ベルリン・天使の詩

ヴェンダースの"伯林(ベルリン)物語"
「ベルリン・天使の詩」のイラスト(ブルーノ・ガンツ)

チャップリンのキッド」(1921)、「素晴らしき哉、人生!」(1946)、「天国から来たチャンピオン」(1978)、「未来は今」(1994)、「普通じゃない」(1997)、「コンスタンティン」(2005)、「レギオン」(2010)、そしてこの「ベルリン・天使の詩」(1985)...とまあ、ジャンルもテーマもばらばらのこれらの映画には、実はひとつの共通点があります。それが何かといえば、そう、もうおわかりですね。それはどの作品もみな、天使が登場することです...ってこのマクラ、そろそろ自分でも飽きてきました(だいたいほとんど観てないものばかり)。

というわけで、ブロガーの皆さん一緒に同じタイミングで同じ映画を観ましょうという企画、ブログDEロードショーの第15回目、ヴィム・ヴェンダース監督、ブルーノ・ガンツ主演の「ベルリン・天使の詩」です。今回の作品を選ばせていただいたのは私、mardigras。お付き合いくださったブロガーの皆々さま、年末のお忙しい中、どうもありがとうございました。

ちなみに「ベルリン・天使の詩」を選んだのは、長年ずっと気になっていた作品でありながら、これまでどうしても観る気になれなかったから。ヴェンダースの映画はけっこう好きなのですが、しかしどう考えても甘~くてファンシーでメルヘンな内容を連想させるこの映画の邦題に、どうにも食指が動かなかったのですね。しかし、いざこうして観てみれば、案の定というべきか、思った以上にというべきか、想像してたのと、ぜんぜん違う映画じゃん!

金曜日に観て、そしてそれから一日経った土曜日、ガマンできずに早くも再見してしまいました。というのもこの映画、ことばとイメージが奔流のように溢れかえっていて、一度観ただけではかなりの部分が頭にとどまらず、右から左へ抜けてしまったからです。というわけで、ビデオを何度も行きつ戻りつさせながら(そして天使さながらにメモを取りながら)観返したのですが、まあ要するに、わざわざ繰り返し観てしまったほど、私にとってはいろいろ思いをめぐらせてみたくなる、見どころの多い、とても面白い映画でした。というわけで以下、幾分妄想(=めぐる思い)を交えながら、感想を思いつくままに。

それにしても「ベルリン・天使の詩」という邦題、あっさり宗旨替えするようではありますが、観れば観るほど、考えれば考えるほど、もうこれしかないという、実にぴったりのタイトルだと思うのですね...



「ベルリン・天使の詩」に描かれたドイツ、ドイツ人そしてヴェンダース自身

詮、映画は観る人の観たいようにしか観られない、というわけで、牽強付会を承知で書けば、「ベルリン・天使の詩」は、ヴェンダースがヴェンダースのやり方で、近代ドイツの歴史を象徴する街、ベルリンを舞台に、80年代なかばのドイツとドイツ人(そしてヴェンダース自身)を、映像とことばでもって、それこそ天使の記録簿のごとく、あるいはピーター・フォークのデッサンのごとく、さらっとスケッチしてみせた映画だったのではないか。そう、小津安二郎が「東京物語」(1953)をはじめとする数々の作品で、東京を舞台に、あるいは京都や鎌倉を舞台に、その時代の日本と日本人の姿を描き出したように(なにせYasujiroに捧げられた映画なのであり、そしてピーター・フォークも劇中で、"東京、京都、パリ、ロンドン、トリエステ...ベルリン"などと呟いているのです)。

戦後四十年、経済的・文化的繁栄を成し遂げる一方で、東西冷戦を象徴する"壁"に周囲をぐるりと囲まれた、いまだ戦争の記憶が色濃く漂う街、西ベルリン。冷戦下のベルリンが舞台となれば、それがいかな物語といえど、戦争の記憶を避けて通るわけにはいかないはず...な~んてことを、観る前から漠然と予想していましたが、しかしそれが、作品全体にここまで影を投げかけるほどのものだったとは、まったく思いもよりませんでした。

荒涼とした"ポツダム広場"、廃墟となった"駅が止まっている駅"、そしてどこへ行っても立ち塞がる、"ベルリンの壁"――。80年代なかばとなっても戦争の面影が風化せずに残る、ドイツのかつての首都(そしてドイツ統一後に再び首都となる)ベルリンの風景は、同じ敗戦国でありながら、そして同じメトロポリスでありながら、早くも50年代なかば、"もはや戦後ではない"(by 経済白書)との宣言のもと、再開発の大波に洗われて、戦争の記憶を一掃させてしまった日本の首都、東京のそれとはあまりにかけ離れて見えます(仮に80年代、東京を舞台に東京そのものを描いた映画を作ろうとしても、そこに戦争の記憶が影を落とすようなことは、おそらくなかったはず)。

