Watch your tail, cowboy. 高 倉健さんが亡くなった。 人に対して、仕事に対して、己に対して誠意を尽くして生きることの尊さと美しさ、そしてそのためにストイックであることのカッコよさを教えてくれた、この人のように生きたいと思わせてくれる人が、この世からいなくなってしまいました。健さんみたいな人がいるからここはオレも耐える――人生のさまざまな局面で、そんなふうにして心の支えとなってくれた健さん。そもそも実際にお目にかかったことがあるわけじゃなし、それなら映画を観ればいつでも健さんはそこにいるじゃないか――そう自分に言い聞かせてみても、この喪失感は信じられないくらい大きい。 健さんが亡くなったことを知ったその翌々日、仕事づきあいのある映像ディレクターと、健さんを偲んで何を観る?という話になりました。彼は迷わず「新幹線大爆破」 (1975)の名を挙げ、私は「遥かなる山の呼び声」 (1980)と即答したのですが、しかし週末、いざDVDをセットしようとしたところで気が変わり、結局選んだのは、「ブラック・レイン」 (1989)。 「ブラック・レイン」の映像世界 O sakaという"異世界"を舞台に、ニューヨークの刑事が新旧ヤクザの争いに巻き込まれてゆくアクションスリラー、「ブラック・レイン」。封切り当時、何はさておき「ブレードランナー」 (1982)のめくるめく映像世界の再来を期待して、映画館に足を運んだ映画でした。そして同時に、高倉健と松田優作という、日本を代表する新旧二人の役者がハリウッドのメジャー作品に起用されたことに、しかもそれがリドリー・スコットの作品であることに、いやが上にもワクワクドキドキした映画でもありました。 「ブラック・レイン」に映し出されたバブル全盛期の爛熟した大阪の都市景観は、果たして「ブレードランナー」に描かれた2030年のロスアンジェルスの地続きにあるといっていい、期待を裏切らないものでした。例えば煙突群が乱立する未来都市の映像を思い出さずにはいられない、夕陽に赤く染まった阪神工業地帯の俯瞰。あるいは酸性雨がひっきりなしに降り注ぐサイケデリックな街路そのものに見える、毒々しいネオンが氾濫する十三栄町商店街や真っ白な蒸気に煙る雨の道頓堀。はたまた屋台で丼をほおばるハリソン・フォードのリフレインともいえる、ごみごみした大阪市中央卸売場の路上食堂で不器用に箸を使ってうどんをすすってみせるマイケル・ダグラス。そして、製鉄所の構内を走る自転車の群れを蹴散らさんばかりに、巨大なデコトラが地響きをあげて迫ってくる、不安と騒擾感に満ち満ちた、息苦しいほどに濃密な画面。 とまあ、デスパレートな気配が色濃く漂う「ブラック・レイン」の絵作りは、日本人の目にはおかしなところがところどころあるにせよ、まさしく「ブレードランナー」に描かれた都市景観の1980年代後半における実写版だったのであり、その一点だけでもこの映画を忘れることはできません。 とはいえ、ドラマそれ自体を超えて未来世界の情景が強く印象に残る「ブレードランナー」と比べ、「ブラック・レイン」のOsakaがあくまでドラマの後景に過ぎなかったことには、無い物ねだりを承知の上で、どこか物足りなさを感じてしまったことも事実です。そして映画の内容が、主人公のマイケル・ダグラスにフォーカスを当てた、ありきたりといえばありきたりな刑事ドラマのバリエーションでしかなかったことにがっかりしてしまったのであり、さらにはそれと同じくらい、我らが健さんを差し置いて、マイケル・ダグラスが主役であることが、当時の私にはまったくもっておもしろくなくなかったものです。 いやもしかすると、日本人の役者であればおそらく誰もが抱いているであろう高倉健という存在に対するリスペクトがなさそうな、というより健さんのオーラをぴくりとも感じてなさそうな、ハリウッドのビッグショットの鈍感と不遜をスクリーンのむこうに勝手に嗅ぎ取って、イラついてしまっていたのかもしれません。松田優作の狂気が辿り着いた約束の地 「 ブラック・レイン」が忘れられない映画であるもう一つの理由は、無軌道で冷酷な新時代のヤクザ、サトーを演じた松田優作の存在感が圧倒的だったことです。それまで国内映画において、ともすれば演技過剰で自己陶酔が過ぎるように思えた松田優作が、「ハリウッド」という大海で水を得た魚のように、その強烈無比なカリスマを世界に向かって照射します。映画の冒頭、子分たちの露払いを受け、ニューヨークのレストランにのそりと姿を現した瞬間、松田優作は、ハリウッドスターのマイケル・ダグラスもアンディ・ガルシアも一瞬のうちに置き去りにして、その場のすべてをかっさらっていきます。 ゴルチエのごついサングラスと黒のロングコートに身を包み、髪の毛を逆立て、野獣のような怒気と死神のようなオーラを発散しながらあたりを睥睨してみせる、その途轍もなく日本人離れした佇まい。