
毎夏恒例、今年も北アルプスへ出かけてまいりましたので、いまさらですが、そのときのことを書こうと思います。このたびの山は、白馬(しろうま)岳。海抜2,932m、県境に沿って延びる稜線の長野側に絶壁、一方の富山側に緩斜面の広がる、遠目にも一目でそれと分かるユニークな山容を持った、後立山連峰の最高峰。訪れるのは、これが初めてです。
なぜ白馬岳かといえば、それはかつて、劔岳から遠望した、その不思議に優美なシルエットが瞼の裏に焼き付いていたからでもあれば、またかねてより、新田次郎の「強力伝」に描かれた、山頂に鎮座する風景指示盤をぜひこの目で見てみたいと思っていたからでもあり、さらには猛暑の続く東京で、大雪渓をわたる涼風を、ふと夢見たからでもあります。しかしなんといっても決め手となったのは、そのアプローチのよさ。北アルプスのほかの山々に比べ、登山口が比較的、町から近いのですね。6月ごろから、さて夏休みにはどこへ行こう、といろいろ計画を練っていたのですが、思い通りに休みがとれなくなってしまい、2泊3日という制約の中で、ぱっと頭に浮かんだのが白馬岳だった、というわけです。

劔沢より白馬岳(2012年8月)。
ちなみにイラストは、北アルプスの架空の山域を舞台にした映画、「ミッドナイト・イーグル」(2007)より、ヒロインを演じた竹内結子。映画の感想は、言わずが花ということで...
東京~白馬尻小屋(8/14)
早暁に東京を立ち、朝から大雪渓を登り、白馬岳で一泊、後立山連峰を南下して、不帰キレットを経て唐松岳でもう一泊、そして翌日の午前中には八方尾根を下山――という目論見だったのですが、ところが出発日にあっさり寝坊してしまい、この時点で早くも予定はパア。仕方がないので、この日は大雪渓の取り付きにある白馬尻小屋に泊まり、翌日は白馬岳に登った後、返す刀で不帰キレット手前の天狗山荘まで足を延ばす――とすかさずプランを変更。それならゆっくりでいいや、というわけで、結局、いろいろ用事を済ませて東京を出発したのは、11時過ぎでした。
ところが、お盆真っ最中の中央自動車道が、予想以上の大渋滞。八王子から相模湖まで、延々と続く車列をようやく抜け、一路、西へとすっ飛ばしたものの、この日は折しも諏訪湖の花火大会があり、思わぬ場所でまたもや大渋滞。ようやく安曇野I.C.を下りたときには15時を回っており、国道147号から148号を、穂高~大町~青木湖~木崎湖と北上して、白馬に着いたときには、白馬岳の登山口である猿倉行の最終バスが、既に出てしまった後でした(泣)。
仕方がないのでタクシーをつかまえ、標高1,250mの猿倉へ。入山には少々遅い17時に歩き始め、18時、白馬尻小屋に到着。標高はまだ1,560mに過ぎず、あたりにはまだ、昼間の暑熱の名残が漂っていましたが、ときおり、灌木帯の陰に隠れて見えない大雪渓を吹き降ろしてくる風が、火照る肌にひんやり冷たくて、もうそれだけでも、遙々訪れた甲斐があったというものです。

大雪渓のとば口に佇む白馬尻小屋。
山時間では遅い夕食をいただき、寝床のある別棟に移動。あてがわれた蚕棚にザックを下ろし、荷物の整理を済ませて再び戸外に出たときには、もうすっかり日が落ちていました。その夜はたまたま、小屋の食堂で歌声喫茶が開かれており、柄ではないので参加しませんでしたが、漆黒の闇に包まれた前庭で一服していると、そこだけぽっと灯りのともった食堂から、アコーディオンの伴奏にのって、小学生の頃にカブスカウトで習い覚えた、いかにも山ふところで歌われるに相応しい、懐かしくも素朴な歌が聴こえてきました。
歌声が
あの小道に響けば
あの森かげあの谷間
山びこの歌
山の子は
山の子は
歌が好きだよ
雨が降り
てるてる坊主が泣いても
私たちは泣かないで
山を見つめる
山の子は
山の子は
みんな強いよ
・・・
その日の白馬尻小屋は思ったよりも空いていて、蚕棚に同宿者はひとり。ところが、これがとんでもないイビキの持ち主で、ヤバい、寝れない、と焦りましたが、どうやら長距離ドライブに疲れが溜まっていたらしく、いつの間にか、すーっと眠りに落ちていました。
大雪渓~白馬山荘(8/15)
翌朝は5時過ぎ起床。天気は上々。朝飯を済ませ、5時50分に小屋を出発。白馬岳に登ってそれから天狗山荘へ、となると、登山地図の標準コースタイムで8時間の行程。さて私の足だと休憩時間も含めて15時に辿り着けるかどうか――と不安を感じつつも、とにかく歩き始め、まずは灌木帯を抜け、ケルンの積まれた大雪渓の取り付きへ。

