ふ~ん。おめえも案外、ろくでなしだな。

かつてキネマ旬報に連載されていた、映画のセリフをめぐるイラスト付きの名コラム、「お楽しみはこれからだ」をはじめ、映画にまつわる数々のエッセイや対談を通じ、その映画愛溢れるシネマディクトぶりを披露していたイラストレーター、和田誠がメガホンをとった1984年公開の映画、「麻雀放浪記」。
クリエーターとしての才能、そして映画見巧者としてのセンスを如何なく発揮し、当代最高の娯楽小説といっていい珠玉の原作の持ち味を損ねることなく、作品世界がまとう空気を忠実に映像化してみせた、本邦屈指のギャンブル映画です。
「麻雀放浪記」のあらすじ(以下ネタバレ)
終戦直後の東京。学校をドロップアウトした坊や哲(真田広之)は、あてもなく上野をぶらついていたある日、勤労動員先の工場で麻雀の手ほどきを受けた旧知の博打打ち、上州虎(名古屋章)にばったり出くわします。虎のあとにくっついて、焼け野原の一角にあるチンチロ部落を訪れた坊や。彼はそこで、ドサ健と名乗る、若くて威勢のいい博打打ち(鹿賀丈史)と出会います。坊やは健のコーチによって、ぐらサイを使うおかまのおりん(内藤陳)たちを相手に勝ち金を手にしますが、しかし勝負が終わったあとで、健から当然のごとく分け前を要求されるに及んで、この世界に友情と呼ばれる関係の存在しないことを、強く思い知らされます。
この一夜をきっかけに、博打の世界に生きる決心をした坊や。彼は、イカサマをネタにおりんを強請って稼ぎ場を紹介させると、ドサ健を誘い、銀座にある進駐軍専用の賭博場、オックスクラブを訪れます。ところが、なけなしのタネ銭を二人分の入場料として巻き上げられてしまい、仕方なく健の懐をあてにして雀卓を囲みますが、実は、健もハイナシ。そして別の卓にいた健は、半荘を勝ちあがると、形勢の悪い坊やを置き去りにして、さっさと席を立ってしまいます。
「健さん、こっちまだ終わってないよ」
「じゃあ早く終わらせな。オレは先に帰ってるぜ。眠いンだ」
麻雀の負けを身体で払う羽目になり、アメリカ人にタコ殴りにされた坊や。そんな彼を介抱してくれたのは、オックスクラブのママ、ゆき(加賀まりこ)でした。その夜、坊やはゆきに征服され、初めて女を知ります。
ゆきから麻雀の積み込みを教え込まれた坊やは、心ならずも彼女のオヒキとなり、進駐軍相手のコンビ打ちに精を出します。ところがある夜、ふたりは遠征先の横浜で、日系人の米兵(鹿内孝)に脅され、勝ち金をそっくり巻き上げられてしまいます。
「バカヤロウ!男は殺して、女からは盗むのかよ」
肩を震わせて泣くゆきの弱々しい姿に、坊やは初めて強い愛情を覚えます。
ゆきと対等になりたい一心で、彼女の元を離れ、ひとり雀荘めぐりを始めた坊や。そんなある日、彼はとある店で、化け物のようなバイニンに出くわします。これといって特徴のない、背中を丸めた初老の男。坊やは本能的な警戒心を抱きますが、そんな彼を嘲笑うかのように、男は鮮やかな大四喜字一色を和了ってみせます。
その夜、久しぶりに再会した上州虎のねぐらを訪れた坊やは、そこに、ついさきほどの初老の男を見つけて驚きます。家主だという男の名は、大場徳次郎。通称、出目徳(高品格)。虎の古い知り合いの、戦前派のバイニンでした。坊やはその積み込み技に強い感銘を受け、宿賃代わりに、出目徳のオヒキを務めることを承諾します。
坊やを手下にした出目徳の狙いは、究極のコンビ技、「二の二の天和」。二人は街の麻雀屋を流しながら、コンビ技に磨きをかけると、満を持して、上野にある雀荘、喜楽荘へと乗り込みます。それはドサ健が、自分のオンナ(まゆみ=大竹しのぶ)にやらせている店でした。
コンビとみられぬよう、別々に店を訪れた二人は、ドサ健、そして目つきの鋭い和服の男(加藤健一)と卓を囲みます。頃合いを見て、青天井ルールを持ち掛ける出目徳。和服の男が抜けて健の手下(酒井努)が加わり、卓上は、あたかも2対2の様相を呈します。やがて大三元をツモ和了り、怪気炎を上げる健。しかし出目徳は、すかさず仕込みの天和を和了りかえすと、疑り深い目つきで坊やを睨み付ける健の目の前で、ここを先途とばかり、連続して二度目の天和を和了ってみせます。
「ふざけるなぁっ!!」
すっとぼける出目徳に、怒髪天を衝くドサ健。
「てめェ相手をみて技やれよ?俺はノガミのドサ健だ!やる以上命張ってンだろうな!?」
「インチキだってのかい」
「どこの世界にこんなチョボ一にひっかかって銭払う奴がいるかい!」
「ふ~ん。インチキだから払えねェって云うのかい。ふん、上野に健さんっていう勇ましい博打打ちがいると聞いてたが、そいつがそう抜かしたンだな?インチキだから払えねェってなぁ?」
痺れるような沈黙ののち、健は声を震わせて笑み崩れます。
「勝ってよかったじゃねぇか、バイニンさんよ。払ってやるから、帰ンなよ」
ところが出目徳は、勝負続行を主張します。健は気力を奮い立たせ、受けて立ちますが、形勢不利のまま、ついにはまゆみの家の権利書までもむしり取られてしまいます。勝負のカタがつき、のろのろと立ち上がるドサ健。
「そっちのバイニンさん、勝負は終わりじゃねェぜ。俺は必ず打ち返してやる」
「おう、また面白くぶとうぜ」
家をくれるという出目徳に、坊やはいらないと云い、そして続けます。
「ぼく、手下はやめたよ」
