羊たちの沈黙

品位ある恐怖。エレガントなバイオレンス。
「羊たちの沈黙」のイラスト(ジョディ・フォスターその1)


ョナサン・デミ監督、ジョディ・フォスター主演のサイコ・スリラー、「羊たちの沈黙」(1991)。

メランコリックな旋律で幕を開けるオープニングから、いきなりスクリーンに漲る緊迫感――。朝靄にけぶる森をランニングするFBI訓練生、クラリス・スターリングの後ろ姿を捉えた映像には、まるで邪悪な何者かが尾け狙っているかのような凶々しさが充満し、もう冒頭から、何かよくないことが起こる気配がびんびん伝わってきます。

ドラマの主筋である連続誘拐殺人事件の顛末もさることながら、むしろ主人公にまとわる不吉な影が気になって仕方がない――。私にとって「羊たちの沈黙」は、そんな恐怖と緊張で息が詰まりそうになってしまった映画です。

この映画を初めて観たのは、アメリカに住んでいたときのこと。エンタテインメント雑誌に毎週掲載されていたロードショウの採点一覧で、公開中の映画ほぼすべての評価が低い中、たったひとつ"A"の付いていたのがこれ、「羊たちの沈黙」でした。友だちに誘われ、あらすじどころかジャンルの予備知識もなしに観にいって、冒頭から作品世界にぐっと引き込まれたと思ったら、クライマックスまで一瞬たりとも緩むことのないテンションで引きずられ、終わってみれば、それまで観たすべての映画の中でもベストといっていい、とびきりの一本に巡りあったことに気がつきました。滅多にないことですが、映画とのこういう出遭い方、ホント、理想的です。


「羊たちの沈黙」の原作について(以下ネタバレ)

羊たちの沈黙」の原作は、トマス・ハリスの同名のサイコスリラー、「羊たちの沈黙」。ジャンルの嚆矢にして、もはやクラシックといっていい作品です。とはいえ映画が作られなければ、この小説が果たしてここまでメジャーになったかどうかは疑わしい。私もまず映画を観て、その直後にペーパーバックで読み、また帰国してから翻訳版に手を出したりもして、まあそれだけこの作品世界の虜になってしまったわけですが、それもこれも、あくまで最初に映画のイメージありきといっていい。

ミステリのジャンルでは、この作品をきっかけとしてサイコスリラーの一大ブームが巻き起こり、一時はそれこそ猫も杓子も異常犯罪者モノ、みたいな時期がありました。流行りに流されて、私も手当たり次第に読みまくったものですが、しかしこうして振り返ってみても、「羊たちの沈黙」に比肩し得る求心力を持った作品は、ほとんど記憶にありません。

出版から早二十年、「羊たちの沈黙」はいまだジャンルの最高峰に屹立して並ぶものがなく、それがなぜかといえば、猟奇的な連続殺人事件をめぐる隙のないプロットや途轍もなくグロテスクな犯人像、また"プロファイリング"という犯罪捜査手法の存在を広く世に知らしめた先駆性もさることながら、なんといってもハンニバル・レクターという希代のサイコパス、そしてそのカウンターパートとしてのFBIの若き訓練生クラリス・スターリングという、ミステリ史上に残る師弟コンビ(?)を世に送り出したがゆえといっていいでしょう。

そもそもハンニバル・レクターというキャラクターは、前作「レッド・ドラゴン」が初お目見えでした。しかし、「羊たちの沈黙」におけるドラマを陰から操る指揮者のような存在感に比べ、前作ではあくまで脇役らしい脇役――主人公のFBI捜査官に危険な悪戯を仕掛ける、いわばタチの悪いトリックスターに過ぎませんでした。「レッド・ドラゴン」もまたジャンルの代表といっていい作品ですが、単なる脇役から一歩も二歩も踏み出したレクターと物語の華であるクラリスの存在が、「羊たちの沈黙」のエンターテイメントとしてのグレードを、さらなる高みへと押し上げているように思います。

「羊たちの沈黙」のイラスト(アンソニー・ホプキンス)

"君は私が悪だと言い切れるか?私は悪か、スターリング捜査官"(「羊たちの沈黙」より)

「レッド・ドラゴン」の執筆に先駆けて、トマス・ハリスは社会病質者に関する綿密なリサーチを行い、ハンニバル・レクターをはじめとする一連のサイコパスのキャラクターを練り上げた――とどこかで読んだ覚えがあります。

