はじいたろか...こんかい?

高倉健が元ヤクザのカタギを演じた、はじめに高倉健ありきの映画、「夜叉」(1985)。
60年代から70年代前半にかけて仁侠映画の看板スターとして一時代を築いたのち、「君よ、憤怒の河を渡れ」(1975)や「新幹線大爆破」(1975)を経て、やがて「八甲田山」(1977)や「幸福の黄色いハンカチ」(1977)といった斬ったはったと無縁の世界に確かな居場所を見つけた、健さんこと高倉健。「夜叉」は、そんな健さんのフィルモグラフィがスクリーンに二重写しとなった、当時の観客の瞼の裏に残っていたであろう、背中に刺青(スミ)を背負(しょ)った健さんの映画的メモワールとノスタルジーの上に作られた映画です。
――とまあ、さもわかったようなことを書いてみましたが、封切当時にこの映画を観て、高倉健のカッコよさに打ち震えた高校生の私に、東映仁侠映画時代の健さんの記憶は一切なかったので、あしからず。
「夜叉」のあらすじ(以下、ネタバレ)
ドラマの舞台は北陸、若狭湾に面したとある漁村。主人公は、かつて大阪のミナミで"人斬り夜叉"の異名で恐れれられた元ヤクザ、修治(高倉健)。カタギの女に惚れて足を洗い、女の故郷に移り住んで十五年、今では仲間の信頼厚い漁師として、妻となった女、冬子(いしだあゆみ)と義理の母(乙羽信子)、そして三人の子供とともに、穏やかで平和な暮らしを送っています。
そんなある日、"浜"に幼い子供を連れた、美しい女が流れてきます。女の名は螢子(田中裕子)。ミナミからきたという女は、漁港の一角で、漁師相手の小さな呑み屋、「螢」を始めます。垢抜けた都会の女の色香に誘われ、夜な夜な「螢」に引き寄せられる"浜"の漁師たち。そんな男たちの中には、親友である啓太(田中邦衛)とともに、女の中にかつて自分のいた世界の匂いを嗅いだ、修治の姿もありました。
ほどなくして女の後を追うように、一人の男(ビートたけし)が"浜"に姿を現わします。矢島と名乗る男は、螢子のヒモでした。彼は、賭け麻雀をきっかけに漁師たちに取り入り、やがて栄養剤と称して覚醒剤を売り捌くようになります。賭け事とクスリにうつつを抜かし、次第に仕事を疎かにしはじめる"浜"の男たち。そんなある日、修治は敦賀の町で、矢島がヤクザらしき風体の男と立ち話をしているところを見かけます。矢島の話し相手は、かつての修治の舎弟、トシオ(小林稔侍)でした。修治はトシオを問い詰め、ミナミの組織が矢島に覚醒剤を卸していることを白状させます。
修治には、たったひとりの肉親である妹(壇ふみ)を、覚醒剤中毒で亡くした過去がありました。"浜"に帰った修治は、矢島を立ち直らせたいと願う螢子を説得し、覚醒剤を棄てさせます。それを知り、烈火のごとく怒り狂う矢島。

クスリのきれた矢島は柳包丁を持ち出すと、螢子と子供を追い回し、辻で出くわした"浜"の住人へ見境いなく襲いかかります。折りしも漁から戻った修治が駆けつけ、矢島を取り押さえますが、しかしシャツを切り裂かれ、それまで周囲にひた隠しにしてきた消せない過去――背中の夜叉の彫物を、仲間の漁師たちに見られてしまいます。
「...修治、てめェもヤクザじゃねェか!」
修治の秘密を知り、掌を返したように、彼と彼の家族から距離を置き始める"浜"の住人たち。騒動以来、矢島は"浜"から姿を消し、また男たちの足は「螢」から遠ざかります。
そんなある晩、閑古鳥の鳴く「螢」を修治が訪れます。螢子を相手に酒を呑みながら、「ここ、出たほうがいいかもしらんな」と洩らし、そして「アンタと呑んでるときオレ、いちばん気がラクなんや」と問わず語りに口にする修治。
そこへ、夫を探しに冬子がやってきます。修治と螢子の間に漂う男女のただならぬ気配を察し、笑顔を繕い、過去へ、そして新しい女へと彷徨いはじめた夫の心を、"浜"へ、そして自分へ必死に繋ぎとめようとする妻、冬子。しかしそんな彼女の思いを裏切り、修治は螢子と褥をともにしてしまいます。
