薔薇の名前

異形だらけの異形の迷宮
「薔薇の名前」のイラスト(ショーン・コネリー)

ャン=ジャック・アノー監督、ショーン・コネリー主演の仏伊西独合作映画、「薔薇の名前」(1986)。予備校生のとき、新宿のミニシアター、シネマスクエアとうきゅうで観たのですが、この映画、確かここだけの単館上映だったはずです。当時はちょうど、古今東西の推理小説を片っ端から読み漁っていた時期で、そんなときにどこで目にしたか(たぶん「ぴあ」あたり)、「薔薇の名前」が本格ミステリであると知り、これを観なきゃ何を観る?と、予備校をサボって観に行ったのでした。

魅惑的な時代設定、陸の孤島のような舞台、名探偵と助手とそのライバルに、有象無象の怪しい登場人物たち。連続する血腥い殺人事件(しかも見立て殺人)、レッド・へリング(偽の手がかり)、さらには謎めいた暗号に異形の迷宮。そして名探偵の推理によってすべてのナゾが解き明かされる、カタルシスに満ちたクライマックス。

とまあ、果たして「薔薇の名前」は、本格モノと聞いて頭に浮かぶガジェットがこれでもかとばかりに詰め込まれた、オレこの手のミステリにはちょっとうるさいよ、と思っていた当時の私の期待を遙かに超える、ガチガチの本格ミステリ映画だったのでした。


本格モノのお約束に則ったドラマ(「薔薇の名前」のあらすじ)

語の舞台は、異端審問の嵐が吹き荒れる14世紀の北イタリア。主人公は、過去に異端審問官を務め、また異端者を庇ったとして自らも裁きを受け投獄された経験を持つ、フランチェスコ修道会の修道士、バスカヴィルのウィリアム。

教会による財産所有の是非をめぐる論争(いわゆる"キリストの清貧"論争)によって宗派間の対立が深刻化し、また神聖ローマ帝国の皇帝とアヴィニョンの教皇のあいだで世俗権利をめぐる緊張が高まる中、皇帝の密命を受けたウィリアムは、教皇側使節団とフランチェスコ修道会のデタント(緊張緩和)を目的とした会談を調停すべく、見習い修道士のメルクのアドソを伴い、北イタリアの人里離れた山間に聳え建つある修道院を訪れます。ところが、そんな二人を待ち受けていたかのように、陸の孤島のような修道院で凄惨な連続殺人事件が発生します。

薔薇の名前」のイラスト(クリスチャン・スレーター)

修道院に到着したウィリアムは、修道院長から、数日前に若い写本絵師が塔から転落死したことを知らされ、その真相究明を依頼されます。アリストテレスを信奉する頭脳明晰の誉れ高いウィリアムは、"論理的推理"によって、写本絵師の死が自殺であったことを突き止めますが、しかしその翌朝、正真正銘の殺人事件が発生します。被害者は、ギリシャ人の翻訳僧。豚小屋にある、獣血を貯蔵した大甕の中に逆さまに突っ込まれ、息絶えているところを発見されたのでした。写本絵師のみならず、翻訳僧のその奇態な死に様が、ヨハネの黙示録に記されたとおりのものであることを老修道士が指摘すると、迷信深い修道士たちのあいだに、瞬く間に動揺が広がります。

アドソとともに事件の調査を開始したウィリアムは、その動きを快く思わない修道士たちから妨害を受けながらも、やがて写字室の被害者の机の上に、翻訳僧自身が書き残したと思しき暗号の書かれた紙片を見つけます。どうやら塔の上層階にある立入禁止の文書館(図書館)の中に事件解決の鍵が隠されているらしいことに気づいたウィリアムは、その夜、アドソを伴い文書館に忍び込みますが――そこで二人が目にしたものは、迷路のように広がる夥しい数の部屋に所狭しと積まれた、蔵書の山、山、山。キリスト教世界随一の規模の図書館に足を踏み入れた知的興奮に我を忘れ、本来の目的そっちのけで書物の山を検分して回るうち、ウィリアムとアドソは迷子になってしまいます。二人は迷宮をさんざん彷徨った挙句、アドソの機転によってからくも文書館を脱出しますが、しかし犯行の手がかりは依然、掴めないまま。そしてそんなウィリアムを嘲笑うかのように、その翌朝、また新たな犠牲者が発見されます。

