総合格闘技のルーツのような映画

ロバート・クローズ監督、ブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」(1973)は、今観ると、カンフー映画というよりむしろ、"MMA(ミックスド・マーシャル・アーツ=総合格闘技)の原点"、と言いたくなるような映画です。
ポルトガル語で、バーリトゥード(何でもあり)とも称されていた総合格闘技は、ボクシングや空手、キックボクシングに代表される立ち技と、レスリングや柔道、柔術といった組技、投げ技、寝技の境界をなくすことによって、禁じ手を限りなく減らした、打(殴る、蹴る)、投(倒す)、極(押さえ込む、関節を極める)のあらゆる技術を駆使して優劣を競う、究極ともいわれる格闘技のジャンルです。
総合格闘技のメジャーな大会が初めて開催されたのは、1993年。米国で行われた、UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)の第1回大会がそれです。さまざまな格闘技のバック・グラウンドを持った格闘家が参加するトーナメント方式で行われ、ブラジリアン柔術という組技系格闘技の黒帯選手、ホイス・グレイシーが、優勝を飾っています。
総合格闘技はその後、独自の技術体系が急速に進化するとともに、競技人口が増大していきます。日本でも、元プロレスラーの佐山聡が創設したシューティング(現・修斗)の選手や一部のプロレスラーなど、参戦者が徐々に増加、やがて、大小さまざまなイベントが立て続けに開催されるようになり、大晦日には毎年、紅白歌合戦の裏番組として総合格闘技の大会がオンエアされるようになるなど、一種のブームとなりました。
2年ほど前、国内最大のプロモーションだったPRIDEが消滅し、一時に比べて人気は下火になりましたが、それでも最近、北京オリンピック柔道重量級金メダリストの石井慧が総合格闘家への転向を発表し、大きな話題となりました。総合格闘技は格闘技のいちジャンルとして、日本でもすっかり定着した感があります。
いまだMMAの先を行く、「燃えよドラゴン」の先進性
さて、前置きがすっかり長くなってしまいましたが、「燃えよドラゴン」の公開は、1973年。UFC第1回大会から遡ること、実に二十年前です。
映画のオープニングファイトで、ブルース・リーは、黒のショートタイツに上半身裸という出で立ちで、指が自由に動く薄手のグローブを嵌め、居並ぶ少林寺の高僧の前で、もう一人の格闘家(無名時代のサモ・ハン・キンポー)と御前試合を行います。この、ほんの1分にも満たない試合の展開が、まるで、現在の総合格闘技の試合を観ているかのよう。
この場面に限り、ブルース・リーは、あとあとのファイトシーンで披露するような、見栄えのいい大技を、一切使いません。最短距離を狙った直線的なパンチとキックで相手を崩し、足を掴んで投げ、払い腰で倒したあと、グラウンドの状態で、肩と腕の関節を極めてみせます。
相手がタップし、秒殺で終わる、その愛想のない試合風景は、現在の総合格闘技シーンにおいて馴染み深いものであり、また試合に臨む彼の姿格好は、そのまま現在のリング(あるいはケージ)に登場して、何ら違和感のないものです。また、ブルース・リーがその手に嵌めている、彼自身が考案したグローブは、いまやオープン・フィンガー・グローブと呼ばれ、総合格闘技の試合における、スタンダードとなっているものでもあります。
「燃えよドラゴン」において、ブルース・リーは、主演と同時に、作品全般の武術指導を担当しています。ドラマの終盤、腕十字固めという関節技を極められた格闘家が、相手の足に噛みついて脱出し、グランドの状態から相手を蹴り上げ、さらに急所蹴りを決めて勝つ、という場面があります。
総合格闘技において、腕十字は、完全に決まったら逃げるのが難しい、決定力のある決め技です。またグランド状態からの蹴り上げは、総合格闘技において、ここ数年のトレンド技だったりします。しかし言うまでもなく、殺し合いではない"競技"において、噛みつきや急所蹴りは、禁止行為です。
ゆえに総合格闘技において、このような脱出や勝ち方はあり得ないわけですが――命のかかった真剣勝負においては、腕十字も決まり手にはなり得ず(噛みつけば活路が開ける)、また身も蓋もない急所攻撃こそが必殺である――ということを、この場面は、シミュレートしてみせているかのようです。このあたりに、現在の総合格闘技の概念さえも凌ぐ、単なるアクション俳優を超えた、格闘家としてのブルース・リーの思想の凄味と先進性を、感じずにはいられません。
