荒野の決闘

マック、恋したことはあるか?
「荒野の決闘」のイラスト(キャシー・ダウンズ)

は開拓時代。東部の大都会から、はるばる西部の辺境の町へと旅してきたクレメンタインは、晴れた日曜の朝、果てしなく広がる荒野を眺めながら、澄み切った空気を深呼吸して、こう呟きます。

「なんてキレイですがすがしい空気でしょう。どこからか甘い花の香りまで」

花の香り――というのは実は、床屋がワイアット・アープに振りかけた香水の匂いなのですが、それにしても、この映画の最大にして最高の持ち味である、大西部の大地にたゆたうのどかでおおらかな気分が、ぎゅっと凝縮されたセリフではあります。

とまあ、ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」(1946)は、西部活劇のフォーマットに則ったまぎれもない西部劇でありながら、しかしその肌触りはむしろ、みずみずしいラブ・ストーリーといった方がよっぽど似つかわしい、まさしく日曜日の朝の匂いを漂わせた映画です。

私が初めて「荒野の決闘」を観たのは、もう二十年以上も前のことです。場所は、飯田橋のギンレイホール。同じ、ジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」(1941)との二本立てで、「荒野の決闘」というタイトルのあとに、"いとしのクレメンタイン"というサブタイトル(=原題:"My Darling Clementine")が付けられていました。何かにつけ「駅馬車」と並び称される作品であるだけに、「駅馬車」と同様のアクションと興奮を予想し期待していたのですが、その意表を突いた副題と同様、作品自体の意外なテイストにかなり面食らった覚えがあります。この映画、確かにクライマックスで、その邦題に恥じない、いかにも西部劇らしいガンファイトが描かれているのですが、全編を通じてそれ以上に強く印象に残るのは、開拓時代の辺境の町に暮らす人々の何気ない生活情景や、雄大な大自然の風景、そして無骨で不器用な西部男の片思いの恋。「荒野の決闘」は、まさに”いとしのクレメンタイン”というのどかで柔らかな副題が似つかわしい、そんな映画でした。

*        *        *

千頭の牛を連れたキャトル・ドライブの途上、何者かに末弟を殺され牛を盗まれてしまった元ダッジ・シティの名うての保安官、ワイアット・アープ。事件の犯人を捜し出し、弟の敵を討つため、ワイアットは残りの二人の弟たちとともに、犯行現場からほど近い、「墓石」を意味する名の付けられた町、ツームストーンで保安官の仕事を引き受けることにしました。

そんなワイアットはある日、一人の可憐な女性に出会います。彼女の名前はクレメンタイン。愛する男を探して、遥か東部の大都会から、愛する男を探して旅を続け、西部の辺境の町に辿り着いたところ。駅馬車から降り立った彼女を目にした瞬間、ワイアットは雷に撃たれたように、一目惚れの恋に落ちてしまいます。

クレメンタインが遥々尋ねてきた男の名はジョン・ホリディ。通称ドク(ビクター・マチュア)。もとはボストンの外科医でありながら、肺を患って自暴自棄になり、すべての生活を投げ捨て、無法な日々を送りながら西部に流れてきた、いわば死に場所を探しているような男。ドクは、何千マイルも旅してきたクレメンタインを冷たく拒絶します。

「ジョン、みんなのいる町にかえりましょう。誰もがあなたを愛してる。私もあなたを愛してます」

「君の知っている男はもういない。東部へ帰れ、さもなきゃ俺が町を出て行く」


意気消沈したクレメンタインはドクの言うとおり、東部へ帰る決心をします。翌朝、荷造りを済ませた彼女がホテルのロビーに佇んでいると、そこへワイアットが現れます。清々しい日曜の朝、浮かれ気分のワイアットは、旅装のクレメンタインを見て驚きます。ドクとのいきさつを説明するクレメンタインに、ワイアットが云います。