折りしも行方をくらましていた矢島が再び、螢子の前に姿を現します。覚醒剤の借金を返さなければ、組織に殺されると泣きつく矢島。螢子は修治の心を試すかのように、修治に助けを請います。「救けてどないするんや」と訊く修治に、「別れられる」と云う螢子。惚れた女にほだされ、修治はミナミへと帰る決心をします。
「アンタ、やっぱりミナミの男やったん!?ミナミ、忘れられへんか?お願い。行くのやめて・・・私はアンタの妻です!なんで?なんでそこまであの女のために!?アタシらの十五年、なんやったん?この浜のせっかくの十五年、棒に振る気?」
「...(例によって無言)」
絶望に顔を歪め、血の吹き出るようなことばをぶつける冬子の制止を振り切り、翌朝、修治は黙って"浜"を後にします。
十五年ぶりにミナミを訪れた修治は、単身、組織の事務所に乗り込むと、そこに捕らわれの身となった矢島を見つけます。居並ぶヤクザたちの中には、いまは組織に身を置く、トシオの姿もありました。
矢島を渡すよう頼む修治を鼻であしらい、端金を握らせ追い返そうとするヤクザたち。修治は金を叩き返し、はったりとひとにらみでヤクザたちを釘付けにすると、矢島を連れ、事務所を後にします。追っ手をかわし、ミナミの街を逃げる修治。しかしその途上、トシオに裏切られ、矢島はあえなく殺されてしまいます。
"浜"に戻り、矢島を救えなかったことを詫びる修治に、螢子が囁きかけます。
「夜叉はな、ミナミがよう似合う。道頓堀のネオンがよう肌に合うとるんや。ここは似合わへん。私も...」
しかし目を逸らし、黙り込む修治。螢子は、もはや修治の心がミナミにないことを悟ります。螢子は悲しそうに微笑むと、「私帰る。最終で」と云い残し、子供を連れて"浜"を去っていきます。敦賀駅のホームの片隅で、螢子を乗せた最終列車をひっそりと見送る修治。一方、大阪へと向かう列車の中で、螢子は自分が修治の子を身ごもっていることを知り、ひとり勝ち誇ったような、凄愴な笑みを浮かべます。
すべてが終わり、"浜"に帰ってきた修治を、何も口にすることなく、ただ安堵を滲ませた、精一杯の笑顔で出迎える冬子。修治に、"浜"の日常が戻ってきます。
"高倉健"を演じる高倉健
「新網走番外地」シリーズの幾本かを手掛けた降旗康男監督は、シリーズ最終作の「新網走番外地嵐呼ぶダンプ仁義」(1972)以来6年ぶりに、高倉健を主演に迎えた「冬の華」(1978)を撮ります。さらには1981年に「駅 STATION」、1983年に「居酒屋兆治」、そして1985年に本作「夜叉」と、"寡黙で自制心の強い男、高倉健"を見せることに何より重きを置いた、"高倉健のプロモーション・ムービー"ともいうべき映画を立て続けに作ります。
いや、そもそも降旗作品に限らず、中高年となって以降の高倉健は(ハリウッド映画も含む)すべての出演作において、常に変わらず寡黙で無骨、ストイックで剛直で胆力のある、日本男児の理想像ともいうべき姿を体現し続けているのであり、畢竟、いかなる映画でいかなる役を演じようとも、高倉健が演じているのは"高倉健"にほかならない――といっていいのかもしれません。そして制作サイドもまた、高倉健の高倉健らしさを際立たせることに注力し、その役柄からストーリー、ロケーションまで、すべてのお膳立てを整えてみせるのであり、むろんそれは言うまでもなく、何より観る側の私たちが、そんな高倉健の佇まい、そして高倉健の色に染め上げられた映画を期待しているからです。
かつてナンシー関が、「信仰の現場-すっとこどっこいにヨロシク」というフザけたルポルタージュで、矢沢永吉のライブに"潜入"し、ファンの立ち位置を、"矢沢さんに気持ちよく汗をかいていただく"ための存在と喝破しました。要するに、永ちゃんと同じく健さんもまた、現代の日本では稀有な、とりわけ映画の世界においてはもしかしたら最後かもしれない、作り手も観客もひっくるめたすべてがその人のためにある、正真正銘のスーパースター、ということなのかもしれません。
