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引き裂かれたカーテン
マイ・ファースト・ヒッチコック
こ
のブログを始めよう思い立ったとき、漠然と、ネタバレなしの映画紹介をしてみたい...なんてことを考えていたのですが、これがなかなかむずかしい。というより、ほとんど不可能。ふと気がつけば、当初の目論見はどこへやら、必要以上にネタを割りまくった記事を書き散らかしています。
で、今回ご紹介の作品が、アルフレッド・ヒッチコックの
「引き裂かれたカーテン」
(1966)なのですが、なにせサスペンス、さすがにネタばらしに抵抗があり、よし今度こそネタバレなしの記事を、と気負ってはみたものの、しかしそんな縛りがあっては、しょせん私ごときではな~んも書けない、ということを、改めてというか、つくづくというか、いざ書き始めてみて、イヤというほど思い知らされました。というわけで、結局、思いっきりネタを割った記事に書き直してしまいましたので、未見の方は、どうぞくれぐれも、ご注意のほど――。
「引き裂かれたカーテン」の思い出
「
引き裂かれたカーテン」は、ヒッチコック通算五十本目の監督作品です。タイトルにある"カーテン"とは、第二次世界大戦後、ベルリンの壁崩壊(1989年)まで続いた東西冷戦時代における、いわゆる
"鉄のカーテン"
のこと。「引き裂かれたカーテン」は、世界が資本主義陣営と共産主義陣営に分かれ、政治的、軍事的に対峙していた時代のスパイ・スリラーです。
この映画、公開当時の批評は散々で、また客の入りも芳しくなかったようです。設定やプロットに無理があり、ドラマの途中でいきなり視点が変わって流れがぎくしゃくしたりもして、ヒッチコック全盛期のノリにノリまくった作品群に比べると、確かに一枚落ちるかもしれません。とはいえこの映画、私にとっては、数あるヒッチコック映画の中のモスト・フェバリット。なぜなら小学生の頃にテレビで観て、あまりのスリルに気が遠くなるほど、ハラハラドキドキさせられた原体験があるからです。むろん当時、ヒッチコックなんて名も知らず、作品名すらも意識していなかったのですが、いくつかの見せ場の断片的なイメージが強烈に頭にこびりついて、その後も、あのときの面白かった映画、あれはいったい何という作品だったんだろう...と、時々思い出していたものです。
そんなヒッチコックをヒッチコックとして認識するようになったのは、確か高校生の頃、淀川長治が解説を務めていた日曜洋画劇場で、"秋のヒッチコック特集"(だったかな?)と題する、ヒッチコック作品の四週連続放映を観てからのこと。それはもう、毎回次週が待ち遠しくなる、今思い出してみても、うっとりするような一カ月で、以来、すっかりヒッチコックの虜になってしまいました(
「めまい」
の記事参照)。
そしてそれからしばらくして、私が予備校生だった頃、新宿のどこかの映画館でリバイバル上映していたのが、「引き裂かれたカーテン」。初鑑賞のつもりで足を運んだのですが、映画が始まってしばらくしてから、あっと思いました。ああ、あのときの面白かった映画は、これだったのか...と。
本作が作られた60年代半ばといえば、キューバ危機を経て、米ソ間で危機回避のための政治対話が始められていた、しかしそのウラで、熾烈な核開発と軍拡競争が繰り広げられていた、いわゆる冷戦時代。そんな時代背景の知識を持たない小学生の私が、この映画のストーリーを理解できたはずもないのですが、しかし、そんなことはお構いなしに頭に焼き付いた、スリルとサスペンスに満ちあふれたいくつかの場面――。そのインパクトは再見してもまったく色褪せておらず、それこそ子どもの頃と同じように、手に汗握ってスクリーンに釘付けとなってしまったものです。
まあ、何度も観たからこそ、ようやく気づいたことではありますが、前述のとおり「引き裂かれたカーテン」は、設定とプロットに無理のある作品です。とはいえ後から振り返ってみれば、そもそもたいていのヒッチコック作品には無理があるのであって、しかしあまりに強烈なスリルとサスペンスの目眩ましに、観ているあいだはそんな不自然さがこれっぽっちも気にならない――というのが、(少なくとも私にとっての)ヒッチコックの凄みとありがた味だったりします。そして「引き裂かれたカーテン」もまた、そんじょそこらの映画では到底味わえない、切れ味鋭いスリルとサスペンスのマジックを釣瓶打ち、とまではいかないまでも、そこかしこで披露してくれている作品です。
