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2012夏 剱岳~「剱岳 点の記」を訪ねて
昨
年8月、北アルプスの剱岳に登ってまいりました。扇沢の市営駐車場に車を停め、トロリーバスで関電トンネルを抜け、黒四ダムのダムサイトを歩き、ケーブルカーとロープウェイ、そして再びトロリーバスを乗り継いで、一気に標高2450mの立山・室堂へ。富山方面へ少し下った天狗平の立山高原ホテルに宿泊し、室堂周辺で2日ほどのんびり過ごしたあと、ザックを背負い、ヘルメットを被って、剱岳へと向かいました。
ちなみにイラストは、剱岳を舞台にした映画、
「剱岳 点の記」
(2009)より、山案内人の宇治長次郎を演じた香川照之。他の役者の誰もが現代人にしか見えない中、ただひとり、明治の香りを過剰に振りまいていました。
いつかは劔岳
前
回の記事
にも書きましたが、私にとって剱岳は、山歩きを始めて以来、"いつかは剱岳"ともいうべき憧れの山でした。そして同時に、登ることを想像しただけでも既に遭難しかかってる気分にさせられる、畏れ多いにもほどがある山でもありました。それゆえ夏山&一般ルートであるにせよ、そんな山にいざ登ろうというところまで(無事登れると確信できるところまで)、こうして自分が辿り着いたことがまず嬉しい、というか誇らしい。数年前まで畏敬の念を持って眺めていた、室堂ターミナルに掲示された剱岳方面のルート情報(と遭難情報)を、こうして当事者として眺める日がやってこようとは、もうそれだけでも感慨深いものがありました。
とはいえ、まともな山歩きは1年前の雲ノ平以来。さらに岩稜歩きともなれば、さらに1年前の槍・穂高縦走以来。しかも、ここしばらくの不摂生がたたって体重10kg増。とまあ、不安のタネは山積みで、できれば本番前に近場の山で足慣らしをしたかったのですが、そんな時間がとれるはずもなく(とれるものなら、そもそももっと山に通ってる)、結局、ぶっつけ本番で挑むこととなりました。
いざ剱岳へ
8
月19日、9時30分。立山高原ホテル(2300m)を出立。この日は剱岳の登山基地、剱沢までの予定。久しぶりの山歩きにふさわしい、とりたてて困難な場所のない、モデレートなトレッキング・コースです。
立山高原ホテルと剱岳。
天狗平山荘の先から室堂へと延びる散策道のとば口に立ち、大日連山の尾根越しに、頭に雲を被った剱岳の威容を眺めました。明日の今頃は、あの頂に立ってるはずなのだ(本当にそうなのか?やれんのか!?)と、近いようでもあれば遠いようでもあるその頂を眺めつつ、すがすがしい風の吹き渡る高原の散策道を、一路、例によって双眼鏡で鳥を探しながら、室堂へと向かいました。
天狗平から剱岳を遠望。
10時10分、室堂着(2450m)。立山のお楽しみ、どこの水よりうまいと思う、立山玉殿のキンキンに冷えた湧水を水筒にたっぷりと汲み、靴紐を締めなおし、登山届けを提出し、掲示板の情報を確認して10時45分、いざ出発。今年の剱岳は夏山シーズを迎えて以来、死亡事故が多発しており、そんな情報を眼にすると、いやでも気が引き締まりました。
山崎カールの眺めが素晴らしい、室堂の散策道。
観光客で賑わう室堂ターミナルから、みくりが池を経て、山崎カールを後景に竜骨のように延びる、パノラミックな散策道を進み、雷鳥荘を過ぎ、雷鳥沢ヒュッテまでやってくると、さすがに革靴やスニーカーの人はいなくなり、敷石で整備された道もここでおしまい。急坂を雷鳥平へと下っていけば、ここから先はいよいよ山歩きの世界。
雷鳥坂と雷鳥沢キャンプ場。別山尾根は既にガスの中。
雷鳥沢キャンプ場(2270m)を経て、浄土沢に架かる橋を渡ったのがお昼ごろ。さすが体重10kg増、ここまで来るのに思いのほか時間が掛かってしまい、ふと気づけば空は分厚い雲に覆われて、もっと急ぐべきだったと後悔しはじめた矢先、ぽつぽつと雨が降り出しました。剱御前小舎の建つ別山乗越まで、高低差500mを一息に直登する雷鳥坂(映画「剱岳 点の記」では、紅葉に染まるこの坂を柴崎測量官と長次郎が登っていた)を敬遠し、別山と大日岳を結ぶ尾根道にいち早く出ることのできる、より緩やかな、北西へと延びる登山道へ歩を進めました。途中、ハイマツ帯でカヤクグリ、そしてウソのつがい(雄と雌で色が違う)に遭遇。ウソを見たのは3年前の北海道以来で、思いがけぬ鳥との出遭いに喜んだりしているうち、雨脚がことのほか強くなってきたので、慌ててザックから雨具を引っ張り出しました。
雷鳥平から新室堂乗越へと向かう、お花畑が広がる登山道。
