アレンジ
未来世紀ブラジル
本当に"未来世紀"? なぜ"ブラジル"?
ロ
バート・デ・ニーロが出演している、というだけで、せっせと映画館に足を運んでいた時期があります。作品でいうと、
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
(1984)から
「ケープ・フィアー」
(1991)までの8年間、十数本。主役であろうがなかろうが、また作品のジャンルがいかなるものであるかにおかまいなく、とにかくデ・ニーロが観たい、デ・ニーロが出ていればほぼ満足、といった感じでした(といってもその間、実は見逃した作品が二本あって、そのうちの一本が、よりによって
「ミッドナイト・ラン」
(1988)。泣)。
好きな役者がデ・ニーロ、というのもベタではありますが、しかし新作を観るたび、その役作りや演技に新鮮な驚きがあって、今振り返ってみても、ここまで手を変え品を変え、"俳優で映画を観る"喜びを与えてくれた存在は、ほかにほとんど覚えがありません。
「未来世紀ブラジル」
(1985)もまた、ちょい役ながら、ロバート・デ・ニーロが出演していると知ったからこそ、映画館に足を運んだ映画です。高校生だった当時、テリー・ギリアムも知らなければ、ましてモンティ・パイソンなんて聞いたこともありませんでしたが、しかし映画を観始めてすぐ、その奇抜な映像とエキセントリックなドラマに引き込まれ、ロバート・デ・ニーロの登場場面がホントにちょっとしかないことなど、どうでもよくなってしまいました。
"「ブレードランナー」というゲート"
「
攻殻機動隊」
(1995)をつくった押井守監督が、リドリー・スコットの
「ブレードランナー」
(1982)を評して、こんなことを述べています。
"近未来の架空都市なんかを扱った映画も、すべて結局はこの「ブレードランナー」というゲートをくぐるしかない"
( 「押井守、『ブレードランナー』を語る!」より)
映画作家としてのスタンスや意識についての発言で、つい最近、再見したばかりの
「バック・トゥ・ザ・フューチャー PartII」
(1989)のメイキングでも、製作者が、「ブレードランナー」を意識せざるをえなかった、という趣旨のコメントをしていました。この手のSF映画を創ろうとするクリエーターにとって、「ブレードランナー」という映画が、いかに巨大なマイル・ストーンであったのかがよくわかるわけですが――実はこれ、作り手のみならず、観る側(私)にも、そっくりそのまま当てはまることばだったりします。
「ブレードランナー」を観て以降、未来世界を描いた映画を観てまず頭に浮かぶのは、否応なく、「ブレードランナー」のビジュアルや世界観。無意識のうちに「ブレードランナー」と比較して、似てるだとか似てないだとか、あるいは超えたとか超えてないだとか、ついそんなことを考えるようになってしまいました。そして、そんな「ブレードランナー」からほんの3年後に公開されたのが、この「未来世紀ブラジル」。今、こうして振り返ってみても、「ブレードランナー」以降に観た"未来モノ"の中で、その都市景観のデザインや世界観に衝撃を受けた、ほとんど唯一といっていい作品です。
"未来"を造形するにあたって、テリー・ギリアムもまた、"「ブレードランナー」しばり"とでもいうべき心理的なくびきから逃れられなかったであろうことは、ほぼ間違いないと思われます(なにせ、「ブレードランナー」はほんの3年前の映画)。とはいえその世界観を構築するためのアプローチは、「ブレードランナー」とはまったく異なるものだったのではないか――なぜなら工業デザイナーのシド・ミードが手掛けた「ブレードランナー」の未来世界が、あくまで条理に基づいた、ポストモダンの極北とでもいうべき、現実世界の延長線上にあると想像できるデザインだったのに対し、「未来世紀ブラジル」の未来世界には、ほとんど退歩的とすらいっていい、どこか理屈で割り切れない、非条理な匂いが色濃く漂っているからです。
ファンタジックでグロテスクでエキセントリック、スチームパンクの世界観にも似た、どこか懐かしさを覚えてしまうレトロな味わいは、物語作家(そして漫画家でもある)テリー・ギリアムの脳内に渦巻く奇妙奇天烈なイマジネーションを、科学のフィルタを一切通すことなく、スクリーンにぶちまけてみせたかのようです。ダークでデスペレートな都市景観に、「ブレードランナー」に通底する雰囲気を確かに漂わせながら、しかし「ブレードランナー」の世界観のコピーではまるでない、現実世界とまったく異なる進化発展を遂げたかのような、実に独創的で不条理な"未来"が展開しているのですね。
「未来世紀ブラジル」は本当に"未来世紀"なのか?