一方、住処を失い安宿に身を寄せたドサ健とまゆみ。キャバレーで働くまゆみのヒモとなって、無為な日々を過ごす健のもとへ、手下が儲け話を持ち込んできます。相手はでかい麻雀をやっているという、金持ちの税理士。健は勝負の見せ金を作るべく、まゆみを女郎に売り飛ばす決心をします。手下の手引きで現れた人買いは、いつかの和服の男でした。お前だけには売れないと断る健に、女衒の達と名乗る男は、一日だけ、質屋への商売替えを申し出ます。
達から借りた金を手に、税理士との勝負に出向いた健。彼の帰りを待ち、まゆみは達とともに、いまは虎のものとなった、かつての自分の家で一夜を過ごします。まゆみは、達の目を盗んで彼女に言い寄る虎をぴしゃりとはねつけ、健が迎えに来ると信じて、まんじりともせずに朝を迎えます。しかし健は、約束の昼になっても姿を現しませんでした。そのとき、虎が突然、達にまゆみと家を賭けた勝負を持ち掛けます。
「ほーう。虎さんも、大技をやりますね」
賭けの対象は、この次に家に入ってくる人間の歳。現れたのは、坊やでした。丁に賭けた虎は、おととい十九になったばかりだという坊やの一言に、がっくりとうなだれ、家を出ていきます。
「おれぁ、ここいちばんってときに、弱ぇンだよな」
その夜、坊やは勝負の日々に久しく忘れていたゆきを訪ねます。しかし彼が知らぬうちに、オックスクラブは手入れを食らって潰れ、ゆきもまた、いずこへと姿を消していました。達とまゆみとともに、飯屋で酔い潰れる坊や。そこへ、健が姿を現します。
果たして健は、勝負に負けたわけではありませんでした。にもかかわらず、まゆみを荷受けしようとしない健に、坊やが食って掛かります。
「健さん、まゆみさん、かわいそうじゃないか。金返して自由にしてやれよ」
「うるせえ!ガキがくちばし挟むこっちゃねェんだよ。あいつは俺のオンナだ。この世でたった一人の俺のオンナだ。だからアイツは俺のために生きなくちゃならねェ。俺は死んだってテメェっちに甘ったれやしねェが、アイツだけには違うンだ。アイツと死んだお袋と、この二人だけには迷惑かけたってかまわねぇンだ。わかるか?」
飯屋の親父が、たまりかねたように口を挟みます。
「なぁ健さん、坊やの云う通りだよ。あんまり阿漕な事をするもンじゃないよ。娘さんどうなってもいいのかい?」
「どうなってもいいのはテメェの方だ。テメェら家付きメシ付きの一生を人生だと思ってンだろ?そんな保険のお陰で、このオンナが自分のオンナか他人のオンナか見分けもつかねェようになってンだよ。テメェらに出来るのは長生きだけだ。クソ垂れて我慢して生きてるだけだ」
そして、再び勝負の日がやってきます。卓を囲むメンバーは、出目徳、ドサ健、達、そして坊や哲。いつ果てるとも知れぬ勝負が続くうち、やがて力の一枚落ちる達が、ずるずると後退し始めます。まゆみを達から身請けすることに成功し、ついには家も取り返したドサ健。旗色の悪くなった達は、自分のオンナに金を持ってこさせるよう、まゆみに言付けます。そんなとき、出目徳が牌を握ったまま、苦しみ悶え始めます。介抱する間もなく、ばたりと卓に崩れ落ちる出目徳。達が脈をとると、出目徳は既にこと切れていました。手牌は九蓮宝燈のテンパイ。坊やは固く閉じた出目徳の右手をこじ開けます。そこには、和了り牌の三筒が固く握りしめられていました。
「死ンだ奴は負けだ。負けた奴は裸ンなるって決まってんだ」
ドサ健は出目徳の懐から札束を引っ張り出し、着衣も引っぺがします。下着姿の出目徳の死体のまわりで、呆けたように脱力する男たち。やがて健が立ち上がり、駅から人力車を借りてきます。三人は出目徳の死体を人力車に乗せ、彼の家へ運ぶと、土手の上から軒先の水溜りへ転げ落とします。
「いい勝負だったなぁ、おっさん。あんな博打は二度とできねェかもしれねェや。おっさんのこと、ずっと忘れねェよ 」
「あっしもおっさんみてェなバイニンになって、おっさんみてェに死にますよ 」
「おっさん...」
座右の書、「麻雀放浪記」について
本作の原作は、言わずと知れた阿佐田哲也の「麻雀放浪記」。戦後の混乱期を舞台に、"バイニン"たちが命よりも大切な金を賭けて卓上にしのぎを削るさまを、軽やかながらもコクのある文体、そして特殊な牌活字を駆使して描いた、「青春篇」、「風雲篇」、「激闘篇」そして「番外篇」と続く、全四作からなる"麻雀小説"の金字塔です(ちなみに映画化されたのは、それぞれ微妙に異なる味わいを持った四作品の中でも、登場人物たちの魅力といい、クライマックスに向けたプロットのうねりの見事さといい、そしてここからすべてが始まったことといい、どれかひとつ選べと言われればこれを選ぶほかない第一作、「青春篇」)。
作者の苛烈な実体験に裏打ちされた、この、ほとんど実録ではないかとすら思える臨場感とリアリティを宿した骨太なギャンブル小説は、悪くてしぶとく、そして魅力的にもほどがあるアウトローたちが、ありとあらゆるイカサマ芸を駆使して喰いつ喰われつの死闘を繰り広げる群像ピカレスクロマンの一大傑作であり、そしてそんな"ボスか手下か敵しかいない"世界に進んで身を投じた主人公の青年、坊や哲をめぐる、優れたビルドゥングスロマンでもあります。
主人公の年齢にこれから差し掛かろうという高校生の頃に一読して以来三十年、ことあるごとに読み返してきた、この、シビれる教訓と実践的な生活技術の描写に満ち溢れた娯楽小説は、同じ作者の「新麻雀放浪記―申年生まれのフレンズ」や「ドサ健ばぐち地獄」をはじめとする幾多のギャンブル小説と並び、私にとってはもはやその娯楽性うんぬんを超えたところにある、かけがえのない人生の指南書――と安っぽく括ってしまえば、かえってその魅力と価値を汚してしまうのではないかとすら思う、長年の読書歴の中でもとびきりといっていい、千金の重みを持った一冊です。
