北の国から 2009探鳥(と釣り)(中篇)

「北の国から 2002遺言」のイラスト(吉岡秀隆)

前編までのあらすじ(黒板純調)
拝啓 恵子ちゃん。苫小牧に上陸し、帯広を経由して霧多布に辿り着いたボクは、早めにフトンに入ったというのになかなか眠りにつくことができず...つまり、翌朝のエトピリカ観察の期待に胸を膨らませすぎていたわけで、そんなとき、宿の本棚に並べられた膨大なコミックのコレクションが頭にちらついて仕方なくなってしまったのは、思い返してみれば本当に情けないことのように思われ...ほんの出来心で「ドラゴンボール」の第1巻を手にしたボクは、これ1冊だけ、これ1冊だけと自分に言い聞かせながら、とうとう20冊も読んでしまったわけで、そしてふと気づけば、時計の針は3時すぎを指していたわけで...恵子ちゃん、目の前がクラクラしました。ボクは、本当に心のヨワい人間です。

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んなわけで、4時半に起きるはずが、目が覚めたのは5時半。ハッと飛び起き、オレのバカバカと心の中で自分を罵りながら、祈るような気持ちで窓のカーテンを開くと外は曇り空。今にも降りそうですが、とにかく降ってはいない...慌てて身支度を済ませると外に飛び出し、アゼチの岬へと向かってクルマをとばしたのでした。


ビバ!霧多布

運にも、霧は出ていませんでした。岬の駐車場に到着すると、ご主人が小島に向かってスコープを構えていました。どうですか?と尋ねると、1羽いる、とのこと。照準を合わせたままのスコープを覗かせてもらいます。おお、何か黒いシルエットが波間に浮いている。いつもより遠くにいるそうで、観察距離は実に600m。スコープを使ってすら豆粒のようですが、確かに嘴がオレンジで、顔が白い。独特の飾り羽までは見えないものの、それはまぎれもなく、念願のエトピリカでした。

しばらくスコープに釘付けになっていると、ご主人が、そのかなり手前にケイマフリのつがいがいるとおっしゃる。照準を合わせなおしてもらったその先には、確かに、目の周囲が白い黒い鳥が2羽、波間にちゃぷちゃぷと浮いていました。ケイマフリも北海道と東北の一部でしか観察できない鳥で、かなり嬉しい。そしてそのすぐ近くには、シノリガモが数羽。目を凝らしてみるとどれも雌の羽色をしていて、どうやら雄はエクリプス(繁殖終了後に換羽し、雌と同じような羽衣になる)になっているようでした。いずれも、仮に一人で見つけることができたとしても、この距離では、何の鳥かまったくわからなかったことでしょう。ご主人に感謝です。

しばらくすると、やはりバード・ウォッチングを趣味にしている、同宿の年配のご夫婦がやってきました。お二人にスコープを譲り、自分の双眼鏡でエトピリカを見はじめたのですが...なんとかその姿を捉えることはできても、これがもう豆粒というよりもほとんど砂粒。しかしそれでも、涙が滲むくらい見続けていれば、嘴や顔の色がなんとなくわかるようになってくるから不思議です。エトピリカはやがて飛び立ち、水面すれすれを小島に向かって飛び始めると、海上を旋回しながら徐々に高度を上げ、やがて小島と同じ高さに達したところで今度は高度を下げはじめ、そして元いた場所に着水しました。ご主人によれば、こうやって、時々パトロールのような旋回行動を見せるのだそうです。エトピリカは何度目かのパトロールのあと、また海上に着水するかと思いきや、低空を羽ばたき続けたまま、沖合いへと向かって飛び去っていきました。

その後、岬に広がる草原でシマセンニュウやオオジュリンを観察し、朝食を食べるため民宿へと戻りました。宿のまわりの牧場も絶好の探鳥ポイントで、エゾセンニュウが、耳を聾する大音量で囀っているかと思えば、低木にはアリスイがなにげなく留まっているではありませんか。複雑な声が聞こえてきたと思ったら、これも今回の旅行中、とにかく見たいと思っていたノゴマ。すらりとした長い足が美しく、喉元のオレンジのアクセント・カラーが想像していた以上に鮮烈です。いずれもこの時期(ほぼ)北海道でしか見ることのできない小鳥たちで、この日の朝はまぎれもなく、この探鳥旅行の前半のハイライトとなりました。

ところで同宿者の中に、北海道を海岸線に沿って自転車で一周しているという年配の男性がいました。やはり苫小牧から上陸して、2週間をかけて霧多布までやってきたそうです。その昔、新潟まで自転車で旅行したことがあるので、クルマに乗っているだけでは平坦にしか思えない平地の道路が、いかに人力には一苦労の細かい起伏に富んでいるものかということは、よくわかっているつもりです。70歳前後にもかかわらず、とにかく行けるところまで行くつもりだと笑うこの人の体力と精神力には、素直に畏敬の念を覚えてしまいました。昔に比べれば、北海道を自転車で旅行する人もかなり減ったと宿のご主人が言ってましたが、それでもこの旅行中あちこちで、荷物満載の自転車を汗まみれになって漕ぐ人たちの姿を目にしました。その横を追い越すたびに、よくやるな~という思いとともに、自分にはちょっと真似できないな~という微かな羨ましさを感じてしまったものです。

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さて、朝食を済ませて向かった先は、再び霧多布岬。またウトウがいないかな~と期待したのですが、さすがにそううまくはいかない。その代わり、海岸から垂直に立ち上る岸壁の中ほどにハヤブサを見つけ、しばし観察したところで岬をあとにして、今度は霧多布湿原へ。広大な湿原の北側には、鬱蒼と樹木の生い茂る丘が広がっていて、ここでの探鳥もかなり楽しみにしていました。いくつかある林道のひとつを訪れると、怖いくらいに真っ赤な夏羽をしたベニマシコをはじめ、ウグイス、コヨシキリ、アオジ、コムクドリが湿原に、また林縁にはコサメビタキが登場。また湿原の遥か遠くには、タンチョウがそろりそろりと歩いていました。

次の林道へと移動する途中、霧多布湿原を一望できるパーキング・エリアに立ち寄りました。そのころにはポツリポツリと雨が落ち始めていて、期待していた展望はいまひとつ。さっさと立ち去ろうとしたところ、年配の女性に声を掛けられました。数年前まで東京にいた人で、今は釧路に住んでいるとのこと。私のクルマのナンバーを見て、懐かしくなったそうです。その人に絶品だと薦められ、パーキングの茶店で牡蠣の酒蒸しを食べたのですが、これがもう最高!!ぽってりと身が詰まった濃厚な牡蠣は、もちろんご当地厚岸産。7月に牡蠣?と思いましたが、このあたりでは季節に関係なく食べるのだそうです。牡蠣といえば牡蠣フライがベスト、と思っていましたが、牡蠣は酒蒸しに限るよ~、と茶店のおばちゃんが言ってたとおり、確かにかなりイケます。

