アレンジ
劔岳 点の記
誰も行かんかったら、道はできんちゃ。
私
が
「劔岳 点の記」
(2009)という映画の存在を知ったのは、2008年の夏、北アルプスの立山を訪れたときのことです。天狗平にある立山高原ホテルから、立山登山の玄関口、室堂平に向かうバスに乗ろうとチケット販売所の天狗平山荘に足を踏み入れたところ、壁一面に所狭しと貼られていたのが、立山・劔岳を舞台につい先ごろまで撮影が行われていたという、「劔岳 点の記」のロケ風景を収めたスナップ写真の数々でした。
新田次郎の数ある山岳小説の中でも、指折りの好きな一冊が映画化されようとしていることを知って嬉しくなり、そしてそれ以上に、壁に飾られた写真から伝わってくる、製作スタッフたちの本気――山の素人であるはずの映画人たちが、正真正銘の劔岳で、しかもどうやら無雪期のみならず積雪期にまで入りこんで映画をマジ撮りしていたということに、心底驚いてしまったものです。
いつかは劔岳
お
そらく多くの山好きにとってそうであるように、劔岳は私にとって、山歩きを始めた最初から、数ある山々の中でも飛び切りといっていい、"いつかは劔岳"とでもいうべき憧れの山でした。とはいえ(山歩きを目的に)初めて立山を訪れた2006年夏、宿泊した立山高原ホテル(以来、立山といえばこのホテルに泊まることそれ自体を楽しみしているほど、ここは居心地がいい)の客室の窓から生まれて初めて見た、立山曼荼羅に描かれた針の山そのまんま、ぎざぎざの稜線と鉄やすりでこすりあげたかの荒々しい岩肌を、大日連山のなだらかな尾根越しに覗かせていた巨大な岩の塊は、いかにも"登ってはいけない"オーラに包まれていて、その険阻にもほどがある凶相に、いつか登ろうなどと思うことすらおこがましい、というよりそんなことを思った時点で既に遭難しかかっているような、実に絶望的な気分にさせられたものです。
立山高原ホテルより劔岳(2006年8月)。
そしてそれから2年、再び訪れた立山で、室堂を取り囲む立山の峰々――浄土山から雄山を経て別山へと続く、いわゆる立山三山を縦走し、別山に至って初めて、遮るもののなにひとつない、眼前にどかんと屹立する劔岳と対峙したときの畏怖混じりの感動は、今もって忘れられないものがあります。眼下に広がる、遠目に見る限りは牧歌的とすら思える緑に残雪の入り混じった剱沢を前景に、青空を押し潰さんばかりにそこにある、圧倒的重量感の鋼色の山塊。とにかくでかくて黒くて剣呑。天狗平から望む遠景とは比べ物にならない、手を伸ばせば届きそうにも思えるその距離感に、畏れと慄きが倍増しになる一方、しかし心理的距離もぐっと縮まったというか、憧れもまた強まったというか、そしておそらく、映画の撮影隊が登ったということに知らず知らずのうちに刺激を受けてしまっていたというか、次に立山を訪れたら必ず劔岳に登るのだ――そう固く心に誓いつつ、室堂へと下山した覚えがあります(そしてそれから1ヶ月、富士登山をきっかけに腰痛が悪化、手術を受けて後遺症が残り、しばらく山歩きどころではなくなってしまった)。
別山より劔岳(2008年8月)。
とまあ、そんな劔岳で実際にロケ撮影したというその壮挙(とたまたまその地でその存在を知ったという親近感)をもって、観る前からすでに、"私、「劔岳 点の記」の味方です"(©村松友視)状態だったわけですが、実際に映画が公開されたのは、それからほぼ1年後の2009年6月末。ところがつい映画館に行きそびれ、結局、映画を観たのはWOWOWが放映してくれた2010年の春のことでした。
「劔岳 点の記」のストーリーについて(以下ネタバレ)
新
田次郎の原作、
「劔岳 <点の記>」
は、日露戦争直後の明治時代、日本地図上に空白地帯として残されていた、越中奥山の劔岳とその周辺の山々を、陸軍の至上命令のもと、悪天候と戦い、道なき道を切り開き、半年間にわたって調査・測量してまわり、そしてついには前人未到といわれた劔岳に"初登頂"を果たした測量官、柴崎芳太郎とその案内人の宇治長次郎をはじめとする、測量隊一行の艱難辛苦の測量登山の日々を綴った、山岳歴史小説です。
たとえば黎明期の日本山岳会が、劔岳初登頂をめざすライバルとして登場したり、あるいは立山修験道の老行者が劔岳の登頂路を示す謎めいたヒントを授けたり、そのいかにも小説的な展開のおそらくすべてが著者の想像力から生まれた虚構の産物でありながら(とはいえ苦難の末に初登頂を果たしたと思った劔岳の山頂に、奈良・平安時代の緑青のふいた錫状の頭と剣が発見されたという、いちばん作りごとめいたエピソードは事実だったりする)、柴崎芳太郎が記した"点の記"(三角点設定の記録)や、当時の新聞記事あるいは執筆当時存命だった関係者への綿密な取材をもとに、測量隊がいつどのようなルートを辿り、どこに幕営し、そしてどのようにして劔岳に登ったのか、その足跡に関する限りにおいて、あくまで史実にこだわって書かれた小説です。
映画「劔岳 点の記」に描かれた柴崎一行の足取りもまた、そんな原作をほぼ忠実に踏襲したものといってよく、明治三十九年秋の柴崎と長治郎による下見を兼ねた調査行に続き、明くる明治四十年春から秋にかけての半年間にわたる、測夫と荷揚げ人夫を伴っての本格的測量登山――地形偵察、撰点、造標の道程が、ほぼ原作どおりになぞられていきます(ただし映画は劔岳登頂をクライマックスとしているため、測量の最終工程である経緯儀を使った観測作業は、ほとんど描かれていない)。そして映画は、そこに原作にはないオリジナルのサブ・プロットやエピソード――たとえば長次郎と息子の葛藤、人間白帯に設定された測夫、生田信の成長のドラマ、手旗を使った測量隊と山岳会のコミュニケーション――を、こてっこてっと
なすりつけて
盛りつけていくのですね...