と
まあ、「未来世紀ブラジル」は未来のお話である、という前提で、「ブレードランナー」(2019年という設定)を引き合いにして書いてきましたが、しかしこの映画、その邦題で堂々"未来世紀"と謳ってはいるものの、冒頭のクレジットで
"20世紀のどこかの国のできごと"
と示されるだけで、それが(公開時の1985年からみて)本当に"未来"のお話なのかどうか、実は曖昧です(原題は、ただの
"Brazil"
)。
映画に描かれる世界が、あまりに現実と異なっているため、初めて観たときは、未来が舞台であることになんら疑問を抱かなかったものですが(むろん、罪作りな邦題に洗脳されてしまったせいでもあります)、しかし改めて観てみると、その進化したテクノロジーのはざまに妙に前時代的な空気が滲む、居心地の悪い、どこか齟齬をきたした情景は、"未来"というよりも、むしろ1940年代あたりを境に現実の世界から枝分かれしてしまった"パラレル・ワールド"の現在(1984年)とでも考えた方が、よっぽどしっくりくることに気がつきます。
たとえば、テレビやクルマをはじめとする、どこか郷愁を誘うレトロ調の工業製品や、大戦中のドイツ軍を彷彿とさせる、警備兵たちの制服のデザイン。はたまた昔の人が夢見たであろう、しかし(あまり便利でも効率的でもなさそうな)奇妙なオートメーション。あるいは一昔前の工場の流れ作業を眺めているような気にさせられる、役所の長大なオフィスの慌しい職場風景。さらには画一的な超大型居住棟や円筒の大空間に設えられた拷問室といった、無機質で殺風景で非人間的な建築物の意匠。
そしてなんといっても、大蛇のようにうねうねとくねりながら、あらゆる建物の屋内を四方八方へと延びる無数のダクト――。壁の奥にぎゅうぎゅう押し込まれ、ときに生き物のように伸び縮みし、破裂し、天井からびろろ~んと垂れ下がるそのグロテスクな光景は、現実の世界をどう延長してみても繋がることのない、まったく違ったテクノロジーが進化した、系の異なる世界のようであり、そしてそんな世界に生きる人々の思考や価値観は、私たちのそれとほとんど同じようでありながらも微妙にずれていて、それがいかにも悪夢の中に迷いこんだような、なんともいえな据わりの悪さと気持ち悪さを感じさせます。
「未来世紀ブラジル」を観て以降、テリー・ギリアムのほかの映画やモンティ・パイソン時代の作品を観る機会がぽつぽつとあり、「未来世紀ブラジル」に漂う奇妙な雰囲気が、実はこの作品特有のものではなく、濃淡の差こそあれ、彼の作品にあまねく内在しているものであることを知りました。この作品を除き、特にテリー・ギリアムの映画が好きというわけでもないのですが、しかしその奇妙奇天烈な発想と、それをビジュアルで表現しきってしまう力技には、毎度、感嘆させられることしきりです。
「未来世紀ブラジル」を超える現実のビューロクラット・ブラック・ジョーク
奇
矯なビジュアルもさることながら、「未来世紀ブラジル」の真骨頂は、なんといっても、そのぐさりとくる風刺性。がちがちの官僚主義が支配するディストピア世界を、(いまだからこそわかる)モンティ・パイソン的な、毒々しくヒステリックな笑いで表現したアイロニカルにもほどがある舌鋒の鋭さは、年月を経て、ますます強烈でリアルなものに感じられます。
この映画が公開される少し前、ジョージ・オーウェルの風刺小説
「1984年」
が巷でちょっとしたブームになったと記憶しています。1948年に執筆された「1984年」の揶揄する社会システムは、スターリン時代の旧ソビエト全体主義でしたが、「1984年」からのインスパイアをいやでも感じないわけにはいかない「未来世紀ブラジル」もまた、どこかの独裁国家か社会主義の国の物語、という先入観がありました(たとえば、いかにもソビエト時代のプロパガンダ・ポスターのようなデザインのポスターがあちこちに貼られていたりします)。