「あきらめるのが早すぎやしませんか?」

「保安官、あなたは女のプライドをご存じないのね」

「どうやらそうらしい」


駅馬車の到着を待つあいだ、ワイアットとクレメンタインは連れ立って、建設が始まったばかりの教会の礼拝へと出かけます。荒野に教会を建てんとして集う、善良な人々の輪。セレモニーに続くダンスパーティ。どこまでも続く広い空の下、雄大な自然(ロケ地はモニュメント・バレー。「駅馬車」を参照)をバックに、陽気な音楽に併せて楽しげに踊る町の人々。ワイアットはクレメンタインを踊りに誘いたくて仕方がないにもかかわらず、なかなか声をかけることができません。しばらくして、決心したように帽子を投げ捨てたワイアットが手を差し出すと、クレメンタインは待ちかねていたように笑み崩れ、その手に手を重ねます。ほっとした表情のワイアット。西部にその名がとどろく名うてのガンマンの、まるで少年のようなじれったいほどの純情が微笑ましい。

*        *        * 

ラマの終盤、ドクを愛する酒場女のチワワ(リンダ・ダーネル)が撃たれ、瀕死の重傷を負います。町には医者がおらず、いやおうなしにドクが手術をすることになり、それを手伝うのは元看護婦のクレメンタイン。二人の息はぴったりです。やがて手術が終わり、ほっとしたように一息つくドク。ドクを尊敬のまなざしで見つめながらクレメンタインが云います。「ああジョン、やっぱりあなたはすばらしい」。そんなクレメンタインの後姿を、ただ黙って見つめるワイアット。彼は、誰もいなくなった暗い酒場のカウンターで、バーテンを相手にぽつりと漏らします。

「マック、恋をしたことはあるか?」

「いえ、バーテン一筋なもので」


*        *        *

ラマはいよいよ、アープ兄弟と、弟を殺し牛を盗んだ犯人、クラントン一家の対決を迎えます。息詰まるような銃撃戦の末、かろうじて勝ちを収めるワイアット兄弟。しかしその代償として、ワイアットに加担したドクが撃たれて息を引き取ります。

そして、すべての片がつき、保安官の職を辞して故郷に帰るワイアットと、ドクの死後も町に残って教師になる決心をしたクレメンタインの別れ。ワイアットはとうとう最後まで、クレメンタインに自分の気持ちをストレートに伝えることができません。クレメンタインの頬に軽く口づけすると、ふっきれたようにさわやかな笑顔を見せ、

「私はクレメンタインという名前が大好きです」

と云い残し、馬に跨って、見晴るかす大平原の向こうへと去っていきます。

というわけで、ついだらだらとたくさんの場面を抜書きしてしまいましたが、どの場面もみな、当時、恋愛のとば口に立っていた自分にとって、ワイアットのじれったさががまるでわがことのように感じられて仕方なく、そんな切ない思い出も込みで、私にとって恋愛映画といえば、いまだにこれ。

*        *        *

画の冒頭、ツームストーンの町へと息抜きに出かけたワイアットが、酒場で酔って暴れているインディアンを、機転を効かせて苦もなく取り押さえる場面があります。ワイアットの実力を町の人たちと観客に一目瞭然で伝える切れ味のあるエピソードですが、再見した時にこれどこかで観た気がすると思ったら、「七人の侍」(1954)の志村喬演じる勘兵衛登場の場面とそっくりなのですね。この勘兵衛のエピソード、江戸時代の武芸史「本朝武芸小伝」から採ったという解説を何かの本で読んだ覚えがありますが、ジョン・フォードを崇拝していたという黒澤監督ですから、この映画からのインスパイアもあったのかもしれません。

もうひとつ、この映画とある邦画の類似点を。

駅馬車から降り立ったクレメンタインに一目惚れし、呆けたようにふらふらとあとをついていくワイアットを、弟たちが目撃してあっけにとられる場面、それに「仕事があるから俺はダンスパーティには行かない」と言っていたにもかかわらず、クレメンタインと有頂天でダンスしているところをまたも弟たちに目撃されてしまうというユーモラスな場面。なんだかこれもどこかで観たことあるような気がしていたのですが、よくよく考えたら、「男はつらいよ」シリーズで、マドンナに夢中になっている寅さんを、さくらやおいちゃんたちが口をあんぐりあけて眺めるという、毎回おなじみのあの場面でした。偶然かもしれませんが、リズムというか間というか、笑いの呼吸がとてもそっくりで、もしかして山田監督もこの映画に影響を受けていたりするのでしょうか。