次いで訪れたのは糸魚林道。民宿のご主人から、比較的整備されていると聞いていたので、海沿いの藻散布から別寒辺牛湿原までの10数キロを通り抜けてみることにしたのでした。お目当てはエゾライチョウ。北海道にしかいないキジの仲間です。運がよければ林道上で採餌する様子が見られるかも、と、低速でじりじり、人気のない広葉樹林の林道を進むものの、めぼしい鳥影はなく、やがて道端の草むらに登場したのはエゾジカ。行く先々で、近年シカが増加しているという話を耳にしましたが、確かに今回の旅行中、ひっきりなしにシカを見かけた気がします。

キタキツネの写真

森の奥へ進むにつれて針葉樹が増えてくると、やがてコマドリのヒリリリリリリンという目の覚めるような鳴き声が聴こえてきました。クルマを降り、廃道となっている側道をしばし歩いてみることにしましたが、どうにもこうにも、ヒグマが気になって仕方がない。近づいたと思うとまた遠ざかるコマドリの声に、なんだか森の奥へ奥へと誘われているようで、だんだん気味が悪くなってきました。やがて、シジュウカラやハシブトガラ、ヒガラといったカラ類の集団とコサメビタキが頭上にやってきて、あたりがパッと賑やかになりましたが、しばらくして小鳥たちが行ってしまうと、あたりは急にシンと静まりかえり、なんだか鳥たちに置き去りにされてしまったような心細さを感じました。やはり、ヒグマがどこかにいるかもと思うだけで、びくびくしてしまうのですね(写真は熊出没注意の看板の横に現れたキタキツネ。笑)。ミヤマカケス(カケスの亜種)が2羽、ジェジェーッと鳴きながら高木の上を移動するのを見たのをしおに、よしもう十分だ!と、クルマに戻りました。その後、林道の先で目ぼしい鳥を見かけることはなく、結局エゾライチョウも現れてくれませんでした。



初物

道は終点近くで、別寒辺牛湿原を縫って流れるチライカリベツ川と交差します。川を取り巻く湿原の雰囲気が素晴らしく、ふと思い立って釣りをしていくことにしました。その頃には既に雨が本格的に降り出していましたが、人気のない湿原の静かな雨の風情は格別で、釣れても釣れなくても、こんなところで竿を振ること自体がまさに至福...なーんて殊勝なことを考えながら、上流側のボサ脇にスプーンを投げ込んだところ、早くも第一投目で何かがヒット!

アメマスの写真

ヒャッホーイ!!と大喜びして釣り上げた魚は、体長20cm程度のアメマス。降海するタイプでは最大80cm程度まで成長する魚なので、サイズ的には大したことないのですが、北海道で北海道らしい魚を釣りたいという夢がかなって、とても嬉しい。それどころか川釣り自体が実に久しぶりで、その意味でも非常に感慨深い。その後、同じようなサイズのアメマスをもう1匹掛けたところで雨脚がさらに強くなり、ちょこちょことあったアタリも遠のいてきたので、潔く切り上げ、満ち足りた気分で、次の目的地を目指すことにしました。

向かった先は、霧多布から50kmほど離れた、根室半島の付け根にある風蓮湖という汽水湖。苫小牧のウトナイ湖と同様、この湖とその周辺湿地もラムサール条約に指定されていて、今回の旅行で必ず訪れたいと思っていた場所のひとつでした。再度、霧多布に戻り、こんなとこにあったの?というムツゴロウ動物王国の前を通り過ぎ、海沿いの道を根室方面へ。本当は落石岬に立ち寄りたかったのですが(「北の国から'95秘密」で蛍が住んでいたところ)、荒天に心が挫けてしまい、途中で風蓮湖に向けてハンドルを切ると、早々に湖のほとりの民宿に投宿したのでした。



ヒグマのこと

の日お世話になった民宿は、バーダーがよく利用する宿として知られていて、リビングの壁一面には、鳥関係の本が所狭しと並べられていました。しかし、そんな中で私の興味をもっとも引いたのは、「クマにあったらどうするか-アイヌ民族最後の狩人 姉崎等」という、クマ撃ち猟師の体験を聞き書きでまとめたヒグマに関する本。ページを捲りはじめたら引き込まれてしまい、思わず一気読みしてしまいました。

同宿していた人たちの中に、道内の北見から訪れていたおじさんたちがいて、実際にヒグマを見たことがあるかと聞いてみると、なんでもないことのように、もちろんあるよ、さすがに目の前で鉢合わせしたことはないけれど、山菜採りに行って、谷を挟んで見かけたことなどは何度もある、などとおっしゃる...う~ん、そんなこと聞くと、改めてビビってしまうじゃないですか。

東京都下であってさえも、奥多摩へ釣りに出かけたり、山登りに行くと、ふと、あ、ここはもう人間のテリトリーと野生動物のテリトリーの境界線上だなと理屈抜きに感じるときがあって、そんなときは思わず後ろを振り返ってみてしまったりします。とはいえそんな気分になるのはよっぽど奥へと入っていったときのことであって、しかし北海道では、その境界線がずいぶんと街の近くにあるように感じられます。北海道にいると、街の生活ではほとんど意識していない(できない)自然に対する畏れの気持ちが、ヒグマという具体的なイメージがあるせいで、ひしひしと湧き上がってくるようです。奥多摩だって野猿は出るしシカもタヌキもテンもいるし、しかもツキノワグマも住んでいて、実際、昨年も奥多摩在住の世界的登山家が子連れのクマに遭遇して重傷を負うという事件があり、遭遇場所は、あんな場所に出るならもうどこに出たっておかしくないというくらいに集落からほど近い場所で、ニュースを耳にしたときはホント、震え上がってしまったのですが...しかしツキノワグマとヒグマでは、恐怖のボリュームが圧倒的に違うというか、ヒグマは出会ってしまったらその時点でもうおしまい、という絶望度120%の恐怖感があって、北海道の森(それが大して深くない場所であっても)にひとりでいると、なんだか丸裸でいるような不安感と無力感に襲われるのです。

この旅行を通じて、どこどこはヒグマの巣だとか、どこにでも出ると思ったほうがいいとか、そんな話を民宿の人だとか釣具屋の人だとかネイチャー・センターの人だとか、もういろんな人から耳にしましたが、あえて言われるまでもなく、私は自分なりの感覚で、かなりビビッていました。折りしもテレビでは、トムラウシの大量遭難のニュースを報じていて、それを見ていた同宿の一人が、「遊びは自己責任」と呟いていましたが、あの遭難がどうこうというのは別として、まさにヒグマに遭遇するもしないもすべては自己責任、遭遇しなかったのは運がよかっただけ、と思われるようなレベルの入山や入渓をして、運不運に身を任せるようなことだけはしないようにしよう、と改めて誓ったのでした。