全長1kmに及ぶ長大な雪渓。
盛夏、それも異常気象といわれる今夏の熱波をものともせず、目の前にどーんと広がるクラスト状の雪の長大な斜面は、さすが、日本三大雪渓といわれるだけのド迫力。ところどころに大きなクレバスが口を開けていて、裂け目から覗く雪層の意外な分厚さに驚きました。とはいえ、こんな異常気象が続くようでは、果たしてそれも、この先いつまでもつのやら...
ほかの登山者たちと一緒に岩に腰かけ、アイゼンの紐を結んでいると、そこへ、短パン、軽装、ランニングシューズのトレイルランナーが登場。その靴では無理ですよ、という周囲の声を振り切って、勇ましくもざっくざっくと登っていきましたが、しばらく進んだところで立ち往生。下から様子をうかがっていると、さすがに諦めたらしく、恐る恐る引き返してきました。ところがあとちょっとというところですってーんと派手に大転倒。大丈夫ですか?と心配するより先に、登りはじめてなくて(巻き込まれなくて)よかったと思ってしまった、意地悪な私。
とまあ、そんな一幕ののち、6時15分、いよいよ大雪渓へ。幅100mの広大な雪の斜面には、ベンガラを使って一本の線が描かれています。この線を無視して一直線に登って行くと、やがてクレバスに行く手を阻まれてしまったりするので、時に蛇行する紅い線を注意深く辿っていきます。全長1kmに及ぶ天然の冷凍庫に冷やされた、谷おろしの風が心地よい。ざくざくと雪に食い込むアイゼンの感触を楽しみながら、蒼天を目指し、順調に高度を稼いでいきます。

蒼穹に映える杓子岳(2,812m)。
最後の降雪から数か月、いまやすっかり薄汚れた雪面のところどころには、コブシ大から人頭大、ときには一抱えほどもある、大小さまざまの岩石があちこちに散らばっています。それは言うまでなく、雪渓上部の岸壁から剥がれて転がり落ちてきた、石。話には聞いていましたが、想像以上にその数が多く、そして遥か上方のどこからか、時折、カラカラガラガラと、岩壁の崩落する微かな音が聴こえてきます。登山路として、これといって難しいところのない大雪渓ルートのコワさは、ここにあります。ほぼ毎年のように、落石による死亡遭難事故が起きていて、この上なく清々しい大雪渓は、一刻も早く通り越すにしくはない、この上ない危険地帯でもあります。

雪渓に点々と散らばる落石、ところどころに口を開けたクラック。
8時20分、ようやく大雪渓の上端に到着(2,150m)。歩いているうちは至極快調だったつもりが、慣れない雪面歩きが思いのほか足にきたようで、アイゼンを外して立ち上がろうとすると、思わずよろけてしまいました。ここで、20分と長めの小休止。太陽はもうとっくに中天にあり、冷たい湧き水に浸したタオルで顔と首筋をぬぐうと、その気持ちよさに思わず声が出ました。見下ろせば、遥か雪面に点々と続く、登山者たちの長い列。

大雪渓名物、登山者の大行列。
なんとなく足元が定まらぬうち、出発。雪渓の最上部を横目に通過し、ここから先は、岩屑の散らばる地味な登りがしばらく続きます。登山道から20mほど外れた右手の急斜面を、突如、がつっがつっという鈍い音ともに、一抱え以上はあろうかという大岩が転げ落ちていきました。あれがもし...と思えばやっぱり恐ろしい。

雪渓を抜けると急坂が待っている。
先を急がなくてはならないにもかかわらず、どうにもピッチがはかどらない。全身の毛穴という毛穴から、あっという間に汗が吹き出しました。暑い。足が重い。トレッキングポールを持った腕まで重い。30分ほど歩いたところでまた休憩。さらに進んだ標高2,400m付近の避難小屋でまた休憩。ふたたび登りはじめ、ぜえぜえと音を上げる呼吸器官を騙し騙し、一歩また一歩、とじりじり高度を稼ぐうち、ふと気が付くと、周囲に目も鮮やかなお花畑が広がっていました。