私がこの映画を偏愛する理由、それはつまるところ、ヒッチコックの洗礼を受けたのがたまたまこれだったからで、もし最初に観たのが別の作品だったなら、それが、私のもっともお気に入りのヒッチコック映画となっていたかもしれません。
「引き裂かれたカーテン」のあらすじ(以下ネタバレ)
ド
ラマの主人公は、米国の宇宙物理学の第一人者、マイケル・アームストロング(ポール・ニューマン)。マイケルは、国際会議に出席するという名目で、アシスタントであり婚約者でもあるセイラ(ジュリー・アンドリュース)を連れ、大勢の科学者たちとともに、デンマークのコペンハーゲンを訪れます。しかしマイケルには、セイラも知らない極秘の任務がありました。それは、東ドイツに擬装亡命し、東側の核ミサイル研究の権威、リンツ博士(ルドウィグ・ドナス)に接触を図り、彼の頭の中にしか存在しない、新型核ミサイル開発の鍵となる方程式を盗み出すこと。
コペンハーゲンに到着したマイケルは、急遽、国際会議をキャンセルし、セイラに、スウェーデンのストックホルムに行かなくてはならなくなったと告げます。しかし、セイラはひょんなことから、本当の行き先が東独の東ベルリンであると知り、心配のあまり、彼の搭乗する旅客機に密かに乗り込んでしまいます。やがて、東ベルリンに到着した彼らを待ち受けていたのは、西側の有力科学者の亡命を歓迎する、東側メディアの大放列。セイラが尾いてきたことを知ったマイケルは驚き、困惑しますが、セイラもまたショックのあまり、マイケルを売国奴となじります。
翌日、セイラをホテルに残し、マイケルはスパイ組織の連絡員と密会するため、郊外のとある農場を訪れます。と、そこに現われたのは、密かに彼を尾行してきた秘密警察の"世話係"、グロメク(ヴォルフガング・キーリング)。グロメクに正体を見抜かれ、マイケルは窮地に陥りますが、隙を突き、格闘の末、彼を殺害してしまいます。
何食わぬ顔でホテルに戻ったマイケルは、その翌日、ようやくリンツ博士との対面を果たします。しかし、当局ではそろそろグロメクの失踪が問題になり始めていました。危機が身近に迫ったことを察したマイケルは、ようやくセイラに真実を打ち明けると、目的の達成如何にかかわらず、翌日、東独を脱出すると告げます。
脱出当日の朝、マイケルは、リンツ博士と二人きりになる機会を得ると、機転を利かせ、タイム・リミットぎりぎりで方程式を訊き出すことに成功します。スパイ組織の手引きによって、マイケルとセイラは街を脱出しますが、ちょうどその頃、農場でグロメク殺害の証拠が発見されていました。国境はまだ遙か先、追っ手の執拗な追跡をかわし、果たして二人は無事、"鉄のカーテン"を越えて、西側へと戻ってくることができるのか――。
「引き裂かれたカーテン」の三種混合サスペンス
「
引き裂かれたカーテン」は、ざっくり分けると、三つのパートから成り立っています。そしてその各パートには、それぞれ異なる趣向のスリルとサスペンスが凝らされています。
第一幕: 主人公をめぐる疑惑
まずは、マイケルが東ドイツに(擬装)亡命し、そして彼の真の目的が明らかになるまでの第一幕。冒頭、コペンハーゲンへ向かう船上で、マイケルはいずこからか、一通の電報を受け取ります。しかし、彼はそのことをセイラに隠し、またコペンハーゲン到着後も怪しい行動を重ね、彼女に強い不信感を抱かせます。この間、ドラマはセイラの視点で進むため、私たち観客にもマイケルの意図と行動が読めず、そこにサスペンスが生まれるという趣向――なのですが、しかし"スター"であるポール・ニューマン演じるマイケルが悪者("売国奴")でないことは見え見えといえば見え見えで、サスペンスの高度はそれほど高いものではありません。とはいえこのパート、いかにも古きよき時代(=冷戦終了以前)の"エスピオナージュ"の気分が漂っていて、その雰囲気がとても微笑ましいというか、好ましい。
