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[T12] 映画「悪魔の手毬唄(1977)」観ました

製作:日本’77 監督:市川崑 原作:横溝正史 ジャンル:★ミステリー/サスペンス【あらすじ】古い因習がいまも力を持つ鬼首村にやってきた金田一耕助。だが、村に伝わる手毬唄の歌詞に見立てた殺人事件が発生する。捜査を始めた金田一と磯川警部は、由良家と仁礼家の因縁や、20年前に起こった殺人事件の真相に迫っていく。「悪魔の手毬唄」は古谷一行版と、古谷さん2時間ドラマ版、そして石坂さん版とい...

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[C1134]

こんにちは〜。
イラストいっぱいで内容も充実して読みごたえがあります!
「なんだ患者じゃねぇのか」のシーンは目に浮かぶようです。ホント、キャスティングに違和感あると、ストーリーに集中できなくなってしまうから重要ですよね。ドラマ版も好きだけど、印象に残ってるのは断然市川版です。

>市川崑の"華麗なテクニック"が、"意味がない"どころか、ぶっちゃけエログロナンセンスな作品世界の遊び心を映像で表現

確かに、このシリーズって、現実ではありえなさそうな猟奇的な事件が起きていても、ちっとも気にならないところがすごいです。こういう演出がミソだったのか〜。
結構序盤で、リカさんが崖崩れを見て驚くシーンがあって、不吉の前兆みたいで印象に残ってます。

>「悪魔の手毬唄」のロケ地を昨年末に訪れてきた

お〜、それはそれは。事件は起こりませんでしたか?(笑)
記事楽しみにしてますね♪
  • 2015-04-02 10:26
  • 宵乃
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[C1135] >宵乃さん

こんばんわ、記事読んでいただき、ありがとうございます。イラストは、ホントはさらにあと数枚描いたのですが、多すぎるので、このくらいにしておきました。笑。

「悪魔の手毬唄」のドラマ、ひとつも観たことないんですよ。2月に高倉健主演の「悪魔の手毬唄」が映画館にかかったので観に行こうと思ったのですが、残念ながらどうしても都合がつきませんでした。。。

宵乃さんの記事も読ませていただきました。3回も連続でご覧になったのですね。笑。でもわかる、その気持ち。何度観ても飽きませんよね~、この映画。

ロケ地めぐりはですね、、かなり面白かったです。リカが落石に驚くシーンの場所も、しっかり歩いてきましたよ。私にとって、ちょっとした「事件」もありました(ちっとも怖くはないですが)。そのうち記事にしますので、ぜひ読んでください!
  • 2015-04-02 23:21
  • Mardigras
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[C1136]

 Mardigrasさん、こんばんは

市川監督の金田一モノでは、この作品が一番好きです。
(原作なら「獄門島」)

正直、監督のケレン味と遊び心には素直になれないのですが、
これが市川版金田一の味で、ノーマルに作ったなら、これ程、印象に残らなかったと思います。
う~ん、アンビバレンツ状態。(笑)

原作を巧みに改変した脚本、役者陣の味を最大限に引き出した演出。
僕が一番好きなのは、ラストシーンでもなく、リカの告白でもなく、金田一の宿へ到着した磯川警部が襖を開けて久々に対面するシーン。
「百年の知己」を一瞬で納得させてしまう若山富三郎の演技。
二番目も、リカのドS台詞、
「むごい人やったけど、好きやったンですゥ・・・」
を聞かされた時の警部の表情。
「獄門島」の佐分利信も誰の替えも利かないない適役と思ってますが、本作の若山富三郎には敵わない。
それ程、素晴らしい演技だったと僕は思っています。

季節を原作の夏から、彩度と明度に乏しい冬に変えたことが、結果として、作品の叙情性を高める上で最高の効果をもたらしたといえます
>全くの同感で、流石の慧眼。
この作品は生命力溢れる濃緑より、寒々とした枯れ草色こそ、その世界に相応しい。
この辺、文字と映像の違いを考えさせてくれると感じました。

  • 2015-04-10 00:27
  • 鉦鼓亭
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[C1137] >鉦鼓亭さん

こんばんわ、コメントありがとうございます。

私も原作は「獄門島」ですかね。それか甲乙つけがたいところで、「八墓村」。それに「悪魔が来たりて笛を吹く」も好きです。思いっきり、ベタですね。映画は、これと野村芳太郎の「八墓村」です。

