
今さらではありますが、昨夏、2年ぶりに北アルプスへ行ってきましたので、そのときのことを書こうと思います。ルートは上高地から涸沢を経て、北穂高岳から奥穂高岳、前穂高岳へと辿る、標高3,000mの尾根歩き。数年前に槍ヶ岳~北穂高岳を縦走したとき、北穂の頂から蒼天に暮れなずむ奥穂のシルエットを眺め、次はここからあそこ、と心に誓ったコースです。
というわけで今回のイラストは、あちこちの山小屋でよく見かける山岳マンガ、「岳 みんなの山」の映画化作品、「岳 -ガク-」(2011)より、主人公の島崎三歩を演じた小栗旬。映画の冒頭、レスキューを終えた三歩が、遭難者のピッケルを携え登頂する山が奥穂高岳であり(この場面、原作のイメージどおりでぞわっときます)、とすればこの記事は、「岳 -ガク-」のロケ地訪問記、と言って言えないこともありません。というか、そういうことにしよう。
上高地~横尾
夏晴れの続く8月上旬のとある朝、東京を出発。中央本線で松本に出て、信州電鉄で新島々へと向かい、バスに乗り換え上高地に到着したのは、もう14時になろうという頃でした。
観光客で賑わうバスターミナルから、北へ向かって5分ほど歩くと、やがて、梓川に架かる河童橋を前景に、巨大な扇のように広がる岳沢カールと穂高の山塊が見えてきました。いつ見ても心がときめく、ウエストンの時代から日本の山岳風景といえばこれ、のお馴染の景色です(ちなみにここも、「岳 -ガク-」のロケ地)。

梓川に架かる河童橋と穂高連峰。
明後日の同時刻にはそこを歩いているはずの、奥穂と前穂をつなぐ吊尾根には、うすぼんやりとしたガスがまとわりついていました。
とはいえ下界の天気は上々で、濃緑色の水草をゆらゆら揺らしながら、音もなく流れる清冽なクリークに、目だけでなく、アタマも心も洗われるよう。しばし浮世の重荷を上高地にデポして、楽しい山歩きの時間の始まりです。

梓川にそそぐクリーク。オシドリやマガモが浮いていることもある。
この日の予定は、上高地から明神、徳沢を経て、横尾までの足慣らし。前穂の前峰、明神岳を左に眺めながら、梓川の流れに沿った平坦な山道をずんずん進み、徳沢で一休みして、2時間20分ほどで横尾に到着しました。

井上靖の「氷壁」の舞台となった宿、徳沢園。
予約していた横尾山荘に荷を解き、山小屋には珍しい風呂で汗を流してから夕飯。言うまでもなく、ビールがうまい。食後、コーヒー片手にすっかり日の暮れた戸外に出て、夜風に当たりながら一服。手元すら見えないまっ暗闇に包まれ、ベンチに寝っ転がって眺める星空の美しさは、格別です。
この日の山小屋には余裕があり、夏山シーズン真っ盛りの週末にもかかわらず、無事、一人分のスペースを確保することができました。そもそも初日、涸沢まで行かずに横尾止まりとしたのも、この目算があったからです。
横尾~涸沢~北穂高岳
翌朝は5時起床。北アルプスはここしばらく晴天が続いており、この日も雲ひとつない、真っ青な空が広がっていました。
朝食を済ませ、6時20分、涸沢に向かって出発。数年前に下りで使ったコースを今度は登りで辿り、北穂高岳を目指しました。

ロッククライミングの殿堂、屏風岩。
左手に、圧倒的な重量感で聳える屏風岩を見続け、いくら探しても姿の見えないコマドリのヒリリリリンという囀りに耳を傾けながら、横尾本谷に沿って延びる緩斜面の山路をてくてく1時間も進んだところで、樹林の合間に、早くも北穂高岳が姿を現しました。双眼鏡をのぞいてみれば、頂上直下にへばりつくようにして建つ、山小屋の赤い屋根。

横尾本谷から北穂高岳を遠望。
7時20分、横尾谷の沢に架かる本谷橋の袂で、思い思いに憩う登山者たちに交じり、10分ほど小休止。冷たい沢の水に浸したタオルで首筋を拭い、すっかり生き返りました。
道は、ここからやや傾斜を増し、いよいよ山歩きらしくなってきます。よく整備された、大石の敷き詰められた登山道を1時間ほども行くと、やがて奥穂高岳とすり鉢状の涸沢カールの全景が、視界に飛び込んできました。雲一つない紺碧の空の下、触れれば切れそうな、鋸歯の稜線。岩と緑の谷間に詰まった真っ白な雪渓が、目に涼しくもあり、まぶしくもあり。ビバ、夏山!