草付きの斜面を彩る色とりどりの花々。
抜けるような青空のもと、緑の斜面にキャンディをばら撒いたかのごとき、百花繚乱。オレンジのクルマユリ。黄色のオタカラコウにミヤマキンポウゲ。青紫のハクサンフウロ。真っ白なウラジロタデにコバイケソウ。クリーム色のイワオウギ...このタイミングでこの風景は、うれしい。

稜線まであと一息。
自然からなにがしかの元気をもらい、稜線まで最後のひと登り。11時10分、白馬岳頂上宿舎(2,730m)に到着。登り始めて約5時間、標準コースタイムより30分ほど遅れていました。ベンチに腰を下ろし、少し早目のお弁当。白馬岳の頂上はもはや指呼の距離にあり、下から見上げると、堅牢不抜な要塞のようでもある白馬山荘の屋根の向こうに、その独特のシルエットをのぞかせていました。天狗山荘を目指すなら、休憩もほどほどにして、ここからさくっと白馬岳を往復しなくてはなりません。しかし、足が動かない。だらだらと休むこと35分、ようやく重い腰を上げ、白馬山荘へのザレた坂道を辿りますが、足が重い。だるい。前に進まない。

空に聳える要塞のごとき山荘。
すぐそこに見えている白馬山荘に、なかなか近づくことができません。歩いては立ち止まり、呼吸を整えてはまた歩き、ようやく12時10分、25分もかかって白馬山荘(2,832m)に到着。ここから山頂までの標高差はきっかり100m。これから登って下ってそれから天狗山荘まで足を延ばすことを思った瞬間、心がポキリと折れる音が聞こえました。よし、今日はもうここまでにしよう。そして明日は潔く、栂池へ下ることにしよう。と、三たび予定を変更することにした、根性&体力なしの私...

天空のカフェテリア。
宿泊手続きを済ませ、指定された部屋に荷を下ろし、とにもかくにもビール。翼棟を左右に大きく広げた、(あくまで遠目には)雲上のリゾートホテルのような白馬山荘は、スカイプラザと呼ばれる売店を兼ねたカフェテリアもまた、標高2,800mとは思えないほどに広々としています。窓際に腰かけ、今頃はそこを歩いていたはずの、南へと延びる唐松岳への縦走路を諦めきれない思いで眺めつつ、それでも疲れた身体の隅々へと徐々にアルコールが回ってくるにつれ、これでもうどうあがいても今日はおしまい、とようやく気持ちにケリがつきました。
ほろ酔い加減で部屋に戻ると、そこにはひとりの相客が。なんとそれは、昨夜の大イビキ氏。しまったと思いましたが、つい目と目が合って挨拶してしまったのが運のつき。今さら部屋を代えるのも憚られ、どす黒い不安に包まれながらも腰をおろしました。しばらく昼寝をしよう、と横になりますが、案の定、眠れない。一足先に眠りに落ちた大イビキ氏のイビキがうるさくて、どうあっても眠れない。これほどのボリューム、しかもバラエティに富んだ音色のイビキというのは、これまでの人生で経験したためしがない...
白馬山荘~白馬岳~白馬山荘(8/15)
眠れぬままに寝返りを打つこと2時間。ついに諦めて、白馬岳山頂まで散歩することにしました。

「風の谷のナウシカ」の巨神兵のように見えなくもない、鎌首をもたげた白馬岳山頂。
あたりにはいつの間にか、薄いガスが漂い始めていました。南西の方角を振り返ってみても、立山・劒の峰々は、残念ながら分厚い雲の中。とはいえとにかく行くなら行かねばと、カメラを片手に、なだらかな斜面をぶらぶらと登っていきます。空身なこともあり、お昼までのへたり具合がウソのよう。