食人嗜好をもった天才精神科医、ハンニバル"ザ・カンニバル"(食人鬼)。桁外れの知性と記憶力、そして芸術的才能に恵まれたエレガントな教養人でありながら、この上なく凶暴、インモラルな思考の赴くままに行動する、人倫のくびきから解き放たれた彼岸の住人――。エクストリームなプロフィールがまだらに織り込まれた、その複雑で悪魔的な人物造型は、「羊たちの沈黙」はもとより、その後日譚である「ハンニバル」、そして過去に遡る「ハンニバル・ライジング」を通じ、さらに深耕されていきます。いずれにしても、こんな光彩陸離たる魅力を備えたキャラクターがそう簡単に創られうるはずもなく、ハンニバル・レクターは過去二十年間のミステリ界に生まれた、もっともインパクトのある存在といっていいでしょう。



トリッキーな演出が生み出す映画ならではのスリル

画「羊たちの沈黙」のストーリーとプロットは、原作にほぼ忠実です。若い女性を殺して皮膚を剥ぎ、屍体の喉に蛾の蛹を押し込むという猟奇的な連続殺人。そしてそんな主筋を凌駕するにもほどがある、レクターをめぐる衝撃的なサブストーリーと、事件の解決に自身のトラウマの克服を重ね合わせる、クラリスの成長を描いたビルドゥングスロマンとしての側面。要するに、映画の面白さはそっくりそのまま原作ゆずりといっていいものですが、とはいえテキストを映像に変換するにあたって施された、映画ならではの工夫が素晴らしい。

たとえば、医療刑務所の所長チルトンによってテネシーに連れ出されたレクターが、衆人環視の輪を破って逃走する場面のモンタージュ。あるいはクライマックスで、シカゴの容疑者宅を包囲したSWATチームを率いるクラリスの上司であるジャック・クロフォード、連続殺人犯、そしてオハイオにいるクラリス三者の視点が順繰りに切り替わるモンタージュ。いずれも何が起ころうとしているのかはわからなくても、何かよくないことがおこりつつあることだけはよくわかる、異様に張りつめた映像に嫌な予感が最高潮に達した刹那、まるで騙し絵のように、それまで目にしていた映像の意味がくるりと反転し、とんでもない恐怖が降ってくるという趣向。テキストでは表現しうるはずのない、そのトリッキーな映像と編集の絶妙な切れ味に、初めて見たときは、それこそ最上級の"映画的興奮"を味わったものです。



作品世界を支配する凶々しい気配

人間の運命を描写したいと欲する映画には、中立的現実としての<自然>はまったく存在しない...自然はつねに或るシーンの環境であり、背景である。自然はそのシーンの情緒を身につけていなければならず、その情緒を強調し、それに同伴しなければならない」(ベラ・バラージュ「視覚的人間」より)

「羊たちの沈黙」の全編にわたって立ち込める、凶々しく不吉な気配は、ダンジョンのような医療刑務所や気味の悪いオブジェがぎっしり詰め込まれた貸倉庫、あるいはおぞましい蛾の乱舞する地下の迷宮といった、ゴシックでグロテスクなセットもさることながら、異常犯罪に対峙するクラリスの心象風景といっていいような、光量の乏しい寒々しく陰鬱な冬枯れの風景描写によって、著しく増幅されています。

中でも嵐の前触れにも思える強風が、バハマの街路のパームツリーをわさわさと揺さぶるエンドロールのドキュメンタルな映像は、圧巻の一言です。レクターの影に怯え、哀れなほどにびくつきながら画面の彼方に消えていくチルトンと、その背後を薄笑いを浮かべて余裕たっぷりに尾けていくレクターの姿に、エンディングの先に待ち受けているであろうおぞましい場面がありありと幻視され(「以前、国勢調査員がやってきて、私を量化しようとしたことがある。私はその男の肝臓を空豆と一緒に食べてやったよ」)、はらわたがむず痒くなるような、いわくいいがたい恐怖が後を引きます。そして、そんな観客の十年越しの期待(?)に応え、その"残像"をシチュエーションを違えながらも実際に描いてみせたのが、「ハンニバル」のクライマックスだった――と言っていいかもしれません。



三位一体のキャスティング

の映画の映画としての最大の功績は、何といってもそのキャスティングにあります。この配役あってこそ、映画「羊たちの沈黙」は原作と同様、ジャンルを代表するクラシック・フィルムになり得たのではないか。

