アマデウス

「アマデウス」のイラスト(F・マーリー・エイブラハム)

ロガーの皆さん一緒に同じタイミングで映画を観ましょうという企画、ブログDEロードショーに参加しました。今回の作品は、ミロシュ・フォアマン監督のアカデミー賞受賞作、「アマデウス」(1984)。モーツァルトの死後、巷間流布したという、サリエリ毒殺説に着想を得て、モーツァルトの生涯を大胆かつスキャンダラスに脚色した、ピーター・シェーファーの戯曲、「アマデウス」の絢爛華麗な映画化作品です。作品のチョイスは、この企画の名付け親、ラジオ・ヒッチコックのロッカリアさん。ビデオを借りに行ったら、オリジナル版があいにく貸し出し中。ディレクターズ・カット版(2002)があったので、そっちを借りて日曜日に鑑賞しました。

この映画、高校生の頃に、日曜洋画劇場のテレビ初放映を観て以来の再見(吹き替えがホント素晴らしかった。特にサリエリの日下武史!)...と思い込んでいたのですが、開巻すぐ、施錠された部屋の前で生クリームをべろべろ舐めながら、サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)に呼びかける召使いたちを見て、それほど遠くない昔、おそらく数年前に、WOWOWかNHK BSで観たことを思い出しました。それを忘れてしまっていたのは、つまらなかったからではなく、逆にあまりに面白かったがゆえ、再見せずとも初鑑賞の時点で既に、その内容が強く記憶に刻み込まれていたせいだと思います。キャラの立った人物たちが繰り広げる、スキャンダラスなドラマ。時代風俗を再現した、煌びやかな映像。そしてなんといっても、全編に流れる、うっとりするような音楽。3時間とかなり長丁場の作品ですが、時間の経つのを忘れる面白さとは、まさにこんな映画のことをいうのでしょう。

というわけで、今回観直して頭に浮かんだ感想を、以下思いつくままに。それにしても、この映画の掴み、ホント、素晴らしいですねぇ!


「アマデウス ディレクターズ・カット」版の(尾篭な)衝撃

性下劣でエキセントリックなモーツァルト(トム・ハルス)と、そんなモーツァルトの突拍子もない阿呆笑い、そしてジェフリー・ジョーンズ扮する皇帝の、絵から抜け出してきたかのような皇帝っぷりと並び、初めて観たとき強烈に印象に残ったのが、モーツァルトの妻、コンスタンツェ(エリザベス・ベリッジ)の必要以上に強調された、でかい胸。そして今回観たディレクターズ・カット版に、コンスタンツェがどーんと上半身をあらわにする場面があって、予期せぬ衝撃に、びびってたじろいでしまいました。

皇帝の姪の音楽教師に夫を推薦してもらうべく、サリエリの元を訪れたコンスタンツェ。彼女が夫に内緒で持ち出してきた、譜面の完璧な美しさに激しいショックを受けたサリエリは、激しく憎悪を募らせ、便宜を図る見返りとして、彼女の体を求めます。しかしその夜、再びやってきたコンスタンツェが、意を決して服を脱ぎはじめると、サリエリは冷たい一瞥を投げつけ、彼女の裸を召使の目に晒した上で、けんもほろろに追い返すのです。

映画の終盤、モーツァルトが息を引き取る場面での(コンスタンツェを乗せた馬車の黒々としたシルエットが、早暁の野を疾駆する映像が素晴らしい。まるで、死神がモーツァルトを迎えに急いでいるかのようでもあり、実に不気味です)、コンスタンツェのサリエリに対する強い敵意の意味は、なるほどそういうわけだったのか~、と深く頷いてしまった次第。そして思えば、"ヴィーナスの乳首"という、エロティックでユーモラスなお菓子もまた、そんな場面に対する、ちょっとした伏線だったのですね。