若山富三郎、、、そうなんですよね、石坂金田一と若山富三郎の磯川警部、実際のところはこれが初めて顔を合わせた映像なのに、とてもそうは思えないというか、以前に二人が共作した作品があったと錯覚してしまうくらい、説得力がありますね。何度観ても心が温かくなる、名場面だと思います。佐分利信の貫録も、さすがですよね。

この記事を書く前、数十年ぶりに「悪魔の手毬唄」を読み返したんですが、季節が夏であることなどすっかり忘れていました。盆踊りやってたりして、この映画の空気にどっぷり浸かってしまった今となっては、なんだか違和感すら感じてしまいました。。。
  • 2015-04-11 01:52
  • Mardigras
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悪魔の手毬唄

よーし、わかった。犯人は放庵だ!
「悪魔の手毬唄」のイラスト(石坂浩二)

溝正史が生んだ、日本探偵小説史上屈指の名探偵、金田一耕助シリーズの映画化作品、といってまず思い浮かぶのは、やはりなんといっても、1970年代後半に立て続けに封切られた、市川崑監督、石坂浩二主演による、五本の東宝映画でしょう。

わけても角川書店が製作を手掛けた記念すべき第一作、「犬神家の一族」(1976)の商業的大成功を受けて製作された「悪魔の手毬唄」(1977)の完成度は、惚れ惚れするほど素晴らしい。第一作でお馴染となった映像イメージとキャラクターをそっくりそのまま継承し、しかも原作の複雑な人間関係と事件の綾を軽やかに編み直した脚本をものにして、演出から演技から音楽から、何もかもがノりにノりまくってドライブしていくグルーヴ感の心地よさといったら、シリーズ二作目にして、早くも石坂金田一の作品世界が熟成のピークを迎えていた感があります。


原作「悪魔の手毬唄」とその脚色について(以下、ネタバレ)

作の原作は、いうまでもなく、横溝正史の「悪魔の手毬唄」。深沢七郎の「楢山節考」に啓示を受け(小林信彦著「横溝正史読本」収録のインタビューより)、その手もアリかと自ら考案した手毬唄をなぞった"童謡殺人"をモチーフに、"顔のない死体"と"一人二役"、二つの古典的トリックを組み合わせた新案を、二大勢力の対立する僻村に巻き起こる、忌まわしい血の系譜にまとわる色と欲にまみれた因縁話、というお馴染の舞台仕立てに織り込んだ、長・短編あわせて70作を超える金田一耕助シリーズの中でも指折りといっていい、絢爛たる怪奇趣味と緻密な探偵小説的ロジックが練り合わさった、まさに横溝正史ワールドの集大成ともいうべき一作です。

そんな原作の脚色を手掛けたのは、市川崑と日高真也(タイトルバックにクレジットされた久里子亭とは、クリスティをもじったペンネーム)。

都合三十五人にも及ぶ登場人物が、過去と現在、23年の時を隔てて織りなす、精巧なパズルのようなプロットがまとう肉を削れるだけ削り落とし、とはいえ旨味のあるところだけはしっかり残しつつ、そしてなんといっても、原作のラストで金田一耕助が磯川警部に向かってささやく唐突な一言、「警部さん、あなたはリカを愛していたのですね」(本作中にそんなことを思わせる描写は一切なく、この、作者の思い付きとしか思えない締めくくりの一言に、読者は磯川警部とともに「あっ」と呆気にとられる)を逆手にとって(?)、磯川警部のリカに対する密かな思慕、そして金田一と磯川警部の友情を、陰惨な連続殺人事件に綾なすエモーショナルな横糸として編み込み、この手の映画としてはほとんど類を見ない、情感豊かな人間ドラマに仕立て上げています。

「悪魔の手毬唄」のイラスト(岸恵子)

たとえば冒頭、金田一と磯川警部が再会し、小さなこたつで旧交を温め合う一コマや、ドラマの中盤、二人が相乗りの自転車で何気ない会話を交わしながら、村のがたがた道を行く場面。あるいは旅館の縁側に腰をおろした磯川警部が、20年来の純情を滲ませながら、ほとんどラブコールといっていい、しかし悲しいほどに噛み合わない会話をリカと交わす場面(磯川警部のタバコの苦そうなこと!)。そしてなんといってもエンディング、「磯川さん、あなた、リカさん愛してらしたんですね」という金田一のつぶやきが、(原作とは異なり、)汽車の汽笛に紛れて磯川警部の耳に届かない、総社駅での二人の別れの情景――。