"品位ある恐怖"、"エレガントなバイオレンス"、"洗練された猟奇"、"礼儀正しい狂気"――そんな、幾重にもアンビバレントなハンニバル・レクターの複雑極まる人格を、まるであつらえたかのような囚人服同様、寸分の隙なく形象化してみせたアンソニー・ホプキンス。

理知的な面立ちにどこか翳りをまとった、繊細にしてタフな若い女性捜査官クラリス・スターリングを、素のままに演じたかのようなジョディ・フォスター。

FBI行動科学課の長にしてクラリスの守護者ともいうべきジャック・クロフォードを、アカデミックな面差しと佇まいの中に父性を滲ませて演じたスコット・グレン。

彼らが「羊たちの沈黙」において創り出したビジュアルイメージとプロフィール、そしてその三位一体のアンサンブルは、あまりに完璧であるがゆえ、いったんこの映画を観てしまったからには、もはやアンソニー・ホプキンス以外のハンニバル・レクターはありえず、またジョディ・フォスター以外のクラリス・スターリングもありえなければ、スコット・グレン以外のジャック・クロフォードもありえません。

「羊たちの沈黙」のイラスト(スコット・グレン)

「レッド・ドラゴン」の初映画化作品、「刑事グラハム/凍りついた欲望」(1986)はいうまでもなく、本作の続編「ハンニバル」(2001)、そして「レッド・ドラゴン」(2002)に私がどうしてもノりきれなかったのは、結局のところブライアン・コックス演じるハンニバル・レクター、ジュリアン・ムーア演じるクラリス・スターリング、そしてデニス・ファリーナとハーヴェイ・カイテル演じるジャック・クロフォードに覚える強烈な違和感――だってこれ、レクターじゃないしクラリスじゃないしクロフォードじゃないじゃん、という違和感が、どうしても拭いきれなかったからです。



ジョディ・フォスター礼賛

ラマの冒頭、医療刑務所に収監されているレクターを訪ねたクラリスは、個人的な情報を決して漏らさぬようにクロフォードから注意されていたにも関わらず、事件解決の手掛かりを得る代償として、彼女のトラウマである少女時代の辛い思い出をレクターに打ち明けます。最初の面会で、クラリスのことを"都会に憧れる田舎娘"と見下していたレクターは(「学校に帰りたまえ、クラリスお嬢さん」)、子羊の夢を巡る辛辣な"セラピーセッション"を何度か重ね、クラリスの心に侵入を繰り返すうち、彼女に対して次第に単なる暇つぶし以上の興味――愛情にも似た感情を抱き始めます。

ルーキーの怯えを押し隠して怪物に対峙し、存在を認めさせ、やがては対等に近い立場でコミュニケーションを図るようになっていくタフなエージェントの卵――そんなクラリス・スターリングのキャラクター設定に説得力を与え得る配役は、単に若くて美人であるだけでなく、その立ち居振る舞いや佇まいに高い知性と強靭な意志の力を感じさせる女優でなければならなかったはずです。そして当時、そんなプロフィールに適う存在は、イェール大学を優等で卒業し、フレグランスのようにインテリジェンスを漂わせる女優、ジョディ・フォスターをおいてほかにはありえなかったのではないでしょうか。

本作の続編「ハンニバル」は、監督がリドリー・スコットということもあってかなり期待していたのですが、それだけにジョディ・フォスターがクラリス役を辞退していたと知ったときは、残念でなりませんでした。

"当初、彼女(ジョディ・フォスター)は「ハンニバル」の脚本を読んでからじゃないと、クラリス役をまた演じるかどうかは決められないと言っていた。じつに納得のいく話だった。彼女が物語の内容に気をつかい、とりわけハリスの原作が巻き起こした論争に用心していた気持ちはよくわかる。ところが、満足してもらえるものと思っていた脚本を送ったところ、彼女はまだ迷いつづけていた。そして最後に「降ります」との返事があった...(中略)...「ハンニバル」に出演するかどうかの最終判断を彼女から待っているときに、「フローラ・プラム」という、彼女がかねてから撮りたがっていた映画の企画が動きはじめてしまったんだ。資本が調達され、ラッセル・クロウが主演に決まった。そしてたぶん、彼女は「ハンニバル」に出演するよりも、自分の映画を監督するほうを選んだのだろう。ジョディは直感的に、辞めようと思ったのかもしれないな。「羊たちの沈黙」からもう十年が過ぎてしまったのに、いまさら同じ役をまた演じたくなかっただけなのかもしれない"(リドリー・スコットの証言――ポール・M・サモン著「リドリー・スコットの世界」より)

