デカダンスに生きたトンデモ王の観察記録

ルキノ・ヴィスコンティの名前を知ったのは、いろんな映画を幅広く観始めた高校生の頃だったと思います。おそらく当時のマイ映画ガイド、歴代キネマ旬報ベストテン一覧のあちこちに散らばるその名前を目にしたのが最初だったはず。しかしどこで読んだのか耳にしたのか、ヴィスコンティの作品は、どれもこれもが絢爛豪華、耽美的で廃頽的で倒錯的なテイストのものばかり―という先入観があり、これがまた当時の自分の趣味嗜好からほど遠いものだったので、敬して遠ざけるというか、その諸作品の高い評価を知りつつも、ほんのついこの前まで、ヴィスコンティの作品をひとつも観たことがありませんでした。
要するに食わず嫌いだったわけですが、ほんの3年前、たまたまNHK BSで放映していた「山猫」(1963)を何の気なしに観始めたところ、シシリア貴族の黄昏を描いたその大ドラマに夢中になってしまい、遅ればせながら、ようやくヴィスコンティの素晴らしさを知りました。いや~、これまで観ないで大損した!と思うことしきり。お宝の山でも発見したような心持ちで、その後NHKが立て続けに放映してくれたヴィスコンティの作品を鑑賞、また放映してくれない作品はビデオを借りて観て、とすっかりヴィスコンティの俄かファンになってしまいました。
この監督の作品、貴族社会やブルジョアの世界を描いた映画ももちろんよいのですが、これらの世界とまったく対照的な、プロレタリア階級の人々を描いた初期の映画も抜群です。なんだかんだでその作品をほとんど観ましたが、どれもこれも、人間がしっかりと描かれた良質のドラマの持つ普遍的な面白さに満ち満ちていていて、つまらない作品が一本もありません。貴族社会出身の監督ならでは、みたいな評価が巷間溢れているせいで、なんとなく庶民の自分には理解できない独りよがりなところのある監督なんじゃないか、などとケチなことを思ったりもしていたわけですが、まったくとんでもない誤解でした。
とまあ、ついヴィスコンティ映画に対する私の感情の経年変化について長々と書いてしまいましたが、さてこの「ルートヴィヒ」(1972)、実は食わず嫌いをしていたあいだにも唯一、もしこれを観る機会があったら観てみたい、と思っていた作品です。というのも1980年の日本公開時の邦題が「ルートヴィヒ/神々の黄昏」というもので、そのスケールのデカいミステリアスな副題の響きにそそられるものがあり、キネマ旬報ベストテンの一覧に載っているこの作品名を見て、いったいどんな映画なんだろうと想像を逞しゅうしていたのです。とはいえその後、この作品を鑑賞する機会はまったくなく、観たのは結局、NHK BSが放映してくれたつい2年半ほど前のこと。当初公開されたバージョンではなく、よりヴィスコンティの意思に沿ったかたちで編集し直されたという、"復元完全版"と呼ばれるバージョンでした。復元完全版は、オリジナルよりも1時間ほど長い、4時間に及ぼうかという長尺作品なのですが、しかし、この歴史映画と呼ぶにはあまりに異質で異常なつくりのドラマが生み出す求心力は圧倒的で、夢中で観ているうち、4時間などあっという間に過ぎてしまいました。
ちなみにこの4時間バージョンからは、"神々の黄昏"という副題が外されています。もともと原題にあるものではなく、外した方がより正しい、ということはよくわかるのですが、付けたままにしておいてもよかったんじゃないか。なぜなら言葉の響きといい、ワーグナーのオペラの章題にちなんでいることといい、南部ドイツの滅びゆく王制を象徴したフレーズとして、これ以上ないくらいにこの映画のイメージに相応しいと思うので...
