武蔵野夫人

だいいち、武蔵野ってあンのかしら
「武蔵野夫人」のイラスト(田中絹代と片山明彦)

蔵野に生まれ育ち、そして今も武蔵野に暮らす人間にとって(私のことです)、溝口健二の「武蔵野夫人」(1951)は、およそほかに代わるもののない、特別な映画です。

古風で貞淑な人妻と、俘虜収容所から復員してきた従兄弟の間に芽生えるプラトニックな愛、そして彼らを取り巻く人間たちの打算と欲望、相克を描いた"メロドラマ"についての感想...はひとまず置くとして、"武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない"――国木田独歩がそんな言い回しで讃えてみせた、"林と野とがかくも能く入り乱れて、生活と自然とがこのように密接している"、わが愛する郷土の戦後まもない時代の詩趣溢れる素朴な情景を、こうして映画として残してくれたことに、まずは何といっても感謝せずにいられない作品です。


「武蔵野夫人」のドラマと人間関係のあらまし(以下ネタばれ)

武蔵野夫人」は、牧歌的な田園風景が色濃く残る戦後の武蔵野を舞台に、中産階級の男女四人の道ならぬ恋と、その悲劇的な顛末を描いた愛憎劇です。主要な登場人物は、終戦間際、戦火を逃れて都会から武蔵野の実家に疎開してきた道子(田中絹代)とその夫、フランス文学教授の秋山(森雅之)。隣家に住む道子の母方の従兄弟で、軍需工場を営む大野(山村聰)とその妻、富子(轟友起子)。そして終戦から三年後、ビルマからひょっこり復員してきた、道子の父方の従兄弟で大学生の勉(片山明彦)――。

コケットを絵に描いたような隣家の妻、富子との姦通を夢見る秋山。退屈な日常に突如現れた美青年、勉にただならぬ関心を示す富子。貞淑で古風な幼馴染の従姉妹、道子を愛するようになる勉。そして内心、勉に思いを寄せながら、その気持ちを押し隠して貞淑な妻であり続けようとする道子――。そんな四つ巴の人間関係がかたちづくる"恋愛の平行四辺形"(岩波書店「大岡昇平集3」収録、埴谷雄高の解説より)が、次第に歪みの度合いを増幅させながら、やがて道子の自殺というカタストロフィに向かって崩壊していくさま――具体的には、

(1)不感症の妻に対する不満を抱え、またスタンダールの世界に憧れもする秋山の富子に対する浮気のための浮気心が、富子に手酷く拒絶されたことによる羞恥と復讐心、そして富子が勉に示す媚態に対する嫉妬によって、次第に切羽詰った感情へと変化していくさま

(2)家庭を顧みない夫に愛想を尽かし、また男に対する媚態を一種の習い性ともする、富子の勉に対する"お約束"の関心が、内心つまらぬ女と侮ってもいた道子と勉の相思相愛に対する嫉妬と自己憐憫によって、狂おしいまでの情欲に燃え上がっていくさま

(3)都会の"アプレ"女性たちとの空疎な"恋愛ゲーム"に飽き足らない思いを抱いていた勉の(道子を蔑ろにする)秋山に対する敵愾心と道子への同情が、武蔵野に対する憧れとないまぜになって、恋情へと変化していくさま

(4)父母亡きあとの宮地家(道子の旧姓)を守ることを第一に、冷え切った夫婦仲と孤独な生活に甘んじていた道子が、庇護者のつもりでその身を案じていたはずの勉にいつしか恋心を抱き、やがて道徳と背徳の狭間でにっちもさっちもいかなくなっていくさま

を、映画は、彼らの人間関係の水底に流れる心理の綾をあの手この手で汲み上げながら、描いていきます。



武蔵野と密接に結びついたドラマの様相

"芸術作品に郷土の土の臭ひを感じさせるといふことは、その作品の味はひと親しみを非常に深めるものである"「溝口健二集成」収録、溝口健二「土の臭ひ「祇園の姉妹」を作るまへに」より)

たとえば、草いきれの匂い立つような雑木林や、爽やかなせせらぎの聴こえてきそうな疏水の情景。あるいは、いかにも武蔵野らしい大樹の屋敷林が涼しげな緑陰をつくる日本家屋の佇まいや、涵養された清水がこんこんと湧き出る泉のある庭の風情。そして、林と水田が渾然となった長閑な田園風景と、丘陵の懐に満々と水を湛えた村山貯水池の一幅の絵のような景色――。この映画に記録された、私にとっては文字通りの原風景といっていい(実家が狭山丘陵の南麓にあり、村山貯水池は、ほとんど庭みたいなものだった)、武蔵野のいかにも"武蔵野らしさ"を捉えた映像の美しさと懐かしさには、ホント、何度観ても溜息が出ます。

「武蔵野夫人」の"武蔵野"夫人たるゆえんは、単に武蔵野を舞台にしているだけでなく、ドラマの様相そのものが、東京に隣接する武蔵野の地理的・地質的様相と、不可分に結びついている点にあります。

たとえば戦後にあって紊乱を極める都会の退廃的な風情と対比して描かれる、武蔵野の清潔で素朴な情景は、たとえ周囲がどうあろうとも、己だけは道徳的であることを誓い、父亡きあと、先祖代々の家屋敷を守っていくことにアイデンティティを見出す道子の姿に重なるのであり、他の登場人物たちが、武蔵野と都会を自在に往来してみせるのに対し、道子ひとりが最後の最後まで武蔵野の外に足を踏み出すことがないのは、要するに、道子が、武蔵野そのものを象徴する存在だからでしょう。

そして、そんな道子に対する勉の愛情は、戦中戦後ですっかり様変わりした都会の放縦な空気に浸りきれない、浦島太郎のような復員者の胸に去来する、昔と変わらぬ武蔵野に対する郷愁と感傷――すなわち現実から目を背けた後ろ向きの憧憬が、その格好の対象を得て恋に転化したもの、といっていいかもしれません。

ひとたびそう思ってみれば、勉と道子の二度にわたるデート――"古代多摩川が武蔵野におき忘れた数多い名残川のひとつ"である野川を源流の恋ヶ窪へと辿る散策行、また武蔵野の原始林が色濃く残る、"期せずして古代多摩川の流路を再現した"村山貯水池への小旅行――が、武蔵野の歴史と地層を過去へ過去へと遡るものであることは、いかにも彼らの道行きに未来のないことを、巧みに暗示しているようだったりもします(太字はいずれも原作「武蔵野夫人」より)。

また一方、秋山と富子の道子に対する侮りは、武蔵野の余所者にして、良くも悪くも戦後社会の新しい価値観を体現した合理主義者たちによる、武蔵野の旧態然とした風土に対する生理的な憎悪と苛立ちの反映、といっていいかもしれません。

戦火に焼け出され、心ならずも妻の実家に寄寓せざるをえなかった秋山は、義父に疎まれ、また道子によってことあるごとに夫としての面子を潰されもして、次第に家付き娘としての道子に対する憎しみを募らせていきます。富子との出奔を画策した秋山が、道子にとって(文字通り)命よりも大切な土地家屋の権利書を持ち出し、売り飛ばそうと図るのは、愛人との再出発にカネが必要だからという以上に、道子と道子が体現するものすべてを踏みにじらずには気の済まない、持たざるインテリ都会人の捩れたコンプレックスの発露だったようにも思えます。