この映画の心に残る場面を挙げろと言われれば、そんな、ミステリの本筋とは関係ない、そこはかとない哀しみを湛えた、淡いスケッチのような一幕ばかりが頭に浮かんできます。

「悪魔の手毬唄」のイラスト(若山富三郎)

そもそも犯人は、なぜ事件に老婆を引っ張り出す必要があったのか。あるいはなぜわざわざ手毬唄に見立てて殺人を犯す必要があったのか。よしんば映画の中で犯人が告白するように、それが放庵に罪を着せるためだったとすれば、ではなぜ放庵の吐血を始末しなかったり、娘たちを絞め殺したりしたのか(放庵は、"長年の悪行"のせいで右手が効かないというのに)。いやもっといえば、その動機に頷ける殺人は、せいぜい一人目の娘までではないか――とまあ、謎解き映画としての「悪魔の手毬唄」の本質的な弱点は、そっくりそのまま原作ゆずりであるがゆえ、いかんともしがたいものです(ちなみに原作では、犯人の口から犯行の詳細が語られることはなく、その死後、関係者の間で、犯人が老婆に化けたのは、"名探偵"への挑戦だったのではないか、などという、あまりといえばあまりな推測がなされていたりする)。

にもかかわらず、さすがにそう何度も読み返す気になれない原作とは違って、この映画が再三再四の鑑賞に耐えるのは、魅力的な謎や種明かしのカタルシスといったミステリ映画としての味わいにとどまらない、観る者の心に響く、いわく言い難い詩情を紡ぎえている作品だからでしょう。


一分のスキもない、「悪魔の手毬唄」のキャスティング

川崑監督は、助監督時代の田中徳三に向かって、「映画はシナリオが完成し、キャスティングが決まったとき、その作品の出来上がり八割が決定している」と話していたそうです(「大アンケートによる日本映画ベスト150」収録のコラム、「なんでも屋の市川崑監督」より)。

本作と同様、よく整理されたシナリオに情感を湛えた前作、「犬神家の一族」の残念にもほどがある瑕は、そのしょぼい特撮もさることながら、演技がわざとらしい幾人かの脇役と、観るたびその素人っぷりに気持ちが萎えてしまう、角川春樹に横溝正史というキャスティングの"遊び"にあります。そして、続く「獄門島」(1977)「女王蜂」(1978)、「病院坂の首縊りの家」(1979)もまた、程度の差こそあれ、いずれも作品全体の印象を左右してしまうレベルで、キャスティングに緩みのある作品です。ところが本作は、脇役はおろか、セリフのない端役に至るまで、この手のスキがまったく見当たりません。

「悪魔の手毬唄」のイラスト(加藤武)

原作を凌ぐシナリオをものにして、その上、数ある金田一耕助の中でも原作者がもっとも好きだったという石坂金田一(「「悪魔の手毬唄」劇場パンフレット」より)をはじめ、「よーし、わかった!」の加藤武、さらには本作の田舎医者が絶品の大滝秀治や、草笛光子、三木のり平、小林昭二といった、シリーズ二作目にして早くもお馴染となった練達の俳優たち(坂口良子の不在がややさみしい。ちなみに本シリーズの隠れた名物、白石加代子は本作がお目見え)、そしてなんといっても磯川警部に若山富三郎、そして青池リカに岸恵子という、まさにはまり役というほかない配役を得た「悪魔の手毬唄」は、まさしく、監督の信念を120%実証する作品だったのではないでしょうか。

「悪魔の手毬唄」のイラスト(大滝秀治)


市川崑の金田一シリーズは"悲劇"なのか?