「ルートヴィヒ」のあらすじ(ネタばれ)
ドラマの舞台は19世紀半ばの南ドイツの小国、バイエルン(ババリア)。物語は1864年、弱冠18歳のルートヴィヒ二世が崩御した父マクシミリアン二世の後を継ぎ、バイエルンの国王となる戴冠式の場面から始まります。
その美貌ゆえ、圧倒的な国民人気をもって迎えられたルートヴィヒが新国王としてまず手掛けたこと、それは革命活動と莫大な借金のせいで逃亡生活を送っていたドイツの作曲家、リヒャルト・ワーグナーをバイエルンに招聘し、創作活動のための庇護を与えることでした。芸術の美に強い憧れを持ちながらも自身はその才能に恵まれなかったルートヴィヒは、その才を持った者を遇し、創作のための手助けを施すことこそが、強大な権力を手中にした己の使命であり、また国益にも適うものであるという、彼なりの信念を抱いていました。戴冠式の直前、彼はカトリックの神父に向かってこんなことを言います。
「授かった権力をどう使えばよいかがわかりました。身近に人物を集めます。才能ある偉大な芸術家を。彼らは助けてくれるでしょう。彼らが私を他の名君と並べてくれる。名君になります」
中世騎士伝説の世界を再現したオペラ「ローエングリン」を観劇して以来、ルートヴィヒはワーグナーに心酔しきっていました。彼は、この元革命家の要注意人物を友として恵遇し、周囲の反対を押し切りその膨大な債務を肩代わりすると、豪奢な住まいを与えて将来を保障します。老獪で強欲、世知に長けたワーグナーにとって、ひたすら芸術に憧れる無垢で世間知らずの若い国王を思い通りに操ることなど赤子の手を捻るようなもの。ルートヴィヒのワーグナーに対する入れ込みようは次第に常軌を逸したものとなり、彼は老作曲家にそそのかされるまま、莫大な費用のかかるオペラの上演と新劇場の建築計画に熱中し始め、芸術と国民の仲介者になるというその高邁な理想は、いつの間にか単なるオペラ道楽へと変わり果てていきます。
* * *
>同年、ルートヴィヒは、同じヴィッテルスバッハ家出身の従妹、オーストリア皇妃のエリザーベトをその旅先に訪ねます。エリザーベトは、人嫌いで孤独なルートヴィヒが唯一の理解者と頼む女性でした。ルートヴィヒと同じく現実逃避癖のある彼女は、オーストリアの保守的な宮廷生活に居場所を見つけることができず、倦怠をまぎらわすために旅から旅の日々を送っています。成熟した大人の女性の魅力をもつエリザーベトに、ルートヴィヒは恋心ともいえる感情を抱いていますが、しかし彼女にとってルートヴィヒはかわいい弟のようなもの。むろんそれは社会的にも成就しようのないロマンスであり、エリザーベトはルートヴィヒをあしらいつつ、芸術にのめり込むだけでなく統治者としての務めを果たすよう、それとなくアドバイスを送ったりもします。ルートヴィヒはそんな彼女に対し、彼の肝いりでミュンヘンで上演される予定のオペラ、「トリスタン」を観てさえくれれば自分の思いと正当性を理解できると訴えますが、エリザーベトはオペラを欠席すると、ルートヴィヒのもとを訪れ、国費を湯水のように費やすその行動を強く非難します。また自らに向けられたその恋情に対し、彼の性的嗜好を見抜いたかのようなハッとするひとことを浴びせ、妹ゾフィーとの結婚を薦めます。
「私に恋心を抱いて自分を正当化したり、孤独の言い訳にしてはダメ」
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国王による芸術家の庇護は歴史の常とはいえ、ルートヴィヒのワーグナーに対する情熱と執着は度外れたものであり、その厚遇に乗じたワーグナーの強欲と傲慢は、なお一層露骨なものとなっていきます。人格破綻者のワーグナーは、自らの救済者であるルートヴィヒについて、こんな陰口を叩いたりもしてます。
「王はまぬけな若造だ。あの一族の最後のバカ者さ」
