「砂の女」を訪ねて

「砂の女」のイラスト(岸田今日子)

年末、実に19年ぶりにクルマを買い換えました。となればなにはともあれドライブせねばなるまい、というわけで年末年始を待ちきれず、仕事納めの最終週に休暇を取って、一泊二日のドライブ旅行に出かけてきました。行き先は、かねて訪れたいと思っていた、静岡県の浜岡砂丘。そう、安倍公房原作、勅使河原宏監督の「砂の女」(1964)のロケ地であります。


ビバ!いまどきのクルマ

らりと澄み渡った冬晴れの朝、調布I.C.から中央道を西へ向かい、八王子ジャンクションを経由して圏央道を南下。厚木で東名高速道路に合流し、あとはひたすら西へ。東京から浜岡砂丘までは、ざっと200キロ強。慣らし運転(私がクルマに慣れるため、という意味です、いうまでもなく)を兼ねたドライブには、ちょうどお手頃な距離であります。

それにつけても新しいクルマのなんと快適で、なんと運転の楽しいことよ。なにせふた昔も古いクルマに乗り続けていたがゆえ、いまどきのクルマの至れり尽くせりの装備には、まったくもって浦島太郎になった気分。ipodやスマホを繋いで音楽が聴けるだとか、シートのポジション調整が電動式だとか、追突回避のための自動ブレーキシステムが付いてるだとか、はては一定の車間距離を保ちながら前方の車輛を追尾するクルーズシステムだとか、何から何まで、いやそもそも、イグニッションを捻るのではなく、ボタンをぽちっと押してエンジンをスタートするところからして、激しくカルチャーショック(いやもちろん、試乗の時点ですでに体験済みではありますが)。

とまあ、そんな最新装備をためつすがめつ弄りつつ、順調に流れる東名高速をひた走り、ナビの表示によれば3時間で浜岡砂丘に着くはずが(実はナビも、ETCすらも、初めて)、無理してとった休暇ゆえに仕事のメールが引きも切らず、その都度サービスエリアに寄って返事を打っていたりしたせいで、最寄りのI.C.を降りたときには、とうにお昼を過ぎていました。コンビニでおにぎりとコーヒーを買い、ローカルな国道を30分ほど南下して、1時過ぎ、ようやく浜岡砂丘に到着。

一昨年の正月、「ツィゴイネルワイゼン」(1980)のロケ地である島田市の蓬莱橋を電車で訪れた際、浜岡砂丘に足を延ばせないものか――とちらりと考えたのですが(なにせ浜岡砂丘は、「ツィゴイネルワイゼン」のロケ地でもあるのです。そう、原田芳雄が砂地に跪き、ヘンなかっこうでヘンな踊りをみせる、あの場面です)、いかんせん交通の便が悪く、電車の駅から路線バスで1時間弱、さらに徒歩で20分もかかるため(そしてバスの本数も少ない)、泣く泣く諦めた、という過去があります。そんなこともあって、人気のない駐車場にクルマを停め、緑の松林の向こうに広がる、陽に輝くこんもりとした砂の丘を目にすると、自分でも意外なほど、「来てよかった」という悦びが溢れてきました。

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"砂は決して休まない。静かに、しかし確実に、地表を犯し、滅ぼしていく……"(原作より)


浜岡砂丘の昔と今

均直径1/8mm、一粒一粒はれっきとした固体でありながら、ひとたび集合すれば流体と化す、まるで捉えどころのない砂そのものように、場面によって、視点の置きどころによって、また観るときの気分によって、そのフォルムの印象を自在に変化させる、悪夢のように不条理で寓意に満ちた映画、「砂の女」。安倍公房が、酒田市の庄内砂丘に取材して作品の着想を得たという、原作において"汽車で半日ばかりの海岸"とだけ記された、砂に埋もれつつある僻村と砂丘に深く穿たれた穴は、映画では、この、浜岡砂丘の合戸海岸をロケ地として撮影されました(2014年5月10日付朝日新聞朝刊「(NIPPON 映画の旅人)『砂の女』」および2014年8月21日付毎日新聞静岡版「浜岡砂丘:安倍公房『砂の女』上映50年、撮影地は今…姿変える 身動きとれぬ主人公、重なる」より)。

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"砂丘に村が、重なりあってしまったのだ。あるいは、村に砂丘が、重なりあってしまったのだ。いずれにしても、苛立たしい、人を落ち着かせない風景だった"(原作より)