例えばこれから社会に漕ぎ出そうという頃に、世の中をわたっていく上での最高のヒントをくれた、と今にして思う、こんな一節。
「やるからには私なりの方法論を持ちたかった。勝つか負けるか、結果はわからない。だが、セオリイを作れば、それに賭けられる。負けたところであきらめもつく」
また仕事をする上での戒めをくれた、そしていつしか深く実感するようにもなった、ドサ健のこんな一言。
「自分だけ気がついて他が盲目なんてことは、この世にたんとは無え。そう思ったら穴ぼこにおちるぜ」
はたまた"ツキ"という得体のしれないものをめぐる、坊や哲の内省。
「勝負とは、なんと不思議なものだろう。頭脳がなくては上級者との太刀打ちはできない。しかし頭脳の切れが、すべてを決しない。ツキ(偶然)に乗ることが大切だ。そしてツキもすべてを決しない」
あるいは30歳を過ぎた頃になってはじめてわかるようになった、坊やとゆきのこんな会話。
「あんたは子供だから、好きだの嫌いだのいってるけど、大人はそうはいわないわ」
「大人は、なんていってるんだ」
「さァね、でも、きっと、もっと他のことで生きてるのよ」
そして博打におけるイカサマの恍惚と虚しさを語りながら、広く仕事における技術だとかスキルだとかいうものの本質をズバリ突いているように思えなくもない、「番外篇」終章間近のこんな情景描写。
「これだけの技術が、こんな阿保らしいことに使われているのが、いっそ小気味いいくらいの鮮やかさで、奴の掌の中で見事にツモ牌がすり変わっていた」
――とまあ、引用していたらきりがありませんが、こうしてそこだけ抜き出してみても、本作をお読みでない方にはそれで?と言われてしまいそうな言の葉の数々が、これぞという物語の中のここぞという場面で"唄われる"と、もう否応なしに、ぐさりと突き刺さってくるところがあります。こうして博打のさまざまな局面に仮託して描かれた、人生のシノギ方のあれこれは、私の中のどこかにしっかり根を下ろしていて、その、自身のあまりの影響されっぷりを思うにつけ、これがいわゆるハウツー本や自己啓発本にはあるはずもない、文学の力なのだよなあ、としみじみ思わずにいられなかったりもします。
等身大のファン目線がうれしい「麻雀放浪記」
斯様にその原作に対する思い入れが強かっただけに、その映画化を知ったときには、喜びや期待よりもむしろ、果たして原作のイメージが壊されてやしないか、と、そればかり気になってしまったものです(特に当時、若手アクションスターだった真田広之が主人公の坊や哲を演じると知って)。
しかし、いざ映画館に足を運び、桜の咲く上野のお山での坊や哲と上州虎の邂逅、そして土砂降りのチンチロ部落でのドサ健登場あたりまでを観たところでもう十分、それが杞憂に過ぎなかったことを直感しました。なぜなら、その冒頭の展開と映像から、原作のストーリーやキャラクターのイメージだけでなく、作品の世界観とその世界がまとう空気の匂いまでもを忠実に再現しようとする和田監督の強い意志が、はっきりと伝わってきたからです。そして観終わってみれば、「麻雀放浪記」は、その試みがかなりのところまで成功している作品だったのであり、そのことに、私はすっかり嬉しくなってしまいました。
映画のパンフレットにもその一部が抜粋されていた、「新人監督日記」をのちに読んで、和田誠がそもそも原作の大ファンだったということを知ったときは、ああこの人はやっぱり、等身大のファン気質を持っているというか、ファンの気持ちがよくわかっている人だなあ、と、そのイラストやコラムを通じて常々感じていたことを、改めて思ったものです。
あくまで原作通りであることに神経を配った何も足さないストーリーと、原作の会話がそのまま生かされた名セリフの数々。戦後の雰囲気が立ち上るモノクロ映像と、よくこんな場所が残っていたなあと思わせる、煤けたロケーションの数々。また頭に思い描いていた登場人物そのものといっていい、驚くほどイメージ通りの配役。あるいは当然こうであってほしいという期待を裏切らない、ワン・カットで撮られた雀技とイカサマ技のあれこれ。
「麻雀放浪記」はいわば、私のような原作ファンが頭に思い描いていたビジュアルを、原作ファンである和田誠がクリエーターとしての創造力とセンス、そして豊かにもほどがある"映画的記憶"(「新人監督日記」より)を存分に活かし、原作ファンの目線そのままに、しかも遊び心が横溢するケレン味のあるカットを散りばめながら、どうせ観るならこんな「麻雀放浪記」が観たかった、というファンの思いを見事に具象化してくれた映画、なのだと思います。
モノクロは七難隠す
「麻雀放浪記」を観て、まずなんといっても嬉しかったことは、その映像が、モノクロだったことです。
「ぼくは白黒映画で育った。ぼくが映画を好きになった頃は、カラーはまだ珍しかった。総天然色映画はもちろんワクワクして観たけれど、今にして考えれば、白黒の画調こそ、映画の基本とも言える色を持っていたのだ。それに、「麻雀放浪記」は第二次世界大戦直後の物語である。あの時代を表現するのは、モノクロがふさわしい」(「新人監督日記」より)
カラーが当たり前の時代にあって、あえてモノクロを選択した和田監督の判断こそ、本作の成功と失敗をわける最大の分岐点だったように思えます。以前、「椿三十郎」(1962)の記事で、自分が生まれる以前の時代を描いた映画はモノクロがいい、と書いたことがありますが、少なくとも私にとって、もしこの作品がカラーだったら、ここまで惹かれることはなかったかもしれません。
