
「劔岳 点の記」ではありません、念のため。
先月半ば、三泊四日の小屋泊で、紅葉真っ盛りの北アルプスを歩いてきました。ルートは上高地から槍沢を詰め、槍ヶ岳から大キレットを経て北穂高岳に稜線を辿り、北穂南稜から涸沢経由で上高地に下山する、全長約40kmの縦走コース。そんなわけで今回は、映画とまったく関係ない、山行日記と探鳥日記を併せたような記事でございます(あっ、お帰りにないで...)。
ちなみにイラストは、北アルプスの山岳映像が実に美しい「劔岳 点の記」(2009)より、日本山岳会の創設者にして日本のアルピニストの草分け、小島烏水を演じた仲村トオル。映画には、槍ヶ岳がちらりと映る場面がいくつかあって、さらに烏水は1902年8月、民間の日本人登山家として槍ヶ岳に初登頂した人物だったりもして、今回の記事とまったく縁がないわけでもなかったりするのです(こじつけ)。
というわけで以下、タイトルの駄洒落のためだけに、無理やり十の章に分けた山歩きの記録。山(と鳥)に興味のある方もない方も、どうぞ錦秋の北アルプスをご堪能あれ!
一の記: ビバ!山歩き
三十代も半ばとなった頃から山歩きが好きになり、年に数回、夏または秋の歩きやすい(雪のない)季節限定で、近郊の奥多摩を中心に、あちこちの山へと足を運ぶようになりました。たとえば冷たくてうまい水、稜線を吹き抜ける風、気持ちがすかっとする雄大な景色(そして平地にはいない鳥との出会い)、とその楽しみはいろいろですが、しかしなんといっても、自分の足だけを頼りに、一歩一歩踏みしめながら頂上に辿り着くことに、とかくゴールの見えずらい日々の暮らしの中ではなかなか味わうことのできない充実感や高揚感、そして(誤解を恐れずにいえば、お手軽でわかりやすい)達成感があったりします。
山歩き中毒は、年を経るごとに高まる一方で、2年前の夏あたりにはほぼ毎週、どこかの山に出かけるまでに熱が嵩じていたのですが、ところが日帰りで富士山に登ったのをきっかけに、二十年来の持病だった腰椎椎間板ヘルニアが悪化してしまい、山歩きどころか立ち上がることすらできなくなってしまいました。以来2カ月間、坐骨神経痛を併発して、痛みは日増しに激しくなるばかり。やがてブロック注射もまったく効かなくなり、あまりの苦しみに手術を受けたところ、まるでウソのように痛みが消えたのはよかったのですが、しかし我慢しすぎたせいか足の神経がひどく傷ついてしまい、右足首に鈍い痺れが残ってしまいました。神経の傷の治癒は1日1mm...と医者に言われ、以来、山歩きや激しい運動を自粛していたのですが(その代わりブログを始めた)、あれからようやく2年、いまだ足首に違和感があるものの、これならなんとかなりそう、というくらいにまで快復し、となるともう、いてもたってもいられなくなってきました。
二の記: 準備山行でへたばる(奥多摩 鷹巣山)
さて、どこへ行こう?となると、なんといっても心に浮かぶのは、腰を悪くする直前の夏、立山三山を縦走した折に浄土山から遠望した槍ヶ岳と穂高の山々、そして別山から仰望した劔岳...どちらも山容が素晴らしく、またコースもチャレンジングで、いずれ治ったらこのどちらかへ...と心に思い描いていました。そんなわけでしばし悩んだ末、東京からのアプローチの便利さを考えて、やや難易度は上がるものの、槍・穂高連峰を縦走することに決めました。

立山の浄土山から槍・穂高連峰を遠望(2008年8月)。
とりあえずの行き先が決まり、となると次は、本当になんとかなりそうか、どこかで自分の身体を試してみなければ...ということで9月の下旬、好天の日を選び、少々重めの荷物を背負って、奥多摩へ訓練に出かけました。本番を念頭に、ルートは奥多摩でもっとも急登とされる稲村尾根から鷹巣山に登り(距離3,000mで標高差1,200mの鉄砲登り)、石尾根縦走路をだらだらと奥多摩駅まで下る、体力勝負コース。
で、いざ歩きはじめてみたところ...心底びっくりしてしまいました、己の体力の衰えっぷりに。考えてみればこの2年、運動らしい運動をしておらず、さらに久々の山歩きでうまくペースを掴むことができず、もう最初の1時間でバテバテ。結局、稲村尾根を登りきるのに5時間近くもかかってしまい(登山地図の標準コースタイムは3時間)、山頂で大休止したのち、ふらふらになりながら石尾根を辿り、なんとか奥多摩駅に辿り着いたときには、ヘッドランプの必要な時間になっていました。
とまあ、あまりに情けない準備山行となってしまったのですが、問題をはっきりさせるのが準備の準備たるゆえん、というわけで、そもそも上高地から槍ヶ岳まで一気に登るつもりだったのを諦め、途中、槍沢ロッジで一泊することに。また槍から奥穂・前穂まで歩くつもりでいたのもやめて、その手前の北穂止まりで下山することとしました。
また、奥多摩で明らかになった問題点がもうひとつ。疲れが貯まってくると、右足首の可動域が狭くなるというか、動きが鈍くなるというか、下山途中に何度も、右のつま先を木の根に引っ掛けたり石にぶつけてしまったのですね。ガレ場や岩稜歩きがメインとなる本番では、ちょっとの蹴躓きが大事故に繋がりかねず、そんなわけでこの際、どこか岩場のあるコースも歩いておくか...と思ったのですが時間切れ、10月ともなると3,000m級の山々は一気に冷え込み、稜線では既に初雪が降った模様。早くしないと来年までお預けになってしまう...というわけで、天気予報とにらめっこしつつ、3、4日は大崩れしなさそうなタイミングの連休明け、夜行バスで東京を出発し、一路、上高地へと向かいました。
三の記: 樹林帯のバード・ウォッチング(東京~上高地~槍沢ロッジ)
夜行バスを使ったのは、マイカー利用(+沢渡からシャトルバス)を別とすれば、それが前泊なしに朝イチで上高地入りできる、唯一の交通手段だったからです(23時に新宿出発、6時に上高地着)。ところが誤算だったのは、車中、ほんの2時間くらいしか眠れなかったこと。途中休憩が多すぎて、ウトウトしては目が覚めるの繰り返し。こうして、上高地(標高1,505m)に着いた瞬間から疲れきっていたのですが、初日の行程は標高差にして300m、ほぼ平坦なアプローチを延々14kmを歩くだけなので問題なし。とりあえず、バスターミナルのベンチで持参した食事を済ませ、登山計画書を届出ポストに投函し、水場で水を汲み、踵にキズパワーパッドを貼り、ウールのシャツを着込み、そして入念に準備運動して、いざ行動開始。

