掃除の不思議パワー

A desert road from Vegas to nowhere. Some place better than where you've been. A coffee machine that needs some fixing in a little cafe just around the bend. I am calling you. Can't you here me? I am calling you...
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ラスベガスへと向かう観光旅行の途中、夫婦げんかの末に、モハーヴェ砂漠の真ん中で夫と別れ、クルマを降りてしまったドイツ人の中年女性、ジャスミン。羽飾りのついた帽子を被り、おしゃれなかっこうをした(かなり)太目の女性が、太陽がぎらぎらと照りつける人けのない砂漠の一本道を、キャリー・バッグ(本当は夫のモノ)を引きながら、とぼとぼと歩きはじめます。
そんな、どこかユーモラスでシュールな映像に流れるミステリアスなメロディが、冒頭の歌、ジュヴェッタ・スティールの歌う、"コーリング・ユー"。不思議な透明感を湛えた、その幻想的な歌声が聴こえ出すと、不毛な砂漠の乾いた景色は俄然、ファンタジックなベールをまといはじめます。
汗だくになったジャスミンが、やがて辿り着いた先は、街道沿いの煤けたカフェ&モーテル、"バグダッド・カフェ"。錆びた空き缶が転がる侘しいガソリン・スタンド、砂と埃にまみれた今にも倒れそうなおんぼろのモーテル、そしてコーヒー・マシーンが壊れたコーヒーのないカフェ。そんな、世界から置き去りにされてしまったかのような砂漠のドライブ・インが、ある日ひょっこりと現れた異国の女性に潤され、やがて、みずみずしいオアシスへと変貌していく――。パーシー・アドロン監督の「バグダッド・カフェ」(1987)は、そんな、大人の御伽噺とでもいいたくなるような、ほかに似た作品をちょっと思いつかない、一種独特の味わいをもった映画です。
未知との遭遇 モハーヴェ砂漠篇(以下ネタバレ)
まったく異なる文化や価値観を持ったもの同士が出遭い、ときには反発しあったりしながらも心を通いあわせ、いつしかお互いを理解しあっていく...「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1991)の記事にも書きましたが、未知なるもの同士の遭遇を描いたドラマは、文句なしに面白いものです。
ぐうたら亭主に家出され、身勝手な子供たちと孫の赤ん坊の世話に追われながら、砂漠の真ん中で寂れたカフェを営む黒人女性のブレンダ。孤軍奮闘のブルースな毎日に疲れ果て、始終、ぴりぴりと怒鳴り散らしてばかりいる彼女の前にある日突然現れた、"クルマもなく男もなく鞄の中身が男モノばかり"の得体の知れないエイリアン、ドイツ人女性のジャスミン。なぜか、何にもない砂漠のモーテルにとどまり続け、そして持ち前のオープン・マインドで、いつしかカフェの常連客やブレンダの子供たちと仲良くなっていくジャスミンに、その存在自体が気に食わないブレンダの苛立ちはひたすら募る一方...
何から何まで異なるジャスミンとブレンダのビジュアル的対比の面白さ、そんな二人が砂漠の真ん中で出遭ってしまうという奇抜な設定、そして警戒感丸出しだったブレンダのささくれ立った心が徐々にときほぐれ、いつしかジャスミンを受け入れるようになっていく、そこはかとないユーモアとペーソスの漂うストーリー...「バグダッド・カフェ」という"未知との遭遇"ムービーに描かれる、出遭いと相互理解のあれこれは、この手の映画の中でも極上品といいたくなるかぐわしさ。まるで、観ているこっちの心の凝りまで解きほぐしてくれるかのようです。特に、二人の距離が縮まるきっかけとなる、ブレンダのとっちらかったオフィスをジャスミンが勝手に掃除してしまうエピソードが素晴らしく、何度観ても、ホント癒されます。
「バグダッド・カフェ」の"そうじ・パワー"
どちらかというと私自身、日常的な整理整頓や、清潔に住まうことにそれほど頓着する方でもないのですが、それでも掃除するという行為には、物理的に何かをキレイにするにとどまらず、心の中まで浄化してくれるような不思議なパワーがあることを、経験的に信じているところがあります。何かとんでもなく落ち込むことがあったとき、もう何もする気が起きないにもかかわらず、かといってじっとしてても頭がヘンになってしまいそうなとき。そんな苦しいときを乗り切る私の自己救済の手立てが、家の中を徹底的に掃除してまわること。もうやたらと細部にこだわって、何もかもごしごしと掃除して、掃除して、掃除しまくります。

