
実にいまさらですが、昨年8月に訪れた、「雲ノ平」山日記の続きです。なにせ、これを書き終えないことには、次の記事にも進めない――というわけで、とにもかくにも書くのであります。
ちなみにイラストは、"日本版ダイ・ハード"こと、真保裕一の「ホワイトアウト」を映画化した同名作品(2000)より、そのあまりといえばあまりのリアリティのなさに思わずくすりとしてしまった佐藤浩市、にしようかと思ったのですが、ふと気が変わって松島菜々子。作品の舞台である架空の発電所、"奥遠和ダム"のモデルは新潟県の奥只見ダムですが、映画の撮影は黒部ダムで行われた、ということで、妹の旦那さんの叔父さんの奥さんくらいの距離感ながら、でもほかにネタが思いつかなかったということで――。
秘境の楽園に棲むイワナ
入山2日目。天気は上々、とまではいかなくとも雨の気配はなく、となれば、何をおいてもまずは釣り。朝食とパッキングを済ませ、三々五々、入山していく登山者たちを尻目に、ひとりテラスの梯子を伝い、ごうごうと流れる黒部川の岸辺に降り立ちました。

登山者がひとり、ふたりと出立する朝の薬師沢小屋。目視できるほどに傾いている...
この日、山小屋にはもう一人、釣り人が宿泊していました。黒部源流は二度目だという、フライフィッシャーマンのAさん。本流を遡行し、釣り人よりもむしろ沢ヤの憧れ、美しいナメ滝のある赤木沢まで釣りあがる予定とのこと(羨ましきかな)。「日が高くなってからゆっくりやるので、どうぞ」とのお言葉に甘え、6時半過ぎ、一足お先に入渓させてもらいました。
さっそく山小屋直下で釣りはじめたものの、ところが前日と違い、うんともすんとも手応えがありません。朝まずめのプライム・タイムであるにもかかわらず、まったく魚信のないまま釣りあがること30分、いったいどうして?とそろそろ焦りだした頃、瀬トロの岩陰に落としたルアーに、待望の1尾目がヒット。

鮮やかなパーマークが美しい。
とりあえずボウズを逃れてホッとしつつも、予想外の反応の悪さに、ここはひとつイワナ釣りらしく、丁寧かつ慎重に釣っていこう、と心に言い聞かせます(なにせ警戒心の強い魚なのです、本来は)。
やがて峡谷の切れ目に日の光が射し始め、なんとなく水が温んできたように思えた7時30過ぎ、2尾目をキャッチ。またしばらくして3尾目を釣り上げた頃、いつの間にか後ろに来ていたAさんが、挨拶もそこそこに、私を追い抜いていきました。そしてAさんの姿が上流に消え、谷間にすかりとした青空が広がった8時頃、とつぜんスイッチが入ったように、イワナがガンガン、ルアーにアタックしはじめました。

日の光を合図に至福の時間が訪れる...
急流を避け、弛んだポイントに的を絞り、ルアーを取っかえ引っかえ釣り続けること約1時間。サイズはいまひとつながら、感覚的にはほとんど入れ食いのペースで8尾追加。いずれも魚雷のようにすっと細長く、それでいてやけに胸鰭と尾鰭の大きい、いかにも黒部源流の急流に揉まれて育ったらしい、美しい魚体のニッコウイワナでした。

適者生存の原理ゆえか、異様に大きな尾鰭と胸鰭。
深山幽谷のヘブンリーな釣り味に、この際このままどこまでも釣りのぼりたい――そんな衝動が湧き起こりましたが、そこをぐっとこらえ、9時過ぎに納竿。
いつの日か、釣りだけを目的に来よう――。そう心に誓いつつ、来た道を戻り、ザックを背負い、9時半、いざ雲ノ平に向けて出発しました。
いざ雲ノ平へ
薬師沢(1,912m)から雲ノ平西端(2,350m)までの高低差400mの道のりは、鬱蒼とした樹林帯の中に苔生す大岩がごろごろと連なる急登で、思えば今回の山旅で、もっとも山らしさを味わった場所、といっていいかもしれません(要するに、ツラかったということです)。標高2,100mあたりまで、ヒリリリリンというコマドリ独特の甲高い鳴き声がしきりと聴こえてきましたが、やがてそれも間遠になり、あとはひたすら急坂を登り詰めること約2時間、ようやく雲ノ平の核心部へと続く、木道の末端に到着しました。
折立の登山口から延々10時間、やっとのことで辿り着いた北アルプス最奥の楽園は、残念なことに、すっかりガスの中でした。雲ノ平の西の玄関口、晴れてさえいれば、薬師岳の山塊がどーんと広がるはずの"アラスカ庭園"からの眺望も、ただ白一色に塗り潰されて、なんとも寒々しい。