「劔岳 点の記」の息を呑む映像
そ
れにしても、「劔岳 点の記」に記録された四季折々の立山と劔岳、そして周囲の山々の美しさは、あまりに美しすぎて、ちょっと言葉にできません。劒岳をさまざまなロケーションからさまざまなアングルでを捉えた、まるで劔岳のプロモーションビデオのようなオープニングとエンディングのフォトジェニックな映像は言うまでもなく、ドラマ全体を通じて背景となる山岳映像の一切合財が、いちいちため息が出るほどに美しい。
たとば目に鮮やかな萌黄色の稲穂と緑の土手を前景に、田舎道を行く柴崎と長治郎の遙かうしろに聳える鋸の歯のような裏劒を捉えたロングショット。秋晴れの空のもと、天狗山山頂から柴崎が初めて望見する劒岳や、紅葉に染まる立山の山崎カール。あるいは夕陽を浴びてオレンジ色に染まる、見渡す限りの雲海を見下ろしながら柴崎と長次郎が語り合う、山岳映像ここに極まれりの荘厳な野営風景。
そして、氷雨に打たれ、吹雪に見舞われ、雪崩に呑み込まれ、大自然の猛威になすすべもなくやっつけられる人間たちを捉えたリアリズム溢れる映像が、これまた身震いするほどすさまじい。柴崎と長次郎が、雪渓に大きく口を開けたクレバスの脇に佇んでみたり、シュルンドにもぐってみたり。かと思えば天幕を吹き飛ばすほどの暴風雨に晒されたり、はたまた重荷を背負って峻嶮な岩壁にへばりついたり。あるいは一列縦隊の測量隊が、雪庇の張り出した雪尾根の端ぎりぎりを歩いてみたり。とにかく滑落したらどうすんだとか、落石があったらどうすんだといった、ありうべからざるロケーションで、役者がしゃべり、演技し、芝居が繰り広げられていることに、よくぞここまで、と感嘆せずにはいられません。
とまあ、「劒岳 点の記」は、山を眺めるだけで、なにがしかの幸せを感じる者にとって、そのドラマと切り離したところの山岳映像だけで、いくら賞賛してもし足りない作品なのですが、しかし、かくも美しくキビしい自然の中で繰り広げられるドラマが、果たしてその映像に見合うだけのものであるかといえば、これが残念ながら、かなりつらい。冒頭、主人公の柴崎(浅野忠信)が劒岳の測量を命じられ、案内人の長次郎(香川照之)と出会い、二人して立山周辺の山を歩きまわりながら信頼を深め合い、そして下山するまでの45分間は、目立った綻びがほとんどないといってよく(あっても見て見ぬフリができるというか)、むしろ近年の邦画に感じることのない、骨太な傑作の匂いがぷんぷん漂いまくっていたりもするのですが、ところが柴崎がいったん帰京して、本格的な測量の準備が始まり、登場する役者の数が増え、そしてドラマに占める彼らの存在感が増すにつれ(すなわちドラマが本格的に動き出すにつれ)、いろいろとおかしく、イタく、気持ち悪いことが噴出してくるのですね、これが。
ここがつらいよ「劒岳 点の記」(1) 明治は遠くなりにけり
富
山駅で長次郎が柴崎を迎える初邂逅の場面、人混みの中で、柴崎が長治郎にいきなり声を掛けられます。戸惑いながら、なぜ自分のことがわかったのかと問いかける柴崎に、上目遣いではにかみながら、
「勘だちゃ」
と答える、長次郎の素朴と誠実を絵に描いたような、明治の男はいかにもこうであったろうと思えるその所作と表情には、もうイッパツで心を奪われてしまいます。私が、この映画にまがりなりにも"明治"の匂いを感じるのは、ただひとえに、この、香川照之演じる長次郎の存在があるからこそなのであり、他の俳優のほとんどすべてが平成の現代人としか見えない中、最初から最後まで、ただ一人、香川照之の周囲半径5mだけは、明治の空気が漂っています。そして山に登ってからの、いかにも山慣れした案内人らしい、ひょこひょことした足の運びが、これまた実に素晴らしい。山岳会の小島烏水を演じる仲村トオルがみせる、山岳会とかいいながら、あなたひょっとして山歩きしたことないでしょ?的な颯爽とした大股歩きとは、実に対照的です。
主役の柴崎を演じる浅野忠信は、その黙然とした佇まいと朴訥とした表情に、どこか高倉健を思わせるところがあって、黙っていればパーフェクトというか、ほとんど常に長治郎と行動をともにし、また口数少なく過ごす前半の調査行にあっては、香川照之の放つ明治オーラの強い影響下におかれ、まったくぼろを出さずにいるのですが、後半、口を開く機会が増えるにつれ、いかにも平成な口調とそのしぐさが隠しようもなく曝け出され、そのあまりに無神経に思える(というより、もう平成でいいやと開き直っているかのようでもある)挙措に、興を殺がれてしまいます。
