フロンティアが見たいのです、失われる前に。 俳 優としてのキャリア絶頂期にあったケビン・コスナーが、私財を投じて製作、自ら監督・主演を務めた「ダンス・ウィズ・ウルブズ」 (1990)は、溜息がでるほど美しく、そして切ない映画です。失われゆく"フロンティア"を舞台に、ひとりの白人が平原インディアンと出遭い、絆を深め、やがて自らもまた"フロンティア"の一部となっていく姿を悠揚迫らぬタッチで綴ったドラマは心洗われるがごとく、蒼茫たる大平原の四季の移ろいを余すところなく捉えたフォトジェニックな映像は、神々しいほど美しい。 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、アメリカの現代社会―ひいては物質偏重の現代文明が進歩発展の陰に葬り去ってきた、人と人、そして人と自然のまったき調和に生まれる根源的な歓びとその尊さを、衒うことなくすがすがしいほどまっすぐに謳いあげた、観るたびに心を揺さぶられてしまう映画です。 ラブ・ストーリーとしての「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(以下ネタバレ) 本 作の原作、マイケル・ブレイクの「ダンス・ウィズ・ウルブズ」 に、この映画の気分をひとことであらわしたような、こんな一節があります。"...ダンバー中尉は恋に落ちたのだった。この美しい土地と、そこにあるすべてのものを愛しはじめていた。それは人々がほかの人々と分かちあうことを夢にみる、そんな種類の愛だった" 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、ジョン・フォードの「荒野の決闘」 (1946)にも通じる、いわく文字にしがたい詩情を湛えた作品です。くしくも西部活劇のフォーマットに則った「荒野の決闘」が、その実、主人公の無骨な恋心を描いた紛れもない"ラブストーリー"だったように、西部開拓史の一断章を史劇的スケールで描いた「ダンス・ウィズ・ウルブズ」もまた、その本質はいかにも"ラブストーリー"としかいいようのない、フロンティアとフロンティアに生きとし生けるものすべてと"恋に落ちた"主人公の瑞々しく浮き立つような気分―恋する喜び、高揚感、切なさ、愛するものとの一体感、そして愛するものを失うかもしれないという暗い予感―を全編に色濃く滲ませた映画です。そしてそんなひとりの男の純粋でひたむきな恋情こそ、この壮大な映画に溢れる詩情の最大の源泉だったりするのです。 ドラマの主人公は、南北戦争が終焉を迎えつつある1860年代なかば、テネシーの戦場でひょんなことから手柄を立てた連邦軍(北軍)の白人士官、ジョン・ダンバー(ケビン・コスナー)。彼は褒賞として望みの駐屯地を選ぶ機会を得ると、誰もが厭う辺境勤務をあえて志願します。フロンティアを臨む拠点、カンサスのヘイズ砦に赴いたダンバーは、彼の望みを理解できない砦の責任者に向かってこんなことを云います。「フロンティアが見たいのです、失われる前に」 フロンティアが失われること、イコール彼の地に星条旗がはためくこと(すなわち合衆国の拡張政策の尖兵たる軍隊が進出すること)だとすれば、"失われる前にフロンティアを見たい"という彼の冒険心に溢れた願望は、彼が軍人である限りにおいて、所詮は征服される立場にあるものの痛みを理解しない、無責任な感傷に過ぎないものだったりします。しかし、そんな"征服者"の立場にある男の"征服対象"に対するナイーブな憧れは、いざ彼の地に足を踏み入れ、果てしない大空と大地を眺めた瞬間、それこそまさに自分が捜し求めていたものだという確信に変わります。 やがて大平原に生きる者たち――インディアンを見いだし(つまりは見いだされ)、彼らと交流を深めていくにつれ、彼はいつしか征服者としての立場を忘れ、理想の生を生きる存在としてのインディアンたちに限りないシンパシーと愛情を抱くようになっていきます。そしてついには、それがいずれは失われざるものであることを承知の上で、彼らと命運をともにする道――すなわち自らもまた征服されるものの一部として、愛に殉ずる道を選びとっていくのです。フロンティアを象徴するオオカミ、"ツー・ソックス" ヘ イズ砦をあとにしたダンバーは、数日間にわたる大平原の旅を経て、配属命令を受けた合衆国最西端の駐屯地、セジウィック砦に辿り着きます。ところがそこに守備隊の影はなく、塁塞はすっかり荒れ果てもぬけの殻(原作では数章にわたってその経緯が描かれているものの、映画では語られない)。荷運びの御者がヘイズ砦に引き返そうと促しますが、しかし大平原に魅せられてしまったダンバーは、愛馬シスコとともにひとり砦に留まる決心をします(そして彼の与り知らぬところで悲劇とも喜劇ともつかぬ出来事が重なった結果、彼が砦にひとりあることを知る者はこの世に誰もいなくなってしまう)。 果てしない蒼穹の広がる大平原のど真ん中で、ダンバーはフロンティアの"住人"となったことに言い知れぬ幸福を覚えつつ、自らに課した最初の任務として砦の修復に勤しみます。と、そこに姿を現したのは一匹のオオカミ。以来オオカミは、まるでフロンティアに紛れ込んだ闖入者を監視するかのごとく、ダンバーから付かず離れず、その行動を興味津々で見守るようになります。 