した続編を製作します。
"実は少し考えてはいたんです。もし僕が「完結篇」を書いていたら、広能第一世代を狙う、金と出世のためなら何でもする若い第二世代のヤクザを中心に描いてました。実録路線を作った自分の手法を、全てひっくり返すような内容にしたかったですね"(「仁義なき戦い 浪漫アルバム」収録の笠原和夫インタビューより)
続編の執筆に心残りがなくもなかったと思える、笠原和夫のそんな発言を裏打ちするかのように、「笠原和夫『仁義なき戦い』調査・取材録集成」には、第五部のために取材したと思われる記録と資料が残されています。そしてそれらは、そっくりそのまま、高田宏治へと引き継がれたようです。
"巻物みたいな膨大な資料を預かってね...(中略)...若い信奉者の方には5作目だけ僕が書いているのを許せないって言うわけだよね。でも笠原さんのことは僕が1番知っているし、お墨付きがあって書いたわけだから、そんなバッシングはされたくないよって言ったんだ"(「蘇る!仁義なき戦い 公開40年目の真実」収録の高田宏治インタビューより)
広島ヤクザ戦争の後日譚ともいうべき第五部には、菅原文太演じる広能や小林旭演じる武田、それに金子信雄演じる山守をはじめ、シリーズを通じてお馴染みとなった人物たちが引き続き登場し、その姿を眺めているだけでも楽しかったりするのですが、それでもやはり(高田宏治には悪いですが)別物扱いしたくなってしまうのは、ヒロイズムとは無縁のはずの「仁義なき戦い」の世界に、初めてドラマチックな人物が登場し、そしてその結果、シリーズ恒例のエンディングの原爆ドームの映像や、"そしてその死はついに報われたためしがない"という「代理戦争」のナレーションに象徴される、"暴力の虚しさをもっともよく知るはずの地で繰り広げられるがゆえの暴力の虚しさ"とでもいった、第一部から第四部にかけて築き上げられてきた、本シリーズの裏テーマがすっかり反故にされてしまうからです。
「完結篇」の実質的な主人公として、広島ヤクザの大同団結によって組織された政治結社、共政会の二代目会長となる松村保を演じる北大路欣也は、第二部における山中正治役に引き続き、悲しいほどに遊びのない、大マジな上にも大マジな演技でもって、ドラマの色合いを、一種のド根性物語ともいうべき、悲壮なヒロイズムの色に染め上げます。
たとえば幾多の襲撃場面において、強面の役者たちが競うように演じてみせるひるみっぷり、いわば"びびり芸"の面白さは、バイオレンスの刺激に慣れてようやく目にとまるようになった、本シリーズの隠れた見せ場のひとつです。第一部において、広能が自分を殺しにきたと勘違いした山守組の幹部、坂井を演じる松方弘樹が「待てっ!待てっ!!」という(のちに「天才・たけの元気が出るテレビ!!」で披露した裏声を彷彿とさせる)情けない声音とともに後退ってみせるのを皮切りに、続編において菅原文太が、千葉真一が、小池朝雄が、室田日出男が、成田三樹夫が、そして小林旭までもが仲間の身体を盾に我先にと逃げ惑ってみせる卑怯な姿は、そんな情けなさと無縁のイメージを持った男たちであるだけにことさら笑えるものですが、ところが北大路欣也のそれだけは、なぜか、ちっとも可笑しくありません。
北大路欣也は、ヤクザ社会の頂点を目指して野望をたぎらす若きヤクザを、ただひたすら、隙なく熱くカッコよく演じてしまうのであり、そしてそんな下剋上を体現するヤクザをヒロイックに描いたサクセスストーリーの中では、渡瀬恒彦演じるチンピラがあたら無駄に命を散らす第三部のサブ・プロットを、そっくりそのまま焼き直したかのようでもある桜木健一演じるチンピラの惨めな死も、あくまで小手先の付け足しとしか感じられなかったりします。
とまあ、第五部「完結篇」は、そのありようにどうしても頷けないところがあるのですが、とはいえもし、千葉真一が大友勝利として、そして室田日出男が早川英男として出演していたならば、その強烈無比なキャラクターの有無を言わさぬ親和力によって、ヒロイズムがどうこうという(私の)理屈めいた違和感を軽くどこかに吹き飛ばす、シリーズの大団円に相応しい、問答無用のパワーを持った作品になっていたのではないか、という気もします。
