姿三四郎

どうぞ!...どうぞ!...どうぞ!

「姿三四郎」のイラスト(藤田進)

存じ、黒澤明の監督デビュー作、「姿三四郎」(1943)。

単刀直入なオープニング。流れるようなドラマ展開。スケールの大きなオープンセットにこだわりのロケ撮影。七十余年も昔に撮られたとは思えない、斬新な構図やアクションの工夫。ここぞという場面で時間を自在に伸縮させるスローモーションや、息が詰まるほどの間、あるいは鮮やかな場面転換の呼吸。時代風俗の勘所を押さえたリアリティのある画づくりと、四季折々の風物を取り込んだ季節感のある映像。そしてなんといっても、理想的な師弟関係によって育まれる、青竹のような若者のビルドゥングスロマンという主題――。

黒澤監督は、自著「蝦蟇の油 自伝のようなもの」の中で、"このデビュー作にはすべてがつまっている"と述べていますが、なるほど確かに「姿三四郎」は、のちの黒澤映画のエッセンスがそこかしこに芽吹く、みずみずしい才気が全編にほとばしる映画です。


二つの「姿三四郎」

がこの映画を初めて観たのは、十数年前のテレビ放映でした。黒澤作品全三十作のうち、「續姿三四郎」(1945)とともに未見だった数本のうちの一本で、いざ観てみれば、その出来栄えについての感想もまた、実は全作の中でも下から数えた方が早い、くらいのものだったのですが――数年前にDVDで再見し、驚きました。なぜなら、かつて自分は本当にこの映画を観たのかと思うほど、今度は滅法面白かったからです。

なぜ同じ映画の印象がこうまで変わってしまったのかといえば、それは最初に観たのが全長79分の「短縮版」で、二度目が同91分の「最長版」だったせい。そして初見時には音が酷くてよく聞き取れなかったセリフが(つまりドラマのディテールがよくわからなかったのが)、再見時はDVDの日本語字幕のお蔭で、はっきりわかるようになったせいです。

そもそも戦時中の1943年に封切られた「姿三四郎」の尺は、97分。それが翌年の再公開時に監督や関係者のあずかり知らぬところで79分に縮められ、その後、戦後のどさくさに紛れて、カットされたフィルムが散逸してしまったのだそう。以来、「姿三四郎」といえば、この「短縮版」しかなかったところ、1990年代になって失われたフィルムの一部がロシアで見つかり、これを「短縮版」に入れ戻すことによって、「最長版」が編まれたのだそうです(「最長版」の冒頭に流れるテロップより)。


「最長版」でつながったストーリー、深まった敵役の人物像

最長版」で甦った映像は、約12分。映像と音声の劣化がひときわ激しい、この断片的なフィルムによって、「短縮版」では壊れているとしか思えなかったストーリーが、(まだ6分ほど足りないものの)すっと自然につながるようになりました。中でも千金に値するのは、姿三四郎(藤田進)の宿命のライバル、檜垣源之助(月形龍之介)が、師匠の村井半助(志村喬)の娘、小夜(轟夕起子)をモノにしようとする、「短縮版」ではそっくり丸ごと失われていたエピソードの復活。獲物を前に蛇が舌をちろちろさせるような、源之助の傲岸不遜でねちっこい恋慕の情景が、約6分間にわたって描かれています。

それからもうひとつ、柔道と柔術が雌雄を決せんとする警視庁武術大会での三四郎と村井の試合直前、源之助が村井の面前で、三島警視総監(菅井一郎)に向かって、師匠の代わりに自分が三四郎と試合したいと直談判する、1分30秒ほどの映像。ここでは、病み上がりの師に対する侮りも露わに、いよいよ本性を剥き出しにした源之助の、なりふり構わぬ野望への執念が描かれています。

「姿三四郎」のイラスト(月形龍之介)

それにしても、敵役の人物を掘り下げる、これら幾分かの映像のあるなしが、この映画の面白さを、ここまで決定的に左右しようとは。「短縮版」では、いまひとつ描線のはっきりしなかった檜垣源之助というキャラクターの、なるほどいかにも蛇のような性格がつまびらかになるとともに、三四郎に対する恨みつらみが柔道対柔術の確執にとどまらない、女をめぐる嫉妬狂いだったことがはっきりして、クライマックスの命を賭けた決闘がなぜ行われなければならなかったのか、そのあたりがすとんと腑に落ちるようになりました。

黒澤明は、「「姿三四郎」の中で、私が最も興味を持ち愛情を傾けた人間は、勿論、姿三四郎であるが、今思うと、それに劣らぬ気持ちを檜垣源之助に抱いていたようだ」(「蝦蟇の油 自伝のようなもの」より)と述べていますが、この手の物語は、やはり敵役の人間がしっかり描かれてこそ主人公の輪郭も際立って、そうしてクライマックスの対決も盛り上がるのだなあ、と改めて思わずにはいられません。


「姿三四郎」の原作について

作の原作は、映画の公開前年の1942年に書き下ろされた、富田常雄の「姿三四郎」。講道館柔道の創成期に四天王の一人と謳われた小兵の柔道家、西郷四郎をモデルとする主人公の姿三四郎が、欧化主義と国粋主義が激しくぶつかり合う明治という時代のうねりに揉まれながら、武道家として、そして人間として成長していくさまを綴った青春小説です。