「アマデウス」に描かれる、天才の"才能"に対する"秀才"の嫉妬

楽に対する禁欲的で献身的な精励刻苦にもかかわらず、その才能が、破廉恥の申し子のようなモーツァルトの足元にも及ばないことをまざまざと思い知らされたサリエリは、神を激しく呪い、神の恩寵を受けたモーツァルトを破滅させることによって、神に復讐することを誓う――とまあサリエリは、モーツァルトに対する殺意の動機として、宗教心の薄い人間にとってはわかるようなわからないような、高尚でもったいぶった理由を神父に告白します。しかし、どんなに言いつくろってみても、サリエリのモーツァルトに対する陰険なはかりごとの源は、もっと下世話な感情、要するに、モーツァルトに対する嫉妬以外のなにものでもないでしょう。

人が人に対して抱くさまざまな悪感情の中で、嫉妬はもっとも認めなくない、また他人に悟られたくない感情ではないでしょうか。なぜなら嫉妬するということは、己が嫉妬の対象よりも、己の価値観の上で劣っていることを認め、翻って己の卑小さと醜さを、じくじくと噛み締めることにほかならないからです。社会的な成功、恵まれた境遇、人間関係、とまあ私自身、恥ずかしながら、ありとあらゆる理由でありとあらゆる対象に嫉妬した覚えがありますが、しかし考えてみれば、この映画に描かれるような、"才能"に対する嫉妬ばかりは、身に覚えがないように思います。

「神よ、もうあなたは敵だ。あなたは神の賛歌を歌う役目に好色で下劣で幼稚なあの若造を選んだ。そして私には、彼の天分を見抜く能力だけを与えたもうた。神よ、あなたは理不尽で不公平で冷酷だ」

映画の中でサリエリは、そんな呪詛のことばを口にします(モーツァルトをひどく憎みながら、しかしいったん彼の音楽に触れると、何もかも忘れて恍惚、陶然としてしまうサリエリがとても哀しい)。また、告白を終えたサリエリは、まるで世界中の凡庸なる者たちを代表して天才を葬ったといわんばかりの嘲り笑いを浮かべつつ、神父に向かってこんなことを言います。

「私は凡庸のチャンピオンだ。この世の凡庸なる者たちの守護神なのだよ」

才能に嫉妬するには、才能を理解するだけの才が必要であり、しかもその分野を極めるための不断の努力があってこそ、初めて芽生える感情であるように思えます。我が身を振り返って言えば、そもそも凡庸なる者は、才能に嫉妬したりはしない(できない)のであって、その意味でサリエリは、まさしく"凡庸のチャンピオン"、もっとも天才に近い、偉大なる凡人なのでしょう。

面会当初の余裕の笑みはどこへやら、告白を聴き終えた神父は、気の利いた言葉ひとつ返すことができずに唖然呆然、飛び切りの秀才の天才に対するジェラシーに、掛け値なしの凡人然とした表情を浮かべます。以前に観たとき、どう思ったかは覚えていませんが、今回観直してみて、この映画で私が一にも二にも感情移入してしまった人物は、もう断然、この若い神父です。



サリエリの罪とモーツァルトの罪

リスト教が戒めるところの七つの大罪、「傲慢」、「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「強欲」、「暴食」、「色欲」。この映画に描かれるサリエリの罪が、「嫉妬」(と「憤怒」)ならば、モーツァルトの罪は、それよりも重いとされる、「傲慢」(そして「怠惰」と「色欲」)でしょうか。

宮廷音楽家たちを見下し、サリエリが作った曲を皇帝の面前で侮辱し、そして仮面舞踏会では、本人がそこにいるとも知らずに手ひどくサリエリを嘲弄してみせるモーツァルト。彼は、その音楽的才能に対する絶対的な自惚れゆえか、非常識なまでに無神経、そして徹底的に傲岸不遜です。そんな彼の性格は、サリエリの憎悪を招くのみならず、生活者としての彼を次第に追い詰めていきます。モーツァルトが、サリエリに紹介された、音楽を解しない金持ちの商人の娘の家庭教師を断りながら、後年、厚顔にも借金を申し込んで、素気なく追い返される場面は、社会や経済、そして人情をまったく理解できない、モーツァルトの初心なメンタリティを象徴しているかのようです(オリジナルではカットされているエピソード)。18世紀の音楽家にとって、主たる収入源は教授料だった、とピーター・シェーファーが音声解説で語っていますが、しかしそもそも、天才ほど人にものを教える仕事に向かない人間は、いないのではないでしょうか。