この映画を初めて観た当時、正直、資本主義社会の日本に暮らす(しかも社会経験の少ない)身の上として、この物語に誇張して描かれる官僚主義の頑迷さ、固陋さ、硬直さ、そしてその恐ろしさといったものが、ひどく縁遠いものに思えましたが、しかし時が経つごとに、それらがこの国にも存在するものだということを、(日本はもっとも成功した社会主義の国である、なんていうレトリックを持ち出すまでもなく、)じわじわと実感するようになってきた気がします。いやむしろ、最近に至っては、ある部分、現実のカリカチュアだったはずの"20世紀のどこかの国"の滑稽さを、"21世紀の現実の日本社会"が追い抜いてしまっているかのような気にさせられたりもします。
縦割主義、書類至上主義、たらい回し、責任逃れ、失敗隠しの隠蔽体質――とまあ、この映画で黒い笑いの対象となっている、いわゆるお役人根性と呼ばれる悪しき官僚主義(まあ役所に限らず、組織とよばれるものすべてに当てはまる本能的な体質だったりもしますが)のエピソードは、振り返ってみれば程度の差こそあれ、そのほとんどが、私自身も経験したことのあるものであったり、あるいは何度となくニュースで耳にしたことのあるものばかりだということに気がついて、暗澹たる気持ちにさせられます。つい最近も、ある件で市役所のたらい回しと書類至上主義と責任逃れに直面したばかりですが、そのときの気持ちを思い出すと、この映画に描かれたエピソードの味わいもまた、やたらとコク深くなるというものです。
ところで先日、一年分の国民年金を支払おうと社会保険事務所に出向いたときのこと。この5月から、社会保険事務所では直接の現金納付ができなくなり、銀行や郵便局で振り込まなくてはならなくなったということを知りました。えっ、なんで??と思ったら、なんでも"不適切な取り扱い"(=窓口職員の納付金着服)の再発防止策の一環なのだそうで...
支払先に直接納付できないという不便さと不条理さに対する憤りもさることながら、その理由には、嗤いと怒りを通り越して、背筋がうそ寒くなってしまいました。しかも、この措置は国民の皆様のためなのです(=ネコババされたらあなたが困るでしょ *筆者注)といった趣旨の説明を記載した、微妙に恩着せがましい調子の告知ポスターが掲示されていたりするのです。これ、たとえばあるお店でモノを買おうとしたら、振込用紙を渡されて、店員が信用できないから銀行で払って、といわれたようなもの。モノならそんな店で買わなければ済みますが、年金だからそうもいかないわけで、はっきりいって「未来世紀ブラジル」で描かれたどんなブラックジョークよりも、よっぽど強烈なジョークだと思った次第。
ここ十数年、会社勤めをしていたために、この手の用事で役所に足を運ぶことがほとんどなく、お役所仕事に対する直接的な憤りをほとんど経験することなく過ごしてきましたが、それにしても、ふと気がつけばとんでもないことになっているなあ、という感じです。
「未来世紀ブラジル」が予見するテロのある日常と管理・監視社会
「
未来世紀ブラジル」において、官僚制度に対する風刺と平行して描かれているのが、管理・監視社会の恐ろしさ。爆弾による無差別テロが横行する社会という視点は、アメリカ人ながら、IRAによる爆弾テロが横行していたイギリスを拠点に活動していたテリー・ギリアムならではの発想だったと思います(この映画の公開前々年、ロンドンの老舗百貨店で、まさに映画に描かれているのと同じような爆弾テロ事件が起きている)。
2000年9月11日以降、この映画に描かれた世界のリアリズムは、私の中で、一挙に数割り増しになった気がします。それは、テロリズムの脅威にさらされた日常、という視点ではなく、むしろテロ対策というひとことですべてが正当化され、やがてその手段自体が自己目的化し、そしてとめどなくエスカレートしてしまった世界、という意味においてです。映画では、役人のミスによって、善良な無辜の市民がテロリストとして逮捕、処刑され、さらには誤認逮捕の証拠隠蔽のため、目撃者が犯罪者にでっち上げられて抹殺されるという、いささか極端にも思える"官僚主義の暴走"が描かれていますが、しかしこれなど今となってみれば、テロに対する先制攻撃という大義名分のもと、大量破壊兵器を保有している可能性が高いというでっち上げの理由(結局そんなものはなかった)で戦争をおっぱじめてしまったイラク戦争="国家の暴走"の、ささやか過ぎるメタファーのように思えたりもします。