「姿三四郎」は巷間人気を博し、黒澤映画の公開翌年となる1944年には、続編「続姿三四郎」が書き下ろされています。同年、その続編となる「柔」が、また1945年から翌年にかけてさらなる続編の「続・柔」が、いずれも東京新聞に連載されており、現在「姿三四郎」といえば、これら四作、すべてひっくるめたものを指すようです(私の手元にある講談社版の文庫は、全体を三分冊にして、それぞれ「天の巻」「地の巻」「人の巻」とサブタイトルが付けられている)。またさらに、1944年に「柔」と並行して大阪新聞に連載された、講道館柔道の創始者、嘉納治五郎をモデルとする若き日の矢野正五郎とその一番弟子、戸田雄二郎(富田常雄の父、富田常次郎がそのモデル)を描いた、「姿三四郎」の前日譚ともいうべき「明治武魂」を含めることもあるようです(四分冊の新潮文庫版「姿三四郎」には、「明治武魂」が収録されている)。

いずれにしても、吉川英治の「宮本武蔵」のまんま柔道版といっていい、青春のすべてを武道に賭けた若者のストイックな人生修行を描いたストーリーは、「明治武魂」も含め、まさに巻を措く能わずの面白さ。数年前に映画を再見した後、古本を入手して読んだときは(絶賛絶版中)、まだこんなに面白い本があったのかと、宝物を掘り当てた気分になったものです。

文明開化の御代に、前近代の遺物として廃れる一方だった柔術を、日本精神と民族の気魄の拠り所として再生すべく、"術の小乗から道の大乗に達する"ことを掲げて「柔術」を「柔道」と呼び変え世に問うた、大学出の若い文学士、矢野正五郎。達人とは、技の巧拙や強さに関係なく、死生を超えた境地に辿り着いた者であるとする、その思想のもっとも純粋な体現者として、主人公の姿三四郎はあります。矢野に心酔し、鉱道館(映画では修道館)に入門した三四郎は、ふとしたことから目の前に開けた国事の道に逸れることもなく、また彼を慕う貴族の令嬢がいざなう立身出世の機会に目もくれず、果ては相思相愛の女性の接近すらも拒絶して、ときに己の強さに慢心したり、またときに自信を失ったりしながら、"修業とは出直しの連続である"ことを肝に銘じ、ただひたすら、「柔」の理念に殉じていきます。

そうして、柔術諸流からの挑戦をことこどく退け、斯界最高の使い手である檜垣源之助を破ると、その後はボクシング、相撲、空手、レスリングといった異種格闘技のみならず、真剣を携えた手練れの暗殺者や忍術を使う清国の間諜、果ては奥多摩の山奥から出てきた得体のしれない土蜘蛛のような化け物(笑)といった異形の者たちとの対決を重ね、これらをことごとく打ち破っていきます。


リアリズムが脈打つ原作の格闘描写

納治五郎の一番弟子、富田常次郎の子に生まれ、柔道創成期をその目で見てきた(そして自身も柔道五段の)富田常雄の描く格闘描写には、実体験の裏打ちがあるからこそと思える、問答無用の説得力とリアリティが宿っています。その象徴ともいえるのが、リングの中でアメリカ人のボクシングチャンピオンと対峙した三四郎が、マットに背中をつけて寝転がってみせる場面。なぜならそれは、1976年、ボクシング世界チャンピオンのモハメド・アリと闘ったアントニオ猪木が、延々15ラウンドにわたって続けた戦法――のちに「猪木―アリ状態」と呼びならわされるようになった戦法そのものだからです。

このくだりを読んだときは、富田常雄が「姿三四郎」に塗りこめていた、大衆小説で展開するにはもったいないほどオーバースペックな格闘描写の凄味にようやく気づき、震えました。なにせレスラーとボクサーの命を懸けた真剣勝負の局面が、遡ること30年以上も昔の小説に予見されていたのだから。巷間、猪木の名言とされている「修業とは出直しの連続である」ということばは、実はこの小説の重要なキーワードとして、文中に何度も出てくるものです。それゆえ猪木は「姿三四郎」を読んだことがあったに違いない、と思うわけですが、さらに想像を逞しくすれば、猪木がアリ戦でとった戦法は、実はそもそもこの本が元ネタだったのではないか、なんてことを思ったりもします。

...話が逸れました。格闘シミュレーション小説として、「姿三四郎」がいかに凄いかということを言いたかったのですが――しかし次から次へと趣向を変えた対決が続き、敵役の強さのインフレ化が進むうち、「姿三四郎」は次第に格闘小説としてのリアリズムを失って、荒唐無稽の色を濃くしていきます。こうして終わるべきときに終われなかった格闘系人気少年漫画に通じる(というよりその嚆矢か)悲しさを滲ませつつ、果たして作者の筆はどこまで滑ってゆくのかと思いきや、しかし最後の最後で源之助の育てた天才弟子との柔術対決に回帰し、格闘小説として、一応の恰好をつけてみせます。