涸沢カールと奥穂高岳。
9時15分、ようやく穂高の前哨基地、涸沢に到着。ここもまた、「岳 -ガク-」のロケ地の一つです。

涸沢ヒュッテから奥穂高岳を見上げる。
山を歩くと、てきめんに腹が減ります。まだ9時を回ったばかりだというのに、すでにガス欠。ここで、早めの昼飯にしました。
穂高の連嶺が眉に迫る涸沢ヒュッテのテラスに腰をおろし、順調にいけば、明日の同時刻にはそこからここを見下ろしているであろう稜線を眺めつつ、菓子パンをがつがつと食らいつつ、そしてホントはビールが飲みたいと思いつつ、そのあまりに日本離れしたアルプス的山岳風景に、眼福至福のひととき。ときおりそよぐ雪渓降ろしの涼風が、火照った肌に心地いい。それにしても穂高の山々の、なんとダイナミックで、フォトジェニックなことよ。

涸沢で憩う登山者たち。
9時55分、腹もくちくなったところで、「岳」風に言えば、いよいよここからクライム・オン。標高2,300mの涸沢から北穂のピークまでは、ざっと800mの登り。この先は、万が一に備え、ヘルメットを被ることにしました。

北穂高岳と涸沢小屋。うっすらと雲が湧き出した。
数年前に下ってきたときは、あいにくの空模様でまったく眺望がきかなかったものですが、この日は目に痛いほどの青空。じりじり高度を稼ぐにつれ、眼下に、次第に涸沢の全景が開けていきました。
色とりどりの粒ガムのようなテントが、点々と散らばっているのが見えました。テン場からガレ場へと延びる細道の先に、穂高岳山荘が建つ白出のコルへと通じる岩の回廊、ザイテングラートが見えました。登るにしたがって、ゴジラの背と呼ばれる前穂高岳の北稜が、徐々に目線の高さへとせり上がってきました。
周りを見渡せば、百花繚乱のお花畑。振り返れば、なだらかでピースフルな蝶が岳のスカイライン。見上げれば、天空を突き刺す北穂高岳の峰頂。こんな最高の天気に恵まれた山歩きは、好きな日に休暇をとれない身の上にとっては、めったにない僥倖です。

涸沢ヒュッテとテントサイト。

奥穂高岳と涸沢カールに伸びる側陵、ザイテングラート。


天空のお花畑。
急峻な、しかしよく整備された道を辿ること1時間40分。北穂南陵の取り付きとなる、標高2,700mあたりの長いスラブ(一枚岩)の鎖場を手始めに、道はいよいよ北アルプスらしい険しさを見せ始めました。足だけでなく、ときに腕も使って岩場をよっこらせとよじ登っては越えていく、文字通りの登攀路。一般ルートとはいえ、ちょっとした岩登り気分を味わえる、北アルプスならではの登山道です。

北穂高岳南稜の鎖場。
しばらく登ったところで振り返ると、それまで山陰に隠れていた常念岳が、ピラミダルな姿を現していました。標高はいつの間にか2,800mを越え、つまりもうあと一息なのですが、日ごろの運動不足と不摂生がたたって、このあたりでがくんとペースダウン。あとは足元を見て、(一歩、一歩)と心に念じながら、じりじり高度を稼いでいきます。

北穂南稜より常念岳を眺める。
南陵の肩にあるテン場を青息吐息で通り過ぎ、ようやく北穂と奥穂の分岐に到着。前穂のピークがほぼ目線の高さとなり、ここまでくれば、北穂の頂上はもう指呼の距離。次第に青空を侵しつつある雲を睨みながら、果たして山頂からの大眺望に間に合うか、やきもきしながら最後のひと踏ん張り。