分厚いガスの向こうには薬師岳の山塊が広がっている...はず。
ちなみに雲ノ平には、世界の景勝地にちなんだ名前の付けられた、自然の"庭園"があちこちに点在しています。エラリー・クイーンの"国名シリーズ"のようなもので、たわいないといえばたわいないのですが、その名付け親であっただろう山男たちの特権的で素朴な稚気に憧れもし、そして何より、まだ見ぬその風景に大いなる幻想を抱いていたものです。
前日の山歩きの途上、会話を交わした人たちがベンチで昼食をとっているのに出会い、合流して一休みしていると、弱り目に祟り目、やがてぱらぱらと雨が落ちてきました。慌てて雨具に身を包み、ぽたぽたと濡れそぼりながら、巨大なホワイト・ドームにすっぽり覆われたかのような高山台地を、脇目も振らず、ただひたすら先を目指して歩きます。

小雨にけぶる雲ノ平。
これまたすっかり沈滞ムード漂う"奥日本庭園"を通過、目の細かいレースのカーテンのようなガスの彼方に透ける祖母岳の裾を辿り、14時、ようやく雲ノ平の中心部にある、"ギリシア庭園"の小丘に建つ山小屋、雲ノ平山荘(2,550m)に到着しました。
雲ノ平山荘にて
峻嶮な峰々と急峻な峡谷によって外界と隔絶した溶岩台地、雲ノ平のド真ン中に、ぽつんと置き去りにされたかのような雲ノ平山荘は、その一種独特な箱型の意匠とも相まって、遥か創世の時代、大洪水によってアララト山の山頂に漂着したといわれるノアの箱舟もかくやと思わせる、一種神秘的で神話的な趣を感じさせる山小屋です。

箱舟のような雲ノ平山荘。
小屋主は、戦後、三俣山荘のオーナーとなり、その後、雲ノ平山荘、水晶小屋と次々に北アルプスの最奥地に山小屋を建てた、上篇でも触れた「黒部の山賊-アルプスの怪」の著者でもある伊藤正一氏のご子息、二朗氏。受付の際、どちらからと尋ねられたので、薬師沢で釣りをしてきたことを告げると、「昔の黒部はすごかったとオヤジが言ってました」と本に記されている通りの返事が返ってきて、思わずうれしくなりました。二朗氏によれば、今年はシーズン当初からずっと天候が悪く、この日の空模様はまだマシとのこと。
微かに木の香の残る真新しい山荘(昨年建て替えられたばかり)の二階にザックを降ろし、霧雨の中、雲ノ平の散策に出掛けました。それは"10年来の憧れ、雲ノ平にとうとうこうして佇んでいるオレ"気分をたっぷり味わうためであるのはむろん、それ以上の目的は言うまでもなく、そう、ライチョウ。ライチョウが現れそうな場所を二朗氏に伺うと、どこにでもいるけど、特に"スイス庭園"のあたりでよく見かける、とのことだったので、双眼鏡を片手に、木道をぶらぶらと東へ向かいました。
これまでの北アルプス行では、ライチョウ探しにずいぶん苦労していて(四度目の正直、昨年、北穂でようやく見ることができた)、今回もそう簡単には見られまいと思っていましたが、"スイス庭園"に行き着くまでもなく、小屋からそう遠くない木道脇で、岩陰にいる一羽の雌を、あっさり見つけました。

あっさり出会えたライチョウ。
手ごろな岩に腰を下ろし、しばし観察。そうして5分経っても10分経っても身じろぎもしないのに飽きてきた頃、どうやら雨が上がり、東の空に薄っすらと光が射しはじめたのを見て、"スイス庭園"へと向かうことにしました。

スイス庭園越しに姿を現した水晶岳。
いったいどのあたりが"スイス"なのかはともかく、"スイス庭園"は、実に美しい場所でした。標高2,600m、峡谷の絶壁に面して広がる、まさに空中庭園ともいうべき湿原。黒々とした池塘が点在し、その神秘的な景観の遥か下方には、北アルプスの山々の谷底を縫って流れる黒部源流が白く細い線となって伸び、高天原山荘の赤い屋根が、樹海にぽつりと浮かんでいました。水晶岳の山裾には、満々と水を湛えた水晶池が佇み、そして遥か頭上には、荘厳な日の光に照り映えた、3,000mに届かんとする水晶岳の鋭角的なスカイラインが、濃いガスの切れ切れに見え隠れしていました。