地上に降りた天使とブランコ乗りの恋という、この映画のドラマは、天使の眼を通して眺めた街と人々の切れ切れの映像を、まがりなりにもひとつの意味ある作品に縫い上げるための、便宜的な針と糸に過ぎなかったのではないか――そんなことを思ってしまうほど、「ベルリン・天使の詩」に描出された80年代なかばの西ベルリン――"異国なのに故郷のような街。迷子にもなれない、どこへ行っても壁の街"がまとう、どこか重苦しい空気は、ドラマそれ自体の印象を圧倒して、強く心に残ります。

離れ小島のような街に住む、それぞれがそれぞれの悩みに囚われた、"子どもは子どもだったころ"の心を失った、"やどかり"みたいに自分自身のあるじとなった、オトナたち。まるで離れ小島の中に、さらに無数の離れ小島が浮かんでいるような、人々がてんでばらばらに孤立したイメージが、瞼の裏に浮かんできます。

しかし、そんな人々に注がれる天使の眼差しには、優しさと慈愛が満ち溢れていて、天使のカシエル(オットー・サンダー)が、"距離を保ち、ことばでいよう"と口にするように、ヴェンダースは、孤絶に彩られた社会と人々のありようを、否定も批判もすることなく、ニュートラルな傍観者の目線で眺めながら、まさしく"距離を保ち、映像でいよう"としているかのようです。映画の中盤、タクシーの運転手がこんなことを独白します。

"ドイツ国家はひとりひとりミニ国家を構えている。まるでやどかりみたいに動き回る。余所者には入国税を要求する...入国税だけでなく、国の中に入るには、その都度違う合言葉がいる。そんなドイツ人を牛耳り、引き回せるのは無数のあるじにことばを発信できるやつだが、幸い今はそんなやつはいない"

バックシートに座ったカシエルが眺めるタクシーのフロントウィンドウには、ナチスの支配する戦時下の映像が、幻のように浮かび上がります。広場に旗を掲げた人々が集い、そしてその顔が一斉に、再び誤った方向へと向けられるくらいなら、個々人が孤立した社会の方がまだましではないか――最初にこの場面を観たときは、ヴェンダースの自国の"いま"に対する、そんな(消極的)肯定の思いが込められているようにも感じたのですが...



産土神のようでもある「ベルリン・天使の詩」の天使たち

い思いの人の後を追い、不幸に汲々とする人を見つけては額に額をくっつけて、前向きの心を甦らせる天使。図書館で勉強する人の肩を励ますように抱き、あるいは死にかけた人に寄り添い、安らかな気持ちを取り戻させる天使。そんな羽毛のように重量感の希薄な天使の描写のあれこれには、いかにも天使と聞いて思い浮かぶ天使らしさが満ち溢れていて、観ているだけでも癒されるような、なんともいえない温かさと安らぎを感じます(そんな気持ちにさせてくれるこの映画自体、まるで鑑賞者にとっての天使のようだったりします)。

しかしながら、そんな天使らしさの一方で、"ベルリン"と呼ばれる地(のみ)の太古の記憶と歴史を語り合う、西ベルリンだけを領分としているらしいダミエル(ブルーノ・ガンツ)とカシエルは、日本人の私にとっては天使というよりも、むしろ西ベルリンの地に宿る精霊、いわば産土(うぶすな)神のような存在と捉えた方が、しっくりくるところがあります。そしてそんな風に考えることで、この映画の思わせぶりな映像のいくつかが、すとんと腑に落ちたりもします。

たとえば図書館の階段の角に置かれた椅子に腰掛けたダミエルが、まるで磔刑にされたキリストのように、力なく両腕を手すりに持たれかけ、物思いに沈む場面。その姿はつまり、四方を壁に取り囲まれ、東側の真っ只中にぽつんと磔にされた、身動きの取れない西ベルリンという土地そのもののメタファーだったのではないか。また人間に生まれ変わる場所として、ダミエルとカシエルが壁と壁の間の緩衝地帯へと足を踏み入れるのもまた、西ベルリンの分身が西ベルリンから分離しようとしていることを暗示していたのではないか――そんな風に思えてくるのです。



マリオンの出身地はいったいどこなのか?