ところで私の手元には、「麻雀放浪記」全4冊の角川文庫が2セットあります。なぜ2セットあるのか、はどうでもいいので省くとして、そのうちの一揃いは、映画公開時に増刷された、カバーに映画のスチル写真があしらわれたものです。でもってこれらの写真がみなカラーなのですが、ああ映画の世界はこんな色だったんだ、と確認できることに幾ばくかのありがた味がある一方で、その写真からは、スクリーンにあれだけあった時代の匂いがどこかに吹き飛んで、どうにもこうにもリアリティが感じられないことに、驚いてしまったものです。
焼け跡やかにや(飯屋)のオープンセットをはじめ、あれほど素晴らしかったセットは、野外、室内を問わずのっぺらとして、いかにもセットであることが丸わかり。俳優たちの衣装もまた、なんとはなしにつるつるぴかぴかで、どこか嘘くさい。モノクロの映像の中で、あれだけ煤けて見えたあれこれが、色を帯びた途端、時代の質感を哀れなまでに剥ぎとられ、わざとらしいよごれの施された"作り物"という、それ以上でも以下でもない、安っぽい姿を曝け出してしまっていたのですね。
今、改めてこれらの写真を見るにつけ、「麻雀放浪記」がもしカラーで撮られていたら、と思うとおそろしい。冒頭の東京の街のミニチュアセットや、星の流れる夜空の特撮、それにスクリーンプロセスを使ったいくつかの場面など、モノクロだからこそ、ノスタルジックな映画的記憶の表出として許せなくもなかった稚拙な技術はいわずもがな、カラーであれば、おそらく何もかもが、1980年代に作られたまがいものの戦後の風景――つまり映画のセットそのものにしか見えなかったのではないか。
そもそも色のあるこの世界において、よりリアリティがあるのは、モノクロではなくカラーであることを百も承知の上で言えば、映画における黒白の二諧調は、古い時代の空気を問答無用で醸し出す、最高の雰囲気再現装置です。つまるところ私が「麻雀放浪記」に感じるリアリティは、モノクロだからこそフィルムに定着した、いわば優れたCGと同じ、錯覚によって生み出されたリアリティ、と言っていいかもしれません。
脇役礼賛――「麻雀放浪記」の配役について
映画の公開当時、出目徳を演じる高品格の演技がやたらと誉めそやされていたことをよく覚えています(実際、日本アカデミー賞をはじめ、その年のありとあらゆる映画賞の助演男優賞を総なめにした)。一見、どこにでもいそうなもっさりした初老のオヤジでありながら、牌を握った途端、底の知れない化け物ぶりを発揮する、海千山千の"海坊主のような"(原作より)バイニンを、高品格は、これみよがしの凄みをオモテに出すことのまったくない、すっとぼけた味わいで演じてみせます。今にも噛みつきそうな険しい貌つきをしたドサ健の前で、厚かましいにもほどがあるイカサマ天和を続けて和了ってみせながら、「おやぁ?おやおや?こりゃおかしい。ははははは。おかしくて死にそうだよ」と、ちっとも可笑しくなさそうに、わざとらしく声だけ笑ってみせる場面は、その真骨頂。
和田監督は当初、出目徳に観世栄夫をイメージしていたそうです(新人監督日記」より)。なるほど確かにそのイメージもありですが、でも私の目には、観世栄夫はむしろ、続編の「麻雀放浪記 (二)風雲篇」に登場する飛び甚か、あるいは短編「ブー大九郎」(「牌の魔術師」に収録)に登場する盲目の雀士といった、いかにもキツくてヤバい雀ゴロのイメージに近い(和田監督が脚本執筆にあたってアドバイスを受け、共同脚本としてクレジットされた澤井信一郎は、出目徳役に芦田伸介を推したそうですが、う~ん、これはちょっと違う)。
ま、なんにせよ、いったん映画を観てしまったからにはもう、高品格以外の出目徳はありえないわけですが、とはいえ出目徳に勝るとも劣らない、いやそれ以上といっていい、この映画のキャスティングにおける最大の出来役は、鹿賀丈史演じるドサ健ではないでしょうか。
身よりなし、住所不定、木の股から生まれたように素性のしれない、人を恃まず、社会のルールの外に生きる、"ボスか手下か敵しかいない"阿佐田哲也ワールドの申し子、ノガミの健こと、我らがドサ健。いったい何を考えているのかわからない、おっかなくて、それでいてどこか愛嬌のある、けばけばしくてしぶとい毒蛇のような"性格破産者"(原作より)を、鹿賀丈史は、「野獣死すべし」(1980)のいつキレるかわからない野獣のようなアフロ男、「悪霊島」(1981)の飄々とした金田一耕助、「疑惑」(1982)のいい加減で無責任なチンピラ、と、それぞれに強烈な印象を残した演技をひとつの人格に煮詰めて凝り固めた、まさに鹿賀丈史の集大成ともいうべき怪演でもって演じてみせます。
冒頭のチンチロ部落で、革ジャンに白マフラーという無国籍なファッションに身を包んだ鹿賀丈史を一目見て、その見た目のあまりのドサ健ぶりに驚き、さらにはドラマが進むにつれて、そのドサ健ぶりが見た目だけのものでなかったことを知って、心の中で拍手喝采を送った観客は、私だけではなかったはず。
