「姿三四郎」を訪ねて

「姿三四郎」のイラスト(藤田進と月形龍之介)

て、ブログがすっかりロケ地めぐりの「蔵出しシリーズ」と化していますが、今から3年前の秋から冬にかけて、黒澤明の監督デビュー作、「姿三四郎」(1943)のロケ地をめぐり歩いてきましたので、その時のことを書こうと思います。

明治時代の柔道草創期、「柔の道」に人生をかける青年、姿三四郎の活躍を描いた「姿三四郎」は、なんといってもロケ撮影が素晴らしい作品です。スケール感のあるロケーションや大掛かりなオープンセットといえば、のちの黒澤映画に共通する特長といっていいものですが、それもみな、この処女作が嚆矢。いやそれどころか、姿三四郎と宿命のライバル、檜垣源之助の決闘を描いた箱根の仙石原で撮影されたクライマックスの映像は、全三十作を数える黒澤作品の中でも至高といっていい、まるで天地自然すらも味方につけたかのような、神がかったところがあります。

このあたりのことは以前、「姿三四郎」の記事に書いたので繰り返しませんが、畳の上での柔道場面がいずれもいまひとつリアリティに欠ける「姿三四郎」にあって、その格闘映画としての魅力のほとんどは、このロケ撮影に負っている、といっても差し支えないんじゃないでしょうか。


知多半島・半田を訪ねて

画の冒頭、柔術で身を立てることを志し上京してきた青年、姿三四郎(藤田進)は、心明活殺流を掲げる柔術道場に入門します。その夜、道場主の門馬三郎(稲葉義男)と門弟一党は、「柔術」を「柔道」と呼び変え、日増しに名声を高めつつあった修道館(実際は講道館)の創始者、矢野正五郎(大河内傳次郎)に天誅を加えるべく、運河端で闇討ちをかけます。ところがかえって返り討ちにされ、そしてその一部始終を見ていた姿青年はすっかり矢野正五郎に心酔してしまい、その場で弟子入りを志願します。

とまあ、こうしてドラマの幕が開くわけですが、この闇討ちの舞台となった、下町の東雲(しののめ)運河に擬せられた撮影場所は、実は東京から遥か遠く離れた愛知県・知多半島にある半田運河。掘り割りの黒々とした水の向こうに黒板塀の建物が建ち並び、いかにも明治の東雲はこんな感じだったに違いない、という風情が映像に滲んでいます。果たして75年も昔に撮影された映画の面影が、いまなお残っているのかといえば、これがどうやら残っているらしい、ということをインターネットで知り、そうとなれば居てもたってもいられなくなり、暮れも押し迫った3年前の冬、クルマで訪ねてきました。

東京から知多半島までは、ざっと330km。途中、「姿三四郎」のもう一つのロケ地である箱根の仙谷原に寄り道したのち、夜になって半田に辿り着き、目的地からほど近いホテルに投宿。そして翌朝、仕事納めの気配が漂う人気の少ない市内を通り抜け、お目当ての半田運河へ。半田市の観光ガイドによれば、この運河は江戸時代、海運で栄えた半田から江戸へ、特産の酒や酢を運ぶのに利用されていたそうです。

路駐できる場所をみつけてクルマを降り、運河に架かる橋の上に立って眺めてみれば、思っていたよりも幅の広い河の両岸には、ミツカンのロゴマークがでかでかと描かれた黒板塀の蔵が建ち並び、ほかではお目にかかれない、一種独特の風景が広がっていました。それは、そう、まごうかたなき、大河内伝次郎が曲者たちを片っ端から運河に投げ飛ばしていた(そして勢い余って自分も落ちてしまったという)、「姿三四郎」のあの風景――。

半田運河01
「修道館の矢野正五郎である。人違いか、それとも闇討ちか」

なんだか明治か江戸時代にでもタイムスリップしたような蔵と運河の景色を眺めながら、あたりをしばし逍遥。運河端はコンクリート造りの堤で固められ、足元もアスファルトになってはいましたが、その基本的なランドスケープは75年前と変わりなく、映画の場面はここで撮影されたのだろうと思しき場所も、すぐに見当がつきました。

半田運河02
「名乗れ、素性を!」

運河の袂にはミツカンの本社ビルがあり、その隣にはミツカンミュージアムという博物館がありましたが、残念ながら休館日。というわけで運河の右岸から左岸へ、ゆっくりぐるっとひと回りしたところで、早くもやることがなくなってしまったのは、まあいつものロケ地めぐりのならい。もう二度とこの地に来ることはないのだろうと思いながら半田をあとにして、帰京する前にもう一か所、また別の映画のロケ地へと足を運んだのですが、そのときのことはいずれまた。