"偶然はもうおしまい。新月は決断の時。先の運命がわからなくても決断する時。決断するの。私たち今がそのときよ。私たちの決断はこの街のすべての世界の決断なの"

"今、私たち二人は二人以上の何か。私たちは広場にいる。無数の人々が広場にいる。私たちと同じ願いの人々。すべてが私たち次第。私は決心している。今はあなたの決心次第よ。今しか時はないわ"

"あなたは私が要る。私が必要になる。二人がつくる歴史はきっと素晴らしいわ。男と女の大いなるものの歴史。目に見えなくとも伝わっていく、新しい始祖の歴史。見て、私の目を。映っているでしょう、必然が。広場の人々の未来が"


映画のクライマックスで、ブランコ乗りのマリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)が、ダミエルに向かって、そんなことを滔々と語ります。西ベルリンを"異国なのに故郷のような街"と表現し、解散したサーカスの仲間が故郷へと帰っていくのを見送るしかすべのない、"やさしい愛のことばを待ちくたびれて国を出た"、行き場を失くしたようにも思えるマリオンの出身地がいったいどこだったのかといえば、それはずばり、近くて遠い国、戻りたくても戻れない国、東ドイツ(東ベルリン)だったのではないでしょうか。

ダミエルが西ベルリンそのものであり、そして赤一色(共産圏を象徴する色です、言うまでもなく)のドレスに身を包んだマリオンが東ベルリンの象徴だとすれば、ダミエルとマリオンがひとつに結ばれて終わるこの映画の結末には、("距離を保ち、ことばでいよう"というカシエルのように)自戒を込めて記録者の立場に留まろうとする一方で、しかし("霊でいることにうんざりしてしまった"ダミエルのように)傍観者でいることにうんざりしてしまったヴェンダースの、"ひとつのベルリン"(=祖国統一)に対する密かな願いと希望、そして"決断"して再び"広場"に集まろうという、ドイツのみならず、世界中のすべての人々に呼び掛ける(そう、"自由を求める限り、誰もがみなベルリン市民なのです" by J.F.K.)、一種の糾合の思いが込められていたのではないか...な~んて言ったら、いくらなんでも妄想(暴走)しすぎでしょうか(笑)。

"無数の人々が広場にいる。私たちと同じ願いの人々"――このセリフを耳にして、この映画の公開からほんの2年後の1989年、手に手に槌を持ったベルリン市民たちが続々と"広場"に集い、"ベルリンの壁"をぶち壊す様子を捉えた歴史的瞬間の映像が、もう否応なしに頭をよぎりました。"全知ではないから予感を味わえる" (by ダミエル)――果たして「ベルリン・天使の詩」を撮ったとき、ヴェンダースに祖国統一の予感はあったのでしょうか。そして当時、この映画を観た人々もまた、この映画にそんな予感を感じとったりしていたのでしょうか...



“子どもは子どもだったころ...”と誦していたのは誰なのか?

"子どもは子どもだったころ..."で始まる詩を語っているのはいったい誰なのか、いやそもそもこの詩は何なのか、観ている最中、気にかかって仕方がなかったのですが、最後の最後、それがどうやら、人間となったダミエルが誦していたものであったらしいことがわかります。

空を見上げることを忘れたオトナたち(元子ども)を哀れむような、あるいはことばを知らない子どもの思いを代弁するかのような詩を、なぜダミエルが口にしているのかといえば、それは元天使のピーター・フォークが俳優になったように、人間となったダミエルが詩人となったから――と言い切ろうと思っていたら、この映画の続編では、どうやらピザ屋のおやじになっているらしい。あれっ!?

そんなたわ言はさておいて、全知の時代に眺めたあれこれを懐かしみ、慈しんでいるかのようなその詩には、天上世界に二度と戻れないことを承知の上で地上に降りてきたダミエルの、しかしそれでも思いを馳せずにはいられない、かつて属していた世界への郷愁が滲んでいるようにも思えます。そう、ソビエトから西側に亡命する決意を秘めたアンドレイ・タルコフスキーが、二度と戻らないであろう故郷に思いを馳せながら、イタリアの地で「ノスタルジア」(1983)を撮ったように(なにせAndreiに捧げられた映画なのであり、そしてマリオンも劇中で、"ノスタルジア...愛の波のノスタルジア"などと呟いています)。そして付け加えれば、そんなノスタルジアには、久しくドイツを離れ海外で活動を続けていた、ヴェンダース自身の故国に対する思いも込められていたのかもしれません。



映画ならではのマジック――ものの見事にオーラを失ってみせるダミエル

初に観たときは、もうすっかりモノクロ映画だとばかり思い込んでしまったせいで、サーカスの場面で一瞬、突然カラーになったときにはマジで意表を突かれました。そしてそのままカラーになるのかと思いきや、またすぐモノクロに戻ったり、さらにはまた突然、一瞬カラーになってみたりして、すっかり???だったのですが、要するに、天使の見ている世界がモノクロで、人間の見ている世界がカラーで表現されていたのですね。色のないモノクロの世界は、この作品のロジックの上では天上の単調さと味気なさを象徴しているものなのでしょうが、しかし単なるモノクロに収まらず、ときにセピアがかっていたり、あるいは青味がかっていたりと微妙に変化する色合いが美しく、私の目には、困ったことに色のついた世界よりも、よっぽど素晴らしいものに見えてしまいました(録画した映像の画質がしょぼかったせいでもあります、きっと)。