とはいえドサ健役もまた、当初は違う役者にオファーがなされていたようです。その役者とは、かの松田優作。和田誠が映画にまつわる思い出をあれこれと語りおろした「シネマ今昔問答・望郷篇」収録の「『麻雀放浪記』前夜」によれば、"交渉を始めたら彼はドサ健という役には大いに乗ったんだけどシナリオが気に入らない"、つまり"ドサ健の役が少なすぎる"ということで、仕方なく、"物語を変えずにドサ健がより魅力的に見える"よう、シナリオの上でいろいろと"ドサ健をふくらませた"ものの、やっぱり断られてしまい、結局"彼に振り回される結果"に終わった――とありますが、いや、よかったではないですか、断られて。もし松田優作が、あの、演技過剰というか、解釈過剰なアプローチでドサ健を演じていたとしたら、おそらくドサ健というキャラクターは、無残なまでに、「松田優作色」一色に塗りつぶされてしまったのではないでしょうか。
当時、鹿賀丈史の演じるドサ健をもっと見たかった、という思いを抱いた人もまた、私だけではないでしょう。「怪盗ルビィ」(1988)もいいですが、「ドサ健ばくち地獄」、いや「麻雀放浪記(三)激闘篇」や「麻雀放浪記(四)番外篇」でもいい、和田監督には、ぜひともドサ健が再登場する映画を撮ってほしかった――というより、まだあきらめきれずにいたりするのですが。
とまあ、ドサ健の鹿賀丈史と出目徳の高品格、この二人が出色であることは間違いないにしろ、女衒の達を演じる加藤健一が、これまたあまりに原作のイメージ通りで素晴らしい。いかにも"その道"の玄人らしい着流し姿に遊び人の色気が匂い立ち、すっとして格好がよく、そしてこの人は、なにしろ声がいい。
ところで阿佐田哲也の急逝後に出版された近代麻雀オリジナルの増刊号、「阿佐田哲也『雀聖追悼特集』」に再録された「【特別座談会】モデルが語る麻雀放浪記」の冒頭で、阿佐田哲也は出目徳やドサ健が、"私自身が修羅場をくぐっている折に触れあった多くの打ち手を少しずつ参考にして練り合わせ"た架空の人物であると語っています。その一方で、女衒の達は、"この人物のイメージ、挙措動作、性格的なものまで、そっくり中島鋼一郎という東京下町の典型的遊び人を写し取っている"と述べ、そして続く座談会には、この、中島鋼一郎氏が、写真付きで登場しています。でもってこの中島氏の見目と雰囲気が、加藤健一演じる女衒の達にそっくりで、つまりこれはもう、ほとんど奇跡のキャスティングだったのですね。
そんな主役に近い登場人物以外にも、いかにも落ち目のバイニンのデスパレートな匂いを漂わせた名古屋章の上州虎や、天本英世や内藤陳をはじめとするチンチロ部落の面々、オックスクラブのバーテンを演じた笹野高史(これが映画初出演)や、あるいは片言日本語が完璧にもほどがある、日系アメリカ人の鹿内孝、そしてなんといっても、ドラマの中盤、出目徳におっかなびっくり大四喜字一色を振り込んでみせる、本作の隠れた最優秀助演男優賞、逗子とんぼ――とまあ、脇の中の脇までも、いちいちこうして触れずにはいられなくなるほど素晴らしいのですが――。
そんな感嘆しきりの配役の中で唯一、思った通り真田広之が、そのやたらとガタイのいい見た目といい、立ち居振る舞いといい、頭の中の坊や哲のイメージに重ならなくて仕方なかったものです。では誰だったらよかったのか――というのはその後、いくら考えても思い浮かばなかったのですが、前述の「阿佐田哲也『雀聖追悼特集』」に載っていた、目つきの鋭い、痩身の、端正な顔立ちにどこかカタギでない空気をまとった、若い頃の阿佐田哲也のスナップ写真を見て、ああやっぱり坊や哲をイメージ通りに形象化しようとすれば、この人しかありえなかったのだ、と深く感じ入ってしまった次第。
とはいえ、今改めて映画を観なおすと、真田広之の坊や哲も決して悪くない。当時、芸達者な役者たちの中にあって、ことさら下手くそに思えて仕方がなかった、真田広之のいかにも演技してます的な柔らかな声音とぎこちない純朴ぶりが、海千山千のオトナ(バイニン)たちに取り囲まれた、ひよっこの一種自己防衛のためのペルソナに見えなくもないというか、あるいはその演技の青臭さが巧まずして役柄の未熟さに投影されているようにも見えるというか、これはこれでよかったのだ、と今さらながらに思えたりもします。
効果音を愛でる映画、「麻雀放浪記」
同時代の映画と比べたとき、モノクロであることと同じくらいに際立った「麻雀放浪記」の特徴は、現実音としてラジオやレコードから流れてくる音楽以外の映画音楽、いわゆる劇伴がなかったことでしょう。果たしてその狙いがどこにあったのか、先の「新人監督日記」の中では特に触れられていませんが、余計な音楽のないことが、ドラマ世界のリアリズムを高めていることは間違いなく、また音楽がないだけに余計、劇中歌である岡晴夫の「東京の花売り娘」、そして町に溢れる生活音としてのさまざまな音が印象深く耳に突き刺さり、結果として劇伴なしという企ては、少なくともこの作品の映像化の手立てとして、非常に効果的だったのではないかと思えます。
たとえば冒頭、ゴーゴーと暴風雨が吹きすさぶチンチロ部落のバラックの中、膝突き合せてむすっと押し黙った博打打ちたちの真ん中で、サイコロがチンチロリンとどんぶりに転がる音の不思議なほどの寂寥感。あるいは捨牌が次々と卓に叩き付られていく、リズミカルな牌音の打楽器にも似た心地よさや、出目徳の天和に怒り心頭のドサ健が勢いよく立ち上がり、電燈に頭をぶつけて響く、カーンという間抜けな音色に込められた、緊張感の中のユーモア。はては大勝負に向かう男たちの心情を、ここぞとばかりに音楽に託した、(ラジオから流れる)「東京の花売り娘」の強烈な昂揚感。そしてエンディング、廃墟の中の一本道を進んでくる人力車に被さる、出目徳を鎮魂するのみならず、どうしようもないアウトローたちの未来を弔うかのように鳴り響く、諸行無常の鐘の音。