大正時代、北アルプス登山の大衆化に先鞭をつけた松沢貞逸の記念碑。
途中、白馬山荘の建立者である松沢貞逸の記念碑を通過し、15時45分、後立山連峰の最高峰、白馬岳の頂上(2,932m)に到着。そしてそこには、かねてより、この山に登ったらぜひ見てみたいと楽しみにしていた、花崗岩で作られた、見るからに重そうな、風景指示盤がありました。
山岳小説のパイオニア、新田次郎の処女作「強力伝」は、昭和16年、この、常人には持ち上げることすら不可能な、50貫(187.5kg)の組石2基と20貫(75kg)の笠石2基からなる風景指示板を背負子に背負い、独力で、麓の大町から白馬岳の頂上まで担ぎ上げた、力持ちにもほどがある強力の物語です。ページをめくるうち、体中の穴という穴から臓物がはみ出てくるような気分になる、圧倒的な重圧感を持った、いわば"体にくる"小説です。そして、この小説の主人公のモデルともなった富士山の強力、小見山正氏は、実際にこの仕事の無理が遠因となって、早死にしてしまったといいます(新潮文庫の解説より)。

白馬岳山頂に鎮座する「強力伝」の風景指示盤。
そんな逸話を踏まえた上でいざ目にした風景指示板の、なんと力強く、神々しいことよ。70年を超える長い歳月を経て、厳しい風雪に晒され続けたせいか、それとも万人の登山者の手で撫でさすられ続けたせいか、その表面は役目を果たせないほどにつるつると摩耗しきっていて、白馬岳の風景指示板は、いまはただ、かつてひとりの男が成し遂げた偉業それ自体の記憶のよすがとして、そこにあります。

いまや風景指示盤としては何の役目も果たしていない風景指示盤。
白馬岳の散策を終えて山小屋に戻ると、8畳の部屋は、しっかりタコ詰め状態となっていました(8名)。この日の宿泊者は、おおよそ300人。とはいえ国内有数のメガ山荘である白馬山荘の収容人数は800人で、そう端から詰め込まなくても、と思いますが、なにせ山小屋なので、まあ致し方ない。
とにもかくにも、くだんのイビキ氏よりも早く眠るにしくはなし、と早々に夕食を済ませ、18時過ぎには布団にもぐりこみました。しかし、なかなか寝付けない。そしてそうこうするうちに、やがて恐れていた大サウンドが、狭い部屋を聾して響き始めました。19時、20時...とても眠れない。疲れているのに眠れない。眠れるはずがない。いつか収まるのでは(そしてその隙に寝てやる)、とじっと辛抱していたのですが、さてイビキというものが、ここまで途切れないものだとは。怒りを通り越して、ほとんど感心してしまいました。
そして21時過ぎ、真っ暗闇の中で、ついに痺れを切らしたひとりのおじさんが舌打ちして声をあげました。「いくらんなんでもひどい」。相槌の返事とともに、暗闇のあちこちであがる不平の声。やがて一人が部屋を出ていき、空部屋を見つけてくると、がさごそと荷物をまとめる音がして、一人去り、二人去り、と深夜の大引越し。結局あとに残ったのは、イビキ氏以外に私を含めて2人だけでした(そして私はどうにか22時過ぎには眠れた)。イビキ氏は、朝目覚めて部屋に3人しかいないことが、さぞかし不思議だったことでしょう。
白馬山荘~白馬岳~白馬大池~栂池高原(8/16)
なにせ眠りが浅く、4時半過ぎに起床。山頂でご来光を眺めようという人たちが、ヘッドランプを灯して早くも歩き始めています。山の朝は寒く、フリースでもおっつかない。レインウエアをはおり、テラスに出ると、そこに、前日には見ることのかなわなかった、北アルプスの黒々とした連嶺が、黎明の空のもとに広がっていました。

暁闇に姿を見せ始めた北アルプスの山々。
あれ、こんなに近かったっけと思うほど目の前に、劔岳の尖峰が、別山から雄山へと続く立山連峰の山並みが、そしてその彼方には薬師岳、水晶岳、鷲羽岳、黒部五郎岳が、さらに南へと目を転じれば槍ヶ岳と穂高の山塊が、荘厳な夜明けのしじまの中に、圧倒的な存在感で屹立しています。

槍・穂高連峰。
いくら眺めていても、見飽きることはありません。そう、なぜならこれを見たいがために、ここまでやってきたのだから。いつか見た、槍ヶ岳からの白馬岳、立山からの白馬岳、そして劔岳からの白馬岳。そんな山々を、今度は白馬岳から眺めるという、この、幸せで充ち足りた時間。
朝食を済ませ、6時半、出立。振り返れば、鋸の歯のような八つ峰から続く劔岳が、指呼の距離に見えます。昨年辿った別山尾根が、黒部の深い谷を隔てて、すぐそこにあります。何度も後ろを振り返りつつ、一歩一歩を惜しみつつ、山荘をあとにします。