12時40分に尾根との合流地点、新室堂乗越(2380m)に到着。稜線に出れば、剱岳をはじめとする北面のパノラマが開けるものと期待していたのですが、あいにく真っ白(気分はブルー)。森林限界を超えた尾根道の風雨はつらいもので、立ち止まって一休みしていると、夏だというのにあっという間に体が冷えてきました。立山に来て以来、明け方にからりと晴れ、お昼前には崩れ始めるという、夏山らしい空模様が続いており、翌日の登山スケジュールを考えると都合がいい、くらいに思っていたのですが、ここまで降るとは誤算。足腰のなまった体に、別山乗越(2770m)までの風雨の中の登りは苦行に近い道のりで、青息吐息、山と高原地図に記載の標準コースタイムによれば1時間20分のところ、2時間以上かかってしまいました。
結界の中へ
別
山乗越までくると、雨はほとんど止みかけていました。とはいえ風の通り道であるため、ことのほか寒く、休憩も早々に出発。ここまでの道のりは、かつて立山三山を縦走した折に(逆向きに)歩いたことがありましたが、ここから先、剱沢へと下る道は初めてで、いよいよ結界の中へと足を踏み入れる気分。晴れてさえいれば、剱岳を真正面に、憧れと畏れをかみしめつつ、(物理的にも心理的にも)一歩一歩その距離を縮めていく、最高のアプローチとなったことでしょうが、相変わらず周囲は白一色。それでも30分ほど下り、別山への登山道が分岐するあたりまでやってくると、乳白色のガスを透かして眼下にぽつりぽつりと色とりどりのテントが見え始め(剱沢キャンプ場)、そして前方に、思った以上に近く、モノトーンの剱岳がうっすらと像を結び、かと思う間に、みるみる雲が切れて、ほどなく圧倒的に巨大な山塊が、どーんと姿を現しました。
剱岳と剱沢キャンプ場。
ぎざぎざとした、鋸の歯のごとき稜線。触れればスパッと切れそうな岩稜。鋼色の岩肌。雪を留めることのない、ほとんど垂直にも思える岩壁。光量の乏しい曇天の下で眺めるその威圧的な山容は、やさしさや柔らかさの欠片もない、ひたすら暗く重々しい、ソリッドな上にもソリッドなものでした。
そんな剣呑な山を眺めつつ、さらに下ること20分、剱沢キャンプ場を過ぎ、小さな雪渓を渡り、ようやくこの日の宿泊地、要塞めいた雪崩避けの石壁に山側を囲われた、剱澤小屋(2470m)に到着。時刻は既に16時を回っていました。
剱澤小屋は、「劒岳 点の記」の撮影スタッフたちが無雪期のロケ撮影中、定宿にしていた山小屋で(積雪時は天狗平山荘)、同映画のメイキング、
「劒岳 撮影の記 -標高3000メートル、激闘の873日-」
(2009)の主要舞台のひとつとなっています。小屋の受付には、メイキングの冒頭に姿を見せていた、三代目小屋主の佐々木新平氏がいて、受付を済ませると、手書きの剱岳への地図を使って、ルート上の危険箇所を丁寧に説明してくれました。
缶ビールを買い求め、外のベンチに腰掛け、剱沢の深く狭い谷を隔てた指呼の距離に、姿を見せたりガスに巻かれたりと忙しい剱岳を眺めながら、"山でビール"の至福のひととき。(とにかくどこでもいいから)山に来た!という満足感に浸りつつ、とうとう(剱岳に)来てしまったのだ、と喜びと不安が半々くらい。久しぶりとはいえ、天狗平からここまで6時間半。遅足にもほどがあるのであり、思った以上に体力が落ちていた(体が重くなっていた)ことに、内心たじろいでいました。明日はいよいよ、岩稜歩きと岩登り。ステップの狭い岩場が連続し、新平氏によれば、フツウの足で往復7~8時間。ホントこんなんでだいじょうぶか?と弱気の虫が騒ぎましたが、とはいえ徐々にアルコールが回るにつれ、なんとかなるさ!と楽天的な気分が勝っていくのでありました。
宿はほぼいっぱいで、宿泊客はおよそ5、60人。全員が全員、これから劒岳を目指す登山者か、あるいは劒岳を下りてきた登山者のはず。"これから組"の自分とすれば、既に登ってきた人たちがちょっとまぶしい。夕食は入れ替え制で、かつて料理人だった新平氏の差配する料理がおいしくないはずがなかったのですが、すっかり献立を忘れてしまいました(なにせもう四ヶ月以上も前)。
食堂の壁には、雪崩で何度も崩壊し、建てなおしを余儀なくされた剱澤小屋の歴史を刻んだ幾多のモノクロ写真が飾られており、そしてそれらとともに、以前、天狗平山荘で見たのと同様、「劒岳 点の記」のロケ風景や、山小屋でくつろぐ役者とスタッフたちを収めた数多くのスナップが、所狭しと貼られていました。
別山尾根往復
翌
朝は5時前起床。前日までと同様、雲ひとつない快晴。山小屋の前庭に出て、ひりりと冷たい空気を味わいつつ、劒岳のシルエットに朝日が差し、バラ色に染まっていくのを眺めました。遠く北東の方角には、サメの歯のような劔岳の八ツ峰越しに、白馬岳や鹿島槍ヶ岳の峰々が、澄み切った青空をバックに、そのシャープな稜線をくっきりと浮かび上がらせていました。まだ陽の光の届かない前庭は、盛夏だというのに身が引き締まるほどに寒く、お陰で熱いコーヒーがめちゃうまい。ビバ!山の朝。
劒沢小屋から一服剱、前剱、劒岳。