いずれも賑やかしの余計な音楽がないからこそ、強く耳に残るといっていい、いわば効果音がその場の主役ともなった、聴覚をうっとりとさせる、まさに耳福の名場面です。
「麻雀放浪記」の演出――その映画的記憶の表出と遊び心について
さて和田監督は、製作発表の場で、記者に「好きな監督とその影響」について訊かれ、こう答えています。
"ビリー・ワイルダーとヒッチコックが好きだが、ヒッチコック・タッチの"麻雀放浪記"というのは考えられないので、自分流にやるしかない。ただし、無意識のうちに誰かを思わせるショットが入ってくるかも知れない"(「新人監督日記」より)
また、こんなことも述べています。
"哲がすでに空き家になったママの家を訪ねるところで、主観で玄関によるカットがある。ちょっとヒッチコック風に見える。真似と思われるのはシャクだから、切ってしまおうか、とボクが言う。西東さんは、いいカットだから残しましょう、と主張。 (「新人監督日記」より)
なるほどくだんの場面は確かにヒッチコックのリズムが感じられ(ぱっと思いつくのはやっぱり、「サイコ」(1960)のシャワー室の場面でしょうか)、また似たようなカメラワークに、路上から主観で雀荘に寄り、ドアが開いて中に入るカットがありますが、こちらは「レベッカ」(1940)の冒頭場面に近い趣きがないわけでもありません。さらに、合成であることが丸わかりのスクリーンプロセス――和田監督に言わせれば、"映画技術が作り出した独特の空間"(「新人監督日記」より)は、そのお構いなしの安っぽさも込みで、いつか見たヒッチコック映画のどこかの場面を思い出さずにはいられず、また、坊やがゆきからもらう、小さなルーレットのついたライターや、男たちの間を行き交うまゆみの家の権利書といった、印象的な小道具の使い方は、ビリー・ワイルダーを見習ったものでしょうか。
とまあ、こちらの眇めが過ぎるかもしれませんが、ほかにも過去の名作に影響を受けたと思えるカットがいろいろとあって、たとえば窓ガラスに貼られた雀荘の文字の影が部屋の畳に落ちる、一抹の虚しさと気怠さの漂う映像は、「マルタの鷹」(1941)に同様のショットがあり、ゆきが壁役として坊やに通しを送るしぐさとそのカットの呼吸は、「荒野の決闘」(1946)の似た場面を思い出さずにはいられません。またドサ健が蛾を怖がる場面の斜角のカットは「第三の男」(1949)、さらには廃墟の中の一本道を画面奥から人力車がやってきて、手前へと消えていく姿を延々固定カメラで捉えた映像は、これまた「第三の男」のあまりにも有名なエンディングのイメージとダブります。
そして、そんなノスタルジックな気配を持った数々の映像に加え、少しでも面白い画を撮ってやろうという、それこそ偉大で才気溢れる先達の映画人たちの心意気を引き継いだ、映画的な工夫と遊び心に溢れた映像が、楽しく微笑ましい。たとえば、坊やがゆきのいる二階家の縁台に向かって投げた反物が、ぱーっと広がりながら空を舞う、一瞬、時が止まったかのようなショット。あるいは雀卓を囲んだ男たちの周囲を、それぞれの手牌と対面の打ち手の表情と動作を同時に捉えながら、ぐるりぐるりとカメラが周る場面(俳優たちを囲むように狭いレールが敷かれていて、その上をカメラがぐるぐると周る)。正方形の卓を囲んだ四人が順繰りに牌を自模っては切っていく、そして一回りするたびに手役が徐々に整っていく、麻雀というゲームのリズムと流れを鷲掴みにしたといっていい、映画史上に残る秀逸なカットです。
また、「麻雀放浪記」の演出で特に嬉しかったのは、その鮮やかなイカサマ技を、たとえば「ハスラー」(1961)におけるポール・ニューマンやジャッキー・グリースンの玉突きの妙技がそうであったように、あるいは「スティング」(1973)における、同じくポール・ニューマンのカード捌きがそうであったように、カット割りなしのワンショットで見せてくれたことです。
そのひとつは、ゆきが、坊やに積み込みを教えるため、河から素早く牌を拾って元禄に積んで見せる場面。加賀まりこが、作った山の牌を一つ置きに、人差し指で捲ってみせる手つきはぷるぷると震えて危なっかしく、いつ山が崩れるかとひやひやさせられるのはご愛嬌として、それでも上山も下山も、しっかり元禄に積まれていたのは見事。
あるいは真田広之がほんの一瞬で切り返してみせる「つばめ返し」。"あまりスムーズなので、イカサマをやったかどうか、観客にわかるだろうか"(「新人監督日記」より)と監督が心配した鮮やかな手技は、映画では、一瞬のコマ止めで映し出されています。
そしてハイライトは、なんといっても、洗牌から山を積み、配牌をとり、さらにはピンピンのサイコロの目を二度続け、出目徳が手配を開いて見事な天和を披露するまでをワン・ショットで撮りきった、「二の二の天和」。最高難度の大技を、期待を超えるレベルで披露してくれた、前述の円形移動撮影と並ぶ、こちらも映画史上に残るトリック撮影といっていいでしょう。
一方で、「麻雀放浪記」の数少ない残念な点は、クライマックスの勝負の時間経過の表現が物足りず、出目徳の死という結末を迎えるまでの展開が、あっさりし過ぎているというか、どろどろの死闘という雰囲気にやや欠けることです。
"時間の経過を表すのに、時計の針をぐるぐる回すという手法を使っていた。二十数年前とはいえ、これはいかにも古めかしい"(「新人監督日記」より)