それは、「蘇る金狼」 (1979)や「野獣死すべし」 (1981)といった、日本映画のフレームの中ではわざとらしく思えて仕方なかった松田優作の狂気と人間凶器っぷりが、真に相応しい居場所を見つけた瞬間だったのであり、つまり我らが「太陽にほえろ!」 のジーパンが、そして「探偵物語」 の工藤ちゃんが、まばゆいほどの光輝に包まれてメジャーデビューを果たした瞬間だったのでした。 リドリー・スコットが、"この10年間で最高の悪役" と評したという、松田優作(「ブラック・レイン」のパンフレットより)。果たしてこれから世界の檜舞台でどんな活躍を見せてくれるのか、誰もが期待に胸を膨らませていた中で、しかし映画の公開からひと月も経たないうちに届いた、突然すぎる訃報。享年40歳。本人や家族、関係者の無念は察して余りありますが、私たちファンのショックもまた途轍もなく大きいものでした。「ブラック・レイン」の健さん そ して、そんな松田優作の陰で、米国流の価値観を押し付ける白人刑事たちに押しまくられ、いいように鼻面を引きまわされる松本警部補を演じた、高倉健。その存在が映画の最初から最後まで、あくまでマイケル・ダグラスの引き立て役でしかなかったことに悔しさを感じながら、それでも高倉健が絵になる世界ではまったくない、ハリウッド的ケレンが支配するド派手なドラマの中で、そして英語ということばのハンデがある中で、松本警部補の佇まいが「高倉健」以外の何者でもなかったことには、健さんファンとして救われた気持ちになったものです。 ニューヨークから護送してきた殺人犯にまんまと逃げられるというドジを踏んだ白人刑事二人のお守役を押し付けられた、中間管理職の警官。日本の警察機構と"だらしのない"ガイジン刑事たちとの板挟みに苦悩し、上司(神山繁)からは無能呼ばわりされ、ヤンキーからは強い自己主張をぶつけられ、果ては人情に殉じて業務命令に背き、停職をくらって冴えない息子に心配されてしまうという、松本警部補の絵に描いたような実直さと不器用っぷりは、役は違えど、例えば「八甲田山」 (1977)で、「冬の華」 (1978)で、「居酒屋兆治」 (1983)で、「夜叉」 (1985)で、そして「鉄道員(ぽっぽや)」 (1999)で繰り返し演じられてきた、義理と人情の狭間で己を殺し、損得勘定抜きに行動する、愚直で生きるのが下手くそな、古き良き日本男児の価値観を身にまとった、お馴染の健さんの姿そのものでした。 そんな健さんの本作におけるハイライトは、ニック(マイケル・ダグラス)に寄り添うクライマックスの殴り込み――では決してなく、張り込み中に路上の食堂でうどんをすすりながら、ニューヨークで不正を働いたことを告白し、罪の意識に苛まれながらも自己弁護をするニックに、人が正しくあることの意味を、サトーに嬲り殺されたニックの相棒、チャーリー(アンディ・ガルシア)に思いを馳せながら、英語で、優しさと友情を込めて、とつとつと語ってみせる場面。「彼は、いい警官だった。盗みは、彼を汚す事だ。君自身を汚し、オレまで汚す」 伏し目がちに語られる、その、厳しさの中に思いやりのこもったセリフは、例えば「幸福の黄色いハンカチ」 (1978)で、「遥かなる山の呼び声」(1980)で、そして「あなたへ」 (2012)で、武田鉄矢、吉岡秀隆くん、そして佐藤浩市を相手に語ってみせたのと同じ、これぞ高倉健節とでもいうべき、寡黙な健さん入魂のアリアです。「演技だってそうじゃないでしょうか。大声で訴えかけなくても、気がこもってさえいれば、観客に伝わります。(中略)俳優もただセリフを読んだだけじゃ、観客には伝わらない。そりゃあ日本語だから、意味は通じるだろうけど、芝居はニュースじゃないから、意味がわかればいいってもんじゃない。話している内容より、吐く息の音が大切だっていうことがあるんですよ、芝居には。だから、僕は気のこもった演技をやっていければと思っているんです」 (野地秩嘉著 「高倉健インタヴューズ」 より) しかし私たちはもう、そんな健さんの"気のこもった"セリフを、二度と聴くことができないのですね(涙)。ラストサムライ、高倉健 サ トーの仁義なき無軌道ぶりに手を焼くヤクザの親分(若山富三郎)が、贋ドル札づくりの証拠を突きつけるニックに向かって、こんなことを云います。「奴はアメリカ人と同じだ。信じるものはただひとつ、カネだ...(中略)...おれが10歳の頃、B29がやってきた。おれの家族は3日間、防空壕で暮らした。そして外に出たときには、町が消えていた。燃える炎が雨を呼んだ。黒い雨だ。お前らは黒い雨を降らせ、お前らの価値観を押し付けた。我々は自分を見失い、佐藤のような奴らが大勢生まれた。おれは今、その仕返しをしている」 初めて観たときは、そのセリフの重みがまったく心に響いてこなかった――というより、日本が"Japan as No.1"の幻想に浮かれて我が世の春を謳歌していたバブル絶頂期にあって、映画のタイトルを思わせぶりな"ブラック・レイン"とするための、安っぽいレトリックとしか聞こえなかったものです。