剣岳への一般登山ルートは二つあり、そのひとつが室堂から別山尾根を辿り、一服剱、前剱の二つのピークを経て、頂上を往復するコース。映画「劒岳 点の記」では、測量隊と山岳会ともども急峻な岩壁に前進を阻まれ、登攀を断念した登路です。しかし平成の今、難所には太い鎖が張られ、ボルトが打ち込まれ、しっかりコース整備がされていて、今回私が選んだのが、このコース。
朝食を済ませ、5時50分、サブザックを背負い、剱澤小屋を後にしました。朝日を正面から浴びた劒岳は緑色の装いで、これが昨日と同じ山かと見まがうほど、明るく照り輝いていました(それでも剣呑であることに変わりありませんが)。小さな雪渓を3つ渡り、6時20分、剣山荘(2470m)着。ここまではウォーミングアップ、いよいよここから本格的な登りが始まります。
剣山荘と一服剱。
整備の行き届いたつづら折の山道をじりじりと登り、6時50分、一服剱(2618m)に到着。途中、遠く黒ユリのコルにライチョウを見た気がしましたが、ホシガラスだったかもしれません(なにせ双眼鏡を小屋に残してきたのでよくわからない)。一服剱から先は、前剱(2813m)に遮られ、剱岳のピークを見ることができなくなります。まずは、眼前に聳える前剱を登るのみ。
胸突き八丁の前剱。
前剱への道は浮石が多く、足元の悪いガレ場が続きます。(特に下りでの)転倒事故が絶えず、コース中の難所といわれる場所よりもむしろ、ここで数多くの深刻な遭難事故が発生しているという、要注意ポイント。胸突き八丁の急登で、ここまで前日のひと叩きで足が山を思い出したつもりでいましたが、あっという間に息があがり、ジグザグの曲り角を二つ三つクリアするたび、立ち止まってしまいました(でぶ)。
青息吐息でようやくガレ場をクリアすると、遠目にも目立って見えた、進路に立ちふさがる巨大な疣のような大岩から、鎖場の連続が始まりました。足だけでなく手も使って攀じ登るような場所は、登り甲斐があるというか、これが醍醐味というか、急坂をひいひい登るよりも楽というか、やっぱり楽しい。
いよいよ攀じ登る
7
時45分、ようやく、ごつごつした岩の吹き溜まりのような前剱の狭いピーク(2813m)に到着。ここまで来て再び、剱岳のピークが視界に入りましたが、えっ、まだあんなに遠くですか?と気持ちが萎えるほどに遠く、高く、そしてコワいほどに猛々しく、既にぜえぜえはあはあと息が切れまくっている身には、むしろ目の毒。
前剱より、圧倒的なボリュームで聳え立つ真っ黒な剱岳を眺める。
とはいえ高度は既に2800mを越え、うしろを振り向けば、別山尾根に三方をぐるりと囲まれた、箱庭のような剱沢を一望の下に見下ろして、えもいわれぬ爽快感。大日岳の尾根の遙か向こうには、天狗平の高原にぽつんと豆粒のような立山高原ホテルが見えました。前日の朝に山を眺めたその場所を、今度は山から見下ろしているのだと思うと、頂上まであとちょっと、と再びスイッチが入りました。
別山と剱沢全景。中央に剱沢小屋。
別山尾根越しに天狗平を望む。豆粒のような立山高原ホテル。
20分ほど休憩の後、出発。前剱を過ぎると、往路と復路が要所要所で別々となり、いよいよこのルートの核心部が始まります。まずは前剱を越えてすぐ、登山道を断ち切る深い亀裂に掛けられた、3mほどの鉄のブリッジを渡った先にある、岩峰を斜め上へとへずっていく、20mほどのトラバース。太い鎖の張られた岩棚の道(?)は、ホールドもステップもしっかりとしており、見た目ほどのコワさはないものの、足元がすっぱり切れ落ちたその高度感は、やっぱりスリリング。
ひとつ目の難所、前剱の先にある鉄のブリッジと岩峰のトラバース。
適度な高度感がコワくもあり楽しくもあり。
この先も岩場と鎖場が続き、8時55分、平蔵谷を見下ろす巨大なスラブ、平蔵ノ頭の上部に到着。遙か数百m下方へと伸びる雪渓を見下ろしながら、20mほどの急斜度の一枚岩を、鎖と狭いステップを頼りにそろそろと下っていきました。ふと気がつけば、あたりにはいつの間にか、薄っすらとガスが...この時点で、頂上からの大パノラマはほとんど諦めました。
往路と復路が交差する平蔵ノ頭。写真は復路。
平蔵のコル(2840m)に降り立つと、行く手に、ほぼ垂直に近い岩稜に17mの鎖がぶら下がる、その名にし負う難所、"カニのタテバイ"と、そして今度こそ指呼の距離に、剱岳のピークがはっきりと見えました。よし、待ってろ剱岳。
剱岳の頂上と、直下の難所、カニのタテバイ。
頂上へ
9
時15分、ハーネスを装着した先行者が登りきるのを待ち、"カニのタテバイ"に取り付きました。今回の山行で、何より心配していたのは落石。それも人的な落石。"カニのタテバイ"では、ハイ・シーズンのピークに1時間待ちにも及ぶ渋滞が発生するそうですが、ちょうど後続が途切れたのをいいことに、とにかく先行者が抜け切るのを待ちました。
ちなみに"カニのタテバイ"は、映画「剱岳 点の記」にも登場します(とここで、映画のロケ地紹介を兼ねた記事だったことを思い出す)。柴崎測量官と案内人の長次郎二人の下見山行の際、剱岳の登路を探して別山尾根を詰めたものの、行く手を岩壁に阻まれてしまい、偵察に出た長次郎の帰りを柴崎が岩場に座して待つ、あの場所です。