北穂南稜テン場付近から、前穂高岳を眺める。ここまでくればあと一息。
そして、涸沢から標準コースタイムをオーバーすること45分、14時ちょうどに、北穂高岳の山頂に到着。標高3,106m。日本で9番目に高い山の頂から眺める360度の大パノラマは、いままさに、ガスに覆い隠されんとするところでした。
北に目をやれば、5年前に歩いた、巨大な龍の背のようにうねる大キレットの稜線が、南岳、中岳、大喰岳を経て、彼方に聳える槍ヶ岳へと向かって延びていました。ああ、これが見たかった――汗だく塩まみれになって、ここまで登ってきた労苦のすべてが吹き飛ぶ瞬間です。

北穂から槍を眺める。またいつか、歩きたいと思う。
ゆっくり感激に浸る間もなく、槍の穂先はみるみるガスに巻かれてしまいました。まあ、ぎりぎり間に合っただけでもよしとしよう。一服したところで頂上直下の北穂高小屋へと下り、宿泊手続き。3人で2組の布団になりそう、と告げられて、覚悟してはいましたが、ちょっとブルーになりました。
ともあれあてがわれたスペースに荷を下ろすと、サンダルをつっかけ、天空に張り出したテラスへ出て、生ビールを注文。思い思いにくつろぐ人たちに交じり、蝶が岳から常念岳、大天井岳、燕岳へと続く、常念山脈の長大な稜線を眺めながら、再びこの場に戻ってこられたことに、ひとり乾杯しました。そういえば、念願だったライチョウを初めて見たのも、このテラスからでした。
ジョッキを乾したところで、サンダル履きのまま、再び山頂へ。
人の姿はなく、あたりはひたひたと流れるガスが生み出す静寂に包まれていました。上空に、一羽のアマツバメ。あまりの静けさに、サーッという風切り音が聞こえてきました。槍方面は白く分厚い帷に閉ざされていて、しかし南の方角は、ふとした拍子にガスが切れ、前穂や奥穂が、ときどきその姿を垣間見せてくれました。もう一度槍が見たい、と寒さを我慢して、山頂で1時間半ほど粘ってみましたが、谷底から湧き出すガスは濃さを増す一方。日没を前に、ついには前穂も奥穂も、夕陽の透ける淡紅色のベールにすっかり包まれてしまいました。

北穂高岳から暮れゆく奥穂高岳を眺める。
冷え切った体で小屋に戻ると、どうやらキャンセルが出たらしく、一人一枚、布団を使えることになっていました。翌日の岩稜歩きを控え、ゆっくり体を休めることができるのは、何よりありがたい。隣の人と、お互いつらい思いをせずに済んだことを悦びあいました。聞けば、前夜の涸沢ヒュッテは二人で布団一枚だったそう。やはり、横尾泊まりで正解でした。
夜。就寝前に手洗いに出てみると、いつの間にやらガスがすっかり晴れており、星屑でびっしり埋め尽くされた夜空に、ひときわ密度の濃い、乳白色に輝く悠大な天の川が広がっていました。なるほどミルキーウェイとは、よく言ったものです。いつまで眺めていても見飽きない、標高3,000mの光のスペクタクル。光の瞬きのひとつひとつが、何百年、何千年、ひょっとすると何万年、何十万年の太古の昔から届いたものだと思うと、あまりに広大無辺な宇宙と時間のスケールに、己の存在の無意味さが、いっそすがすがしく思えてくるほどです。
北に目をやれば、黒々とした尖峰のシルエット。星空に縁どられた槍ヶ岳が、厳かな静寂のうちに、独りすっくと佇んでいました。目を凝らすと、漆黒の斜面のずっと下方にポツンと小さな灯りが瞬いていて、あれは殺生ヒュッテか、それともヒュッテ大槍か。谷間を隔てた常念山脈の稜線に目を転じれば、心細い灯りが6等星のごとくちらちらと明滅していて、あれはおそらく蝶が岳ロッジでしょう。
いずこもご近所とはとてもいえない距離ながら、この険しい山界にある人間の営みが、自分がいる山小屋だけのものでないことに、なんとなく心強さを覚えました。そして、そんな景色を自分ひとりで眺めていることに、言いしれない物足りなさを感じたりもしました。私の山歩きはいつも独りですが、横に誰かいればいいのに、と痛切に思うのは、こんなときです。
北穂高岳~涸沢岳~奥穂高岳
三日目の朝も、北アルプスは素晴らしい天気に恵まれました。朝食前に北穂の頂上に足を運んでみると、そこには、前日の午後と打って変わって、何一つ遮るもののない、見渡す限りの大パノラマが広がっていました。