やらないよりは少しでもやった方が間違いなくよい、というのが掃除のいいところで、しかもきちんとやろうとすれば、それなりに時間のかかるところがこれまたよいところ。何時間も何日もかけて、家の中を整理して、不用なモノを片っ端から捨て、隅から隅まで掃いて拭いて磨いてまわる...そして家の中がピカピカになり、もうさすがにやることがないと思えるようになった頃、いつの間にか、心の中の懊悩や鬱屈もキレイさっぱり、とまではいかないまでも、かなりの部分がどこかに流れ去ってしまっていて、なんだかまた新しい気持ちでがんばってみよう、なんていう元気が湧いていたりするのですね。しかも、この掃除という行為、私にとっては自分がするだけでなく、人がしているのを眺めているだけでも癒されるところがあって、特にこれ以上ないくらいにとっちらかった部屋を片付ける掃除の場面が映画に出てくると、もうそれだけで、心を動かされてしまったりします。
で、この「バグダッド・カフェ」に描かれた掃除の場面、私にとっては、もう映画史上屈指の名掃除場面といいたいくらい、気分がスカッとするもの。太目の体でせっせとモーテルの部屋を掃除し、オフィスを片付けるジャスミンの姿はユーモラスで愛らしく、これがきっかけとなり、やがてブレンダをはじめとするバグダッド・カフェの面々が心を開いていくという展開、これはあるよ!と、深く肯いてしまうのです。
ちなみに、そんな掃除の気持ちよさをてらいなく真正面から描いた映画のマイ・ベストは、この映画に加え、宮崎アニメの「天空の城ラピュタ」(1986)とアキ・カウリスマキの「過去のない男」(2002)。かたや飛行船のキッチン、かたやコンテナ・ハウスと掃除する場所に違いはありますが、どちらの映画もこれ以上ないくらいに汚かった部屋がピカピカと快適になって、観るたびにスカッと爽やかな気分にさせてくれます。
エンディングを勝手にカットしたバージョンを作りたい
というわけで「バグダッド・カフェ」は、もう120点!といいたいくらいに大好きな作品なのですが、その一方で、かなり大きな不満のある映画でもあります。絶妙なシチュエーション設定とエピソードの面白さに加え、シンプルでスローなストーリー展開の心地よいグルーブ感、彼の地を訪れた異邦人の心象風景にも思える、シュールでカラー・バランスの崩れた画面の色味、それに夕暮れの砂漠とそこにある人の営みを捉えた物悲しくも美しいスケッチ映像や、愛すべき登場人物たちに味のある俳優、そして流れるたびにぐっと心を鷲掴みにされる、奇跡的な求心力を持ったマジックのような主題曲の旋律...とまあ、どこをとっても好ましいところだらけなのですが、それでも最後の最後、ビザが切れてドイツに帰ったジャスミンが、再びバグダッド・カフェに姿を現したあとの、ちょっと長めのエピローグとでもいったドラマの締めくくり方が、どうも気に入らないのですね。
もちろん、あのエンディングがいい!という方もたくさんいると思うので、あくまで私にとって、なのですが、主人公たちとカフェの客が一体となって和気藹々と繰り広げる歌と踊りと手品のプチ・ラスベガス・ショーのクライマックスが、観ていてどうにもいたたまれないというか、そろいのタキシードをキめて、いい声で朗々とシャウトするブレンダとジャスミンを目にすると、背筋がむずむずするような、こっ恥ずかしさを感じてしまうのです。そしてブレンダと亭主の再会と和解、カフェの常連客のルーディからジャスミンへのプロポーズ...とまあ、こうしてみんなはいつまでも楽しく幸せに暮らしました、という終わり方、御伽噺の締めくくりとしてとても正しいとは思うのですが、シュールな雰囲気で幕を開けたドラマにしては、どうにも予定調和が過ぎて、鼻白んでしまうのですね。そもそもジャスミンのマジックの腕前が上達するにつれ、この映画の持つそれこそマジックのように不思議な雰囲気がどんどん薄れていくところがあって、それがあのエンディングに至って、とうとう最後の一片まで雲散霧消してしまう気がして、とても残念なのです。
映画の終盤、登場人物の一人、モーテルに住んでいたタトゥーの彫師の女性が、帰ってきたジャスミンを囲んで家族のように喜ぶブレンダや常連客たちを尻目に、"Too much harmony"(仲よすぎ)と言い残し、モーテルを去っていきます。このセリフ、まさに、映画を観終わって私の心をよぎった感想そのものであり、まるで陳腐に過ぎるエンディングに対する、監督のエクスキューズのように聞こえてしまったりもします。