ダンバーによって"ツー・ソックス"と名付けられたそのオオカミは、まるで大平原の"押しかけ住人"である彼を受け入れるかどうかを決めかねているフロンティアそのものの化身のようでもあり、また同時に平原インディアンの分身として彼らの出現を予告する、先触れの使者のようでもあります。そんなオオカミの存在は、孤独をかこつダンバーにとって恰好の慰めとなります。友好的な関係を築こうと試みるダンバーと好奇心と警戒心の入り混じった"ツー・ソックス"は、日々の中で文字通り一歩一歩、じりじりとその間合いを詰めていきます。そしてその未知なるもの同士の遭遇と接近のプロセスは、やがてそっくりそのまま、ダンバーと平原インディアンたちとの間においても繰り返されていくのです。未知との遭遇"フロンティア篇" 未 知なる人と人(に限らない)が出遭い、恐れを乗り越え、とまどいながらも理解しあい、やがて信頼と絆を深めていくドラマには、問答無用で人の心を揺さぶる力があります。なぜなら人と人が"わかりあう"こと、それこそ私たち誰もが日々の暮らしの中で求めてやまないことだからであり、そして同時に現実世界においてはそれがいかに難しいものであるかということを、イヤというほどわかってもいるからです。それゆえ私たちは、人と人が通じ合うドラマの"奇跡"に感動し、またその歓びに深い共感を抱かずにはいられません。まして彼らが異質な者同士であればあるほどその感動はいや増すのであり、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、そんな異なるにもほどがある者同士――異なる文明に属するものたちの間に絆が醸成されていくさまを、じっくり時間をかけ、きめ細かく描いていきます。 フロンティアの住人となり、孤独ながらも平穏な日々を過ごしていたダンバーは、ついにある日、かねてその出現を恐れもし、またどこかで心待ちにもしていたインディアンと遭遇します。それは越冬地から春を迎えた大平原に戻ってきた平原インディアン、スー(テトン・スー)のバンド(一集団)でした。 潜在的に敵対関係にあるといっていいダンバーとインディアンたちは、ほとんど条件反射で互いに互いを脅威と見做します。ダンバーが戦闘準備を整え砦にこもる一方で、インディアンたちは彼の馬を盗みだそうと挑発行為を繰り返します。その試みはいずれも失敗に終わりますが、しかし三度にわたって馬を盗まれかけたダンバーは、己の怯懦と受身に嫌気が差し、ついに自らインディアンたちのもとへと出向く決心をします。"私は間違っていた。いつも私は何かを待っていた。いったい何を待っていたのだろう。誰かが自分を見つけることを?インディアンに馬を盗まれることを?バッファローを見ることを?この地に赴任して以来、ずっと薄氷を踏む思いで過ごしてきた。それが癖になってしまっていた。もう待つのはうんざりだ。明日の朝、危険を覚悟で奴らのところへ出かけよう。どうなるかはわからないが、標的となってじっとしているのは能がなさ過ぎる" (ダンバーの日誌) 軍服に身を包み、星条旗を高々と掲げ、愛馬に跨りインディアンの野営地があると思しき方角へと進む途上、彼はとある丘の木陰で体中から血を流してうずくまる、インディアンの衣服をまとった青い目をした女に出遭います。ダンバーは与り知らぬことながら、それは夫を戦闘で亡くし、服喪の儀式の最中に誤って大怪我を負ってしまったスーの女性――幼い頃にポーニー族に家族を皆殺しにされ、スー族に拾われて成長した白人女性でした。ダンバーは星条旗を引き裂き、怯える女に無理矢理手当てを施すと、馬に乗せてスーの野営地へと運びます。歓迎せざる者の出現に驚き慌てふためくインディアンたちによって、ダンバーは追い払われるように野営地を後にしますが、しかしこの出来事がひとつのきっかけとなり、ダンバーとインディアンたちの間でおそるおそるの交流が始まります。かくてダンバーは彼らの"友人"となる 片 や大平原のど真ん中で人恋しさを募らせる孤独な"白人"と、片や大平原にたったひとりで現れた不思議な白人に好奇心を抱く"インディアンたち"――未知なる集団と集団の遭遇が、とかく敵対的になりがちであるのに比べ(言うまでもなく異質な集団同士の利害は大抵衝突せずにはいられないものだから)、ひとり対集団の出遭いにはまた違った力学が働くようです。数的優位にあるインディアンたちのダンバーに対する警戒心にはそもそもどこか余裕があるのであり、かててダンバーに敵意のないことを覚ってからは、とまどいながらも彼を害のない存在―訪ねていけば何か目新しい発見のある、いわば変わり者の"隣人"として遇するすようになっていきます。 インディアンたちの中にひとり、かねてダンバーに特別の関心を抱いている者がいました。それが一族の精神的な指導者にして呪医でもある聖人、"蹴る鳥"(グラハム・グリーン)。彼はそもそもダンバーが最初に遭遇したインディアンであり、部族の指導者のひとりとして、一族の存亡を占うためにもダンバーから"白人たち"の動向を聞き出したいと考えていました。"これまで彼らについて耳にしていたことはすべて間違いだった。彼らは盗人でもなければ恐ろしい怪物でもない。礼儀正しく、そしてユーモアを解する人たちだ。しかし相互理解はさっぱり進まない。