梓川に架かる河童橋と奥穂高岳。
梓川に沿って歩き始めると、さっそく、清流の浅瀬で採餌中のカワガラスを発見。しきりに尾を振りながら、嘴で水中の石をほじくり返していました。しばらく観察していると、遊歩道にキジバトが姿を現し、また笹薮の中からはジッジッという鳴き声。ウグイスか、それともミソサザイでしょうか。河童橋まで来ると、今度はマガモのエクリプス(繁殖期後に換羽して雌のような羽色になった雄)が数羽、梓川の速い流れにくるくると身を任せていて、またオシドリも居ついていると聞いていたのですが、残念ながら、今回は観られず。でもまあ、この際オシドリなんかどうでもいいというか、河童橋から北を見やれば奥穂高岳から吊尾根、そして前穂高岳が威風堂々と聳え立ち、南を振り返れば焼岳が朝日に輝いて、雲間にのぞく青空と凛と澄み切った空気に、山に来た喜びがじわじわと湧いてきました。

河童橋より焼岳を望む。
双眼鏡を片手に樹林帯を歩いていくと、やがて小梨平の手前の林縁にメボソムシクイが出現。また林の奥からアカゲラの鳴き声が聞こえてきました。さらに先へ進むと、かしましい鳴き声とともに、平地では見かけることのないコガラの群れが頭上にやってきました。と思ううち、目の前の樹に小さな鳥が止まり、ツツツと縦に走り登っていきました。今回の山旅で見たいと思っていた鳥、キバシリです(初見)。やっほーい!
とまあ、そんな感じで3kmの道のりを1時間半かけ、明神に到着。梓川に架かる明神橋を渡り、穂高神社奥宮に寄り道して登山の安全を祈願。明神館前に戻り、ベンチで一休みしていると、コガラがしきりと飛んできてはカラ松の実を啄ばんで、よく見るとゴジュウカラも混じっています。と、頭上の樹をちょこちょこと登っていくのは小さなキツツキ、コゲラ。林の奥からまたもやアカゲラの鳴き声が聞こえましたが、姿は見えず。その代わり、枝陰に見え隠れするやや大型の鳥が二羽。渡りの途中であろうマミチャジナイでした。
その後、エナガの大群団と遭遇したり、野猿とすれ違ったりしながら(猿は山道を向こうからやってきて、文字通りすれ違った)、林道をなおも進み、やがて9時半ごろ、徳沢に到着。徳沢にある徳沢園は、井上靖の名作「氷壁」に登場する徳沢小屋のモデルとなった山宿で(映画化(1958年)の際にはロケ地として使われたそうですが、未見)、木立の中に佇むその閑静な風情には、いかにもエレガントで洗練された趣があります。泊まってみたいと思いながらも今回は行程にうまくはめることができず、断念。

「氷壁」の舞台、徳沢園。
梓川の岸辺でキセキレイを見かけ、また遥か頭上を樹から樹へと飛び移るカケスのシルエットを眺めたりしながら、樹林帯をさらに歩くこと1時間、左手に巨大な岩壁のそそり立つ屏風岩が見えてくると、ようやく横尾に到着。横尾は、槍、穂高そして蝶ヶ岳に至る三つの登山道が分岐する交通の要衝で、三連休後の平日にも関わらず、それぞれのルートをこれから登る人たち、あるいは下山してきた人たちで賑わっていました。空はすっかり晴れ上がり、横尾大橋から振り返ってみれば、前穂の東稜が青空をバックにギザギザを描いていました。往路は橋を尻目に北へ北へと槍沢沿いに登っていきますが、順調に行けば、三日後にはこの橋の向こう、西から横尾へと戻ってくる予定です。横尾山荘で、少し早い昼食。このルートは山小屋がところどころにあって、食事はむろん、いざというときの避難先として心強いものがあります。

横尾から前穂高岳を望む。
1時間近く休憩し、槍沢沿いのルートを一路、槍沢ロッジへ。ここからいよいよ道も細くなり、また緩やかながらも傾斜が始まり、いかにも深山の気配が色濃くなってきました。山道からはウソのように人影が途絶え、横尾の賑わいは、そのほとんどが、どうやら涸沢の紅葉を見に行く(あるいはその帰りの)人たちだったようです。三日後には自分も眺めることができるはずの、日本一とも評される山岳の紅葉風景を楽しみに、沢沿いの道をてくてく辿っていきました。
林の中にルリビタキの幼鳥を見つけたり、また鳴き声だけは始終耳にしていたシジュウカラの姿を初めて目にしたりするうち、槍見沢を通過。上高地から約12km、ここに至ってようやく、樹の間に槍ヶ岳の尖峰をちらりと拝むことができましたが、そのサイズはまだほんの小指の先くらい。いやはやまだまだ道遥か。
四の記: 槍沢ロッジ
強い日差しに汗だくとなり、途中、一ノ俣沢に架かる橋の袂でしばし休憩。ウールのシャツを脱ぎ、清流の冷たい水に浸したタオルの心地よさに思わず唸り声が出ました。その後、徐々に傾斜を増し始めた(とはいえまだまだ緩い)槍沢左岸の道を辿り、山肌に次第に赤や黄に熟した枯葉色が目立つようになってきた頃、この日の宿、槍沢ロッジ(1,820m)に到着。時刻はまだ14時前でした。ロッジ周辺には鳥影が薄く、もう少し、じっくりゆっくり鳥を探しながら歩いてもよかったようです。ザックを降ろして宿泊手続きを済ませ、なにはともあれ缶ビールで渇いた喉を潤しながら、しばし外のベンチで憩いのひととき。この、一日の行程の終わりに味わうビールのひとくち目が、山歩きの堪らない楽しみだったりします。