そしてそんな工夫もさることながら、より面白かったのは、天使から人間に生まれ変わったダミエルの、それは見事な変身ぶり。天使時代、黒のロング・コートに身を包み、髪をひっつめにしていた、シックでエレガントなダミエルは、人間になった途端、髪を解き、ダサいブルゾンに身を包んだ、帽子をとっかえひっかえしてはいちいち寸評を加えていたピーター・フォークのひそみに倣って言えば、"ポン引きにしか見えない帽子"を薄くなった頭に乗せた、どこにでもいる、ただのおじさんになってしまうのです。そう、"洗濯しても焦げ痕の消えないコート"を着た元天使の演じる刑事コロンボが、ただのおじさんにしかみえないように。

そんなダミエルを見て、ピーター・フォークが"なぜだかノッポだと思っていた"などと言いますが、その感想にはまったく肯いてしまいました。いったいどんなトリックを使ったのか、人間となったダミエルの背は明らかに縮んでしまったかのようで、その身にまとっていた天上人のオーラをきれいさっぱり、どこかへ洗い流してしまっているのです。

それにしても、ピーター・フォークが実は元天使だったというサプライズはホント、素晴らしい。ちょっとしたミステリのナゾが解き明かされる瞬間にも似たカタルシスがあって、そんな驚きとは無縁の映画だとすっかり思い込みながら観ていたぶん、なんだか余計に嬉しくなってしまいました。



なぜアメリカ人の探偵なのか?

ンドロールの献辞において、Yasujiro、Andreiと並び、もうひとり、この映画を捧げられた"かつては天使だった"映画監督、それがFrançois、フランソワ・トリュフォー。そんなトリュフォーに対するヴェンダースのリスペクトが、この作品のどこに見つかるかといえば、それは戦時下のベルリンでアメリカ人の探偵が活躍するという、ピーター・フォークでなくとも首を捻りたくなる設定の"映画"の撮影現場。

カシエルを乗せたタクシーが、ナチスの制服に身を包んだ将校たち(俳優たち)のたむろする撮影現場にすっと滑りこむ映像は、それまでフロント・ガラスに映し出されていた戦時下の記録映像のせいで、まるでタクシーが戦時中にタイム・スリップしてしまったかのような、一瞬の錯覚を誘います(錯覚したのは私だけ?)。そんな、戦争の時代と現在が地続きであると示唆するかのような面白味のあるトリック映像のために、"映画"のシチュエーションが戦時下でなければならなかったのは当然として、ではなぜそこに、不自然にもアメリカ人が登場しなくてはならなかったのかといえば、そう、それはこの映画の"映画内映画"の風景が、映画撮影の現場を描いたトリュフォーの映画、「映画に愛を込めて アメリカの夜」(1973)に対するオマージュだったからであり、そしてそれを仄めかすためのサインとして、どこかに"アメリカ"というキーワードが必要だったからなのです(...って、こじつけのクオリティがどんどん怪しくなっていく)。

テレビのインタビューを受けるため、現場を抜け出そうとするピーター・フォークに、"いいよ、君の出番は後に回す"と告げる、やたらと物分りのいい監督は、「アメリカの夜」に描かれた辛抱強い監督(=トリュフォー)の姿をまんま髣髴とさせるものであり、そしてもしかすると、そこには監督としてのヴェンダース自身の姿もまた、投影されていたのかもしれません。



英雄不在の叙事詩、「ベルリン・天使の詩」

しずめことばの大聖堂といった趣きのある、吹き抜けのある、広大で素敵すぎる図書館に、まるで吸い寄せられるように集った天使たちがたむろする情景は、ヴェンダースの書物と図書館に対する無条件の愛情が伝わってきて、本好きとして共感を覚えてしまうというか、実に心が和むものです(そしてそれはまた同時に、「華氏451」(1966)で書物への愛情を語ったトリュフォーに対する、ささやかなオマージュでもあるのです...ってしつこいですね)。

そしてそんな図書館に現われる、ひとりの老人。ホメロスの生まれ変わりか、はたまたホメロスの生まれ変わりと信じこんでいる狂人か、彼は図書館を抜け出して、かつてポツダム広場だった荒地へと歩みながら、ホメロス気取りでこんなことを独白します。

"幾世紀をも往復するかつての大いなる物語は終わった。今は一日一日を思うのみ。誰一人平和の叙事詩をまだうまく物語れない。勇壮な戦士や王が主人公の物語ではなく、平和なもののみが主人公の物語...(ここでカシエルが耳打ち)...あきらめろだと?私があきらめたら人類は語り部を失うことになる。語り部を失うということは、人類は子供時代を失うということだ"