私と同様、静かな男(”蹴る鳥”のこと)もこの状況にイラついているようだ" (ダンバーの日誌) ダンバーとの友好的な関係が確立されて以来、コミュニケーションが遅々として進まないことに苛立った"蹴る鳥"は、ダンバーが救った女、"拳を握って立つ"(メアリー・マクドネル)に彼らの通訳を命じます。白人の言葉をほとんど忘れ、また白人社会へ連れ戻されることを何より恐れてもいた"拳を握って立つ"は、その頼みをいったんは拒絶しますが、しかし自分の養父でもある"聖人"のたっての願いを断りきれず、かくしてインディアンの野営地に招待されたダンバーは、"拳を握って立つ"を仲立ちとして、初めて"蹴る鳥"と会話らしい会話を交わします。"今日、大きな進展があった。私が助けた女は英語を話し、お陰であきらかに相互理解が進んだ。いくつかの理由で、私は彼らの質問すべてに答えるのを控えた。それはたぶん軍人としての義務感ゆえでもあれば、また何かが私にあまりしゃべり過ぎるなと囁きかけているようでもあった。いずれにしろ再び生きて砦に帰ってこれたのはよかった。”隣人”を訪ねるのは楽しみだが、やはり私の家はここだ。彼らとの交渉が実りあるものとなることを望みながら、援軍が到着するまで、引き続き警戒を怠らないようにしよう" (ダンバーの日誌) そんなある日の夜更け、ダンバーはただならぬ地響きに目を覚まします。それは彼が待ち望んでいた、そしてインディアンたちもその到来を待ち侘びていた、月夜の大平原を移動する何千というバッファローの大集団でした。ダンバーは興奮に我を忘れ、また自らに対する戒めも忘れてスーの野営地へと飛んでいき、バッファローの出現を急報します。 ダンバーはバッファローの発見者としてインディアンたちから感謝され、彼らの狩りに招待されます。一族総出による数日をかけた追跡ののち、彼らはついに見渡す限りの平原に黒々と散らばるバッファローの大集団に追いつくと、周到に陣形を組み、勇壮な狩りを開始します。見よう見まねで狩りに参加したダンバーは、インディアンたちに混じり、無我夢中で獲物を仕留めていきます。そして荒れ狂う巨大なバッファローに襲われそうになった少年を危機一髪で救いもし、一躍、一族のあいだの押しも押されぬ人気者となります。 狩りと狩りの成功を祝う宴が終わり、インディアンたちに別れを告げてひとり砦に帰ったダンバーは、いまや親しい"友人"となった彼らに痛切な親愛の情を覚え、翻って孤独な己の身の上に言い知れぬ寂しさを感じるようになります。"ここでは毎日が奇跡で暮れるようだ。神がどんなものであれ、今日この日のことを神に感謝しよう。あそこにこれ以上いても無意味だった。われわれは運べるだけの肉は手に入れた。三日間狩りをして馬を六頭失ったが、怪我をしたのは三人だけだ。私はこれほど熱心に笑い、これほど家族を思いやり、これほど互いに誠実な人々を知らない。私の心に浮かんだただひとつの言葉、それは"調和"だった。いままで何度も孤独を感じたことはあるが、これほど自分がひとりであることを痛切に感じたのは今日の午後が初めてだ" (ダンバーの日誌)そして彼は"狼と踊る"に生まれ変わる や がて季節は秋を迎えます。ダンバーは野営地に自分のテントを持つことを許されると、インディアンたちと長い時間をともにするようになります。""蹴る鳥"とは毎日会話を交わしているが、彼が私に不満を抱いていることも承知している。彼はいつも、あとどのくらい白人がやってくるのかと尋ねる。私は白人はこの地を通り過ぎていくだけで何もしないだろうと言うことにしている。しかし私は半分しか真実を伝えていない。いつの日か、夥しい数の白人がやってくることだろう。だが私の口からそれを彼に伝える気にはなれない" (ダンバーの日誌) なぜダンバーが真実を伝えることを躊躇するかといえば、それはインディアンたちを待ち受けている過酷な運命が、いまだ彼自身のそれではないから――すなわちインディアンたちといかに親しく交わろうとも彼は"白人"なのであり、彼らのよき"理解者"として、その運命に同情と罪悪感を覚えているに過ぎないからです。 やがてダンバーは、インディアンたちの間で自分が"狼と踊る(ダンス・ウィズ・ウルブズ)"と呼ばれていることを知ります。それは、草原でオオカミと戯れるダンバーを見てインディアンたちが名付けた、"彼に相応しい本当の名"でした。 * * *"もうすぐポーニーの討伐隊が出発するので、私も志願した。それはどうやら間違った振る舞いだったようだが、いまさら取り消す気にはなれない。彼らは私の友人だし、私の得た乏しい知識でも、ポーニーは彼らにずいぶん酷い仕打ちをしている。出過ぎた真似をしたのでなければよいが" (ダンバーの日誌) ポーニーは、スーやシャイアン、アラパポといった強大な部族の仇敵であり、歴史的にみるかぎり、部族間の関係において"ずいぶん酷い仕打ちをして"きたのは、むしろスーの側だったようです(「ダンス・ウィズ・ウルブズの世界」収録の訳者(小山起功)あとがきより)。要するに、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」に描かれる、"よいインディアン"スーと"悪いインディアン"ポーニーの図式は、あくまでフロンティアの歴史のいつかどこかで発生した、個々のバンドをめぐる一局面と捉えるべきものなのでしょうが、それはさておき――。 一族の精鋭たちが、ポーニーと対決するために野営地を後にします。