映画の撮影開始前に、原作者の阿佐田哲也に誘われ「ハスラー」のビデオを観た和田監督は、そんな感想を述べています。では時計の針の代わりに和田監督はどんな演出を施したのか――といえば、そこは上映時間の制約もあってか、残念ながら無策に終わってしまったようです。
「麻雀放浪記」の勝負論
和田監督は、「新人監督日記」の中で、脚本家で批評家でもある石堂淑朗に「主題すらない。これが凄い」と作品を評され、そのことに"感動した"と述べています。とはいえ本当に、「麻雀放浪記」に主題がないのかといえば、まあ本人がそう言うのだからそうなのでしょうが(そしてそんなことはどうでもいいのですが)、少なくとも原作の「麻雀放浪記(一)青春篇」、いや阿佐田哲也のギャンブル小説には通底するテーマ、というか、勝負をめぐる思想があって、それが、原作に忠実に作られた映画にも、自然と滲み出ているところがあります。
そんな思想が最も色濃く表れるのが、ドラマの中盤、卓を囲む出目徳、ドサ健、達、そして坊やの間で交わされる、こんな会話(これは言うまでもなく、原作にある会話でもあります)。
「麻雀ってのは面白いもンですね、あたしゃ未熟だから勝てないが、それでも面白い」
「勝負は時の運さ。それにおまえさん、なかなかの打ち手だよ」
「いや、やるたびに金をなくしますよ」
「誰かが金をなくすから博打になるンだが、ま、勝ったり負けたりってとこだろうよ、みんな」
「勝ち続ける人もいるでしょう」
「いるかもしれねェ。だがそういう奴は、金の代わりに体なくしてる。そういうもンだ」
「勝ち続けて丈夫な人もいるンじゃないの」
「そういう人はきっと――人間をなくすンでしょうな」
阿佐田哲也は、その作品群を通じ、何か大きなものがかかった大勝負になればなるほど、その勝負に勝ちきることのむずかしさ、というよりそんな勝負の決着は、そう簡単につくはずがないことを、手を変え品を変え、繰り返し描いています。出目徳という勝ちっぱなしの博打打ちが登場し、クライマックスの大勝負においても勝ちを収めつつありながら、しかしその過程であえなく"体をなくし"、勝負の行方という視点から見れば、尻切れトンボのまま終わりを迎える「麻雀放浪記(一)青春篇」もまた、そんなバリエーションのひとつです。
出目徳のように命をなくす――とまではいかないまでも、その勝負のプロセスにおいて他者を圧倒しながら、しかし勝ちきるための何かが不足していたために最終的な勝利を確定しきれず、負けに等しい結末を迎える者は、阿佐田哲也の小説においては、枚挙にいとまがありません。たとえば坊や哲自身もまた、続編の「風雲篇」そして「新麻雀放浪記」において、ほとんど終局間際まで大勝ちしていながら、しかし結局は、その利を手にすることができずに終わります。
これらの物語において、勝ちを確定するのに不足していたものが何かといえば、それは知力だったり、体力だったり、経験だったり、自己管理能力だったり、またときには腕力だったり、勝ちにこだわる執着心だったり、あるいは徹頭徹尾、人を信じることのない冷徹さだったりするわけですが、言い換えればつまり、大勝負に勝つためには卓上の技術(ウデ)、そして運(ツキ)のみならず、これらすべてを動員した総合力がものをいう、ということでしょう。
海千山千のツワモノ同士の勝負の世界で"勝ち続けて丈夫な人"とは、この、総合力が抜きんでている、というわけですが、しかし達に云わせれば、そんな人間は人間そのものをなくしてしまうのであり、「麻雀放浪記」において、その総合力に最も勝っていたと思えるドサ健は、まっとうな市民生活を「テメェらに出来るのは長生きだけだ。クソ垂れて我慢して生きてるだけだ」と全否定し、死者の懐を躊躇なく漁る、まさしく人間をなくしつつある"性格破産者"だったりします。
そして、たとえ一度の勝負に勝ったとしても、それで本当のカタなどつくはずもないことは、出目徳との最初の勝負に負けて家を失いながらも、「そっちのバイニンさん、勝負は終わりじゃねェぜ、俺は必ず打ち返してやる」と啖呵を切り、オンナを売りとばした金で再び勝負の場に出てきたドサ健のしぶとい姿にあきらかであり、こうしてそもそも勝負が一回こっきりで決着がつくものではないとすれば、そしてその線をどこまでも延長していけば、とどのつまり、勝ったり負けたりの勝負の結果は人生のトータルでしか測れない――阿佐田哲也の数多のギャンブル小説の裏に透ける勝負論、つまり原作を忠実に映像化した映画に潜むテーマとは、これです。
「物事というのはなんでも、マラソンのようなもので、苦しく長い過程があるだけなのだ。結果はトータルでしかない。そしてトータルは一生の終わりに来る。それゆえどこがその地点なのか誰にもわからない」(「新麻雀放浪記」より)
「麻雀放浪記 青春篇」でいえば、本が閉じられたあとも健と達と坊やたちの勝負は続くのであり、そして、たとえ誰かが場の金をすべて掻っさらい、その場の決着がついたとしても、それは長いプロセスの一区切りに過ぎず、彼らの総力戦は、「風雲篇」、「激闘篇」、「番外篇」、そして「ドサ健ばくち地獄」あるいは「新麻雀放浪記」へと、時と場所、そして相手も変えながら、延々続いていきます。
では人生のトータルで、勝負のカタはどうつくというのか――。「新麻雀放浪記」において、中年となって登場した坊や哲は、勝負は所詮、勝ったり負けたりであり、そして人生は所詮、いいとこ原点そこそこでしかないとして、「勝ちすぎると、ろくなことがない」だとか、「原点でいいじゃないか。それが生きるということだ」などと、これがあの坊やかと云いたくなる、くそ面白くもない、しかし中年となった今の私には、妙に共感できる人生観を披露します。そして、"生き永らえているだけでもめっけものか"と気弱なことを云いながら、しかしその一方で、ひたすら勝つことだけに執念を燃やし続け、そのうち時代の流れとともにどこかへ消えてしまった、原点そこそこなんてケチなバランスには目もくれることがなかった懐かしのドサ健に想いを馳せ、こんな憧憬めいたことを口にします。
