どうするって...おめぇこそどうするんでぃ!

果たして"餘"という漢字と"兩"という漢字は文字化けしないのか...ついそんなことが心配になってしまう、「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(「丹下左膳余話 百万両の壺」)。私(の世代)にとって"丹下左膳"といえば、"鞍馬天狗"や"眠狂四郎"それに"旗本退屈男"あたりとならんで、その名前や見た目はかろうじて知ってはいるものの、そもそもそれがいったいどんなキャラ(物語)なのか、まったく馴染みがないチャンバラ時代劇の典型――だったのですが、このわざわざ"余話"と銘打たれた映画の存在自体はかなり前から知っていて、というのも「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文芸春秋編)という名作映画の紹介本で、同じ大河内傳次郎主演の丹下左膳モノ、「新版大岡政談」(三部作。1928年、伊藤大輔監督)と並んで仲良く100位前後にランクインしていたからです(で、その本に載っていたスチルが冒頭のイラスト。本当はこの左にもう一人、指を咥えた味わい深い小僧がいるのですが、時間の関係でカット)。
そんなわけで、「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」が、剣戟モノではなくコメディだという知識はあったのですが、いずれにしても、こんな大昔の映画を観てもそんなに笑えるはずがない、とタカをくくっていて、それゆえ数年前、どこかのケーブルチャンネルで放映していたのを初めて観たときは、その予想外に軽妙洒脱で現代的な笑いのセンスに驚かされ、そして実際、腹を抱えて大笑いさせられてしまいました。この作品、要するに当時の人気活劇のパロディで、今の時代でいえば、たとえば「ミッション:インポッシブル4」が蓋を開けたら人情喜劇だった、みたいなものでしょう。そう思うと、オリジナルの丹下左膳のキャラにもっと馴染みがあったなら、さらに面白かったか、はたまたふざけんなと思ったか、いずれにしろかなりインパクトがあっただろうな~と思うのです。
丹下左膳=百萬兩の壺
この映画、何が面白いといって、大河内傳次郎演じる丹下左膳の一挙一動が面白い。隻眼隻手の異様な風体、伝法な口調、いかにも凄腕の妖剣つかいらしいコワモテながら、その実お人好しの江戸っ子で、居候のくせに孤児のちょび安を引き取ってしまったり、あるいはメンコ代わりに一両小判をひょいとちょび安にあげてしまったり、と素っ頓狂な浮世離れっぷりを発揮。宿主のお藤からはほとんど粗大ゴミか邪魔な置物のような扱いを受けていて、ときに泳ぎがちの目線と遠慮がちの所作に居候の肩身の狭さがじんわり滲み出ていたりもして、(ホントは笑いの対象になるようなキャラではなかったんだろうな~と思えば思うほど)甲斐性ゼロの尻に敷かれた宿六っぷりにくすりとさせられます。
その様子はまるで、映画のタイトルともなっている、二束三文で屑屋に売り飛ばされる、小汚い(しかし本当は百万両の在り処の隠された)壺そのもののよう。壺が金魚鉢として使われるように、いちおう用心棒くらいの役に立ってはいるものの、しかしその真価はちっとも発揮されないというか、百万両、百万両と大騒ぎしているようで、その実、お金を嗤っているようなところのあるこの映画にあっては、左膳の剣技もまた、二の次、三の次といった感じなのです。
そんな左膳がことあるごとに「いやだぃ!」を連発し、お藤に逆らってはみるものの、そのたんびに無駄な抵抗に終わる、のしつこいくらいの繰り返しが愉快。この、いやだいやだと言いながら、次のシーンではそれをやっている、という語り口を"逆手の手法"というのだそうです(NHK BSの山中貞雄特集番組より)。何度も繰り返されるので、先へ進むほどオチがみえみえなのですが、省略を活かした場面転換の呼吸があざやかで、結果がわかっていても(いやわかっているからこそ)、つい笑ってしまうのですね。
たとえば孤児になったちょび安を引き取って、道場に通わせるか、寺子屋に通わせるかで左膳とお藤が大揉めするあたり、もう見るまでもなく結果は明らかですが、実際、次の場面でそうなっているのがなんとも可笑しい。そして、寺子屋から帰ってきたちょび安の帳面を捲りながら、道場に通わせようとしていたことなんてすっかり忘れたように、「なかなか手筋がいいぞ、こりゃあ」などと相好を崩す左膳の、絵に描いたような親バカっぷり...竹馬をねだるちょび安を叱りつけながら、次の場面では竹馬の練習を手伝っているお藤とともに、この一風変わった擬似家族のかもし出すユーモアが、実にほのぼのとして温かいのです。