そして、そんな旧きものと新しきもののせめぎあいの末、道子の死によって締めくくられる「武蔵野夫人」は、いわば、武蔵野開闢以来の規模で進む戦後の復興開発(そしてその後に続く急激な都市開発と人口流入)の大波に呑み込まれようとしている、武蔵野の"武蔵野らしさ"の終焉を予見したドラマ――と言ってはいくらなんでも言い過ぎなのですが、とはいえそんな寓意をつい妄想してしまうほど、道子の死後、丘の上から武蔵野台地を見下ろす勉の目に映る、"逞しい力で生まれ変わろうとしている東京の街"――工場や住宅が密集した、今日見慣れたそれとさして変わらない、その画一的で殺風景な乾いた街並みの映像は、衝撃的です。

道子は死ぬ直前に勉に宛てた手紙の中で、勉の愛する武蔵野が、しょせんは幻想に過ぎないものであるとして、変わりゆく武蔵野を肯定し(つまりは自己否定し)、勉の目を未来に向けさせようとします。それが、果たして道子の本心だったのか、それとも勉のことを思っての方便だったのかはともかく、いずれにしても、そんなおためごかしの予定調和的な終幕に素直に頷くことができないのは、この映画に記録された、"林と野とがかくも能く入り乱れて、生活と自然とがこのように密接している"武蔵野の里山風景が、消えるに任せて忘れさってしまうには、あまりに惜しいものと映るからです。

だからこそ、そんな武蔵野の自然が、この時代に既になすすべもなく失われつつあったこと、そして半世紀を経た今となっては都会に浮かぶ離れ小島のように点々と残るだけのものとなってしまったことに、今更ながらに深い哀しみを覚えてしまうのであり、そして同時に、かつての面影を伝える武蔵野の緑が、ほんの僅かにしろ今なお遺されていることに、ほっと胸を撫で下ろしたくなるのです(本作の舞台となった、国分寺から小金井にかけての野川流域の一部、そして本作のみならず、「となりのトトロ」(1988)の舞台ともされる狭山丘陵周辺は、環境保護を訴える先人の努力の甲斐もあり、少なくとも目に見える景観に限っていえば、今なおかつての名残を留めている)。



「武蔵野夫人」は"失敗作"か、それとも"絶対的な傑作"か

西鶴一代女」(1952)、「雨月物語」(1953)、「祇園囃子」(1953)、「山椒太夫」(1954)、「近松物語」(1954)――とまあ、溝口映画の黄金期ともいうべき、1952年から1954年にかけて生み出された、綺羅星のごとき傑作群の目眩めく光輝の陰で、その直前に撮られた本作は、悲しいほどに評価の低い、というよりほとんど語るべき価値のない(あるいは相対的に価値の低い)"失敗作"として、国内の批評家・映画人たちから、黙殺に等しい扱いを受けてきた作品です。

高校生のときに初めて観て、そしてほどなく、この映画の監督が、巨匠と呼ばれる存在だったことを知って以来、この映画に関する肯定的な評価を読みたくて、溝口関連の書籍を紐解くたび、「武蔵野夫人」の名前を探す癖がついてしまったのですが、そもそも作品に対する肯定・否定以前の問題として、「武蔵野夫人」に触れた記述がほとんどない――つまりシカトされていることに、ほとほとがっくりさせられたものです。よしんば「武蔵野夫人」への言及が見つかったとしても、それは大抵、ほんのついでのひとことふたことなのであり(私の知る限り、本作のまともな批評は、キネマ旬報51'10月号掲載(「溝口健二集成」に再掲)の双葉十三郎のそれくらい)、しかもその内容といえば、これまた判をついたように、否定的なものばかりだったりするのです。

たとえば蓮實重彦曰く、"溝口映画についての評論の標準になってしまった"という「溝口健二の世界」において、佐藤忠男は、「武蔵野夫人」をめぐる批評家たちの評価を、こう総括しています。

"...1950年の「雪夫人絵図」、51年の「お遊さま」と「武蔵野夫人」などを見ると、これらは現代風俗を扱った作品であるにもかかわらず、明らかに、新派悲劇の様式が認められる。歌舞伎=新派に特有の、「色男、金と力はなかりけり」といわれる典型的にお芝居的な二枚目が登場し、情緒てんめんたる絵画的な情景が展開するあたりなどが明らかにそうである。だからこれらの作品は、批評家たちの定説では、せっかく「浪華悲歌」や「祇園の姉妹」で日本映画のリアリズムを開拓した溝口がスランプにおちいった時期の作品と見なされるのである"(佐藤忠男著「溝口健二の世界」より)

また、溝口健二を師と仰ぐ新藤兼人は、「武蔵野夫人」に対する強い侮りを滲ませた、こんな一文を残しています。

"溝口健二ぐらいたびたびスランプを迎えた監督はいないだろう。そしてまた、たび重なるどん底から、おどろくべき執念ではいあがった監督も他に類をみないであろう。好調不調の波がはげしいのだ。もう溝口は浮かびあがれないだろうと映画界はみていた。前年の「武蔵野夫人」はとくにひどかった。「西鶴一代女」は、溝口健二がスランプの地獄から、はいあがろうとして生爪をはがした作品である"(新藤兼人著「ある映画監督-溝口健二と日本映画-」より)

そして、そんな批評家・映画人たちによる"失敗作"との烙印に、そもそも本作の脚本を手掛けた依田義賢と監督の溝口健二が、身も蓋もなく、自らダメ出ししていたりもします。

"「お遊さま」を撮った昭和二十六年に、溝さんはもう一作、大岡昇平氏作の「武蔵野夫人」を作っていますが、当時ベストセラーとなる好評を博した、スタンダール張りのこの作は溝さんの(私も含めて)手に余ったようでした。(中略)結果は全く、低調な気のない作品となってしまいました"(依田義賢著「溝口健二の人と芸術」より)

"東宝で作った写真だが、これも自分以外のものに引きずられた一つで、まずかったな。「雪夫人」と似たような動機から女を書いてみる気になったのだが...二十六年は「お遊さま」とこの二本きり?うまくいかない上にあまり撮っていないもんだな"(「溝口健二集成」再掲、キネマ旬報'54年1月上旬号「溝口健二・自作を語る」より)

さらには原作者にとっても、この映画は、はなはだお気に召さないものだったようです。

"小説発表の翌年、福田(恆存)の監修で相次ぎ芝居や映画になった。だが、いずれも原作に忠実ではなかった。それが大岡には許せなかったのだ。「こんなの、おれの作品じゃない」。映画の試写を見た大岡が激怒したのを一矢さん(富永一矢氏。戦後しばらく大岡昇平が家族とともに身を寄せていた富永家の子息)は覚えている"(2004年6月2日付朝日新聞多摩版「崖線:5(中央線の詩 第5部慕情・小金井: 6)」より)。

とまあ、「武蔵野夫人」に対する(作り手も含めた)国内の評価が、かくもボロクソであるだけに、海外の映画人たちが、この作品を高く評価していることを知ったときは、喜ぶよりもむしろ、驚いてしまったものです。

スペインの世界的映画監督であるビクトル・エリセ、そして欧州でもっとも早く"MIZOGUCHI"を発見したとされる「カイエ・デュ・シネマ」誌の元批評家で、また映画監督でもあるジャン・ドゥーシェは、2006年に開催された「国際シンポジウム 溝口健二」と題するイベントに招かれ、「武蔵野夫人」を含む諸作品について、それぞれ以下のような発言をしています。

