
「イージー・ライダー」(1969)、「エンゼル・ハート」(1987)、「新・動く標的」(1975)、「シンシナティ・キッド」(1965)、「ストリートファイター」(1975)、「キャット・ピープル」(1982)、「タイトロープ」(1984)、「ダウン・バイ・ロー」(1986)、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(2008)、「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」(1989)、そしてこの、「ニューオーリンズ・トライアル」(2003)...ジャンルもテーマもばらばらのこれらの映画には、実はひとつの共通点があります。
そう、もうおわかりですね。それはどの映画も、ニューオーリンズが舞台となっていることです。私、数あるアメリカの街の中でもニューオーリンズが特に大好きで、どのくらい好きかといえば、ニューオーリンズの代名詞ともなっている有名なお祭り、"マルディグラ(Mardi Gras)"から、このブログのハンドルネームをいただいているくらい。この街を訪れたのは20年前にたった一度、それもほんの三日間だけですが、フランス植民地時代の面影が残るフレンチ・クォーターの独特の街並み、バーボンストリートに響く陽気なジャズの音色、エスニックな味わいのケイジャン料理に新鮮なシーフード、深夜になっても終わらない仮装行列の賑わい(ちょうどハロウィンだった)、とまあ、見るもの聞くもの口にするもの何もかもがファンタスティック&ワンダフルで、アメリカで訪れたもっとも思い出深い場所のひとつとして、いまだ記憶に鮮やかです。
ビバ!ニューオーリンズ(カフェ・デュ・モンドの思い出)
というわけで、そんなニューオーリンズが舞台となっているだけで、私にとってこの映画はOK。ところどころに映し出される景色を眺めているうちに、次々と思い出が蘇ってきて、懐かしくなりました。中でも嬉しかったのは、ダスティン・ホフマンとレイチェル・ワイズが会合する、オープン・カフェの場面。Café du Mondeという有名なカフェで、私もニューオーリンズにいた三日間、毎朝欠かさず訪れて、カラフルなバルコニーの並ぶ独特な家並みの広場を眺めながら、優雅な(笑)ひとときを過ごしたものです。
ダスティン・ホフマンが、口の端を粉砂糖で真っ白にしながらパクついていたのは、ベニエと呼ばれる、熱々の甘~く油っぽい、この店のオリジナルドーナッツ。そしてこのお店のもうひとつの名物が、チコリコーヒー。チコリ独特の風味がほのかに漂う、深炒りの濃ゆ~いカフェラテで、コーヒー好きの人には邪道と言われそうですが、私にとっては、これまで飲んだコーヒーの中で、これがぶっちぎりのいちばん。お店では、オレンジ色の缶に入ったお土産用のコーヒー豆を売っていて、自分で買ったのはむろん、友だちの誰かがニューオーリンズに旅行するたび、お願いして買ってきてもらったものです。
そして実は今、こうしてブログを書いてる合間に啜っているコーヒーも、このCafé du Mondeのチコリコーヒー。う~ん、ティスティ!!(「パルプフィクション」(1994)のサミュエル・L・ジャクソン風)。むろん、わざわざニューオーリンズから取り寄せているわけではなく、実はこのカフェ、日本にもあるのですね。それを知ったのは、10年ほど前、仕事で京都に出張したとき。新装成った京都駅の駅ビルで、Café du Mondeを発見したときは、えっ、日本にお店出してたの!?と、目を疑ってしまいました。その後、わざわざ京都まで足を運ばなくても池袋にお店のあることを知り、以来、たまに出かけては、オレンジ色のコーヒー缶をまとめ買いしてくるようになりました。京都の店には、ベニエがなくてがっかりしてしまったものですが、池袋の店にはあって、たまに出掛けてこれをパクつくのが、私のささやかな楽しみだったりします。
この映画が製作された2年後、ニューオーリンズの街は、ハリケーンによって、壊滅的な打撃を受けました。見渡す限り、あたり一帯が泥水に浸かり、家具や生活用品がゴミとなって散乱する悲惨な光景には、え、これがあの美しかったニューオーリンズ?と激しく心が痛んだものです。しかしあれから4年、人口は災害前の3分の2まで回復し、ツーリズムも復興して、Café du Mondeも商売を再開しているようです。初めて訪れて以来、ニューオーリンズを再訪する機会がまったくありませんが、今度はいつか、Mardi Grasの季節に訪れてみたい...と夢見ています。