モーツァルトの時代から下ること数十年、ルキノ・ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」(1972)では、やはり傲岸無比な天才、(しかし狡猾で処世に長けた)ワーグナーの人格破綻ぶりが、これでもかとばかりに描かれていましたが、「アマデウス」のモーツァルトの不幸は、その処世の未熟ぶりもさることながら、ワーグナーにとってのルートヴィヒのような、盲目的な崇拝者にして権力者のパトロンをもたなかったことでしょう。たとえサリエリのたくらみがなかったとしても、収入源を失くして自堕落な放蕩に身をやつす(この映画の)モーツァルトは、遅かれ早かれ破滅したに違いなく、その意味で、モーツァルトを殺したというサリエリの告白は、単に彼がそう思い込みたがっていただけ、というように思えたりもします。

*       *       *

告白の冒頭、若い神父が、サリエリの作った曲をまったく知らず、しかし"アイネ・クライネ・ナハトムジーク"には反応してハミングし始める場面は、サリエリの悲劇(モーツァルトの悲劇、とは思えない。やはり凡人としては、自業自得にしかみえないのです)を描いたこの映画の中で、もっとも残酷な場面です。サリエリは、"時"によって否応なしに断罪されたのであり、それはいわば、自らが代表しているつもりの無数の凡庸なる者たちによって下された、無情で冷酷な審判です。爾来、サリエリのように一時の人気を博し、社会的、経済的な成功を手に入れながら、しかし後世に名を残すことの適わなかった芸術家は、それこそ星の数ほどいたことでしょう(ここでふと、「サンセット大通り」(1950)のグロリア・スワンソンが頭に浮かびました。ノーマの狂気は、この映画の老いたサリエリに一脈通じるものがあるように思えます)。芸術家と呼ばれるような人たちにとって、もしかすると「アマデウス」は、ほとんど恐怖映画だったりするのかも、なんてことを思ってしまったのでした。



アマデウス(原題: Amadeus
製作国: 米国
公開: 1984年
監督: ミロシュ・フォアマン
製作総指揮: マイケル・ハウスマン/バーティル・オールソン
製作: ソウル・ゼインツ
脚本: ピーター・シェーファー
原作: ピーター・シェーファー
出演: F・マーリー・エイブラハム/トム・ハルス/エリザベス・ベリッジ/ジェフリー・ジョーンズ
音楽監修: ネヴィル・マリナー
撮影: ミロスラフ・オンドリツェク
美術: カレル・サーニー 
編集: ネーナ・デーンヴィック/マイケル・チャンドラー


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[C643] おはようございます☆

素晴らしいイラストと、mardigrasさんらしいレビューですネ。
今回もご参加とレビューをありがとう~。

イラストのサリエリが、一番こころに響きます。
告白をしているその場の彼ではなく、この頃の彼が。

>サリエリは"時"によって否応なしに断罪されたのであり、それはいわば、自らが代表しているつもりの無数の凡庸なる者たちによって下された無情で冷酷な審判です

皇帝の音楽やオペラの好みを知っているからこそ、
後生には全く残らなかった・評価の低い作品を、
「今までで一番すぐれたオペラ」と表彰された時の喜びと、

「時」「凡庸」などによって斬られた現在の自分・・・
サリエリが本当に心から神を求めていたなら、違った方法や結果もあったのに・・・とも思えました。

では、この記事をいつもの記録に、リンクさせて頂きますネ☆
次回もどうぞ楽しみにしてお待ちくださいね~♪

[C644] こんにちは

うぉー、ページを開いたらサリエリが!
相変わらず存在感がすごいです。
時間があれば神父様も描きたかったんじゃないですか?
思いもよらぬ告白に成す術もない神父様には、わたしも共感してしまいました。