スタートから9つ目の鎖場、"カニのタテバイ"。
"カニのタテバイ"は、ボルトが埋め込まれていなければ、その一歩目の取っ掛かりがどこにもありません。登山道を整備してくれた先達と維持管理してくれている方々に感謝しつつ、鎖を掴み、ボルトに足を掛け、重い体をぐっと持ち上げて、あとはぐいぐい登っていきました。
5分ほどで難所を抜け、ほっと一息(2900m)。後ろを振り返り、前剱から辿ってきたルートを眺めれば、いったいどこに"道"があるのかがわからない、尖峰また尖峰の連なりに、頭がくらくらしました(なにせ帰りも通らなくてはならない)。まさに針の山、剱岳。
平蔵ノ頭(右手の岩峰)。中央に登攀者。尖峰の遙か彼方に立山高原ホテル。
気の抜けない岩場が復路との分岐("カニのヨコバイ")まで続き、ここでようやく、稜線に出ました。秒刻みでガスが濃くなっていく中、ごろごろと岩が散らばる、しかし足元のしっかりした道をじりじりと登り、剱岳へのもうひとつのノーマル・ルート、馬場島から伸びる早月尾根を左手に見る頃には傾斜も緩くなり、そして9時50分、念願の剱岳山頂(2999m)に到着。思ったとおり、この時刻に至って周囲はすっかりガスに巻かれ、視界はまったく利きませんでした。でもまあ、狭い岩場のあちらこちらに腰掛けた登山者の表情はみな、この上なく幸せそう(むろん私もです、いうまでもなく)。
剱岳山頂。残念ながら真っ白。
三等三角点(柴崎測量官たちの剱岳登頂100周年を記念し、2007年に設置)近くの手頃な岩に腰を下ろし、登頂の感激をしみじみ噛み締めながら、宿で用意してもらった弁当を食べてると、ちょろちょろとヒメネズミ登場。
ヒメネズミ。ラブリー。
弁当を食べ終え、ダメもとでしばらく待ってみましたが、ガスが途切れる気配はまったくなく、10時30分、潔く下山することにしました。東の方角(映画で主人公たちが登頂に成功する長次郎雪渓の方角)からガイド登山の3人パーティが登ってきて、訊けば八ツ峰(尖峰をいくつも越えていく、ロープワーク必須のバリエーション・ルート)を登ってきたとのこと。ゲストのひとりはご年配で、よし、オレもこの際、いつか行ったるか(うそ)。
カニのヨコバイ
来
た道を戻り、早月尾根との分岐を過ぎ、しばらく下ること25分、復路の難所、"カニのヨコバイ"のとっつきに到着。先行者に声を掛けて写真を撮らせてもらいました。
最初の一歩目が見えない"カニのヨコバイ"。
"カニのヨコバイ"は最初の一歩がキビシイ、とあちこちの雑誌やガイドで目にした覚えがありますが、いざ目の前に立ってみると、なるほど確かにその通り。真っ白なガスの中、一枚岩の角を抱くように後ろ向きとなり、鎖に身を預け、空中に身を乗り出し、目に見えないステップを探して、そろそろと足を伸ばしていきました。今振り返ってみて、この山行で最もシビれた場所は、間違いなくここ。とはいえ一歩目さえ決まれば、あとは高度感を楽しみながら、慎重に通過するのみ。そして難所を終えてまた難所、一息吐く間もなく、今度は長いハシゴと鎖場をそろそろと下降し、ようやく平蔵のコルへ。
カニのヨコバイから続く、長いハシゴと鎖場。
カニのヨコバイ(写真中央)から平蔵のコル(写真左下)へと降りる。写真右上に早月尾根への分岐道標。
平蔵ノ頭の巨大な一枚岩を登り返し、往路とはまた異なる鎖場を経て、一路、前剱へ。前剱から先は往路と復路が合流し、あとはひたすら来た道を戻るのみです。難所を抜けた気の緩みと疲労から事故が多発するという、前剱のガレ場を慎重に下り、一服剱を経由して、13時30分、剣山荘に降り立ちました。実は前剱に到着する前から水が切れており、喉がからから。冷たいスポーツドリンクを買い求め、テラスのベンチに腰掛け、しばし休憩。そして14時、剱澤小屋に帰着。
雪崩の巣の中に建つ剱澤小屋。
なにはともあれビールで祝杯をあげ(なにせ数年来の夢が叶ったのであります)、この日の残りは小屋周辺で、のんびりくつろぐことにしました。時間的には、別山乗越の剱御前小舎まで足を延ばすことはむろん、室堂まで下れないこともなかったのですが、疲れが抜きがたくもあれば、去りがたくもあり、そもそも室堂まで行ってもやることがあるでなし(のつもりだったのですが、翌日の午後、やっぱり剱御前小舎まで上がっておくべきだったと臍を噛むことになる)。
ちなみに剱澤小屋の周辺は、「剱岳 点の記」で、測量隊一行と山岳会の面々が天幕を張っていた場所。映画の中に何度も登場します。(と、ここで再び、申し訳程度にロケ地紹介をしてみる)。
一度登った山は見違える
翌
8月21日も、好天変わらず。剱岳の山肌を彩る緑が、心なしか前日以上に濃く鮮やかに感じられました。立山高原ホテルで読破した、北アルプスを舞台にしたマンガ