"五十一年から最後までのリスト。これほど間断なく卓越したレベルを維持し続けたシネアストに比肩しうる者は一人としていない、と主張したい。間断なく崇高であり続けたのです"「国際シンポジウム 溝口健二 没後50年「MIZOGUCHI 2006」の記録」(蓮實重彦/山根貞男 編著)収録のパネル・ディスカッション「世界が見た溝口」におけるビクトル・エリセの発言)

"1951年からではなくて、1950年から1956年に至るまで、六年間で、溝口は十二本の映画を撮っています。この十二本すべてが、絶対的な傑作です。そのことは圧倒されるような、驚くべき事実です。この時期の作品の中では、一瞬たりとも、他よりも弱い瞬間はないのです。すべての瞬間が常に力強く偉大です"(同パネル・ディスカッションにおけるジャン・ドゥーシェの発言)

あるいは、雑誌ユリイカの溝口健二特集号に寄せた一文の中で、映画監督の筒井武文が引用した、「カイユ・デュ・シネマ」誌の溝口特集(81号、1958年5月)に掲載されたという、ヌーベル・バーグの中心的人物だったジャック・リベットによる、「武蔵野夫人」についての論評。

"(ジャック・リベットは)"我らがシネアストの豊かな独創性が究極の形で証明された作品"という「武蔵野夫人」については、"ふたつの物体の間の1ミクロンの単位まで知覚できるくらいの、あるいはヒロインのわずかな息使い(原文ママ)や微妙な心理の動きまで正確に描き出される"ことへの驚きを表明している"(ユリイカ1992年10月号「<場>の要請する衣装力学」より)

それぞれ目のつけどころが違う、また見えているものも違う――と言ってしまえばそれまでですが、「武蔵野夫人」は果たして"失敗作"なのか、"絶対的な傑作"なのか、その評価は、かくも国内外で異なっていて、それでは私自身がどうだったかといえば、それはもう、間違いなく前者。そもそも、惚れた女の美点をわざわざ人に訊いて回るような真似をせずにいられなかったのも、裏を返せば私自身、この映画を素晴らしいものと思いたいのに思えなかったから...にほかなりません。なにせ、たまたまつけっぱなしだった深夜テレビで観て、そこに思いもかけず馴染みのある景色を見つけて興奮し、その映像に一目惚れしながらも、ついうとうとせずにはいられなかったほど、メロドラマに1ミリたりとも興味のなかった当時の私にとって、「武蔵野夫人」の物語それ自体は退屈だったのです。

のちに大岡昇平の原作を読み、そこに私が武蔵野だと思う武蔵野(そう、"僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有している"と国木田独歩の友人が「武蔵野」の中で主張していたように、私にもそれがあるのです)の情景が、映画よりも遥かに詳しくかつ具体的に記されているのを発見し(なにせ巻頭に手書きの地図が載っている)、私の武蔵野夫人ラブは、いよいよ決定的なものとなりました。しかし、その尊崇の念は、あくまで地縁に基づく親近感から生じていたのであり、いわゆる心理小説としての「武蔵野夫人」、そして、そんな原作を下敷きにした映画に宿る、郷土の記録としての魅力とは異なる、まったく別の魅力に開眼したのは、ほんのつい数年前、約二十年ぶりに原作を再読し、併せて映画を再見してからのことです。



原作「武蔵野夫人」の妙味とその映画化の難しさについて

"ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代遅れであろうか"

二十歳で夭折したフランスの小説家、レイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」の書き出しの一節をエピグラフとして掲げた、大岡昇平の「武蔵野夫人」の妙味が、小説の中で展開する事件の表層――有り体に言って、まさに"時代遅れ"なメロドラマとしか思えない、そのストーリーラインを追いかけることにあるのではなく、細密画のようにしつこく緻密に書き込まれた、事件を織り成す登場人物たちの心理の軌跡、そしてその心理が玉突きのように互いの心理に影響を及ぼしあっていく因果なプロセスをじっくり観察するところにある――というのは、再読して、初めて得心がいったことです。

"どのページにも、将棋の駒の塔や道化の動きとすこしも変わらぬといえるような、女の心もしくは男の心の動きがある。作者の確実にして冷酷な操作に、象牙のぶつかりあう乾いた音が感じられる"(岩波文庫版「ドルジェル伯の舞踏会」のあとがきより)

大岡昇平は、アルベール・ティボーデの「ドルジェル伯の舞踏会」についての言い得て妙にもほどがあるそんな批評が、「武蔵野夫人」の創作意欲を掻き立てる"出発の合図"となったことを述べています(岩波書店「大岡昇平集14」収録、「武蔵野夫人の意図」より)。登場人物たちが、互いの心を自分流に解釈し、ときに読み違えたりもする心理の動きが綿々と綴られた「武蔵野夫人」には、将棋の棋譜を一手一手、指し手の裏にある対局者たちの思惑を玩味しながら辿る、感想戦にも似た面白さがあるのであり、心理の連鎖反応が導く結果としての物語の表層が、時代遅れなメロドラマに見えてしまうことは、この際どうでもいい――とまでは言いませんが、いずれにしても、そんなメロドラマに結実する人間心理の錯綜っぷりを、いわばシュミレーション感覚で楽しむところに最大の旨みがある作品である、ということが、一通りの人間関係を経験したオトナになって、ようやく腑に落ちるようになりました。

そんな小説をもとにした、映画の「武蔵野夫人」をただ漫然と眺めても、当時高校生だった私が、そこに面白味やカタルシスをまったく感じられなかったのは、ある意味、当然といっていいかもしれません。ジャック・リヴェットのように、"わたしたちが現在のところ観ることのできる(「武蔵野夫人」を含む溝口健二の)十本の映画の物語などどうでもいいことだ"(ユリイカ1992年10月号掲載の「フランスから見た溝口」より)などとは、100年経っても達観できないにせよ、いずれにしても「武蔵野夫人」は、会話の極端に少ない原作において、地の文で延々書き込まれた事細かな感情分析――視覚への転換がほとんど不可能にも思える、心理の動きと連鎖反応のプロセス、そして必ずしも内なる心のままに振る舞うわけではない、登場人物たちの心理と言動の不一致を、いかに映像やセリフに翻訳してみせたのか、ひいてはその結果として、果たして"作者の確実にして冷酷な操作に、象牙のぶつかりあう乾いた音が感じられる"作品となりえているのか――を見るべき(評価すべき)映画であるということに、初鑑賞から20数年を経て、やっと思い至った気がします。

そしてそんな角度から眺めたとき、「武蔵野夫人」は、単なる退屈なメロドラマから、ときにスリリングであるとさえいっていい、登場人物たちの心理の襞の繊細な脈動が、映画ならではの技法によって表現された、かなり見応えのある、心理のチェス・ゲームへと変貌します。展開のところどころが、はしょられたり、変更されたりしていることもあり(そしてその結果、心理の連鎖になくてはならないはずの輪が欠けてしまっているところがある)、原作の緻密な感情分析をざっくり四捨五入したかのような雑駁さ、ひいては不自然な心理の流れに違和感を覚えてしまう箇所や、あるいは信じられないほど安易な描写のあることもまた確かでありながら――その意味で、リヴェットが述べるところの"1ミクロンの単位"はいくらなんでも買い被りすぎであるにしろ――原作者が、"脚色も演出も演技も、もっとも困難"と認める"セリフと動作が少ない心理小説"(筑摩書房「大岡昇平全集14」収録の「『武蔵野夫人』の劇化」より)の持ち味を、部分的には完璧以上のレベルで翻訳しえたといっていい、少なくとも"失敗作"と切って捨てるには、まったくあたらない作品だと思うのです。