厳格化した入国審査、搭乗口に至るまでの二重、三重のチェック、アメリカ国土安全保障省による預け入れ荷物の随意開錠検査――。9.11以降、テロを理由に米国の空港におけるセキュリティチェックがやたらと厳しくなったことには、それが必要な措置であることを十分理解した上で、それでもこの映画の管理・監視社会に現実の世界が一歩近づいたような、気味の悪さを覚えてしまったものです。
映画の前半、情報省を描いた場面に、伸び縮みするアームの先に目玉のようなカメラの付いた、セキュリティチェックのためのグロテスクな機械が登場します。情報省の受付で、その機械にジロジロと品定めをされたヒロインがイラついて機械を蹴飛ばしますが、9.11以降に米国で導入された、入国審査の際に顔写真を撮影するアームのついた赤い光を発するカメラを見ると、ついこの機械のことを思い出してしまいます。映画とは異なる目的とはいえ、コワモテ入国管理官の冷たい指示に従いながら、その威嚇的なカメラアイを見つめ、そして指紋読取機に指をのせるたび、そこはかとない不安や屈辱を覚え、映画に描かれたヒロインのエモーションが、いかに的確だったのかということを思います。
とまあ、アメリカのことを書きましたが、監視社会のおそろしさを実感するまでに至らずとも、それがどのようなものなのかという想像をめぐらせるには十分なほど、日本社会の監視システムもひたひたと成長し続けている気配を感じます。住基ネットや盗聴法、繁華街の監視カメラや幹線道路のNシステムなどなど、いずれも社会にとって有益なものであることはよく理解できるのですが、それでもこれらの法律やシステムに理屈ではない本能的な不安を抱いてしまうのは、やはり、その運用方を信じる気になれないからでしょう。
いつか私たちの知らないところで、これらのシステムが本来の目的から外れた運用がなされるようになったとしてもぜんぜん驚かないほどに、残念ながら、この国(と役人)に対する私個人の信頼は揺らいでいます。さまざまな不祥事のニュースを目にするにつけ、この映画に描かれているのと同根のメンタリティが、この国の官僚システムにもしっかり根を張っているような気がして、便利そうだからといってなんでも賛成していると、いつか知らないうちにガチガチの監視ネットワークに取り囲まれて、びくびくしながら暮らすなんて日がやってこないとも限らない...そんなそら恐ろしさを感じてしまうのです。
「未来世紀ブラジル」はなぜ"ブラジル"なのか
こ
の映画、最初に観たときからよくわからなかったのが、そのタイトルの意味。ブラジルが舞台のお話とも思えないのに、なにゆえ"ブラジル"なのか?ということです。DVD収録のメイキングで、なぜ"ブラジル"なのか、という問いが関係者に投げかけられていて、おっ、と期待したのですが、しかし誰も、これという答えを口にしていないのですね。
この映画に登場する、唯一"ブラジル"に関連するものといえば、テーマ曲となっているサンバ、
"ブラジル"
。要するに、まずこの曲ありきでこのタイトル、としか思えないわけですが、そもそもなぜディストピアを描いたこの映画に、楽園の陽気なリズムを刻むこの曲をテーマ曲として使ったのか――。
映画の中で、"ブラジル"がBGMとしてではなく、登場人物が口ずさむ、状況内音楽として使われている場面があります。鼻唄を口ずさむのは、モグリのダクト修理人にしてテロリストのハリー・タトル(ロバート・デ・ニーロ)。なぜモグリではなく正規の職員にならないのだと問いかける主人公に、オレは書類仕事が嫌いだと言って、その自由気ままな身の上の気楽さを語りながら、タリラリラ~と口ずさむのです。