とはいえストイックな求道者のノンフィクションを読むがごとき興奮と緊張は、せいぜい源之助の弟たちとの柔道対空手対決あたりまで(ここまでが「續姿三四郎」の原作)。以降、ストーリーの重心は、どちらかといえば柔道よりも三四郎と乙美(映画では小夜)、そして実は乙美の異母姉である前述の貴族令嬢をはじめ、次から次へと現れる女性たちをめぐる三角関係、四角関係のメロドラマへと移っていきます(ま、それはそれで面白いのですが)。


「姿三四郎」の脚色について

そんな或る日、新聞を読んでいると、新刊書の広告の『姿三四郎』という題名に、眼がとまった。近日刊行と書かれた、その『姿三四郎』という題名に、私は、何故だか、強く牽かれた。その広告には、本の内容の説明に、柔道の天才児の波乱の人生、というような事しか書かれていなかったが、私は、わけもなく、これだ、と思ったのである。それは、説明しようのない、勘のようなものだが、その勘に間違いはない、と私は信じて疑わなかった。
(中略)
後で聞いた話では、その翌日、大映と松竹から同じ申込みがあり、両社とも主人公の姿三四郎には、大スターを配役するから、という話だったそうだ。しかし、私にとって倖せな事に、富田氏の奥さんが、映画雑誌で、私の事を読んでいて、この人は有望らしいから、と富田氏に私を推薦してくれた」(「蝦蟇の油 自伝のようなもの」より)

とまあ、黒澤明が「姿三四郎」を初監督作品にと希い、当時所属していた映画会社(東宝の前身である新興会社のPCL)に働きかけて原作権を入手する経緯には、いかにも世界の巨匠のデビューに相応しい神がかったところがありますが――そのフィルモグラフィを知った上で言えば、黒澤明の映画作家としての最良の資質である、何より観客を楽しませてやろうというエンターテイナーの才をお披露目するのにこれほど相応しい素材はなかったし、また逆に黒澤明ほど、このアクション満載のドラマを映画化するのに相応しい監督はいなかったとも思います。

黒澤明は「姿三四郎」のシナリオ化にあたって、原作では柔道と同じくらいの比重で筆が費やされていた、欧化主義と国粋主義が激しくせめぎ合う、明治という時代が薫るエピソードのすべてをばっさり削ぎ落としています。登場人物もまた、ある意味乙美以上に三四郎と交わり、その人生を翻弄し続ける西欧かぶれの権化のような貴族令嬢や、ひょんなことから交流が生まれる国粋主義の政治家、あるいは三四郎を慕う掏摸師といった、柔道と直接関わりのない人物たちを潔く切り捨てて、三四郎の柔道修行に焦点を絞った、淀みなく流れる一本の太い川のような、間然するところがないシナリオを仕立て上げています。

そうして黒澤監督は、"このデビュー作にはすべてがつまっている"と自ら述べている通り、おそらく助監督時代から頭の引き出しに溜め込んでいたのであろう、のちの作品において定番ともなっていく作劇のアイデアや工夫のあれこれを、この初監督作の中に、惜しげもなく注ぎ込んでいきます。


単刀直入なオープニング、流れるようなドラマ展開

れから始まるドラマのお膳立てを、工夫を凝らしたオープニングの映像で手際よく説明し、もったいぶらずにすっと本筋の軌道に乗ったかと思うと、あとは畳みかけるようにエピソードを紡いでいく、単刀直入な立ち上がりとテンポの良いドラマ展開は、たとえば「野良犬」(1949)、「羅生門」(1950)、「七人の侍」(1954)、「悪い奴ほどよく眠る」(1960)、「用心棒」(1961)、「椿三十郎」(1962)、「生きる」(1963)といった、何度も繰り返し観たくなる黒澤作品に共通する美点です。そして「姿三四郎」の導入部にもまた、そんな観る者を一気に映画の世界に引き込む強い磁力が備わっています。

「姿三四郎」のオープニングは、瓦屋根の日本家屋と洋館が並び建つ往来を和洋折衷にもほどがある身なりの人々が行き交う、明治の街頭風景。文明開化の風物をこれでもかと詰め込んだ、まるで歴史教科書の挿絵のような情景を、スケール感のあるオープンセット(たぶん)で展開し、映画の時代背景を一目瞭然で描破しています。前述の通り、原作にあった時代とリンクするエピソードがすっかり省かれているにもかかわらず、いかにも明治を描いた映画を観た気になる「姿三四郎」の余韻は、この、ほんの数十秒にも満たない、オープニングの画力によるところが大きい。

ところでクライマックスの決闘直前、右京が原で源之助を待つ三四郎が、空に向かって放歌している場面があります。歌は、明治10年の西南戦争を歌った民謡、「田原坂」。これも、映画の時代を描く工夫の一つだったと思われますが――「姿三四郎」の時代、「田原坂」はまだ生まれていなかったか、少なくとも今の歌詞のかたちをなしてなかったようです(参考:くまもと県民交流館パレアホームページ 「西南の役の悲劇を伝える哀歌「田原坂」」)。黒澤映画らしからぬ時代考証のミスか、それともわかっていてあえてそうしたのか...

