母性のカケラを摘んで引っ張り出されるような映画
飯田橋にギンレイホールという名画座があって、今でも夕方になると、地下鉄の入り口の方まで、映画好きの人たちが入館待ちの列をつくっています(いるはずです)。その昔、この映画館にもずいぶんとお世話になったものですが、1980年代の終わりごろまで、飯田橋には外堀通り沿いにもう一軒、佳作座という映画館がありました。私が馴染みだった頃は、名画座というよりも二番館といった方が相応しいライン・アップで、ロード・ショウ落ちの映画を、半年遅れくらいの二本立てで上映していました。この映画館にもずいぶん足を運んだものですが、確か「赤ちゃんに乾杯!」(1985)も、この佳作座で観た一本。経緯はよく覚えていないのですが、そもそも私が興味をひかれるタイプの映画ではないので、おそらく、友だちに無理やり連れられて観に行ったんじゃないかと思います。
「赤ちゃんに乾杯!」のあらすじ
物語の主人公は、パリのアパートで共同生活を営む三人の独身貴族、パイロットのジャック、イラストレーターのミシェル、そして広告代理店に勤めるピエール。彼らは、つきあう女をとっかえひっかえしながら(ときに自分の寝た女を互いに紹介しあったりしながら)、自由で気ままな独身生活を謳歌しています。
ところがそんなある日、ピエールは、彼らのアパートの扉の前に、可愛らしい赤ん坊の入った揺りかごが置かれているのをみつけます。揺りかごにはシルビアという女性からの置き手紙が添えられていて、そこには赤ん坊がジャックの子であること、マリーという名前であること、そして仕事で半年間渡米しなくてはならない彼女の代わりに赤ん坊の面倒をみてほしい、ということが書かれています。ところが折悪しく、ジャックはその日の早朝、東京行きのフライトで旅立ってしまったばかり。しかもその後はタイでバケーションをとる予定で、帰国は三週間も先...というわけで、赤ん坊の世話などしたこともなく、またしたくもないピエールとミシェルの、おっかなびっくり、てんやわんやの日々が始まります。
あわててベビー用品を買い揃え、育児書を読み、ミルクをつくり、おしめを交換し、お風呂に入れ、公園に連れて行き、夜泣きをあやし、寝かしつけ...と、無責任な母親のシルビアと、彼らの苦労も知らずにバカンスをエンジョイするジャックを罵りながら、仕事をする間も女遊びの余裕も寝る暇さえもなく、ただひたすら赤ん坊の世話に明け暮れる日々。突然の不運をのろいながら、ジャックの帰る日を指折り数えて待つ二人でしたが―しかし四六時中、無垢で無邪気で無防備なマリーの面倒をみているうち、二人の心の中には、知らず知らずのうち、愛くるしい赤ん坊への愛情が芽生えはじめるのです。

やがて三週間が過ぎ、ようやく帰国したジャックは、疲れ果てて怒り狂うピエールとミシェルから事態を聞かされます。旅が仕事の彼に赤ん坊の世話は無理、というわけで、マリーを自分の母親に預けようとしますが、あいにく母親も長期旅行へ...そこでやむなくベビー・シッターを雇おうとするも、密かに赤ん坊を手放したくないピエールが、なんやかやと難癖をつけてそれもおじゃん。結局、ジャックは地上勤務に異動願いを出し、ピエールとミシェルと24時間三交代制で、やむなくマリーの世話をすることにします(この時点でピエールとミシェルにとっては、限りなく"やむなくのフリ"になっている)。
そして半年が過ぎ、ついにアメリカからシルビアが帰国。彼女にマリーを返した三人は、一抹の寂しさを感じながらも、せいせいしたと小躍りして喜び、失われた半年間を取り戻せとばかりにがんがん仕事をし、そしてがんがん遊び始めるのですが―しかしそんな喜びも束の間のこと。三人が三人とも、互いに口には出さないながら、次第に心にぽっかり穴が開いてしまったような喪失感に苛まれ、何をしても楽しめなくなり、やがてすっかりふさぎがちとなり、ついには仕事さえも手につかなくなってしまうのでした...