とまあ、なんだか書くまでもない、当たり前のことを書いている気がしてきましたが、「夜叉」を観てからしばらく経ったころ、代表作のひとつとされる「網走番外地」(1965)を観て(場所は新宿昭和館です、いうまでもなく)、びっくりしてしまいました。なぜならこの映画の高倉健が、人間としての厚みに欠ける、やたらとイキがる風のとっぽいあんちゃんだったからであり、そこに中年以降の高倉健がまとう"高倉健らしさ"が、まったく見当たらなかったからです(つまり想像していた健さんの若い頃のイメージと違っていた)。そして、つい数年前に観た「宮本武蔵」五部作(1961-1965)で演じていた佐々木小次郎の気障にもほどがあるカッコつけっぷりに至っては、ほとんど失笑寸前、ずいぶんとイタいものを見てしまった気がしたものです。
ではそんな若き高倉健の青臭さと前のめりに気取ったカッコつけが、十年の時を経て、いかにして日本男児の理想像ともいうべき風格に転化したのか、そして高倉健はいつの間に、ただひたすら"高倉健"であることが求められる(あるいは許されれる)ようになったのかといえば、その答はおそらく、私がまったく観たことのない、60年代から70年代にかけて量産された東映仁侠映画、とりわけ「網走番外地」シリーズと並ぶ代表作とされる「日本侠客伝」や「昭和残侠伝」シリーズあたりの中にあるのでしょうが、とはいえそんな私にとっての"ミッシングリンク"の作品群にいつまで経っても手を伸ばす気になれないのは、中年以降の健さんがまとう、(刺青ではなく)人生の重荷を背負った"市井の生活者"としてのカッコよさのイメージが、荒唐無稽なヤクザ映画のリアリティのなさにあてられて、どこかしら変容してしまうのがこわいからです。
「冬の華」について
というわけで、中年以降の高倉健はいかなる映画においても"高倉健"であるとして、中でも「冬の華」から「夜叉」にかけての降旗作品四本は、特に高倉健の"高倉健"らしさを見せることに注力した極めつけの作品群として、私の頭の中でひとくくりとなっています。
わけても高倉健が、ずばりヤクザ(足を洗おうかどうか悩んでいる、いわば「夜叉」の修治の一歩手前にいる人間)を演じる、"浜"は"浜"でも横浜を舞台にした「冬の華」こそ、高倉健の魅力を最大限に増幅してみせた、健さんらしさを堪能する上での最高傑作である、と初鑑賞以来思い込んでいたのですが――数年前に再見し、愕然としました。なぜなら二十年ぶりに観た「冬の華」は、確かに高倉健の佇まいに惚れ惚れしてしまう一方で、ドラマ自体が、赤面してしまうほどにクサいものだったからです。
渡世の義理で泣く泣く殺した兄貴分の一人娘が、美しい女性へと成長していく姿を、"ブラジルの伯父さん"と正体を偽って、娘と文通しながら足長おじさんチックにそっと遠くから見守るムショ帰りのヤクザ――そんなメルヘンにもほどがある設定に加え、高倉健が馬車道の名曲喫茶で"チャイコフスキーのピアノコンチェルト"をリクエストしたりだとか、ヤクザの親分が埠頭で絵を描きながらしみじみ"シャガールってのはいいぜ"と嘆息してみたりだとか、当時高校生の私にいちいちシビレ薬のように効いて効いて仕方がなかった、高倉健のカッコよさを引き立てるためのファンシーでファンタジックなあれこれが、こうして年齢を重ねてみると、やりすぎというか、悲しいほどにしゃらくさいというか、そもそもヤクザとヤクザの世界をただひたすらにカッコいいもの(=オトコの中のオトコ)として描いていることが、バカバカしくてならなかったのですね。
ヤクザ映画としての「夜叉」
そしてそんな感想の経年変化は、ずばり本作にも当てはまるのであり、今となっては、映画のところどころに差し挟まれる、ヤクザ時代の回想場面が、どうにもツラい。そもそも初鑑賞の時点で既に、当時54歳だった高倉健の若作りに無理を感じたものですが(ただしいしだあゆみの若作りのインパクトに比べれば、いかほどのこともない)、白のスーツでキメた、ヤクザというより"ギャング"と言ったほうが似つかわしい、過剰にスタイリッシュな出で立ちと気障にもほどがあるしぐさが、今となってはどうにもいたたまれなく(少なくとも私が思う高倉健のカッコよさは、こういうものではまったくない)、また日本刀片手に斬って斬って斬りまくり、ぴゅーっと吹き出る返り血を浴びて全身真っ赤に染まってみせるケレン味あり過ぎのビジュアルに至っては、ありもしない過激な過去を妄想する元ヤクザの白昼夢、とでも解釈した方がまだマシなほど、まったくもって現実感がありません。