...また話が逸れました。さて、往来を捉えていたカメラがすっと路地に入り込むと、そこにはわらべうたを歌いながら子守をしている少女たちがいて、ここでようやく、カメラのレンズが実は、主人公である姿三四郎の目線だったことがわかります。このときの、少女たちに話しかける三四郎の笑顔が惚れ惚れするほど天真爛漫で、つまり黒澤監督は、主人公の人となりを、この一カットでもって、あらかた説明しきってしまいます。

そうしてここから先、ドラマは心明活殺流柔術を掲げる門馬三郎(稲葉義男)への三四郎の入門志願、門馬一派による矢野正五郎(大河内傳次郎)襲撃、門馬一派を返り討ちにした矢野への三四郎の弟子入り、さらには三四郎の柔道修行の日々を省略法ですっ飛ばし、果ては己の強さに慢心した三四郎が、師に諫められて蓮池に飛び込み、一晩中水に浸かってもがき苦しむうち、ようやく自らの愚を悟り、反省して出直しを誓うまでを、よどみなく流れる水のように、一気呵成に描いていきます。

かくしてドラマの背景説明と主人公の紹介が終わり、続いて宿命のライバル(とヒロイン)登場となるわけですが、前述の通り「短縮版」では、このパートの核となるエピソードがすっぱり抜け落ちてしまっており(代わりにテキストによる説明が挟まっている)、無惨にも、ここでドラマの流れがばっさり寸断されてしまいます(つまり、「短縮版」で我を忘れて映像の世界に没入できるのは、このあたりまで)。


原作の描写を超える「姿三四郎」の演出

て、この映画の屈指の名場面と言えば、やはりなんといっても、矢野が門馬一派の柔術家たちをちぎっては投げする闇夜の運河端の対決と、烈風吹きすさぶ芒原で繰り広げられる、三四郎と源之助のクライマックスの決闘でしょう。これらはいずれもそっくりそのまま原作にあるエピソードですが、黒澤監督は、映画ならではの描法によって、原作のテキストが読み手の頭に喚起しうるイメージを、最良の絵面に仕立て上げています。

試みに、矢野が七人の柔術家の闇討ちにあう場面の原作とシナリオ、そして映画を比べてみると――。

「矢野正五郎をのせた人力俥ががらがらと轍の音をさせて、瓦斯灯の青い光芒のなかにちらりと俥体を浮かせてから橋を渡り切ろうとした時、先陣を承った根本が殺気そのもののような黒い弾丸となって体を丸めて飛び出した。「ひえーっ」俥夫が悲鳴を上げて前にのめった。はずみのついていた膝頭をぽんと蹴られただけだったが、そのまま、梶棒のなかに胸を伏せるような格好で前に倒れると、俥はぐらりと一つ揺れて横倒しになった。と見る、前のめりに俥から放り出された矢野正五郎は倒れた俥夫の背中に軽く右手を当てて宙に一つ返ると、いつか、すっくと瓦斯灯の光の中に立っていた。めがね橋を渡る時から、すでに殺気を感じていたのだろう。着ていた五つ紋の羽二重の羽織を目にもとまらぬ速さで脱ぐと、倒れた人力俥の車輪の上にふわりと投げて、仙台平の袴の股立ちをとっていた」(原作より)

この一節が、どう脚色されたかといえば、

「人力車は轍の音をとどろかせて橋を渡り終ると、こちらへ向きをかえて、ぐんぐん近づいて来る。じっと、目をすえている一同。先陣を承った根本、殺気そのもののようになって、体を丸めて飛び出す。「ひぇーッ」当て身を喰って車夫が悲鳴を上げて前へのめる。車はぐらりと一つ揺れて横倒しになる。と見る、前のめりに車からほうり出された矢野正五郎は、倒れた車夫の背中にかるく右手を当てて宙に一つ返ると、いつかすっくと地面に突立っている。着ていた羽織を眼にもとまらぬ速さで脱ぐと、倒れた人力車の車輪の上にふわりと投げて、仙薹平の袴の股立ちをとる」(シナリオより)

とまあ、シナリオはほぼ原作そのままといってよく、ではこのシナリオがどう映像化されたかといえば、これまたほとんどシナリオ通りとしか言いようがないわけですが(ただし人力車は横倒しにならない)――しかし、誂えたかのような素晴らしいロケーション(知多半島・半田)を後景に、すべてのアクションが流麗な一筆書きのごとくつながっていく映像の躍動感、そしてメリハリの効いた静と動のリズムが生み出す緊張感には、まさに文字では書きあらわせない、映画ならではのカタルシスがあります。

「姿三四郎」のイラスト(大河内傳次郎)