この映画、私が観たのは"完全版"と名付けられたヨーロッパ公開のバージョンなのですが、そもそも日本で公開されたアメリカ・バージョンは、ヨーロッパ版よりも十数分短いそうです(DVDの解説より)。ひょっとすると、アメリカ・バージョンはこのエンディングが異なっていたのかも、と思い、いろいろネットで検索してみたのですが、残念ながら、そのあたりについて言及している情報を見つけることはできませんでした。
もしこの映画が、再開を果たしたジャスミンとブレンダの抱擁シーンのストップ・モーションで終わっていたら、そしてそこに"コーリング・ユー"の流れるエンドロールが続いていたとしたら、私にとっては、いつまでも深い余韻が残る、最高の切れ味を持った作品となっていたような気がします。まあ、再会のシーンまできたところで観るのをやめればいいのですが、一部をカットするだけで私にとっては完璧と思える作品になるともいえるわけで、この際エピローグの二十分間をまるまる編集削除したマイ・カット・バージョンを作れないものだろうか...などと恐れ多いことを思ってしまったりもします。
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とまあ、私のベスト・ムービーとして紹介しているくせに、肝心のエンディングをくさすようなことを書いてしまいましたが、でもまあそれだけ、そこに至るまでのこの映画の雰囲気に魅了されてしまっているということでもあります。それにしても、ヨーロッパの監督が撮ったアメリカの風景は、ハリウッド映画に出てくる見慣れたそれとはどこか違う空気が流れているような感じがして興味深いものです。ヴィム・ヴェンダースしかり、前述のカウリスマキしかり。そのシュールなアメリカを味わうだけでも、一見の価値あり、という気がします。
バグダッド・カフェまであと100マイル
3ヶ月ほど前のメキシコへの釣り旅行の途中、ロス・アンジェルスから東に100マイルほど行ったところにあるRancho Cucamongaという町にレンタカーで出かけました。この町にバカでかいタックル・ショップがあって、そこで釣具の買い物をしたのですが、「バグダッド・カフェ」のロケ地となったバグダッド・カフェ(もともとはSidewinder Cafeという名称で、この映画以降Bagdad Cafeに変えて、今でも実際に営業している)のあるNewberry Springsは、実はこのRancho Cucamongaから北北東へほんの100マイル弱。買い物があっという間に終わったので、この際バグダッド・カフェに行ってみようか...という思いがちらっと頭をよぎったのですが、正確な場所がよくわからなかったのと、徹夜明けで帰り道がツラくなりそうなこともあって、自粛しました(往復で300マイル走らなくてはならない)。結局、ロス方面に引き返し、サンセット大通りとマルホランド・ドライブをドライブして帰ったのですが、こうして改めて「バグダッド・カフェ」の世界に思いを馳せると、やっぱり無理してでも足を伸ばせばよかった...と思うことしきり。次にRancho Cucamongaに行ったときは、今度こそバグダッド・カフェを訪れて、砂漠の夕景を満喫してこようと思っています。
バグダッド・カフェ 完全版(原題: Out of Rosenheim)
製作国 : 西ドイツ/米国
公開: 1988年
監督: パーシー・アドロン
製作: パーシー・アドロン/エレオノーレ・アドロン
脚本: パーシー・アドロン/エレオノーレ・アドロン
出演: マリアンネ・ゼーゲブレヒト/CCH・パウンダー/ジャック・パランス
音楽: ボブ・テルソン
撮影: ベルント・ハインル
美術: ベルント・A・カプラー/ ビナデット・デ・サント
編集: D・V・ヴァッツドルフ
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製作:西ドイツ’87
原題:OUT OF ROSENHEIM
監督:パーシー・アドロン
ジャンル:★ドラマアメリカ、モハヴェ砂漠のはずれにある、寂しげなモーテル“バクダット・カフェ”。いつも腹を立てている黒人女性...
怒っていないかなぁ~と気になっています・・・(汗)
私の素敵な読者さんたちにあなたのこの記事も含め、とてもいいブログをご紹介したかったのです。
これは私の好きな映画のひとつです。
ドイツ人は潔癖性の人が多く掃除が大好きのようで、反対の性格の私にはちょっと苦手なんですよ・・・(笑)