「岳」
で、山岳レスキュー・ボランティアの主人公が、
「遠くで見た時、ずっとキレイになるんだよ!!頂上まで登った山は!!」
と言ってましたが、まったく同感。一度でも登った山は、いつか、どこか別の山からその姿が見えたとき、まるで懐かしい人に再会したような気持ちになるものです。そして私にとって、剱岳もまた、憧れと畏れと同時に親しみを覚えずにはいられない、そんな旧知の山のひとつになりました。
朝日に照り映える剱岳。心なしか、前日までより柔らかく見える。
この日の予定は、立山を別山から雄山まで時計回りに縦走し、そして室堂ではなく、黒部ダムへ下山するというもの。初めて雄山に登ったとき、一の越のベンチで休憩中に黒部ダム方面から登ってくる登山者の姿を見て、いつか一度、自分も立山~黒部ダムを歩いてみたいと思っていました。今回は、その絶好の機会。
出立の際、宿の受付にいた二代目小屋主の佐々木友邦氏(ご子息の新平氏と同じく、「劒岳 撮影の記」に幾たびか登場されています)にその旨を告げると、一の越に到着した時点で12時を回っていたら、やめたほうがよいとのアドバイス。黒部ダムから扇沢に向かうトロリーバスの最終は17時35分発で、これを逃すとダム湖畔の山小屋でもう一晩、泊まらなくてはならなくなります。そんなわけで、時間的に厳しそうなら潔く諦めると固く心に誓い、6時10分、劒沢を出発。日の光がまだ届かない道を辿り、キャンプ場を過ぎ、別山乗越への登山道から逸れて、別山頂上直下で尾根と合流する道へ。光の加減か、後立山連峰の主峰、白馬岳がすぐ近くに見えました。
後立山連峰の主峰、白馬岳。
雪渓脇のジグザグの急登を黙々と進み、やがて紺碧の空をバックに雪渓に朝日が差し始めた7時35分、ようやく別山の稜線(2820m)に到着。
別山から劒沢にかけて残る雪渓。
北アルプスのパノラマと3000mの稜線散歩
別
山のピークへと向かう、高低差50mほどの緩やかな登路から望む風景は、文字通り360°の大パノラマ。晴れ渡った青空のもと、室堂平をぐるりと取り囲む立山の峰々はむろん、後立山連峰から黒部五郎岳、薬師岳、笠ヶ岳、乗鞍岳、さらには遙か彼方に八ヶ岳、南アルプスの山々まで見渡せて、そして嬉しいことに、内蔵助山荘の赤屋根の遙か上には、まごうかたなき富士山の蒼いシルエット。絶景にうっとり、出るのは溜息のみ。
中央に立山三山の浄土山。その左奥に黒部五郎岳、右奥に薬師岳。
遙か彼方に富士山と南アルプス。
別山(2774m)は、劒岳の姿がもっとも雄々しく、美しく見える場所であり(たぶん)、映画「劒岳 点の記」では、柴崎測量官と長次郎が修験者に出遭う場所(前回の記事のイラストの場所)として、また劒岳山頂の山岳会の面々と測量隊一行が手旗信号を交わす場所として使われています。思えば私が、劒岳に登ろう!と心に決めたのも、4年前にこの場所から劒岳を眺めたときのことでした。こうして再びその場所に立ち、今度は一度登った山として、その姿を眺める時間のなんと幸せなことよ。
別山から劒岳。
別山北峰(2880m)まで足を伸ばし、山々の景色を堪能したり、前日歩いた劒岳のコースを双眼鏡で追体験したりしてるうち、時刻はいつしか8時20分。先を急ぐ身であったことを思い出し、名残惜しくも別山を後にしました。
別山から真砂岳、富士ノ折立と続く縦走路。彼方に笠ヶ岳。
ここから立山の主峰、雄山までは、大日連山をバックに萌黄色のじゅうたんを広げたような、室堂平の平和でのどかな高原風景が広がります。みくりが池の青が鮮烈で、マッチ箱のような立山高原ホテルがくっきりと見えました。ビバ!至福の縦走路。
真砂岳付近からの室堂平全景。
9時半過ぎ、なだらかな真砂岳の南端で、室堂を見下ろしながら小休止。この調子なら、なんとか12時までに一ノ越まで辿り着けそうな感じ。
50mほど下り、富士ノ折立(2999m)への急登に取り掛かりました。これが、この山歩きの最後の登り。かなりの急勾配に息を喘がせつつ、それでも心のどこかで一歩一歩を惜しみつつ、ゆっくり歩を進めていきました。10時20分、富士ノ折立通過。休憩所のある立山連峰の最高地点(3015m)を過ぎると、左手眼下に、エメラルド色の水を湛えた黒部ダムが見えてきました。これからホントにあそまで行くのか?行けんのか?と自問自答しつつ、先を急ぎました。
立山から黒部ダムを望む。
11時、雄山(3003m)着。夏空の下、雄山神社は、そこが3000mの高峰とは思えぬほど、登山客(と参拝客)で賑わっていました。引率の教師に連れられた中学生(それとも小学生か?)と思しき一団が、ズックにジャージ姿で社務所の前に体育座りしていて、地元では、林間学校でこの山を登るのでしょう。夏の立山は、天気に恵まれさえすれば、そんな気軽さで登ることのできる3000m峰です。
ごったがえす雄山山頂。