心理のチェス・ゲームその1: 四人の行く末を暗示する晩餐風景

とえば四人が初めて一堂に集う、屋外での晩餐風景。三ショットで構成される、ほんの2分ほどのその場面がいかなるものかといえば――

■ショット1 (18秒)
フェードイン。日の暮れた庭先に食卓を設え、復員してきた勉を囲んで食事をする秋山、道子、富子、勉の四人を俯瞰で捉えた映像。勉の帰還を祝い、和気藹々と歓談している様子。(図1)。

「武蔵野夫人」図1

■ショット2 (45秒)
道子のやや斜め後ろから食卓を捉えた映像に切り替わる。食卓を挟んで道子の正面に秋山、右手に富子、左手に勉。道子が秋山に向かって、勉を家に住まわせてはどうかと提案する。微かに顔を顰めながら聞いていた秋山、誰にも気づかれずにちらりと富子を盗み見たあと、道子ではなく勉に向かって話しかける。「なぜ、お母さんのところへ行かないんだ」 「いやなんですよ...ここにおいてもらえるとありがたいんだけどなぁ」 椅子から立ち上がる勉。食卓に背を向け、木陰に向かって数歩進むと、「ボクねぇ、戦地で何度も武蔵野の夢見たんですよ」と問わず語りにしゃべり始める。カメラが勉のあとを追って横移動し、食卓は画面から外れる(図2)。

「武蔵野夫人」図2

「素朴な美しい、緑の武蔵野」 勉が空を眺めながら呟くと、フレームの外から秋山の声。「ふん、ノスタルジアだね」 勉が笑顔で振り返る。「ええ、日本の」 富子が右手からフレームイン。勉に歩み寄り、「でも、武蔵野ってそんな美しいとこあるの?第一、武蔵野ってあンのかしら。いま、東京都の街になってンじゃないの?どこにあるの?」と話しかけながら、勉の周りをぶらぶらする。勉が苦笑しながら答える。「富子さんにはわからない」(図3)。

「武蔵野夫人」図3

■ショット3 (56秒)
画面は再び食卓に切り替わり、面白くなさそうな表情の秋山を映し出す。席を立った道子が秋山のそばへと寄る。「ねぇあなた...」と口にしかける道子に向かって、秋山が邪険な顔つきで首を振る。「よせよせ、こんな田舎なんか面白くない。若い者は若い者同士がいいさ」(図4)。

「武蔵野夫人」図4

秋山が席を立ち、富子と勉の間に立ちはだかるように勉に歩み寄る。カメラは秋山のあとを追って横移動する。「君は知るまいがね、君の仲間たちは、ずいぶん面白くやってるらしいぜ」 秋山が勉に向かって話しかけながら、富子の近くへと行き腰掛に腰を下ろす(図5)。

「武蔵野夫人」図5

「仲間って?」 「成田君さ...おぅ、成田んとこ行け。五反田のアパートに、妹と一緒にいるんだ。女学生を集めて、大いにアプレぶりを発揮してるらしい」 口を挟む富子。「へえ、それも面白いわね。あたしも仲間に入ってやろうかな」 突然、画面の外から道子が勉のもとに駆け寄る。「そんなところへ行くのおよしなさいよ」(図6)。

「武蔵野夫人」図6

「面白いじゃないか。ボクだって若かったら、一緒にやりたいくらいだ」 そう混ぜっ返す秋山を、道子はきっとなって振り返る。「アタシはいやよ。とむちゃんをそんなとこへ置くなんて」 そしてその場を離れると、樹木が繁る画面の奥の暗がりへと歩み去る(図7)。

「武蔵野夫人」図7

秋山、道子の後姿に一瞥をくれたあと、再び勉に向き直る。「ふふ、ほうら、親譲りのストイシズムが始まった。ねえ君、あれの言うことなんか聞かなくてもいいよ。面白くやりたまえ。君は色男だからもてるさ。ねえ、現代のジュリアン・ソレルといくんだね」 秋山の慫慂に、満更でもなさそうに俯いて苦笑する勉。そんな勉を面白そうに眺める秋山と富子。画面の奥の道子の表情は暗くて見えない...

*       *       *

表向きは気の利いた助言を与えているようで、その実、勉を富子から遠ざけることに必死なだけの秋山。勉にさりげない媚態を振りまきながら、秋山に同調してその堕落を誘う富子。姉のような気持ちで勉の身の上を案じつつ、しかし不自然なほどに強い感情が迸り、そんな自分に自分で戸惑っているかのような道子――。

勉をめぐり、三人の心理が複雑に交錯するさまを、映画はその表面上の会話と関係なく、俳優の動きと一筆書きのようなカメラワークによって、流麗かつ優雅に浮かび上がらせていきます。ふらふらと気持ちの定まらない勉のあとをひらひらと追いかける富子、そんな富子に近づく機会をうかがう秋山、そして一旦は勉に駆け寄りながらもすぐに離れていく道子――礼儀正しく等分の距離を保っていた四人のバランスは(ショット1)、道子の提案をきっかけに安定を失うと(ショット2)、勉のこれからをめぐる天使と悪魔の囁き合戦の末、最初のそれとはまったく異なる位置関係に落ち着きます(ショット3)。

四人の辿る動線とその最終的な立ち位置は、ずばり、その後のなりゆきと人間関係そのものを暗示していたりもして、そもそもこの一幕が、原作に一切記述のない、映画独自のものであることを考え合わせても、これこそまさに、"作者の確実にして冷酷な操作に、象牙のぶつかりあう乾いた音"を、映画ならではの方法でもって、ものの見事に再構成してみせた場面ではないか――と思うのです。



心理のチェス・ゲームその2: 勉と秋山のあいだで身動きのとれなくなる道子

るいは、勉と道子の関係に疑いを持った偽スタンダリアンの秋山が、己の行状を棚に上げ、道子を問い糺す場面。勉と道子のただならぬ気配に気づいた富子が、大野邸を訪れた秋山に向かって、そのことをなかば嫉妬から注進すると、秋山は富子のご機嫌取りもものかは瞬間的に夫の顔を取り戻し、色をなして家へと取って返します。その慌てっぷりを見て、富子は秋山の底を見透かしたように、あるいは道子に嫉妬する自分を嘲笑うかのように、ひとりやるせない笑みを浮かべます。

■ショット1 (50秒)
フェードイン。書斎の椅子に渋い表情で腰掛ける秋山の横顔と(画面右)、固い表情で秋山を見つめながら、正面を向いて座っている道子(画面中央)。画面奥の中庭越しに勉の部屋と勉の姿が小さく見える(画面左)。「さあ、はっきり返事してください。どうなんだ、君たち」という秋山の大声に、道子は気が気でない様子で勉の部屋を振り向く。「そんなこと、もっと静かにおっしゃって」

秋山が椅子から立ち上がり、勉の部屋を見やりながら、「疚しいことがないなら、聞こえたっていいじゃないか、ン?どうなんだ」と道子を見下ろす。道子、無言で机の一点を見つめている。秋山は、「富子さんの目に気がつくほどだ」と云いながら、道子の背後の椅子に腰を下ろす。道子、秋山を振り返る。「富子さんの癖、あなたも知ってるじゃありませんか。あなた、アタシの云うことよりあの人の云うことを信じるのね」 そして机に向き直り、憤懣やるかたない表情で机に頬杖を突く。秋山が声を荒げる。「おまえが信じられりゃこんなこと云いやしない!」