"僕はどうしてもその後の、性病で眼がただれた晩年の大友をやりたかったんですよ!「完結篇」の大友こそが演じたい役だった!でも、当時僕の主演作品とスケジュールが重なっちゃってね、どうしようもなかった。「しかたねえや」って、劇場で、「完結篇」を観たんだけど悔しくてねえ。と同時に「あれ?大友どこへいったんだ?」って思ったりしてね(笑)" (「仁義なき戦い 浪漫アルバム」収録の千葉真一インタビューより)
そんな、(今更ながらの)やる気に満ち満ちた千葉真一のインタビューを読むにつけ、ああ、あるべき真の「完結篇」を観る機会は永遠に失われてしまったのだなあという、深い喪失感に苛まれてしまったりもするのです(ややオーバー)。
仁義なき戦い (英語名: Battle Without Honor or Humanity)
公開: 1973年
監督: 深作欣二
企画: 俊藤浩滋/日下部五朗
脚本: 笠原和夫
原作: 「仁義なき戦い 広島ヤクザ・流血20年の記録」(飯干晃一)
出演: 菅原文太/松方弘樹/金子信雄/梅宮辰夫/田中邦衛/渡瀬恒彦
音楽: 津島利章
撮影: 吉田貞次
編集: 宮本信太郎
仁義なき戦い 広島死闘篇 (英語名: Battle Without Honor or Humanity: Deathmatch in Hiroshima)
公開: 1973年
監督: 深作欣二
企画: 日下部五朗
脚本: 笠原和夫
原作: 「仁義なき戦い 広島ヤクザ・流血20年の記録」(飯干晃一)
出演: 菅原文太/千葉真一/北大路欣也/金子信雄/成田三樹夫/梶芽衣子/小池朝雄
音楽: 津島利章
撮影: 吉田貞次
編集: 宮本信太郎
仁義なき戦い 代理戦争 (英語名: Battle Without Honor or Humanity: Proxy War)
公開: 1973年
監督: 深作欣二
企画: 日下部五朗
脚本: 笠原和夫
原作: 「仁義なき戦い 広島ヤクザ・流血20年の記録」(飯干晃一)
出演: 菅原文太/小林旭/梅宮辰夫/金子信雄/成田三樹夫/加藤武/山城新伍/田中邦衛/室田日出男/渡瀬恒彦
音楽: 津島利章
撮影: 吉田貞次
編集: 宮本信太郎
仁義なき戦い 頂上作戦 (英語名: Battle Without Honor or Humanity 4: Police Tactics)
公開: 1974年
監督: 深作欣二
企画: 日下部五朗
脚本: 笠原和夫
原作: 「仁義なき戦い 広島ヤクザ・流血20年の記録」(飯干晃一)
出演: 菅原文太/小林旭/梅宮辰夫/松方弘樹/金子信雄/加藤武/山城新伍/田中邦衛
音楽: 津島利章
撮影: 吉田貞次
編集: 宮本信太郎
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管理人: mardigras

いや~~面白かったです。
実のところ、待ってましたの記事が 「仁義なき戦い」なので、ちょっと引いてしまったのですが、読み始めたら、やっぱり止まりませんでした。わけがわからず、こんがらがっても、血みどろは苦手なんですって思うも、それらをサっと飛び越える面白さに夢中になりました。
今から血みどろの闘争、ややこしい人間群像を理解するために何度もこの映画を観るパワーはないと思います。だけど、やっぱり、怖いもの見たさがあります。イラストの田中邦衛さん、品がいいですね。ウソ泣きする姿、見てみたいです。
前田吟さん、鈴木瑞穂さん、草食系(元祖ですね)の小倉一郎さん!が どんな顔でどんな声で台詞を言うのか聴いてみたい、見てみたいです。
それになにより、 おどりゃあ タコのクソ、アタマのぼりやがって!!の意味は映画を観なくてはわからないですね。
一度だけでも 是非 観なくては の 一本です。
イラスト、凄いですね。精悍な表情から凄味と殺気が伝わってきます。
mardigrasさんの映画評論は最高に面白い本を読んだ!の気分になります。
ありがとうございました。