たとえば、車夫が当て身を食らった一刹那、大河内傳次郎演じる矢野が、人力車から軽業師のようにポーンと飛び出す呼吸の鮮やかさとキレのある動き(一回観ただけでは、その凄さに気づかなかったくらいに素早い)。羽織を脱ぎ、往来の真ん中から運河の端へすたすた歩みながら戦闘態勢を整える矢野の姿を、やや俯瞰のアングルから捉えた構図の斬新さ。門馬一派の柔術家たちが一人、また一人と矢野に挑んでは投げられ、投げられては挑んでいくアクションの緩急のリズムや、矢野が柔術家を運河に投げ込んだ後、勢い余って自らも水に落ちそうになりながら、おっとっととたたらを踏んでぐっと堪える映像に巧まずして宿る、卓越したストリート・ファイトのリアリティ(DVDのオーディオコメンタリーによれば、大河内傳次郎はこの後、踏ん張り切れずに水に落ちたという)。そして、矢野に組み伏せられた門馬が、解放されたあとで不貞腐れたように胡坐を組んで地べたに座り込む、メリハリの効いた終息感。

アクロバティックでリアリズムに満ちた近代映画のアクション演出と編集、そしてカンフー映画をはじめとすると体技に優れたアクション俳優の動きを見慣れた目にも、この場面の鮮やかさは際立っていて、のちの「用心棒」や「椿三十郎」において、三船敏郎演じる三十郎が、一息に大勢の敵を切り伏せてみせる、流れるような立ち回りの原点を見る思いがします。

以前、黒澤明がシナリオを書き、谷口千吉がメガホンを取った「銀嶺の果て」(1947)を観終わって、これほど魅力的な着想とプロット、配役の映画が、なぜそれほど面白くなかったのだろう、と首を捻ってしまったことがあります。映画の出来栄えは脚本次第だとか、配役次第だとか言われますが、結局のところ、最後は監督の演出にかかっているのだなあという、当たり前といえば当たり前のことを思わずにはいられません。


全作品の中でも一、二を争う、最高のロケ撮影

澤映画のトレードマークの一つに、激しい自然現象の演出があります。たとえば「野良犬」や「羅生門」、「七人の侍」、「八月の狂詩曲」(1991)といった作品の空の底が抜けたような土砂降りや、「用心棒」で砂埃を巻き上げて吹き荒れるからっ風が、それ。

そして「姿三四郎」のクライマックスにおける、広大な芒原(箱根・仙石原)で三四郎と源之助が対決する場面に吹きすさぶ風は、まさにその嚆矢――というより、びゅうびゅうと鳴る烈風に芒の海がわさわさと波打ち、対峙した三四郎と源之助の頭上をコマ落としとしか見えない(しかしコマ落としではない)スピードでちぎれ雲が駆けてゆく、まるで天を味方につけたかのようなドキュメンタルな映像は、それが人工的に作られたものではないリアルな自然現象なだけに、黒澤映画の中でも一、二を争う最高のロケ撮影、といっていいかもしれません。

原作は、このクライマックスの情景をこう描写しています。

「右京が原は月の光の下に、海底の重い青さをたたえて模糊として静まっていた」(原作より)

そう、原作では大風などちっとも吹いていなかったのですが、黒澤明はこの場面を次のように脚色しています。

「氷のような月光と、獣の様に空を駈けるちぎれ雲と、咆える様な風の唸り声に囲まれて三四郎は黙然と立っている」(シナリオより)

そして実際の映像はといえば、まさにシナリオ通りの絵面というほかなく、その嘘みたいな再現力のすさまじさに感服しきりなわけですが――実はもともとこの場面は、スタジオ撮影の予定だったそう。しかし、セットのあまりのちゃちさに失敗を確信した黒澤監督が会社と交渉し、三日間限りで箱根のロケ撮影を許可されたものの、現地ではちっとも風が吹かず、すっかり諦めかけていたところに、最後の最後でとんでもない大風が吹いた――のだそうです(「蝦蟇の油 自伝のようなもの」より)。

とまあ、ここにもまた一つ、デビュー作にまつわる神がかったエピソードがあるわけですが、のちの作品における、黒澤監督の凄まじい自然現象の演出へのこだわりは、この、「姿三四郎」のクライマックスに吹き荒れた風の記憶を追い求めていたのではないか――と言ったら、いくらなんでも穿ち過ぎでしょうか。


時間を自在に伸縮させる黒澤マジック

蜘蛛巣城」(1957)の冒頭、主人公の武将たちが森の中で真っ白な霧に巻かれて道に迷い、右へ左へと何度も馬を走らせる場面があります。これを初めて観たときは、驚いたというか、激しく戸惑ってしまったものです。なぜならその右往左往が、いったいいつまで続くんだという、観ていていら立ちを覚えずにはいられないほど、執拗なものだったからです。

このように、黒澤映画にはときどき、普通であればあっさり流して終わるはずのカットや場面に常識はずれの時間をかけることによって、観る者を落ち着かない気持ちにさせ、登場人物たちの感情を疑似体験させる、意表を突いた演出があります。「椿三十郎」のクライマックスで、三十郎と室戸半兵衛が、互いにピクリとも動かず対峙するカットの息が詰まるほどの長い間は、もう一つの例。これもまた、初めて観たときは、秒刻みで級数的に膨らんでいく途轍もない緊迫感に、映画にはこんな描法があるのか!と衝撃を受けてしまったものです。