劔岳と後立山連峰の縦走路。
東の谷を覗き込むと、白馬尻小屋の青屋根と、その前庭に集う豆粒のような登山者たちの姿。彼らの山登りはこれから始まるのだ、と思うとちょっと羨ましい。東の空には霞がかかっていて、残念ながら、富士山も南アルプスも八ヶ岳も、白いベールの向こう。

眼下1,400mの白馬尻小屋。
そして7時10分、再び白馬岳の山頂。

白馬岳から北へと延びる稜線。
ぐるり360°の山また山。次に来るのはいつかの日か、としばし名残を惜しみ、一路、栂池へと向かう尾根道を辿ります。少し下ったところで振り返れば、劔岳と白馬岳のツー・ショット。北アルプスの、キングとクイーン。そんな対照的な佇まいをみせる、劔岳と白馬岳であります。

北アルプスのキングとクイーン。
白馬岳を訪れたらコマクサが見たい、と常々思っていましたが、残念ながら既に盛りの時期を過ぎており、ただ漫然と歩いているだけでは、目にとまりませんでした。とはいえさすがは花の山。登山道脇のそこかしこにさまざまな高山植物が咲き誇り、目を楽しませてくれます。

チシマギキョウ。

ミヤマアズマギク。

カライトソウ。
8時少し前、旭岳への道が分岐する、富山県・長野県・新潟県の県境、三国境(2,751m)を通過。新潟県の最高峰、小蓮華岳(2,766m)へと向かいます。しばらく歩いたところで振り返ってみれば、まるでジキル博士とハイド氏のように、断崖絶壁のコワモテの貌を晒した、白馬岳。

白馬岳東面の絶壁。
8時40分、小蓮華岳着。ここで10分休憩。行く手に、天空のお釜のような、満々と水を湛えた白馬大池が見えました。

天空のお釜、白馬大池。
あの池の畔で昼食にしよう、と思いながら歩を進めるうち、いつの間にか、分厚い雲の塊が、峰々に押し寄せてきました。

押し寄せる雲海。
見れば白馬大池は、今にも雲に呑み込まれようとしているところ。

白馬大池へと続く縦走路。
モデレートな尾根道を辿り、船越ノ頭から雷鳥坂を経て、10時35分、白馬大池(2,379m)に到着。果たして白馬大池は、そのころにはすっかり、薄暗い雲の中でした。

すっかりガスに巻かれた白馬大池。
白馬大池山荘の前庭で、早めの昼食をとり、11時20分、出発。安山岩の巨石が連なる道を一息に登り、白馬乗鞍岳(2,437m)を通過、あとはひたすら下るのみ。途中、幅30mほどの雪渓を横断し、急傾斜の岩場を辿り、12時半、池塘の点在する高層湿原、天狗原(2,180m)に出ました。

池塘の広がる天狗原。
このあたりはまだ、雲の中。木道脇のベンチで10分ほど、一服しながら今夏の山歩きの名残を惜しみ、出発。樹林帯をてくてくと下り、13時15分、夏の日差しが眩しい栂池ビジターセンター(1,850m)に着きました。
このまま麓まで歩こうか、という思いがちらりと頭をよぎりますが、ここは潔く、文明の利器に頼ることにし、ロープウェイとゴンドラリフトを乗継ぎ、1,000mの高低差を一気に下って麓の栂池へ。その間、ほん30分。そのあまりの便利さとお手軽さにうしろめたさを感じてしまうのは、近代トレッキングの宿命というものでしょう。とはいえ、ロープウェイがあるのにあえて使わないのもバカバカしかったりして(昨年、室堂から黒部平までの道を藪漕ぎしながら、頭上を物凄い速さでロープウェイが行き交うのを眺めたときは、実に悲しかった)、ここに、さじ加減の難しさがあるというか、多少大げさに言えば、お手軽なアプローチをどこまで自分に許すのかという点に、山登りというものに対する、トレッカーひとりひとりの価値観があらわれるのかもしれません。
とまあそんなわけで、栂池から路線バスで白馬に戻り、今年の北アルプスもこれにて終了。来年は、もう少し長い山歩きを楽しみたいものです。
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