黒部ダムへと続く黒部川、上の廊下。
これですっかりガスが晴れたら、さぞかし気持ちがよかろう、としばらく粘ってみましたが、さすがにそう思い通りにいくはずもなく、他の散策者がちらほらとやってきたのを潮に、山荘へと引き返しました(そして行きがけに出会ったライチョウは、まだ同じ場所にいた)。
この日、宿はほぼ満員でしたが、布団はぎりぎり、一人一枚。隣人は、たまたま昨日、有峰から太郎兵衛平に向かう途上で道連れとなり、高山植物の名前を教えてもらったりしたBさん。彼によれば、前日の太郎小屋は、三人に布団一枚だったそう。薬師沢小屋まで足を延ばしたのは、正解でした。
夕飯は、今となってはこの山旅中、唯一記憶に残っている献立、野菜と鮭のたっぷり入った三平汁。雲ノ平山荘の名物だそうで、何杯お代わりしても、ぜんぜん足りなくならないところが素晴らしい(同席者に高齢者が多かったせいでもあります)。ここでようやく、この日、ガマンにガマンを重ねてきたビール。
ようやく人心地がつき、消灯まで寝っ転がり、持参してきた「黒部の山賊」を読み耽りました(雲ノ平で「黒部の山賊」を読む、これが幸せというもの)。窓からのぞく夜空には、いつの間にか星が瞬いていて、これは明日は晴れかしら、と期待に胸を躍らせましたが――まあ、そううまくいくはずもないのですね。
ビバ!日本庭園
翌朝の雲ノ平は、前夜の星空もどこへやら、冷たい小糠雨が降っていました。練乳のようにねっとりとしたガスが分厚く立ち込めて、周囲の山々の眺望はゼロ。
朝食を済ませ、6時40分、やや遅めの出立。雲ノ平を立ち去りがたくて、ぐずぐずしていたのですが、しかしそれが功を奏したか、7時過ぎ、小屋から東へ20分ほど行ったところにある水場で水を補給していると、みるみるガスが薄れていき、やがて雲の切れ目のところどころから、光が射し始めました。

絶壁のキワに広がる池塘群。
急いで登山道に戻ってみれば、"スイス庭園"越しに水晶岳の尖鋭が姿を現していて、そして西を振り返ってみれば、青空の下、広々とした緑一色の海原のような高山台地に、箱舟のような雲ノ平山荘が、ぽつりと浮かんでいるのが見えました。これこれ、これが見たかった、と、やっと胸のつかえがとれた気分。

雲ノ平全景。薬師岳方面のガスだけは、最後の最後まで途切れることがなかった。
陽の光に露がきらめくハイマツ帯を辿り、鷲羽岳へと延びる祖父岳への登り道を逸れ、山腹西側の巻き道へと歩を進めました。

鋭角的な水晶岳のスカイライン。
やがて、前方に黒部五郎岳と三俣蓮華岳が見えた頃、やれうれし、木道上で採餌中のライチョウの親子に遭遇。人影に驚き、母鳥も雛も、慌てて草むらに隠れてしまいましたが、しばらくその場でじっと様子を伺っていると、やがてひょっこり、再びその姿を現してくれました。雛は、三羽ほど。初めて目にする、ふわふわの綿毛に包まれたラブリーな姿に、感激ひとしお。

ライチョウ、再び。
ライチョウの親子に見とれているうち、上空の青味はますます広がって、いつの間にか、夏の北アルプスらしい空気が、あたり一面に充満していました。この辺一帯は、"日本庭園"と名付けられていて、景観的には、ここがこたびのハイライト。

日本庭園から眺める黒部五郎岳。双眼鏡で覗くと、尾根筋にちらほらと蟻のような登山者が。
三俣蓮華岳から黒部五郎岳、北ノ俣岳に至る、万年雪の残る山塊を遠景に、高山植物の咲き乱れる草原をアブが飛び回り、いやはやなんとも牧歌的。