>モーツアルトを殺したというサリエリの告白は、単に彼がそう思い込みたがっていただけ、というように思えたりもします。

おぉ、確かにそういう見方もありますよね!
どんな形であっても、モーツァルトにとって自分は特別だったと思いたかったんでしょうか。
せめて目の前の神父様には覚えていてもらいたかったでしょうしね・・・。
  • 2010-10-06 13:37
  • 宵乃
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[C645] >miriさん

ありがとうございます!
今回も面白かったですね~。

皇帝に賞賛されたときのサリエリは幸せの絶頂でしたね~。映画の中で、年老いたサリエリが「もう誰も私の曲を演奏してくれない」なんて愚痴ってましたが、でも250年後の今日、AmazonでチェックしたらCDもけっこう出てて、この映画や戯曲のお陰なのかもしれませんが、実は後世にしっかり名前を残してますね~(笑)。サリエリの魂も、きっと安んじていることでしょう...

[C646] >宵乃さん

ありがとうございます!

>時間があれば神父様も描きたかったんじゃ...
う~ん、どちらかというとコンスタンツェが...(笑)。

>おぉ、確かにそういう見方もありますよね
自分を裏切った神様に見事復讐した、、、というのがこの映画に描かれる(モーツァルト亡きあとの)サリエリの哀しいアイデンティティティだったのではないかと...

>どんな形であっても、モーツァルトにとって自分は特別だったと思いたかったんでしょうか。
そうなんじゃないかと...モーツァルトに対するひどい憎しみは、同じ強さの愛の裏返しというか、その作品にはもう無上の愛を捧げてる(捧げずにはいられない)感じでしたからね~(お菓子よりもうっとりしてましたね。笑)。

>せめて目の前の神父様には覚えていてもらいたかったでしょうしね
神父さんどころか、1984年以来、もうすっかり有名人ですね(笑)。

[C647] あ、すみません・・・

”思い込みたかっただけ”という言葉から、”神父様に話した話は全て彼の妄想だったかもしれない”という意味だと、勝手に勘違いしてました・・・。
うわぁ~、恥ずかしい!!
  • 2010-10-07 07:51
  • 宵乃
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[C648] >宵乃さん

いやいや、こちらこそ書き方がまずくてすみません...
でもその解釈、最高ですよ!"レクイエム"の作曲を手伝ったエピソードも、実は神の御業にほんの指先でも触れんと欲したサリエリの単なる妄想に過ぎなかった...
う~ん、この線で書き直したくなってきました(笑)!

[C650] 皆様まじめに観てらっしゃるんですね☆

お久しぶりで~す。
mardigrasさんの記事を読んでとても・とても満足いたしました。
この映画・・こんな風にみたら良いんですね。

冒頭から誘われる曲でしたね。(21?・25?)
我が家の子猫達のどの線に触れたのか・・・。
A線でしょうかねぇ~。
もう・・笑いっぱなし
二方にひっかき回されてしまいました。

しばらく
チビニャン達の要望で
この映画で流れた曲ぱかり聴く事に・・・。
レクイエム・・もうこりごりです。(笑)
  • 2010-10-09 03:14
  • harunayamanekoーmama
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[C651] >harunayamanekoーmamaさん

お久しぶりです!

>mardigrasさんの記事を読んでとても・とても満足いたしました...
いつもいつも読んでいただいてありがとうございます!こんな風にみたら...なんてとんでもない、あくまで私が引っ掛かったのがこんなところ(嫉妬だとか胸だとか)、ということで(笑)。

>冒頭から誘われる曲でしたね...
冒頭からぐっと掴まれますよねぇ~!あれは25番でしょうか。この映画の音楽を選ぶ作業はより取り見取りで楽しかったでしょうね~。
この映画、いつもつい深刻に観ちゃってるんですが、でも一歩下がって眺めれば、もしかすると喜劇なのかもしれませんね。。。

>しばらく チビニャン達の要望で この映画で流れた曲ぱかり聴く事に...
モーツァルトは人間だけでなく猫ちゃんたちにも受けがいいんですねぇ!しかも哀しくて重い曲も好きだとは。彼らもたそがれたいときがあったりするのかもしれませんね!?