北穂高岳から、槍ヶ岳と北アルプスの峰々を遠望。
槍ヶ岳を前景に、どこまでも折り重なって続く、峩々たる北アルプスの峰々。一昨年に白馬岳から、その前年には立山や劔岳から、いまこうして立っている穂高の峰を眺めたことを思い出しました。その白馬岳が、立山が、今度は遥か彼方に霞んで見えました。西には笠ヶ岳、そして南に目をやれば、この日これから辿る予定の涸沢岳から奥穂高岳、そして文字通り吊橋の如き吊尾根を挟んで、巨大なテントのようにぴんと張りつめた前穂高岳が、朝日に赤く染まっていました。
体調よし。天気もいうことなし。よし、これなら私でも行ける。というわけで、いよいよこたびの山旅のクライマックス、穂高縦走です。

北穂高岳から吊尾根を眺める。
朝食を済ませ、テラスで準備を整え、軽くストレッチして、6時30分、北穂高小屋を出立。この日は終日、ヘルメットを被りっぱなしの予定です。

天空の山小屋、北穂高小屋。次また来られるのは、いつの日か。
北穂の頂で、しばし名残を惜しみ、まずは足慣らし、奥穂と涸沢の分岐に向かって、急傾斜の岩場をそろそろと下っていきました。

北穂高岳南峰の信州側を巻いて、涸沢岳へ向かう。
信州側のトラバース道をしばらく進み、南峰を回り込んだところで、奥穂を正面に、笠ヶ岳を右手に見ながら、涸沢岳へと続く急峻な尾根道を下っていきました。

巨大な一枚壁のような笠ヶ岳。
思えば岩稜歩きは3年前の劔岳以来で、技術的にも心理的にも、私にとってはいよいよこのあたりから、ぐっと難易度が増す感じでした。しっかり整備されたルートであっても、一歩間違えればそれっきり。岩肌をバターナイフで削いだかのような、谷底に向かってすっぱり切れ落ちた滝谷の禍々しい高度感に、頭がくらくらしました。

北穂高岳から涸沢岳に向かう下降路。
久しぶりに味わうスリルと緊張感に、お腹のあたりがむずむずとざわめき、アドレナリンやらドーパミンやらがどっと放出されて、脳みそがとろけていくよう。多少オーバーに言えば、今この時を生きている実感が湧き上がってきて、日常生活では味わえない、ぞくぞくする悦びと興奮に包まれて、そう、私にとって北アルプスの山歩きは、お手軽にハイな気分になれる、一種の麻薬なのであります。

北穂高岳から最低コルへと下る。
7時45分、北穂~奥穂間の最低コルを通過。前日に眺めた穂高の稜線に立ち、今度は涸沢ロッジの赤い屋根を遥かに見下ろして、ああなんという幸せ。

穂高の稜線から涸沢ヒュッテを見下ろす。
いつの間にか前方には、今回のコースの核心部である涸沢槍の絶壁が迫り、目を凝らせば、いかにも悪いガレた壁のところどころに、カラフルな山服に身を包んだ、アリのような登山者が、ぽつりぽつりとへばりついているのが見えました。遠目に、岩壁はほとんど垂直で、とても登路があるとは思えぬほどに切り立って見え、その全景を視界に収めながらの一歩一歩に、徐々に緊張感が高まっていきました。

カメ岩から涸沢岳を仰望。
最低コルから約20分。カメ岩と呼ばれる岩場を通過し、いよいよ涸沢岳の北の肩に聳える涸沢槍の取り付きに辿りつきました。鎖と梯子が連続する険阻な壁は、遠くから眺めたほどではないにせよ、もう十分に剣呑な高度感。いや、本当に登れんのか――。
とまあ、びびってたじろぎ始めていたところで、下りの登山者が引きも切らず、予期せぬ停滞。なにせ、すれ違いのできる足場がない。待つこと5分、10分、15分。なかなか途切れない下降者に、道の空くのを待つ登山者の間から、さすがに不満の声が上がりはじめました。下降者たちは、みな己の足元を注意するのに精いっぱいで、下に待つ人たちのいることなんて、これっぽっちも思い至らない様子。
最初のうちは、この際、覚悟を決める時間ができてちょうどいい、くらいに思っていましたが、停滞が長引けば長引くほど、アドレナリンが涸れて、体も冷えて、恐怖心は募るばかり。