"遠州灘に展開する長大な浜岡砂丘は、太平洋側最大級の砂丘地帯である。これは、天竜川から流出する土砂が沿岸潮流に乗り、「遠州の空っ風」と呼ばれる強い西風によって内陸に運ばれて形成されたものである。
この地帯の村人たちは江戸時代以前から砂丘の開拓に取り組み、内陸では早くから成果をあげ、すでに三キロメートルも広がっていたとされる。しかし、海辺に広がる「櫛歯型砂丘」は荒々しい飛砂によりその姿を目まぐるしく変化させまったく人を寄せつけなかった。
明治中期になり風向きに対して斜め方向に粗朶木を立てて風や飛砂を制御する画期的技術が当地で考案され、村人総出の努力でついに砂丘はその動きを止め、見事な「人工斜砂丘」へと姿を変え今日に至っている。
延々と続く砂丘の起伏とその風紋、松の緑と粗朶垣。これが「浜岡砂丘」である"


とは、砂丘の入口に置かれた石碑に刻まれていた、浜岡砂丘の治山史。映画の世界と同様、かつて周辺集落を砂の被害で苦しめ、「三つ山を越さないと海に出られない」と言われるほどの規模を誇った(そして確かに映画では広大無辺とすら見えた)浜岡の砂丘は、しかし戦後になって天竜川上流のダム建設の影響で徐々にやせ細り(前出の毎日新聞の記事より)、いまや小高い丘を一つ越えればすぐそこに波打ち際の広がる、"見事な「人工斜砂丘」"のスケール感と風情を失いつつある、ありふれた砂浜一歩手前の姿のように見えました。

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"砂……1/8 m.m. の限りない流動……それは、歩かないですむ自由にしがみついている、ネガ・フィルムの中の、裏返しになった自画像だ"(原作より)

こんなところにもまた、ひっそり姿を消しつつある日本の日本らしい風景があるのだ、なんてことをしみじみ思いながら、映画の男がそうしたように、誰かの足跡が残る、しかし人影のない砂の丘をざくざく登っていくと、右手に突然、それまで松林の陰に隠れて見えなかった、風力発電の風車群が姿を現しました。そして左手の彼方には、今は運転を停止している、まがまがしいほどに巨大な浜岡原発の異形――。

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"1/8m.m.の流動……状態がそのまま、存在である世界……この美しさは、とりもなおさず、死の領土に属するものなのだ。巨大な破壊力や、廃墟の荘厳に通ずる、死の美しさなのだ"(原作より)

映画の鄙びた面影を探しにやってきた私の目に、巨大なエネルギープラントが砂浜に卒然と聳え立つその光景は、ほとんどシュールとすらいっていい、不意打ちにもほどがあるものでした(ちなみに安倍公房が原作の着想を得た庄内砂丘にも、いまや風力発電の巨大な風車が立ち並んでる)。映画において、近代化と経済成長の波から取り残された、"愛嬌精神"の行き届いた部落の村人たちは、その裏返しの「かまやしないよ、他人のことなんか」精神で、塩っ気の多い砂丘の砂をコンクリートの材料として都会に供給(密売)していました。ところが映画の公開から半世紀が過ぎ、いまや、そんな不毛であったはずの荒地が都会に供しているのは、悪質な砂どころか、現代日本の都市生活と経済活動を真に支えるエネルギー。これだから、旅は面白い。


恐るべし、飛砂

作で男が"アリ地獄"と評してみせた、その絶望的な佇まいをものの見事に具象化してみせた、"直径・深さ9m"(「砂の女」DVDの撮影風景と作品解説より)に達する映画の巨大な砂の穴は、いったいどのあたりに掘られたのだろう(そして原田芳雄がくねくねと踊っていたのはどのあたりだったのだろう)、そんなことを思いながら砂丘を逍遥する私の目と言わず、口と言わず、鼻といわず、耳と言わず、つまり体の穴という穴に容赦なく入り込んでくる、砂、砂、砂。松林をごうごうと鳴らす、「遠州の空っ風」に煽られた飛砂の凄まじさといったらもう、どうやらこればっかりは、映画の作られた50年前、いや、実際に砂が村人たちを苦しめていた明治や江戸の昔とちっとも変わっていないらしい。靴の中は言うまでもなく、靴下の中までも、果てはダウンジャケットと分厚いセーターに包まれた下着の中にまで、直径1/8mmの砂は容赦なく入り込んできて、なるほど映画の中で男が味わっていた不快感は、これだったのか――。

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"いくら唾をはいても、口のざらつきはなおらなかった。口が、からからになっても、まだ砂は残っていた。まるで歯のあいだから、次々と新しい砂がつくられていくようだった"(原作より)