そういえば、私も中学・高校と、毎年、年間行事の学校登山で山に登ったものです。奥多摩の山々や、尾瀬、御嶽山、安達太良山。今となってはよい思い出ですが、当時は厭で厭で仕方なかった覚えがあります。
黒部ダムを目指して
1
1時10分、一ノ越に向かって下山開始。登り・下りの登山者が入り乱れ、さながら立山銀座とでもいった趣き。浮石の多い道で、子供の登山者が多いこともあり、落石に気をつけて下っていきました。なるべく尾根の南側を選んで歩くと、谷底から清々しい風が吹き上げてきて、陽射しに焼けた肌に心地よい。南に目をやれば、烏帽子岳から野口五郎岳、真砂岳、その遙か遠くに槍ヶ岳と穂高連峰、またその右手には赤牛岳と水晶岳、そして笠ヶ岳と、錚々たる北アルプスの連嶺が、一望のもとに見渡せました。
槍ヶ岳と穂高連峰、水晶岳、笠ヶ岳を遠望。
一ノ越(2700m)に降り立ったのは、12時ちょうどでした。剱澤小屋の主人からいただいたアドバイスに従えば、ダムを目指すには、ぎりぎりの時間。一服している余裕はこれっぽっちもなかったのですが、しかし、腹が減って動けない。行動食は既に尽きていて、確か一ノ越山荘にカップラーメンがあったはず、と立ち寄りました。大急ぎでカップうどんをすすり、ついでに道の整備状況を確認し、12時20分、出発。
東一ノ越への登山道から一ノ越山荘を振り返る。
一ノ越は、映画
「黒部の太陽」
(1968)の冒頭で、三船敏郎演じる黒四建設事務所の現場責任者が、ダム工事予定地を訪れたときに越える峠であり(という設定。実際にここでロケしたのかどうかは知らない)、難攻不落の破砕帯で名高い関電トンネルが開通し、大町ルートが稼動するまで、ダム工事の資材はこの峠から運び下ろされていました。
雄山の南斜面を東一ノ越へ向かう。
一ノ越から東一ノ越への道は、正面に後立山連峰、そしてその右手遙かに槍・穂連峰を遠望しつつ、雄山の山腹をトラバースしながら緩やかに下っていく、気持ちのよいトレッキングコースでした。ただし陽射しを遮るものがなく、暑い。途中、大人数のご年配の一行が東一ノ越方面からやってきて、驚きました。地元の老人会の散歩イベントで、室堂~東一ノ越を往復しているとのことでした。狭い道ゆえ、通過待ちに10分以上かかったりして、13時20分、東一ノ越(2480m)に到着。
東一ノ越は、かつてそこに建造物があったことを思わせる人工石が転がり、木の柱の残骸が残る、場所自体に何かの記憶が染み付いているような、少々薄気味の悪い場所でした。こんなところにいったい何があったのか、後日ググッてみたのですが、何の情報も見つからず、すれ違った地元の方に訊けばよかった、と思ったものの、もはやあとの祭。いったいどういう場所だったんだ?東一ノ越。
東一ノ越。
目を北に転じると、断崖絶壁に建つ、ロープウェイの終点(そして室堂へと通じるトロリーバスの起点でもある)、大観峰駅(2370m)のこれまた異様な姿が目に飛び込んできました。ほかに人工物のまったくない、原生林にポツリと浮かぶ、奇怪な五角形をした白い駅。これまで真正面からしか見たことがなく、横からその姿を眺めたのは初めてで、その昭和の香り漂うショッカーの秘密基地のような佇まいに頭がくらくらしました。
雄山の中腹、断崖絶壁に建つ大観峰。
黒部平でタイムアップ
5
分ほど休憩ののち、出発。ここで道は北東へと転じ、タンボ沢の谷へと下っていきます。途中、雷殿(かつては登山者のためのトロリーバスの停車駅だったのが、登山道自体が廃道となり、結果としてバスも停車しなくなった)への分岐を通過、真夏の太陽がじりじりと容赦なく照りつける中、つづら折の急坂を黙々と下っていきました。風はほとんどなく、とにかく暑い。踏み跡はしっかりしており、道迷いの恐れはないものの、崩れた階段や石積み、それに登山道に枝を伸ばし放題の木々、とけっこう荒れていて、かなり歩きにくい。人気がなく、黒部平までの間にすれ違ったのは、たったひとりでした。
ところで今回の山歩きではバードウォッチングの成果があまりなく、ここまで見たのはキセキレイ、イワツバメ、カヤクグリ、ウソ、イワヒバリ、アマツバメ、ホシガラス、それにウグイスとメボソムシクイの声を聴いたのみ、とまったくふるわない。そんなわけで、バードウォッチング的にはこの日の東一ノ越~黒四ダムの樹林帯に賭けていて、朝いちからすでに双眼鏡を首にぶら下げていたのですが、ところがこれが、鳥の姿を見ないどころか声すら聴こえない。ここまで、割合開けた荒地を下ってきており、勝負は樹林帯に入ってから、と一縷の期待を抱きつつも、実は、ほとんど諦めモード。こう暑くては、小鳥も出てくるはずがありません。
14時30分、標高2195mの地点で湧き水を見つけ、小休止。タオルを冷たい水に浸し、首筋をぬぐい、頭から水を被って生き返りましたが――それにしても、ここまで1時間かけてたったの300mしか下っておらず、明らかにペースが遅い。なにしろ、遅いと気づかずに遅くなってるのがヤバイ。ネジ巻かなくてはと思いつつ、しかしここから、ペースはさらに落ちました。