昨年の年末に刊行された、金田一耕助モノの映像作品ガイドの決定版、「映画秘宝EX 金田一耕助映像読本」を読んで、思わず懐かしくなってしまったくだりがあります。それは、ひと昔前の映画をテーマにした対談本、「たかが映画じゃないか」(和田誠・山田宏一著)において、市川監督の金田一シリーズが否定的に語られていたという、「市川崑の映像技法と「おなじみ」ネタ集」と題するコラムの一節です。実家の書棚から引っ張り出してきた「たかが映画じゃないか」から、和田誠の発言を引用すると――。

「俺、さっきからテクニックのことばかり、ずいぶん喋ったけど、それはテクニックのためのテクニックじゃなくて、必ずストーリーのために重要な効果をもたらしているんだよね、よく考えると。だからね、「犬神家の一族」なんかにしても、初めの方で、溺れる女をボートで助けるシーンで、パパパッとスローモーションになるんだけど、あれはなんにも意味がない。あんまり意味がないんで印象的だ(笑)。その意味のないところがいちばん市川崑的だというのが、あのシリーズの悲劇だと思うんだ」

当時、映画見巧者としてその言にことのほか信頼を寄せていた、ほかでもない和田誠がそう語っていたのがショックで、それまで金田一シリーズ以前の市川作品をひとつも観たことがなかった高校生の私は、その無知を恥ずかしく思い、そして一連の金田一シリーズを面白いと思う自分自身のセンスを、後ろめたく感じてしまったものです。

「悪魔の手毬唄」のイラスト(仁科明子)


探偵小説的世界にハーモナイズする、市川崑の映像テクニック

してあれから三十年、なんだかんだで、さすがに市川監督の旧作を観る機会がぽろぽろとありました。それらの中には、代表作とされる「ビルマの竪琴」(1956)や「おとうと」(1960)、それに、和田誠が上記の対談集で市川崑のベストスリーに推していた、「雪之丞変化」(1963)や「東京オリンピック」(1965)も含まれています(ただしもう一本の「愛人」(1953)は観ていない)。

そうしてそれらの作品を自らの目で確かめた今となって思うことは、なるほどいずれの作品も素晴らしい(特に「雪之丞変化」は、金田一シリーズの先駆ともいうべき映像テクニックが炸裂し、そしてそのテクニックが、確かに"ストーリーのために重要な効果をもたらしている")、とはいえそれらに比べて金田一シリーズが劣っているとはこれっぽっちも思えず、果たしていったいどのあたりが"あのシリーズの悲劇"だったのか、さっぱりわからない、ということです。

いやむしろ、和田誠の云うところの市川崑の"華麗なテクニック"が、"意味がない"どころか、ぶっちゃけエログロナンセンスな作品世界の遊び心を映像で表現するための手立てとして、「雪之丞変化」以上の最良のかたちで生かされた映画こそ、金田一シリーズの5作品――わけてもその最高作である「悪魔の手毬唄」(と「犬神家の一族」)だったのではないか。

具体的に申しましょう。

たとえば、冬枯れの果樹園で抱き合う若い男女をローアングルの望遠で捉えた、幸福感に包まれてしかるべきはずの情景に、不吉な不協和音が響き、「鬼首村」という禍々しい大文字が被さる、もう冒頭の一コマから、作品のトーンをガツンと決め打ちするかのような、オープニング。

金田一や磯川警部をはじめ、主要キャストを流れるような手際でさくさく紹介しつつ、と同時に、かつて忌まわしい事件が村で起こったらしいことをほのめかし、さて宴のお膳立てがすっかり整ったところで突如、鑑賞者の虚を突いて流れる、忘れた頃にやってくるタイトルバックのカタルシスに満ちたタイミング(なんと開巻11分後!)。

シリーズを通じてお馴染となった(ただし最終作を除く)、黒背景に巨大な明朝体の白文字が鍵型に並ぶ、ぎくりとするほど仰々しいキャストロール(「犬神家の一族」の「愛のバラード」に負けず劣らず、本作の「哀しみのバラード」も素晴らしい)。

山道を行く金田一の姿を俯瞰で捉えた、安気なトーンの映像と音楽が、あれよという間にどす黒く変調し、かはたれどきの峠で腰の曲がった老婆とすれ違う刹那、画面いっぱいに禍々しい気配が立ち込める、陰陽一体となった、映像と編集のマジック。

角川文庫版「悪魔の手毬唄」の表紙に描かれた、黒背景に毬を手にした白塗りの禿の装丁画(杉本一文・画)をそっくりそのまま模した、漆黒の世界で毬をつく4人の童女のあっと驚く奇抜な映像(しかもご丁寧なことに、そのうちのひとりは半身が赤痣で覆われている)。

そして、「犬神家の一族」のリフレインといっていい、金田一耕助がときどきこたつの上の煮物をほおばりながら、畳の上で複雑な人間関係を系図に整理する、短いカットをスピーディに繋げたカットバックや、事件に関わる重要な証言を訊いた磯川警部が、血相を変えて部屋を飛び出していく場面のパパパッというストップモーション(by 和田誠)に宿る、独特のリズム感。