殺害されたのは、文書館長補佐の修道士。浴室の水を張った浴槽に沈められ、息絶えているところを発見されたのでした。そしてその変死の様子はまたしても、黙示録をなぞったかのような最期。一連の事件が悪魔の仕業に違いないと確信した修道士たちは、終末の予感に恐れおののきます。

そんな中、ようやくフランチェスコ修道会、教皇側双方の使節団が修道院に到着します。教皇使節の枢機卿とともに現われたのは、かつてウィリアムを異端審問にかけ、拷問して牢獄に送った異端審問官、ドミニコ会修道士のベルナール・ギーでした。ギーは、一連の殺人が異端者による犯行に違いないと決めつけ、異端審問を要求します。そして、かつて異端のドルチーノ派に属していた修道士、サルヴァトーレを捕らえると、拷問にかけて彼が殺人犯であることを自白させます。ウィリアムはギーに対して異を唱え、犯行はまだ続くと予言しますが、ギーは聞く耳を持たず、火刑の準備を着々と進めます。しかしその陰で、ウィリアムの予言どおり、また新たな犠牲者が――。

*       *       *

とまあ、筋立てはざっとこんな感じなのですが、なにせミステリなので、ここから先は自粛。とはいえこれでじゅうぶん、いかにも本格モノ、といった雰囲気をおわかりいただけたかと思います。人里離れた山間の修道院。アリストテレスを信奉する論理的な探偵(とその助手)。容貌魁偉の怪しい修道士たち。黄道十二宮をモチーフにした暗号。迷宮のような秘密の図書館――とまあ、物語の展開はむろん、その人物設定やら道具立てやら、何から何までもが本格ミステリというジャンルの様式に則っていて、とりわけ物語の核となる"見立て殺人"は、これが出てくれば、もう間違いなく本格モノといっていいジャンルの決定的な記号だったりするのですが――ところが最後に、実は一連の事件に秩序など存在せず、黙示録的な見立てはすべて偶然の産物だった、ということが明らかになります。要するに、ウィリアムは見当違いの推理を重ねて真犯人に辿り着く、というわけで、つまり「薔薇の名前」は、これでもかとミステリのコードを多用しておきながら、最後の最後で探偵の積み上げた論理のすべてを"たわごと"としてひっくり返してみせる(=ジャンルの様式を自己否定してみせる)、いわば"アンチ・ミステリ"ともいうべき、ジャンルのすれっからし作品なのですね。


作り物とは思えない巨大な修道院と中世の雰囲気

世の修道院と修道士たちの雰囲気を見事に再現したセットや小道具、そして衣装にメイクといった「薔薇の名前」のビジュアルは、いくら賞賛してもし足りないほどです。

「薔薇の名前」のイラスト(修道院の文書館のシルエット)

中でも目を見張るのは、巨大すぎて恐ろしくさえある、修道院のオープン・セット。セット――と書きましたが、それはDVD収録のメイキングを観てはじめて知ったことで、初鑑賞のときはセットなどとは露ほどにも思わず、こんな異形の建築物がいったいどこにあるのだろう驚嘆し、いつか訪れてみたい、と本気で思ったものです。冒頭、遙か遠くの山上にぽつんと佇む修道院を望む超ロングショットから一転、主人公たちの頭上に聳え建つ巨大な塔を仰角で捉えた映像が生み出す威圧感は、圧巻です。雲つくようなその高さだけでなく、ボリュームが圧倒的なせいで、とてもセットとは思えない重量感を醸し出しているのですね。

メイキングによれば、セットをはじめ、小道具も衣装も、かなり綿密な時代考証に基づいたものだそうです。中世の北イタリアの修道院がどのようなものだったのか、そんな知識があるはずもないのですが、しかし観ていてまったく違和感がないというか、きっとこうだったに違いないという"それらしさ"(要するに"リアリティ")を感じてしまうのは、それこそ"綿密な時代考証"のもたらす目に見えない力、なのかもしれません。