第二幕: 殺人とタイム・リミット
そして、マイケルの亡命が擬装であったことが明らかになる第二幕(マイケルが農場へと赴くあたりから、ドラマの視点がセイラからマイケルへと切り替り、ここでようやく、私たち観客にマイケルの目的が明らかになるのですが、その後もしばらく、セイラだけはひとり、蚊帳の外に置かれ続けます)。
この第二幕には、本作の白眉といっていい、ほとんどホラーまがいのショッキングな殺人シーンがあります。そして、マイケルの正体が露見するのが先か、はたまたリンツから新型核ミサイルの方程式を聞き出すのが先か、の"タイム・リミット・サスペンス"が描かれます。
時限サスペンスの手馴れた描写もさることながら、やはりなんといっても、農場で、マイケルが心ならずもグロメクを殺害してしまう場面が凄まじい。ヒッチコック映画の数ある殺人描写の中でも、
「サイコ」
(1960)や
「ダイヤルMを廻せ!」
(1954)に匹敵する、まさにヒッチコックの面目躍如ともいうべき殺人場面です。"恐怖のエッセンス"がこれでもかとばかりに詰め込まれ、それらの要素が複合的に絡み合い、コワさの度合いを級数的に膨らませている、その描写がいったいいかなるものかといえば――
怖さのエッセンス その1:
グロメクが本性を剥き出し、マイケルを脅かしながら拳で腹を"ぼんぼんと小突く"のがコワい
――唐突に振るわれる暴力の恐怖。スピーディーなカット割りが煽る緊張感。そしてその先に待ち受ける、さらに残酷な暴力の予兆
怖さのエッセンス その2:
そんなグロメクに、"ただのおばさん"が"出刃包丁"を突き立てるのがコワい
――殺人からもっとも縁遠くみえる人物が、包丁を握りしめながら、思いつめた表情で近づいてくる恐怖。そしてありふれた日用品が、まがまがしい凶器に変貌する恐怖
怖さのエッセンス その3:
グロメクの首に突き刺さった出刃包丁が"ポキリと折れ、刃が刺さったまま"になっているのがコワい
――痛みに対する本能的な恐怖。そして折れた刃が首に刺さったままのビジュアルに対する、ほとんど説明不能の生理的な恐怖
怖さのエッセンス その4:
にもかかわらず、グロメクが"ぜんぜんくたばらない"のがコワい
――
「ターミネーター」
(1984)に感じるのと同じ恐怖
怖さのエッセンス その5:
そんなグロメクの頭を押さえつけ、"オーブンに突っ込んでガス栓を捻る"のがコワい
――これまた日常的なモノが凶器となる恐怖。そしてオーブンの中に頭が突っ込まれた男を俯瞰で捉えた映像のおぞましさ
怖さのエッセンス その6:
それでもまだ"足をバタつかせている"グロメクがコワい
――ゴキブリのしぶとさに感じる恐怖...でしょうか
さらには、格闘の物音が外にいるタクシーの運転手に聞こえてはまずい、というシチュエーションがサスペンスを増幅させて、グロメクはいったいいつになったらくたばるのか、と何度観ても息が詰まりそうになります。
ちなみに農場を訪れたマイケルが、農家の軒先の地面に、靴先で
"π"
という文字を描いてみせるのですが、再見したときに、あっ、これはあのときの映画だ、とはっきり思い出したのが、この場面を観たときでした。この、映画の中でスパイ同士の符牒として使われる"π"、いかにも思わせぶりですが、実はほとんど意味がなくて(別にαでもβでもγでもかまわない)、再見したときは、拍子抜けしてしまったものです(いわゆるマクガフィンというやつですね)。とはいえ小学生の目には、見慣れないギリシア文字がやたらとミステリアスに見えて、もうそれだけで、ぞくぞくしてしまったのでしょう。
第三幕: 脱出劇
そして終幕、首尾よく新型核ミサイルの秘密を入手したマイケルとセイラが、スパイ組織に助けられ、国外へと脱出を図る逃亡劇。ここから先はもう、まさにジェット・コースターのスリル。これぞヒッチコックという、息も吐かせぬハラハラドキドキの連続で、寄せては返す緊張と弛緩の大波に、観ているこっちもへとへとになってしまいます。中でも擬装された乗り合いバスのエピソードは、一難去ってまた一難、と畳み掛けるような演出で、ホント素晴らしい。