浅間神社を訪ねて

姿三四郎」は、黒澤映画の中では珍しく、若い男女のありふれたロマンスをてらいなく描いた映画です。ドラマの中盤、三四郎は矢野とともに訪れた神社で、真剣な面持ちで社前に額突く若い女性を見かけます。それから何度か神社を訪れるうちに三四郎はこの女性と口を聞くようになり、やがて互いにほのかな好意を抱き合うようになります。ところがその女性は、きたる警視庁武術大会で、三四郎が試合う予定の柔術家、村井半助(志村喬)の一人娘の小夜(轟由紀子)だった――とまあ、ひと昔もふた昔も前の恋愛ドラマにありがちなフォーマットが展開するわけですが、この神社のロケ地となったのが、横浜駅からほど近い、旧東海道と新横浜通りが交差する一角の小高い丘の上にある、浅間(せんげん)神社。

グーグルマップで調べてみると、近くにクルマを停められそうな場所を見つけるのが難しそうだったので、秋たけなわのとある日、サイクリングを兼ねて自転車で訪れてきました。私の住む東京西部の町から横浜までは、ざっと30km。自転車であればそれほど大した距離ではありませんが、いざ多摩川を越え、横浜に向かって南下しようとすると、多摩丘陵を手始めに丘を何度も上り下りしなくてはならず、覚悟してはいたものの、かなりつらい道のりでした(そして帰り道ではタイヤがパンクしてしまい、さんざんな目に遭った)。

夏が戻ってきたかのような陽気に汗だくになり、ようやく辿り着いた浅間神社の境内からは、横浜の街並みとランドマークタワーが見渡せました。ひと昔前は、きっとここから富士山もよく見えていたはずです。残念ながら社殿は戦時中に焼失して建て替えられており、映画よりも一回り小さく見えました。また石灯籠もその脇に立つ木も、映画当時はありませんでした。

浅間神社01
「いいものを見たな 姿。いい気持だ」

映画では、神社の脇の長い石段を登りきった三四郎と矢野正五郎が、社前に額づき一心不乱に祈る小夜の姿を目にし、その真剣な横顔に心打たれて参拝を控える場面があります。平成の今は石段の降り口の脇に保育園が建てられていて、映画のように石段から社殿を見通すことはできませんでした。それから月日を重ねる中で三四郎と小夜が何度かすれ違い、徐々に心を通わせていく舞台となった石段は、周囲を樹々に囲まれ見通しがきかなくなっており、登り口にあった木戸もなくなって、また中ほどで「く」の字に折れていたのが真っ直ぐに、幅も狭くなっていて、映画のそれとはかなり雰囲気が異なっていました。とはいえこれまで何度も観た映画のあの場面の階段に立っているのだと思うと、それなりに感慨深いものがありました。

浅間神社02
「僕がその姿三四郎です――お父さんの武運を祈ります!」


仙石原を訪ねて

して最後は映画のクライマックス、三四郎と宿敵・檜垣源之助(月形龍之介)の決闘の舞台となった箱根・仙石原のすすき野原。先に書いた通り、半田に向かう途中に立ち寄りました。決闘の舞台は、上野高崎藩・松平宇京亮(うきょうのすけ)の中屋敷跡で、右京が原(右京山)と呼ばれた小高い丘の原っぱという設定(現在の文京区本郷四丁目にある清和公園)。画面いっぱいに枯れすすきの原野が広がり、黒々とした山影の上空を凄い速さでちぎれ雲が流れていく映画の映像のスケールは凄すぎて、いくら明治の御代でもさすがにこんな場所が東京のはずないだろうってなもんですが、でもまあ、そんなことはどうでもいいくらい、この場面の自然の迫力はすさまじい。黒澤映画の数ある優れたロケ映像の中でも、屈指の名場面です。

仙石原01
「愚かな若者とお笑いください。ただこれは僕たちの宿命でした」

ドライブの途中にこの場所を通り過ぎたことは何度もありますが、わざわざ立ち寄るのは初めてのことでした。早くも暮れようとしている、人気のない、色味も少ない初冬のすすき野原の上空には小さな月がぽつりと浮かび、残念ながら映画のような大風がびゅうびゅう吹きすさぶようなことはありませんでしたが、枯れ草をがさがさかき分けながらあてどなく斜面を上へ上へと登っていくと、なんとはなしに白黒映画の世界に迷い込んだような気がしてきました。藤田進と月形龍之介がくんずほぐれず、こけつまろびつしながら投げられ絞められしていた場所は果たしてどのあたりだったか、たとえそれはわからずとも、人工物の何一つないこの場所には、そう、75年前の映画の空気が確かに残っていたのでした。

仙石原02
「まだだーっ!まだまだーっ!!」



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コメント

[C1219]

また新しいイラストとエッセイを期待しています

[C1220] Re: タイトルなし

ありがとうございます、なるべく早いうちにまた記事をアップさせていただきます!
  • 2022-11-09 02:18
  • Mardigras
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