「ニューオーリンズ・トライアル」の感想
...と、長々書き散らした割に、肝心の映画の話をまったくしていませんね。すみません。というわけで、遅ればせながら、ここから作品の感想を(以下ネタバレ)。
盗聴、盗撮、騙りに逆探知、ハッキング、不法侵入、恐喝、暴行と、まるで60年代のCIAのようになんでもありの(そしてなんでも可能な)陪審コンサルタントや、そんな非合法な手段を用いることをこれっぽっちも厭わない法律事務所と、いかにも悪党っぽいクライアントの大企業、さらには陪審員たち全員に陪審室からの退出を許可し、レストランで一緒に食事してしまうトンデモな判事に、意図的に陪審候補に選ばれ、陪審員たちを意のままに操り、法のプロたちすらとことん手玉に取ってのける、ミスター&ミス・ミッションインポッシブル...と、正直、法廷モノというレッテルから想像していたのとあまりにかけ離れたぶっ飛んだ設定に、かなり驚きました。
この映画、法廷サスペンスとしては、たとえば、挑発によって議論を有利に導くための暴言を引き出すという、ほかの法廷モノで既視感のあるパターンが一度ならずも二度繰り返されていたりしていて、やや工夫に欠けていたような気がします。また冒頭、陪審コンサルタントによるリサーチテクノロジーを駆使した陪審選択の手練手管がとても興味深くて、いいぞ!とワクワクしたのですが、ストーリーの都合上、その選択が本当に効果的なものだったかのどうかがうやむやになってしまい(脅迫や謀略による陪審買収という力技が行使される展開となり、せっかく分析した陪審員の性格もへったくれも関係なくなってしまう)、なんというか、ここを膨らましてほしいという(勝手な)期待をすかされてしまった感があります。しかしその一方で、原告と被告に陪審を絡めた三つ巴の駆け引きというプロットに新味があって、そのスリリングでミステリアスな展開は、ファンタジックなコンゲームとして、とてもよくできていたと思います。
またこの映画、芸達者な俳優たちによる丁々発止の演技合戦が見ごたえ十分で素晴らしい。極端にカリカチュアライズされたジーン・ハックマンやジョン・キューザックのアクの強い役柄の前に、ストレートな正義感に突き動かされるダスティン・ホフマンの伝統的かつ正統的なキャラクターがほとんどジョークのように見えてしまったりもしますが、しかしそれでも、ジーン・ハックマンとダスティン・ホフマンが1対1で真っ向からやりあう、裁判所の洗面所の場面の有無を言わさぬ迫力は、さすが!の一言です。そして次第に、この人何を考えてるんだろう、とよくわからなくなっていく、主人公の"ステルス"陪審員。「グリフターズ/詐欺師たち」(1991)でもコンマンを演じていたジョン・キューザックの茫漠としてつかみどころのない表情の持ち味が、この映画の曲者っぽい役どころにも、ぴたりと嵌っていたように思います。ところでジーン・ハックマンとダスティン・ホフマン、競演はこの作品が始めてだそうで(メイキングより)、なんというか、実に意外...
アメリカの銃社会
最後にもうひとつ、この映画に思うところがあって、それは、この映画が、銃器メーカーに対する訴訟という、物議をかもすネタをテーマにしているところ。原作から、わざわざ変更された設定なのですが(原作ではタバコ会社が被告)、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002)のような、いかにもアメリカらしい反骨精神が滲むわけでもなく、なんというか、銃社会に対する批判をネタにするのであれば、もう少しリアリティのある文脈で扱ってほしかったというか、ファンタジーに刺激を追加するネタとして消費するには、この話題はちょっとセンシティブ過ぎるんじゃないか、なんてことを思ってしまいました。まあ自分でも、このタイプの映画でいちいちそんなこと気にすることないじゃん、とは思うのですが、昔アメリカに住んでいた頃の思い出とリンクしてしまい、つい、いろいろと考えてしまったのですね...