まして他の俳優をや、違和感を覚える点を書き出すときりがなかったりするのですが、ひとつ決定的な例を挙げれば、明治の軍人たちがちっとも明治の軍人に見えないのがつらい。そもそも明治村で撮影したという、不自然にだだっぴろい会議室のセット自体に人の営みの気配が薄く、また、柴崎に劔岳登山を強い、そして結果としてその壮挙を黙殺することになる、襞のない会話とドラマ展開が、苦笑してしまうほど稚拙なのですが(原作はそんなことはありません)、軍人を演じる笹野高史、國村隼、小澤征悦、(役者として上手な人たちなのかもしれませんが、)いずれも軍服がまったく板についてないというか、その振る舞いや口ぶり、いやそもそもその骨格・骨相が決定的に明治の軍人ではないというか、うまくいえないのですが、とにかく悲しいほどにリアリティが感じられません。
このあたりの感覚はもう、観る側個々人の年齢や経験に基づく思い込みや印象でしかないのでしょうが、たとえば今から35年前、同じ新田次郎の小説を原作に、奇しくも本作の監督である木村大作が撮影監督を務めた
「八甲田山」
(1977)において、同じ明治の軍人たちを演じていた山ほどの役者たちが、みな見事なほどに明治の軍人に見えたのと実に対照的なのであり(少なくとも何があっても平成の人に見えるはずがない。当たり前ですが)、それだけ現代日本にとって戦争の時代の記憶は遠く、またその立居振舞いや見目も、大きく変わったということなのでしょう。
あ、それからちょい役ではありますが、立山信仰の総本山、芦峅寺の総代を演じる井川比佐志と立山修験道の行者を演じる夏八木勲だけは、さすがに時代の空気をまとっていたことを付記しておきます。
ここがつらいよ「劒岳 点の記」(2) リアリティを裏切る合成映像のクマ
リ
アルな山岳映像が凄すぎるぶん、また公開当時、CGなしやリアリズムを謳い文句にしていた映画であるぶん、ほんのいくつかのCGを使った映像が、必要以上に悪目立ちしてしまっているところがあります。
たとえばド迫力の雪崩に測量隊が巻き込まれる場面は明らかにCGのはずですが(DVDのオーディオコメンタリーによれば、雪崩は新潟の別の山でダイナマイトを使って人工的に起こしたものだそうです。とはいえ、いくらなんでも生身の人間を雪崩の中に立たせることはしなかったでしょう)、その画像処理は素晴らしく、文句のつけようがありません(つまりCGが使われていること自体にケチをつける気はまったくなくて、うまく騙してくれるぶんにはいっこうにかまわない)。また合成丸わかりではありますが、その映像が不可欠なものだったと思える立山温泉の背景の山岳風景も、まあよしとしましょう。
しかし、どうしても納得いかなかったのが、マタギによる熊撃ちの場面。雪山の中腹で咆哮する熊の合成映像があまりにしょぼく、しかもその後のドラマを観て、この場面にわざわざ熊など出す必要のなかったことがわかると、その痛さが倍増しになります。おそらく、撃ち落とした熊に駆け寄るマタギの鮮やかなグリセード(雪の急斜面を足で滑降する技術)の映像を差し挟まんがため、熊を登場させたのでしょうが、たとえそうだったにせよ、熊の安っぽいCG映像など挿入せずとも、銃声とグリセードの場面だけで、まったく問題なかったように思えます。
ついでに動物つながりで、不満をもう一つ。柴崎と長次郎たちが、五色ヶ原で暴風雨に見舞われ、天幕を張ったザラ峠への帰路を見失って遭難しかかる場面で、長次郎がライチョウを見つけ、急死に一生を得るという展開が、まったく意味不明。
「ライチョウが助けてくれたがです」「ライチョウは自分の生活圏を守って生きる鳥なんだ」
なんて会話が交わされますが――ザラ峠に住んでるライチョウが、大嵐の中、なぜか五色ヶ原まで彼らを迎えに現れ、道案内してくれたとでもいうのでしょうか。"自分の生活圏を守って生きる"ライチョウが、自分の生活圏を離れてなぜ遭難中の柴崎たちの前に現れるのか?だとか、そもそもそれがザラ峠のライチョウだとなぜわかるのか?だとか、ライチョウの生活圏ってそんなに狭いのか?だとか、二重三重に論理が破綻していて、いくらなんでも滅茶苦茶なのですね。
ここがつらいよ「劒岳 点の記」(3) 映画に強く滲む監督の思い
そ