ダンバーはいくさに加勢したいと願い出ますが、"蹴る鳥"によってやんわりと拒絶され、代わりに戦士不在の野営地の守備を依頼されます。ダンバーはしぶしぶながらも了承すると、スーの暮らしを観察し、また彼らのことばを学習しながら、黄色に色づく大平原で平穏な日々を謳歌します。そしていつしかダンバーと"拳を握って立つ"は恋に落ち、やがて結ばれます。 そんなある日、スーと友好関係にあるカイオワの戦士が野営地を訪れ、野営地の方角を目指して進むポーニーの一団と遭遇したことを語ります。戦士不在の村人たちはパニックに陥りますが、ダンバーは砦に隠してあったライフル銃数十丁を持ち運んでくると、非戦闘員である老人、女、子どもたちを指揮して戦いに備えます。そして早暁、野営地に姿を現したポーニーの戦士たちを、彼らは犠牲者を出しながらも見事に討ち果たします(最後にひとり残ったポーニーを村人たちが取り囲み、よたつく老人までもがなぶり殺しに参加する光景をダンバーが呆然と眺めている場面は、黒澤明の「七人の侍」 (1954)を思い出さずにはいられない)。"この感じをどう説明したらよいのかわからない。今までこのような戦いを経験したことはなかった。この戦いに後ろ暗い政治的な思惑はない。領土や富や人間の解放をめぐる戦いですらない。冬を越すのに必要な食糧を守るための戦いであり、すぐそこにいた女や子供や愛する者の命を守る戦いだったのだ ...(中略)...私の中に新しい見方が生まれつつあった。今までにない誇りを感じる。私は"ジョン・ダンバー"が何者であるかがわからなかった。おそらくその名前に何の意味もないからだ。だがスー族での名前を何度も耳にしているうちに、私は初めて自分が何者であるかを知った気がする" (ダンバーの日誌) そしてほどなく、ダンバーと"拳を握って立つ"は挙式を上げます。一族のもっとも勇敢な戦士であり、遭遇当初、ダンバーに対してもっとも激しい敵意を燃やしていた"風になびく髪"が、彼を祝福して云います。「彼女を残して死んだ夫は、生前はオレの親友だった...とてもいい男だった。だからオレはオマエを歓迎しなかった。オレは"蹴る鳥"と違って、ヤツの死を理解できず、怒りだけを感じていた。だが、いまオレはオマエが来るので彼は去ったと考えている」 こうして、フロンティアに真の自分を見つけたダンバーは、"越境者"として、残りの人生をスーとともに生きていく決心をします。 * * * 開いた心が心を開き、善意が善意を呼び、そしていくつかの劇的な出来事を経て、未知なる"異人"同士だったダンバーとインディアンたちの関係は、"隣人"から"友人"へ、さらには"仲間"へ、そしてついには"家族"と呼ぶべき間柄へと変化していきます。インディアンたちとの交流が深まるにつれ、初めはきらびやかな軍服に身を包んでいたダンバーは、ときに上着を胸当てと交換し、あるいは帽子をナイフと交換し、文字通り、"白人"としてのアイデンティティを徐々に脱ぎ捨てていきます(そもそも"拳を握って立つ"を助けたときに、彼は早くもアメリカの象徴である星条旗を躊躇なく引き裂いていたりする)。そしてダンバーは、いまや白人の目からすれば、かつての連邦軍士官の面影のまったくない、どこから見てもインディアン以外の何者でもない存在となります。"蹴る鳥"が、(スーのことばで)彼に云います。「この世に人の生きる道はいろいろあるが、何よりも大切なことは、本当の人間の道を歩むことだ。オマエはその道を歩んでいる。すばらしいことだ」 "数え切れないほど大勢やってくる" 季 節はめぐり、冬が近づいていました。ある日、ダンバーは"蹴る鳥"にいざなわれ、馬を駆って遠出します。彼らが訪れたのは、平原インディアンたちの"聖地"でした。いまや一族のひとりとして、彼らと命運をともにすることとなったダンバーは、意を決し、以前から"蹴る鳥"が知りたがっていた質問の答を口にします。「あなたは白人のことを尋ねる。何人ぐらいやってくるのかと」 「...」 「数え切れないほど大勢やってくる」 「何人くらい?」 「星の数ほど」 やがて、彼らが越冬地へと旅立つ日がやってきます。ダンバーは、スーのことを事細かに書き記した日誌を砦に置き忘れたことに気づき、旅立つ仲間たちと別れ、ひとり砦へと向かいます。ところが無人のはずの砦には、軍服に身を包んだ数十人の男たち―砦に派遣された新たな兵士たちがいました。その風体のせいでインディアンと見間違われたダンバーは、呆然としているところを狙撃され、馬を撃ち殺されてしまいます。 いついかなるときもそばにあり、苦楽をともにしてきた愛馬シスコの死は、ダンバーの中に僅かに残っていた(かもしれない)"白人"の息の根を完全に止めてしまいます。捕縛されたダンバーは、営倉に拘禁されて厳しい尋問を受けますが、兵士たちの問いにスーのことばを返し、軍への一切の協力を拒みます。やがて彼は、"敵性部族"の捕虜としてヘイズ砦に移送されることになります。しかしその途上、ダンバーの戻りが遅いことを心配し、ひそかに砦の様子を偵察していたスーの戦士たちによって救い出されると、山岳地帯の越冬地で妻や仲間たちとの再会を果たします。 命拾いもものかは、ダンバーは身近に迫った白人たちの影を恐れ、鬱々とした日々を過ごします。