また「野良犬」において、拳銃を掏られた主人公の刑事が、延々15分以上にわたって犯人の手掛かりを追い求めて東京の街をさまよい歩くドキュメンタルな映像の壮大なコラージュは、この描法を最大のスケールで展開したもの、といっていいかもしれません。

そして、デビュー作である「姿三四郎」にも、同様の工夫が施されたカットがあります。それが、三四郎と門馬の試合が決着した直後、「ぎゃーっ」と一声叫んだ門馬の娘のお澄(花井蘭子)が、父を投げ殺した三四郎にひたと目を据え、瞬きもせずにじっと見つめ続けるクローズアップ。なんと、20秒以上も続きます。怒りを湛えるでもなく、悲しみを浮かべるでもない、強いて言えば恨めしさを滲ませた、まばたきもしなければ、表情筋をピクリとも動かさないお澄の顔を眺めているうちに湧き上がってくる、いたたまれなさに思わず目をそらしたくなる感情は、つまり、このときの三四郎が感じているそれでしょう。

またこのカットの直前では、ハイスピード撮影によって時間の流れを遅くして、映像の衝撃を倍加させる技法が使われています。三四郎に投げ飛ばされ、羽目板に叩き付けられた門馬がぴくりともせずに横たわるその上に、衝撃で外れた欄間の障子が音もなく落ちてくる映像が、それです。観るものの網膜にアクションの残像を鮮やかに刻みつける、その美しいスローモーションは、のちの「七人の侍」における、富農の納屋で勘兵衛に成敗された物取りや、破れ寺で久蔵に斬られた侍が、一瞬後、ゆっくりと無音で地面に倒れる(しかし、どうと倒れる音が頭の中で確かに聴こえる気がする)場面に使われたのとまったく同じものです。

また一方で、「姿三四郎」には、時間をぐっと圧縮する技法も使われています。そのひとつは、闇討ちを退けた矢野に惹かれ、その場で弟子入りした三四郎が、それからめきめき強くなっていく日々を、修行風景を一切見せることなく、彼が往来に脱ぎ捨てた下駄に託して、ほんの45秒足らずに省略して描いてみせた場面。脱ぎ捨てられた下駄が、行き交う人に揉まれ、雨に打たれ、子犬に咥えられて振り回され、雪に降られ、桜が散る川に浮かび、そうして流れに乗って画面から消えていったかと思うと季節は夏になっていて、往来ではすっかり強くなったらしい三四郎が、祭りの見物客たちを相手に、大立ち回りを演じています。

もう一つが、三四郎と小夜が知り合い、やがて口を聞くようになり、そのうち互いに憎からず思うようになるまでの日々を、舞台を神社(横浜・浅間神社)の石段に限定し、二人が同じ場所で何度も出遭うカットを重ねることによって描いた、黒澤映画にはめずらしい、爽やかなラブ・シーン。

「姿三四郎」のイラスト(轟夕起子)

さらには映画の終盤、村井の家を訪れた源之助が、そこに村井と小夜とともに夕餉の膳を囲んで談笑する三四郎を見つけ、憮然として立ち尽くす場面と、びゅうびゅう風が唸る右京が原で源之助を待ちながら、三四郎がひとり空に向かって声を張り上げて歌う場面を、三四郎の部屋の文机に置かれた、源之助からの果たし状を映したスタティックなカットでつないだ、鮮やかな場面転換。

本作の続編である「續姿三四郎」にも、入門したての少年が修行を重ねるごとに次第に自信をつけていく様子をオーバー・ラップで描いた見事な場面がありますが、この手の洗練された省略法や技巧的なカットのつなぎは、粘っこく理屈っぽい、何かといえばこれでもかとばかりにしつこく描いてみせる黒澤映画では、あまりお目にかかった記憶のないものです。サイレント映画の残り香というか、どこか借り物的な匂いがするというか、この先黒澤映画のタッチが確立されていく中で、積極的に使われることがなくなっていった技法であるように思います(のちの作品で、ぱっと思いつくものとしては、「影武者」(1980)において、クライマックスの合戦場面を丸ごと省いてしまうという、とんでもなく大胆な省略がありましたが、そもそも合戦場面のスペクタクルを期待していたこともあり、それが成功しているとはとても思えませんでした)。


格闘技のリアリティをめぐって

澤監督は、原作の持ち味である、格闘描写のリアリズムを映像に転化すべく、様々な工夫を試みています。

たとえば、三四郎と村井が対決する場面における、達人同士の先手と後手をめぐる気の駆け引きを、組み合った二人が技を仕掛けることなく、ただ延々と畳の上をすり足で動く様子によって表現しようとした演出。あるいは掛け声一閃、三四郎に投げ飛ばされた門馬が空中をぶっ飛んでいく、三四郎の技の凄まじさを表現しようとしたカット。そして前述の通り、道場の羽目板に叩きつけられた門馬の頭上に欄間の障子が落下するところを、ハイスピード撮影で捉えた映像。

三四郎と村井の攻防は、その妙に協力的でぎこちないにもほどがある足運びが、現代映画を見慣れた目にはチークダンスかスローワルツでも踊っているようにしか見えず、その狙いはよくわかるものの――正直なところ、とても成功しているとはいいがたいところがあります。