停滞ふたたび

日は、朝からかなり激しい雨が降っていました。この日は、風連湖と根室湾に挟まれた、南北8kmにわたって伸びる細長い砂州、春国岱(しゅんくにたい)を訪れて野鳥観察をする予定だったのですが、これではもうどうしようもない感じ。とにかく春国岱は明日だ!と決め、連泊することにしました。宿に寝っ転がって本でも読むつもりだったのですが、朝食を済ませて思い思いの場所へと出かけて行く同宿の人たちをみているとじっとしていられなくなり、とにかく出るか、とクルマに乗り込みました。

とりあえず根室にでも行ってみようとクルマを走らせてはみたものの、ワイパーが追いつかないくらいのひどいざあざあ降り。急ぐ必要もないので回り道し、途中、花咲ガニの水揚げで有名な花崎港と花崎灯台に立ち寄りましたが、クルマから出る気にもなれない悪天候。というわけで、しばらくの間、港に停めた車の中から、港にうじゃうじゃいるオオセグロカモメとウミネコを観察していたのでした。

こんなところで何やってんだろう、オレ...みたいな思いが湧き上がってきたところで、再びクルマをスタートさせ、根室市内を素通りして、本土最東端にある納沙布岬へ。しかし、びゅうびゅうの風とざあざあの雨の勢いはいっこうに収まらず、ほんの数キロ先にあるはずの歯舞群島は影もかたちも見えません。実は、納沙布岬に5月以来ラッコが居ついているという話を耳にしていて、ほんのちょっぴり期待していたのですが、視界が悪い上に波で海上の昆布がゆらゆらと揺れまくり、横殴りの雨に顔を叩かれながらいくら目をすがめてみても、いったいどこにいるのやら、さっぱり見当がつきません。そんなわけで早々に納沙布岬をあとにしようとしたとき、入れ替わりに駐車場へ滑り込んできたのは、おととい霧多布で同宿になった年配のご夫婦。一緒にエトピリカを見た方たちです。なぜわかったかというと、このお二人、ちょっとそこらでは見かけない、イギリス製のハンド・メイド車、ケイターハムスーパー・セブンというクルマに乗っていたからです。極力雨のときは乗らない...と言ってましたが、旅行中ではそうもいかないようで、しっかり幌が付けられていました。

一路、最北端の街、根室へ。街路の地名表示に併記されているロシア語が、独特の異国情緒を漂わせていました。この際洗濯だ!と、駅前の観光案内所でコイン・ランドリーの場所を教えてもらい、洗濯&乾燥機に汚れ物を放り込み、靴の乾燥機もあったのでついでに湿ったスニーカーも放り込み、長靴に履き替えて再び駅前へ戻ると、先から気になって仕方がなかったカニ市場のお店に突入。漁が解禁されたばかりのトゲトゲの真っ赤な花咲ガニが、ライトに照らされてずらりと並んでいました。適当なのを選んで、その場でいただくと、ぷるるんとした身がほっこり甘く、最高にうまい。実は、11年前の北海道旅行で根室の近くを通ったのですが、その日はなんと花咲ガニ漁の解禁日前日という、なんとも悔しい思い出があって、帯広の豚丼と同様、今回の旅行でようやく積年の募る思いを果たすことができました。

さて外は雨、洗濯物はまだ乾燥中、ということで、ここは貪欲に根室名物を追求だ!と、観光案内センターで仕入れた情報をもとに、街中のとある喫茶店を訪れました。昼時ということもあってか、混み合う洒落た店内を見て、スニーカーを乾燥機に入れてしまったことをひどく後悔したものの、仕方ないのでレイン・ギアの上下に長靴の格好で入店し、根室名物(ということを30分くらい前に始めて知った)のエスカロップ(縮めてエスカと呼ばれていた)を注文。もともと根室の喫茶店で考案された一品だそうで、訪れた喫茶店はその元祖の店で修行を積んだシェフが開いたというお店(と説明書きにありました)。根室地域ではかなりメジャーな食べ物らしいものの、まるで情報統制が敷かれているかのごとく、この旅行中も根室以外でその名を目にすることがなかったのが不思議です。で、出てきたのは、タケノコ入りのバター・ライスにどーんとトンカツが乗っかり、そこに濃厚なデミグラス・ソースが掛けられた一品。久しぶりの洋食ということもあって、味・量ともに満足、うまいうまい!それらしい名称といい、味といい、もっと全国的に広まってもいいような気のする一品でした。



「釣りキチ三平」の川

濯も終わり、腹もくちくなり、根室でやることもなくなりました。というわけでまた、豪雨の中をドライブ。民宿の前を素通りし、今度は風蓮湖に注ぐ川、風蓮川へと向かいました。この川、釣りマンガの金字塔、「釣りキチ三平」でももっとも人気の高かったといわれるエピソード、「イトウの原野編」の舞台のモデルとなった川です。風蓮川水系のイトウはいまや絶滅寸前と言われており、ちょっと立ち寄ったくらいでイトウが釣れるなどとはハナから考えてもいませんでしたが、でもアメマスくらいなら釣れるかも、と思いつつ、いずれにしてもこの風蓮川でとにかく釣りがしたい!というのが子どもの頃からの夢だったのです。

国道の橋から眺めた風蓮川の風景は、コーヒー色に渦巻く増水した流れはともかくとして、蛇行する太い川を縁取るようにして緑の草木が岸沿いにびっしりと生い茂り、マンガに描かれていた世界そのものでした。風雨などなんのその、俄然やる気になってタックルを準備したものの、顔の上まであるびっしょり濡れた草木を掻き分けて水辺に辿り着くまでが一苦労。藪の合間合間に竿を振るスペースを見つけてはルアーを投げ入れ、しばらくやってはまた泥だらけになりながら移動して竿を振る、という感じで釣り続けますが、まったくアタリなし。釣れない釣りほど疲れるものはない、と言いますが(たぶん)、雨に打たれ続けているうち、いい加減いやになってきました(ヘタレ)。人影に驚いたカワアイサが5、6羽、水辺を走るように飛んでいくのを見て、よしもう十分だ!とこの旅行で数回目のギブ・アップ。折りしもこの日の根室は、初夏だというのになんと最高気温が12度という肌寒さで(宿ではヒーターを使っていた!)、全身濡れねずみになった体がブルブル震えてしまうようなありさまでした。その後、懲りずにいくつかの川を回ったものの、そもそもこんな日に釣れるわけがなく、ぼろぼろに疲れきって民宿へ撤収しました。それでも同宿者の話を聞いてみると、この日、私の移動距離がもっとも短かったようで、みなさんホント、行動的です。

夕食の献立は、海の幸が中心。茹で立ての真っ赤な北海シマエビに、メインは流し網漁が解禁されたばかりのサンマの塩焼き。いや~、ビールがすすむすすむ。同宿者の中に呑兵衛がいて、リビングのテーブルで、夜遅くまでいろんな話をして過ごしました。北見のおじさんが、いや~民宿ってこうやっていろんな人と話ができて楽しいね、初めてだけど、こんないいもんだと思わなかったね、と言ってましたが、まったく同感です。