しかし劇場公開から25年、バブルの崩壊から20年以上の時を経てなお、西欧から"押し付け"られ(と言って悪ければ、教えこまれてすっかり魅せられて)、そして今となっては骨の髄まで身に染みついてしまった経済至上主義に代わる価値観とカネに代わる尺度を見つけられずにいる、まさに"自分を見失"ってしまった現代の日本と日本人を思うにつけ(私もそのひとりです)、そのセリフが見事に時代を撃ち抜いていたことに思い至ります(ヤクザの親分がそれを云うか、というのはさておいて)。 戦後、いやそもそも明治の開国以来、日本が物質的な豊かさと引き換えにずるずると失ってきたもの、それは、西欧文明が奔流となって日本に押し寄せていた1900年、新戸部稲造が「武士道」 ということばに託して広く世界に紹介した、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」 とする、日本の精神風土です。仁義、礼節、至誠、謙譲、名誉、忍耐、克己心、そして分をわきまえ、足ることを知る精神。欲望にまみれた拝金主義の対極にあるといっていい、武士階級を越えて広くあまねく社会全般に浸透していた日本人の道徳規範と倫理観は、明治から大正、昭和と時代を経るごとにグローバリズムの波に蝕まれ、平成の御代にあってはほとんど幻想としかいいようのないところまで、実態を失ってしまいました。 そんな日本人の美徳を、その数々の出演作を通じて、そしてときにちらりと漏れ聞こえてくる肉声を通じて、いまなお、その佇まいと言動に自然と滲ませていた人が、高倉健という俳優でした。日本人の誰もが愛し、尊敬の念を抱かずにはいられなかった健さんは、私たちが見失ってしまったものが何であったかを思い出させてくれる、いわば武士道の精神を体現した、「美しい日本人」でした。 日本と日本人はどうあるべきなのか、人間らしく、立派に生きていくとはどういうことなのか、それを今ほど真剣に見つめ直さなくてはならないときは、ここ久しくなかったように思います。グローバル化がますます加速する時代にあって、誇りをもって世界に伍していくためにも、経済発展に汲々とする以上に、まず日本人として美しく生きることを目指すべきではないか。そんなことを思うとき、その道しるべとして、心のよりどころとして、健さんにはもっともっと長生きしていただきたかった、そう思わずにはいられません。 * * * 健さん追悼番組として、NHKが再放送した「プロフェッショナル 仕事の流儀『高倉健スペシャル』」 を、今週末、ようやく観ることができました。「本人の、生き方かな。生き方が、やっぱり出るんでしょうね。テクニックではないですよね...(中略)...たぶん一番出るのが、その人の、ふだんの生き方じゃないんですかね」 人の人生を演じる俳優として、肝に銘じていることは何かと訊かれ、まるで映画の一場面のように、じっと考えこみながら、とつとつと言葉を絞り出すようにしてそう語る、健さん。高倉健は「高倉健」であるために、己を磨き、ストイックに身を律し、そしてついにはそれををまっとうしたのだと思うと、思わず目頭が熱くなりました。 ひとりのファンとして、これまであなたからいただいた、それこそカネでは買えない、たくさんの大切な何かに対する感謝の気持ちを込めて、献花の代わりに、この拙文を捧げます。健さん、いままで本当にありがとう。ブラック・レイン (原題: Black Rain ) 公開: 1989年 監督: リドリー・スコット 製作: スタンリー・R・ジャッフェ、シェリー・ランシング 脚本: クレイグ・ボロティン、ウォーレン・ルイス 出演: マイケル・ダグラス/アンディ・ガルシア/高倉健/ケイト・キャプショー/松田優作/若山富三郎/内田裕也 音楽: ハンス・ジマー 撮影: ヤン・デ・ボン 編集: トム・ロルフ
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管理人: mardigras
60年代後半から何処かで会ってみたい俳優さんが健さんでした、健さんの恋人になりたいと願っていました。(笑わないでねっ、)
東京の病院で亡くなられたということですが、丁度そのころ、健さんの生まれ故郷の福岡の宗像市に友人が住んでいて訪ねていたのですよー、
若かった頃の情熱が続いていたら、お葬式に参列できてお別れができたかもしれなかったのにと悔やまれています。
話は変わりますが、
武雄の図書館内の蔦屋でMardiさんのイラスト観てきました、イラストはもちろん、映画の台詞の抜粋もとてもよかったです。
残念ながら写真撮影ができなく一望できる流れが素敵なのにそれが紹介できませでした。
女優横顔カレンダーもロミーシュナイダーで最後となりました。楽しまさせていただきありがとうございます!