"緊張が長すぎると観客が疲れてしまうので、スリルの合間にふと肩の力が抜けるようなユーモアを挟むのがコツ"、とヒッチコックは述べています(DVD収録のメイキングより)。確かにこの脱出劇の合間にも、ユーモアらしきものがところどころに顔を覗かせますが、しかし観ている最中は、そんなユーモアが、単なる焦らしとしか感じられなかったりもして、むしろ緊張の連続に差し挟まれた"ユーモア"は、かえってスリルとストレスを増加させる、と言いたくなります。
「引き裂かれたカーテン」のキャスティングと登場人物たち
米
国を代表する宇宙物理学者、マイケル・アームストロング教授を演じているのは、ポール・ニューマン。そしてその助手、セイラ・シャーマン博士を演じているのが、ジュリー・アンドリュース。二人のキャスティングが当時、いかに意表を突いたものだったのかは、その出演作をいろいろ観た今となってみれば、なるほど強く肯けるところです。
ヒッチコックを称揚してやまないフランソワ・トリュフォーが、ヒッチコックの全作品について、ヒッチコック自身に長時間にわたってインタビューした内容をまとめた、
「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」
という重厚長大な本があります(私が高校生だったときに3,000円近くしましたが、本屋の本棚の前で何日も逡巡した挙句、思い切って買ってしまいました)。ヒッチコックはこのインタビューの中で、ポール・ニューマンの(アクターズ・スタジオ仕込みの)思い入れたっぷりの演技が気に食わず、あれはミス・キャストだった、と発言しています。しかし、私の目に映るポール・ニューマンは、カジュアルな佇まいの中にインテリジェンスを感じさせて、いかにもアメリカのアカデミック・サークルにいそうな行動派の物理学者の雰囲気を、うまく醸し出していたように思います。むしろ、一方のジュリー・アンドリュースが、情感過多でまったく学者に見えなかったりするのですが、しかしいずれにしても、"スター"である彼らの存在が生み出す華やかさもまた、私にとってはこの映画(に限らずヒッチコック映画)の大きな魅力のひとつだったりします。
ドラマの舞台が東ドイツに移ると、アクの強い人物が何人も登場します。まずはなんといっても、マイケルに殺される運命の"世話係"、グロメク。この男、かつてニューヨークに住んでいたことがあるという設定で、東欧訛りの英語をしゃべります。いつも人を見下しているかのような冷笑を浮かべ、ガムをくちゃくちゃ噛みながら、アメリカ時代の思い出や、自分のしゃべる英語が正しいかどうかなどと、四六時中、粘っこい口調でぺちゃくちゃとマイケルに話しかけます。二人目が、核ミサイルの権威、リンツ博士。四角四面の規則を毛嫌いするエキセントリックな老人で、自分のVIP度をよくわかっていてわがまま言いたい放題なのですが、ざっくばらんで愛嬌があって、どこか憎めないところのある人物。そして三人目が、逃亡劇の終盤に登場し、マイケルとセイラを脅迫する、ポーランド人のクチンスカ夫人(リラ・ケドローヴァ)。東側から脱出してアメリカへ行くことを夢みている、滑稽な、しかし哀れで痛々しい老婦人です。
ヒッチコックは、従来のスパイ映画において無機質に描かれがちだった東側の人間を、同じ血の通った人間として描きたかったと述べていますが(DVD収録のメイキングより)、この三人をはじめとする登場人物たちのキャラはみな鮮やかに立っていて、その目論見は、見事に成功しているといっていいでしょう。
ヒッチコック映画の"リアリティ"
ロ
ケ嫌いで知られるヒッチコックですが、「引き裂かれたカーテン」もまた、その例に漏れません。そもそも冷戦時代に撮られた作品であり、仮に"鉄のカーテン"の向こう側でロケ撮影したくとも難しかったでしょうが、いずれにしてもマット・ペインティングとスクリーン・プロセスが多用され、一目でスタジオ・セットとわかる、いかにもセットらしいセットのオンパレードです(ただし、スクリーン・プロセスに投影される街の風景は、実際に現地で撮影されている(「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」より)。