個々の格闘場面のみならず、ドラマの設定自体もまた、現在の総合格闘技のイベントを彷彿とさせます。香港の裏社会を支配する麻薬王(シー・キエン)が、世界中の武道家を集めてトーナメントを開催し、誰が最も強いかを決めるという、その目的と観る側の関心は、そっくりそのまま、現在行われている総合格闘技のイベントコンセプトそのものです。中でも、アブダビ首長国の王子が自費で世界の強豪を招待し、トーナメント形式で御前試合をさせる、アブダビ・コンバットという大会(ただし打撃のない組技系の大会)など、その発想は、「燃えよドラゴン」の麻薬王そのまんま、と言っていいでしょう。
現代の格闘技シーンにおいて、その最先端にあるといっていい総合格闘技のコンセプトや闘い方が、今から35年も昔に作られた「燃えよドラゴン」に、ほぼそっくりそのまま描かれていることに、改めて驚かされます。いや、ブルース・リーに憧れ格闘技を始めたと公言する格闘家の多いことを思えば、むしろ彼の存在と彼の映画こそが、総合格闘技という競技の誕生と発展、そして総合格闘家と呼ばれるファイターたちの意識に大きな影響を与えてきた、と言うべきなのかもしれません。
「燃えよドラゴン」に込められた、ブルース・リーの格闘哲学
「燃えよドラゴン」は、ほんの五作(「死亡の塔」(1981)は含めない)を遺して急逝したブルース・リーの集大成ともいうべき作品です。格闘家として、俳優になる前から米国に道場を持ち、截拳道(ジークンドー)という、自らの格闘流派を創設したブルース・リーにとって、「燃えよドラゴン」で見せたアクションは、おそらく彼が標榜する闘いのスタイルを、そのまま表現したものです。
そして「燃えよドラゴン」は、アクションのみならず、彼の挌闘家としての哲学を、ことばで披露している、唯一の作品でもあります。
「ドラゴン危機一発」(1971)、「ドラゴン怒りの鉄拳」(1971)、「ドラゴンへの道」(1972)そして「死亡遊戯」(1978)。遺された主演作がこれだけであるがゆえ、いずれも珠玉と思える作品ばかりですが、その中でも「燃えよドラゴン」が一際輝いてみえるのは、そこにアクション俳優ではない、卓越した格闘家としてのブルース・リーの思想が垣間見えるからです。
映画の冒頭、ブルース・リーは、彼の師匠である少林寺の高僧と、禅問答めいたやりとりを交わします(日本公開時のバージョンではカットされていたが、DVDのディレクターズカット版で観ることができる)。
「お前の技能は肉体的なものだけではない。何より非凡な洞察力がある。そこで聞こう。究極の技とは何だ?」
(即答して)「"技"を持たぬことです」
「よろしい。では敵の前で何を考える?」
「"敵"などいないと考えます」
「それはなぜだ?」
「"私"が存在しないからです...優れた格闘家とは、緊張せずに準備を整えているものです。無心になっても虚ろにはなりません。何事にも対処ができます。相手が押せば引き、引いたら押す。好機が訪れても、"私"が攻撃することはない。ただ流れに従うまでです」
さらに、彼自身の弟子である少年に稽古をつけながら、こんな会話を交わします。
「蹴ってみろ」
回し蹴りの型をみせる少年。
「何だそれは?見世物か?"気"が込められていないぞ。精神を集中しろ」
怖い顔をして、少年がもう一度トライします。
「"気"を込めろと言ったのだ。怒りを込めろと言ったのではないぞ。もう一度やってみろ」
気を溜め、蹴ってみせる少年。ブルース・リーはにっこり笑い、満足そうに云います。
「そうだ、何か感じたか?」
「え~と...」
少年が思わず考え込むと、ブルース・リーは、その頭をはたきます。
「考えるな。感じろ!月を指差すようなものだ」
と、中天の月を指差すブルース・リー。見上げる少年。
「指先に意識を集中してしまうと、彼方の栄光を掴み損なうぞ」
* * *
さて、ブルース・リーが何を云ってるか、わかりますか?
私には、さっぱりわかりません。たとえば、「イージー・ライダー」(1969)のトリップシーンが理解できないように、格闘技経験のない私に、この場面は、難解で不可解です。いうまでもなく、これは、単なる映画用のレトリックやエピグラムではなく、格闘家としてのブルース・リー自身の内奥から滲み出た、正真正銘の格闘哲学でしょう。実際の格闘家が、これらのセリフを聞いてどんなことを感じるのか、機会があったらぜひ、尋ねてみたいものです。
「燃えよドラゴン」のクライマックスとその元ネタについて
クライマックスでの、ブルース・リーと鉄の爪を嵌めた麻薬王との対決は、数あるカンフー映画の中でも、屈指といっていい名場面でしょう。無数に張りめぐらされた鏡の部屋で繰り広げられる闘いは、技の凄味や、肉弾相打つ凄まじさはないにせよ、めまぐるしく交差する実像と虚像が強烈なサスペンスとスリルを生み出し、単なるカンフーファイトでは味わうことのできない、異様な緊迫感を醸し出しています。
この、鏡の部屋というアイデア、何かの本に、「燃えよドラゴン」がオリジナルではなく、元ネタとなった映画があると書かれていました。かねがね、その元ネタの映画を観たいと思っているのですが、肝心の映画名を忘れてしまいました。確か、アクション映画ではなかったはずです...