ある作品に、なぜ"それらしさ"を感じるかといえば、それは言うまでもなく、観る側(私)の知識や経験に拠るわけですが、とはいえその"それらしさ"は、そもそも製作サイドに物語の背景世界に対する深い見識や造詣、またそれを具象化しようという熱意やこだわり、そして努力がなければ生まれようがない"オーラ"であることもまた、確かでしょう。

むろん、その形象化の過程で、モノ、人、風俗、習慣、歴史、あらゆるものをより観客に届くものとするべく、意識的にデフォルメすることはあるはずです。しかし、すべてを呑み込んだ上での確信犯的な改変と、そうでないもの(無知だったり、お座なりだったり)とでは、おのずと成果物(作品)の発する"それらしさ"のオーラに差が出てくるのではないでしょうか。そして、そのようにしてすべてを咀嚼した上で作られた作品は、多少、その時代考証におかしなところ(確信犯的な改変)があった(と気づいた)としても、そのおかしさが気にならなかったりする(そして許せてしまう)ものです。

たとえば「薔薇の名前」も、中世の北イタリアが舞台であるにもかかわらず、会話が英語(ときにラテン語)であるところからしておかしいわけですが、しかし映画全体の雰囲気があまりに"それらしい"せいか、まったく気になりません(むろん、自分が日本人だからということもあります)。また、実在の人物であった異端審問官のベルナール・ギーが、映画のような悲惨な最期を迎えたという史実はありませんが、製作者たちの時代に対するリスペクトを作品全体を通じて感じるがゆえ、物語をドラマティックにするためのそんな歴史の改変も、まあいっか、と思えてしまったりします。



異形の修道士たちとウィリアムとアドソ

術ばかりでなく、外界から隔絶された世界の異様な雰囲気作りに大きく貢献している存在が、異形の俳優たち。わざわざ異相、怪相の俳優たちを掻き集めたそうで(メイキングより)、修道院内の陰影の深い画面の中で蠢く彼らの姿は、黒い長衣や独特のヘアスタイル、そして巧妙なメイクともあいまって、まるで修道士というより得体の知れない怪物の群れのようです。

そんな、誰もがフツーには見えない修道士たちの中での極めつけは、異端の修道士サルヴァトーレを演じるロン・パールマン。その、鬼面人を脅かすような登場場面を初めて観たときは、見てはいけないものを見てしまったかのような、強烈な衝撃を受けたものです。ロン・パールマンがいなければ、この映画を覆う禍々しいベールの厚さは、かなり薄くなってしまったはずです。

そしてもうひとり、陰険苛烈な異端審問官ベルナール・ギーを演じて嵌り役だったのが、その爬虫類のような冷たい眼差しと酷薄なあばた顔が印象的な、F・マーリー・エイブラハム。「スカーフェイス」(1983)にチョイ役出演しているのを観たときから既に、その異相は網膜にしっかりと焼き付けられていましたが、その翌年、「アマデウス」(1984)で主役を務め、アカデミー主演男優賞まで受賞してしまったことには、えっ、あの「スカーフェイス」のチンピラが!?と驚いてしまったものです。

そんな異形の俳優たちもさることながら、主人公のバスカヴィルのウィリアムを演じるショーン・コネリーもまた素晴らしい。当時、ショーン・コネリーの出演作を「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」(1983)しか観たことがなく、しかもそれ以前にずっとボンド役をやっていた俳優、という先入観のせいで、アクションの人だとばかり思っていたのですが、しかしどうして、知性を湛えた表情とエレガントな物腰は、沈着冷静な論理の人、ウィリアムを演じて実に適役でした。そして、そんなウィリアムとコンビを組む見習い修道士、アドソを演じていたのが、これが映画初出演のクリスチャン・スレーター。いつも半開きの口に、いかにも未熟でイノセントな雰囲気を湛えたその佇まいが、これまた強く印象に残ったものです。