「アタシを信じてくださらないで、どうして一緒に暮らせるの...アタシ、誰にもそんな気持ち持ったことはありません」 俯いたままそう云うと腰を上げ、秋山と目を合わせることなく部屋をあとにして、縁側から中庭へと下りる。その先には勉の姿。秋山、再び元の椅子に腰掛け、憮然とした表情で本を開く。

■ショット2 (15秒)
勉の部屋の奥(ショット1の正反対の位置)から秋山の書斎を捉えた映像。画面右に文机の前に腰を下ろした勉、中央に中庭に下りた道子、そのやや左奥に書斎の椅子に腰掛ける秋山の小さな姿。

一瞬、勉と道子の目が合うと、勉はやるせない様子で目を逸らし、憤然と座を立って画面から消える。道子、悄然としながら二、三歩歩き、縁側に腰掛けると、ちらりと勉のいなくなった部屋に目を向け、またすぐに逸らす。

*       *       *

ここで描かれるのは、秋山と勉――すなわち妻という役割と真実の感情の間で、にっちもさっちもいかなくなる道子の姿です。道子は当座を取り繕うために、秋山に対して平気で嘘をつく、といって悪ければ、(勉への愛情をいまだ認めようとしない)自分自身に対して嘘をつきます。しかしカメラは、そんな嘘を嘘と暴くかのごとく、ショット1、2を通じて道子を常に画面の中央に据え、そしてその左右(そして前後)のどちらかに勉と秋山がいる、という宙ぶらりんの構図を保ち続けます。道子の愛情の否定に、勉は怒りをあらわに道子の前から姿を消します。それはのちに描かれる、嵐の湖畔のホテルでの場面――二人きりの一夜を過ごしながらも、「道徳だけが力なのよ」と、社会のしきたりに背くことを拒否する道子の頑なな信念によって、ついに結ばれることなく、失意と絶望を抱えて武蔵野から去る勉――という、本作のクライマックスともいうべき一幕の先触れといっていいかもしれません。

そして、ふらふらと庭先に下りた道子と勉の間には、大きな植栽が立ち塞がっていて、そこには秋山の意志とはまったく関わりのない、二人を最後まで隔てる障害の存在が、暗示されているようだったりもします。



心理のチェス・ゲームその3: 湖面に反射する道子の後悔

してもうひとつ、村山貯水池を訪れた勉と道子が、湖畔に佇む場面。前場では、富子と一緒になるために離婚を切り出した秋山の身勝手に憤る勉を、道子が母親のようになだめすかしながら、かねて勉の行きたがっていた、狭山丘陵へ出掛けることを提案する様子が描かれます。道子の誘いに、喜びを隠せない勉は、甘えの滲む上目遣いで道子を見つめつつ、すっかり機嫌を直すのですが――。

■ショット1 (33秒)
フェードイン。湖に横たわる松林の岬を超ロングで捉えた、印象派の絵画のように美しい構図と諧調の画面。いかにも心地よさげな微風にさざめく湖面。しかし雲間に稲光が走り、不吉な予兆を孕んだ音楽が流れる。岬を歩いていた小さな二つの人影が立ち止まり、腰を下ろす。

■ショット2 (20秒)
岸辺に座り、樹々の合間から湖を眺める道子と勉の背中を捉えた映像。「この狭山丘陵は、昔の多摩川の三角州なんだよ。それが今は隆起して、海抜150mの丘陵になってるんだ」 得々と嬉しそうにしゃべる勉。「...そう」 道子は気のない返事をかえし、湖面を見つめ続ける。その表情はわからない。

*       *       *

この、短い場面に鮮やかに浮かび上がるのは、"はけ"(彼らの暮らす土地の通称)から狭山丘陵へと至る間に、徐々に移り変わっていったのであろう、道子の心理の変転です。勉を誘う道子の口調が、ことさら明るいものだっただけに、そして湖の景色が、ことさら美しくロマンチックなものであるだけに、いざ湖畔に佇む道子の心浮き立たない様子には、言葉には出さずとも、勉と二人で貯水池を訪れたことに対する、いまさらながらの怖れと後悔が色濃く滲みます。

"はけ"から恋ヶ窪に至る野川の散策が、距離にしてほんの4、5kmであったのに対し、"はけ"から村山貯水池へは、国分寺から狭山公園まで西武多摩湖線に乗り、ざっと12、3km。いわば、ちょっとした小旅行であり、その道のりが、古風な貞操観念に縛られた女性にとって、罪悪感を芽吹かせるのに十分過ぎるものであったことは想像に難くなく、こうして湖の畔に佇む道子の物言わぬ後姿には、車窓に移り変わる景色を眺めながら、浮き立つ勉の心と反比例して、徐々に心を塞ぎこませていったのであろう、その心理の軌跡までもが鮮明に浮かび上がってきます(ちなみに原作では、勉が道子を誘う。道子は電車が国分寺から離れるに従って安堵感を覚え、湖畔で勉と二人きりの時間を楽しみ、しばし解放感を味わったのち、嵐に遭遇して初めて後悔を覚える)。



とはいえ尽きない「武蔵野夫人」の不満

まあ、この映画のこれはと思える、心理の動きを見事に映像化した場面を挙げれば、きりがなかったりもするのですが、とはいえその一方で、この映画には、いかに好意的に観ようとしても拭いきれない、大きな"?"が山ほどあることも、また確かだったりします。

■キャスティングについて
"私は木暮実千代主演の「お遊さま」と「武蔵野夫人」を見てみたい。要するに、しかるべき世代の男どもが田中絹代に対してうまく乗れなかったのは、彼女が"エロ"ではないからなんでしょうね"(「国際シンポジウム 溝口健二 没後50年「MIZOGUCHI 2006」の記録」収録の対談「発掘された溝口健二」より)

蓮實重彦は、そんな遠回しな言い方でもって、田中絹代がミスキャストだったことを指摘しています。小暮美千代の演じる道子が見たかった、とはこれっぽっちも思いませんが、正直、当時41歳だった田中絹代の道子は、よくても年相応あるいはそれ以上としか見えず(道子の年齢設定は29歳)、恋のお相手である勉役の片山明彦が、役柄(24歳)とひとつしか違わない25歳、しかも年齢以上に幼さを感じさせる面立ちなだけに、ずばり、"きれいな従姉妹の姉さん"というより、"きれいなお母さん"にしか見えなかったりもします。そして、そんな見た目もさることながら、やはり気になって仕方がないのは、その訛り。特に、墓前で亡き父に語りかける独白や、死ぬ間際のうわ言は、長台詞のひとり芝居だけに(誤魔化されたくても)誤魔化されようがなく、武蔵野に生まれ育った女性のものであるはずのない、その独特のイントネーションに、否応なくテンションが下がってしまいます。

"何よりも土の臭ひを出すものはその土地の言葉である"(前出「土の臭ひ「祇園の姉妹」を作るまへに」より)と、方言の重要性を誰より自覚していた監督でありながら、本作ではその点において致命的に鈍感であったのは、やはり依田義孝の述懐どおり、「武蔵野夫人」が、監督にとってもスタッフにとっても、"気の入らない"一作であったからなのかもしれません。エリセやリベットが、この映画を手放しで誉めそやすことができるのは、結局のところ、日本語がわからない(そして彼らの目には、日本女性が若く見えがちだったりもする)という"特権"のお陰ではないか、そんなことを思ってしまったりもします。