すべての登場人物に、ヴェンダースのDNAが少しずつ混じっているかのようにも思える「ベルリン・天使の詩」にあって、私にはこの老人こそが、(映画作家としての)ヴェンダースの思いをもっとも代弁していた人物であるように思えます。私には、老人の独白が、そっくりそのまま、英雄などどこにもいないことがわかってしまった戦争を経て、もはや新たな英雄譚を生み出すことができなくなった"混沌"の時代に、英雄不在の叙事詩という、いわばパラドキシカルにも思える物語を紡ぐ語り部を己が担うという(自分がやらなければ誰がやるのだという)、映画作家としての自負と矜持を滲ませた、ヴェンダース自身の密かな決意表明であるように思えるのです。そして、老人の耳元で諦めろと囁く(この映画で唯一ネガティブなことを囁く)カシエルもまた、その困難な試みを、果たして自分が成し遂げられるのかと自問自答する、ヴェンダース自身なのではないでしょうか。

「ベルリン・天使の詩」に描かれる、人々に寄り添う姿の見えない天使たちの佇まいは、「イリアス」「オデュッセイア」に描かれた、英雄たちに寄り添う、姿の見えない古の神々の佇まいそのもののようでもあります。「ベルリン・天使の詩」という映画は、ヴェンダースの自問自答の実践――"平和なもののみ"を主人公にした、スペクタクル不在の叙事詩、ヴェンダースなりの「イリアス」だったのではないか、そして「パリ、テキサス」(1984)をはじめとする彼の一連のロード・ムービーは、ヴェンダースなりの「オデュッセイア」だったのではないか、そんな風に思えてきたりもするのです。



ベルリン・天使の詩 (独題: Der Himmel über Berlin
制作国: 西ドイツ、フランス
公開: 1987年
監督: ヴィム・ヴェンダース
製作総指揮: イングリット・ヴィンディシュ
制作: ヴィム・ヴェンダース/アナトール・ドーマン
脚本: ヴィム・ヴェンダース/ペーター・ハントケ
出演: ブルーノ・ガンツ/ソルヴェーグ・ドマルタン/オットー・サンダー/クルト・ボイス/ピーター・フォーク
音楽: ユルゲン・クニーパー
撮影: アンリ・アルカン
編集: ペーター・プルツィゴッダ


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[T5] ベルリン・天使の詩

今月の「ブログDEロードショー」の映画です。選んで下さったのは「シネマ・イラストレイテッド」のmardigrasさんです。私、この映画はちょっと観たいなと思っていたのですが、後回 ...

[T6] 散文的感想「ベルリン・天使の詩」

映画鑑賞の記録 12月の「ブログ DE ロードショー」の感想 / 次回のお知らせ等 ということで、このリンク先のブログ・DE・ロードショーにお誘いいただいたのでいそいそと観て見た。 思えばこのような映画は基本的にあまり観ない。 っていうかシネフィル系はよほど?...

コメント

[C719] 頷いてばかりでした

もうMardigrasさんのおっしゃることすべてに、「ああ、そうか~!」と納得する事ばかりで、なんだかまた観たくなってきました。
とくに、ダミエルが西ベルリンでマリオンが東ベルリンの象徴、祖国統一の願いが込められているというくだりは、自分では絶対に思い付かないことなので感心するばかりです。勉強になりました!
あと、わたしもモノクロやセピアのほうがカラーよりよく見えました。神秘的な感じです。恋に落ちた瞬間の演出も際立ちますしね。なぜかカラー化でふつうのおじさんになってしまうダミエルも親しみがわきます。

今回はこの作品を選んでくださってほんとうにありがとうございました。再見して自分なりに楽しめましたし、Mardigrasさんのレビューのおかげでまだまだ楽しめそうです。もし続編を観る機会があったら、その時はまたレビューしてほしいなぁ・・・なんて(図々しい!)
では、よい年末をお過ごしくださいね~!
  • 2010-12-21 12:17
  • 宵乃
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[C720] こんばんは☆

>...ってこのマクラ、そろそろ自分でも飽きてきました(だいたいほとんど観てないものばかり)。

え~!?見ていないんですか~???
今まですっかり誤解していました。全部見てて凄い!と・・・。

>観れば観るほど、考えれば考えるほど、もうこれしかないというような、実にぴったりのタイトルなのですね...