たとえば「七人の侍」における宮口精二の太刀さばきや足運びが、剣道の経験がまったくなかったにもかかわらず、まごうかたなき剣豪のように見えたのに比べ、この映画の藤田進や志村喬は、つぎの当たったぼろ雑巾みたいな道着をまとい、端然と構えているうちはいかにも百戦錬磨の柔術家のリアリティを感じさせながら、いざ試合が始まるとかたなしというか、刀を持たない生身ではごまかしようがないというか、残念ながらその肉体は、格闘技の達人のアートを表現しえていません(二人とも柔道経験者で、さらに撮影前に高段者の特訓を受けていたようですが(「全集 黒澤明 第一巻」所収の黒澤明の随筆「「姿三四郎」の七つの格闘場面」より))。

また、三四郎に投げられた門馬が空中をぶっ飛んでいく場面や、村井がざっと5、6mばかりも投げ飛ばれる場面のつなぎは、一昔前の特撮ヒーローモノによくあった子供騙しの編集そのもので、これが世界の黒澤明の映像か、という悲しさがあります。

とまあ、「姿三四郎」の格闘描写は、原作のリアリズムを映像化し得ていないどころか、狙いが過ぎたぶんだけ大きく外れ、現代の鑑賞者の目にはかなりつらいところがあるのですが(ヘンに遠くに投げ飛ばすことにこだわらず、ただ普通に足元に投げ落としておけば、たとえ技のキレが今一つでも、まだリアリティがあったと思う)、そんな中で、前述の運河端の闇討ちの場面と、クライマックスの右京が原の決闘場面だけは、見違えるほど素晴らしい。なぜなら本物の運河に投げ落とされ、水しぶきをあげる柔術家たちのダイナミックな映像が、あるいは吹きすさぶ風にちぎれ雲が走る自然の驚異を捉えた映像の迫力が、畳の上の闘いではごまかしようのなかった、肉体のリアリズムの不足を補って余りあるものだからです。ロケーションの勝利、と言っていいのではないでしょうか。


いまだ失われたままの映像について

述の通り、いま観ることのできる最良の「姿三四郎」は「最長版」ですが、それでもまだ、6分ほどの映像が失われたままです。この欠落した映像を補うために、映画には、以下のようなキャプションが差し挟まれています。

「三四郎はまだ若い この門馬の娘の出現に全くしどろもどろになる その夜 冷たく月光が流れ込んだ本堂で 正五郎が三四郎につける猛稽古 ふぬけのようになった三四郎は まるで木偶のように投げられる しかし投げられては立ち 投げられては飛びついて行くうち 三四郎は正気をとりもどして来る 師正五郎の無言の訓戒に 三四郎は嗚咽しながら立ち直る そして 再び明るい朝が来る」

やや長くなりますが、この、矢野が三四郎に活を入れる場面のシナリオを引用してみます。

「月光のさし込んだ大広間。稽古着に着替えた、矢野と三四郎が、その大広間の中央に向かい合って立っている。二人の影が長く畳の上に伸びている。ややあって、矢野が、「今の醜態はなんだ。わしが居なければお前は門馬の娘に殺されておる」
三四郎キッと面を上げる。
「姿!お前は柔道の信念を忘れたのか」
「いいえ、先生!」
「うそをつけ!信念をもって戦った者が何故悩む」
「然し先生、人間には憐憫の情があります」
「理想をつらぬく為には心を鬼にせねばならぬ場合もある・・・・・・この矢野を柔術派の総帥と思って来い!」
三四郎、動かぬ。
矢野「何故来ぬ・・・・・・何故私が柔術という名前を柔道と代えたか、小乗的な術という羈絆から道という大乗の世界に生きんが為だ!来い!」
三四郎、矢野にとびかかってゆく。三四郎、投げられる。すぐさま飛び起きて、二人もつれながら横に流れる。
矢野「我々の理想は、己を捨てて殉忠報国の念に徹すること・・・・・・ただ一つ」
電光一閃、矢野の右足が飛んで、眼の覚める様な小内刈。投げ出される三四郎。
矢野「来い、姿!その理想は、柔術と戦った勝利の実力で伸ばす外はないのだ」
とびかかってゆく三四郎。もつれ合う二人。
矢野「いいか、姿!柔道と柔術の組打の中からほんとの日本武道が生まれてくる」
豪快な釣込腰。二人もつれあったまま、ドウと倒れる。裂帛の気合と共に、窓からさし込む月光を全身にあびて攻防の秘術を尽くす二ツの影」
(シナリオより)

とまあ、このくだりには、単に三四郎の成長の苦しみだけでなく、矢野と三四郎の絆の強さと師弟愛、そして三四郎が青春を賭けている柔道とはいったい何であるのかという、ドラマに奥行きをもたらす、欠かすことのできない重要な要素が描かれていたことがわかります。畳の上での格闘であるだけに、それが果たしてどれほど説得力のある映像であったのか、正直あやしいところですが、いずれにしてもこの部分の映像が欠落しているぶんだけ、きっちり「最長版」の完成度も欠けてしまっていると言えます。