劇場の新設計画が現実味を帯びてくると、とうとうワーグナーの存在は、潤沢とはいえないバイエルンの財政を脅かすほどのものとなっていきます。業を煮やした政府の官僚たちは、ワーグナーが弟子のハンス・フォン・ビューローの妻、コジマと愛人関係にあることをルートヴィヒに突きつけ、醜聞にまみれた老作曲家の国外追放を国王に迫ります。官僚に追い詰められたルートヴィヒは、苦渋のうちにワーグナー追放の決断を下しますが、ワーグナーにその信頼を裏切られ、友情と情熱の対象を一度に失った彼の人嫌いと内にこもる性情は、この出来事をきっかけにしてますます色濃いものとなり、ついには神経症的な色合いを帯びはじめていきます。
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当時ドイツでは、神聖ローマ帝国崩壊後の地方分権の時代が終焉を迎え、統一をめぐるプロイセンとオーストリアによる覇権争いの緊張がピークに達しつつありました。繊細な神経を持つルートヴィヒにとって、現実世界の醜い勢力争いは何よりも嫌うところのものであり、両国の争いにも我関せずの態度をとり続けていましたが、もはや戦争が避けられない情勢下にあって、ついにその旗色を明らかにする必要に迫られます。ルートヴィヒはいやいやながら、より姻戚関係の濃いオーストリアへの加担を決定しますが、1866年、ついに両国の間で戦端の火蓋が切られると、国事を放っぽりだして首都ミュンヘンを離れ、ベルグ城に引き籠ってしまいます。戦争の最中、ベルグ城を訪れた弟オットーに向かってルートヴィヒは言います。
「もう私は知らない。この戦争は存在しない。王は戦争など知らんと伝えよ」
7週間続いた普墺戦争は、政治と軍事の天才ビスマルク率いるプロイセンの圧倒的勝利に終わります。その結果、プロイセン主導によるドイツ統一へ向けた第一歩が動き出し、独立国家としてのバイエルンの存在は風前の灯となっていきます。敗戦の報告にベルグ城を訪れた幼少時代からの廷臣デュルクハイムに対し、ルートヴィヒは苦悩にやつれ果てた表情で退位の意向を漏らします。デュルクハイムはルートヴィヒを哀れみつつも、しかしいまこそ国王としての責務を果たすべきときであると諫言します。
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戦争の翌年、ルートヴィヒは、エリザーベトの妹、ゾフィーとの婚約を発表します。それは彼にとって、まがりなりにも国王としての責務を果たそうという決断でしたが、しかしその一方で、彼は自らの同性愛嗜好に次第に抗うことができなくなりつつありました。彼は己の潜在欲求に逆らいゾフィーとの交際を続けていましたが、ある日とうとう美男の従者と関係を持ってしまいます。そして婚約発表の9ヵ月後、ついにゾフィーとの婚約を解消したルートヴィヒは、理性の糸がすべて断ち切れてしまったかのように、国事の一切を放棄すると己の世界へと閉じ籠ってしまいます。
1870年、プロイセンとフランスの間で普仏戦争が勃発します。バイエルンは実質的に統治者不在のまま、プロイセンの同盟国として参戦、戦争がプロイセン勝利に終わった結果、プロイセン王を皇帝とする連邦国家、ドイツ帝国が成立する運びとなります。ルートヴィヒは、バイエルンが新生ドイツ帝国の一領邦となることを頑なに拒みますが、官僚たちから孤立し、統治能力の欠けた彼にはもはや時代の流れに抗うすべはありません。不摂生がたたって虫歯に苦しむルードウィヒの顔はやつれきり、歯の欠け落ちたその不健康そうな表情に、もはや美丈夫だった頃の面影はまったく見当たりません。
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1871年、精神病が悪化した弟オットーが監禁状態に置かれるようになると、ルートヴィヒはますます孤独になっていきます。官僚たちが自分を破滅させようとしているのではないかという偏執的な猜疑心を募らせる一方で、彼はワーグナーへの援助を再開し、中世の騎士物語の世界を顕現させたかのような奇抜な城の築城に熱中しだします。1868年、中世騎士伝説とワーグナーのオペラに触発されたノイシュバンシュタインの築城をはじめると、城の完成を待たずに1874年にはリンダーホーフ、そして1878年にヘレンギムゼーと立て続けに築城に着手、また一方でワーグナーのためにバイロイト祝祭劇場建築を後援し、とその国情を無視した浪費は天井知らずとなっていきます。劇場で見初めた俳優をスイス旅行に連れまわし、忠臣を遠ざけて夜ごと近侍たちと狂乱の宴を繰り広げるルートヴィヒは、あれほど心の支えとしていたエリザーベトの訪問を受けても面会を拒否し、ただひたすら、耽美的で廃頽的な夢想世界にその身をずぶずぶと沈めていきます。