黒部五郎岳。
神秘的な池塘の広がる、純日本的な神話世界の趣のあったスイス庭園よりも、むしろこちらの山岳風景の方が、遥かに私の中の"スイス"のイメージに近い。

三俣蓮華岳。
のどかな風景の中を、15分ほども進んでいくと、雪田が現れました。日の光に削られた残雪が、細かいパウダーとなって、風にキラキラと舞っています。雪田の末端は、黒部川の源流に向かって急角度で切れ落ちており、やがて峡谷を隔て、三俣蓮華岳の麓に立つ赤屋根の三俣山荘が見えてくると、雲ノ平もいよいよおしまい。

雪田、というよりも絶壁に切れ落ちる雪の川。
雲上の楽園に別れを告げ、ハイマツ帯に穿たれたトンネルのような薄暗い細道をそろそろ下っていくと、なんとここでまたしても、三羽の雛を連れたライチョウに遭遇。今度のライチョウたちは逃げ隠れせず、道の真ん中でじっとしていました。親子ともども、警戒心ではち切れんばかりになっている気配がびんびんと伝わってきましたが、細道の左右ともに藪が密生していて、身を隠したくとも、隠すことができないようでした。

みたびライチョウに遭遇。
避けようのない一本道ゆえ、私は私で先へ進むことができず、大弱り。しばし、互いに硬直した時間を過ごした後、いっそ跨げないものかとそろりと足を出すと、親鳥が慌てて坂道を先へ先へと逃げていきました。その後ろを、雛がよちよちと追いかけていきますが、なんとも危なっかしい足取りで、そしてこれがまた、とろい。踏まないよう、冷や冷やしながら、なんとか雛たちを追い越すと、親鳥は雛にかまわず、どんどん先へ。雛との距離が広がって、これでは迷子になってしまうかも、と焦りましたが、曲り角に至ってようやく、親鳥を追い越すことができました。

ラブリ~。
振り返ってみれば、ライチョウは心なしか、ほっとした様子。雛はと見れば、いつの間に親鳥の足元に辿り着いて、こちらも一安心。近くでライチョウが見たい、と思っていたものの、いざそうなればなったで、とんだスリルを味わう羽目になりました。
再び乳白色の世界(三俣蓮華岳~双六岳縦走)
ライチョウの親子に別れを告げ、それまで祖父岳に隠れて見ることのできなかった、山頂付近にぽつんと人影のある鷲羽岳(2,924m)の剛毅な山容を堪能しながら、こちらはまったく人気のない急傾斜のザレ道を、ひとりとぼとぼ下っていくと、やがてごうごうという流水音が聴こえてきました。鷲羽岳に端を発する、黒部川の正真正銘の源流部です。

黒部川源流。
標高2,400m付近の渡渉点から下流は、雪渓のトンネルとなっていて、清冽な流水が、ほの暗い洞穴へと吸い込まれていました。さすがに釣りのできるような川幅はなく、冷たい水に浸したタオルで顔を拭き、汗ばんだ首筋をぬぐったところで、休憩も早々に出発。
と、見る見る雲行きが怪しくなり、ほんの1時間前、日本庭園からあれほどはっきり見えていた三俣蓮華岳の山頂は、いつの間にか、すっぽりとガスに包み込まれていました。三俣山荘へと向かう登りにかかる頃には、日の光はどこへやら。そしてそれから約30分後、ようやく到着した三俣山荘周辺(2,550m)は白一色で、小屋の前庭のベンチに腰を下ろし、霧に透ける鷲羽岳の尾根道を眺めながら弁当を食べ始めると、ついに、ぽつりぽつりと雨が降り始めました。そそくさと食べ終え、雨具に身を包んで出発。
今回の山旅は、ここまでピークをひとつも踏んでおらず、この際、このままピークを外して歩くのもなかなかオツなもの――なんてことを思っていましたが、三俣蓮華岳から双六岳にかけての稜線から眺める槍・穂高が素晴らしい、と「山と高原地図」に書かれているのを読み、ころりと気が変わりました。ガスの中では眺望もへったくれもありませんが、とはいえ山の天気は崩れるのも早いが回復するのも早い、というわけで、何かの拍子に晴れ間がのぞくかも、と一縷の望みを抱き、三俣蓮華岳の頂上を目指しました。
視界の利かない小糠雨の中の登りは、ひたすら退屈かつ苦しくて、やっぱり巻き道を行けばよかった――と後悔しましたが、それでもいざ頂上(2,841m)に立てば、やっぱりうれしい(三俣山荘から三俣蓮華岳まで、休憩なしで55分。山と高原地図には、標準コースタイムが40分と記されていましたが、これはいくらなんでも短すぎでしょう)。