*        *        *

「荒野の決闘」をはじめて観た頃は、そのドラマをてっきり史実とばかり思い込んでいたのですが、のちに同じアープ兄弟とクラントン一家の対決を描いたジョン・スタージェスの「OK牧場の決斗」(1957)、そしてその続編ともいえる同監督の「墓石と決闘」(1967)を観て、クレメンタインが出てこない(そしてドクも死ななければいきなり弟が殺されることもない)ということに気がつきました。気になって調べてみたら、クレメンタインはどうやら実在の人物ではなく、この映画の創作だったことを知ってびっくり。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出てくるお田鶴さまが実在しないことを知ったときと同じくらいにショックを受けました(つまりそれくらい、当時の自分にとってこの映画のクレメンタインは魅力的でした)。どうやら「荒野の決闘」は、史実をベースにしたとはとてもいえないほど、何から何までもが絵空事だったようです。

ちなみにローレンス・カスダン監督、ケビン・コスナー主演の「ワイアット・アープ」(1994)。それにジョージ・P・コスマトス監督、カート・ラッセル主演の「トゥームストーン」(1994)はより史実に近く、どちらもあまり評判のよい作品ではありませんでしたが、特に「ワイアット・アープ」は、ワイアット・アープの伝記映画として、私としてはかなり好きな映画です。


荒野の決闘(原題: My Darling Clementine
製作国 : 米国
公開: 1946年
監督: ジョン・フォード
製作: サミュエル・G・エンジェル
脚本: ウィンストン・ミラー/サミュエル・G・エンジェル
原作: スチュアート・N・レーク(「ワイアット・アープ伝 真説・荒野の決闘」
出演: ヘンリー・フォンダ/ヴィクター・マチュア/キャシー・ダウンズ/ウォルター・ブレナン
音楽: シリル・モックリッジ/アルフレッド・ニューマン
撮影: ジョー・マクドナルド 
編集: エドワード・B・パウエル


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[T3] 映画「荒野の決闘/いとしのクレメンタイン」観ました

ワイアットだけでいっぱいいっぱいです。 制作:アメリカ’46 原題:MY DARLING CLEMENTINE 監督:ジョン・フォード 原作:サム・ヘルマン/スチ...

コメント

[C512] タイトルはやっぱり

”いとしのクレメンタイン”がいいですよね。
ずっと「OK牧場の決斗」と混同していて、原題どおりにしてくれればもっと早くこの作品に出会えたのに!!と悔しい思いをしました。
といっても、前にBSデジタルで放送していたのを録画してから、つい先日まですっかり忘れていたんですが(笑)

クレメンタインをダンスに誘うワイアットは奥手な少年みたいでしたね。周りのひとたちも彼らのために場所を空けて、彼を応援しているみたいでした。

>クレメンタインは実在の人物でなく、この「荒野の決闘」だけの創作だったことを知ってびっくり。

あの時代に女性一人ではるばる西部までやってくるなんて、相当の覚悟が必要だと思ってたんですが、実在の人物じゃなかったんですか~。実際に、あの時代に西部で女性一人旅って可能だったのかなぁ?
  • 2010-02-16 15:12
  • 宵乃
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[C513] >宵乃さん

ですよね~!
とはいえ「荒野の決闘」というタイトルも、西部劇の決定盤!って感じでホントは嫌いじゃないんですよ...(笑)

そう、この映画のワイアット・アープは大の男のくせにいま観るとウブすぎで、ちょっと嘘くさいんですけど(笑)、でもだからこそ、強く感情移入できたというか。なにかの本で、まだビデオがない時代にこの映画を観た人たちのあいだで、最後にワイアットがクレメンタインにキスしたかどうかで議論になり、あの人がそんなことするわけない!と言い張る人がいた、という話を読んだのですが、言い張った人の気持ちがよくわかる感じです。こういう造形のヒーローって、アメリカ映画では珍しい気がしますね~。

「駅馬車」にも西部をはるばるひとりで旅する女性が出てきましたが、、、実際やろうと思ったら、相当無謀だったんじゃないでしょうか...

[C1012] 荒野の・・

クレメンタイン・・お、マイ・ダーリン・・

ワイアートアープ・・白黒画面の・・時代・・良かったな。今観ても・・

[C1017] >根保孝栄・石塚邦男さん

最近「OK牧場の決斗」「ワイアット・アープ」「ツームストーン」と続けて観たのですが、やっぱり「荒野の決闘」だよな~と改めて思いました。
  • 2013-04-07 15:33
  • Mardigras
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