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そして、ついに最期のときがやってきます。国家財政に深刻な影響を与えている国王の奇行を看過できなくなった官僚たちは、精神科医たちによるパラノイアとの見立てをもって国王の廃位を画策すると、ルートヴィヒの叔父ルイトポルトを摂政に立て、1886年6月、ついにノイシュバンシュタイン城へルートヴィヒの逮捕に赴きます。自死することもかなわず拘束されてしまったルートヴィヒは、即日ベルグ城に移送されて幽閉状態に置かれます。
事件は早くもその翌日に起こります。雨のそぼ降る夕刻、ルートヴィヒは彼の監視役である精神科医のグッデンとともに城外のシュタルンベルク湖畔に散歩に出ると、そのまま行方知れずとなります。そして二人の帰りが遅いことに気づいた官僚や衛兵たちが必死に捜索したときは既に遅く、その日の夜半、水死体となったルートヴィヒとグッデンが湖畔で発見されたのでした。
精神溶解の観察記録
この映画、確かに史実に基づいた作品ではありますが、はっきりいって歴史モノ、あるいはルートヴィヒの伝記映画と呼ぶことすらも躊躇したくなる作品です。たとえばルートヴィヒの在位中にバイエルンは二度参戦しているのですが、この映画に戦争場面は一切なく、また戦争に限らず、国王としての国事行為に類する描写も冒頭の戴冠式のみで、歴史モノであればとうぜんある程度の比重をもって描かれるべき重要なことがらも、すべて登場人物の口から簡潔に語られるというかたちで済まされてしまっています。
誤解を恐れずにいえば、この映画が描こうとしているのはドイツ近代史でもなければ、またバイエルン国王のバイオグラフィーでもありません。言うなれば、ヴィスコンティのフォーカスと関心は、ただひたすらにルートヴィヒ二世の心の中を腑分けすることに据えられていて、戴冠時にその目に聡明な光を宿していた青年国王が、ほんの20数年を経て、なぜ周囲から孤立し、そしてまったき絶望と孤独のうちに悲惨な最期を迎えるに至ったのか、そのことのみを淡々と、しかし十分すぎるほどの時間をかけて、ゆっくり丁寧に描いているのです。そもそもこの映画、ルートヴィヒが登場しないシーンが数えるほどしかないのですが、それら国王不在の場面ですら、そのほぼすべてが、ルードヴィヒの心の軌跡を理解するためのピースとなっているかのようです。いわば「ルートヴィヒ」は、ルートヴィヒというひとりの男の精神が、外部からの侵食作用と内部からの自己崩壊によってぐずぐずと溶けていく様子をじっくり観察した、"擬似"記録映画(再現映画)とでもいうべき作品なのです。
そんな主人公を演じたヘルムート・バーガーの、漸進する精神の崩壊をビジュアルで表現した鬼気迫る演技は息を呑むほどに圧倒的で、刻々と変化していくその一挙一動と表情から、精神の動きを感じ取っていく作業は、まるでミステリの手がかりを拾い集めていくかのようなスリリングさを味わわせてくれるものです。この映画、戦争シーンもなし、オペラの上演シーンもなし、これはお約束だろうと思っていたノイシュバンシュタイン城の全景や俯瞰シーンもなし、と、向こう受けするようなスペクタクルな山場やカタルシスが呆れるほどに排除されていて、しかしだからこそ、観る側(私)としては余計な映像やエピソードに気をとられることなしに、ルートヴィヒの精神観察に意識を集中させることができたりするのです。
"ババリアの狂王"はどこまでおかしくなっていたのか?