そしてある日、彼は一族の会議で野営地の移動を提案すると、自分の逮捕を口実に白人たちがやってくるであろうこと告げ、"拳を握って立つ"とともに一族のもとを去る決心を伝えます。酋長である"十頭の熊"をはじめ、インディアンたちはこぞって反対しますが、しかしダンバーの決意は固く、彼を翻意させることはできません。 やがて出立の朝、ダンバーは贈り物を携え、"蹴る鳥"のティーピー(テント)へと向かいます。ダンバーが手ずから作ったパイプを"蹴る鳥"に差し出すと、"蹴る鳥"の手にもまた、彼の愛用のパイプが握られていました。二人は餞別を交換し、(英語で)別れの言葉を交わします。「われらはともにずいぶん遠くまで来た。お前と私はな」 「あなたのことは決して忘れない」 ダンバーと"拳を握って立つ"は馬に跨ると、無言で見送るインディアンたちを背に、峡谷の外へと続く小道に馬を乗り入れます。そこへ峡谷の頂から、槍を高々と掲げた"風になびく髪"の絶叫が響き渡ります。「"狼と踊る"! "狼と踊る"!オレは"風になびく髪"だ。オレはオマエの友だちだな?オマエはいつまでもオレの友だちだな?」 落日のフロンティアと描かれずに終わるその終焉 シ ネスコサイズの画面いっぱいに広がる大自然の四季折々を捉えた美しすぎる映像の中でも特に強く印象に残るのは、まるで黄昏時を迎えたフロンティアを暗示するかのような数々の夕景です。たとえばフロンティアに足を踏み入れたダンバーが、大海原のような大地をセジウィック砦を目指して旅する場面、"ツー・ソックス"が初めて砦近くに姿をみせる場面、"拳を握って立つ"を抱きかかえたダンバーが初めてスーの野営地に赴く場面、逆にインディアンたちが初めて砦を訪れる場面、あるいはダンバーと"蹴る鳥"が"聖地"の沼のほとりに佇む場面、さらにはインディアンたちが越冬地へと旅立つ場面、そしてインディアンたちが白人からダンバーを奪還する場面――とまあそれが意識的なものか、はたまた巧まずしてのものか(そんなわけないか)、ことあるごとに西日が大平原とインディアンたちを赤く染めあげて、否応なしに感傷的な気分を誘います。 この映画が並外れて深い余韻を残すのは(あるいはその美しさばかりが心に染みるのは、と言い換えてもいい)、フロンティアに立ち込める暗雲とその"黄昏"を描きながら、フロンティアの"消滅"そのもの――すなわちインディアンたちを襲った血腥い悲劇の瞬間そのものを描くことなく、エンディングを迎えるせいかもしれません(たとえば高校生の頃にテレビで観た、"サンド・クリークの虐殺"――まさに本作の時代と時を同じくして起きた、コロラド連隊によるシャイアン族の大量無差別殺戮――を描いた「ソルジャー・ブルー」 (1970)をいまだに再見する気になれないのは、そのあまりに惨たらしい殺戮描写を再び目にする勇気がなかったりするからです)。"それから13年後、彼らの住処は破壊され尽くし、バッファローも消え、スー族最後のバンドがネブラスカのロビンソン砦に投降した。大草原の偉大な騎馬文化は消え去り、フロンティアが過去のものとなる時代を迎えようとしていた" 映画のラストシーンで、冠雪した山道を歩むダンバーと"拳を握って立つ"の小さなシルエットを俯瞰で捉えた映像に、そんな一文がオーバーラップします。3時間にわたって綴られた命の息吹溢れるドラマとはあまりに対照的な、年表の一こまのようなそのそっけなさが、かえって歴史の彼方に消えて(消されて)いった無数のインディアンたちの声なき慟哭を心に深く刻みます。なぜならその最期を直接に描かずとも、映画は彼らを待ち受ける運命がいかなるものであるか、フロンティアを象徴するバッファローとオオカミに仮託して、既に十分過ぎるほどに伝えているからであり、そしてその痛ましい光景が、このキャプションとともに改めて脳裏に甦ってくるからです。 ドラマの中盤、ダンバーとインディアンたちは、バッファロー狩りの旅の途上、草原に点々と散らばる、皮をはがれて赤剥けになったバッファローの屍骸の山に出くわし、声を失います。スーにとって、バッファローは神に与えられた主要な食料・生活財であり、そして同時にそれそのものが神格化され、信仰の対象ともなっていた動物でした(しかしそんなバッファローを、白人たちは"スポーツ"として、あるいは皮だけを目当てとして、そしてのちにはインディアンの生活の糧を絶つことを目的として殺戮し尽くし、絶滅寸前にまで追いやってしまう(「ネイティブ・アメリカンの世界」 青柳清孝著より))。その息が詰まるほど無残な光景は、かつてフロンティアで起こった出来事を描いている留まらず、資源を意味なく浪費し貪り尽す、そしてそうせずは社会の歯車が回転しない、物質偏重の現代文明の罪深い生理を痛烈に暴き立てているかのようですらあります。 そしてドラマの後半、セジウィック砦で捕えられ、ヘイズ砦へと移送されんとしていたダンバーの目前で、草原に姿を現したオオカミ、"ツー・ソックス"もまた、白人兵士たちによって面白半分に撃ち殺されます(白人にとってオオカミは開拓すべき(駆逐すべき)荒々しい大自然の一部でしかなく、やがて大平原のオオカミは絶滅する)。その生態をインディアンたちが手本ともした"群れに仕える社会的動物"であるにもかかわらず(一匹オオカミを主人公とするインディアンの民話は存在しない――「オオカミと人間」 バリー・ホルスタイン・ロペス著より)、ダンバーの前にたった一匹で姿を現した、まるでフロンティアの精霊のようでもあったオオカミの無残な最期には、大平原に生きるインディアンたち―白人にとってはオオカミと同じく排除すべき"大自然の一部"でしかなかった彼らを待ち受ける悲劇的な末路の幻影が、ありありと浮かび上がってくるのです。 