今回の初ピーク、三俣蓮華岳山頂。
午前中の晴れ間と暑さはどこへやら、肌寒ささえ感じる白一色の山頂でしばし休憩していると、そこへ、新宿からの夜行バスで一緒だったCさんが登ってきたのにばったり出会いました。登山口の折立で別れて以来でしたが、聞けば初日は薬師岳を往復して太郎平小屋に泊まり、二日目は一気に三俣山荘まで足を延ばし、この日は朝いちで鷲羽岳から水晶岳まで往復してきたとのこと。その健脚っぷりに感心することしきり。

双六岳山頂。
13時過ぎに三俣蓮華岳を出発し、丸山(2,854m)、双六岳(2,860m)を経て、15時15分、双六小屋に到着。晴れてさえいれば、行く手に槍・穂の山岳風景を眺めながらの快適至極の稜線散歩だったはずが、とうとう一瞬たりとも晴れることなく、またライチョウが現れることもなく、砂利を踏みしめ、ただひたすらに冷たい雨の中をとぼとぼ歩く、修行のような行程となりました。
ようやく辿り着いた双六小屋(2,600m)は大混雑で、乾燥室も満杯なら蚕棚も満杯、あてがわれたスペースは床の上(それでも布団をひとりで使えただけマシ)。なけなしの金をはたいて缶ビールを買い(小屋の受付で尋ねたところ、やはり新穂高温泉にATMはないとのことで、これにより、翌日の昼の弁当抜きが決定。泣)、先に到着していたCさんその他の人たちとしばし雑談して過ごし、やがて夕食。そこで、たまたま隣になった一行が、三重から来たという、某自動車会社の社員の方たち。私の愛車がその会社のものであることを知り、持参のワインを気前よくご馳走してくれました(ラッキー)。
槍・穂の連嶺を眺めつつ(双六小屋~鏡平)
そして最終日。双六小屋周辺は、変わらず白一色。雨具を着込み、6時20分に小屋を出発しました。どんよりと薄暗い双六池の脇を抜け、一路、新穂高温泉へ。夏山は、晴れあがったときの爽快感が天井知らずなぶん、天候に恵まれなかったときの情けなさも格別です。
昨年歩いた、槍ヶ岳から穂高にかけての稜線を眺めながら下山する、というのが今回の目的のひとつだっただけに、せめて一目でも――と尾根に登る山道を祈るような思いで進んでいくと、その思いが天に通じたか、にわかに東の空が明るくなり、霧がみるみるうちに晴れていきました。はやる気持ちを抑えきれず、足早に尾根道へと上がってみれば、そこには稜線に綿飴のような雲をまとった穂高の連嶺が、青空をバックに広がっていました。

雲に覆われた大キレットと奥穂高岳。
壮大な眺めを堪能しながら歩いているうち、次第に大キレットまでが姿を見せはじめ、ためしに双眼鏡を覗いてみると、昨年泊まった北穂高岳頂上直下の北穂高小屋が、はっきりと見えました。そして、稜線の北に最後まで残っていたガスが根負けしたように途切れはじめ、とうとう槍の穂先が、ちょろりと顔を出しました。

ようやく顔を覗かせた槍ヶ岳。
槍・穂のパノラマを楽しめたのは、笠ヶ岳へと続く稜線から鏡平へと下る山道が分岐するあたり(2,550m)までの約1時間ほど。その後、鏡平(2,280m)まで下りてきた頃には、槍の穂先はまた分厚い雲の中に隠れてしまっていました。
かくて長い休暇は終わる(鏡平~新穂高温泉)
鏡平山荘はカキ氷が名物らしく、ここで休憩する人のほとんどが、見るも涼しげな氷にしゃくしゃくと舌鼓を打っていました。日射がことのほか強く、私だって食べたくないわけがなかったのですが、この日の昼飯代を前日のビールに使ってしまったため、ほんの500円が出ない(涙)...というわけで、生ぬるい水で喉を潤し、非常食で空腹を満たし、ただひたすら先を急ぐことに。

鏡池。槍ヶ岳は残念ながら雲の中。
それでも、ときどきは立ち止まって鳥を探したり、高山植物に見とれたり、と道草を食いながら下っていたのですが、しかし山道が大きく方向を変える2,090m地点、眼下に左俣沢の太い流れと林道が遥かに見えるところまでやってくると、これでこの旅も終わり、こうなったら一刻も早く下山し、松本へ出てお金を下ろしてビールが飲みたい(そして何かまともなものを食べたい)――という思いが募り、別に急いでも急がなくても乗れるはずのバスに変わりはなかったにもかかわらず、ついつい足早になってしまいました。そしてそう、それが、大失敗のもとになったのです。