14時40分過ぎ、2170m地点でタンボ沢を渡り、対面の崖をロープを伝って登り、ここからようやく本格的な樹林帯へ。予定通りなら、そろそろロープウェイの下の発着駅、黒部平に着いていなければならなかったにもかかわらず、まだ標高差にして340mも残っていました。樹林の密度が増すにつれ、歩きにくさもいや増し、藪漕ぎとまではいかずとも、木や枝を足を高く持ち上げて跨ぎ、あるいは手で払う局面が多くなりました。しかもところどころに岩が転がっていて、足元が不安なだけペースもさらに落ち、また蒸し暑さも手伝って、そうこうするうちに、疲労もかなり濃くなってきました。
標高2000mを切り、傾斜が緩くなりましたが、この頃にはもうバテバテ。そして15時半、ようやくロープウェイの真下に到着(1900m)。万が一のときの余裕をみて、どんなに遅くとも、黒部平を15時半に出ないとアウト、と思っていたので、この時点で黒部ダムまで歩くプランを断念。前夜、別山稜線上の劒御前小舎に泊まっておけば――なんて思いが頭を掠めますが、そうしたらしたで、どうせ余計な道草を食って間に合わなかっただろうという気もします。折りしもロープウェイがものすごい速さで、遙か頭上を通過。そんな文明の利器を、ただぽかーんと見上げてやり過ごす、無力な汗だくの私。
タンボ平、1900m地点から涙目で見上げるロープウェイ。
そして山歩きは終わる
結
局1羽の鳥すら見なかった、と思いつつ、敗残者の気分で黒部平までやってきたところ、鳥(ちょう、と読んでください)ではなく蝶に遭遇。6年前に黒部ダムの遊歩道で見つけ、写真に撮ろうと追いかけても追いかけてもじっとしてくれず、結局ピンボケの写真が50枚くらい残った(そして全部削除した)アサギマダラです。2匹ほどがフジバカマの周りをうろうろ飛んでいて、千載一遇の好機、花にフレームをあわせて待ち構えていたところ、ほどなく1羽がぴたりと止まってくれたので、パシャリ。よし、もうこれで何もかもよしとしよう!
高山に生息するアサギマダラ。
16時ちょうど、黒部平(1828m)に到着。ここから1時間半でダムサイト(標高差約400m)まで行けるかといえば、行って行けなくもない、と一瞬迷いましたが、まあ、止めておいて正解。なにせ昨年の雲ノ平みたいに、急いで捻挫でもしたら目も当てられない。それにしても、へとへとに疲れきった体に、黒部平の冷たい湧き水のなんとうまかったこと。
次発のケーブルカーの発車時刻は16時30分。とりあえずひどい空腹だったので、売店でホットドッグとソフトクリームを注文し、ガツガツと食べました(おそば・ごはん類は既に終了していた。泣)。ビールを飲みたかったのはやまやまながら、東京までのドライブがあったので、ぐっとガマン。腹が落ち着いたところで外に出て、しばし庭園のベンチで一服。赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳と並ぶ後立山の連嶺を借景にした、雄大ながらもどこか寂々とした風情が素晴らしく、いつ見ても、見飽きることがありません。
黒部平の庭園から赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳を望む。
16時35分、黒部ダム着。ダムサイトをてくてく歩き、トロリーバスの乗り場へ。国内最高の高さ(186m)を誇るアーチ式ダムから見下ろす渓谷は既に影の中ですが、遙か下流、幾重にも重なった山並みの向こうの空には、まだ燦燦と陽の光が照り輝いていました。
ダムサイトから黒部渓谷を望む。
黒部ダムから下流の欅平まで、黒部渓谷下ノ廊下沿いに、日電歩道・水平歩道と呼ばれる道が延びています。水力発電所の建設調査を目的として、関西電力の前身(のひとつ)である日本電力が、1925年から1929年にかけて、4年の歳月と幾多の犠牲の上に、峡谷の絶壁をへずって開削した(その様子は黒部ダムの構内の写真パネルに詳しい)、全長約30kmに及ぶ、歩行者専用道路です。峡谷のきわ、場所によっては高さ数百mにも及ぶ断崖絶壁に設けられた、わずかな幅員の道ともいえない道は、残雪の状況によって開通日が左右され(通常夏の終わり)、年によってはまったく通行不能となってしまう、シビれるにもほどがある、スリル満点のトレッキング・コースです。
劒岳同様、この道もまた長年の憧れであり、黒部渓谷を見下ろしつつ、さて次はここか(要ダイエット)?なんてことを考えながら歩いているうち、トロリーバスの乗り場に到着。振り返れば夏雲の広がる立山の峰々の向こうに、太陽が沈んでいくところでした。
さよなら立山、劒岳。また来る日まで。
@
2013-01-04
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[
C
975
] うひゃー、怖すぎ!