独善的、幼稚、優柔不断、無責任、精神的にひ弱、とまあはっきりいってルートヴィヒという王様が、その"人間力"にかなり問題のあった人物であることに間違いないでしょう。国事を放っぽりだしてワーグナーのオペラに執着し、国家存亡の大事にあっても築城に熱中した同性愛の国王。正直、私にとってはこれっぽっちも感情移入できない人物なのですが、それでも1厘、同情の余地があるとすれば、それはそもそも統治者たる資質のない未熟な人間が、裸のままに国王になってしまったというその運命。ドラマの後半、彼を統御できずに築城やワーグナー援助の予算を求められるがままに承認した政府にも責任があると言ったのは、忠臣デュルクハイムでした。名君と肩を並べたいという野心に燃え、芸術と国民の仲介役となることにアイデンティティを求めた若く未熟な国王は、なまじっか明晰な頭脳を持っていたがゆえ、臣下たちの反対や諌言をむしろ燃料にして、加速度的に暴走を重ねていきます。そもそも、己のメルヘン嗜好に国益を重ね合わせるという発想に無理があるわけですが、しかしその独善を正してくれるような先人が彼の周囲にもしいさえすれば、結末はおのずと違うものとなったような気がしてなりません。
ワーグナーの裏切りと追放、ドイツ統一をめぐる政情不安―相次ぐ精神的負担に耐え切れなくなりつつあったルートヴィヒは、しきりに自由になりたいというようなことを口にしだし、普墺戦争の最中についには退位の意向さえ漏らすわけですが、しかしそうして苦悩していること自体、少なくともその時点では、まがりなりにも統治者としての重責を重責として受け止めていたということができるようにも思います。しかしゾフィーとの婚約を破棄し、国王としての責任を一切放棄するようになってからのルードヴィヒは、退位どころか逆に国王であること、ただそのことだけが唯一のアイデンティティとなってしまったかのように、その地位にすがりつくことに汲々としはじめます。周囲からのさまざまな圧力になんとか耐えていた国王の理性を破壊する決定的な一撃が、結局のところ、自らが決断して取り決めたその婚約によってもたらされたものであったということは、なんとも皮肉です。ワーグナーの一件といい、婚約の件といい、ルートヴィヒがよかれと決心して行動を起こすたび、常に最悪の目が出てしまうようで、しかもそれが誰のせいにもできない自らの招いたものであるだけに、彼はより一層追い詰められ、現実の世界に居場所をなくしていきます。
奇行を繰り返し、謎めいた死を遂げたルートヴィヒ二世には、後世の人によって、"ババリアの狂王"なるあだ名が奉られています。"狂王"とはこれまた異様な響きのフレーズですが、しかし映画を観るかぎり、彼のしたことにそこまでのおどろおどろしさは感じられません。時代が変われば常識も変わるもの、確かにその浪費っぷりは度を越したものですが、その金を使って彼がやっていることは、まったく理解不能というものでもありません。現代の感覚に照らし合わせてみれば、同性愛嗜好は目くじらを立てるようなものでもなく、またワーグナーの生み出す物語世界への傾倒っぷりとそれを現実に再現してしまうメンタリティにしても、それを異様と思うより、むしろ共感を覚える現代人はかなり多かったりするのではないでしょうか。