私はこの映画の事を、中学生の時に見た「天使の詩」という映画(子供がかわいそうな目にあう暗い映画)の、DVDがほしくて調べていた時に(去年)知ったのですが、その映画とは何の関係もなさそうな、なんだか別の暗さを感じました。ベルリン、ってそんな感じですよね・・・。

>さらっとスケッチしてみせたのがこの作品、「ベルリン・天使の詩」だった―のではないでしょうか。

そうでしょうね~。mardigrasさんのレビューを読み慣れてきたせいでしょうか?こんなに長いのに、読み辛くなく、書いていらしゃる内容は(頭のよくない私なりに)よく分かりました。

>色のないモノクロの世界は、この作品のロジックの上では天上の単調さと味気なさを象徴しているものなのでしょうが

まぁ結局、唯物的な考えを感じる部分は、どうしても私は残念感で一杯になります・・・いつも同じ事ばかり書いてすみません。

ヴェンダース監督の作品を見られて嬉しかったです☆
今回は本当にお疲れ様でした。
(多分)年末年始を挟んでという事になると思いますが、もうしばらくの間、宜しくお願いいたします。
  • 2010-12-21 17:43
  • miri
  • URL
  • 編集

[C721] コメントありがとうございました

コメントへの返信も含めてTBさせて頂きましたが無事に届きましたでしょうか?

また時間がある時にお伺いいたします。夕食の準備に取り掛からねば・・・(*^_^*)

[C722] 先見の明

Guten Morgen, 敬愛なるMardiさん!、

ヴェンダーズ監督も吃驚の考察です。

今回は娘と一緒にブログDEロードショー参加しました。
娘は図書館のシーンですぐにニコライ・ケージを思い出していました。
この映画は東西ドイツ統一後に再評価されたもので、以前は彼の映画の中では
そう目立つものではありませんでしたが、今は多分最後に残る映画かもしれません。

でもこの映画、ヘルにはいつもどこかでうとうとする映画なんですよ~・・・笑
  • 2010-12-21 17:49
  • ヘルブラウ
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  • 編集

[C724] >宵乃さん

今回は付き合っていただいて、それから皆さまにご連絡のお手間をとっていただいて、本当にありがとうございました!

宵乃さんのおっしゃっていた通り、思っていたのとぜんぜん違う映画でした。宵乃さんの描かれたイラストの場面はどこだろう、、、と思いながら観てたのですが、サーカスの場面だったのですね!それまで見下ろしてばかりだった天使が、ここでは逆に意中の人を見上げていたのが面白かったです。

なんだかこの映画とはすごく波長があったようで、もうあとからあとから、とめどなく妄想が湧き出てきてしまいました。マリオンの服が真っ赤だとか、記事を書いてるうちに思いついたこじつけもけっこうあります(笑)。

ですよね、カラーよりもモノクロが美しく見えてしまいましたよね!神秘的、、、で思い出しましたが、そういえば、タクシーの中でメモを取る天使の手が光り輝いていました。このあたりの神々しさの演出は、モノクロならでは、だったのかもしれません。ところでダミエルとは逆に、ピーター・フォークもロング・コート着て髪をひっつめにしたら、シブく見えちゃったりするんでしょうかね(笑)。

続編、もう観るしかない!と思うんですけど、でももう確実にレンタル・ビデオ屋さんに置いてなさそう...NHK BSに期待!ですかね、やっぱり。

ちょっと早いですが、それでは今年もいろいろありがとうございました。
宵乃さんも、よいクリスマスとよい年末を!

[C725] >miriさん

>え~!?見ていないんですか~???

はは、書き方が悪かったですね、すみません(笑)。これまでの記事に並べた映画はぜんぶ観てるんですけど、今回のこの"天使系"だけは、「キッド」と「天国から来たチャンピオン」しか観てないのです。あとの題名は検索して探しました。そもそも「キッド」の天使といっても、確かチャップリンが夢の中で天使っぽい羽を生やしていた、というだけだったと思います。

タイトルは、詩を書いていたのがダミエルだったので、まんま"天使の詩"だなあ、と。
ベルリンの重苦しさは、要するにそれがヴェンダースの心象風景だったんだろうな~と思いました。戦争の面影と冷戦を感じさせる風景の印象が圧倒的で、あまり繁栄を感じさせる映像がありませんでしたが、でもそもそも経済的に成功している街のはずですし、そこに暮らしている人たちの中にも、この映画を観て、ベルリンはこんなんじゃない、と思った人がいたかもしれませんね。

(いつものことですが)今回も長い記事を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。この手の輪郭線が開いたような映画って、ホームランか三振のどっちかというか、ダメだとまったくダメだし、逆にその内容が自分の記憶だったり経験だったり感覚だったりに引っ掛かるところがあると、もう必要以上に夢中になってしまうところがあります(観たいように観ることが許される快感というか)。そしてそんな映画はたいてい、思いついたことを片っ端から書きたくなってしまうんですよね~(迷惑)。

天使や天上界の描かれ方が唯物的かどうか...正直、その視点はまったく意識していませんでした。私の中ではおそらく無意識のうちに、その設定を無定見に受け止めているのだと思います。やっぱり映画のどこにこだわるかは、観る人それぞれですね。。。

それでは今回は作品を選ぶ機会をくださって、それからいろいろ調整や連絡をしてくださって、ありがとうございました。皆さんとご一緒に観れてホントによかったです!参加してくださった方々の記事も楽しみにしています。

[C726] >bambooさん

わざわざご連絡くださってありがとうございます。

コメントのご返事、読ませていただきました。今回は付き合ってくださって、本当にありがとうございました!