(2009.11.21追記)
WOWOWで、オーソン・ウェルズが監督した「上海から来た女」(1947)という、ノワール風味のスリラーを観ました。正直、スリラーとしては凡庸で、当時のサンフランシスコのチャイナタウンの映像が、物珍しくて面白かった程度。はっきりいって、途中から眠くて仕方なかったのですが、終盤、主人公が、遊園地のマジック・ハウスに逃げ込む場面で、ハッと目が覚めました。あれっ、もしかして!?
そう、「燃えよドラゴン」の元ネタは、これだったのです。オリジナルの鏡の間の映像は、呆気ないほど短いものでしたが、そこには病的な、一種異様な奇怪さが漂っていて、何か見てはいけないものを見てしまったような衝撃がありました。さすが、オーソン・ウェルズ!
「燃えよドラゴン」にまつわる思い出
「燃えよドラゴン」を初めて観たのは、小学校の高学年になるかならないかくらいの頃だったと思います(むろん映画館ではなく、テレビ)。ブルース・リーに対する私の第一印象は、その、滅多やたらと人が死ぬストーリーともあいまって、かっこいいというよりむしろ、怖いとか、不気味だとか、どちらかといえば、後じさりしてしまうものでした。
怪鳥音と呼ばれる奇声(アチョー!というやつ)、敵にとどめを刺すときの、眉をへの字に歪めた奇妙な表情、あるいはいかにも痛そうなヌンチャクで、人をバコバコ撲ってまわったり、要するに、子供にとっては、すべてがおっかないものに見えたということでしょう。ラロ・シフリンのテーマ曲とオープニングの映像もまた、そんな恐ろしさを煽っていたもののひとつ。怪鳥音の混じるテーマ曲に乗って、九龍の街の上空すれすれに飛んでくる旅客機。無数のジャンク船が浮かぶ、吹き溜まりのような香港仔(アバディーン)。この映画のオープニングを観ると、小学生の頃のドキドキした気持ちが、今でも甦ってきます。
映画の後半、ボロという、麻薬王の用心棒が登場します。演じているのは、香港のアクション俳優、ヤン・スエ。この人、当時放映中だった「Gメン'75」の香港ロケ(定期的にやっていた)にゲスト出演していて、その筋肉の化物のような体格といい、ぶっとい唇の凶相といい、トラウマになるくらい、怖かった覚えがあります。主に、この「燃えよドラゴン」と「Gメン'75」のせいで、私の頭の中には、香港というところはやたら恐ろしくていかがわしい場所、というイメージが刷り込まれてしまったため、いまだ、香港を訪れようと思ったことすらありません。
* * *
中学生になり、本格的にカンフー映画が好きになりはじめた頃、既にこの世を去っていたブルース・リーは(そもそも「燃えよドラゴン」の公開時には、もう亡くなっていた)、もはや私にって気味の悪い人ではなく、伝説の存在――カンフー映画ファンとして、畏敬の念を抱いて仰ぎ見る存在――となっていました。
一方、当時の私がリアル・タイムで夢中になっていたのは、そう、ジャッキー・チェン。ブルース・リーが、その主演作のすべてにおいて、冒頭からカンフーの達人として登場し、無類の強さを発揮していたのに比べ、ジャッキー・チェンの役柄はたいてい、どこにでもいる怠け者の青年が、修行を積んで強くなっていく、というものでした。そして、そのコミカルな持ち味ともあいまって、近寄りがたいオーラを放っていたブルース・リーよりも、遥かに親しみを感じる存在でした。要するに、ジャッキー・チェンは、ハナから鬼のように強いブルース・リーとは異なり、オレも修行さえすれば強くなれるんじゃないか、と、いたいけな少年たちを勘違いさせる、等身大のヒーローでした。
やがて、時を経ずして、ジャッキー・チェンの大ブームが日本列島を襲い、中学時代の私はご多分に漏れず、その波に、どっぷりと浸かっていきます。そして、そんなジャッキー・チェンの影響力が、いかに罪作りなものだったのかといえば、それはまた、稿を改めて(「スパルタンX」(1984)の記事参照)。
燃えよドラゴン(原題: Enter The Dragon)
製作国 : 米国
公開: 1973年
監督: ロバート・クローズ
製作: フレッド・ワイントローブ/ポール・ヘラー
脚本: マイケル・アリン
出演: ブルース・リー /ジョン・サクソン/シー・キエン/アンジェラ・マオイン/ヤン・スエ
音楽: ラロ・シフリン
撮影: ギルバート・ハッブス
武術指導: ブルース・リー
編集: カート・ハーシュラー/ジョー・ウッターズ
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管理人: mardigras

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