映画に対する個人的な好みでいえば、スタジオよりもオープン・セット、あるいはロケ撮影の方が、よりリアリティと臨場感が感じられて(そして映画の舞台となる国や場所の風景、風俗を見る楽しみもあって)、だんぜん好みですが、しかしヒッチコック作品だけは、なぜかそのセットくささがあまり気になりません。むしろ、一目でそれとわかる合成の映像や書割にしか見えない背景が、ヒッチコック・テイストに欠かせない味であるようにさえ思え、たとえばクルマに乗った登場人物たちの後ろにスクリーン・プロセスに投影された車外の景色が動くお馴染みの映像を観ると、そこにヒッチコックらしさを感じて嬉しくなったりするから不思議です。
オモシロ映画を山ほど作っておきながら、
「たかが映画じゃないか」
(
「山羊座のもとに」
(1949)の演出方法をめぐってイングリッド・バーグマンと議論になったときの発言(「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」より))などといかにも職人めいた(そしてヒッチコックだから許されるような)ことを言ってのけるヒッチコックには、背景が書割だとか合成だとか、そんなことに関係なく、演出の力で観客にサスペンスとスリルを存分に味わせてやるという、強い自信と自負があったのだと思います。繰り返しますが、ヒッチコック映画は、その映像のリアリティが多少欠落していようとも(露骨に作り物だとわかったとしても)、あるいはその設定やプロットに無理があったとしても、そんなこと、観ている間はまったく気になりません。それがなぜかといえば、結局のところ、ヒッチコックの演出が観客の心の中に生み出すナマのエモーション――緊張と恐怖が、あからさまなセットやドラマの無理を凌駕して、お釣りがくるほどリアルなものだからでしょう。
* * *
1989年、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ両国の大統領によって、冷戦の終結が宣言されました。当時学生だった私は、ドイツの人々が狂喜しながら壁にハンマーを振るう光景を、アパートのテレビでひとり興奮しながら眺めたていたことを覚えています。あ、時代が変わるんだ、と、本来目に見えないはずの歴史の節目が、これほどクリアに見えた気がするのは、このときとそれから十二年後、米国同時多発テロのときくらいです。思えばゴルバチョフがペレストロイカを掲げて大統領に就任したのが1985年。新宿の映画館で「引き裂かれたカーテン」を観たちょうどその頃、この映画の世界は既に終わり始めていたのだなぁと思うと、感慨深いものがあります。ベルリンの壁が打ち崩されるのを見たとき、東西の軸で分けられた世界の片一方の住人のひとりとして、雲間からさっと陽の光が差し込んできたような、未来に対する明るい予感を感じたものですが、しかしあれから二十年近く経った今日、世界を取り巻く情勢は、あのとき漠然と心に思い浮かべたものとは、かなり違ったものであるような...
引き裂かれたカーテン
(原題:
Torn Curtain
)
製作国 : 米国
公開: 1966年
監督: アルフレッド・ヒッチコック
製作: アルフレッド・ヒッチコック
脚本: ブライアン・ムーア
出演: ポール・ニューマン/ジュリー・アンドリュース/リラ・ケドローヴァ
音楽: ジョン・アディソン
撮影: ジョン・F・ウォーレン
編集: バッド・ホフマン
@
2008-12-22
コメント : 13
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[
C
31
] マイ・ファースト・ヒッチコック ♪
私が一番最初に見たのは確か サイコ
だったと思います。
怖いんだけど(実は怖いの苦手)
目がくぎ付けでした。
ヒッチコック作品はどれもいいですね ♪
甲乙つけがたいです。
ところで 本当に
セットでもちっとも気にならないですね。
むしろ、ヒッチコックテイストに仕上がっています。 ♪
あの
Mardigrasさんは本当に素人さんなのですか?
そのあたりの関係のお仕事でもなく??