沈みつつある「奇跡の島」

朝は5時起床。相変わらずの雨でしたが、しかし昨日までの勢いはなく、これなら大丈夫そうだ、と飛び起きると、雨具に長靴のフル装備でいざ念願の春国岱へ。宿の前の浅瀬では、100羽以上のアオサギが羽を休めていて、いきなり度肝を抜かれました。浅瀬を双眼鏡でじっくりと観察すると、頭と胸が黒いスズガモの姿。冬鳥だとばかり思ってましたが、北海道で繁殖する個体もいるのです。

砂州に続く橋を渡り、遠くに見えるアカエゾマツとトドマツの天然林を目指して進みます。草原と湿原と砂丘と林が一箇所に混在し、地盤沈下によって立ち枯れたアカエゾマツが点在する景観は、まさにこれまで目にしたことのない不思議な世界。3年前の低気圧で数千本の樹が倒れてしまったという新聞記事の切り抜きが宿の壁に貼られていましたが、民宿のご主人いわく、春国岱の地盤沈下は止まることなく、貴重な林は年々痩せ続けていて、このままいけばいずれなくなっちゃうんだろうなあとのこと。春国岱は、本来、人の一生の時間軸に収まりきらないはずの自然の経年変化を垣間見ることのできる場所、と言っていいかもしれません。

湿地ではタンチョウが採餌の真っ最中で、林の近くにはエゾジカの群れも。ここ数年、春国岱ではエゾジカがめっきり増え、昨年はヒグマの糞も発見されたそうで、ここにも例によって熊出没注意の看板が立てられていました。鳥影の多い場所で、林に続く湿原と草原にはハクセキレイやカワラヒワ、アリスイやオオジュリンの姿が見られ、林の中に入るとアオジにコムクドリにシジュウカラにルリビタキ、それに日本最小の鳥ともいわれるミソサザイも姿を現してくれました。

林を後にして、海沿いの砂丘に設けられた遊歩道を歩いていると、後ろから同宿の横浜から来ている親子連れがやってきたので、しばらく雑談しながら散歩。ご主人は、学生時代にこの地を訪れていっぺんに気に入ってしまい、以来30年近く、風蓮湖に通い詰めているのだそうです。学生の頃に比べて、ここの風景もすっかり変わってしまったなあと言い、昔は遊歩道もなければ立ち入り禁止の場所なんてものもなくて、どこでも好きなようにずかずかと歩き回ったものだよ、と笑っていました。

散歩から戻った頃には雨もほとんどあがり、湖上に広がる東の空には青い色が見え始めていました。もちろん、みんな大喜びです。朝食には、宿のご主人手づくりのジャムがずらりと並び、見ているだけでもカラフルで楽しい。イチゴにマーマレード、ハマナスにルバーブにコケモモにマタタビと、えっ、こんなものもジャムになっちゃうわけ?というライン・アップを食パン3枚で味わい尽くし、いよいよ出発。



国後島まで16km

てこの旅行、実は風蓮湖までの道のりは、出発前に効率を考えて、アバウトながらある程度、予定を組んでいたものでした。しかし、この先は正真正銘の白地図で、いくつか行きたいと思う場所はあったものの、どこをどう回るかについてはまったくのノー・アイデア。そんなわけでこの日以降、行動がどんどんその場の思いつき優先になっていき、したがって辿る道のりも、激しいジグザグを描くようになっていくのですが...とりあえず野付半島を目指して走り出すも、ふと気が変わって走古丹(はしりこたん)に寄り道、というのがまずは行き当たりばったりの手始め。

走古丹は風蓮湖の北東側にあり、春国岱と同様、湖と海を隔てている細長い砂嘴(さし)です。ムラサキ色のノハナショウブが今を盛りと咲き誇る、この海沿いの砂地で、しばらくのあいだ、草原性の夏鳥の観察。この旅行ですっかりなじみになった鳥たちに混じって、ようやくオオジシギが登場。突然草原から飛び上がり、また叢に姿を隠すまでのほんの一瞬ではありましたが、これまた見たいと思っていた鳥だったのでかなり嬉しい。その後、また現れないかとしばらく粘ってみたものの、根負けして終了。

野付半島を目指す前に、今度は、風蓮川と並び、イトウが棲息することで有名な(現在はほとんど絶滅状態と言われている)西別川で釣り。しかし、増水した泥にごりの川は私の技術ではまったく手に負えず、またこの後、懲りずに春別川でも釣りをしてみるものの、やはり手ごたえなしで、釣りはまったくのお手上げ状態。というわけで、いいさ、バード・ウォッチングがあるから!と、今度こそ、野付半島を目指して海沿いにクルマを走らせていると、今度はオジロワシらしき鳥影を見た気がしてクルマを急停車。あわててクルマをおり、海岸へと駆け下りたものの、時すでに遅し、どこかに飛んでいってしまったようです。う~ん、なんだかちぐはぐ、という思いをいだきつつ、今度こそ今度こそ、野付半島へ。

国後島の写真

野付半島は、根室海峡に突き出た、カマキリの斧のような形をした細長い砂の半島です。国後島に最も近い場所であり、その距離はたったの16km。海辺にたって東を眺めると、実際、島影がすぐ目の前に見えて、そのあまりの近さに驚いてしまいました。双眼鏡で覗くと、港周辺の街並みがはっきりと確認でき、国後島が日本固有の領土であるということに強い実感をいだくような距離感。あそこに上陸しようと思ってもそれができないという事実に、なんとも強烈な違和感を感じてしまうような近さでした。

半島の内側の野付湾はラムサール条約の登録湿地となっていて、春国岱と同じく、立ち枯れたトドマツが立ち並ぶトドワラで有名です。しかし、枯れ木のほとんどは倒れ、春国岱以上に風化が進んでいるという印象。事実上、もうほとんどその奇怪と評される景観を留めていないように見えました。人間の都合にまったくお構いなしに進む、そんな自然の摂理を横目に眺めながら、クルマを半島先端の駐車場に付け、ここでもまた草原性の鳥を探し、ひとときのあいだバード・ウォッチング。咲き誇るエゾカンゾウとハマナスの群落の中にオオジュリンやノビタキ、ノゴマを見つけながら歩いていくと、灯台近くの牧場の池に水鳥の集団を発見。驚かせて飛ばさないよう、身を低くして観察すると、スズガモ、マガモにヒドリガモ、少し離れた草陰にはオオバンの姿も見え、ほかにも違う種らしき鳥の姿がありましたが、残念ながら遠すぎて、私にはなんだかわかりませんでした。