槍沢ロッジから樹間に槍の穂先を垣間見る。
ロッジの前庭からは、槍見沢から望見したのよりほんの心もち大きさを増した槍の穂先が垣間見え、翌日のお楽しみに心が躍りました。ここまでの道は、ほぼ平坦だったこともあり、これまでのところ、右足も問題なければ体力的にも問題なし。翌日の本格的な登りに備え、ストレッチを入念に済ませ、夕食まで読書でもと思いながら、かいこ棚(二段ベッド)に寝っ転がって本をぱらぱらと捲っているうち、睡眠不足だったせいか、いつの間にかうたた寝をしてしまいました。混雑のピーク、10月の三連休の後だけあって、さすがに客は少ないらしく(連休が終わると営業を終える山小屋も多い)、上の棚に上がってきたのは、私以外に一人きり。六畳のスペースに、たった二人という優雅さでした(三連休の間は、ひとつの布団を三人でシェアしたらしい)。
山小屋は夜も朝も早く、夕食は17時から。食事の席で、たまたま同じテーブルについたのが、私と同じく東京から来たというKさんとIさん(お二人とも七十過ぎ、とのちのち知ったのですが、とてもそうは見えない若々しさ)、それに三重から来た、私と同年輩のYさん。全員、当然ながら目的地は槍ヶ岳で、その後はKさんとIさんが南岳から天狗原経由で下山予定、Yさんは私と同様、北穂まで行く予定とのこと。翌日以降の道中、このお三方とは何度も顔を合わせ、しばし山のお付き合いをさせていただくことになりました。
五の記: 氷河公園の逆さ槍(槍沢ロッジ~天狗池)
翌朝は5時起床、5時半朝食、6時半出発。樹間からのぞく槍の穂先がモルゲンロートに染まり、なんとも神々しい。この日の行程は、沿面距離で6km、標高差にして1,360m。20人ほどいた宿泊客の中で、私が最後の出発でした。単独行なので、(万が一の遭難を考えて)しんがりはなるべく避けたいところですが、日の出は6時、早過ぎれば薄暗くて鳥の姿が見えずらく、また前後に人がいると、これまた鳥が出てこない。というわけで、日がすっかり昇りきり、あらかた人の出立した後から間を開けて歩き始めたのですが、そろそろ樹林帯の木々も低木へと変わり始めたせいか、時折コガラやシジュウカラが現われるくらいで、鳥影がめっきり薄くなってしまいました。

ババ平から槍沢と東鎌尾根を望む。
30分ほど歩き、テント場のあるババ平に到着。ここまで来ると視界が一気に開け、氷河の削ったU字谷(カール)の雄大な景観が、雲ひとつない紺碧の空を背景に、どーんと広がりました。標高2,000m。槍沢の木々はもうすっかり色づいて、暖色の見事なグラデーションを描いていました。いいぞ、いいぞ!

標高2,100m付近から、槍沢に広がる紅葉と大喰岳、中岳の稜線を眺める。
凛とした空気と錦秋の山岳風景を堪能しつつ、徐々に高度を稼いでいきました。藪の中にウグイスを見つけ、またこんな高山にもいるんだなあというカワラヒワ、そしてハイマツの上を飛ぶカヤクグリを見たりしながら、岩屑が転がるつづら折れの道を辿ること2時間少々、ようやく天狗原分岐(2,348m)に到着しました。
ここから槍ヶ岳へのルートを外れ、標高差にして200mあまり、U字谷を800mほど南へトラバースした先に、氷河公園の別名を持つ小さな台地、天狗原があります。好天&体力に余裕があれば寄り道していくつもりでしたが、まったく問題なさそうだったので、迷わず足を向けることに。ガレた道を緩やかに登っていくと、やがて東鎌尾根の陰から、槍ヶ岳のごつごつとした尖峰が姿を現し始めました。槍沢のカールと真っ赤に錆びたななかまど越しに仰ぐ、蒼天に突き刺さるかのような槍の威容。そして見下ろせば、U字谷いっぱいにじゅうたんを敷き詰めたかのような紅葉。上を見ても下を見ても美すぎる景観に、もううっとりしっぱなし。ああ、来てよかった!

標高2,400m付近から槍ヶ岳を望む。

標高2,400m付近から槍沢を振り返る。
絶景に目を奪われつつ、ガレ場の道を辿ること40分。巨岩の積み重なる岩場の底に、可愛らしい池が見えてきました。8月も中旬を過ぎ、池を覆う残雪が消えると、風のない穏やかな日には水面に槍ヶ岳が逆さに映るという、天狗池です。池を見下ろす岩場の低木で、ルリビタキの雌が気持ちよさそうに喉を震わせていました。逸る気持ちを抑えながら岩場を下り、池のほとりをぐるりと回り込んで覗いてみれば、おお、コバルトブルーの水面に、逆さになった槍の穂先とたなびく真っ白な雲が、まこと見事に映り込んでいるではありませんか。その静謐で神秘的な美しさは、畏れを感じさせるというか、もうほとんど怖いくらい。これぞ、まさに天上の楽園。

天狗池に映る逆さ槍。写真右端に延びるジグザグが槍ヶ岳への登山道。
池の周りには、本職のカメラマンを含む数名の先行者がいて、しきりにシャッターを切っていました。Yさんも先着していて、二人して景色に見惚れていると、やがてKさんとIさんが、Oさんと一緒にやってきました。Oさんは、福岡から来た御歳72歳の方で、65歳から山登りを始め、毎年1、2回、それぞれ1ヶ月ほど北アルプスや南アルプスに足を運んでは、まとめて山歩きを楽しんでいるとのこと。今回も9月の半ばに入山し、既に剱岳、それに唐松岳から白馬岳の後立山連峰、さらには八ヶ岳に登り、また北アルプスにとって返して槍を目指しているそうで、まったくおそるべきバイタリティです。
あまりの絶景に立ち去りがたく、昼時には少し早かったのですが、岩に腰掛け、ロッジで用意してもらった、ちらし寿司の弁当を半分食べることにしました。こんなところで食べればなんでもうまいものですが、この弁当は掛け値なしの美味で、幸せな気分を倍増しにしてくれました。Iさんたちが去ったのちも池のほとりに留まり、11時近くまでのんびり過ごしたところで、名残惜しくも御輿を上げました。それにしても、カールの底から見上げた槍ヶ岳はホント、信じられないほどにフォトジェニック。というわけで、思わず似たような写真を何枚も撮りまくってしまいました。

標高2,400m付近から槍ヶ岳を望む。
六の記: 槍ヶ岳(天狗池~槍ヶ岳~槍ヶ岳山荘)
天狗原分岐まで戻り、槍への登山道に復帰。槍沢の源頭に向かって、黙々と急斜面を詰めていきました。やがて先行していたKさん、Iさん、Oさんと出会い、またしばらく行くと、Yさんが槍沢を見下ろす大岩の上で、弁当をつかっていました。さらに1時間ほど登った、ハイマツ帯の岩場に湧き出た冷たい水で喉を潤していると、Kさんたち三人が追いついてきて、合流。すこし先の東鎌尾根との分岐で平坦な場所を見つけ、一緒に昼食をとることにしました。IさんとKさんがコンロを持参していて、ありがたや、味噌汁をご馳走になってしまいました。
このあたりの標高は2,660m、既に森林限界を越えていました。いつしか湧き出したうろこ雲が、"悲しいまでにひとり天を指している"(深田久弥著「日本百名山」)槍ヶ岳の峻峰に向かって、音もなくたなびいていました。ああ、高山の秋。