のドラマに首を傾げざるをえない箇所のほとんどは、原作にはない映画オリジナルの場面です。たとえば明治時代の夫婦のそれとはとても思えない、でれでれいちゃいちゃと仲睦まじいにもほどがある柴崎夫婦の演出や、長次郎と劒岳登山に反対する息子の軋轢、それにやたらと生意気な未熟者に設定された測夫、生田信のキャラクターに、これまたやたらと挑発的で厭味な山岳会、そして測量隊と山岳会の間で交わされる手旗信号によるコミュニケーション。
木村監督は、DVDのオーディオ・コメンタリーの中で、柴崎と宮崎あおい演じる柴崎の妻、葉津よの関係に、自分が理想と思う夫婦像を強く投影させたこと、また長次郎が息子を殴りつける場面には、かつて自身と子供との間にあった実際の経験を反映させたことを述べており、なるほどそれらの場面における柴崎や長次郎の態度や立ち居振る舞いが、実に彼ららしくないというか、まったくドラマに馴染んでいないのも、むべなるかなであります。
また木村監督は、映画を通じて測夫の生田信(松田龍平)という若者の成長を描きたかったと語っており、原作において、多少若者らしい鼻っ柱の強さを感じさせるに過ぎなかった生田のキャラクターは、やたらと青くさい、何かというと若気の至りっぷりを爆発させる未熟者に設定されています(その拗ね方や言動は平成の若者っぽく、"ノブ"という呼ばれ方が、これまた実に現代っぽい)。そしてそんな生田青年が、子供が生まれたことをきっかけに素直な好青年へと変貌し、また長次郎の息子が長次郎に殴られたことで考えを改め、詫び手紙を寄越して和解したりと、その、先達や父親にとってあまりに都合のよすぎる、後進や息子の絵に描いたような変身ぶりには、うがった見方かもしれませんが、70歳に手が届かんとする職人監督が心に抱く、封建的な家父長制や徒弟制度に対する郷愁というか、若者はそうあってしかるべきだという、無意識の願望を感じてしまったりもします。
2時間20分のこの映画には、心変わりのドラマがさらにもうひとつあります。それが、やたらと挑発的だった山岳会の、測量隊に対する早々のギブアップ宣言。原作では、山岳会は測量隊に対し、競争者というよりも山の先達としての敬意を抱き、あくまで謙虚かつ爽やかに対峙するのであり、むしろ陸地測量部(と陸軍)が一方的に、山岳会を自らの権威を脅かす存在として敵視します。これは、気象庁の役人として富士山頂にレーダーを設置するという難プロジェクトのリーダーを務めた職業人であったと同時に、山を愛するいち登山者でもあった、原作者の新田次郎のバランス感覚というか、測量隊と山岳会双方に対するシンパシーの現れではなかったかと思うのですが、それに対し、映画における山岳会は、やたらと欧州直輸入の最新登山ギアをひけらかし、
"山に登ってからが仕事"
の職業人である測量隊に青臭いライバル心をむき出しにする(生田青年といい勝負)、山登りという
"危険な遊び"
に興じるスノッブな有閑人種として描かれています。
ところがそんな彼らも、劒岳の登頂路を探して山を経巡り歩くうち、職業人として測量を続ける測量隊に対して恐れ入り、自分たちの登山が所詮遊びでしかないことを認め、実に唐突に、白旗を掲げてみせるのですね。
映画を通じて描かれる、仕事のために危険を冒して劒岳に登る測量隊へのシンパシーとリスペクトには、仕事のために危険を冒して劒岳に登るこの映画の撮影隊、つまりは自身に対する礼賛と陶酔が無意識のうちに反映されているような気がして、どうしても鼻白んでしまいます(そしてそんな憶測が間違いでなかったことは、この映画のメイキング、
「劒岳 撮影の記 -標高3000メートル、激闘の873日-」
(2009)に記録された、監督の数々の言動によって明らかになる)。
ここがつらいよ「劒岳 点の記」(4) なぜかはしょられた物語のキモ
原
作にはないエピソード(あるいは思い)が追加され、その設定が一部改変される一方で、果たして測量隊は劒岳の登頂ルートを見つけることができるのか、そして測量隊と山岳会の先陣争いの決着はどう着くのかという、そもそもこの物語の中核だったはずのドラマの焦点が、いつの間にやらぼやけてしまうことも、この映画にもどかしさを感じる点のひとつです。
「私の師が死ぬ折、もし劒岳へ登るならば雪を背負って登り、雪を背負って帰れと云い残して死んだ」
(立山修験道の老行者のセリフ。原作より)