トラックバックですが、すみません、一時期記事と関係のないTBがまとめてきたことがあって、しばらく前に、本文中にこのブログへの言及のないTBをはじく設定にしてしまっていたんです。そのようなわけで、どうかご容赦のほど...

[C727] >ヘルブラウさん

うわ~、お付き合いくださったんですね、しかもお嬢さままで!ご一緒に観れて光栄です~!

よくわかってないくせにドイツがどうのこうのと書いて、、、この記事がヘルブラウさんに読まれるかと思うと、ちょっと冷や汗たらたらだったのですよ(大汗)。

結果を知ってるがゆえの後付感想でしかありませんが、あのベルリンの壁が崩壊したときのイメージ(感動)が強烈に焼きついていることもあって、やっぱり東西ドイツ統一の寓意が込められているとしか思えないところがありましたね~。この映画の作られた頃って、まだ統一の機運が特に盛り上がっていたわけじゃないと思うんですが、そんなことなかったんですかね。。。いずれにしても、おっしゃるとおり、すごい"先見の明"だと思います。こりゃイヤでも再評価されますよね。観て初めて、これがヴェンダースの代表作と呼ばれているのがよ~くわかった気がします。

この映画観ながらこっくりこっくりするのも、それはそれですごく気持ちよさそうな気がします(笑)。ニコラス・ケイジはリメイクですね?こっちも近いうち観てみようと思います。

それではヘルブラウさん、今回は本当にVielen dank!

[C730] こんばんは~♪

はじめまして。
この映画を選んで下さって、ありがとうございます。
私も、いつも気になりながらも、「また今度」を繰り返してましたので。いい機会になりました。
いやぁ~ありがたい記事です。
なんとなくおおざっぱに覚えていても、忘れてますから。そうそう、こんな言い回しだったわ…と。
この後、取り壊された壁。
記事を読んでまして、
壁が作られる以前を語る老人。そんな光景が思い出されてきました。ドイツの複雑な歴史と人々の思いって、やっぱりこの映画にはあると思われます。
ピーター・フォークの素性には、びっくりしました。
もしかしたら、本当に元天使がいて、自分の側に天使はいるかもしれないなぁと、真剣に思ってしまっています(笑)
  • 2010-12-23 00:32
  • ちゃぴちゃぴ
  • URL
  • 編集

[C731] こんばんは!

今回の選出お疲れ様でした!
私も久しぶりに参加させて頂きました!!

いやぁ・・・ でもあんまりしっかり理解できなくて、
でも今、Mardigrasさんのレビューを読んで
なんて深いんだと感銘を受けました!!
なるほど、なるほど、だらけでした。
特に「マリオンの出生地」については
ゾワッと鳥肌が立ちました!!
なんてするどい考察!!
監督も満足でしょうね!!!!

大変参考になるレビューを
ありがとうございました!!

[C732] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C733] こんにちは

今回のブログ・DE・ロードショーに参加したtonboriと申します。
いやはやするどい観察、感服いたしました。
ベルリンという場所とヴェンダースの個人の思いという部分がよく出ていた映画だと思います。
エバーグリーンに相応しい1本でしたね。
ではでは。

[C734] >ちゃぴちゃぴさん

こんばんわ、
このたびはお付き合いくださって、ありがとうございました!

>この映画を選んで...
思ってた以上にレンタル・ビデオ屋さんに置いてない作品だったようで、いつもこの企画を楽しみにされている多くの皆さまにご迷惑をおかけしてしまったとへこんでいましたので...ちゃぴちゃぴさんにそうおっしゃっていただいて、なんだか救われた気持ちです(笑)。

>そうそう、こんな言い回し...
これどういう意味だろう...と、とても引っ掛かるセリフが多い映画でした。テレビで放映したのを録画したものの字幕なので、DVDとは少し違ってるかもしれませんね...

>壁が作られる以前...
この映画とはぜんぜん違う景色だったのでしょうね。。。そして壁が壊されて以降の今も。ネットで検索して現在のポツダム広場の風景を見ましたが、あまりの様変わりでびっくりしました。これまた勝手な想像ですが、今のベルリンはもう東京と同じように、戦争の記憶が風化してたりするのかも、なんてことを思いました。

>ピーター・フォークの素性...
ですよね~、カタルシスがありましたよね!誰もが知ってるあのコロンボが、、、っていうのが面白かったですね!