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[C653]

お久しぶりです。
もうイラストには何も言う事はありません。
おっと、私の落書きには触れないで下さい!(*^_^*)
記事を読ませて頂き、よ~く分かります、サリエリの気持ちが。
何故って?
それは、mardigrasさんのイラストに嫉妬する私が重なるからです!!!
勿論ジョークですが、
あながち冗談に聞こえない所が自分でも怖い…。
お忙しいのに、今回もご苦労様でした。
本当はmardigrasさんのイラストをもっと拝見したいといつも思ってます。

  • 2010-10-11 01:25
  • ロッカリア
  • URL
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[C654] >ロッカリアさん

こんにちは、お久しぶりです!
今回はさすがな作品チョイスをありがとうございました。とても楽しかったです。
しかも存在さえ知らなかったディレクターズ・カットが観れて、思いがけず得した気分です。

イラストは、、、ははは、またまた褒め殺しを(でも嬉しい。笑)。
そういうロッカリアさんのサリエリも味があって素晴らしいじゃないですか!
この前、手描きに手を染めたのですが、そもそもあれはロッカリアさんの影響もあるんですよ~。

ロッカリアさんこそお忙しいのに、素敵な機会をつくってくださってありがとうございました!

[C657] おはようございます☆

「アマデウス」の記事からもうすぐひと月になりそうですね・・・mardigrasさんのイラストと記事を楽しみにして待っています☆ (ご無理のないようにお願いします)

ところで、今月も「ブログ DE ロードショー」 のご案内に参りました。

作品名:『遠い空の向こうに』 
(1999年・アメリカ製作作品 監督はジョシア・ジョンストン)です。

今月の、この作品を選んでくださったのは、 「ピエロと魔女 」 の たそがれピエロさんです。
(たそがれピエロさんは、この企画に第6回目から参加して下さっています☆)

選んで下さった理由は

選定理由

1・実話に基づいている映画で一番好きだから。
2・いつ観ても夢と希望を持てる映画だから。
3・(たそがれピエロさんご自身が)理系へ進むきっかけになった映画だから。
4・時季的にもちょうど良かったので。

 ・・・との事です。

鑑賞日は11月5日(金)~7日(日)の三日間です。
(お忙しくてご都合の悪い場合は後日でも結構ですよ~!)
(この日程より早めには見ないでね☆)

是非、皆さんと、一緒の時期に、同じ映画を見て、ワイワイ言い合いたいと思います。
(感想・レビューは強制ではありません)

この作品DVDは、まぁまぁ多くのレンタル屋さんに、あると思います。
ご一緒に楽しみましょう~♪
  • 2010-10-29 07:38
  • miri
  • URL
  • 編集

[C659] >miriさん

こんにちは、
ブログの更新が、すっかり月イチペースになってしまいました(トホホ)...

お誘いありがとうございます。この映画、タイトルさえ知りませんでした。
ぜひ参加させていただきますね~。

[C662] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C669]

 はじめておじゃまいたします。

『アマデウス』のディレクターズカット版はぼくも見ました。モーツァルトが街をワインをラッパ飲みしながら歩いている場面があって、はじめて劇場で見たときに、前後のつながりが「?」だったのですが、ようやく理解できました。

 あの前に成金趣味丸出しの野卑な金持ちの、音痴の娘の家庭教師の仕事をモーツァルトが投げ出す場面がありましたよね。あのワインはその屋敷からいただいてきたものだったんですね(笑)。音楽の才能以外、常識も品の良さもまるで持ち合わせていない男の、ある種の可愛らしさみたいなものを感じました。