凄いですね。
本当素敵なイラストです。♪
また楽しみにしています。
お体 お大事に。
2008-12-22 22:42
whitypearl
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編集
[
C
32
] ”映画”との恋愛
実は、わたし、”映画好き”を自称しながらも、
一部の”王道的”監督や作品、俳優などと縁の薄いタチのようで、ヒッチコックもその一人ですが(笑)、
Mardigrasさんの、ヒッチコックへの熱愛ぶりが、伝わってきます。
記憶に残ってて尚且つ最初から最後まで観たのは、
「裏窓」、「めまい」ぐらい。
あとは、テレビなどであるシーンだけ見かけるぐらいで、
ちゃんと最初から最後まで観れてないんですよね。
とはいえ、ヒッチコックがサスペンス・スリラーの巨匠であることは、なんとなく納得しちゃっているんですが。
(たぶん、受け売りではなく、断片的にではあっても自分が触れた辺りで。)
気になる相手ではありながら、自分から電話をかけてデートに誘うところまではなかなか進展しない相手です(笑)。
ヒッチコックのセットへの執着について触れられている辺りの記事を読んで、ふと思ったのは、
確かに、ヒッチコック作品を貫いているムードというか、
私が感じているイメージって、
狭義の”密室劇”ではないのでしょうが、
なにか、すべて密室的なところで繰り広げられているドラマという感じがあるようです。
ロケの方がリアルだとか、そんな不満は感じたことはあまりないんですが、
私の密室恐怖症的な感覚に、なにかヒッチコックの作品て、良くも悪くも触れてくる感じがあるみたいです。
ポール・ニューマン主演というのは、魅力的ですね。
確かに、ヒッチコックとニューマンというのは、
意外な感じします。
アクターズ・スタジオの主宰者リー・ストラスバーグに、「あれだけ美男でなかったら、もっともっと俳優として評価されていただろうに・・・」と評されたことがあるというニューマンですが、
ポール・ニューマンがミス・キャストだったというヒッチコックの発言には、
なんとなく、”相性の問題”という言葉は浮かんできますね。
ヒッチコックは、俳優に対等に意見を言わせるようなタイプの監督には感じないという単なる私のイメージかもしれませんが、耳栓や目隠しをさせた上で俳優を手のひらの中で自在に操るような、そんなスタイルの監督だとしたら、確かに、ニューマンは易々と手のひらに乗っかるタイプの俳優ではなかったのかな・・・と。
とはいえ、
縁が薄い割には、ヒッチコックのどこかサディスティックな俳優扱いのイメージには、どこか魅せられている私です。。。
2008-12-23 14:07
シネマで現実逃避
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[
C
33
] >whitypearlさん
サイコがいちばんはじめのヒッチコックですか...それはちょっとうらやましい。私、実は観る前にサイコのオチを知ってしまったのです。よりによってサイコ(泣)...
イラストは正真正銘の素人なんですよ。仕事はぜんぜん関係ない分野です。ですので、自分で見ても?というイラストもあるのですが...どうぞ温かい目で見てやってください(笑)。
正直、ブログ始める前はこんなの載せていいのかなと思ってたので、褒めていただけるとうれしくなって、ついついブログに費やす時間が長くなってしまいます(笑)。
2008-12-23 20:07
Mardigras
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[
C
34
] >シネマで現実逃避さん
わかります、おっしゃること。
少し違うのですが、私の場合、メジャーどころでいうとゴダールあたりがちょっと、、、という感じだったのですが、思うところあって、あるとき名のある作品をまとめて観てみたことがあります...で、結果はというと、、、気になる相手をこっちから電話してデートに誘ったくせに、やっぱり気が合わないことがわかった(むずかしくて理解できなかった)というか(笑)。
セット撮影のせいで、ヒッチコックの映画に密室劇っぽいテイストが感じられる、というのはするどいかもしれませんね。サスペンスが強烈なせいもありますが、たしかに観ていて息が詰まるような気がします(笑)。
シネマで現実逃避さんがおっしゃるとおり、ヒッチコックは撮り始める前からすべてのシーンが頭の中でビジュアル化されていて、俳優の動き方、しゃべり方まですべてイメージが決まっていたそうです(これも「映画術」に書いてありました)。「めまい」のジェームズ・スチュアートは、目線の上げ下げの回数、タイミングまで、すべて監督の指示通りだったそうです。キム・ノヴァクもあれこれ意見を出すタイプだったそうで、本の中で、ニューマンのときと同じように不満をもらしていました。映画で水に飛び込んでいたノヴァクは泳げなかったそうで、確かにサディスティックな人かもしれません(笑)。
2008-12-23 20:37
Mardigras
URL
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[
C
35
] また コメントしてしまいました(笑)♪
コメントせずにはいられなかったので、、、
サイコ のおちを 先に知ってしまったなんて、、、
ショックですね、、、
シネマで現実逃避 さん
素晴らしいコメントですね。そのコメント返しも。
面白かったです ♪
ちなみに めまい も大好きなんですよ。
女だけど綺麗な女優に弱いんです。
キム・ノヴァク そうなんですか?