帰路、外海側を眺めながらクルマを走らせていると、ネイチャーセンターの近くで、今度こそ紛れもないオジロワシの姿を発見し、あわててブレーキを踏みました。クルマから出ようとすると、その気配に驚いたのか、オジロワシは羽を広げて海岸沿いにばっさばっさとと飛び去ってしまい、海岸へ走るともうその姿はなく、またどこかへ舞い降りた様子...おおよその見当をつけ、海岸を探しながら歩くと、かなり先にその姿を発見するも、また羽ばたいていってしまいました。どうも、人の気配に敏感になっているようで、まるで鬼ごっこです。

オジロワシの写真

これではラチがあかん...と思いながらクルマに戻り、しばらく走ると、かなり前方の海岸のコンクリート・ブロックに、またその姿を発見しました。同じ轍は踏まん、と今度は車の中からそっと観察することに。オジロワシは冬季に渡来する冬鳥ですが、少数(60つがいほど)が北海道でも繁殖していると知り、道東に入って以来、海岸沿いを走っていればそのうち会えるかも...と期待していたので、これまたかなり嬉しい出会いとなりました。



上武佐再訪

つて、標津線という国鉄の赤字ローカル路線がありました。標茶と標津を結ぶ総距離120kmほどの行き止まり路線で、国鉄が民営化されてしばらくたった平成元年に廃線になってしまいました。この標津線に、上武佐という名前の駅がありました。住所は標津郡中標津町の武佐集落のどこか、中標津の町から北にいったあたりにあったはずですが、廃線(廃駅)によって地図上から上武佐という名称が永久に消えてしまったため、いま手元にある20,000分の1のロード・マップを見ても、それがどこだかを正確に指差すことができません。

で、この上武佐駅、山田洋次監督による1980年公開の映画、「遙かなる山の呼び声」の舞台となった場所なのです。高校生の頃、私はもうこの映画が好きで好きで大好きで、とにかく感動しまくって北海道に行ったら必ずここを訪れると決めていて、高校を卒業した春、まだ冬だった北海道に初旅行したときに、なにはともあれ目指した場所だったのでした。むろん当時は、この映画のロケ地はどこどこだ、などという便利な情報などどこにもなく、録画したビデオを一時停止ボタンを駆使して見つけた駅名を手がかりに、時刻表に乗っている北海道の路線図を丹念に目で追って探し出し、うわ遠い、でもどこだかわかったけんね!と、それなりに手間暇をかけて掴んだ地名だったのです。

当時、ローカル線を乗り継ぎ乗り継ぎたどり着いたこの駅にようやく降り立ったときの感激は、いまでもよく覚えています。あたりはまだ雪深く、無人駅の駅舎にはストーブが焚かれていて、おお、高倉健が歩いてたのはこの線路だったなあとか、このベンチに兄貴と座ってたなあとか、(まだお子様だった)吉岡秀隆君がこの駅前を通学してたなあとか、思い出せる限りの駅まわりのシーンを思い出しては、あれはここ、ここはあれ、と、いちいち感動していたのでした。雪に埋まりながら、少し辺りを歩き回ってもみましたが、むろん、駅シーン以外のロケ地がそんな近場にあるはずもなく、映画で見覚えのある場所は皆無。というわけですぐにやることがなくなってしまい、折り返しの列車がくるまで、ずいぶんと長い間、待合室でぽつーんとしていたような記憶もあるのですが...でもまあ私にとっては、逆に「遙かなる山の呼び声」を観るたびにこのときのことを思い出してしまうようになった、若かりし頃のとても懐かしい思い出なのです。

というわけで、今回の旅行では、近くを通ったら、ぜひまたこの地を訪れてみたいと思っていて、そのチャンスがいよいよやってきました。なにせ地図に地名が載っていないので、正確な場所がわからないのですが、野付半島からおよそ30km、武佐まで行けばきっとわかるさ!ということで、ざっと西に向かってクルマを走らせます...が、釣れそうな川を見つけてまたもや寄り道(笑)。ルアーを投げられるぎりぎりの広さしかないような、武佐川の支流でしたが、逆に前日までの雨が幸いしたようで水量十分、水も澄んでいて、こりゃイケるかもとスプーンを放り込んだところ、20cm弱のアメマスが一投目でヒット。引き続き、同じ場所ですぐにまたアタリがあるもフック・アップせず、その後、藪を漕ぎ分け漕ぎ分け、場所を移動して釣り続けたのですが、アタリがすっかりなくなりました。ふと西に傾きかけた陽を見て、しまった、釣りしてる場合じゃなかった!と我に返り、竿を畳んでまたクルマを走らせます。あとあと中標津の釣具屋で聞いたところでは、この武佐川水系がアメマス生息域の北限だったそうで、以降、道央に戻ってくるまで、アメマスは1匹も釣れませんでした。

さて、武佐に近づくと、幸いなことに、上武佐という名称が案内標識に出てきました。地図からその地名は消えても、そういう呼び名が残っているということでしょう。牧場と森が交互に広がる開拓地のまっすぐな道路を、案内標識を頼りに走っていると、前方からなにやら見慣れたクルマが...そう、それはケイターハムスーパー・セブン。霧多布で同宿になり、後日納沙布岬でもすれ違ったおじさん、おばさんです。この日はもちろん幌なし。あっという間にすれ違ってしまいましたが、これまた随分辺鄙なところで、と、ひとり愉快になってしまいました。

上武佐駅跡の写真

そしていよいよ、交差点の地名表示板に上武佐の名前が...駅跡はどこだ?と探し回るまでもなく、それはすぐに見つかりました(なにせ、写真のような、見落としようのない看板がどーんと立っていたので)。あたりの景色は、記憶の中にあるものとかなりその姿を変えていました。ランドマークの駅舎は跡形もなく、むろんホームもなければ線路も枕木もすべて取り外され、丈の高い草がぼうぼうと生い茂っています。23年前に来たときは、ここが映画のロケ地だなんていうことを示すものは一切なく、人っ子ひとりいない無人駅に一人取り残されたような寂しさを感じたものですが、これ見よがしの看板に若干引きながらも、この映画がこの地で忘れられていないことを知って、なんだか嬉しくなりました。

上武佐駅跡の写真その2

しばらく感傷に浸ったのち、名残を惜しみつつ出発。次に目指すは上武佐からほど近い、開陽台。ここは、「遙かなる山の呼び声」の実質的な前編ともいえる映画、同じ山田洋次監督の「家族」で、九州を旅立った一家が、クライマックスで入植する場所なのです(ということを、上武佐の映画看板の裏に貼ってあった説明で初めて知った)。

開陽台の風景写真

人っ子ひとりいなかった上武佐駅跡と違い、開陽台はれっきとした観光地。ぱらぱらと人がいました。ここの展望台から眺めたパノラマは、今回の旅行でもとびきりといっていい開放感に溢れたもので、どちらを向いても、遥か彼方まで緑の牧草地が延々と続いていて、その豪快すぎる景観に息を呑むばかり。しばし、開拓者たちの苦労に思いを馳せながら、夕日に照し出された景色を堪能しつつ、それはそれとして、さて、この先どうしよう、と行き先の思案。おなかがすいたので、とりあえず町に出るか、と中標津の町を目指しました。