「勝っても、負けても、強い奴だった。俺は奴にどうしてもかなわない。どこかで、気持ちが燃えつきてしまう。たとえば今だ。奴なら、どこまでも勝つ。だが俺はそうはいかない。手前を捨てられない。死ぬまで、心臓が破裂するまで勝ちこめない。俺は破滅はしないが、生涯に一度も、勝った、と思うことができないだろうよ」(「新麻雀放浪記」より)
博打に己のすべてを賭け、どこまでも勝つことにこだわり、その挙句に体をなくしてしまった出目徳と、体をなくすかわりに人間をなくしつつあったドサ健。そして出目徳やドサ健のように生きたいと願って博打の世界に身を投じながらも、"おっさんみてェに"死にきれず、勝つとは原点そこそこなのだという理屈の上でバランスを取りながら、その実、屈託と挫折感を抱えて"クソ垂れて我慢して生きている"坊や――。
「ところが原点というやつが、ひととおりじゃなくて、千差万別、人間の数ほど種類があるんだ。若い頃は俺もな、物事は勝ちと負けがあると思っていたんだが、だんだんそれの実態が見えてくる。勝ちといったって、無限に近く形があるんだよ。早い話が、トップをとって勝ちだと思う奴もいる。別の奴は、充分楽しめたからこれでいいと満足している。不ツキのわりに負けなかったなと喜んでいる奴も居る...(中略)...客観的にいってもだ。その夜のことが原因で身体をこわす奴だっている。まァいろいろだよ...(中略)...人生は所詮、いいとこ原点だが、それ以下の人生はたくさんあるからな」(「新麻雀放浪記」より)
というわけで、果たして彼らは勝ったのか、負けたのかといえば、そこはもう、他人に推し量るすべはないというものですが、しかし、ドサ健には"どうしてもかなわない"と自嘲する坊やと比べ、出目徳とドサ健は、おそらくそのくたばる最期の瞬間にも、己が負けた、などとはこれっぽっちも思わなかったであろうことだけは、なんとなく確信できるところです。そして、そんなウソのない、苛烈でひりひりするような生き方を心のどこかで羨みながらも、その勇気も度胸もない私のような人間は、毎日、小さな勝ったり負けたりを繰り返しつつ、坊やの云うところのせいぜい原点そこそこを目指し、地味にコツコツと生きるしかないのであります。
麻雀放浪記 (英語名: Majong Horoki)
公開: 1984年
監督: 和田誠
製作: 角川春樹
脚本: 和田誠/澤井信一郎
原作: 「麻雀放浪記(一)青春篇」(阿佐田哲也)
出演: 真田広之/鹿賀丈史/高品格/加藤健一/大竹しのぶ/加賀まりこ/名古屋章
音楽: 高桑忠男/石川光
撮影: 安藤庄平
編集: 西東清明
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管理人: mardigras

僕も、この作品、モノクロだからこその名作だと思ってます。
出演陣も、皆、決まってました。
好き嫌いで言えば嫌いな鹿賀丈史ですが、あのアクの強さが見事に嵌って、これ以上ない(多分、当人にとっても)一世一代の適役。
高品格は、その受賞歴が示す通りの出来で、
「おやぁ?おやおや?こりゃおかしい。ははははは。おかしくて死にそうだよ」~
「ふ~ん。インチキだから払えねェって云うのかい。ふん、上野に健さんっていう勇ましい博打打ちがいると聞いてたが、そいつがそう抜かしたンだな?インチキだから払えねェってなぁ?」
特にこのシーンは惚れ惚れします。
記憶では下を見ながら(手牌をツンツンしながら)殆どドサ健を見ずに言ってたと思うのですが、
凄んでないのに真綿で首を絞めてる感じが(真正サド)絶妙を通り越してる。
僕も助演男優賞を選ぶなら彼しかいないと思います。
でも個人的には女衒の達を演じた加藤健一が一番好きなんですよ。
と言うか、昔、TBSのホームドラマ「三男三女婿一匹」を見た時から、ずっと忘れられない俳優さんだった。
(舞台の方は見てませんが、演技力と選択眼があるのか脇で出て来ても必ず印象に残ります)
「あっしもおっさんみてェなバイニンになって、おっさんみてェに死にますよ 」
この臭めのセリフを左程違和感なくサラッと言えるのも、創り出した雰囲気(イナセな一匹狼)の賜物だったと思います。
(「声がいい」には100%同意。ホントにこの人、声に色気がある)
真田広之も、本当はもっと褒められていい気がします。
個性有るけど、他が濃すぎるから薄く見えるだけだし、あの役がドサ健とタメな色付きだとピンボケな作品になる、かと言って「サンダカン八番娼館」の栗原小巻みたく無色透明でバランスがとれる作品じゃない、ちゃんと個性があって、それが抑えられて遠景になってなければいけない。
演技も演出も非常に難しい役ではないでしょうか。
(「七人の侍」で6人の暴れ馬の扇の要にデーンと静の勘兵衛が居るのと違って、勝四郎が要の位置ですから、もしかしたら、こっちの方が難役?(笑))
個人的に何度も観たい作品ではないのですが、オールタイムの邦画の中で忘れてはいけない名作だと思っています。
※学生時代、モタモタしてて人和上がり損ねた人間には別世界の話ですけど。(笑)