"ブラジル"という曲が、官僚社会からの逃避を夢見て空飛ぶ妄想を抱く主人公や、管理システムに身も心もがんじがらめにされた市井の人々(誤認逮捕で夫を連れ去られた夫人がパニックに陥りながらも夫の預り証についサインしてしまう場面は象徴的)に対するアンチテーゼといっていい自由人、"ハリー・タトルのテーマ曲"だと考えると、つまり"ブラジル"とは、管理社会からの自由を象徴する曲であり、またタイトルということなのかなあ、と、なんとなく頷けるところがあったりもするのですが、でもまあテリー・ギリアムに聞かなければ本当のところは藪の中なわけで、要するに、いまだになぜ"ブラジル"なのか、よくわからないままです。
それにしても"ブラジル"という陽気な楽曲が、まったく反対の空気をまとった「未来世紀ブラジル」の世界にやたらとマッチしていることには驚かされます。気分を浮き立たせずにはおかないそのラテンのリズムに煽られれば煽られるほど、その映像に描かれた世界の悲惨さが、濾されてどんどん浮き彫りになっていく感じなのですね。
未来世紀ブラジル
(原題:
Brazil
)
製作国: イギリス
公開: 1985年
監督: テリー・ギリアム
製作: アーノン・ミルチャン
脚本: テリー・ギリアム/トム・ストッパード/チャールズ・マッケオン
出演: ジョナサン・プライス/ロバート・デ・ニーロ/マイケル・ペイリン/キム・グライスト
音楽: マイケル・ケイメン
撮影: ロジャー・プラット
美術: ジョン・ベアード/キース・ペイン
編集: ジュリアン・ドイル
@
2009-06-01
コメント : 10
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コメント
[
C
205
] 観てない映画
なものでコメント控えていたのですが、
こんなに丁寧に映画を考察されているのに
コメント(0)というのは失礼だと想うんですよ・・・(ちょっと変かな?
前置きはやめてすぐに書けばいいのにすんまへん!
モンティパイソンはあのナンセンスに嵌っていた時期がありました。
ブラジルの音楽はカーニバルの陽気さか、ポルトガルのファドにも通じる怨念のようなものが浮かびます。
何せ観てなくほとんど知らない映画なんですが、あなたの記事で機会があったら観てみようと想っています。
2009-06-04 09:03
ヘルブラウ
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[
C
206
] >ヘルブラウさん
お気遣いありがとうございます!ヘルブラウさんは優しいですね~。
コメント(0)でもぜんぜんめげないので大丈夫ですよ~(笑)。
モンティ・パイソン、映画はいくつか観たのですが、TVシリーズを観たことがありません。でもTVの方が、きっと彼らの真骨頂が出てるんでしょうね...いつかぜひ観てみたいです。
あんなに陽気なサンバのリズムも、このような映画のBGMに使われると、確かに陽気さの裏に隠れている哀愁みたいなものが増幅されて聴こえてくる気がします。指摘されて気づきましたが、ブラジルの民族音楽も、虐げられた人々の悲しい歴史から生まれた音楽なんですよね。ギリアム監督の念頭にはそのあたりのこともあったのかもしれません...
日本では昨晩、BSでこの映画放映していたんですよ~。モンティ・パイソン好きならきっと面白いはずですので、そのうち機会があればぜひ!
2009-06-04 18:12
Mardigras
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[
C
207
]
こんばんは。
イラストがパソコンから飛び出してきそうなタッチで、相変わらず凄い迫力!
