
再び愛娘のもとを訪れるランディ。彼のプレゼントに、ステファニーの頑なだった心は開き始めます。幼い頃に訪れた思い出の場所を歩きながら、語り合う二人。「俺の人生はズタボロだ。当然の報いだが...しかしお前にだけは嫌われたくない」と静かに涙を流し、積年の赦しを請うランディ。ステファニーはそんな父親の真情溢れる姿に心を打たれ、わだかまりと憎しみを捨て、彼の謝罪を受け入れるのでした。
プロレスのエッセンスが格闘ではなく演劇性にあるのだとすれば、鍛え上げた肉体を持った俳優は最高のプロレスラーとなる資質を備えているといえるかもしれません。映画製作にあったって、3ヶ月間プロレスの特訓に励んだというミッキー・ロークの鍛え上げられた、しかしいかにも老レスラーらしく崩れかけた肉体とそのムーブはほとんど完璧であり、映画の中で描かれる実際のレスラーを相手にした試合の様子は、その編集の力もあって限りなくリアルなプロレスのようにみえます。特に、心臓発作を起こすきっかけとなる、ネクロ・ブッチャーという実在のレスラーとの間で繰り広げるハード・コア・マッチの迫力には目を背けたくなるものがあります。ボクシングのようなスピードを身上とする格闘技と違い、ダイナミックに"作られた"プロレスのオーバー・アクションは、そもそも映画と相性がよいというか、限りなく本物そのものに見える試合をスクリーンに再現することが可能なように思えます。
ところで。スーパーの惣菜売り場に立つランディを目にし、どこかで見たことがある気がするとしきりに首を捻る客が出てきます。実は私も映画を観ながら、同じようなことを考えていました。それがクラブで扇情的に腰をくねらせて踊る、ちょい年増のストリッパー、キャシディことパム。どこかで観たことがあるような...と気になっていたのですが、ランディの買い物に付き合う彼女を見てようやく、それがマリサ・トメイだったということに気がつきました。私が彼女をスクリーンで観たのはもう十五、六年近く前、「忘れられない人」(1993)を観て以来。なぜかこの映画にハマっていた友だちの都合四回目の鑑賞に無理やり付き合わされたのですが、クリスチャン・スレーターの相手役として清純なヒロインを演じていた彼女が、若い客たちに年齢をからかわれながら、年齢相応の顔立ちで文字通りその肉体をさらけ出す姿には、ある意味、ボコボコになってしまったミッキー・ロークの面構え以上の凄みと年月の経過を感じました。レスラーに負けず劣らず、俳優というというのも凄い人たちだなと改めて思います。![]()
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でもプロレスの知識も無く、上手く言葉にできない漠然とした点がありなんとなくもやもやしてました。
こちらの記事でその説明しがたい部分がすっきり解消した気分です。本当に良い記事をありがとうございました。