鏡平にほど近い登山道の脇に咲いていたクロユリ。
シシウドガ原を過ぎ、秩父小沢を渡り、多くのハイカーが休憩する秩父沢(1,730m)を脇目も振らずに通過して、しばらく進んだ樹林帯の中でした。登ってくる年配の二人連れのハイカーに道を譲ろうとしたところ、青息吐息でどうぞお先にと言われ、微笑み返したまではよかったものの、道の真ん中で立ち止まっていた彼らの脇を抜けようとして、つい、普段なら絶対踏み出さないような、鋭角的な石に右足を乗せてしまいました。その瞬間、右足があらぬ角度で滑ったかと思うと、そこへ、重力で勢いのついた全体重が――。
足首がぐしゃりと潰れ、しかし余勢が半分、そして(あきらかにヤバイけど、でも気のせいかも)と何かの間違いであってほしいと神に祈る気持ちが半分、でもって何事もなかったかのように進もうとしたところ、しかしほんの数歩もいかないうち、まるで決闘のあと、ニヤリと笑って数歩進み、突然ばったり斃れる西部劇の悪役のように、その場に崩れてしまいました。
冷たい脂汗がだらだらと湧き出してきて、これはもう、よくて捻挫、悪くて骨折。あまりの激痛に息もできないほど。それでも5分ばかり、その場でじっと歯を食いしばっていると、心なしか少しづつ痛みが退いてきて、どうやら骨折ではないらしい――と最悪の事態を免れたことに、ホッとしました。とはいえ地図を広げてみると、距離にして6km、そして高度にしてあと600mも残されていることがわかり、目の前が真っ暗になりました。登山靴を脱いで状態を確かめたい(そして湿布を貼りたい)のは山々ながら、いったん脱げば、おそらく二度と足が入らなくなるのがわかりきっているので、がまん。
さらに10分ほど休んだのち、覚悟を決め、気合を入れて、しかし恐る恐る立ち上がり、右手のストックを杖代わりにし、左手は木でもなんでも掴めるものがあれば掴み、びっこをひきながら、なんとか、よちよちと歩き始めました。とにかく、最悪でも林道まで出れば、なんとかなる(たとえば、いよいよ行動不能になってしまったらタクシーを呼べる。金はないけど)、の思いで、林道までの登山道の残り、高低差200mの下りを痛みに耐えながら、そろりそろりと、一歩一歩、慎重かつ必死に下っていきました。

2090m地点から遠望する左俣沢の林道。「ああ、もうすぐだ」...山道では気を抜いた瞬間、落とし穴がぽっかりと口を開ける。
あれから半年が経った今、改めて地図を見ると、絶望的にも思える距離を、よく歩き通せたものだなあ、と我ながら驚きます。つまりそれだけ、捻挫程度でレスキューのお世話になるのが、どうしてもイヤだったのですね(単独行であるだけに余計)。
どうにかこうにか山を下り、さらにうんざりするほど長い林道をのろのろと歩き、ようやく新穂高温泉に辿り着いたのは、そもそも乗ろうとしていた13時30分発のバスの発車直前でした。それから約2時間、バスの中でじっとしていられたあいだはともかく、松本に到着し、いざバスを降りて歩き出そうとしたときの痛みは強烈で、ATMを探してお金を下ろし、駅前のネパール・レストランに腰を落ち着け、生ビールを2杯、ぶっ続けで呑んでようやく人心地がつくまでは、ほとんど涙がちょちょぎれそうでした。
松本からあずさに乗り、どうにかこうにか家に帰り着き、翌日、医者に行ってみれば、右足はやっぱり捻挫。無理して歩いたせいか、その後2ヶ月ほども腫れがひかず、結局、秋山シーズンをまるまる棒に振る羽目になってしまいました。
というわけで、前職を辞めて以来、3年3ヶ月の長きにわたったロング・バケーションも、これにて終了。久しぶりに働き始めて早半年、ブログを書く時間もすっかりとれなくなってしまいましたが、せめて年3本くらいを目標に、細々と続けていこうと思う今日この頃です。
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管理人: mardigras

Mardiさんのブログでまた素晴らしい紀行文と
写真がみれて、今日はホクホクの分限者の気分です・・・笑
せめて季号ということで年4本ということでいかがでしょうか?