例えば、ルートヴィヒが、シェイクスピア俳優のカインツを見初め、リンダーホーフ城に招くシーン。「タンホイザー」の世界を模した地下の湖に、ルートヴィヒを乗せた金色のゴンドラがしずしずと現れるのですが、例えばコスプレ趣味を持つアニメ・ファンの人たちにとってみれば、こういったお気に入りの虚構世界を現実に再現してみたいなんていう欲望は、かなり肯けるものだったりするのではないでしょうか(そして実際にお金を持っている人は、事実、似たようなことをやったりもしてますね。例えばお城を建てて昔の武将の名を名乗ってみたり、自分専用の遊園地を作り、ネバー・ランドなどと名付けてみたり)。とはいえ、ルートヴィヒの生きた時代は19世紀半ば。当時の(しかも保守的といわれるバイエルンの)人たちの目からすれば、ルートヴィヒは頭がおかしくなったとしか思えなかったであろうことも、これまた簡単に想像がついたりもします。
映画にはところどころ、国王の周囲の人たちがカメラ目線でルートヴィヒについて語るというシーンが挟み込まれています。すなわち精神科医によるインタビューが行われているという設定なのであり、医者たちがルートヴィヒに下したパラノイアという診断は、王に対する直接の鑑定によるものではなく、これらのインタビューに基づいたものであるということを意味が込められたものでしょう。国事を放棄しながら王位に執着するルートヴィヒを廃位させようとすれば、精神の病を理由に幽閉するか、あるいは暗殺でもしないことには済まないものであったろうことは想像にかたくなく、そう思うと、巷間流布したパラノイアという診断結果には政治的な思惑が絡んでいたという説は、かなり素直に頷けるものです。
果たして実際のところ、ルートヴィヒの精神は、幽閉が必要とされるほどに病んでしまっていたものなのか―精神科医の診断の正当性はさておくとしても、映画を観終わって思うことは、婚約廃棄から幽閉されるまでの足掛け19年、孤独のうちに自らの殻にこもり続けたルートヴィヒはいったい何を考え、そして何を寄る辺にして毎日を過ごしていたのだろうということです。一国の王としてのプライドと鬱屈を抱えながら、自らを律することなくひたすら自堕落に過ごす19年は、なまじ明晰な頭脳をもったこの人物にとって、その精神を健全に保つには気が遠くなるような時間だったような気がしてなりません。逮捕される直前のルートヴィヒの表情は、まるで生気のない幽鬼のそのものであり、その人生の意義がとっくに失われてしまっていることを感じさせるものだったりするのです(まあ、この映画のプロットに沿った演技でしかないわけですが)。
ルートヴィヒにとって、官僚たちの監視下で過ごす余生などありえないということは、延々4時間、ひたすら彼を観察してきたあとでは自明のことにも思えます。その不可解な死は、自殺説のほか事故説や暗殺説といろいろあって、これまたその真相を永遠に知ることができないわけですが、しかし映画でなされていた解釈の通り、ルートヴィヒが医師を殺害したのちに自殺したと考えるのが、もっとも自然であるような気がします。
エリザーベトに対するルートヴィヒの恋は本物か?