 それにしても、この映画は凄かったですね。サリエリのモーツァルトに寄せる思いは、愛憎せめぎあい、ちょっと同性愛に似た匂いも感じたりします。美少年(あくまでも観念の上で)と、彼の才能に恋焦がれるおじさんの恋物語ですね(笑)。奥さんを侮辱する場面もあるいは嫉妬のなせる業か、なんて思ったりもします。半分くらいは冗談ですが。

 現実の歴史では、モーツァルトの才能は当時あまり理解されていなかったようです。あの巨才を理解するには受け手の側にもそれなりの眼力、観賞力が要求された。少なくとも主たるマーケットであった貴族社会において、モーツァルトはある時期から急速に人気を失っていきます。

 具体的な理由は省きますがひとつだけ、彼の才能が暴走をはじめ、楽曲が高度になりすぎたということもその理由にあったようです。映画のなかでサリエリが作曲した曲を皇帝がこれ以上はないというほどへたくそに弾く場面がありましたが、ようするにマーケットの貴族たちにも演奏可能な曲であることが、売れるための重要な要素だったようです。

 ようするに我らがアマデウスの曲はもはや素人の手に負えるようなものではなくなったということなのでしょう。いつの時代もマーケットを無視して商売は成り立ちませんから、必然的にモーツァルトは経済的に苦しくなって行ったということなのでしょう。サリエリはそのあたりのことが実にわかっていた人だったようでもあります。

 ただ、これはあくまでも現実の歴史の話しですので、映画的に再構成された歴史上の二人の葛藤は実に見応えがありました。わが日本でどうしてこんな映画ができないのか、誠に残念です。

 長々と書いてしまいました。もうしわけありません。素晴らしいイラストと映画紹介、今後も期待しています。頑張ってください。では、また――。
  • 2010-11-04 16:42
  • le_gitan
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[C673] >le_gitanさん

こんにちは、拙記事にコメントいただいてとても嬉しいです。ありがとうございます!

モーツァルトが街をワインをラッパ飲みしながら歩いている場面、、、言われて気づきましたが、あそこも確かに、ディレクターズ・カットではじめて繋がった場面ですね!コンスタンツェのサリエリに対する敵意だとか、このディレクターズ・カット版には、なんとなく喉元に引っ掛かっていたものが、すとんと落ちるような快感もあったように思います。

考えてみると、ディレクターズ・カットと呼ばれるものを観て、その尺がオリジナルよりも長くなっていようと短くなっていようと、あるいはその解釈すら変わってしまっていようと、がっかりしたことってあまりないないような気がします。いっそ初めから監督の好きなように編集させてあげればいいのに、と思ったりもしますが、でもそうすると、それこそ監督が天才肌だったりすると、観客の理解できないレベルに"暴走"してしまったりすることがあるのかもしれないですね...

サリエリのモーツァルトに寄せる思い、、、モーツァルトの音楽に耳を傾けるサリエリは、相当うっとりしてましたね(笑)。それに最後、レクイエムを譜面に書きとっているときの無我夢中のサリエリは本当に幸せそうでした。そして言われてみると、モーツァルトの部屋で寝ていたところをコンスタンツェに見つかったサリエリの周章狼狽の表情は、奥さんの留守中に旦那の寝室にいるところを見つかった愛人みたい、、、だったような気がしてきました(笑)。

受け手の側にもそれなりの眼力、観賞力が要求された、、、そういうことなんでしょうねぇ。ちょっと話がずれるかもしれませんが、つい先日、橋本忍の本を読んだところ、その中に、黒澤明は「影武者」あたりを境に職人から芸術家になってしまった、というようことが書かれていました。マーケットの志向にかかずらわず、ひたすら映画作家としての自分の理想を追求しだした、というようなニュアンスだったと思いますが、「赤ひげ」以降の作品の面白さがいまひとつ理解できない身としては、妙に納得してしまったところがあります。「アマデウス」で言えば、要するに私の映画を見る目は皇帝くらい(いや、もっと下か?)なのかもしれない、、、なんてことを、今ふと思いました(笑)。

歴史上の人物を使って史実と異なるドラマを作るのはぜんぜんありだと思うのですが、でもTSU○AYAにビデオを借りに行ってあらゆるジャンルの棚を探しまくり、結局、"伝記"という棚に並んでいる見つけたときは、いかがなものかと思いました...