良かった。見たあとで知って ♪
なんだかヒッチコック作品を久々に
観たくなりました。 また来ます ♪
本当イラスト素敵ですよ。
2008-12-23 23:48
whitypearl
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[
C
36
] whitypearlさん
実は次、「めまい」の予定です。しかもイラストはキム・ノヴァク(笑)。。。
2008-12-23 23:57
Mardigras
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[
C
37
] ほんじゃ、私も♪
whitypearlさん、
恐縮です。(^^ヾ
こんなかたちでコメントを褒められたのは、初めてです。
whitypearlさんのブログへも、ちょこちょこ寄らせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
Mardigrasさん、
数少ない逢瀬にしては、妙にヒッチコックにはイメージが出来てしまっているようで、
書き込みながらも、全然違うかも。。。と思いながらだったのですが、
言わんとする処は、充分、読み取って頂けた様でありがたいです。
ゴダールの一件、ウケました。(笑)
あるんですよねー。ああいうの。
Mardigrasさんにとってのゴダールは、たぶん私の場合、ジム・ヴェンダース。
失敗だったデートも、映画好きにとっては結構いい想い出ですよね。
『めまい』期待してますね。
2008-12-24 06:39
シネマで現実逃避
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[
C
38
] 汗
ジム・ヴェンダースじゃなく、ヴィム・ヴェンダースでしたね。(汗)
2008-12-24 08:40
シネマで現実逃避
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[
C
39
] >シネマで現実逃避さん
そうですね、おっしゃるとおり、けっこういい思い出かもしれません。
時間をおいてあとで観かえしたら、今度は面白く感じられるようなる作品もあったりするんですよね。ゴダールは、またしばらくしたらまたあらためて観てみたいと思ってるんです。
2008-12-24 08:55
Mardigras
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[
C
572
] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-04-23 14:21
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[
C
573
] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-04-23 17:31
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[
C
574
] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-04-24 06:57
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2010-05-04 22:22
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椿三十郎
七人の侍
用心棒
ツィゴイネルワイゼン
遙かなる山の呼び声
復讐するは我にあり
砂の女
男はつらいよ 寅次郎恋歌
男はつらいよ 寅次郎忘れな草
男はつらいよ 寅次郎相合い傘
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
武蔵野夫人
仁義なき戦い
麻雀放浪記
幸福の黄色いハンカチ
悪魔の手毬唄
夜叉
丹下左膳餘話 百萬兩の壺
姿三四郎
劔岳 点の記
影武者
洋画の紹介
第三の男
ブレードランナー
ゴッドファーザーPARTII
羊たちの沈黙
ミッドナイト・ラン
スカーフェイス
ビッグ・ウェンズデー
ゴッドファーザー
駅馬車
荒野の決闘
ダンス・ウィズ・ウルブズ
燃えよドラゴン
スパルタンX
ターミネーター2
パルプ・フィクション
アパートの鍵貸します
引き裂かれたカーテン
めまい
夜の大捜査線
地獄の黙示録 特別完全版
サンセット大通り
モーターサイクル・ダイアリーズ
8 1/2
真夜中のカーボーイ
スティング
プラトーン
ダイ・ハード
赤ちゃんに乾杯!
太陽がいっぱい
マルホランド・ドライブ
薔薇の名前
リバー・ランズ・スルー・イット
ルートヴィヒ
M★A★S★H マッシュ
バック・トゥ・ザ・フューチャー
タクシードライバー
エンゼル・ハート
バグダッド・カフェ 完全版
未来世紀ブラジル
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だったと思います。
怖いんだけど(実は怖いの苦手)
目がくぎ付けでした。
ヒッチコック作品はどれもいいですね ♪
甲乙つけがたいです。
ところで 本当に
セットでもちっとも気にならないですね。
むしろ、ヒッチコックテイストに仕上がっています。 ♪
あの
Mardigrasさんは本当に素人さんなのですか?
そのあたりの関係のお仕事でもなく??
凄いですね。
本当素敵なイラストです。♪
また楽しみにしています。
お体 お大事に。