またシナリオを読むと、この場面のあとに、三四郎が猫の動きを見て、技のヒントを見つける様子が描かれています。これは、村井との試合で投げられた三四郎が、空中でくるりと身をひるがえして着地する場面の伏線となるもので、もしこの映像があれば、三四郎と村井の試合描写の印象もまた、少しは違ったものになるのかもしれません。

ロシアでフィルムの断片が見つかり、「最長版」が編まれたように、この失われた最後の部分がどこかで発見され、「姿三四郎」の完全版を観ることのできる日がいつか来ることを期待しています。つい最近読んだ熊井啓の評伝「ぶれない男」(西村雄一郎著)に、「白痴」(1951)の完全版(4時間26分)が、この日本のどこかに確かに現存していることを確信できる記述があって、胸が躍りました。戦時中の作品である「姿三四郎」に、「白痴」のようなかたちでフィルムが残されている可能性はまずないでしょうが、それでも「白痴」と「姿三四郎」の完全版を観ることは、映画を観ることに関する私の最大の夢といっていいものです。



おまけ:「續姿三四郎」について

作の続編である「續姿三四郎」は、本作と同様、目をみはる映像の多い映画ですが、それでもいまひとつ味気ないのは、本作にはあった情感が、決定的に不足しているせいです。格闘場面の繰り返しで単調なドラマになりかねない、「姿三四郎」という映画に奥行きとうるおいを与えていたのは、村井の娘の小夜(原作では乙美)や、門馬の娘のお澄の存在でした。ところが「續姿三四郎」には、この二人に当たる人物が存在しません。

原作において、「續姿三四郎」のパートに当たる「すぱあらの章」から「一空の章」にかけての物語にコクを生んでいたのは、映画では省かれてしまった、貴族令嬢の高子という人物です。乙美の存在が、三四郎と村井、そして源之助の関係を立体的なものにしていたように、高子の存在は、三四郎とアメリカ人ボクサーの間にリング外の因縁を作り出し、また乙見の異母兄弟として、三四郎と乙美の進展しない中だるみの関係に、新たな緊張感を生み出していました。そんな、人間関係の鍵を握る人物が不在のまま、「續姿三四郎」のドラマが進まざるを得なかったのは、前作「姿三四郎」から、柔道以外の夾雑物を排した脚色の副作用というべきものでしょう。

黒澤明は、この作品を自ら評して「これはもう二番煎じみたいで、僕としてはどうも気乗りがしなかった」と述べていますが(DVD附属の冊子より)、監督のそんなモチベーションの低さに関係なく、そもそも「姿三四郎」の完璧とも思える脚本が完成した時点で、「續姿三四郎」は平板な映画となる運命だったのかもしれません。


姿三四郎 (英語名: Sanshiro Sugata
公開: 1943年
監督: 黒澤明
脚本: 黒澤明
原作: 富田常雄(「姿三四郎」)
出演: 大河内傳次郎/藤田進/月形龍之介/轟夕起子/志村喬/花井蘭子/菅井一郎/小杉義男/青山杉作/高堂国典/河野秋武/清川荘司
音楽: 鈴木静一
撮影: 三村明
編集: 後藤敏男


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[C1185] 映画化の件は

『姿三四郎』が面白いことは認めますが、その映画化の件は、明らかに変です。富田常雄の奥さんは映画マニアだったのでしょうか。なぜなら当時、黒澤明は無名の助監督に過ぎなかったからです。
私は、黒澤明が黒澤勇氏の息子と知り、許可したというのが本当だと思うのです。黒澤勇氏は、日本体育会(現在の体協とは無関係で、あえて言えば日体大の祖先になります)の創設に参加し、様々な体育イベントを実施するなどしていていたので、富田常雄氏とは知り合いだったからだと思うのです。
『蝦蟇の油』の後半は、なぜか黒澤勇氏のことが出てきません。その理由は、黒澤勇氏が会の「経理問題」で、日本体育会を首になってしまったことがあると思うのです。どうも黒澤明は、この父親のことをよく思っていなかったようにも思えるのです。
さらに、『悪い奴ほどよく眠る』は、この父親が体育会を首になったことがヒントのように思えるのです。

[C1190] >さすらい日乗さん

コメントありがとうございます、そしてしばらくブログをチェックしていなかったためご返事が遅くなってしまい、失礼いたしました。
「富田常雄の奥さんは映画マニアだったのか、、、」、なるほど鋭い洞察ですね!当時は映画がいま以上にメジャーな娯楽だっただろうから、富田常雄の奥さんが映画雑誌に載っていたシナリオを読んで黒澤明の名前を記憶していたくらいはフツーにありうるかな、と深く考えずに思いこんでいましたが、確かにおかしいかもしれませんね。そしてもしおっしゃる通りだったとしたら、そのような経緯は自伝には書きたくなかったでしょうね。。
いずれにしても、原作権入手の経緯がいかなるものであろうと、さすらい日乗さんもお認めになる作品の面白さに変わりはないと思います。
  • 2018-08-28 08:10
  • Mardigras
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