とはいえ、終盤、土地家屋の権利書を秋山に持ち逃げされた道子が、心の千々乱れるままに嗚咽をだだ漏らして亡き父母の墓前を行ったり来たりする(そしてその姿をカメラが執拗に追い回す)姿に滲む、いかにも溝口健二&田中絹代だからこその残酷&哀れの味わいは捨てがたく、そう思うと、田中絹代がミスキャストだったというより、そもそも道子の心理を描く手立てとして、たとえば墓前の独白という、あまりに安易な手段を(3回も)用いたことにこそ問題があった、と言うべきなのかもしれません。

そして、そのキャスティングを見回したとき、むしろ田中絹代以上に納得がいかないのは、勉を演じた片山明彦。原作において、原作者が自身を投影させたという(「武蔵野夫人の意図」より)、ビルマで地獄を体験してきた復員者――原作のラストで、道子の死を知れば怪物と化してしまうのではないかと大野が恐れもする、美貌の裏に潜む、捨て鉢な凄みと怖いもの知らずの雰囲気が、映画の勉からは、きれいさっぱり抜け落ちてしまっています。そもそも、周囲の様子をおどおど上目遣いで伺うような卑屈さが持ち味の、そしていかにもナイーブな甘え声の持ち主である片山明彦の勉に、そんなアブナさが宿るはずもなく、ただひたすら美青年であることだけが取り柄の、金も力もなければアタマもない、その絵に描いたような底の浅い色男っぷりが、この映画の(悪い意味での)メロドラマ度を、ぐんと押し上げているように思います(大岡昇平が、この映画に激怒したもっとも大きな理由は、もしかするとこの勉の人物造形にあったのかも、などとつい想像してしまう)。

ちなみに蓮實重彦に倣って言えば、私は、三船敏郎(翌年「西鶴一代女」で、田中絹代の恋人役を演じる)が勉を演じる「武蔵野夫人」を見てみたかった...当時31歳だった三船敏郎なら、その、いざとなったら何をしでかすかわからないアブナさもさることながら、田中絹代との見た目の年齢差も縮まって、それこそ田中絹代の老けっぷりが醸し出す違和感も、かなり薄まったのではないか、と思うからです。

■都会の若者たちの描写について
"また、戦後の若い世代の生態、風俗を描かなければ、この作の若い主人公の性格や心をいきいきと浮き彫りにすることはできないのでありますが、それが(私にも)できなかったのです"(依田義賢著「溝口健二の人と芸術」より)

なるほど、脚色者の依田義賢が自ら認めているとおり、この映画のちっともリアリティの感じれらない場面といえば、都会の若者たちの放縦ぶりを描こうとした、一連の場面でしょう。たとえば、勉とその友人たちが溜まり場にする喫茶店で、勉が紹介されたばかりの女の座るソファの肘掛にいきなり腰を下ろしたと思いきや、おもむろに肩に手を回して熱い流し目をくれる、その仕草のぎこちなさと情景自体の嘘くささといったら、ちょっと信じられないほどです。それこそ、ラティゲの処女作を映画化した「肉体の悪魔」(1947)で主人公を演じ、また「赤と黒」(1954)でジュリアン・ソレルその人を演じたジェラール・フィリップが、パリのカフェでフランス女性を相手にやれば絵になったかもしれない、そんなハイカラにもほどがある恋の局面が、戦後の日本の喫茶店を舞台に成立するはずもなく(これもまた外人にはわからないことかもしれませんね)、同じ都会を描くにしても、オトナの生態と風俗の描写――秋山が富子を口説き落とそうとする待合に漂う、ぎとぎとしたリアリズムがことさら素晴らしい(そして手馴れた)ものであるだけに、その"若い世代の生態、風俗"をめぐる発想の貧困さと精彩のなさは、際立っています。

■セリフと会話によって説明される心理――映画の底が見える瞬間
前述のとおり、原作の「武蔵野夫人」は、極端に会話の少ない小説です。映画は、その数少ない会話のうちからいくつかを拾い上げるだけでなく、地の文で書かれた感情分析をセリフに転化して、会話の中に生かしていたりもしています。とはいえ、そんな工夫がまったくの失敗であるように思えてしまうのは、それらが文字で読むにはよくても、生身の人間が口にするにはツラすぎる、血の通っていないことばだからであり、またそもそも、登場人物たちの言動の裏にある心理の動きを辿るところに面白味のあるこのドラマの本質が、その心理が会話やセリフとして直截的に表現されればされるほど、身も蓋もなくなってしまう性質のものだからです(「武蔵野夫人」の劇化がいかに困難な事業であったのかということは、映画よりもむしろ、その心理の動きをほぼすべて会話で表現しなくてはならなかった、本作では潤色者としてクレジットされている福田恒存の手掛けた戯曲、「戯曲武蔵野夫人」を読むとよくわかる)。

道子の墓前での独白しかり、勉が道子にその思いを打ち明ける場面しかり、あるいは富子が勉や秋山に向かってその胸の内をストレートに曝け出す場面しかり、いずれもその心理が登場人物の口からストレートに語られるたび、この映画の底――いわば映画が原作に負ける瞬間――を見てしまったような気にさせられて、がっかりしてしまうのです。

*       *       *

というわけで、脂汗をたらたら流しながら頑張って褒めるうち(そして最後は褒めきれなくなった)、また性懲りもなく、かなりの長さになってしまいました。併せてロケ地と原作の舞台を写真つきで紹介するつもりだったのですが、それはまた改めてということで...(2015.7.19追記: 記事を書きました→「『武蔵野夫人』を訪ねて」



武蔵野夫人 (英題: The Lady of Musashino
公開: 1951年
監督: 溝口健二
製作: 児井英生
脚本: 依田義賢
潤色: 福田恒存
原作: 大岡昇平(「武蔵野夫人」
出演: 田中絹代/森雅之/山村聡/轟夕起子/片山明彦/進藤英太郎
音楽: 早坂文雄
撮影: 玉井正夫
美術: 松山崇


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コメント

[C829] 武蔵野

という言葉から受けるイメージは色でいうなら緑、
涼しい風が通り抜けていくイメージがあります。

溝口監督作品のこの映画のことはほとんど知らなく
ここでなるほどそういう映画であったのかと読ませていただきました。

確かに日本の大女優だと言われている田中絹代には
エロティシズムは感じられないし、有産階級夫人の
アンニュイも感じられないような気がします。

自殺に向かうヒロインを演じるにはやはり無理があったのではないでしょうか・・・

でも久しぶりにMardiさんのこういう映画解説を読むのはブログ冥利です、Vielen Dank!、


  • 2011-07-28 03:17
  • ヘルブラウ
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[C830] >ヘルブラウさん

こんにちは!
この記事にコメントいただけるなんてうれしいです~!