なにせ、ピストル使用も含めて都合10人以上も殺っちゃってるのであり(もはやヤクザというより殺人狂)、にもかかわらず官憲に追われることがまったくないという不自然さ、そしてそれ以上に、(「冬の華」のように)服役して罪を償うこともなければ、そもそも罪の意識すら覚えることもない、修治という人間の人間性はいかがなものか?と思うわけですが――ついそんな野暮なことを言いたくなってしまうのも、裏を返せば、修治の今を描いた"浜"の情景描写が、人の暮らしのリアリズムに満ちた、実に味わい深いものであるからです。
冒頭に書いたとおり、仁侠映画でヤクザを演じ続けてきた高倉健のフィルモグラフィを、ドラマの主人公に重ねてみせた「夜叉」の設定は、高倉健に"高倉健"を演じさせる上で、その輪郭に問答無用の説得力を付与する究極の仕掛けだったといっていいでしょう。それは、そもそも山田洋次監督が、「幸福の黄色いハンカチ」(1977)そして「遙かなる山の呼び声」(1980)において、"人を殺めてしまった過去を持つ男"という現実的な文脈でもって、既に使っていたものですが、血腥い高倉健の残像を、リアリティのあるかたちで市井の人間に転化してみせた山田作品のひと捻りに比べ、"人斬りヤクザ"という直截的な(しかし荒唐無稽な)過去を当てはめてみせた「夜叉」の設定は、高倉健の"高倉健"度をこれ以上ないほど高める一方で、その代償として、ドラマの現在と過去におけるリアリズムの整合性を、著しく損ねてしまってもいます。
修治がただならぬ過去を持つ、タダモノでない男であることは、(トシオを問答無用でどつきまわすまでもなく、あるいは背中の彫物を晒すまでもなく、)凄みと貫禄が自然と滲む高倉健の漁師姿を見るだけでも十分すぎるほどに説得力があるのであり、元ヤクザという設定はありにしろ、この際、ヤクザ時代をわざわざ映像にして見せる必要はなかったのではないか、映像にすれば嘘くさくなるに決まっている修治の過去の行状は、ただ観客の想像に委ねておけばそれでよかったのではないか――そんなふうに思ったりもします。とはいえ、敦賀の港を駅に向かって走る啓太の息子の後姿に、夜のミナミを駆ける若き日の修治の後姿がオーバーラップするオープニングの感傷的な映像には、今観ても、理屈抜きにゾクゾクさせられてしまうのですが。
高倉健の"高倉健らしさ"が映える世界
とまあ、そんな不満を抱きつつも、私にとって「夜叉」が今なおいとしく忘れえぬ映画であるのがなぜかといえば、それはひとえに高倉健やいしだあゆみの暮らす"浜"の情緒てんめんたる情景が泣きたくなるほど素晴らしく、その冬景色にハーモナイズした哀切きわまりない音楽が、観るたび聴くたびに心を揺さぶられる、とても美しいものだからです。
たとえば、"浜"の住民はともかく修治の子供たちすらも父親の刺青を知らなかっただとか、矢島が包丁片手に暴れまわっても誰も警察に通報しないだとか、あるいは修治と螢子が敦賀の町で逢引しているあいだ、螢子の幼い子供の面倒はいったい誰が見てるのかだとか、そしてなんといっても修治が"浜"へ帰って以降の時間経過が支離滅裂だったりだとか、その場のムード最優先の、あまりにご都合主義な展開がぽこぽこありつつも、雪の降りしきる北陸の"海"を舞台に、いずれ劣らぬ芸達者たちが紡ぐ、冴え冴えとした"浜"の漁師とその家族たちの息吹、そしてそこに確かに感じられる潮くさい生活の匂いには、日本人として、もう理屈抜きに惹かれてやまないものがあります。