実際に映画を観てみると、ジュリアン・ムーア版クラリスも決して悪くはありませんでした。とはいえその倦み疲れた容姿と佇まいに、どうしても、レクターのような怪物的巨人が執着する女性としての説得力が感じられなかったこともまた確かです。

いや、たとえジョディ・フォスターが演じても、「羊たちの沈黙」から十年後という設定の「ハンニバル」のクラリスに、もはや「羊たちの沈黙」のときと同じ魅力が宿ることは、なかったのかもしれません。なぜなら海千山千のベテランエージェントではない、よちよち歩きの訓練生という設定こそが、「羊たちの沈黙」における、クラリスの魅力の最大の源泉だったと思うからです。



クラリスの"処女喪失"を描いた「羊たちの沈黙」

事の冒頭に書いたとおり、この作品を初めて観たときに私が抱いたもっとも強烈なスリルは、事件の行方そのものよりもむしろ、ヒロインを待ち受ける運命にありました。なにせ映画の幕開けから、クラリスの背中には狼に狙われる子羊のような緊張と心細さが立ち込めていて、そしてその不吉な気配は最後まで途切れることがなく、ドラマが進むにつれてますます色濃いものとなっていくからです。

クラリスは、事件をめぐる昏い森に分けいっていく途上、男尊社会の典型のような犯罪捜査の現場で、男たちの露骨な性的関心と遠慮会釈のない好奇の視線に晒され、まるで正式なエージェントになる(=成長する)ための通過儀礼であるかのように、その無垢な聖性を穢されずにはいられない、いくつもの過酷な試練に直面していきます。

クラリスが物理的・精神的にいたぶられ、傷つけられていくそのさまは、まるで彼女の処女性が失われていく過程を暗示しているかのようでもあり(その線でいえば、「ハンニバル」に描かれる、犯罪の世界に狎れきった十年後のクラリスは、もはやあらゆる手練手管を経験した大年増と言っていい)、わけてもレクターが、その内面に噛み付かんばかりに彼女を嬲り、責め立て、追い詰め、そして事件の解決へと導いていく、アクリルパネル越しの対話には、臈長けた壮年の男がうら若き無垢な乙女をベッドの上で意のままに導くかのような、サディスティックでエロティックな空気が漂います。

そんな試練のあれこれを、恐怖に震え、屈辱に涙しながら、ひとつひとつ乗り越えていくクラリスのいじらしい姿に男としてそそられずにはいられなかったりするわけですが――その可憐さに感情移入すればするほど、この映画の行き先に感じる不吉な予感は、ますます強いものとなっていきます。それは、クラリスと犯人がいずれ危険な邂逅を果たすであろうという、いってみれば当たり前の予想とはまったく別の、クラリスに興味を抱き始めたレクターの存在に抱かざるを得ない、とてもおぞましい予感――そう、狡猾な狼の犠牲となる赤ずきんちゃんのように、クラリスはいずれ、レクターに(文字通り)"食べられてしまう"のではないか――という慄きです。

そしてドラマの中盤、レクターがまんまと脱走して行方をくらますに至り、忌まわしい予感はほとんど確信に変わりますが、結局、本作でレクターとクラリスは二度と相見えることのないまま、無事(?)、エンディングを迎えます。こうして、私が映画を観ながら勝手に抱いていた不安はあくまで杞憂に終わるのですが、ところが凶事は忘れた頃にやってくる――。その嫌な予感は、実に十年越しでもって、しかも想像していたより遥かにデモーニッシュなかたちをとって、(お話の中で)現実のものとなりました。そう、それが「羊たちの沈黙」(小説)の続編、「ハンニバル」。



続編「ハンニバル」(小説&映画)について

月日は流れ、忘れたころに「ハンニバル」が登場してきたわけだが、「羊たちの沈黙」とは異なり今回は評価がまっぷたつに分かれた。誰も想定しえなかった唖然とするラストへのとまどいからだ」(滝本誠「きれいな猟奇」より)。

トマス・ハリスが「羊たちの沈黙」の続編を書いたと知ったときは、それは心が躍ったものです。そして本屋で現物を手にしたときの興奮といったら、それこそ十年に一度のレベル。読むのがここまで待ち遠しかった小説は、ほかにほとんど覚えがありません。

ところが、そんな待ち焦がれた「ハンニバル」を実際に読んでの感想はといえば、これがちょっとことばにするのが難しい、実に複雑なものでした。ただひとつ言えるのは、とにかく完膚なきまでに期待と予想を裏切られたということです。