この映画はマイ・フェイバリットです。
何だろう、モンパイ系という事じゃなくて、その映像に惹かれます。
ストーリーは二の次で、映像で物語を引っ張って行く、そんな感じが好きです。
「ブラジル」と言うキーワードは、監督いわく、何となく付けたそうですよ。
エンディングに曲が流れるだけ、映画人は一斉にこのタイトルの深読みをしましたが、残念、テリー自身がそう言っていました。
でも、モンパイ出身者だけに、何か有りそうな気が、私もしています。
2009-06-05 00:02
ロッカリア
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[
C
208
] 観てからコメントしようと思ったら
ずっと昔に観たことがあったみたいです。
たぶん幼い頃のことで、”翼の騎士”や”包帯の増えるおばさん”、”ダクトがのびる部屋”に”ラストシーンの主人公”という断片的な記憶が、今回の視聴で繋がりました。
割と不気味なシーンが多いですね、やっぱり子供にはキツかったのかも。でも、観ている間、何故か「不思議の国のアリス」のイメージが浮かんできました。情報省とハートの女王がかぶったのか・・・な?
主人公の暴走っぷりに途中からついていけなかったりもしたんですが(抑圧されてたんですね)、目が離せない不思議な魅力がありました。
颯爽と現れて颯爽と去ってゆくタトルさんも格好良かったです。
2009-06-05 12:58
宵乃
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[
C
209
] >ロッカリアさん
こんにちは!
ロッカリアさんも好きな映画なんじゃないかな~と思っておりました(笑)。
そうですね、確かに、お次はこれだ!と言わんばかりに繰り出される奇想天外な映像を観てるだけでも楽しい映画です。
わはは、ブラジルってそういうことだったんですか...いや~、観るたびになんでだろうと考えてしまうところがありましたが、それはやられましたねぇ。いくら考えてもわからないわけです。でもこういう思わせぶりなところをアレコレと深読みするのがこれまた映画の楽しいところです。
それにしてもロッカリアさんの造詣は、どこまで根を張ってるんだという感じで、本当にすごい。またいろいろ教えてください!
2009-06-05 13:54
Mardigras
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[
C
210
] >宵乃さん
おお、BSの放送ご覧になられたんですね!
初めてのつもりで映画を観て、あっ、これむかし観たことがある!って気づくと嬉しくないですか?
私はたまーにそういうことがあると、妙に興奮してしまいます。逆にある映画の断片的な映像だけが頭に残っていて、あれ何という映画なんだろう...とずっと気にかかっているものもあったりします。
この映画、確かに子供にはちょっとキツイかも...トラウマになってもおかしくないような映像がけっこうありますよね~。「不思議の国のアリス」の連想は慧眼!って感じです。観てる側の常識が通用しないもどかしさと苛立ちがまったく同じテイストですね。それ、私も思いついて記事に書きたかったなあ、、、という感じです(笑)。
この映画のデ・ニーロ、出演場面がホントちょっとですけど、存在感あっていいですね。この手のチョイ役の中でも、エンゼル・ハートと並んでインパクトがあったと思います。
2009-06-05 14:11
Mardigras
URL
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[
C
211
]
Mardigrasさん、こんばんは。
CG とても、いい感じですね、、、。
さすが、です。
私は、彼(Robert De Niro)の映画だと、
Flawless、Great Expectation、
Jackie Brown、The Fan、The King of Comedy、
が好きです。
すべて、VHS で観ていますが、、、。
今でも気になるのは、
2年くらい前の、Al Pacino と共演している映画なのですが、
題名が思い出せません。
米国の雑誌を読んでいて、とても興味を持ちました。
情報に疎いので、公開されたかどうかも不明なのですが、、、。
彼、一時期、沢山出ていましたよね、映画に、、、。
2009-06-06 00:10
kaoru
URL
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[
C
212
] >kaoruさん
お久しぶりです!お褒めのことばありがとうございます。
kaoruさんもいろいろご覧になってますね。FlawlessとThe King of Comedyは観たことがないのですが、、、コメディのデ・ニーロが好きなので、前からThe King of Comedyを観たくて仕方ないのです。でもTVでやってくれないのですよ(まあビデオ買うか借りればいいんですが)。Great Expectationは私もけっこう好きな映画です。この映画のデ・ニーロもよかったですね~。
アル・パチーノとの競演、私も新作には疎いのですが、、、ネットでチェックしたら、どうやらRighteous Killという映画みたいですね。日本公開はまだみたいです。確かに観ないわけにいかなそうな映画ですね!