北穂~奥穂の核心部、涸沢槍の取り付き。
とはいえようやく道が空き、躊躇する間もあらばこそ、いざ登り始めれば、あとは無我夢中。先行者の落石に注意しつつ、次にどの岩に手を掛けるか、どこに足を置くか、あの、ちょうど手頃に思える岩は、実は浮石だったりするのでは、なんてことを考えながら慎重に、道なき岩の道を攀じ登っていきました。
途中、小学校低学年と思しき幼い子供を二人も連れた夫婦が梯子を降りてきて、すれ違うのにひと苦労。いったん上に戻ってくれとも言えず、とはいえ梯子のまわりに足場の余裕はなく、仕方なしに私を含む数人が、切り立つ側壁のトラバースを数メートル後じさり。かなり怖い思いをしました。さすがにアンザイレンしていましたが、オトナですら次のステップを探しあぐねる個所のある岩場を歩いて、果たして子供は楽しいのだろうか、というのはまあ、余計なお世話ではあります。
この日から3日後、この場所で、二十代の女性の単独行者が滑落して亡くなる事故がありました。いまこうして振り返ってみても、北穂~涸沢岳は、大キレットや劔岳に負けないスリルがあったというか、高度感は、むしろそれ以上だったように思います。

涸沢槍から槍ヶ岳方面を振り返る。
二連の梯子を登り切り、長い長い鎖の張られた狭いステップのトラバースを、足元に気をつけながら、そろりそろりと辿っていきました。やがて涸沢槍のピークを通過して、さらに涸沢岳へと続く岩場を攀じ登り、最後にチムニー状の鎖場をしばらく直登したところで、ようやく難所も終わり。緊張から解き放たれてほっと一息つき、足場のしっかりした道を、奥穂高岳と西穂高岳を結ぶ、鮫の歯のような稜線を眺めながら進んでいきました。
馬の背、ジャンダルム、ロバの耳。そんな印象的な名の付けられた岩峰が並ぶ、その途上に小屋も水場もない、悪場が連続する奥穂~西穂のトレイルは、一般登山道として、国内最難関とも言われるコースです。いつかは行ってみたい、いやあんまり行きたくない――10年くらい前に、立山から劔岳を眺めたときと同じような畏怖とアンビバレントな思いが湧き起りました。いずれにしても、もし挑戦するとなれば、10時間くらいは余裕で行動し続けられる体力を身に付けるのが、まず先でしょう。

涸沢岳へ向かう尾根道からジャンダルムを眺める。
そして9時5分過ぎ、ほぼ標準コースタイムで涸沢岳の頂上に到着。標高3,110m、日本で8番目に高い山。行く手の眼下には、穂高岳山荘の赤屋根が、そしてそこから奥穂高岳の頂上へと伸びる、くねくねした一本の細い筋が見えました。

涸沢岳頂上から奥穂高岳を望む。
振り返れば、槍ヶ岳と北穂高岳のツーショット。この道を歩いたことが誇らしくなる、猛々しく、禍々しい稜線。ああ、なんとダイナミックな光景。「遠くで見た時、ずっとキレイになるんだよ!!頂上まで登った山は!!」とは、「岳」の主人公、三歩の名言ですが、まったくその通りです。

涸沢岳頂上から槍ヶ岳と北穂高岳を望む。
涸沢岳のなだらかな南面を下り、9時半過ぎ、穂高岳山荘に到着。30分ほど本格的に休憩し、エネルギーと水分を補給して、奥穂高岳への登りにかかりました。しょっぱなに、すれ違いのできない岩場と梯子があり、やや渋滞(映画ではありませんが、原作の「岳」に、この梯子を舞台にした、面白いエピソードがあります)。しばらく待ったのち、息を切らして登り切り、あとはただひたすら頂上を目指し、つづら折りの急登をゆくのみ。
そして11時前、日本第3位の頂、標高3,190mの奥穂高岳に到着。奥穂高岳は、これが初めてでした。三歩のように両手を空に向かって突き上げたりはしなくても、今まであちこちの山からこの山を眺めてきたことを思い出し、感無量。私にとって奥穂高岳もまた、遠くから眺めたときに、これまでにも増してキレイに見える山になりました。