標高2660m付近から槍ヶ岳を望む。
13時前、食事を終えて、お三方とともに出発。ほんの少し登ったところに、播隆窟(ばんりゅうくつ)がありました(2,690m)。文政11年(1828年)に槍ヶ岳を開山したと伝えられる念仏僧、播隆上人が登山のたびに篭ったとされる、天然自然の岩屋です。この、播隆上人による槍ヶ岳開山の艱難辛苦を描いた小説が、新田次郎の「槍ヶ岳開山」。どれもこれもが面白い新田次郎の山岳小説にあって、私にとっては「孤高の人」、「剱岳 点の記」と並ぶお気に入りの一冊です。こうして播隆窟を直に見ることができて、大感激。狭い入り口から薄暗い窟内に入ってみると、想像以上に奥行きがあって広く、心なしかほのかなぬくもりさえ感じさせるその空間は、まるで堅牢な大岩で作られた胎内のようでした。居心地はともかく、外界の風雪を遮断して、さぞや安心感があったことでしょう。

播隆窟から槍ヶ岳を仰望する。
とまあ、そんな感じで道草を食いつつも、一歩一歩、着実に高度を稼いでいきました。槍ヶ岳周辺で最も古い山小屋、殺生ヒュッテ(2,860m)を横目に眺めながら、つづら折れの道をさらに登り、東鎌尾根との分岐を通過。振り返ってみれば、2年前、富士山の翌週に登る予定だったピラミダルな山容の常念岳(2,857m)は、もう既に、目線の下方にありました。

東鎌尾根との分岐から常念岳を望む。眼下の赤屋根は殺生ヒュッテ。
そして14時30分、槍の肩に立つ槍ヶ岳山荘(3,086m)に到着。宿泊手続きを済ませ、部屋にザックを降ろして再び外へ出ました。オコジョが、ちょろちょろと岩場の陰を横切っていくのが見えました。見上げると、槍の穂先にはいつの間にやらガスがかかっていて、先着していたYさんがロッジのテラスに腰掛け、登頂するかどうかタイミングを見計らっていましたが、"迷わず行けよ、行けばわかるさ"ということで、私はとにかく登ってみることにします。
槍の岩壁に取り付き、右足に注意を払いつつ、浮石に気をつけながら、一歩一歩、攀じ登っていきます。しばらくして振り返ってみると、豆粒のようなKさん、Iさん、Oさん、それにYさんがやってくるのが見えました。小槍と呼ばれる剣呑な尖峰の横を過ぎ、鎖場を抜け、鉄梯子を登り、山荘から歩き出して約20分、ようやく北アルプスの象徴にして日本で五番目に高い山、大槍こと槍ヶ岳の頂上(3,180m)を踏みしめました。
山頂に人影はなく、贅沢にも独り占めでした。岩場の先端に奉られた小さな祠に合掌し、周囲を見渡せば、遥か下方、ガスの切れ目にうねうねと延びる西鎌尾根や北鎌尾根が見え、また北東の方角には大天井岳(2,921m)が頭をのぞかせていました。360度パノラマとはいかないながら、天狗池の景観やら何やらで今日はもうお腹いっぱい!というわけで、岩に腰掛け、至福の一服をくゆらせつつ、登頂の歓びと感動をしみじみ味わっていると、そこへYさんたちが登ってきました。

槍ヶ岳山頂。写真中央のピークは水晶岳。
歓声を上げつつ、全員で喜びを分かち合っていると、なんとラッキー、この時間帯には珍しく、みるみるうちにガスが晴れていきました。北をのぞめば三俣蓮華岳(2,841m)に薬師岳(2,926m)、鷲羽岳(2,924m)に水晶岳(2,986m)、野口五郎岳(2,924m)の連なりが見え、西にはどっしりとした笠ヶ岳(2,897m)、そして南に目をやれば、120m眼下に槍ヶ岳山荘の赤い屋根、またその遥か向こうには、翌日辿る予定の大切戸(キレット)と穂高連峰を一望のもとに見渡すことができました。

槍ヶ岳山頂から槍ヶ岳山荘を見下ろす(標高差120m)。
と、東を眺めていたYさんが突然、「ブロッケンだ!」と叫び声を上げました。一同慌てて目を向けると、真っ白いガスのスクリーンに黒々とした槍の影が浮かび、その周りに微かながら、虹のような七色の光の輪ができていました。播隆上人も見たという、槍ヶ岳のブロッケン現象。この目で見たのは初めてで(写真を撮ったのですが、なんだろうこのガスの写真、と帰りの電車でうかつにも削除してしまった)しかしそれにしても、怖いくらい、幸運に恵まれた一日です。

槍ヶ岳山頂から大喰岳、中岳、穂高連峰を遠望。
山頂には1時間近くいたでしょうか。混雑のピークには、順番待ちの長い列ができるそうですが、この日は後から登ってくる人もなく、貸し切りで思う存分、大展望を満喫することができました。
山小屋へと戻り、翌日に備えてストレッチを入念に行ったのち、ビール。そして夕食の席でもビール。7時頃まで談話室でKさん、Iさんたちと山の話で盛り上がり、就寝前の一服、喫煙スペースに立ち寄ると、壁に「劔岳 点の記」のポスターを見つけました。木村監督が、昨年、今年と槍ヶ岳に登ったらしく、ポスターには署名ととともに、槍もすばらしい!という一文が、黒マジックで大書されていました(笑)。
北アの十字路に建つ槍ヶ岳山荘も、さすがにこの日の宿泊者は、ほんの50人程度。とはいえ、六畳の部屋に、しっかり六人詰め込まれ、窮屈といえば、まあちょっと窮屈。しかしそれにしても、山に来るとなぜか、一日が長い(同じ遊びでも、釣りをしているときの時間感覚とはまったく逆)。前日の出来事がもう、遥か遠い昔のことのように思えます。
七の記: 標高3000mの雲上散歩(槍ヶ岳山荘~南岳)
日の出を拝むべく、5時45分に起床。外気温0度、さすがに肌寒い。表に出ると、東の空一面に浮かぶ雲海に朝日が煌々と照り輝いて、まごうかたなき好天のようです。

雲海に昇る朝日と常念岳のシルエット。
北を眺めれば、曙光に山肌を赤く染める薬師岳に鷲羽岳、そして水晶岳。ほかの山々からは、槍ヶ岳のシルエットが、さぞや美しく見えたに違いありません。