エリザーベトは、ルートヴィヒがその生涯で唯一愛した女性とも言われます。"シシィ"という愛称を持つオーストリア皇妃を演じているのは、実際にオーストリア出身のロミー・シュナイダー。暗く陰鬱な映像の多いこの作品の中にあって、華やかでいつも何かを面白がっているような笑みを口辺に湛えたエリザーベトの登場は、ルートヴィヒだけでなく観ているこっちの気持ちも明るくさせるものがあります。特に、シューベルトの"子供の情景"の調べがたおやかに流れる中、エリザーベトが笑みを湛えながら乗馬練習に興じる初登場シーンは、美しい映像が連続するこの映画の中でも出色の優雅さに満ち溢れたものです。
ルートヴィヒより8歳年上で成熟した女の余裕を感じさせるエリザーベトは、その美しさといい気高さといい、そしてなんといっても、どんなに本気で追いかけてもまったく手が届きそうもないところといい、青年期の男にとってはほとんど理想像といってもいいような女性です。ルートヴィヒのエリザーベトに対する現実感の薄い強烈な憧れと思慕は、この青年国王のエキセントリックな情動のうちでは同じ男として共感できる数少ないものですが、しかし既婚女性であるエリザーベトへの適わぬ恋は、果たして彼にとって本気のものだったのか、それとも劇中エリザーベトが暗に仄めかすように、後年顕在化する彼自身の性的嗜好に対する無意識のセルフ・エクスキューズに過ぎなかったのか―。おそらくルートヴィヒ本人にもわからないものであったような気もするのですが、それにしても、エリザーベトに痛いところを突かれ、ハッとするルートヴィヒの一瞬の表情の変化はまったく見ものです。
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この記事を書くにあたっていろいろググっていたら、エリザーベトを主人公にした「プリンセス・シシー」(1955)という三部作のオーストリア映画があることを知りました。エリザーベトを演じているのは、まだ十代だった若き日のロミー・シュナイダー。これは、ぜひ観てみたいものです。ちなみにエリザーベトは、ゲルマンの民族楽器チターの名手だったそうですが、チターといえば、「第三の男」(1949)のアントン・カラス。「プリンセス・シシー」でエリザーベトを演じ、人気絶頂だった頃のロミー・シュナイダーは、アントン・カラスの経営するウィーンのホイリゲ(居酒屋)を訪れ、その生演奏に耳を傾けたことがあるのだそうです(内藤敏子著「「第三の男」誕生秘話-チター奏者アントン・カラスの生涯」より)。
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ワーグナーのオペラとその楽曲の数々が今も世界中で愛され、途方もない浪費の上に築き上げられたノイシュバンシュタインやリンダーホーフといった城がいまや有数の観光スポットとして世界中からツーリストを集めているという事実は歴史の大いなる皮肉です。オペラにはとんと縁のない私ですが、それでもワーグナーのCDの1、2枚は所有しているし、またもしドイツを訪れる機会があれば、リンダーホーフ城とノイシュバンシュタイン城をかならず訪れて、いくばくかのお金を現地に落としもすることでしょう。ルートヴィヒがワーグナーと築城に注ぎ込んだ費用と、これらの芸術と文化財がこれまでに生み出した経済効果の収支は、実際のところどんなバランスとなってるのか、まあ、いくら探してもそんな酔狂な試算はどこにもないことと思いますが、狂王と呼ばれた男の物語の総決算として、ちょっと興味の湧くところです。
ルートヴィヒ(原題: Ludwig)
製作国 : イタリア、フランス、西ドイツ
公開: 1972年
監督: ルキノ・ヴィスコンティ
製作総指揮: ロバート・ゴードン・エドワーズ
製作: ルチオ・トレンティーニ
脚本: ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
出演: ヘルムート・バーガー/ロミー・シュナイダー/トレヴァー・ハワード
音楽: リヒャルト・ワグナー/ロベルト・シューマン/ジャック・オッフェンバック
撮影: アルマンド・ナンヌッツィ
美術: マリオ・キアーリ/マリオ・シッシ
編集: ルッジェーロ・マストロヤンニ
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管理人: mardigras

私は中学生時代からの映画の感想等のノートがボロボロになったので、ブログにして残そうとしている「サイ」と申します。
イラスト・・・いつもため息ついて見させてもらっています。私は全く絵を描けない人間なので、映画をイラストとともにアップされて、本当に(月並みですが)すごいなぁ・・・と思っています。
ヴィスコンティ監督は大好きで(存在を知った直後に他界されました)今回の「ルートヴィヒ 神々の黄昏」とか「山猫」は映画館で見ました。他にもいくつかの作品をテレビで見ています。
(明日か明後日BSアナログで「夏の嵐」がオンエアされます)
今回の記事、すごいですね・・・「うーん」とか「ほう」とか言いながら読ませてもらっています。
ところが、私は子育て等で映画を見られない時期が長く、最近映画をキチンと見ることを再開して今「リハビリ」期間なので、コメントらしいコメントはとても書けそうにないのです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします☆