途中、例によって、よさそうな川を見かけてまた寄り道。今度は武佐川の本流で、渓相といい水の状態といい、いかにも釣れそうな雰囲気に満ち満ちていて、こりゃイケる!と、かなり気合を入れて臨んだのですが、しかしあらゆる手練手管を繰り出し、もてる秘術のすべてを尽くすもアタリひとつなく、結局日没まで粘ってノー・フィッシュ。すっかり暗くなった頃に敗残者の気分で中標津に辿り着き、街道沿いの定食屋で夕食。「とらや」というこのお食事処、実は11年前の旅行でも、知床から釧路に抜ける際の夜更けにたまたま立ち寄ったお店でした。旅行中はこういう普通の定食屋がけっこうありがたくて、何品あるんだ!?というくらいに品数の並ぶメニュー(本当にすごい)を見て、昔も同じように驚いたことを思い出しました。しょうが焼き定食を食べ、お茶を飲みながら、地図を眺めながら行き先の検討。釧路川の上流あたりで釣りがしたいな~と思い、とりあえずそっち方面に向かうことに決めました。

さて、夜道を時速80kmくらいで走っていると、対向車が数台パッシングしてきました。すかさずスピードを落とすと、案の定しばらく行った先の牧場脇にライトを消したネズミ捕りのパトカーが。折りしも北海道は交通安全週間で、あちらこちらにパトカーがうようよ。旅行中、捕まっているクルマもけっこう見かけましたが、たいてい他県ナンバーだったような気がします。

というようなことがありつつ、虹別を経由し、弟子屈へ。釧路川のほとりまで辿り着いたところで、この日の行動は終了。明日は朝イチから釣るぞ!と、川のほとりの公園に駐車し、車中泊です。私のクルマはワゴン・タイプで、バックシートを倒して荷台を広げ、斜めになって横たわると、180cmの体がなんとか収まって、快適とまではいえないまでも、朝までぐっすりと寝ることができます。根室ほどではないにしろ、夜は案外寒く、寝袋を広げて中に潜り込みました。車中泊が流行ってるせいで商売あがったりだ、と根室の民宿のご主人が嘆いてましたが、おっしゃるとおり、公園の駐車場にはそれらしきクルマが何台も停まっていて、なんだかオート・キャンプ場にでもいるかのような賑わいでした。



急遽、羅臼へ

明け前に起きるはずが、目覚めたのは6時半...どんよりとした曇り空です。いかん、朝マズメを逃した、いったい何のための車中泊だ!と自分を激しく罵りながら外へ飛び出し、ともかく川の様子を見に行こうとしたその矢先、すぐ目の前の樹に一羽の鳥が止まるのが見えました。眠い目を擦ってよく見れば、アカゲラです。おお、ずいぶん気軽に出てきてくるじゃないか、と喜んでいると、今度は隣の低木にアリスイが数羽やってきて、さらに同じ木にノビタキが。ふと気がつけば、あたりの林や草むらから、実にさまざまな鳥の鳴き声が聴こえてくるではありませんか。とてもじゃないが無視できない!というわけで釣りはやめて双眼鏡を取り出すと、さっそく探鳥開始。

この釧路川のほとりの公園の鳥影は実に濃く、少し大げさに言えば、ひと歩きごとに何かが目の前に現れるといった感じでした。見た順に片っ端から並べると、ハクセキレイにキセキレイ、ベニマシコにシジュウカラ、アオジにクロジにアオサギ、カワセミ、ヒヨドリ、コヨシキリにコサメビタキにセンダイムシクイ、ゴジュウカラにハシブトガラ、メジロにマガモにイワツバメにショウドウツバメ。ざっと一回りしてこんな感じです。

あんまり楽しいので、同じコースを3回も4回もぐるぐるとパトロール。そのたびに、出てくる鳥は徐々に減っていきましたが、それでも楽しいものは楽しい。そしていきなりこの日のクライマックス。何度目かに訪れた公園の池のほとりの高木にキツツキのシルエットを見つけ、アカゲラかと思って双眼鏡を覗いてみると、なんとコアカゲラ(Yahoo!の野鳥図鑑に載ってない)の雄!ずっと見たい見たいと思っていた、でも難しいだろうなと思っていた、北海道固有のキツツキの一種です。予期せぬ登場に大興奮、釣りしないでよかった~としみじみ思いながら、じっくりと観察。しばらくして林の奥に飛び去ってしまいましたが、今度はクルマを停めていた場所のすぐ近くで、コアカゲラのメスを発見。朝から最高!と思っているうち、ふと気がつけば11時。なんと早くも半日が過ぎようとしていたのでした。

さあ今度こそ釣りだ、というわけで、適当な釣り場を探して北に向かってクルマを走らせていたのですが、どうも珍しい鳥を見たことで、気分がまた探鳥モードに切り替わってしまったようで、このとき頭の中には、根室で同宿になった人から耳にした、羅臼にシマフクロウを見ることのできる宿があるという情報がぐるぐると渦巻いていて、コアカゲラに続き、今度はシマフクロウが見たくて仕方がなくなってきました。日本最大のフクロウであるシマフクロウは、かつて全道に棲息していましたが、開発によって棲家(樹洞)と餌(魚が主食)を失い、現在では道東・道北のごく一部の地域に130羽程度しか生息していないといわれる、正真正銘の絶滅危惧種です。見ようと思って見られるような鳥ではないのですが、この宿では餌付けがされていて、夜な夜な、宿の前にある川にシマフクロウがやってくるのだそうです。

よし、今日はここで日没まで釣りして、明日、羅臼に行こう!と決心し、さっそくクルマを停めると、番号案内で宿の連絡先を調べて電話を掛けました。運よく空きがあるとのことだったのですが、明日は天気が崩れそうなので、もしシマフクロウが目当てなら、やめておいた方がよいかもという親切なアドバイス。雨が降って川が増水してしまうと、魚が獲れなくなってしまい(釣りみたい)、シマフクロウがやってこないのだそうです。どうしようか、と悩みましたが、今日は大丈夫そうだよ...との一言を聞き、即座に羅臼へ向かうことに決めました。

クルマをUターンさせ、昨日来たばかりの道を逆戻り。羅臼までは約120km、日暮れまでに到着すればよいので、時間に余裕はありました。というわけで途中、開陽台にほど近い、養老牛温泉に寄り道していくことに。実は、ここの湯宿でもシマフクロウの餌付けをしているという話を仕入れていたのですが、しばらく前からもうひとつの旅館でも餌付けを始めたため、どちらの旅館に現れるかはシマフクロウの気分次第になってしまったそう。たとえ泊まっても、確実に見られる保証がないというわけで、どうせなら羅臼へ、ということにしたのですが、あそこの湯はいいよ~と根室で同宿した人が言っていたので、温泉だけでも入っていくか!と立ち寄ることにしたのでした。