ちなみに、今回再見していちばん笑ってしまったのは、萩乃と丸メガネを掛けた爺やが遠眼鏡を覗いて浮気中の源三郎と壺を偶然発見してしまう、コントのような場面。鼻の脂を金魚釣りの糸になすりつけてニヤけている源三郎の、文字通り、鼻の下を伸ばした間抜け顔に思わず声を出して笑ってしまいました。源三郎を演じているのは、澤村國太郎。まったく知りませんでしたが、この人、加東大介のお兄さんで、しかも長門裕之と津川雅彦のお父さんなのだそう。そういえば、笑った顔が若い頃の長門裕之そっくりです。
「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」の大マジな原作とその映画史のややこしさ
丹下左膳の原作者、林不忘は「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」の試写を観て、これは自分のつくりだした丹下左膳とはちがう別物だ、と激怒したそうです。それゆえ映画に原作のクレジットがなく、またそもそも「丹下左膳 尺取横丁の巻」だったはずのタイトルも「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」に差し替えられたのだとか。制作会社の日活は、本作に代わる作品を改めて作ることを不忘に約束し(後述するとおり、本作は既に作られていた左膳映画三部作の完結篇という位置づけだった)、さらに本作が不忘の原作とはまったく異なるものである旨記載した広告を、わざわざ東京朝日新聞に出稿したりしています(「資料が語る丹下左膳の映画史」(田中照禾)より)。
こけ猿の壺をめぐって争奪戦が繰り広げられる(?)この物語、そもそも丹下左膳というキャラクターを借りただけで、あとはまったくのオリジナルストーリーだと思っていたのですが、先週、本屋で「丹下左膳(二) こけ猿の巻」というタイトルの文庫本をみつけ、お話自体も原作ゆずりだったということを知りました。で、つい前段の「丹下左膳(一)乾雲坤竜の巻」、後段の「丹下左膳(三)日光の巻」をあわせて買ってしまい、さっそく読み始めたところ...これが思った以上というか、こんな面白い本があったのか、というくらいに面白い。映画に負けず劣らず省略上手のテンポよい展開で、もう三冊まとめて一気読み...だったのですが、その味わいは原作者の言うとおり、この映画とは似ても似つかぬ、まったくの別物。時折ヘンな地口の混じる、それなりにユーモアのある小説なのですが、柳生家伝来のこけ猿の壺をめぐる、きったはったの争奪戦は、左膳も加わってのマジ争い。またお藤をはじめ、ちょび安も源三郎も萩乃も登場するものの、誰も彼もがまったくの別キャラで、そしてなんといっても左膳が評判通りの(?)大違い。大真面目にもったいぶって強く凄くカッコよく描かれた"化物七分、人間三分"の"剣鬼"左膳がお人好しで甲斐性なしの親バカ左膳に書き換えられて、このあまりに洒脱すぎる換骨奪胎に、原作者としては、自分の生み出したキャラが虚仮にされた、と思ってしまったのかもしれません。
ところで丹下左膳、そもそも"乾雲坤竜の巻"では脇役に過ぎず、本(というか新聞連載)のタイトルも、もともと「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」というものだったのだそう。ところが左膳のキャラが大人気となり、そこで不忘は、左膳のニヒルな性格をいくぶん抑えた続編、「丹下左膳」と「新講談丹下左膳」を書き、のちにそれらのタイトルが改まって、それぞれ"こけ猿の巻"、"日光の巻"となったのだそうです(要するに、丹下左膳ってある意味、スピンアウト作品なのですね)。
で、ここでようやく、前述の伊藤大輔監督作品のタイトルが「新版大岡政談」であったことに納得いくわけですが(ちなみに同時期に、東亞、マキノの製作会社二社によっても、それぞれ団徳麿、嵐長三郎を丹下左膳に据えた「新版大岡政談」が作られている。いずれもサイレント)...しかし「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」は、この作品の続編というわけではなく、なんと「新版大岡政談」の左膳は、最後に斬り死にしてしまうのだそうです。ところがこの映画の大河内左膳があまりに人気が高かったため、改めてトーキーとして、同監督により「丹下左膳」(1933)、「丹下左膳 剣戟篇」(1934)が撮られ、そしてその完結篇という位置づけで、監督を変えて作られたのが(伊藤監督が退社したため)、この「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」だったそう。さらには前述の通り、不忘のクレームを受けた日活は、渡辺邦男を監督に起用した三部作の完結篇、「丹下左膳 日光の巻」を翌年に製作したりもしているのですが(以上、文庫本の解説と「資料が語る丹下左膳の映画史」より)...う~ん、実に、実にややこしい。