奥穂高岳山頂。映画の中で、小栗旬は社の横に立って手を広げてました。
奥穂高岳への最後の登りを辿るうち、いつの間にか、西から北の方角にかけてガスが湧き出していて、頂上に着いた頃には既に、ジャンダルムも槍ヶ岳も、残念ながら薄灰色のベールの向こうに姿を隠してしまっていました。ガスは、刻一刻と広がっていく一方。この際、のんびりせずに先を急ぐことにしました。
奥穂高岳~吊尾根~前穂高岳
次なる目的地は、前穂高岳。奥穂高岳から吊尾根を辿り、2時間弱の行程です。尾根のとば口に立って北を見下ろせば涸沢が、南を見下ろせば上高地と梓川の流れが見えました。明神岳と前穂高岳に隔てられた、歩けば5時間近くかかるあっちとこっちの風景を、当たり前ですが、ここからは一望のもとに見渡すことができました。

吊尾根から涸沢を見下ろす。

吊尾根から上高地を遠望。先はまだまだ長い。
吊尾根は、地図から想像していたよりも、歩きでのある道でした。高低差がそれほどでもないため、びゅんびゅん行程がはかどるのではないか、なんて甘いことを考えていましたが、手も使わなくてはならない岩場がところどころにあったりもして、それに当然、一歩踏み外せば転がり落ちて止まらなそうな場所もあり、ま、そりゃそうだと思いながら、慎重に歩を進めていきました。

切り立つ崖に伸びる吊尾根の一本道。
空山一路。遠目に吊尾根は、絶壁をへずった水平歩道のようでした。岳沢に切れ落ちる山肌の岩襞を縫って、細い道が上ったり下ったりを繰り返しながら、前穂に向かってうねうねと伸びていました。そうか、吊尾根は、こんな道だったのか――。長年の憧れだった道を、こうして確かに辿っている幸せをしみじみ噛みしめながら、前へ、前へ。

吊尾根から前穂高岳を望む。
それにしても、目と鼻の先にあるように見える山が、なかなか近づいてきません。それだけ、サイズがデカいということでしょう。いつの間にか、前穂の山頂にもガスが湧きはじめ、12時半過ぎ、最低コルを通過したころには、あたりは真っ白になっていました。上高地から眺めれば、きっと2日前に見上げたときと同じく、薄ぼんやりとしたガスがかかって見えたはずです。
そして――。吊尾根もそろそろ終わりというところで、この空模様ならばもしかしたら、の期待と予感にたがわず、ライチョウに遭遇。親鳥と、もう雛鳥とはいえないくらいに育った2羽の若鳥でした。

砂浴びするライチョウの若鳥。
心配そうな親鳥が、クーと警戒の(?)声で呼びかけても、若鳥たちは意に介さず、無邪気に斜面から登山道へと飛び出して、気持ちよさそうに砂浴びに興じていました。あまりのラブリーさに立ち去りがたく、つい20分近くも見惚れてしまいました。


吊尾根のライチョウ。
ライチョウとの遭遇場所からほどなく行ったところで、前穂の取り付きとなる、標高2,910mの紀美子平に到着。奥穂をあとにして既に1時間50分が過ぎ、時刻は13時10分となっていました。