アメリカの社会において、いかに銃器が一般市民の身近に存在しているものであるかは、ちょっと信じられないほどです。銃が欲しいと思ったら、わざわざ銃砲店を探さずとも、ウォルマートとかKマートといった、どこの町にもあるスーパーマーケットに行けばいい。これらのお店では、釣具屋やスポーツ用品、はたまた食料品や衣料品と並んで、まるでコモディティであるかのように、銃器が陳列されています。壁にずらりと掛けられた拳銃やライフルの数や種類といったら壮観過ぎて、とてもそれらが本物とは思えないほど。初めてその光景を見たときのカルチャーショックといったら、それはもう相当なものでした。
これだけ銃器の入手が容易であれば、銃を使った犯罪が頻繁に起こるもの当然です(後述する日本人留学生射殺事件の翌年の1993年、ブレディ法によって銃の販売業者に購入希望者の犯歴照会が義務付けられ、少なくとも私がアメリカにいた頃よりは、入手のハードルが高くなっています)。私が在学中、大学の構内で学生による発砲事件が二度ほどあり、そのうちの一回は、撃たれた学生が亡くなりました。これだけでも相当のショックと恐怖でしたが、さらに驚いたのは、このニュースが全米ネットワークのテレビニュースで取り上げられず、また全国紙のUSA Todayにも関連記事がまったく掲載されなかったこと。乱射事件ならともかく、大学構内で学生が一人撃たれて死んだくらいでは、アメリカではニュースにもなりません。それくらい、銃による事件はありふれたものなのです。
そして1992年10月、まさに私がニューオーリンズを訪れていたそのときに起こった悲劇が、ニューオーリンズと同じルイジアナ州のバトンルージュの町で、当時16歳だった日本人高校生の留学生が射殺された事件。ハロウィーンパーティに出かけた彼は、訪問先を間違って別の家を訪れてしまい、その家の人間が"Freeze(止まれ)"と警告したのに対し、おそらく英語がわからなかったのでしょう、歩み寄るのをやめなかったため、あえなく射殺されてしまったのです。さすがにこの事件はかなり大きなニュースとなり、その後、渡米した留学生の両親がアメリカ社会の銃規制を求める運動を積極的に行ったこともあって(その行為に対する米国内の非難の声が意外に多く、それがまたショックでした)、事件のその後についてもかなり大きく報道されました。で、被告が殺人罪で起訴された陪審裁判の結果がどうなったかというと、これが無罪(のちの民事裁判では有罪)...同じ日本人の留学生を襲った悲劇をとてもひとごとには思えず、このときはさすがに、この国のそんな一面をまったく理解していなかったことを悟って、アメリカにいることが怖くなったものです。
とまあ、そんなことをつらつら思い出して、つい引っかかってしまったわけですが、しかしあれから20数年、タブーだったともいえる銃規制の問題が、とにもかくにも商業映画の書割として使われるまでになったことは、もしかすると、これはこれで、ある意味、銃規制の問題をめぐる前向きな変化の兆候、と捉えるべきことかもしれません。とはいえ...
アメリカ人(特にプロテスタント系白人)が、なぜかくも銃器の所有にこだわるのか、理屈の上で理解することはできても、感覚的、感情的に理解することは正直、不可能です。おそらく彼らにとって、銃を捨てるということは、ほとんどアイデンティティを捨て去るのに等しいことだったりするのでしょう、というのはあくまで理屈の上での想像です。アメリカは、たとえ時間がかかったり、時に進む道をひどく誤ったりしながらも、解決不能に思える幾多の難問を、なんだかんだいって乗り越えてきた歴史を持つ、総体として賢く進化する術を世界でいちばんよく知っている国、だと思いますが、しかしそれでも、国民がすっかり入れ替わるようなことでもない限り、アメリカ社会から銃のなくなる日がやってくることだけはないのではないか、このことに関してだけは、そんな悲観的なことを思ってしまいます。
ニューオーリンズ・トライアル(原題: Runaway Jury)
製作国 : 米国
公開: 2003年
監督: ゲイリー・フレダー
製作: ゲイリー・フレダー/クリストファー・マンキウィッツ
脚本: ブライアン・コッペルマン/デヴィッド・レヴィーン/マシュー・チャップマン/リック・クリーヴランド
原作: ジョン・グリシャム(「陪審評決」)
出演: ジョン・キューザック/ジーン・ハックマン/ダスティン・ホフマン/レイチェル・ワイズ
音楽: クリストファー・ヤング
撮影: ロバート・エルスウィット
編集: ウィリアム・スタインカンプ
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mardigrasさんの、ハンドルネームの由来、知らなかったので、本当に感慨深いです。
この映画を皆で見なかったら、どういう意味かなあ?と思いつつ、聞けないまま過ごしてしまうところでしたから!
最近見た映画で「ママの遺したラブ・ソング」というのも、美しいニューオーリンズの風景にウットリと見とれました。街というより田舎の方だったと思いますが、空や川や本当に美しかった☆
mardigrasさんの思い出の街なんですね!!!
レビュー、早々と有難うございました。皆さんが次々とアップして頂けるので、記録の記事が膨らんで嬉しいです☆
彼女、とってもキレイというか可愛い人で、このイラストは感じが出ていてイイですぅ~♪