「状態がそのまま、存在である光景」

画「砂の女」の魅力のひとつは、砂の恐ろしさだけでなく、その流体としての美しさを捉えた、まるで記録映画のような映像にありました。映画に見られるような、砂丘の遥か先まで幾何学的パターンを刻む、神秘的な風紋の広がりを求めて、砂塵の中をあちらこちらと歩き回りますが、ところがこれがなかなか見つからない。気まぐれな強風に刻一刻と姿を変える砂丘で、枯山水の石庭もかくやと思わせる見事な風紋やビロードのようにうねる砂の絨毯に巡り合うなんてことは千載一遇の幸運なのかもしれない、と思いはするものの、見たいものは見たい。なにせ、せっかく200キロも遙々走ってきたのだもの。というわけで、砂まみれになって右へ左へとうろつきまわるうち、ようやく、少しは映画の映像を彷彿とさせる、気まぐれな自然の生み出した、刹那の芸術ともいうべき砂の造形美を鑑賞することができました(しかしまあ、カメラのレンズが砂まみれ)。

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"この家はもう、半分死にかけている……流れ続ける砂の触手に、内臓を半分くいちぎられて……平均1/8m.m.という以外には、自分自身のかたちすら持っていない砂……だが、この無形の破壊力に立ち向かえるものなど、なに一つありはしないのだ……"(原作より)

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"眼をとじると、息づくように流れる、幾本もの長い線が浮かんでくる。砂丘を動く、風紋だ。半日、見つづけていたために、眼の奥にまで焼きついてしまったのだろう。あの砂の流れが、かつては繁栄した都市や大帝国をさえ、亡ぼし、呑みこんでしまったことがあったのだ"(原作より)

ピシピシと顔が痛いほどに吹きつける飛砂の威力に辟易し、もはやこれまでと砂丘から退散しようとしたとき、ふと、海岸べりに佇む、数人の観光客らしき人影に気がつきました。自分が砂穴から逃げ出してきた男で、あの人影が自分を捕えようとしている村人たちだったら――そんな妄想を抱くには、う~ん、実にいい感じの距離感。

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"砂と空の境界線に、男たちの影が一かたまりとなって、ぼんやりにじんで見えていた"(原作より)

というわけで、男が村人たちに追われて"塩あんこ"に嵌る場面の気分を込めてシャッターを切り、「砂の女」のロケ地訪問は、これにて終了。この日、これから向かった先がどこかといえば、また違う映画のロケ地だったりするのですが、そのときのことはまた、いずれ改めて。



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コメント

[C1130] お久〜

「砂の女」はドイツのTVで2度観ました、浜岡砂丘がロケ地だったとは知りませんでした、まぁ浜岡に砂丘があることも知りませんでしたけどぉ〜、

風紋が本当になにやら神秘的です、Mardiさんの写真がいいんでしょうねっ!

やはり車は個人の自由が手軽に活かされる文明の功績だとおもいます。東京で車の免許は取りましたが日本ではペーパードライバーでドイツでは毎日運転してますが、日本ではもう運転できないような気がします。

また映画のロケ地への旅のレポート楽しみにしています。

  • 2015-03-05 07:41
  • ヘルブラウ
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  • 編集

[C1131] >ヘルブラウさん

こんにちは、記事読んでいただき、ありがとうございます!
浜岡砂丘、、、映画のロケ地にならなければ、私もきっとその存在すら知らなかったことでしょう。いや、浜岡という地名すら意識することもなかったことでしょう。。。そんな、映画で知ったおかげで訪れることができた、隠れたディスカバリージャパンとでも言いたくなる素敵なところが、けっこうあります。いつか、ドイツを舞台にした映画のロケ地めぐりもしてみたいものです!
  • 2015-03-07 17:30
  • Mardigras
  • URL
  • 編集

[C1132]

こんにちは・・ご無沙汰しております・・^^

浜岡砂丘
初めて知りましたぁ!(ネットで調べました)
私もチョットしたドライブをした感じになり楽しかったです。

  • 2015-03-16 13:30
  • H.yamaneko
  • URL
  • 編集

[C1133] >H.yamanekoさん

こんにちは、ご無沙汰しております!
浜岡砂丘、、、「砂の女」や「ツィゴイネルワイゼン」の舞台でなければ、私も知らないままだったと思います。狭い日本ですが、まだまだ知らない場所がいっぱいありますね!
  • 2015-03-17 21:36
  • Mardigras
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