物語の中で、劒岳に登頂できる可能性のあるルートの候補は三つに絞られます。山の西方から長く張り出した早月尾根と、南の劒御前から伸びる別山尾根(いずれも現在の一般ルート)。そして劒沢を下ったところから劒岳頂上直下まで続く、壁のような急傾斜の大雪渓。原作でも映画でも、明治三十九年の秋に立山を訪れた柴崎は、長次郎とともにそれぞれのルートを下見すると、その悪相に恐れをなして大雪渓を早々に諦め、翌年春からの本測量ではまず早月尾根を試し、そして別山尾根に挑戦して失敗し(山岳会も同じコースを辿る)、そして最後に、もっとも不可能と思われた大雪渓(=現在の長次郎谷)へと思いを馳せます。
原作では、登頂路は果たしてどこにあるのか?というのが、この手の小説には珍しい、ケレン味のあるミステリ的な謎として提示されており、読者の興味を引っ張るひとつの仕掛けとなっています(ちなみに新田次郎には、山を舞台にしたミステリ仕立ての作品がいくつかある)。そしてその答は、実は"どこ"だけではなく"いつ"にあるのであり、大雪渓が雪崩の巣となる春から、やがて雪が溶けてクレバスとシュルンドが大きな口をあけ、落石が頻発するようになる盛夏までの季節の変わり目、すなわち梅雨明け後のほんの短い期間にだけ通行可能となる、時限式の
"自然の登頂路"
だったことが、最後に明らかになります。
他のルートにことごとく失敗し、修験者の口伝の意味する道が雪渓であると思い定めた柴崎と長次郎が、その"自然の登頂路"の存在に気がついた頃、山岳会もまた同じ結論に達しており、劒沢に天幕を張った測量隊と山岳会は、梅雨の長雨に降り込められながら、それぞれに登頂のチャンスをうかがいます。そして天候予測に一日の長のある測量隊が、梅雨の合間に訪れるわずか1、2日の好天を正確に予測しきり、ただひたすら梅雨明けを待っていた山岳会の機先を制し、大雪渓を遡行、ついに劒岳に初登場を果たすという、スリリングでドラマティックな展開をみせます(実際は山岳会との競争などなく、また柴崎一行が、雪渓が登山路となる可能性に気づいたのは、剱沢の対岸に位置する黒部別山に登頂した際に劔岳の東面をはじめて眼にし、雪渓が頂上直下まで続いていることを知ったからではないか――ということが、柴崎一行の測量登山の再現を試みたNHKの
「日本の名峰 劔岳測量物語」
で推測されている)。
ところが映画からは、大雪渓ルートが時限式であるという要素が、すっかり省かれてしまっています。そのため、登頂ルート発見の困難性と有り難味が著しく損なわれてしまっており(大雪渓の登攀成功が、さしたる困難のない、実にあっさりしたものとしか感じられない)、また、クライマックスにおける測量隊と山岳会の登頂競争も、まったくないに等しいものとなっています(大雪渓に向かって出発する測量隊を、山岳会は、いまだ大雪渓の可能性に半信半疑の思いを抱きながら、剱沢のキャンプ地で、ただぼんやりと見送る。とはいえ前述の通り、そもそも山岳会は測量隊に対して既に白旗を揚げているも同然なので、ドラマの整合性に関して矛盾はない)。
そしてなんといっても、この映画でもっとも驚いたことは、大雪渓を登りきり、山頂へと続く稜線に辿り着くことに成功した測量隊一行が、いよいよ劒岳に初登頂を果たす瞬間の、肝心かなめの映像がなかったことです。山頂直下で絆を確かめ合った測量隊の面々が、いざゆかんと前方に眼を向けた瞬間、画面はなぜかストップモーションとなり、そして次の場面では、既に山頂に立ち、感慨深げに周囲の山々を見渡す彼らの姿が映し出されるのです。
なにせ場所が場所なのであり、てっきり、これは登頂場面のいい映像がどうしても撮れなかったからなのだろうと思い、作品のためにも監督のためにも、最後の最後に画竜点睛を欠いてしまったことを、とても残念に思っていたのですが、つい最近、DVD収録の木村監督のコメンタリーを聞いて、その同情がまったくの筋違いであったことを知りました。そう、登頂場面がないのは、この映画の主題が"山登り"にあるのではなく、登ったあとの"仕事"にあることをはっきりさせたかった監督の意図だったのであり、編集段階で登頂場面を入れろ!という圧力のかかることを見越した木村監督は、そもそも確信犯的に、登頂場面の映像を撮影しなかったのだそうです(つまり、たとえ将来、この映画の別バージョンが作られることがあったとしても、登頂場面が追加されることは決してない)。