事件の渦中、そんな二人が人生について語り合ういくつかの場面は、アドソに向けるウィリアムの眼差しに温かく優しい慈父の愛情が滲み出て、この、全編にわたって禍々しさの横溢する物語の中では珍しい、ホッと一息つける貴重なアクセントになっています。「薔薇の名前」には、(語り部でもある)アドソの"ビルドゥングスロマン"という側面があって、そもそも「薔薇の名前」というタイトルからして、修道院滞在中のアドソが肉体的に結ばれた、名前も知らない野生児のような村の少女を暗に指しているものだったりします。要するに、アドソの心にもっとも深く刻まれた北イタリアでの若き日の思い出は、一連の血腥い事件を巡るあれこれよりもむしろ、彼と少女の間に起こった出来事だった、ということなのでしょう。



知の迷宮、「薔薇の名前」(原作について)

て、「薔薇の名前」を紹介するならば、やはり触れぬわけにはいかないのがその原作、イタリアの記号論学者ウンベルト・エーコの処女小説にして畢生の大作、「薔薇の名前」。そもそも初鑑賞時、この映画に原作があるということを知らなかったのですが(実は映画の冒頭で、"ウンベルト・エーコの原作に基づく"と思い切りクレジットされている)、映画の公開から四年後の1990年、東京創元社から邦訳版が出版され、初めてその存在を知りました(原書の上梓は1980年)。

ちなみにこの本、刊行されるやいなや「週刊文春のミステリーベスト10」や「このミステリーがすごい!」といったミステリー小説ランキングで軒並み1位を獲得し、それこそあっという間にジャンルにおけるクラシックの地位を獲得してしまいました。本屋に平積みされた単行本上下巻は圧倒的なボリュームで、しかもぱらぱら捲ってみると、キリスト教や中世の歴史に関するぺダントリの溢れまくった、いかにも小難しそうな内容。そんなわけで、(値段も高いし)とりあえず文庫本になるまで待つことにしよう、と恐れをなして買うのを手控えていたところ、しかしこれが、いつまで経っても文庫化されないのですね(なんといまだに文庫化されていない)。

薔薇の名前」のイラスト(ショーン・コネリー)

そしていい加減、痺れを切らして単行本を買ったのが、それから10年後の2000年。で、おそるおそる読み始めてみると――これがまさに一読、巻を措く能わずの面白さ。この本、「'98年度版 このミステリーがすごい!」で特集された過去10年間のベスト20でもベスト・ワンに選ばれ、また昨年出版された「このミステリーがすごい 20周年記念永久保存版」においても過去20年のベスト・ワンに選ばれていて、要するに、年を経るごとにその評価がどんどん不動のものとなっている、おそらくオール・タイム・ベストでもベスト10に入るであろう、とんでもない評価の一冊です。とまあ、これだけあちらこちらで太鼓判の押されまくった本だけに、ミステリ好きの人間(私)が読んで、面白くないわけがなかったのですね。

"初めに言葉があった。言葉は神とともにあり、言葉は神であった"

そんな、ヨハネの福音書1章1節の引用で始まる物語は、いかにも記号論学者の書いた小説らしく、古今東西のテクストからの引用、パスティーシュからなる重層的な内容で(タイトルの"薔薇の名前"からして、少女を薔薇にたとえた表層的な意味あいとはまた別の寓意が込められているということを巻末の解説を読んで初めて知った)、その含蓄をあますところなく汲み取るためには、もう一生かかっても獲得しきれないような文学的、宗教的、歴史的そして哲学的知識が必要です。

主人公のバスカヴィルのウィリアム(とアドソ)がコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ(とワトソン)のパスティーシュであり、またその筋立てが「バスカヴィルの犬」をモデルとしていることは、その名前に明らかです。そして盲目の修道士、ホルへが視力を失くしたホルへ・ルイス・ボルヘスその人であり、修道院の迷宮図書館が「バベルの図書館」であることもまたわかるのですが、私がついていけるのは、せいぜいこのあたりまで。なにせ、この本を読み解くための解説書や評論集があとからあとから出版されて、その一部は肝心の本書が翻訳される前に邦訳版が出回ったというくらいのものであり、要するに、そもそもフツーの読者がそう簡単に読み解けるような代物ではないのですね。