武蔵野、、、おっしゃるような涼しい風が緑の中を通り抜けていく、そんな武蔵のらしさが今も残る風景を次回の記事では紹介したいと思ってます(なるべく早く!)。

田中絹代、、、確かにおっしゃるとおりかもしれませんね。つい先日、「太平洋ひとりぼっち」(1963)という映画を観たのですが、田中絹代が主人公のお母さんを演じていて(そして大阪の小さな町工場を経営しているその夫役がこれまたこの映画と同じ森雅之)、その板についた庶民的な母親ぶりに、ああ、田中絹代はどっちかといえばやっぱりこっちだよな~と思いました。その一方で、どんな役にでもそつなく化けてしまう森雅之はすごい、と改めて思ったりもしました。。。
  • 2011-07-29 12:42
  • Mardigras
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[C831] 武蔵野夫人

こんにちは~
とても、おもしろかったです。
一冊の小説を読み終えたような、珠玉の言葉の魔法に
クラクラってしているうちに終章まで来てしまった、
そんな気持ちになりました。

武蔵野という漢字がまた、いいですね。緑の樹木で覆われた別世界をイメージさせるし、むさしのっていう音もいいです。そういえば、「鉄塔 武蔵野線」も武蔵野線っていう響きが忘れられない映画のひとつにしたのかもしれません。

小説は是非読んでみたいと思います。映画は今でもレンタルがあるんでしょうか。
もしも、溝口健二特集をテレビで企画してくれたら、是非観たいです。
それにしても、日本では地味な扱いしか受けなかった
「武蔵野夫人」を様々な場所からのアプローチで登りつめるMardigrasさんの感性は、とても魅力があります。
これからの作品を楽しみにしています。

ところで、親指のつけねをざっくり切ってしまったとか
大変な時に、たらたらと投稿して、丁寧な返信をしてくださって申し訳ありませんでした。

田中絹代さんのイラスト、いいですね。作品に触れたことはなくとも、知っています。横顔、佇まい、素晴らしいと思いました。
楽しかったです。ありがとうございました。

追伸 wowowで8月後半 黒澤明監督の 「白痴」がありますね。






  • 2011-07-30 17:27
  • おりんこ
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[C832] >おりんこさん

こんにちは、
褒めてくださってありがとうございます!!
未見なのに読んでくださって本当にうれしいです~!

"むさしの"、、、そうですね、おっしゃるとおり、この響きのどこかに郷愁を誘うところがあるような気がします。「鉄塔 武蔵野線」もまた、本作や「となりのトトロ」と並んで武蔵野を舞台にした映画の代表作だと思ってます。この映画が戦後の武蔵野の風景の記録であるように、「鉄塔 武蔵野線」は1990年代の武蔵野の記録だと思います。

小説はぜひ!映画もたぶん大きいレンタル屋さんなら置いてあると思います。ちなみに廉価DVDがたったの380円で売ってます(笑)。でも、、、面白いかどうかは保証できないですよ~(笑)。溝口特集はたま~にケーブルの日本映画専門チャンネルあたりでやってる気もしますが、、、NHK BSにどーんと全作やってほしいものです!

>大変な時に、たらたらと投稿して、、、
とんでもないです!いつでも大歓迎です~!怪我したのは幸いにも左手だったので、思ったほど困らずにすみました。もう抜糸したんですよ。実は今日これから雲の平に行くのですが、ぎりぎり回復が間に合った感じです(汗)。

>田中絹代さんのイラスト、いいですね。
ありがとうございます!今回のは隣の"勉"もけっこう自信あるんですよ~(笑)。

>黒澤明監督の「白痴」、、、
この映画、実はDVDのハードディスクにずっと入っていて、けっこう好きな映画だったりします。かなりいびつなところのある作品だと思うんですが、「武蔵野夫人」と同じように、なんといっても当時の北海道の記録映画的な映像に魅せられています。埴谷雄高が"恋愛の平行四辺形"と言い出したのは、そもそも「白痴」についてだったので、、、その意味で、「武蔵野夫人」と見比べてみるのも面白いかもしれませんね。。。

今回もありがとうございました!
  • 2011-07-31 18:43
  • Mardigras
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[C833]

Mardigrasさん、こんばんは~
雲ノ平に登るんですか?お天気大丈夫でしょうか。

私は、昨日の土曜日から10日ほどかけて、悪沢岳あたりを歩く予定でしたが(テント泊)天気が不安定そうなので、変更しました。

お天気、早く安定して、来て良かったって思える登山になったらいいですね。無事に下山して、雲ノ平の写真や
山の話しを楽しみにしています。

田中絹代さんのお顔は何とはなしに知っているのですが、勉役の片山明彦さんという俳優さんは、すいません。知らなくて・・・でも、イケメンのようですね(笑)

本は図書館で借りて、ビデオも探して見ますよ~。
  • 2011-07-31 21:25
  • おりんこ
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[C835] >おりんこさん

こんばんわ、
ご返事が遅くなってすみません!昨日、雲の平から帰ってきました~。

ホントは9月に行こうと思っていたところ、都合が悪くなって急遽、今週にしたんですが、、、天気は午前中に一瞬晴れ間があってあとは曇り/雨、、、みたいな感じでした(泣)。夜も毎晩けっこう強い雨が降っていて、テン泊の人たちはつらかったかもしれません。帰りの電車では松本は晴れていたんですが、甲府あたりは大雨でした。。。悪沢岳延期は大正解だったと思いますよ~!

片山明彦の出ている映画は私もほかに2本しか観たことがありません。でも一回観たら忘れられなくなる濃ゆ~い顔です(笑)。
  • 2011-08-06 00:03
  • Mardigras
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[C836]

Mardigrasさん、お疲れ様でした。
お天気には恵まれなかったようですが、無事に下山されて、何よりです♪
時間のやりくりをして、ザックのパッキングも、あれはやめて、これをーーと気持ちを高めて出発したのに、天気が悪いと、残念な気持ちになりますよね。
今年の夏は不順!いつ、縦走に出たらいいのか、判断が難しいです。

武蔵野夫人のDVD購入しました。まだ、観ていないのですが(DVDプレーヤー修繕中)白黒映画がDVDになって販売されていることも、380円っていう値段にもびっくりしました。なにはともあれ、DVDが観られるようになったら、観ますよ~  濃ゆ~い顔。本は図書館から連絡があったので、受け取りに行きます。

今日、吉村昭の奥さん、津村節子さんの『紅梅』 を
読みました。一気に読みました。吉村昭の最期が
書かれています。小説仕立てなので、『破獄』 とは
書かれていませんが、何度も脱獄した人の執筆をしている時は、よく夜中にうなされて大声をあげたそうです。

もっと、淡々とした方だと思っていました。

あんなに魅力的な本をたくさん、書き残してくれた
吉村昭に手を合わせて感謝です。
それにしても、吉村昭の最期は とってもむごい!
むごく苦しい最期だったんですね。

  • 2011-08-07 21:14
  • おりんこ
  • URL
  • 編集

[C837] >おりんこさん

こんにちは、
またまたご返事が遅くなってスミマセン!

>無事に下山されて、、、
実はですね、、、下山中、林道まであと1キロってところで、右足首をぐきっと捻挫してしまったのですよ。。。おろかにもバスの時間を気にしてほとんど小走りになっていたせいです(笑)。しばらく休んでなんとか歩けたので助かりましたが、いやホント冷や汗ものでした~(今は腫れもほとんどひきました)。おりんこさんは大丈夫だと思いますが、でも気をつけてくださいね~!