2009-06-06 03:38
Mardigras
URL
編集
[
C
360
] 観ました
Mardigrasさん、こんばんは。
Righteous Kill 観ました。
まず、この表紙?というのか、、、、ですが、
Black & White の CG にいかがですか?
逆に、色をつけたらどんな感じかな?
という感じで興味しんしんです。
観た感想は、私のブログにちょこっと書きましたが、
なにせ、この2人が出ている、ということで、
良、にしました(笑)。
バグダットカフェ、も無事我が家にあり、よかった~。
なぜか、久しぶりに観た数日後に、
知人が「あの映画、いいっすよね」
と、その話題になり、
ちょっと、こわかった、、、。
なんで、知ってるの、と。。。
以上、報告です。
では、また。
かおる
2009-10-09 23:20
kaoru
URL
編集
[
C
361
] >kaoruさん
こんにちは~!
Righteous Killご覧になったんですね、うらやましい...
この作品、日本公開はまだ未定のようで、、、いったいいつになった観られるのやら。
kaoruさんの記事も読ませていただきましたよ~。
私もこの二人ならその演技を観てるだけで幸せなので、、、作品自体がどんな出来にせよ(笑)、公開されたら必ず観たいなと思います。ところでデ・ニーロ、もう5回も描いてるんですよ(アル・パチーノは2回)...
「バグダッド・カフェ」、見つかってよかったですねぇ~。
そういう、え、なんで??という気味が悪いくらいのシンクロ、ときたまありますね。でも、ま、この映画についてはそれだけ好きな人が多いってことかも。。。
2009-10-11 05:26
mardigras
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七人の侍
用心棒
ツィゴイネルワイゼン
遙かなる山の呼び声
復讐するは我にあり
砂の女
男はつらいよ 寅次郎恋歌
男はつらいよ 寅次郎忘れな草
男はつらいよ 寅次郎相合い傘
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
武蔵野夫人
仁義なき戦い
麻雀放浪記
幸福の黄色いハンカチ
悪魔の手毬唄
夜叉
丹下左膳餘話 百萬兩の壺
姿三四郎
劔岳 点の記
影武者
洋画の紹介
第三の男
ブレードランナー
ゴッドファーザーPARTII
羊たちの沈黙
ミッドナイト・ラン
スカーフェイス
ビッグ・ウェンズデー
ゴッドファーザー
駅馬車
荒野の決闘
ダンス・ウィズ・ウルブズ
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パルプ・フィクション
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夜の大捜査線
地獄の黙示録 特別完全版
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薔薇の名前
リバー・ランズ・スルー・イット
ルートヴィヒ
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バック・トゥ・ザ・フューチャー
タクシードライバー
エンゼル・ハート
バグダッド・カフェ 完全版
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レスラー
道
キル・ビルVol.2
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ブリキの太鼓
ジュラシック・パーク
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ベルリン・天使の詩
裏切りのサーカス
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アマデウス
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その他映画関連
いとしの映画音楽
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この映画の原作がすごい!(国内編)
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「ツィゴイネルワイゼン」を訪ねて
2011年イラスト・カレンダー
続・この映画の原作がすごい!(上)
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2014年イラスト・カレンダー
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こんなに丁寧に映画を考察されているのに
コメント(0)というのは失礼だと想うんですよ・・・(ちょっと変かな?
前置きはやめてすぐに書けばいいのにすんまへん!
モンティパイソンはあのナンセンスに嵌っていた時期がありました。
ブラジルの音楽はカーニバルの陽気さか、ポルトガルのファドにも通じる怨念のようなものが浮かびます。
何せ観てなくほとんど知らない映画なんですが、あなたの記事で機会があったら観てみようと想っています。