槍の肩よりモルゲンロートに染まる薬師岳に鷲羽岳、水晶岳を望む。
6時過ぎ、Kさん、Iさんと一緒に朝食。南岳から天狗原経由で下るお二人とは、ここでお別れです。

朝日に赤く染まる槍ヶ岳山荘。
幸いなことに、ここまで筋肉痛もなければバテもなく、また心配していた右足もまったく問題なし。奥多摩でひと叩きしたのが、ここにきて効いているようです。実は、この時点で少しでも体調に不安があれば、迷わず往路を引き返すつもりだったのですが、これなら大丈夫。予定通り、穂高の頂を目指すことにしました。この日の行程は、沿面距離にしてわずか5km強。累積標高差で600~700mに過ぎませんが、しかし険阻な岩場が連続し、実はこの日の行程こそが、今回の山歩きのまごうかたなきメインイベント。
7時、Kさん、Iさんに別れを告げて、槍ヶ岳山荘を出発。テント場を抜け、日本でもっとも標高の高い峠、飛騨乗越(3,020m)へと下り、今度は大喰(おおばみ)岳を目指して岩場を登り返しました。ここでようやく、お約束のイワヒバリが姿を見せ、さらにしばらく行ったところで、これまたお約束のホシガラスも登場。いずれも高山に来ると必ずといっていいほど見かける鳥ですが、逆に言えば、山を登らなければ出会えない鳥でもあります。

大喰岳から槍ヶ岳を望む。
およそ30分後、広々とした大喰岳の山頂に到着。槍・穂稜線上の地味な山ですが、高さは標高3,101m、日本第十位の堂々たる高峰です。眺望はぐるり360度、北アルプスの峰々がどこまでも連なり、まさに壮観の一言。振り返ってみれば、槍の肩越しに、遥か立山と劔岳が見えました。2年前にはあそこから、いま自分が立っているあたりを眺めたんだなあと思うと、実に感慨深いものがありました(最初の写真)。

大喰岳から槍ヶ岳を望む。槍ヶ岳山荘の左、最も奥に見える山塊が立山。その後ろに劔岳。
南に目を転じれば、穂高連峰の遥か向こうに乗鞍岳(3,026m)と木曽御嶽山(3,067m)のシルエット。乗鞍岳は5年前、御嶽山は高校1年のときに登った、初めての3,000m峰です。

大喰岳山頂より。左より前穂、北穂、涸沢岳、奥穂、西穂の穂高連峰。奥に焼岳、乗鞍岳、御嶽山。
しばし思い出に浸ったのち、大喰岳をあとにして緩やかに100mほど下り、また80mほど登り返して、8時20分、中岳山頂(3,084m)に到着。遥か東南の方角に、八ヶ岳の山塊がくっきりと見え、その先には、南アルプスの峰々が薄く浮かんでいました。よく目を凝らしてみれば、富士山の姿も。視線を遮るものの何一つない、3,000mの峰々を繋ぐ、まさに雲上の大散歩です。

中岳より遥か南アルプスを望む。
さらに南へ歩くこと1時間半、昨日訪れた天狗原へと下る、横尾尾根との分岐に到着。一服していると、Yさんがやってきました。Yさんによれば、やはり北穂まで行く予定だったOさんは、Kさん、Iさんとともに天狗原経由で下ることにしたとのこと。振り返ってみれば、槍の穂先はずいぶん遠くなり、槍から延びる東鎌尾根、そしてその遥か向こうに、後立山連峰の鹿島槍ヶ岳が見えました。近くに目を移すと、中岳を下ってくる、Kさん、Iさん、Oさんの米粒のような姿。お三方の無事の下山を心に念じつつ、先へと歩を進めました。

南岳より槍ヶ岳と東鎌尾根を望む。遥か彼方に鹿島槍ヶ岳。
ほどなくして、南岳の山頂(3,032m)に到着。槍・穂高ルートでは珍しい、猛々しさのないまろやかなピークを越えると、やがて眼下に南岳小屋が見えてきました。そしてその正面には、北穂高岳北壁の断崖絶壁が、深く切れ落ちた谷を隔て、圧倒的な迫力で聳え立っていました。目指すは、そんな北穂の山頂直下にへばりつくようにして建つ、北穂高小屋。

南岳より穂高連峰を望む。最も手前の岩峰が北穂高岳。頂上直下に北穂高小屋が見える(下の写真)。
文字通り崖っぷちに建つ北穂高小屋。
既に今シーズンの営業を終えた南岳小屋まで降りていくと、先行していたYさんが、ベンチで休憩していました。私もザックを下ろし、双眼鏡と地形図そしてストックをザックにしまい、靴紐を締め直し、(半分気休めに)アミノ酸の栄養補給。そしてYさんが出発して15分後の10時半、いよいよ大キレットへ––。
八の記: 大キレットのスリル(南岳~北穂高岳)
ピークとピークを結ぶ尾根のことを、稜線といいます。この稜線の間の低く凹んだ場所を総称してコルといい(いわゆる峠だとか乗越(のっこし)だとか鞍部だとか呼ばれる場所)、中でも特に、この凹みが深く急激に切れ込んだ場所のことを、キレット(切戸)と呼びます。
大キレットとは、南岳(3,032m)と北穂高岳(3,106m)を結ぶ、ざっくりと切れ落ちた稜線に名付けられた、国土地理院発行の地形図にも記載されている、れっきとした名称です。最低コルが2,748m、標高差にして250~350mほど切れ込んだ、急峻の痩せ尾根が約2kmにわたって続く、山歩きが好きな人なら誰でも一度は耳にしたことがあるであろう、一般登山道の中でも屈指とされる、スリル満点の大場所です。今回の山行の大目的は、槍ヶ岳に登ることでしたが、それ以上に楽しみだったのが、この、大キレット挑戦。雲行きが少しでも怪しければ、潔く諦めるつもりでしたが(とても雨の中を通過する自信と度胸はない)、幸いなことに空は快晴で、山の天気は変わりやすいとはいえ、この先3時間、どうやら問題なさそう。

下降点から大キレット、穂高連峰を眺める。
南岳小屋の先、獅子鼻と呼ばれる岩峰を巻いた西側から、いきなり比高200mほどの急傾斜の下りが始まります。一歩一歩、浮石に注意しながら、足の置き場を確認しつつ、また腰をかがめて手も使いつつ、ルンゼ状(岩壁が抉れて溝になった場所)の崩壊の激しいガレ場を慎重に下降していきました。ガレ場を抜けてさらに下り、高度感のある長いハシゴを2箇所通過して、キレットの底に降り立ったところで、ようやく一息。ここから痩せた稜線歩きが始まります。キレットの底から、ぐわりと仰ぎ見る北穂の険阻っぷりは倍増しで、これからあそこまで登り返すのか、とその高度感に頭がくらくらしました。