マイケル・ブレイクは、ダンバーを主人公にした本作の続編、"The Holy Road" を上梓しています(未訳であり未読)。「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の時代から11年後、ますます侵略と迫害の度合いを強める白人たちと戦うべきか否かで苦悩する"狼と踊る"や"蹴る鳥"をはじめとするインディアンたちの葛藤(ちなみに「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の原作は映画と異なり、"狼と踊る"は酋長たちに説得されて一族のもとにとどまる)、そして結局は戦わざるを得ない状況へと追い込まれていく彼らの苦境を描いた作品(amazon.com掲載の"Publishers Weekly"のレビューより)それ自体の評価と価値は別として、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の続編として捉える限りにおいては、悲劇を直接描くことなく終わる本作の締めくくりが完璧だったように思えるぶん、蛇足でしかないように思えてしまったりもします。「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の感動 私 がこの映画を観たのは、アメリカに留学した直後のことでした。映画それ自体の素晴らしさに感銘を受けたのはいうまでもなく、自分が今まさに、かつて"フロンティア"と呼ばれた大地にあることに感激し、そしてそんな映画を製作、監督したのがケビン・コスナーだったことに、また激しく感動した覚えがあります。 アメリカは、ときに負の歴史を自ら振り返り、過去に犯した罪に対する贖罪意識を強く滲ませた映画を生み出します。たとえばベトナム戦争を題材にした「プラトーン」 (1986)や、ディープ・サウスの苛烈な黒人差別を描いた「ミシシッピー・バーニング」 (1988)がそれであり、そしてアメリカという国そのものがいかなる行為の上に築き上げられたものであるかをはっきり仄めかした本作もまた、その系列に連なる作品です。要するに、そんな物議を醸しかねない映画を、既に俳優として大成功を収めていたケビン・コスナーが、私財を投じてまで作ったこと――その才能と勇気、そして志に感動したのです。 そして本作は、1991年のアカデミー賞作品賞、監督賞をはじめとする七部門を受賞し、商業的にも大成功を収めます。アメリカに住み始めたばかりの私には、それが、ときにどうしようもないほど独善的で傲慢な貌を覗かせる(この映画を観たのは第一次湾岸戦争の最中だった)アメリカという大国に備わった、ひょっとすると大国が大国であり続けることを可能たらしめている資質のひとつなのかもしれない、一種の自浄作用と自己批判精神――(たとえいまさらではあっても)自国の過ちを認める勇気――を目の当たりにしたように思え、そしてそのことにまた、青臭くも感動してしまったのです。 とまあ、私にとって「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の衝撃と感動はかくも全方位的かつ大きいものだったのですが、それゆえに余計、この映画の世界が果たしてどこまでリアリズムに裏打ちされたものなのか、それがずっと気になっていたものです。「ダンス・ウィズ・ウルブズ」のリアリズム―インディアンたちのことばと暮らし 映 画と原作では、その設定にひとつの大きな違いがあります。それが、ダンバーが出遭うインディアンたちの種族。原作では"コンマチ"とされていたのが、映画では"スー"(テトン・スー。スーの中でも大平原のもっとも西に暮らしていた部族)に変更されています。"コスナーはあらゆる時代考証に完璧を期し、俳優にもインディアンの言語にも、より実際に近い線を求めたという。そうした点を考えると、現在もナヴァホにつぐ五万の人口をもち、文化についての研究も進んでいる、代表的な平原インディアンのスー族のほうが、おそらく映画化の上でより適当だったということなのだろう" (「ダンス・ウィズ・ウルブズ」訳者(松本剛史)あとがきより) インディアンたちがインディアンのことばをしゃべる、あるいはインディアンの暮らしと人間が生き生きと描かれている――そんな当たり前といえば当たり前のこともまた、当時、この映画に感銘を受けたことのひとつでした。異なる文明に属するもの同士の出遭いと相互理解のプロセスに見どころを置いた映画として、当然そうあるべきこととはいえ、逆に言えば、それまでいかにそのあたりの民俗学的考証と必然性をおざなりにした(あるいはごまかしたり端折ったりした)映画ばかりを観せられてきたか、ということでもあります。 