――とまあ、市川崑のケレンに満ちた映像と遊び心に溢れた編集テクニックは、ばかばかしいといえばこれ以上ないほどばかばかしい探偵小説的世界の「はったり」感にぴたりと波長が合い、"ストーリーのために重要な効果をもたらしている"どころか、荒唐無稽な作品世界の質感を視覚的に表現して、余すところがありません。

「悪魔の手毬唄」のイラスト(永島瑛子)

繰り返しになりますが、原作の「悪魔の手毬唄」においてトリックが成立し、ミステリとして展開していく上で、見立て殺人でなくてはならなかった必然性はなく、また怪しい老婆が登場する必要性もなければ、まして村の名前が「鬼首村」などというまがまがしいものである必要も、まったくありませんでした。とはいえ手毬唄に見立てて人が殺され、正体不明の老婆が徘徊し、また村の名前が恐ろしいものであるところにこそ、つまりその必然性も必要性もまったくないけれど、いかにも探偵小説らしい、そんな、おどろおどろしい雰囲気を盛り上げるためのガジェットが積み重ねられているところにこそ、「悪魔の手毬唄」の面白さはあります。

そして映画に目を向ければ、なるほど確かに和田誠の云う通り、パパパッとなる必然性もなければ、短いカットを繋げる必然性もなく、そしてタイトルバックが仰々しい必要もまったくありませんが――しかし、いかにも何かが起こりそうな瘴気を発散する、奇抜でケレン味のある映像表現が次々と繰り出されるところに、私は原作の精神(=探偵小説的らしい遊び心)の忠実な反映を見る気がします。

そして、そんなストーリーと映像の質感がぴたりと調和したところに生まれる幸せな一体感こそが、本作の、いや、作品の出来不出来を越えてシリーズ全作に共通する、何度観ても飽きない、心地よいグルーヴ感の最大の源泉ではないかと思うのです。


予告: 「悪魔の手毬唄」を訪ねて

て、市川監督の金田一シリーズを通した大きな魅力のひとつは、その卓越したロケーションにあります。「悪魔の手毬唄」もこの例に漏れることなく、旧い因習に縛られた土俗的な奥山の村の風景や、金田一と磯川警部が別れを交わす駅の鄙びた佇まいが、場面に相応しい情感を増幅させて、何度観てもうっとりしてしまいます。

撮影スケジュールの都合上、季節を原作の夏から、彩度と明度に乏しい冬に変えたことが、結果として、作品の叙情性を高める上で最高の効果をもたらしたといえますが、とはいえそれも、いかにも「鬼首村」らしさを宿した山間の村のロケーション、そして寒々しく荒涼とした「人食い沼」の情景があったればこそ。

そんな「悪魔の手毬唄」のロケ地を昨年末に訪れてきたのですが、もはや記事が長くなりすぎました。といわけで、そのときのことは近いうちにまた、改めて(こちらの記事→「悪魔の手毬唄」を訪ねて)。


悪魔の手毬唄 (英語名: A Rhyme of Vengeance
公開: 1977年
監督: 市川崑
製作: 田中収、市川崑
脚本: 久里子亭
原作: 横溝正史(「悪魔の手毬唄」)
出演: 石坂浩二/岸恵子/若山富三郎/加藤武/仁科明子/北公次/草笛光子/辰巳柳太郎/永島暎子/大滝秀治/渡辺美佐子
音楽: 村井邦彦
撮影: 長谷川清
編集: 小川信夫、長田千鶴子



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[T12] 映画「悪魔の手毬唄(1977)」観ました

製作:日本’77 監督:市川崑 原作:横溝正史 ジャンル:★ミステリー/サスペンス【あらすじ】古い因習がいまも力を持つ鬼首村にやってきた金田一耕助。だが、村に伝わる手毬唄の歌詞に見立てた殺人事件が発生する。捜査を始めた金田一と磯川警部は、由良家と仁礼家の因縁や、20年前に起こった殺人事件の真相に迫っていく。「悪魔の手毬唄」は古谷一行版と、古谷さん2時間ドラマ版、そして石坂さん版とい...