旅館のフロントにはシマフクロウの現れた日時が記録されていて、過去1ヶ月の記録を見ても、やはり現れたり現れなかったりのようです。シマフクロウはともかく、温泉のお湯はとても素晴らしいもので、薄暗い照明の落ち着いた内湯の雰囲気や川べりに設けられた露天風呂の風情は申し分なく、また何よりお湯の温度が私にとってちょうどよい(これがけっこう重要)。旅館の方たちの応対も気持ちがよく、総合的に、この旅行中に立ち寄った温泉の中ではナンバー・ワンで、いつかそのうちまた訪れてみたいという気にさせられました。ところで実はこの温泉、「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」のロケ地だったということを、数日前にネットで初めて知りました。あわててビデオを確認したのですが、なるほど、確かに養老牛温泉で、寅さんがクマに追いかけられています(笑)。しかも映画には、私が立ち寄った湯宿とは別の旅館(あとからシマフクロウの餌付けを始めたところ)が登場していて、さらにこの旅館、この映画のみならず、「遙かなる山の呼び声」の撮影関係者たちの宿泊地でもあったのだそうで...館内に、当時のいろいろな記念の品が飾られているのだそうです。しまった!と悔やんでも後の祭り...



アイヌの守り神、コタンクルカムイ

び中標津の町に立ち寄り、最初に見つけた蕎麦屋でカレー南蛮の遅い昼食。おばちゃんに釣具屋の場所を教えてもらい、立ち寄って羅臼方面のよさそうな川の名前を教えてもらったところ、標津より先はヒグマの巣なので、ひとりで釣りのぼるのはやめておいた方がよいなどとまじめな顔で恐ろしいことを言われてしまいました。

道中、空が崩れ、とうとう雨が降り出しました。雨足が強くならないことをいのるばかり。日暮れ前に羅臼に入り、釣具屋に教えてもらった川のひとつで竿を出してはみたものの、あえなくノー・バイト、むろん川を釣り上がるなんてことはせず、早々に撤退しました。国道沿いに、"純の番屋"「北の国から2002遺言」で、純が住みついていた浜の小屋)の看板を発見し、おお、これは明日必ず行かなければ!と思いながら、民宿に到着。いかにもシマフクロウが現れそうな風情の細い渓流が目の前にありました。雨は小降りで問題なさそう。期待度は最高潮です。

この日の同宿は、名古屋から来たという私と同年代の夫婦と、東京からやはり同年代のバイク乗りの男性。名古屋の人たちは、そもそも食事のおいしい宿を探していて、観光案内所でここを紹介されたとのこと。この民宿、実はご主人が現役漁師。そのせいか夕食はかなり豪華で、デカいきんきの煮付お刺身の盛り合わせ、それに毛ガニのどーんとはいったお味噌汁(ほかにもいろいろあったが忘れた)。それにしても、えっ、こんなに!?というボリュームとクオリティで、みんな大満足です。

そしていよいよ、シマフクロウの時間。驚かさないよう、川の前に停めたクルマの中からそっと観察です。夜の帳が下りた知床の闇に、ボォーッ、ボォーッという低音がこだまします。宿から出てきた女将が、シマフクロウの鳴き声だと教えてくれました。森のどこかから、じっと川を観察しているはずだと言います。女将が生簀から魚を数匹取り出し、川の流れに入ると、中ほどに作られた池に放しました。そして固唾を飲みながら待つこと20分、一瞬逸らした視線を戻したとき、池のほとりにシマフクロウが出現していました。まさに手品のよう。いったいどこから飛んできたのか、まったく気がつきませんでした。

初めて見るシマフクロウの印象は、とにかくデカい!猫のようによく光る大きな目をしていて、しかしそのサイズは猫どころか、小型の犬よりもデカい。そのシルエットは鳥というよりも動物、まさに世界最大級のフクロウと呼ばれるに相応しい、圧倒的なサイズです。そうこうするうちに、シマフクロウが羽ばたきながら池に飛び込みました。一瞬ののち、がっしりとした足で魚を掴んで飛び上がると、その場で啄ばむ...のではなく、アタマからごくんと一飲み。続けて数匹を捕食、そして来たときと同じように、私が一瞬池から目を離した瞬間、煙のようにその姿を消していました。

シマフクロウの迫力に呆然としていると、女将がやってきて、池に魚を追加。待つこと30分、集中力が薄れた頃、また忽然とシマフクロウが姿を現しました。今度の個体には足環が付けられていて、どうやら先とは違う個体のようです。先のシマフクロウと同じように瞬く間に数匹を平らげ、まだ足りないというように、池をじっと覗き込みながら、その場に佇んでいます。かなり長い間そうしていたのち、突然といった感じで羽ばたくと、あっという間に夜の闇へと消えていきました。ここで私は部屋に引き上げましたが、翌朝聞いたところによると、その後にもう1羽、やってきたそうです。

ここの川にやってくるシマフクロウは4羽いて、親鳥と若鳥が2羽、うち母鳥にだけ足環が付いていないのだそうです。バンディング(足環付け)は環境省が実施しているもので、現在生息しているシマフクロウのうちのかなりの個体に足環が付けられているそうです。かつてアイヌの守り神と言われ、全道に生息していたというシマフクロウが自力で繁殖していくための自然環境は、もはやほとんど残されておらず、一時は80羽から100羽程度までその数を減らしてしまったとのこと。現在、その個体の多くが人工樹洞によって営巣し、羅臼のような給餌池や養魚場にその餌のかなりの部分を依存しているとも言われています。保護しなければ、トキのようにいずれ絶滅してしまうことは確実で、人から給餌補助を受けざるを得ないシマフクロウの姿には、単に珍しい鳥を観察できたことの喜びだけでは済まない、複雑な思いを抱いてしまったというのが正直な感想です。羅臼のシマフクロウは、そもそも給餌活動をはじめる以前から時折姿を見せていたそうで、そこに目をつけたあるカメラマンが、給餌池の設置を思いついたのだそうです。これに思うことはいろいろありますが、Yes、Noの二択でいえば、私は給餌に賛成です。種の保護がどうこうという以前に、腹をすかしてるだろうと思うとかわいそうで、という女将の、目の前に現れる個体を思いやる、ある意味理屈抜きの自然な感情に、素直に共感を覚えるからです。

*        *        *

...とまあこんなふうにして旅行8日目の夜が更けていき、旅行はあと10日以上も残っていますが、ここで中篇終了。終わんのか?という感じですが、後編はねじ巻こう、と固く心に誓うのでした。



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コメント

[C295] 活き活きしてますね!