アメリカのインディアン権利団体、The American Indian Movement(AIM)の活動家にして俳優でもあるオグララ・スー(テトン・スーの中でもいちばん数の多かった部族)出身のラッセル・ミーンズは、アメリカの月刊誌、High Timesのインタビューに応じ、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の感想について、(おそらく作品が"白人目線"であることに対する若干の皮肉を込めつつ、そしてスー贔屓の内容に対する微かな面映さを滲ませつつ)こんなことを述べています(http://hightimes.com/entertainment/dskye/5568 )。"「アラビアのロレンス」を覚えているか?「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、要するに大平原の「アラビアのロレンス」だ。この映画のおかしなことろは、俳優たちにラコタ語を指導したのが女性だったということだ。ラコタ語には男ことばと女ことばがある。インディアンたちのうちの幾人かとケビン・コスナーは女ことばでしゃべっている。ラコタ(スー)の仲間たちとこの映画を観にいったときは、みんなで笑ってしまったよ" その発言になるほどそうだったのかと思う一方で、しかしそれでも、インディアンがインディアンのことばをしゃべるということ自体、当時としては実に画期的なことに思えたものです。そしてそれ以上の指摘がないことを鑑みれば、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」に描かれた平原インディアンの文化、風俗、風習、価値観は、スーの末裔の目から見ても、それなりに正しく再現されていたものだったと考えていいように思うのです。 たとえば私自身の「ラスト・サムライ」 (2003)――日本人にとって、ちょうどスーにとっての「ダンス・ウィズ・ウルブズ」と同じポジションにあるといってい作品―に対する評価を思えば、ラッセル・ミーンズの本作に対する感想は、決して悪いものではないように思えます。細かい文句と不満を挙げ募ればきりがないのですが、「ラスト・サムライ」は、ひとことで言って、実に気持ちの悪い映画でした。たとえ日本と日本人を好意的に描いたものであるにしろ、史実を活かした映画であるぶん、あそこに描かれたことが史実そのもの、あるいはそれに近いものと思い込んでしまうアメリカ人がいたらかなり嫌、というニュアンスです。翻って、もし私が「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を、かつてフロンティアのどこかにあのようなインディアンたちがいて、そして、たとえ映画のとおりでなくとも似たようなことがあった(あるいは起こりえた)に違いない、なんてことを思いながら観た――つまりそのドラマを歴史の実像に近いものとして捉えた――と言ったら、ラッセル・ミーンズをはじめとするスーの人たちはどう思うことでしょう...むろん直接尋ねることはできませんが、実は、そんな疑問に答えてくれそうな本があります。「ダンス・ウィズ・ウルブズ」のリアリズム―その歴史的背景 原 作者のマイケル・ブレイクは、彼のインディアンに対する興味を掻き立て、本書を執筆するに至ったきっかけが、一冊の本にあったことを述べています(「ダンス・ウィズ・ウルブズの世界」 (ケビン・コスナー、マイケル・ブレイク、ジム・ウィルソン)より)。それが、アメリカ・インディアンの闘争の歴史を綴ったノン・フィクション、「わが魂を聖地に埋めよ」 (ディー・ブラウン著)。 "マニフェストデスティニー"(明白なる運命=北米全体に領土を拡大し影響力を広げることが合衆国の宿命)という、あまりに手前勝手で理不尽にもほどがある教義と信条を掲げ、"絶滅か追放か"を合言葉にインディアンを迫害、卑劣きわまる手段で領土を次々と簒奪していった、白人たちによる白人たちのための"神話"(いわゆる"西部劇"もそうですね)に彩られたフロンティア開拓の歴史が真実いかなるものであったのかを赤裸々に暴いた本書を紐解くと、そのことばを失ってしまうほどに圧倒的な内容に対する感想はともかくとして、そこに「ダンス・ウィズ・ウルブズ」のほぼすべての登場人物たちの雛形が見いだされること、また彼らの感情の動きと行動を髣髴とさせる事実が歴史のどこかにあったこと、さらには映画(小説)が南北戦争末期の平原インディアンたちの置かれた状況、そしてほどなく彼らを襲う悲劇の予兆ときな臭い空気の匂いをいかに的確に描出していたものだったのかということに気づきます。 たとえば主人公であるダンバーのモデルらしき人物とその行動についていえば、本書には、インディアンを"人間"と見做さないシヴィングトン大佐("サンド・クリークの虐殺"を指揮)やシェリダン将軍(「よいインディアンは死んでいるインディアンだけだ」 の発言で知られる)のような"傲慢で無知な血に飢えた偏執狂としか思われない"人間たちの一方で、少数ながらもインディアンのよき理解者として、彼らと政府(軍)の仲立ちをしようとした"白人"のいたことが綴られています。 そんなうちのひとり、シャイアンから"白い帽子(ホワイト・ハット)"と呼ばれていたロビンソン砦(ネブラスカ西部)のウィリアム・P・クラーク中尉は、ダンバーがそうだったように"心からインディアンに好意を抱いていて、その暮らしぶり、文化、言語、宗教、習慣に深い関心を寄せて"いました。 