あんなところを登るんですか~、見てるだけで震えがきそう。
山も大迫力だし、晴れた日の絶景がホントにもう素晴らしいとしか言いようがないです。蝶も可愛いし、ラストの写真は神々しい!
念願叶って良かったですね。今年も山に映画にイラストに、思いっきり楽しみましょう♪
2013-01-04 13:41
宵乃
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[
C
976
] 凄すぎる~~
Mardigrasさん! やりましたね!!
写真、迫力満点で、見て、読んで、太ももガクガです。
南アとは全然違う。私にはとっても無理です。
はあぁ それにしても、すごい景色ですね。あの3mの鉄のブリッジは先日テレビで見ました。やっぱり手すりがないんですね(怖)カニのタテバイ・・・登ってみたい気もするけど・・・私にはトレーニングが必要です。
Mardigrasさんは登られたんですね。すごいや♪
ヒメネズミ、可愛いい。大雪山のナキウサギにそっくりです。アサギマダラ、きれいな蝶。
南アルプスからは運がいい時だけ見えた剣岳。
こんなに生々しい岩肌をしていたんですね。
しんと冴えるような静かな場所に自分もいるような錯覚を覚えました。
何度も来て、読ませてもらいます。
山の紀行文、素晴らしい!
ありがとうございました。
2013-01-04 16:44
おりんこ
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[
C
977
] >宵乃さん
今年もよろしくお願いします。
コメントのご返事遅くなりすみません...!
このときの山は、天気に恵まれて最高でした~!(雨降りだったら、おそらく登らないで帰ってきたと思います)でも見るぶんには、ガスに巻かれたモノトーンのちょっと近寄りがたい雰囲気の劔岳もなんだかんだで好きかもしれません。。。
では今年も描きまくりましょう~!
2013-01-07 23:17
Mardigras
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[
C
978
] >おりんこさん
読んでいただきありがとうございます~!
あのブリッジはほんの数歩なんですけど、やっぱり緊張しますね~。突風が吹いたらどうしようとか。。。
おりんこさんくらいのキャリアお持ちなら、カニのタテバイも含め、ぜんぜん登れると思いますよ。南アルプスでも結構なガレ場とか岩稜歩かれてるし。。。
ヒメネズミには出遭えましたが、ライチョウが。。。立山これで四度目ですが、まだ一度も出遭えてません(泣)。
おりんこさんのようなロング縦走は絶対無理ですが、ピストンでもいいから、私も今年は南アルプスのどこかへ、、、と思ってます。
2013-01-07 23:32
Mardigras
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[
C
979
] 新春を山登りで
素晴らしい山の写真を見せて頂きこちらに寄ったかいがありました、
剣山は厳しい顔をしていますね、私も想像しただけで遭難してしまいそうですよ〜 笑
先ほど香川照之さんのドラマを見て、ここで彼の顔をまたみることになったのですが、
Mardiさんのイラストはよく表現されているのがわかります。
今年も時間が許す限り、映画のこと旅のこと、山登りのことなど更新してくださいねっ!
2013-01-11 07:35
ヘルブラウ
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[
C
980
] >ヘルブラウさん
コメントありがとうございます!
正月に北陸へ小旅行へ出掛け、冠雪した剱岳を遠くから眺めてきました。夏山とはまた違う、凛とした姿が実に美しかったです。とはいえちょうどそのころ、剱岳で四人のパーティが遭難していて、つい昨日の新聞に、警察が捜索を打ち切ったというニュースが出ていました。厳しい山です。
イラスト褒めていただきありがとうございます。この映画の香川照之は、ホント素晴らしいです。
今年はもうちょっと記事の数増やしたいと思ってますので、よろしくお願いします~!
2013-01-13 09:59
Mardigras
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981
] 管理人のみ閲覧できます
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2013-02-28 20:17
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山も大迫力だし、晴れた日の絶景がホントにもう素晴らしいとしか言いようがないです。蝶も可愛いし、ラストの写真は神々しい!
念願叶って良かったですね。今年も山に映画にイラストに、思いっきり楽しみましょう♪