船を操る高倉健や田中邦衛の佇まいはあくまで漁師のそれらしく、港で立ち働くいしだあゆみやあき竹城はいかにも男の留守を預かる"浜"の女らしい。そして田舎の漁師をあしらう田中裕子があくまでスレッカラシの莫連らしくあれば、ビートたけしはいかにも半端者のヒモらしく、ついでに言えば粋なグラサン姿であられを頬張る小林稔侍はあくまで生涯一の三下ヤクザらしい。とまあ、それぞれの役者がそれぞれのはまり役を得て、得意の"オレ節"、"ワタシ節"をソロで、デュオで、あるいはトリオでもって奏でる、火花が飛び散るような丁々発止のアンサンブルは、冬の海を背景に忘れがたい情景を次々と生みだしながら、総体として、高倉健の"高倉健らしさ"が映える世界、すなわち寡黙で自制心の強い男がとびきり絵になる世界を作りだしていきます。
修治の現在と過去を象徴する奇跡のロケーション
そしてそんなドラマの情趣を鮮やかに引きたてる、というよりそれ自体がひとつの見所となった、音もなく雪の降りしきる、四方を海と山に囲まれた、小さな漁村の侘びた風情が実に素晴らしい。時代を経ても錆びることのない、(私にとっての)本作の魅力の最大の源泉は、つまるところ、このロケーションにあると言っていいほどに、外の世界と一本の橋だけで繋がった、まるで誂えたかのような"浜"の不思議なランドスケープは、ドラマにおける修治の現在と過去、そして修治と螢子(あるいは冬子と修治)の関係を、寸分の狂いもなく象徴して見事です。
内湖と外海を繋ぐ水路に架かる、集落と外の世界を結ぶ小さな石造の拱(アーチ)橋は、あたかも此岸と彼岸を隔てる境界として(あるいはドラマの重心として)、そこにあります。たとえば冒頭、啓太の息子が外の世界へと旅立っていく場面、あるいは子連れの螢子が"浜"へと流れてくる場面、はたまたクスリのきれた矢島が柳包丁片手に仁王立ちする場面、そして十五年ぶりにミナミへと旅立っていく修治がバスを待ち、"浜"へと戻った修治を冬子が迎える場面――とまあ、"浜"の端境に架かる橋を舞台に、あるいは後景に展開するおよそすべての場面が強く印象に残る中、わけても昏い海からやってくる紋付袴姿の修治を乗せた舟を、白無垢姿の冬子と村人たちが提燈を手に橋の上で迎える土俗的な婿入りの儀式の情景は、もはや神話的といっていいほどに、妖しく美しい。修治の修羅の過去ともあいまって、あたかも人間の娘を見初めた異界の荒ぶる客人(まれびと)が、神格を棄てて此岸に降り立つかのような、幻想的な気配を漂わせています(その線でいえば、螢子と矢島は"浜"にとって招かれざる禍つ神だったのであり、"浜"に迎え入れられた修治の家が集落の内にあるのと対照的に、「螢」が集落から橋を挟んだ向こう側――境界の外側に建っていることは、巧まずして象徴的)。
ちなみに本作のロケ地は、福井県美浜町にある日向湖と若狭湾に挟まれた漁村、日向(ひるが)。"浜"の全景を捉えたエンド・ロールにおいて、協力地としてその名がクレジットされています。ドラマの中においても日向という地名がそのまま活かされており、たとえばバス停のほか、修治が敦賀に魚を運ぶクルマにも、"日向漁港"の文字が見えます。実は、正月休みに憧れの彼の地を訪ねてきたのですが、その時のことはまたいずれ、改めて(こちら→「ロケ地めぐりの旅「夜叉」を訪ねて」)。
「夜叉」の音楽について
「おおい気障な曲なんかかけやがって。ワシなんかよ、ケツが痒うなったぞ」
「螢」の店開きの夜、螢子が店のカウンターにこれ見よがしに置いたラジカセから流れる軽快なジャズのメロディを耳にして、酔っぱらった漁師の一人がそう毒づきます。
「冬の華」がクラシック、「駅 STATION」(と「居酒屋兆治」)が演歌なら、「夜叉」はジャズ(調)。「駅 STATION」において、だれも客のいない大晦日、呑み屋のカウンターに腰かけた女将の倍賞千恵子が旅人の高倉健にもたれ、テレビから流れる八代亜紀の「舟唄」に耳を傾ける情景は、偶々人生が交差した孤独な男と女がいっとき互いに互いを温めあう、しかし所詮は行きずりでしかない二人の芯から温もりきらない寂しさがしみじみと沁みる、歌の世界ここに極まれりの名場面でした。もしかすると、そんな「駅 STATION」よりもさらに「舟唄」が似つかわしかったかもしれない本作(なにせ修治は漁師です、言うまでもなく)の楽曲がジャズであったことは、思えばかなり意表を突いたものです。