キレット底部から南岳南壁を振り返る。
長野と岐阜の県境ともなっている、尾根の飛騨側に付けられた岩場の道を、岩に記された白ペンキのマーキングを忠実に辿りながら、軽い登り降りを繰り返していきます。足元はしっかりしており、特に難しい道ではないものの、しかし信州側は横尾本谷、そして飛騨側は滝谷がぱっくり口を開け、わけても"飛ぶ鳥も通わぬ"といわれる滝谷たるやなるほど絶壁で、その素敵すぎる高度感に、痺れっぱなし。やがて最低コル(2,748m)を過ぎ、難所といわれる長谷川ピークへ。

長谷川ピーク(A沢のコルから30分ほど登った地点より)
滝谷から吹き上げる風が強く、まかり間違ってもバランスを崩さぬよう、まさにナイフリッジと呼ぶに相応しい、岩二つ、三つ分くらいの幅しかないスリリングな稜線を、慎重に進んでいきました。南岳→北穂のコースでは、ピーク(2,841m)を過ぎてからの下りが核心部です。信州側からナイフリッジを跨いで飛騨側へと身体を移し、クサリを伝って馬の背を降り、岩に打ち込まれた人工のステップを足掛かりにして、吸い込まれそうな谷底を見下ろしながら、岩壁をそろそろと下降。ひゃっほーっ!(アドレナリンが分泌される音)

長谷川ピークの岩壁。白いペンキの印を頼りに足場を探して下降する。
降り立った場所から15mほどトラバースし、狭い岩溝を伝い、痩せた稜線をしばらく辿ると、ようやくホッと一息、A沢のコルに到着。ザックを下ろして休めるスペースがあり、びょうびょうと風の吹き上げる滝谷を眺め下ろしながら、立ったまま昼食をとることに。槍ヶ岳山荘で用意してもらった弁当は、ちまき。日陰の寒さに震えながらガツガツ食べていると、突然、どこからかホシガラスが飛んできて、頭上10mほどの岩棚に止まりました。慌ててザックから双眼鏡を引っ張り出し、弁当を放っぽりだして、しばし観察。こんな近くでホシガラスを見ることができるなんて、ラッキー。

A沢のコルから笠ヶ岳を望む。
30分ほど休憩ののち、再びザックを背負って出発。A沢のコルからそそり立つ、浮石の多い岩壁を、マーキングを頼りにステップを探し、腕力も使いながら、ひたすら上へ上へと攀じ登っていきます。30分ほど登ったところで振り返ってみると、通過してきた長谷川ピークの姿がはっきりと見え(二つ前の写真)、その剣呑なシルエットと抜群の高度感に、改めて唸ってしまいました。そしていよいよ、通称"飛騨泣き"と呼ばれる、最後の難所。ボルトとクサリを手掛かり足掛かりにして2mほどの垂壁を乗り越え、三角柱のような岩場の信州側を、クサリとステップを伝いながら、そろりそろりと通過。

"飛騨泣き"の急所に取り付けられたクサリとステップ。足元が、100mがとこすっぱり切れ落ちている。
実は、今回のコースでいちばんビビッてたじろいだのが、この飛騨泣きを抜けた先にある、浮石だらけのガレ場の登り。足元がぐずぐずと崩れ、確実なステップを見つけられず、四つん這いのような格好でなんとか這い上がりましたが、ここを北穂→南岳の下りで通過しなければならなかったら、私には相当つらかったことでしょう。
悪場を越え、しばらく登り、やがて尾根を東に回りこむと、あとは北穂高小屋まで100mほどの急登を残すのみ。とはいえここからがまた大変で、小屋が頭上に見え隠れしているにもかかわらず、登っても登っても、なかなか辿りつかない。次第に息が切れ、いつしか太ももがぱんぱんに張ってきて、とにかく翌日の下山まで足を残しておかなくてはならないので、無理せず時間をかけ、クサリを伝い、ハシゴを越え、じりじりのろのろと攀じ登っていきました。およそ500m眼下に、さしずめ空中庭園といった趣の、可憐な北穂池が見えました。一般ルートから外れており、訪れるには技術と経験が必要な場所ですが、あんな池のほとりで風に吹かれながら、日がな一日のんびり過ごしたら、さぞかし気持ちよいことでしょう。