人跡未踏の劔岳にいかに登るか、に焦点を当てて展開してきたはずのドラマの主題が劔岳の初登頂にないという、ことここにいたっての乱暴にもほどがあるその主張(そしてそれを理由とする登頂場面の不在)は、いかにこじつけようとも破綻としか思えず(それなら劔岳初登頂の後、秋まで続けられたはずの観測作業=登ったあとの仕事をもっとじっくりと描けばよい)、とうてい納得できるものではありません。
ここがつらいよ「劒岳 点の記」(5) そして捻じ曲げられた史実
測
量隊は明治四十年七月十三日、劒岳に初登頂を果たしますが(原作では執筆当時の資料に基づき七月十二日説を採っている)、この日、柴崎自身は登頂しておらず、彼と測夫の木山竹吉は、梅雨明けの七月二十八日(原作では七月二十七日)、四等三角点設置を目的に第二登を果たします。原作ではこのあたりの経緯を史実どおりに描き、一方の山岳会は、梅雨明けを待ちきれずに劒岳登頂をあきらめて劒沢を去ったことにして、最低限、史実との整合性を図っています(純粋に山登りを目的とした民間の登山者が劒岳に初登頂するのは2年後の明治四十二年。深田久弥
「日本百名山」
より)。
映画において、柴崎が長次郎や生田とともに初登頂メンバーに加わるのはまあ許せるとして、小島烏水をはじめとする山岳会の面々が、測量隊の登頂から間をおかずして劒岳に登ってしまうというのは、いかがなものでしょう(そもそも原作において、小島烏水という"名"のある人物が劒岳の現場に姿を現すことはなく、劒岳に挑むのはまったく別の、無名のメンバー)。近代史の年表に刻まれた出来事を、史実に即して描いた映画としては、その山岳史に対するリスペクトのなさというか、山岳史など取るに足らないといわんばかりの姿勢と意識の低さは、あまりにお粗末であるようにも思えます。
それもこれも、劒岳の絶頂に立った小島烏水と、別山から劒岳を観測中の柴崎たちとの"手旗信号のドラマ"を描きたかったがゆえの歪曲ではないかと思うのですが(いうまでもなく、これも原作にはない映画オリジナルの展開)、そもそも別山と劒岳の間で手旗信号による交信を行うのは物理的に無理があり(三脚で固定された高倍率の経緯儀を覘いていた柴崎が、烏水の手旗信号を読み取ることができたのはありだとしても、双眼鏡を覗いていた生田、あるいは烏水がそれぞれの信号を読み取ることは不可能。なぜそれがわかるのかといえば、以前、私自身が別山から劒岳を双眼鏡で覘き、かろうじて、そこに蚤のような登頂者の姿を見つけるのが精一杯だったという経験があるから)、二重三重に下手な嘘を重ねているように思えます。では、そこまでして描かれた手旗信号のドラマが成功しているかといえば、これがまた、そうとは思えないのですね。
ここがつらいよ「劒岳 点の記」(6) 「われわれはもう、立派な仲間じゃありませんか」
映
画では、そのクライマックスに至って、突然、"仲間"というキーワードの釣瓶打ちが始まります。まずは、前述の、劒岳初登頂を目前にした測量隊一行が、絆を確かめ合う場面。それまで一行を先導していた長次郎がアンザイレンを解き、ここからは柴崎たちに先に登ってほしいと告げると、柴崎が色をなし、うるうるしながらこんなことを口にします。
「なにを言ってるのですか、長次郎さん。われわれはもう、立派な仲間じゃありませんか」
さらに、測量隊と山岳会が手旗信号で会話を交わす場面。劒岳第二登を果たした山岳会の面々から、測量隊の劒岳初登頂を祝福するメッセージを受け取った生田が、手旗信号でこんな返事を送ります。
「あなたたちは私たちの、かけがえのない仲間です」
続けて間をおかず、次のようなナレーション。
「柴崎芳太郎をはじめ、多くの名もなき仲間たちの点の記によって、日本地図は作り上げられた。と同時に、それは彼らを支え続けた、家族たちの記録でもある」
そしてドラマが終わり、前代未聞のエンドロールが流れるのを目にしたときは、思わず唖然としました。なぜならその字幕には、"出演"だとか"監督"だとかの肩書きが一切なく、
"仲間たち"
という表記のもと、ただ関係者の名前だけがずらっと列記されていたからです(さすがに原作者名だけは
"この作品を原作者の新田次郎に捧げる"
という献辞のかたちをとって肩書きを明記している)。