「武蔵野夫人」、今頃読まれている頃でしょうか。。。私は昨日「海も暮れきる」を読了しました。これともう一冊、山に持っていったのですが、こっちはまったく手をつけられずに帰ってきてから読み始めました。病状が悪くなればなるほど、境遇が悲惨になればなるほど作品の出来具合が冴えていく、、、芸術家の業を描いて壮絶な一冊でした。読中は息苦しいほどで、読み終わって思わずほっとしたほどです。

放哉の弱さとダメ人間ぷりに、これは俺だ、、、と何度か思わずにはいられませんでした。別に私はアル中ではありませんが、なんというか、吉村昭の描く放哉像に人間普遍の弱さみたいなものを感じ、心が共振してしまったようです。誰もが放哉にとっての"酒"のような破滅のタネを持っていて、人間堕ちるのは簡単というか、とはいえ放哉にとっての"句"のような何かがあるわけでもない凡人としてはそう簡単に堕ちるわけにもいかず、もう必死に日常に縋りついて自分を守っていくしかないというか。。。普段意識していないだけで、実は日々ナイフエッジを歩いていることを再認識させてくれる、そんな怖い本でもありました。また同時に放哉の句の解題としても、実に読み応えのある一冊でした。すばらしい本を紹介してくださって、本当にありがとうございました!

吉村昭の最期、、、「海も暮れきる」の解説にちょこっと書かれていました。
人がどのように死ぬかは不平等極まりないものですが、人は死に方を選べない、、、そこだけは悲しいほどに平等なのかもしれませんね。。。
  • 2011-08-09 14:47
  • Mardigras
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[C838] Mardigrasさん

Mardigrasさん、こんばんは~
右足首の捻挫は、もう完治されたのですか?
たいへんでしたね。悪天候の山、小走りでの下山。
私も経験あります。捻挫は屋久島の縦走の半ばでやっちゃいました。幸い、水の豊富な山なので、すぐ冷やして、何とか縦走を続けました。
>バスの時間を気にしての小走り。しんどいですね!
私は、フェリーの時間を気にしての全力疾走を芦別岳で経験しました。山はとにかく全力疾走(笑)富良野近くの駐車場にから苫小牧のフェリー乗り場までの運転は
そりゃもう、たいへんな緊張でした。緩急織り交ぜての
夜の運転、ひやひやものでした。よく無事に到着したものだと思います。

吉村昭の「海も暮れきる」を 読まれたのですね。
山に本を持っていくなんて、すごいです。小屋泊まりの
特権でしょうか?そういう経験、一度もしたことがなくて、いいですね。のどかなところでの読書。

Mardigrasさんを通して見える風景はなんていうか
とても豊かですね。映画もドラマも小説も。
それこそ、北海道の清々しい風景をみているような気になって心地いいです。

すいません。今、気が付いたのですが、

さらば365日自由の日々...3年ぶりに就職してしまいました。
ってことは 不自由人の生活が始まってしまっているのですか? なんと、これまで、無職でしたか・・・・
ではでは なにはともあれ 再就職、おめでとうございます。
ブログは続けるのですね。ヨカッタです。
とにかく、存在してくれるのなら、遊びに来られます。
忙しくなりますね。どうぞ、おからだ、大切に、お仕事に
励んでください。
  • 2011-08-12 21:45
  • おりんこ
  • URL
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[C839] >おりんこさん

こんにちは!
捻挫は完治はしてないんですが(湿布してサポーター巻いてます)、痛みはかなり減ってびっこ引かずに歩けるようになりました。。。やっぱり山で焦るのはいけませんね。

>屋久島の縦走の半ばでやっちゃいました...
私は行った事ないんですけど、かなり長いトレイルらしいですから、その半ばでというとかなりキツかったことでしょうね。。。つい先日トレランする人と話したんですけど、体力もさることながら、ホントよく怪我しないもんだな~と思います。

富良野から苫小牧、ってけっこうありますよね~。北海道、それも夜の道って飛ばそうと思えばいくらでも飛ばせる感じですけど、ときには霧が出たり、あるいはねずみとりやってたり(笑)、それになんといっても野生動物が飛び出してくることがあって怖いです~。

今回は、「海も暮れきる」といっしょに三俣山荘や雲ノ平山荘を経営している伊藤正一さんの書いた「黒部の山賊」を持っていったんですよ。数年前に読んで、いつか雲ノ平方面に行くときは必ず持って行こうと決めていました。二日目に雲ノ平山荘に泊まったんですが、現在の小屋主おされている伊藤正一さんの息子さんと本の話ができて、密かに感無量でした(笑)。

>Mardigrasさんを通して見える風景は...
ありがとうございます!そんな風におっしゃっていただけるとブロガー冥利に尽きます(笑)!

>なんと、これまで、無職でしたか...
わはは、実はそうなんです。秋ごろからそろそろ働こうかな~と思って職探しを始めたんですが、幸か不幸か2週間足らずで決まってしまい、四日ほど前から働き始めています。今回、8月頭に天候を選ばず山に出かけたのもそれゆえなんですよ~。

そもそもブログを始めたのも山ほど自由時間ができたからで、正直、仕事しながら続けられるんだろうか、、、とも思うんですが、でも始めたときの目標、好きな洋画50本+邦画50本を紹介する、が終わるまではとにかく続けようと思ってますので(あと邦画38本)、どうぞこれからもよろしくお願いいたします!!
  • 2011-08-14 15:50
  • Mardigras
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[C846] 残暑お見舞い!

右上欄の一言でMardiさんのご様子がわかるんですねぇ~
気づくのが遅いっちゅうのー・・・

お仕事お忙しいようでどうぞお身体気をつけてくださいませ!
  • 2011-08-25 02:24
  • ヘルブラウ
  • URL
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[C848] >ヘルブラウさん

ご返事遅くなってスミマセ~ン!!

今日あたり、こちらは風に秋の気配が微かに感じられて、一時に比べればかなり過ごしやすくなりました。そう、馴染みの皆々さま宛のつもりで、ときどき右上欄で近況をご報告させていただいてるのですよ~。いよいよここも更新されなくなったときは終わりも近し、、、いや、まだまだ続けますので、どうぞよろしくお願いしま~す!
  • 2011-08-28 14:57
  • Mardigras
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[C910] こんにちは☆

昨日オンエアがあったので見ました。
その後に記事を全部、頑張って読ませて頂きました。

>だいいち、武蔵野ってあンのかしら

この言葉、そうですね、こころに引っ掛かりました。
そして、イラストは、一番ドキドキするシーンですよね。
内容と、mardigrasさんのご解説に、うんうん、と思いました☆

私は原作を知らないので、映画の感想だけですが、
溝口監督の作品、ちょこっとしか知らないのですが、
酷評されているとはビックリで、まぁまぁ良い作品だと思いました。
ラスト前のシークエンスから ラストシーンが特に良かったです。
(でもあの二人は いとこ には見えず、叔母と甥って感じで残念でしたが)

・・・もうすぐこちらに何が起きるのでしょうか? 皆さん同様、私も期待しています♪
  • 2012-04-14 09:55
  • miri
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[C911] >miriさん

お久しぶりです、
長~い記事を読んでくださって、ありがとうございます!
そうそう、イラストはあの雨が降り出すリビングの場面です。

同じ場面のことかもしれませんが、私は道子がだだ泣きしながら父の墓の前を何度も行ったりきたりする場面が好きです。いろいろ不満はありますけど、袋小路に追い詰められたこの場面の絶望感は、田中絹代の真骨頂だと思いました。

この映画のロケ地紹介をしようと思って、実は昨夏に写真も撮ってあるんですが、ついつい延び延びとなってます。いずれ書きますので、またぜひ読んでくださいね~。

>・・・もうすぐこちらに何が起きる...
わはは、思わせぶりなことを書いてしまってすみません(笑)。これについては近々記事にしたいと思いますので、こちらもあんまり期待しないで待っててくださいね~~!
  • 2012-04-16 00:07
  • Mardigras
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