にもかかわらず「薔薇の名前」には、読み手のレベルなりに楽しめるところがあって、そのリーダビリティの高さは驚くほどです。映画を先に観ていた、ということも大きいですが、やはりその様式がお馴染みの推理小説であるため気持ちが入りやすく、また書物に対する愛情とリスペクトがこの小説の大きなテーマとなっていることもあって、ミステリ好きの読者として読んでいて心地よく、その表層のストーリーを追うだけでもじゅうぶん、ワクワクさせられます(そして、その"ワクワク"だけを余すことなく掬い上げて映像化したのが映画「薔薇の名前」だった、といっていいかもしれません)。

また、河島英昭氏の翻訳も、その読みやすさにかなり貢献しているはずです。しかも、この訳者による巻末の作品解説が素晴らしく高品質。この解説のおかげで、物語を取り巻く背景とエーコがこの本に込めた思想に対する理解を、ちょっぴり深めることができたと思います(ただし本作の解説書・評論書の翻訳を数多く手掛けている谷口勇氏は、その原文を基にしていない訳文を手厳しく批判しています。もっとも氏の翻訳で読む解説書・評論書のリーダビリティのひどさときたら相当なものなのですが)。

ぺダントリーのためのぺダントリー、ひけらかしのための知識は読んでいてツラいものですが、"書物のための書物"(解説より)である「薔薇の名前」に散りばめられた知識や思想の断片は、ストーリー展開に必要不可欠なものであることはむろん、中世の歴史や宗教、哲学についてより詳しく知りたくなるという、知識欲を刺激するものでもあります。この、読者を突き放すことなく、むしろ知の巨大サークルに引っ張りこむ求心力は、エーコの文才が類稀なものであることに加え、またそこに、万人を読者として歓迎するような、作者の優しさと余裕があるからこそ生じているものであるように思えます。

(勝手な想像に過ぎませんが、)エーコはおそらく、楽しみながらこの本を執筆したんだろうなという雰囲気と、そしてこの人、本当にミステリが好きなんだろうなという気配が紙背から伝わってきて、ミステリ好きのいち読者として強い親しみを感じます。「薔薇の名前」は推理小説には珍しく、これから何度も読み返してみたいと思う、まさしくオール・タイム・ベストの一冊なのですね。



薔薇の名前(原題: Le Nom de la Rose
製作国: フランス、イタリア、西ドイツ
公開: 1986年
監督: ジャン=ジャック・アノー
製作総指揮: トーマス・シューリー
製作: ベルント・アイヒンガー
脚本: ジェラール・ブラッシュ/ハワード・フランクリン/アンドリュー・バーキン/アラン・ゴダール
原作: ウンベルト・エーコ(「薔薇の名前」
出演: ショーン・コネリー/クリスチャン・スレーター/F・マーリー・エイブラハム/ロン・パールマン
音楽: ジェームズ・ホーナー
撮影: トニーノ・デリ・コリ
美術: ダンテ・フェレッティ
編集: ジェーン・ザイツ


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コメント

[C141]

この映画のイラストを描いた夜は魘されませんでしたか?
・・・・きっと今夜は魘される・・・・(ニヤリ)

私的にこの映画の壷は本です。この時代の紙はとても貴重なものだったと思います。そして革の表紙・・・・
本がずら~と。満足!満足!     人って面白いでしょう☆
  • 2009-03-27 04:58
  • harunayamaneko
  • URL
  • 編集

[C143] >harunayamanekoさん

ハハハ、うなされはしませんでしたが(笑)...でも、描いてるときに少しダークな気分になりました(笑)。絵心(というほどのものではありませんが)の刺激される映画で、つい5カットも描いてしまいました。

harunayamanekoさんは本がお好きなんですね!あの迷宮図書館、お宝の山って感じで、本の好きな人にはたまらない映画ですよね。

[C145]