北穂池の紅葉。
そして14時20分、ようやく(富士山を除けば)日本でいちばん高いところにある山小屋、北穂高小屋(3,100m)に到着。登ってきたばかりの急斜面を見下ろすテラスにザックを下ろし、宿泊手続きを済ませると、なにはともあれ、テラスの椅子に腰掛けて、祝福のビール。歩いてきた稜線の方角を眺めると、いつの間にやら湧き出したガスによって、すべてが真っ白なベールに覆われていました。そんな景色を見るとはなしに眺めながら、ビールをちびちび飲んでいると、先着していたYさんがテラスにやってきました。お互い無事に辿り着いたことを喜び合い(この日、大キレットですれ違った人はほんの4人。通過者は、往路、復路を合わせ、10人に満たなかったと思われる)、コースについてああだったこうだったと話しているうち、達成感がじわじわとこみ上げてきました。
しかし考えてみれば、絶壁に掛けられたハシゴはむろん、クサリや岩に埋め込まれたボルト、またステップなしでは、到底、通過できなかっただろう箇所が多く、いやそもそも岩に記されたマーキングなしに、正しい岩壁登下降のルートを見つけることは不可能だったといってよく、しかも天候に恵まれたからこそ無事歩きとおすことができたのであって、要するに、歩いたというよりも歩かせてもらった、登ったというより登らせてもらったんだよなあ、という思いが胸をよぎりました。晴天を用意してくれた空に、道を開いてくれた先人に、道を整備してくださっている方々に、そしてなんといっても雲の上でビールを飲ませてくれる山小屋に、もうただただ感謝です。
九の記: 北穂高小屋にて
ガスが晴れないものか、としばらくテラスに佇んでいましたが、だんだん寒くなってきたので、小屋の中に撤収。あてがわれたスペースに布団を敷いて寝っ転がり、例によって入念にストレッチをしてから本を読んでいると、しばらくしてYさんが、私を呼びにやってきました。なにかと思えば、テラス直下の岩場に、ライチョウが現われたというではありませんか。
ライチョウを観る、というのは私にとって、今度の山歩きの探鳥方面における、唯一無二の大目的。2005年以来、ライチョウの棲息する山域を三たび訪れているにもかかわらず、フラれっぱなしで、今度こそ、と激しく心に期するものがあったのです。前々日、槍沢ロッジの支配人に、ライチョウの出そうな場所にどこか心当たりがないかと尋ねたところ、人出の多いこの時期、登山道近くで見かけることは難しく、見られるとすれば、天狗原か槍の肩から少し下ったあたり...と教えていただいており、実は天狗原でも槍ヶ岳でも、目を皿のようにして、ライチョウを探しながら歩いていたのでした。
そして、前日、槍ヶ岳の山頂で、遥か下方を、イワヒバリよりもずっと大きい二羽の鳥が飛ぶのを目撃したのですが...距離がありすぎ、しかも双眼鏡を持っていなかったため、鳥種をはっきりと確認することができませんでした。かつて双六岳でライチョウを見たというKさんが、あれはライチョウだったよ、ライチョウだった、と夕食の席で優しく(かつ無責任に)慰めてくれ、以来24時間、果たしてあれでライチョウを見たことになるのだろうか?と、ひとり心の中で悶々としていたのですが...(しかっり見た今となっては、あんなんで見たことになるわけがない、とはっきり断言したい)。
そんなわけで、この日も一日、険しい稜線を歩きながら、ライチョウの姿を探し求めていたものの、結局、影もかたちも見ることができず(A沢のコルで、ホシガラスが出現したときは、その姿をはっきり確認するまで、ライチョウか?ライチョウなのか!?とひとり激しく取り乱してしまった)、実際のところ、北穂高小屋に着いた時点で、もうすっかり諦めきっていたのでした。しかし今回の山旅は、ホント、怖いくらいに幸運が続きます。
ライチョウ出現の一報に慌てふためき、寒風の中、上着を羽織るのも忘れて外へ飛び出すと、双眼鏡の片方のレンズにキャップが嵌めっぱなしになっていることにしばらく気がつかないまま、肝心なときになぜ焦点が合わない!?と焦りまくった挙句、テラスの下、20mほどさきのガレた岩場に、ようやくその姿を捉えました。やった!まぎれもないライチョウの雌、しかも巣立ち前の親子でしょうか、二羽いました。採餌の真っ最中らしく、人の姿を気にしない様子で、岩場にところどころ生えている草をしきりと啄ばみながら、徐々に、徐々に、急斜面を登ってきました。
ガスに包まれた岩場のライチョウに気づいたのは、Yさんではなく、ほかの登山客だったそうです。この時期、ライチョウの羽は保護色で、ちょっと見では、すぐそこにいてもなかなかわからない...ということを、実際、私もこの目で見て初めて知りました。いやそれにしても、なんと見事に岩場に溶け込んでしまうことか...最初に見つけた人は、よく発見できたものです。

ガレ場に溶け込む夏羽のライチョウ。わかりますか?
寒さに耐えながら、1時間ほど眺め続けていると、二羽はとうとう、テラスの真下までやってきました。時折、白い翼を広げて羽づくろいしたりしていました。しばらくすると、ずっと下の方から、さらに雌が一羽、岩場の陰をふらふらと登ってきました。昨年、北海道でエゾライチョウを見たときも感激しましたが、今回はそれ以上。なにせ6年越しの念願が叶ったのですから。わざわざ知らせに来てくれたYさんに、心から感謝です。
日没を前にして、ようやくガスが晴れました。小屋のすぐ真上、北穂高岳(北峰)の山頂(3,106m。日本で九番目に高い山)に上がってみると、遥か彼方に槍ヶ岳の穂先がくっきりと見え、そして眼下の雲間には、触れれば切れそうな、峨々たる稜線が、まるで槍を頭にした巨大な龍の背骨のように、ごつごつうねうねと延びていました。

北穂高岳から槍ヶ岳方面を望む。
自分の足で一歩一歩、踏みしめてきたあとだけに、その壮大で荒々しい景色に覚える感動は、ひとしおでした。いつまで眺めていても飽きることはなく、暮れゆく日を惜しんで南に目を転じれば、奥穂高岳の黒いシルエットの遥か上、藍色の空に浮かぶ、小さな小さな月。

北穂高岳から奥穂高岳方面を望む。
日本第三位の高峰、奥穂高岳(3,190m)までは、北穂から涸沢岳(3,110m)を経て、約3時間。そして奥穂から、さらに吊尾根を経て東南へ向かえば前穂高岳(3,090m)、あるいは一般登山道の最難関ともいわれるコース、ジャンダルム(写真右端の岩峰)を経て南西へ向かえば西穂高岳(2,908m)。今回は北穂止まりでしたが、いずれもいつか歩いてみたい、憧れのコースです。

北穂高岳から吊尾根を望む。
十の記: 荒天の稜線と涸沢の紅葉(北穂高小屋~涸沢~上高地)
北穂から上高地まで約16km、標高差1,600mを一気に下る翌日に備え、夕食後は早々に布団に入りました(泊り客は20人ほどで、あてがわれたスペースは、やれうれし、二畳分)。
翌朝は5時起床。一晩ぐっすり休み、前夜、ぱんぱんに張っていた足も、いい具合にほどけて一安心。ところが用を足しに小屋の外へ出て、思わずびびってたじろぎました。なんと、テラスのベンチには薄っすらと雪が積もっていたではありませんか。
小屋の軒先には、可愛い氷柱が垂れ下がり、日の出前のほの暗い空からは、ぱらぱらとみぞれ交じりの小雨...漢字で"雷鳥"と書くライチョウは、荒天の使者などといわれますが、まるで前日のライチョウが、好天続きだった稜線に雨雲を連れてきたかのよう(むろん逆で、荒天になるとライチョウが活発になる)。天気予報は、曇りときどき晴れ。しかしこの季節なら、稜線上にいつ雪が降っても不思議はなく、むしろこの程度で済んで助かった、というべきかもしれません。計画時点では、万が一、稜線上で雪が積もるほどに荒れてしまった場合には、雪が消えるまで、最寄の山小屋に停滞するつもりでしたが、どうやらそこまでしなくてもよさそうです。