それでは改めて、ありがとうございました!

[C735] >なるはさん

こんばんわ、
おお、なるはさんも参加してくださったのですね、嬉しいです~!
私もなるはさんの真似をして、未見の映画にトライしてみました(笑)。

>特に「マリオンの出生地」については...
記事、褒めてくださってありがとうございます!
...でもですね、実はさきほどtonboriさんの記事を読ませていただいて、マリオンがフランス人だと書かれていたので、えっ!?と思い、慌ててビデオを見返してみたのですが、、、わはは、マリオンの独白がフランス語っぽい(フランス語がわからなくて言い切れないのが悲しいのですが)!というわけで、私の妄想はあくまで妄想だったということで、どうかお許しのほど~(笑)。

>大変参考になる...
ほかの部分もだいたいそんなものなので、さくっと忘れちゃってくださいね~(笑)。

では、今回は付き合ってくださって、本当にありがとうございました!

[C736] >tonboriさん

はじめまして、
わざわざコメントくださって、それから今回はお付き合いくださって、ありがとうございました!

>いやはやするどい観察...
わはは、お恥ずかしい!なるはさんのコメントへのご返事にも書いたのですが、、、さきほどtonboriさんの記事を読ませていただいて、マリオン=東ドイツ人説が単なる妄想だったことがあっさり判明しました(笑)。でもまあそんな感じで、頭の中でいじくりまわして遊びたくなる映画でした。

>ベルリンという場所と...
おっしゃるとおり、この場所だからこその映画だったと思います。だから余計に、リメイクがどうリメイクされたのかもちょっと興味があります。

>エバーグリーンに相応しい...
夏の映画だったらどうしようと思っていたのですが、季節感が合っていたので、その点はよかったな~と思いました。

それでは今回は、本当にありがとうございました!

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[C740] はじめまして

今回『ブログDEロードショー』に参加いたしました、たまさんと申します。
はじめてブログを拝見させて頂きました。
こちらの解説、深い考察に感動しました。
なるほど~、ちんぷんかんぷんだったあのシーン、そんな意味があったのかと驚きです。
モノクロとカラーの手法は私も同じ印象を受けましたが、彼女が東ベルリンの象徴であるとは・・
確かに、赤いドレスが共産圏を意味するのは即座に思い浮かべましたが、東ベルリンには行き着きませんでした。
難しい映画だと思い、最後まで見るのが結構大変でしたが、他の方の感想を読むと、また面白い映画であると改めて感じます。

[C741] >たまさん

はじめまして、
今回は付き合ってくださって、ありがとうございます!

>ちんぷんかんぷんだったあのシーン、そんな意味があったのかと
いえいえ、あくまで私がこう感じた(こじつけてみた)というだけなので、、、あんまり真に受けないでくださいね(笑)。

>彼女が東ベルリンの象徴であるとは
すみません、実は観返してみたら、彼女の心の中の呟きがどうやらフランス語のようで...東独出身である可能性は、限りなく低くなってしまいました(笑)。でもまあ、そんなふうにとるのもありかな?と思うので、記事はそのままにしてあります。

>最後まで見るのが結構大変でしたが
この映像、どういう意味だろう?といちいち謎解きでもするような気分で楽しんでしまいました。でも一歩間違えれば爆睡だったかも、、、という気もします(笑)。

[C773] 遅くなりましたが

mardigrasさん、こんばんは。
昨年末のブログDEロードショー作品でしたが
やっとネットレンタルの順番が回ってきて
とっても遅い鑑賞になってしまいました。すみません。

私は鑑賞中に1度寝てしまって、2日にわたる鑑賞になってしまったのですが
観終わった後はとにかくゆったりした気持ちになれました。
私自身は大震災の被害は全く受けなかったにもかかわらず
気持ち的に沈んでるところがあったのですが、この映画に癒されました。

選んでくださってありがとうございました。
そして、素晴らしい考察に感嘆いたしました!

[C774] >マミイさん

こんにちは!
鑑賞付き合ってくださったんですね~!ありがとうございます!!
借りにくい映画を選んでしまって、本当にすみませんでした!
おっしゃるとおり、どこかしら、安らかな気持ちにさせてくれるところのある映画でしたね~。

こたびの震災は、直接の被害あるなしにかかわらず、日本中のだれもが大きな衝撃を覚えずにはいられないものだったと思います。それだからこそ、きっとこれだけ支援の輪が広がっているのだと思います。。。
  • 2011-04-04 14:17
  • mardigras
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