こんばんわ。
いつ見ても、プロとしか思えません。凄すぎ!
さて、原作は長編好きの私としては読み終わるのがもったいない、と思わせてくれる本でした。
笠井潔氏の本も好きで、やはりこれに対抗できるのは「哲学者の密室」でしょう!これも面白い、と言うよりは超絶技巧に打ちのめされました。
もちろん、横溝正史氏は大好きで、高校時代よく徹夜をして読んだ事を思い出します。
映画の中のショーン・コネリーは、極寒の中、本当にノーパンで演技していたんですね。(後で怒ってましたけど…)
エーコは『フーコーの振り子』にも挑戦しましたが、こっちは前編だけで断念しました。
小説は、麻薬です。文学は青春時代にしか読みませんでしたが、SFとミステリーはいまだに読んでますね。
映画とは全く違う映像が脳裏に浮かんで、本も大好きです。
Mardigrasさんも、相当お好きなようですね。
またゆっくりと、本についてお話する機会があれば、楽しくなりそうですね。
少し違いますが、ミニ文書館的な映像が、『ドリーム・キャッチャー』の中にも登場して、思わずニヤリとした記憶があります。
  • 2009-03-27 23:52
  • ロッカリア
  • URL
  • 編集

[C146] >ロッカリアさん

ありがとうございます!でも、ちょっと褒めすぎです(笑)。

「哲学者の密室」...待ちに待った、矢吹駆シリーズの新作でしたね。これもおそろしくブ厚く重く、寝っ転がって読むのがつらかった覚えが...しかし、長いあいだ待たされた甲斐のある大傑作でした!

ロッカリアさんが読まれたのはきっと、まだ表紙イラストがおどろおどろしい頃の角川文庫ですよね。私は図書館で片っ端から借りて読んでたのですが、あの陰惨な感じのイラストとたくさんの人の手垢感があいまって、それこそページに毒でも染みこんでいるんじゃないかという気にさせられたものです(笑)。

ショーン・コネリーのエピソードはまったく知らなかったのですが、、、でもそういう目に見えないところのリアリティの徹底って、知らず知らずのうちに、スクリーンに滲み出てくるというか、"らしさ"をかもしだす要素になっているような気がします。

「フーコーの振り子」、私も読んだのですが、「薔薇の名前」のようなリーダビリティは見事になかったですねぇ(笑)。やっぱり途中からつらくなって、きちんと読むよいうより、物語の筋だけを拾い読みするような感じでした...いつかまた、よっぽど余裕のあるときにでも、もう一度読んでみたいものです。

SFはそれほど読まないのですが、ミステリーはいまだによく読んでます。最近は、埋もれた名作みたいなものを探して、古本を漁ってばかりいます(笑)。昔の書評を探し出して、そこで褒められているものを入手したりしてるんですが、、、しかし、なかなかないですよねぇ、誰もが忘れてしまっている名作なんてものは...

「ドリーム・キャッチャー」、未見なのですが...(NHK BSはないとしても、)いずれWOWOWあたりで何気なく放映してくれることでしょう。

文書館といえば、2、3年前に出た「風の影」というスペイン人の作家が書いた小説にも、本好きにとって楽園のような図書館が出てきて嬉しくなりました。図書館とか古本とか、本をモチーフにしたお話というのは、本好きな人にとって、間違いのないツボというか、ちょっとズルイと言いたくなるくらいなものですね。

いや~、映画の話題もいいですが、本のお話もこれまた楽しいものです!!

[C147]

いや~、『哲学者の密室』は文庫じゃなくてあの分厚いハードカバーで、約750ページの光文社のやつです。
ちなみに2段重ねになっている書庫の棚、確認しようと見たらこの本の上には『悪霊島』が乗っかっていました。
さすがに、今このボリュームを見ると、思わず後ずさりしてしまいます。(……)
古本屋さんは、私達(?)みたいな人種には、それこそ楽園ですよね!
  • 2009-03-28 23:50
  • ロッカリア
  • URL
  • 編集

[C148] >ロッカリアさん

すみません!「ロッカリアさんが読まれたのはきっと角川文庫の~、、、」うんぬんは、横溝正史の本についてのつもりでした(汗)。そういえば、「哲学者の密室」が出た頃くらいから、ミステリーがやたら重厚長大になっていった気がします...

「悪霊島」の文庫の表紙は、映画のスチール写真版と、イラスト版とふたつあるんですよね...私の持っているのは、ありふれたスチール写真版なのですが、この前、イラスト版が古本屋にあって、けっこういい値段がついてました。と、どんどんマニアックになってしまいますので、このへんで。。。(笑)。

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