コメント

[C1134]

こんにちは〜。
イラストいっぱいで内容も充実して読みごたえがあります!
「なんだ患者じゃねぇのか」のシーンは目に浮かぶようです。ホント、キャスティングに違和感あると、ストーリーに集中できなくなってしまうから重要ですよね。ドラマ版も好きだけど、印象に残ってるのは断然市川版です。

>市川崑の"華麗なテクニック"が、"意味がない"どころか、ぶっちゃけエログロナンセンスな作品世界の遊び心を映像で表現

確かに、このシリーズって、現実ではありえなさそうな猟奇的な事件が起きていても、ちっとも気にならないところがすごいです。こういう演出がミソだったのか〜。
結構序盤で、リカさんが崖崩れを見て驚くシーンがあって、不吉の前兆みたいで印象に残ってます。

>「悪魔の手毬唄」のロケ地を昨年末に訪れてきた

お〜、それはそれは。事件は起こりませんでしたか?(笑)
記事楽しみにしてますね♪
  • 2015-04-02 10:26
  • 宵乃
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[C1135] >宵乃さん

こんばんわ、記事読んでいただき、ありがとうございます。イラストは、ホントはさらにあと数枚描いたのですが、多すぎるので、このくらいにしておきました。笑。

「悪魔の手毬唄」のドラマ、ひとつも観たことないんですよ。2月に高倉健主演の「悪魔の手毬唄」が映画館にかかったので観に行こうと思ったのですが、残念ながらどうしても都合がつきませんでした。。。

宵乃さんの記事も読ませていただきました。3回も連続でご覧になったのですね。笑。でもわかる、その気持ち。何度観ても飽きませんよね~、この映画。

ロケ地めぐりはですね、、かなり面白かったです。リカが落石に驚くシーンの場所も、しっかり歩いてきましたよ。私にとって、ちょっとした「事件」もありました(ちっとも怖くはないですが)。そのうち記事にしますので、ぜひ読んでください!
  • 2015-04-02 23:21
  • Mardigras
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[C1136]

 Mardigrasさん、こんばんは

市川監督の金田一モノでは、この作品が一番好きです。
(原作なら「獄門島」)

正直、監督のケレン味と遊び心には素直になれないのですが、
これが市川版金田一の味で、ノーマルに作ったなら、これ程、印象に残らなかったと思います。
う~ん、アンビバレンツ状態。(笑)

原作を巧みに改変した脚本、役者陣の味を最大限に引き出した演出。
僕が一番好きなのは、ラストシーンでもなく、リカの告白でもなく、金田一の宿へ到着した磯川警部が襖を開けて久々に対面するシーン。
「百年の知己」を一瞬で納得させてしまう若山富三郎の演技。
二番目も、リカのドS台詞、
「むごい人やったけど、好きやったンですゥ・・・」
を聞かされた時の警部の表情。
「獄門島」の佐分利信も誰の替えも利かないない適役と思ってますが、本作の若山富三郎には敵わない。
それ程、素晴らしい演技だったと僕は思っています。

季節を原作の夏から、彩度と明度に乏しい冬に変えたことが、結果として、作品の叙情性を高める上で最高の効果をもたらしたといえます
>全くの同感で、流石の慧眼。
この作品は生命力溢れる濃緑より、寒々とした枯れ草色こそ、その世界に相応しい。
この辺、文字と映像の違いを考えさせてくれると感じました。

  • 2015-04-10 00:27
  • 鉦鼓亭
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[C1137] >鉦鼓亭さん

こんばんわ、コメントありがとうございます。

私も原作は「獄門島」ですかね。それか甲乙つけがたいところで、「八墓村」。それに「悪魔が来たりて笛を吹く」も好きです。思いっきり、ベタですね。映画は、これと野村芳太郎の「八墓村」です。

若山富三郎、、、そうなんですよね、石坂金田一と若山富三郎の磯川警部、実際のところはこれが初めて顔を合わせた映像なのに、とてもそうは思えないというか、以前に二人が共作した作品があったと錯覚してしまうくらい、説得力がありますね。何度観ても心が温かくなる、名場面だと思います。佐分利信の貫録も、さすがですよね。

この記事を書く前、数十年ぶりに「悪魔の手毬唄」を読み返したんですが、季節が夏であることなどすっかり忘れていました。盆踊りやってたりして、この映画の空気にどっぷり浸かってしまった今となっては、なんだか違和感すら感じてしまいました。。。
  • 2015-04-11 01:52
  • Mardigras
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