測量隊の艱難辛苦とその壮挙に、自らと自らの撮影隊を重ねあわせる監督の自己陶酔は、ここに極まった感があり(むろん監督は、映画の中の柴崎もしく測量隊の立場に自らを重ね合わせているのであり、案内人や山岳会(=映画の製作スタッフ)に対し、あくまで上から目線で仲間と言う立場にある)、その露骨で過剰な自意識に、観ているこっちがこっ恥ずかしくなってしまいました。
そもそも、"仲間"というストレートなことばを使いたかったのだとすれば、比べるのも詮無いことではありますが、「八甲田山」において、高倉健演じる徳島大尉の率いる雪中行軍隊が、秋吉久美子演じる山案内人の若い女との別れ際、過酷な雪中行軍を無事導いてくれたことに対する感謝の思いを込め、徳島大尉の
「案内人殿に敬礼!」
との号令一下、一斉に挙手してみせる映像の震えがくるような感動とカタルシスを思い出すと、同じ山案内人に対するリスペクトと仲間意識の表現として、そのあまりに身も蓋もない表現の稚拙さに、がっくりしてしまいます。
だいたい「劒岳 撮影の記 -標高3000メートル、激闘の873日-」を観る限り、役者たちを含めたスタッフのテンションは(口では何と言おうとも)、あきらかに監督のそれと比べて冷めているように見受けられるのであり、木村監督の感傷めいた仲間意識は、実は監督一人のものでしかないように思えなくもなく、その独りよがりな仲間意識の押し付けがましさが、ちょっと痛々しくもあったりします。
とまあ、「劔岳 点の記」の残念無念なところを書き出すとキリがなかったりするのですが、そもそもこの映画の素晴らしさに感じ入っているからこその不満なわけで、この映画の奇跡的に美しい映像が、エキセントリックな職人監督の技術と偏執的なこだわりあってこそのものだとすれば、ドラマの冴えのなさとうんざりするほど独りよがりな思い入れは、その引き剥がすことのできない裏地なのであり、この作品の出来栄えに感じるアンビバレントにもほどがある感想は、初めから約束されていたといっていいのかもしれません。
* * *
そもそもこの記事、「劔岳 点の記」のロケ地紹介を兼ね、この夏の劒岳・立山の山行記を書くつもりだったのですが(6年越しの念願叶い、とうとう劔岳に登ってきたのであります)、イントロくらいのつもりで映画のことを書きだしたら、思わず止らなくなってしまいました。というわけで、次回(いつ?)の記事も引き続き、劒岳の予定なのであります。
劔岳 点の記
(英題:
Mt. Tsurugidake
)
公開: 2009年
監督: 木村大作
製作: 坂上順/亀山千広
脚本: 木村大作/菊池淳夫/宮村敏正
原作: 新田次郎(
「劔岳 <点の記>」
)
出演: 浅野忠信/香川照之/松田龍平/モロ師岡/仲村トオル/小市慢太郎/宮崎あおい/鈴木砂羽/井川比佐志/夏八木勲/役所広司
音楽: 池辺晋一郎
撮影: 木村大作
美術: 福澤勝広/若松孝市
@
2012-11-18
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T
11
] 映画「劔岳 点の記」観た
製作:日本’08 監督:木村大作 原作:新田次郎 ジャンル:★ドラマ明治39年、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎は、日本地図完成を急ぐ陸軍に劔岳の初登頂と測量を...
2012-11-21 14:30
忘却エンドロール
コメント
[
C
964
] 香川さんと景観が素晴らしい
作品でしたよね!
正直、ドラマの内容は忘れちゃいましたけど、彼と剣岳のインパクトだけは印象に残ってます。
うちの父も登ったことがあるような事を言っていたので、あんな険しい山道を登ったのか!(今は上りやすいルートができてるのかな?)と驚いてしまいました。
>この映画の奇跡的に美しい映像が、エキセントリックな職人監督の技術と偏執的なこだわりがあってこそのもの
そういうことだったのか~、と妙に納得してしまいました。いつか監督が客観的にこの作品を見直したら、撮りなおしたいと思わないかな(笑)
いろんな意味で印象深い作品ですね。
2012-11-21 14:55
宵乃
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[
C
965
] >宵乃さん
こんにちは、
おっしゃるとおり、「香川さんと景観が素晴らしい」に大賛成~!!