ガスに包まれた北穂高小屋。
朝食後、出発を見合わせ、しばし様子見。といっても晴れるのを待っていたわけではなく、岩場の雪が少しでも溶けて消えることを期待してのことです。濡れた岩場がいかにやっかいかは、もうひとつの趣味、釣りを通じて、嫌というほど経験済み。私のホームフィールドの奥多摩湖は、ボート利用が禁止されていて、それゆえ(特に減水期には)急深の岩場やガレ場を数十m下降して釣らなければならず、日に何度も崖を登り降りするのですが(ゆえに登山靴を履いて釣りをする)、雨が降ると、これが本当につらい。以前、小雨の中で釣りをしていて(こんな日の方が釣果がよかったりする)、普段、乾いていればどうってことのない、2mほどの緩いスラブ(一枚岩)が雨に滑ってどうしても上がれず、無理した挙句に湖へ落ちてしまったことがあります。湖ならずぶ濡れになるだけで済みますが、ここで足を滑らせれば、即、大事故に繋がりかねません(下山予定の北穂南稜は、この山旅に持参していた登山地図のコースガイドの執筆者でもあった、山岳写真家の磯貝猛さんが、一ヶ月前に滑落して亡くなられたところでもあります)。
そんなわけで、7時近くまで待ち、涸沢まで午前中いっぱいかかってもいいくらいの心積もりで、出発。奥穂への道を右に分け、南稜の急勾配を、おそるおそる下り始めます。相変わらずみぞれ交じりの空模様が続き、岩場の雪はまだ溶けずに残っていましたが、ちょっと歩いてみた感じ、慎重に行けば大丈夫そう。

北穂南稜の下降点。雪とガスで道しるべが見分けにくい。
周囲を乳白色の冷たい濃霧にすっぽり包まれて、視界はほんの20mくらい。パノラミックな涸沢の紅葉を眺めながら下るはずが、目先の地形すら不明瞭。おまけに雪のせいで、白ペンキのマーキングを見つけるのにも一苦労。ときどき立ち止まりながら、マーキングを探し探し、慎重に下っていきます。途中、暑くなってきたのでインナーを脱いでいると、後ろからYさんがやってきました。一緒に下ってきたのは、昨夜夕食の席で、明日は奥穂から前穂に登り、重太郎新道経由で上高地に降りると言っていた、48歳のベテラン登山者。私が三日かけて歩いてきたコースを、たった一日で辿ってきたという猛者ですが、予定通り奥穂に向かおうとしたところ、濃霧に強風、岩場もスリッピーで、潔く諦め、涸沢に下山することにしたのだそうです。しばらくすると、やはり奥穂に向かおうとしていたもう一人の登山者も、南稜を下りてきました。この判断力と潔さが、遭難するかしないかの分かれ目だったりするのでしょう。
彼らを見送り、しばし休憩ののち、私も出発。高度計でおよその現在地を確認しつつ、何箇所かのハシゴ、クサリ場を通過し、徐々に高度を下げていきます。やがて道が道らしくなりはじめ、森林限界も終わり、周囲に樹影が目立つようになってくると、みぞれはいつの間にか、ただの小雨になっていました。しかし依然、あたりは濃いガスに包まれたまま。

北穂南稜(標高2650m付近)。
途中、何人かの登山者とすれ違いました。こんな日は、きっと登りもつらいことでしょう。立ち話をした登山者によれば、涸沢まで下れば、雨もガスもないとのこと。時折強くなる雨脚に、急ぎたくなる気持ちを抑えながら、紅葉風景を楽しみに、一歩一歩、慎重に進んでいきます。そして、南稜を下りきった標高2,500mあたりでようやくガスが切れ、眼下に、涸沢が一望できるようになりました。

標高2500m付近から涸沢ヒュッテを見下ろす。
さすが、痩せても枯れても(降ってもガスっても)涸沢。その、ハレーションを起こしそうなほどに色鮮やかな紅葉は、まるで山肌一面に火がついたよう。どんよりとした空模様は残念ですが、雨に濡れて艶を増した樹々もまた、しっとりとした風情があって、オツなものです。

涸沢の紅葉。
景色に見惚れながら涸沢(2,300m)まで下ると、ヘリポート脇の草むらに、ルリビタキの雄を発見。ひたすら暖色に目を奪われていたあとだけに、瑠璃色の羽色が、目に鮮やかでした。

涸沢の紅葉と、稜線をすっぽりと包みこんだ練乳のようなガス。
ふと目を上げると、涸沢ヒュッテに向かって歩いていく、Yさんの後ろ姿が小さく見えました。その後、上高地までの道のりでYさんと出会うことはなく、これが、三日間のお付き合いの最後となりました。またいつか、どこかの山でお会いしましょう!

涸沢ヒュッテ。
10時、涸沢ヒュッテを通過。携行食を頬張りながら、一路、横尾へと向かいます。

涸沢から横尾へ。
穂高の峰々は、変わらずねっとりとしたガスに包み込まれていましたが、東の方角には、青空がのぞいていました。

涸沢から横尾谷方面を望む。
レインウェアを脱ぎ、先を急ぎます。11時半、ランドマークの本谷橋(1,790m)を通過。横尾の手前の笹薮でミソザサザイを見つけ、しばらく観察したりしながら、12時半、ようやく横尾に到着。横尾山荘に立ち寄ってラーメンを食べ、これでもう、この山旅に思い残すことなし。一服して出発し、往路と同じ樹林帯の道を、時折、鳥を見つけては立ち止まりながら、ひたすら上高地を目指しました。14時15分に徳沢、15時に明神を通過。そして15時45分、観光客で賑わう上高地に到着。青空の広がる河童橋から見上げた穂高の峰々は、依然、そこだけ白いベールに包まれていました。
帰りのバスを一本遅らせて、バスターミナルのベンチに腰を下ろし、とりあえずビール。一口飲むごとに、充実しまくりだった山歩きを思い、ひしひしと満足感がこみ上げてきます。ほろ酔い気分でバスに乗り込み、新島々で松本電鉄に乗り換え、松本からは、特急で私の住む街まで3時間。こうして、三泊四日の山旅が終わりました。

そしてあれから早くも三週間、北アルプスの山小屋は、そろそろ冬じまいの時期を迎えます。3,000mの山々は、早くも冬本番。来夏まで、一般ハイカーの立ち入れない、経験豊富なエキスパートたちだけの世界となります。とはいえ、東京近郊の低山の紅葉は、まだまだ見頃。今週か来週あたり、またぞろどこかへ出かけてしまいそうです。
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管理人: mardigras

とくに”北穂高岳から奥穂高岳方面を望む。”の写真は、空の色、雲の形、山のどっしりした感じに、おまけに月まで輝いていて食い入るように見つめてしまいました。”天狗池に映る逆さ槍”もいいなぁ~。高所恐怖症ぎみのわたしには迫力のありすぎる写真もたくさんありました。(あんなところ歩けるんですか!?)
今回は充実した山歩きになって良かったですね。
梓川は父が大好きで、確か5歳ぐらいの時にキャンプか何かに連れて行ってもらった気がします。もうぜんぜん覚えてないなぁ・・・。
ちゃんと鳥とか見ておけばよかった!
>タイトルの駄洒落のためだけに無理やり十の章に分けた山歩きの記録。
あと、ココに笑いました。Mardigrasさんって、けっこう数字とかこだわっちゃうタイプですよね?