冒頭から笑わせてくるとは、テンションあがってますね?(ニヤリ)
Mardigrasさんの楽しんでいる姿が目に浮かびます。

今回もたくさん野鳥を見れたんですね。
わたしも、オンライン野鳥図鑑でバードウォッチング気分を味わえました。
可愛いのやら恰好いいのやら、なかには風格の漂うのまでいますね~。
アメマス釣りやコアカゲラ観察も念願かなっておめでとうございます!

フクロウというとハリー・ポッターシリーズのヘドウィグが真っ先に思い浮かぶんですが、シマフクロウも鋭い目が素敵です。
このこも絶滅危惧種なんですか・・・。
絶滅の危機に瀕している動物がどれ位いるのかも知らないことに罪悪感が湧いてきました。
もうちょっと勉強しなくては・・・!

[C296] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C297] >宵乃さん

読んでいただきありがとうございます、ハイな感じが伝わりましたでしょうか?(笑)

本当は自分で撮った写真を載せられるといいんですが...コンパクトカメラしか持ってないので、ほとんど双眼鏡で観察するだけなんです。でも、バーチャルに楽しんでいただけて、せっせとリンクした甲斐があったというものです(笑)。

北海道をぐるって回るというのは、よく考えると、東北地方全体をぐるぐる回るようなものなわけで、さすがにこれだけの広さをあちこち訪れると、私みたいな鳥探しの下手な人間でも、かなりいろいろな鳥に出会うことができるのです。でも、コアカゲラは、本当にラッキーでした!釣りはですね~、ふふふ、これからデカイのが釣れるんです!

映画の中のフクロウというと、私は「ブレードランナー」ですね~。フクロウは、ホント利口そうに見えます。古来より知恵の象徴とされているのがよくわかる気がします。

沖縄のヤンバルクイナも絶滅危惧種でしたが、それでも推定1,000羽前後、シマフクロウは130羽ですから、ほっておいたら絶滅はあっという間...というレベルですね。環境省のサイトをチェックしたら、エトピリカも、シマフクロウレベルの絶滅危惧種に指定されていました。このサイトには既に絶滅してしまった動物や鳥がひととおりスト・アップされていて、そのけっこうな数を見ると、やはり理屈抜きにショックですね...

[C298] ・・・なわけでぇ~

あっ、Mardiさんが記事書いてると読み始めたら電話で中断し、その後は予定があり、さぁーと読める記事ではないのでまだ全部は読んでないのですが、途中でまたなにか入らないうちにコメントを先に書くことにしたわけで・・・、

あなたの博識と文章力にはいつも感心してます。まさにふくろうさんです。ドイツではふくろうは出版社のロゴにもなっている賢者、博識者の象徴とされてます。

それにこのイラストは俳優のこのドラマでの最高の笑顔をよく捕らえてますねぇ~すばらしか!
  • 2009-08-20 16:24
  • ヘルブラウ
  • URL
  • 編集

[C299] いい忘れ

私の記事の1ヶ月以上の文章を1回の記事なのでぇ~・・・目が疲れます。

これは一人の愛読者としてのお願いなのですが、小出しに3回ほどに分けて更新してもらえると読みやすくコメントがしやすいなぁ~とか何とか想うおばちゃんでぇ~・・・笑
  • 2009-08-20 16:32
  • ヘルブラウ
  • URL
  • 編集

[C300] >ヘルブラウさん

今回の記事で訪れたロケ地、(「男はつらいよ」も含めて)全部吉岡君が登場しているので、何が何でも彼のイラストで、、、と思い、難易度高そうだったのですが、チャレンジしてみました~。

本文は、、、ご、ごめんなさい、書きはじめたらとまらなくなってしまいまして...(汗)
確かにちょっと、長すぎますよねぇ。自分でも、読み返すのがツライ...
前・中・後編の3回で、と最初に書いてしまったので、無理やり詰め込みすぎてしまいました。で、結局後編だけでは終わりきらなそうなので、続きは後編の後編を用意させていただこうかと...(汗汗汗)
でも、読んでいただいて、嬉しいです。本当にありがとうございます!もう、つまみ読みとかチラ見で十分嬉しいですから!

ちなみに知識っぽいお話は、みーんな同宿の人とかネイチャーセンターの人とか図鑑の受け売りですので~、フクロウというより、オウムか九官鳥の方が近いかと(笑)。

[C301] 民宿かぁ・・・。

鳥も魚もスルーして(あちゃー)、
私が感慨深かったのは、「民宿」という存在でした。

「民宿」といえば、幼い頃の家族旅行の思い出ぐらいしか、思いつかないのですが、
なんとなく、
狭っ苦しさや、プライヴァシーがないような感じ、
お金を払っていても、他人の家に厄介になっているような気兼ね、
などがイメージに残っていて、
なんとなく、今まで敬遠、というか、選択肢として忘れ去っていた存在だったのですが、
なんか、この記事を読んでいて、
「悪くないかも」という、いささか新鮮な驚きを感じていることに、自分でも驚いています。(笑)

長期の旅をする機会が、これから先、自分にあるのかどうかも分りませんが、
周遊型の長期旅行には、やはり、民宿って、便利でリーズナブルだし、
直接その土地の人と関わることもできて、いいなぁ。と、思ってしまいました。

いや、長期じゃなくても、ちょっと利用してみたい気さえしてきました。

でも、コミュニケーションが事務的でない分、”相性”というのもあるかもしれませんが…。
ちょっと、頭の中で、”民宿妄想”(!?)が拡がってします。

楽しい旅のお土産噺の、効用ですね。(笑)

私は、後半も、この濃度での記事を希望します(爆)
  • 2009-08-22 04:40
  • シネマで現実逃避
  • URL
  • 編集

[C302] >シネマで現実逃避さん

民宿...実は私も、小学生のときの家族旅行以来なのです。
いだいていたイメージは、シネマで現実逃避さんとほぼおんなじ(笑)。

今回の旅行は、選択肢が民宿か車中泊か野宿か、しかないような場所が多くて、それゆえのチョイスだったりしたのですが...でも、本文で同宿の人が言ってたとおり、ホント、民宿がこんなにいいものだとは思わなかった~、という感じです。むろん不便も多々あるのですが、その代わり、ぜんぜん違うアングルの楽しみがあるというか。

総じて旅行の印象は、どれだけいい宿に泊まったかで決まるような気がする、、、などと思っていたのですが、必ずしも、いい宿=ぜいたくな宿、というわけではないんだなあ、ということを、今更ながらに知ったような気がします。まあ確かに今回は、同宿の人に恵まれた、というのもあるかもしれません。民宿のご主人が、ときに夕食の席がお通夜のようになることもある、と言ってたので(笑)。

ありがとうございます。旅行記を書き出して以来、てきめんにアクセス数が減っているのですが(笑)、こうして読んでくださる方がいる、と思うと、断固最後まで続けようと決心する今日この頃です。鳥、魚、鳥、魚、と相変わらずですが、あと2回、どうぞよろしくお付き合いのほど!

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