またリヨン砦(コロラド南部)の指揮官エドワード・ウィンクップ少佐は、度重なる白人たちの挑発にもかからわず、あくまで平和を望むシャイアンの大酋長、"黒い釜(ブラック・ケトル)"の使者としてリヨン砦(コロラド南部)に現れた二人のインディアンに接し、インディアンに対する認識をがらりと改めたことを語っています。そしてその証言は、映画の中に描かれていたダンバーの述懐そのものといっていいものだったりします。「私は自分より優れた人間を前にしているという思いにとらわれた。私がそれまで、例外なしに残酷で、不誠実で、血に飢えていて、友情や親切にたいする感情や思いやりをこれっぽっちも持たないと考えていた人種の典型が、この二人だったのである」 ウィンクップは、シャイアンに対してあらゆる手を尽くして戦争を回避することを約束し、(「聞く耳を持つ白人に真実を話す」 とダンバーが仲間たちに云ったように、)酋長たちを伴いコロラド州知事を訪れもしますが、しかしインディアンに対する友好的な態度がコロラドとカンサスの軍当局から不興を買い、ほどなく指揮官の地位を解任されてしまいます(そしてそれから三週間後、"サンド・クリークの大虐殺"が起きる)。そう、ダンバーかいくら探しても、"聞く耳を持つ白人"などどこにもいなかったに違いないのです。 ちなみに映画の冒頭、テネシーの戦場でダンバーが自殺行為とも思える突飛な行動に出て、結果的に自軍の士気を高めてしまうという場面がありますが、これもまた本書にそのヒントらしき記述があったりします(1865年夏、「 (インディアンは)狼のように退治しなければならない」 と宣言し、パウダー・リバー地方に侵攻したコナー将軍率いる部隊との戦闘で、シャイアンの戦士、"ローマ人の鼻(ローマン・ノーズ)"が同様の挑発行為をしてみせる)。 * * * 映画のエンディングの時期から数ヵ月後(1865年4月)、南北戦争が終結し、フロンティアへの白人の流入は一気に勢いを増します。かつてインディアンたちが自由に暮らしていた土地に砦が築かれ、駅馬車が開通し、宿駅が出来、そして大陸横断鉄道の建設が怒涛のごとく進められていきます。"それから13年後、彼らの住処は破壊され尽くし、バッファローも消え、スー族最後のバンドがネブラスカのロビンソン砦に投降した" (再掲) パウダー・リバー地方に侵攻してきた白人たちとの1865年から足掛け3年にわたる戦いに勝利したテトン・スーは、1868年の和平条約によって、彼らの"聖地"(ブラック・ヒルズ)を含む、この地方の永遠の権利を勝ち取ります。しかし1874年、ブラック・ヒルズに金鉱が発見されると、白人たちは早くも不可侵条約を反故にして、スーの聖地へ侵攻し始めます。そして史上名高い"リトル・ビッグ・ホーンの戦闘"(1876年)をはじめとする数年にわたる戦いののち、1877年、若き指導者"狂った馬(クレージー・ホース)"に率いられた部族(オグララ)が降伏し、また"座った雄牛(シッティング・ブル)"率いるもうひとつの強力な部族(フンクパパ)がカナダへ亡命し、ここに誇り高きインディアン、テトン・スーの"平原の民"としての命脈は尽きるのです。 * * * 映画では(原作にはない場面)、ダンバーと"拳を握って立つ"が仲間に別れを告げて旅立った後、スカウト(斥候や道案内を務めていたインディアンの傭兵部隊)に先導された軍隊が、スーの越冬地に姿を現します。しかし野営地に既に人影はなく、"蹴る鳥"たちもまたいずこかへと去った後でした。寸でのところで"獲物"を取り逃がし、歯噛みする白人たちの頭上に、峡谷の頂から時ならぬオオカミの遠吠えが響き渡ります。谷間にこだまする、物悲しくもどこか誇らしげでもあるその咆哮に、気高い戦士の鬨の声を聴き、そして"蹴る鳥"たちの行く末に一縷の希望を錯覚してしまうのは、いかにも映画ならではの幻想というものでしょう。とはいえそんな甘い感傷に彩られた映画だからこそ、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は(アカデミー賞を受賞するほどの)普遍的な作品として強い訴求力を持ちえた――別の言い方をすれば、物質至上主義の現代文明に対するアンチテーゼとしての"「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の世界"を広く世界に知らしむることができた――とも思うのです。ダンス・ウィズ・ウルブズ (原題: Dances With Wolves ) 製作国 : 米国 公開: 1990年 監督: ケビン・コスナー 製作総指揮: ジェイク・エバーツ 製作: ケビン・コスナー/ジム・ウィルソン 脚本: マイケル・ブレイク 原作: マイケル・ブレイク(「ダンス・ウィズ・ウルブズ」 ) 出演: ケビン・コスナー/メアリー・マクドネル/グラハム・グリーン 音楽: ジョン・バリー 撮影: ディーン・セムラー 美術: ジェフリー・ビークロフト 編集: ニール・トラヴィス
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管理人: mardigras
読み進めるうち、
ストーリーが思い出されてきました。 それも
楽しく拝見しましたが、、、
文中の一度きりの人生、見られるものはこの目で見てから死・・・
妙に納得して出かけなくちゃ ♪と 焦りを感じました。(汗)