ところがこの音楽が、いい。冬の昏い海に切なく響く、「真夜中のカーボーイ」(1969)、「ゲッタウェイ」(1972)、「夜の大捜査線」(1967)でお馴染み、トゥーツ・シールマンスの奏でる哀しいハーモニカの音色が、素晴らしくいい(確かに章頭に記した場面はケツが痒くなりますが)。
とりわけ冒頭、"浜"からミナミへ、そして現在から過去へと心を彷徨わせる高倉健の感傷に、メランコリックなピアノと木管の音色が寄り添う静謐な序奏から、黒字に「夜叉」の赤文字が躍るオープニング・タイトルにタイミングを合わせ、トゥーツのハーモニカが炸裂するインストゥルメンタルは、何度聴いても心がざわめきます。そしてエンディング、出漁の情景に被さる、"浜"に帰ってきた修治の万感の思いを代弁して余りある、映画世界のすべてを包み込むかのようなソウルフルなボーカル・バージョンのメイン・テーマは、何度聴いても心が沸き立ちます。
思えば「夜叉」のサントラ・アルバムは、私の持っていた唯一の邦画のサントラで、映画を観た直後にレコードを買って、カセットテープにダビングし、それこそテープが擦り切れるくらいに聴き倒したものです。やがてCDの時代となるにつれ、その存在をすっかり忘れてしまっていたのですが、今から6、7年前にふと思い出し、CDで買いなおそうとしたところ、これがとっくのとうに廃盤で(1999年発売)、しかも中古はとんでもないプレミア価格。しかし待てば海路の日和あり(海を舞台にした映画だけに)、しばらくしてネットで新品を奇跡的に見つけ(しかも定価)、めでたく入手することができました。
高倉健が過去と訣別するエンディング
螢子にほだされ、ミナミへ帰る決心をした修治は、行李の底から古びた黒いコートを引っ張り出します。それは、過去をすっかり捨て去ったかのようでいて、その実、十五年間にわたって修治の心の奥底でぶすぶすと燻り続けていた、ミナミへの郷愁そのものといっていい、彼がかつてヤクザだった頃にまとっていたコートです。そんな"殺し"の装束に身を包み、ミナミへと旅立った修治は、しかし矢島を救け出すことにしくじると、廃墟にくず折れた矢島の屍体にコートを被せ、いかにも寒そうにジャケットの襟を立て、"浜"へと帰ってきます。消せない過去(背中の夜叉の彫物)は消せない過去として、こうして文字通り、脱ぎ捨てられるものをミナミに脱ぎ捨ててきた修治は、エンディングにおいて、海へと向かう漁船の上で、青春の残滓と過去への未練をすっぱり燃やし尽くしたとでもいった、さりげない、しかし実に晴れ晴れとした、"人生はかくも美しい"的な笑顔を浮かべます(冒頭のイラスト)。
こうして修治が過去と訣別するそのストーリー・ラインは、今振り返ってみれば、(元ヤクザという設定がそうであったように、)本作を最後に二度とヤクザを演じることのなかった高倉健のフィルモグラフィーと見事にシンクロしているのであり、そう思うとエンディングの修治の感慨は、ヤクザ映画と訣別し、斬ったはったと無縁の映画世界に居場所を見つけた(そして本作でもって、観客の頭に焼き付く高倉健=ヤクザの残像にきっぱりケリをつけてみせた)健さん自身の感慨そのものだったのかもしれない、な~んてことを妄想してしまったりするのです。
夜叉 (英題: Yaksa)
公開: 1985年
監督: 降旗康男
制作: 島谷能成、市古聖智
脚本: 中村努
出演: 高倉健、いしだあゆみ、乙羽信子、田中裕子、北野武、田中邦衛、あき竹城、小林稔侍、大滝秀治、奈良岡朋子、寺田農、檀ふみ
音楽: 佐藤允彦、トゥーツ・シールマンス
撮影: 木村大作
美術: 今村力
編集: 鈴木晄
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管理人: mardigras

やっぱ健さんは日本映画界で最高に恰好いい俳優さんですねぇ〜
ヤクザ映画はあまりみてないのでこの映画のことはしりませんが
なにはともあれ健さんを鑑賞するだけでもいいかもねっ 笑