紀美子平と明神岳。
紀美子平の道標の周りには、ザックがいくつかデポされていました。標高3,090mの前穂高岳のピークへは、ここから往復約1時間。さて、どうしよう。私の足がいくら遅くても、14時半には下りてこられるとして、果たしてそれからバスのある時間に上高地へ辿り着けるのか、いやそれより体力が続くのか。
しばし悩んだ末、このガスではどうせ眺望も期待できないし、と自分に言い聞かせ、ピークを諦めることに。この際、前穂に登ってそれから穂高山荘に戻ってもう一泊するのはどうか、とも思いましたが、これから奥穂に登り返すのもちょっとつらい、というのがそのときの、既にへばりかけていたといっていい私の正直な気持ち。つまりこの時点で、もう寄り道せずに真っ直ぐ下るしか、選択肢はありませんでした。
方針が決まったところで、とりあえず、昼食代わりの行動食でエネルギー補給。つい今しがた、ライチョウ見物で20分も足を止めていたにも関わらず、さらに30分も休んでしまったのは、やっぱり疲れていたのでしょう。
前穂高岳~重太郎新道~上高地
上高地と前穂を繋ぐ、岳沢の重太郎新道もまた、いつか歩いてみたいと思っていた道でした。穂高岳山荘の前身となる山小屋を建てた今田重太郎が昭和26年に開削した、北アルプス三大急登のひとつに数えられる重太郎新道は、登りよりも下りがきついと言われ、よく下山時の転・滑落事故のニュースを耳にする登山道でもあります。そんなこともまた、無理して前穂に登るのはやめようと思った理由の一つ。
さて、いざ下りに取り掛かってみると、まずしょっぱなに、疲れた身体で足を踏み出すにはちょっと気合の必要な、スラブ状の長い鎖場がありました。この、いきなりクライマックスみたいな難所をそろりそろりと通過して、あとはひたすら、急こう配のザレた岩場を、ときには手も使って、慎重に高度を下げていきました。上高地はまだ眼下に絶望的に遠く見え、これからホントに辿り着けんのか!?と自問自答しつつ、それでも焦らないようにと自らを戒めつつ、いつの間にか笑い始めた膝に気を遣いながら、ゆっくりゆっくり下っていきました。
14時30分、標高2,670mの岳沢パノラマを通過。眼下に、岳沢小屋の赤い屋根が見えました。まずはとにかくあそこまで行って一休み、を目標に、まだまだ勾配のきつい道を下るうち、森林限界もそろそろ終わりというところで、とうとう雨が、ぱらぱらと降り始めました。

岳沢カールと岳沢小屋。
レインウエアを引っ張り出し、とりあえず上着だけ羽織ったものの、雨脚は強くなるばかり。それでも、ここまで下りてくればもう低体温症の心配もないし、かったるいし、暑いし、と横着してパンツを履かなかったせいで、ふと気がつけば、いつの間にか下半身がずぶ濡れになっていました。
16時5分前、ほうほうのていで岳沢小屋に到着。ざあざあと雨が降る中、知ら知らずのうちに無理して早足になっていたようです。この頃には足の踏ん張りが効かなくなっていて、しかも膝のあたりや足の裏がずきずきと痛み始めていました。ひょっとして空き室がないものか、ダメもとで小屋の受付に確認してみましたが、案の定、満室。岳沢小屋は完全予約制なので、まあ仕方ありません。
雨脚が少しでも弱まるのを期待して、しばし軒先を借りて雨宿り。しかし一向にやむ気配がなく、終バスの時間を考えるともうぎりぎりという16時半、再び雨の中に飛び出しました。標高2,180mの岳沢小屋から、上高地までは650mの標高差。疲れた身体に鞭打って、足の痛みを騙し騙し、ぬかるんだ緩斜面をひたすら飛ばしたつもりでしたが、思ったほどスピードは出ていなかったようです。ようやく上高地と明神を結ぶ林道に降り立ったころには、もう日が暮れかけていました。
この時刻、人気のない林道や木道は野猿の天国で、集団でたむろする猿たちに、何度も出くわしました。近づけば、いかにも億劫そうに身をよけますが、ここまで数が多いと、さすがにちょっと気味が悪い。
そして18時半前、河童橋を渡り、バスターミナルに到着。結局、標準コースタイムと大して変わらぬ時間がかかってしまい、最終バスまでは、あと20分を残すばかりとなっていました。なにはともあれ公衆トイレに駆け込み、人気のないのを幸い素っ裸になって、下着から靴下から何から何まで着替えてさっぱり、とはいってもシューズの中はぐちょぐちょのままで、こればっかりガマンするしかありません。
上高地にデポしていた浮世の重荷をよっこらせと背負い直し、バスに乗りこみ、傷む足をさすりつつ、さて次はどこへ行こう、なんてことを考えながら、既にとっぷりと暮れた道を、バスに揺られながら家路に着いたのでした。
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管理人: mardigras

素晴らしいですね~。自分で登るのはごめんだけど、こうやって眺めていると夏山っていいなぁと思えます。
河童橋の写真は父が撮ったものを見たことがありますが、色褪せていたので印象がまるで違います。梓川も美しいですね~。
ライチョウは抱っこしたくなるような丸っこさが可愛いです。思わず足を止めてしまうのもわかる!
いつも山の魅力のおすそわけ、ありがとうございます♪