「ハンニバル」は、もはや「羊たちの沈黙」のようなサイコスリラーではなく、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」ばりのゴシックホラーでした。そしてイアン・フレミングの007シリーズばりのド派手な活劇小説でもありました。主役はいうまでもなく、その名をタイトルに冠せられた、ハンニバル・レクターその人。前作まで、"怪物"として描かれていたレクターのキャラクターは、娑婆に解き放たれて、ついに不可能なことがない"全知全能の神"へと昇格し、FBIも仇敵もイタリアの刑事もクラリスも"人喰い豚"すらも、この世のすべてを思いのままに操る存在となりました。

こんな"悪のスーパーヒーロー譚"が読みたかったわけじゃないと思いつつ、「羊たちの沈黙」の続編にふさわしい、デモーニッシュにもほどがある(にもかかわらずエレガントな)物語は、さすがにトマス・ハリス!だったのであり、中でもクラリスの仇敵である司法省の役人、ポール・クレンドラーの頭蓋をレクターが生きたまま切開し、クレンドラー自身に脳味噌を食わせるという、悪趣味にもほどがあるそのクライマックスには、おお、何てことを考えつくんだ!と怖気を奮ってしまったものです(とはいえ笑ってしまったという友人もいた)。

しかしなんといっても、そんな脳みそ食い以上にショッキングだったのは、「羊たちの沈黙」から十年、クラリスを待ち受けていたその運命。レクターにいざなわれ、クラリスもまたレクターと同じ"彼岸の住人"に成り果ててしまう結末は(つまり、クラリスは"赤ずきんちゃん"ではなく"ドラキュラの花嫁"だった)、はっきりってレクターに食べられたり殺されたりするよりよっぽどたちの悪い、気持ちの持っていきどころのなくなる、カタルシスのこれっぽっちもないものでした。

映画の公開前に、原作とはエンディングが異なっているということをどこかで耳にして、ある意味、救いを期待する思いで映画館に足を運んだのですが、映画の中でレクターの思惑を裏切り、すんでのところで此岸に留まるのは所詮、ジュリアン・ムーアだったのであり、私の頭の中のジョディ・フォスターの姿かたちをしたクラリスは、レクターとともにあちら側に行ってしまったままです。

とはいえレクターの怪物性を貶めてしまっている、安っぽいメロドラマのような映画のエンディングを観て、思ったことがあります。

"怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ"

元FBIのプロファイラー、ロバート・K. レスラーの著した「FBI心理分析官-異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」の冒頭に掲げられた、ニーチェの箴言です(「善悪の彼岸」より)。レクターとコミュニケーションを重ねることの意味を考えたとき、深淵を覗きすぎたクラリスが、最後にその虜となってしまうという小説のオチは、結局のところ、もうこれしかないという必然的なものだったのかもしれない――なんてことを思ったわけですが、いずれにしてもこの結末のせいで、「ハンニバル」を二度と読み返す気持ちになれないこともまた確かだったりするのです。



羊たちの沈黙(原題: The Silence of the Lambs
製作国: 米国
公開: 1991年
監督: ジョナサン・デミ
製作総指揮: ゲイリー・ゴーツマン
製作: エドワード・サクソン/ケネス・ウット/ロン・ボズマン
脚本: テッド・タリー
原作: トマス・ハリス(「羊たちの沈黙」
出演: ジョディ・フォスター/アンソニー・ホプキンス/スコット・グレン/テッド・レビン/アンソニー・ヒールド
音楽: ハワード・ショア
撮影: タク・フジモト
美術: クリスティ・ジーア
編集: クレイグ・マッケイ


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[C15]

私にとって、
「ゴットファーザー。」
「羊たちの沈黙。」
「タクシードライバー。」
「スカーフェース。」

いずれも、生涯忘れえぬ作品です。

[C16] >光隆さん

おーっ、気が合いますねぇ(笑)。
タクシードライバーもこのブログでいずれ書こうと思っていた作品です。

[C1005] 羊たちの沈黙

ジョデイー・フォスターが好演でしたね。私の好きな知性派女優でした。アンソニー・ホプキンズの不気味な名演、よかったです。

[C1007] >根保孝栄・石塚邦男さん

「羊たちの沈黙」のジョディ・フォースターは、はまり役を得て、まさに神がかっていたと思います。それだけに、この映画以後、これは!という作品のないのが残念です。。。
  • 2013-03-31 09:21
  • Mardigras
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