観たくても観ることのできない幻の映画
先々月、京橋のフィルムセンターの上映作品をチェックしていたときに、昨年9月に行われた山中貞雄生誕100年記念の上映会の情報を見つけました。そこには「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」とともに、同映画の見せ場を集めたダイジェスト版の玩具フィルムの上映が予告されていて、その紹介文を見ると、"戦後再公開時にGHQの検閲で削除された剣戟場面の一部が含まれている(音声は欠落)"とあるではありませんか。えっ、「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」ってカットされてたの?と驚いてしまったのですが、今回観なおして、ああここか!と気がつきました。それが映画の後半、左膳が壺を売りに行ったちょび安を追いかけて、家を飛び出すシーン。左膳が表に出たところで、ちょび安の親の敵のちんぴら連中が立ちふさがるのですが、次には何事もなかったかのように、左膳がちょび安を見つけ、家に連れ帰る場面へとつながっています。普通に観ていれば気がつきそうなものですが、そもそも省略法が多用されている映画のせいか、初めて観たときは気づかなかった、というよりまったく気にならなかったのですね。しかしそれにしても、なんてことするんだGHQ!と(気づかなかったくせに)思わずにはいられませんが、でもまあこうして作品のほぼすべてを観られるぶん、はるかにマシなほう...
この記事の冒頭で触れた「大アンケートによる日本映画ベスト150」のランキングには、今となっては観ることのできない、フィルムが散逸してしまっている作品が何本も含まれています。山中貞雄の「国定忠治」をはじめ、前述の「新版大岡政談」や同じ伊藤大輔の「忠治旅日記」(1991年に一部発見)、あるいは伊丹万作の「国士無双」やマキノ雅弘の「浪人街」(一部現存)。いずれも戦前の映画ですが、どんなに観たいと思っても、金輪際観ることができないというのは悔しいものです。なぜこれらの作品のフィルムが消失してしまったのか、そのあたりの事情については前述の山中貞雄の特集番組の中でも触れられていましたが、ひとことでいえば、すべて戦争のせい。あと20年くらいしたら、これらの作品を観たことのある人が、それこそこの世に一人もいなくなってしまうわけで...ホント、どこかでひょっこりフィルムが発見されることを祈るばかりです。
丹下左膳餘話 百萬兩の壺 (英題: Tange Sazen yowa: Hyakuman ryo no tsubo)
公開: 1935年
監督: 山中貞雄
製作: 日活京都撮影所
脚本: 三村伸太郎
原作: 林不忘(「丹下左膳 こけ猿の巻」) *ノンクレジット
出演: 大河内傳次郎/喜代三/澤村國太郎/山本礼三郎
音楽: 西悟朗
撮影: 安本淳
編集: 福田利三郎
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>宿主のお藤からはほとんど粗大ゴミか邪魔な置物のような扱いを受けていて
ふふ、確かにそんな感じでした。今気付いたんですけど、居候と婿養子という肩身の狭いふたりが意気投合するのも当然だったんですね~。源三郎に”真価”といえるものがあるのか分かりませんが(笑)
>表に出たところでちょび安の親の敵のちんぴら連中が立ちふさがるのですが、次には何事もなかったかのように、左膳がちょび安を見つけ、家に連れ帰る場面へとつながっています。
ああ!そこだったんですかぁ~。そういえば「あれ、さっきの人たちは?」と思った気がします。
山中貞雄特集番組(前日に放送した「チトサビシイ」のことですよね?)では、そのシーンは見せてくれなくて残念でした。でも、ペラペラマンガは凄かったですね!
紙(辞書)と鉛筆だけであれなら、”頭の中にある映画”はほぼ完成された状態だったんじゃないでしょうか? 本当に惜しい方を亡くしたものです。
今回は、告知記事を書いてくださってありがとうございました。今更なんですが、この作品を選んでしまったことでMardigrasさんの予定を崩してしまったんじゃないでしょうか? もしそうだったら、申し訳ありません。
最近、掃除をサボりすぎてヤバイ事になってきたので、ブログDEロードショーの記事はもう書かないつもりですが、これからも観賞、コメントは参加するので宜しくお願いします。
では、長文失礼しました。