セローのマジカルな語り口
「赤ちゃんに乾杯!」の監督は、コリーヌ・セロー。この作品を含め、私がこれまでに観たことのある彼女の作品(「ロミュアルドとジュリエット」(1989)、「女はみんな生きている」(2001)それに「サン・ジャックへの道」(2005)。脚本もすべてセロー)はすべて、何かしら"フェミニン"な香りを放つ社会的なメッセージが含まれているものばかりでした。その"フェミニン"な主張は、映画の主題となっているときもあれば、また隠し味にすぎないときもあるのですが、しかしいずれにしても、何かを"主張していること"が見え見えなせいで、その内容いかんにかかわらず、"何か"を押し付けられようとしているときに感じる本能的な反感を、ちょっぴり抱かずにはいられなかったりもします。社会的、あるいは政治的メッセージの露骨な映画は、ときにそれだけで白けてしまったりするもので、その意味で、セローの映画もまず構えて観ずにはいられないところがあるのですが、しかしその一方で、セローの"主張の仕方"には、青臭さの抜けた、賢い大人の洗練を感じさせるところがあって、ことこの監督の作品に限っては、最後まで付き合うのがちっとも苦痛ではないのですね。
たとえばこの「赤ちゃんに乾杯!」。子育てを厭う男たちの代表(つまるところ、子育てを女性に任せきりで平気な男たちの代表といってもいいでしょう)のような独身三人組が、ひょんなことから赤ん坊を押し付けられ、いやいやながらにお守りをするうち、次第にイノセントな赤ん坊の虜になっていく―とまあ、かなりあざとさを感じさせる筋運びなのですが、しかしその語り口に押し付けがましさがまったくなく、また赤ちゃんの愛くるしさもあいまって(ほとんど人形のよう)、彼らの心境が徐々に変化していく様子にやたらと説得力があるのです。
セローの語り口の戦術は、いうなれば、"北風"ではなく"太陽"。育児の大変さをしっかり描きつつも、それがまたいかに大きな喜びに満ちたものであるかということを、三人の男をダシにしながら、じわじわと浮かび上がらせていきます。それは、育児という"重労働"を背負わされがちな女性に対する男の共感や理解を喚起する、といったアングルのアジテーションでは決してなく、いうなれば、男の中にもおそらく存在する、しかし当の男が気づいていないであろう母性のカケラを上手に摘んで引っ張り出すような、思ってもみない角度からの意表を突いたアテンション。子育ての経験を持つ賢い女性が、何も知らない男たちに教え諭している、というよりも、物腰柔らかに"気づき"を与えているような、男(私)があまり抵抗する気になれない語り口なのです。
私がこの映画を観たのは、中高六年間のさつな男子校生活を終えたばかりの頃でした。赤ん坊に対する柔らかい感情などとはかなり縁遠い場所にいたにもかかわらず、赤ん坊の存在に癒される主人公の男たちに自然と同調してしまい、映画を観終わって、なんだか心を柔らかく揉みほぐされたような、なんとも温かい気持ちになったものです。要するに、主人公たちに起こった心境の変化を、私もヴァーチャルに体験してしまったようなもので、摘めるほどもないにしろ、無垢で無防備なものに対する母性らしきものが自分の中にもほんの微かにあったことを知り、そんな自分に自分で驚いてしまったのでした(とはいえそこは二十歳前の男子、自分も子供がほしい、などと思ったわけではまったくありませんが)。
トレビヤ~ン!フランス語
思えばこの映画、私にとっては映画館で観た初めてのフランス映画。内容の面白さと同じくらいに感銘を受けてしまったのが、フランス語の響きの優雅さと美しさです。フランス語を長時間、まともに耳にしたのはおそらくこれが初めてのことで、そのぺとぺとした音色がやたらと心地よく、極端に言えば、目をつぶってフランス語の会話を聞いてるだけでもいい、というくらいにうっとりしてしまいました。この映画、大の男が口角泡を飛ばして怒鳴りあう場面がやたらとあるのですが、そんな怒声さえも妙なる音色に聴こえてしまうのだから不思議。トレビヤ~ン、フランス語!!と感動した私は、この映画を観た直後にフランス語を勉強しようと一念発起し、それを知った友だちが誕生日プレゼントに辞書を買ってくれたりもしたのですが、しかしその習得熱はあっという間に冷めてしまい、結局いまだにちんぷんかんぷん。
この映画を観て以降、今日までさまざまな言語を耳にする機会がありましたが(といっても十種類程度でしょうか)、いまだ、この映画でフランス語を聴いたときのような感動を味わったためしがありません。某都知事が、フランス語は国際語として失格...なんていうことを発言をして裁判沙汰になっていましたが、国際語として通用しようとしまいと、聴いてるだけでうっとりしてしまう言語なんてそうそうあるものではないのです。こんなことばを自分でもしゃべれるようになったらさぞかし気持ちいいだろうなぁ、と、ちっとも習おうとはしないくせに、いまだ憧れに似た思いを抱き続けていたりするのです。
本当はもっと好きだったのですが...
この映画、実はずっとマイ・ベスト・ファイブにカウントしていたほど大好きな作品だったのですが、三、四年前にNHK BSで放映したのを再見してしまってから、ちょっと評価が下がりました。さすがに初鑑賞当時の感動が薄れてしまっていたというか、二度目ともなると、あざとさが少々鼻についてしまったというか。たとえば終盤、赤ん坊をシルビアに返したジャックが寂しさのあまり、妊婦の格好を真似したりして、"しょせん男には子供はつくれない"などと嘆息する場面があるのですが...いくらなんでも、ねえ。
この映画を初めて観たときの感動は、自分の心の中にあった思いもかけない情動を発見した感動であって、やはり最初の一回こっきりしか味わえないものだったというか、繰り返し味わおうというのがそもそも無理なたぐいのものだったのかもしれません。そういう意味で、もしかすると再見すべきではない映画だったのかもしれないのですが、長きにわたってこの作品を観る機会が存在せず(DVDもなぜかいまだに未発売)、また観たい!という飢餓感が長年の間に強くなる一方で(観られないと思うと余計に観たくなるという心理ですね)、テレビで放映したときに、後先の考えなく、つい小躍りして観てしまったのですね。
* * *
ところでこの映画、続編が作られていたということをつい最近知りました。「赤ちゃんに乾杯!18年後」(2002)というタイトルそのまま、成長した赤ん坊とお父さんたちの18年後を描いた映画だそうで(2003年に横浜フランス映画祭で上映されたものの劇場未公開)、これはもうぜひ観てみたい!のですが、しかし「赤ちゃんに乾杯!」を再見するのにすらこれほど長い時間がかかったことを考えると、果たしてそんな機会が巡ってくるのかどうか...なんだかかなり望み薄な気がしてならないのです。
赤ちゃんに乾杯!!(原題: 3 Hommes et un couffin)
製作国: フランス
公開: 1985年
監督: コリーヌ・セロー
製作: ジャン・フランソワ・ルプティ
脚本: コリーヌ・セロー
出演: ローラン・ジロー/ミシェル・ブジュナー/アンドレ・デュソリエ
音楽: フランツ・シューベルト
撮影: ジャン・イヴ・エスコフィエ
編集: カトリーヌ・ルノー
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