いまは、主人公たちが立ち往生した垂直に近い岩場に鎖とボルトが埋め込まれていて、そこをごりごり登る感じです。慎重に登りさえすれば、たいていの人が登れると思いますが、それでもやっぱり危険の多い、一歩間違ったら、、、の緊張が続く、スリルのあるコースだと思います。彼らが登った雪渓もバリエーションルート(一般道ではないルート)の中では割合メジャーなルートです。
記事に書いたとおり、正直いらいらするところの多い作品なんですけど、でもこの映画の映像の神々しさは、もうそれだけでいいやと思わせるところがあるんですよね~。
2012-11-23 19:59
Mardigras
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[
C
971
] 「劔岳 点の記
Mardigrasさん、こんにちは♪
イラストがとてもいいですね!
私もこの映画はWOWOWで一度観ただけなので、イラストのシーンがどこなのか、わからないのですが、無防備な背中と凛々しい山だけの世界。よけいなものが一切ない姿が好きです。
山もひとも地続きなんですね。
劔岳の写真も大きなのが見たいなあって気持ちになります。登れなくても、せめて、立山高原ホテルからの剣岳は自分の眼で見たいです。
実のところ、私は映画のポスターだけで、充分、満足しました。だから、映画館には行きませんでした。
山の四季折々の姿、山の物語ってそれだけで、完結していると思っています。そこに、人間の物語が絡むなんてこと、無理なんじゃないか、人間の物語が”たくらみ”に見えそうで、嫌だったんですね、この映画。
とはいえ、やっぱり気になって(笑)WOWOWで、見ちゃいました。
ドラマの冴えのなさとうんざりするほどに独りよがりな思い入れはその引き剥がすことのできない裏地なのであり、この作品の出来栄えに感じるアンビバレントにもほどがある感想は、初めから約束されていたといっていいのかもしれません。
愛情いっぱいの文章がとても心地よかったです。
映画の感想も、底を流れる水が温かいと、いらっとした
気持ちも、ま、いいかっていっしょに流したくなります。
そうそう、私、新田次郎の本、一冊も読んだことありません。山岳小説、読みたくなりました!
Mardigrasさんが腰の手術をしたこと。後遺症のこと、全然知りませんでした。
回復して、登山ができるようになってほんと、良かったですね。
劔岳登山日記、心待ちにしています。
2012-12-17 13:37
おりんこ
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[
C
972
] >おりんこさん
こんばんは、記事読んでくださってありがとうございます。
いろいろ不満に思うことを書いたのですが、この映画を観て、メインキングを観て、その上で再見してみると、最初に観たときほど不満に思わなくて、なぜだろうと考えてみたのですが、どうやらメイキングを一度通過したことで、映画の中で山を登っている役者さんたちを、その役柄ではなく、生身の役者さん自身として認識するようになったためみたいです。浅野忠信も仲村トオルも松田龍平も、そして監督もみんな自分の足で歩き、劔岳に登ったのだなあと思うと、もうそれだけで十分というか。一番最初にこの映画の存在を知ったときに感じた、実際の劔岳で映画をマジ撮りしたことに対する、無条件の尊敬みたいなものがまた甦ってきた感じです。やっぱり私、この映画の味方なんですね~。
実際に山を歩いてると、もうそれだけで充足してるのであって、ドラマなんて必要ないという気にもなりますね、確かに。でも山を舞台にした物語、大好きです(私の場合、本を読むことが、なかなか山に行けないことの代償行為になっているところがあります)。吉村昭がお好きなら、きっと、新田次郎もお気に召すのでは、という気がします。
劔岳の日記、いま少しずつ書いてるところです。ところでおりんこさんのキャリアなら、立山高原ホテルから眺めるだけでなく、何の問題もなく登れると思いますよ、劔岳!
2012-12-20 00:41
Mardigras
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[
C
973
] 新春
明けましたねっ、Mardiさんとご家族の皆様、良いお正月をお過ごしのこと願っています、
昨年の帰国時に代官山のTSUTAYAを訪ねてMardiさんのイラストをみたかったのですが、次女がいる上海に行ったりでとうとういけなかったのです、残念!
そのイラストで今年のカレンダーとか作られたらいいのにと勝手に想っているのですが。。。
なにわともあれ、新年が皆様にいい年であることを願っています!
2013-01-01 18:58
ヘルブラウ
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[
C
974
] >ヘルブラウさん
あけましてあめでとうございます。
ヘルブラウさんもよい新年をお迎えのことともいます。
私は今年はゆえあって一人で正月を過ごしておりまして、この際どこかへぶらりと旅行でも行こうかと思いつつ、結局今のところ、家でだらだらと過ごしております(いや、やっぱりどこか行こうかな?)
そういえば、年末に会社の知り合いが、結婚してフランクフルトに行きました。そちらに日本人の住人が一人増えましたです~!
2013-01-03 02:16
mardigras
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