こちらからも、またそのうちお邪魔させていただきます。
ありがとうございました!
  • 2010-11-05 02:12
  • mardigras
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[C1025] 勝てない相手には嫉妬するな

久々にコメントさせてください.大好きな映画なので.
この映画,タイトル通りですが,天才と何とかは紙一重ということ,もう一つは神には(例えば職場に絶対に勝てない,勝てそうもない相手がいるはずです)嫉妬するなということだと思います.徳川家康の言葉,「上を見るな,身の程を知れ」ということですかね.
トム・ハルスの天真爛漫な笑い声,終始苦虫噛み潰したような顔をしたF・M・エイブラハムとの対比….凡人は多くを望んではいけないのでしょう,それが分かるのは,偉大な人間にあった時なのでしょう.現在にも通じますよね.

ところで….この映画の有名なシーン,モーツァルトを皇帝が迎えるところで,サリエリが歓迎用に作った曲を,皇帝自ら演奏する,そして「一度聞けば覚えた」と言ったモーツァルトがそのままスラスラ弾いてそして見事に即興アレンジするシーンがありますよね.あの音楽,モーツァルトのオペラの「フィガロの結婚」にそのまま使われているんですが…(もちろん劇中のアレンジバージョン).元はサリエリ作曲ということ?少し調べても分からないことので,管理人さんご存知でしたら教えてください.
ちなみに,Director's cutのコンスタンツェの枕営業(下品な表現ですいません)のシーンは,私は否定派です.
  • 2013-04-09 23:42
  • きるごあ
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[C1051] >きるごあさん

コメントありがとうございます。
ここのところすっかりブログを留守にしておりまして、ご返事が遅くなってしまいすみません。

おっしゃるとおり、なにごとであれ身の程をわきまえる、あるいは足ることを知るということこそ、心の平和と幸せの鍵だと思います。とはいえ身の程をわきまえずにめらめらと燃やす嫉妬の炎が何か前向きな原動力になることもあるわけで、ときには嫉妬もまたよきかなと思ったりもします。

サリエリの曲のアレンジ、、、すみません、そもそもそれがオペラの場面で使われているということすら気づいていませんでした。再見する機会があったら、チェックしてみたいと思います。。。

初見の際、モーツァルトが息を引き取る場面でのコンスタンツェとサリエリの間に流れる空気に違和感を覚えた記憶がずっと残っていて、ディレクターズ・カットを観て初めて、なるほどそういうことだったのかととても腑に落ちたので、、、私はディレクターズ・カット肯定派です。
  • 2013-06-16 01:37
  • Mardigras
  • URL
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[C1059] 補足します

連投します.
ちょっと言葉足らずでした.サリエリ作曲のアレンジバージョンは,本物の「フィガロの結婚」の中(始まって30分辺り)で使われている,という意味です.この「アマデウス」の映画の中にはそのような描写はありませんので,念のため.
もう一つ思い出しましたが,映画の終盤で大衆向け娯楽オペラの中に登場する,いわゆるdwarfは,なんとスターウォーズのR2D2の中に入っているケニー・ベイカーなんですよね,びっくりしました.
  • 2013-07-03 22:47
  • きるごあ
  • URL
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[C1061] >きるごあさん

ああなるほど、そうなのですね。。。きっと作劇のあそびなんでしょうね。
そもそも「フィガロの結婚」を通しで聴いたことが一度もないのですが、この際だから聴いてみようかと思います。
  • 2013-07-11 06:55
  • Mardigras
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