"アメリカン・ゴシック"の深淵 1 964年6月21日、"Freedom Summer"と呼ばれる、ミシシッピー州の黒人投票権登録者数向上を目的とする公民権運動に携わっていた三人の若者(白人二人と黒人一人)が、同州の田舎町フィラデルフィアで突如、行方不明となりました。時はキング牧師がワシントンD.C.で演説を行い、J.F.ケネディがダラスで凶弾に倒れたその翌年。南部諸州の人種分離政策(ジム・クロウ法)に対する非難が全米中で高まり、人種差別撤廃のための抜本的な法律である公民権法が、いままさに施行されんとしていた最中の出来事です。 その日、同州ネショバ郡の黒人教会(放火により全焼)を視察に訪れていた彼らは、活動拠点のある町への帰途、フィラデルフィア近くのハイウェイ上で、郡保安官補によって教会放火の嫌疑を口実に逮捕され、郡拘置所に拘留されました。逮捕から約7時間が経過した午後10時過ぎ、三人はようやく釈放されますが、しかし、ハイウェイ19号線を東に向かって去っていったという保安官補の証言を最後に、その足取りはぷっつりと途絶えてしまいます。 翌未明、三人からの連絡がないことを心配した活動仲間によって、同州の司法省連絡員に捜索願が出され、事件は公のものとなりました。そしてFBIによる捜査が開始されて数日後、沼沢地に沈められていた三人のクルマが発見されるに及んで、捜索は陸軍の水兵数百人が動員される大掛かりなものとなり、南部の田舎町で起きた失踪事件は、俄然、全米中の注目を集めるセンセーショナルなニュースへと発展していきます。 公民権法施行前夜、ディープ・サウスの闇の中へ忽然と姿を消してしまった、三人の活動家たち。果たして、彼らの身にいったい何が起こったのか...? * * * アラン・パーカー監督の「ミシシッピー・バーニング」 (1988)は、1964年にミシシッピー州の田舎町フィラデルフィア(後に町を訪れたキング牧師によって"最悪の地"と評された)で実際に起きた公民権運動家の失踪事件に触発されて作られた、スリルに満ちたサスペンスドラマです。同監督による、前年公開の「エンゼル・ハート」 にもちらりと描かれていた、米国南部の人種分離政策と人種差別の様相を、事件をめぐるFBIの捜査とクー・クラックス・クラン(KKK)の暴虐非道な蛮行に焦点を当てながら、扇情的なタッチで描き出した、いかにもアラン・パーカーらしい、怖さで息が詰まりそうになってしまった映画です。 映画公開時、十九歳だった私は、そのあまりにセンセーショナルな内容に、憧れの国、アメリカのど真ん中にぽっかり開いていた底知れぬ深淵を覗き込んだ気がしてショックを受ける一方で、同じ頃に観た「プラトーン」 (1986)同様、自国のそう遠くない負の歴史をエンタテインメントのスタイルでほじくり振り返ってみせる、アメリカという国の、ある種、ナチュラルにも思える自浄作用と自己批判精神に、青臭くも深く感じ入ってしまいました。「ミシシッピー・バーニング」に対する批判 こ の映画、アカデーミー賞の6部門ノミネートという高い評価を受ける一方で(撮影賞のみ受賞)、公開当初から、描かれている内容が史実と異なっているという批判に晒されてきました。エンドロールに、あくまで現実の事件に"インスパイア"された"フィクション"である旨が明示され、また登場人物の名前や地名も、実際とは異なる名称に置き換えられていますが、事件の詳細を知る関係者の多くが存命だった時期に作られた作品ということもあってか、ほんのお情けのようなエクスキューズは、批判に対する盾としての役割を果たすことができなかったようです。 いわく、事件の展開がドラマティックに改変されている、登場人物のキャラクターが誇張されている、そもそも公民権運動の保護に不熱心だったFBI(フーバー長官自身がTVでそう発言していた)がヒロイックに描かれすぎている、またさらには公民権運動の当事者であるはずの黒人の存在感が薄く、白人対白人(FBI vs. KKK)の対決に物語が矮小化されてしまっている...などなど、映画における事実とフィクションの混在をめぐる不満が、被害者の遺族を含む複数の事件関係者によって語られ(1990年2月4日付Los Angeles Timesの記事より)、またメディアによっても、その"歪曲"が厳しく指弾されています(1989年1月9日付New York Times、Time誌、1990年1月9日号、ほかの映画レビューより)。 そのような批判のあれこれは、感情的にもいちいち頷けるところがあり、また史実を誤解しかねない鑑賞者の認識を矯正するものとして、あってしかるべき、というか、なくてはならないものだと思います。とはいえ、その"歪曲"を踏まえた上でなお、この映画のありようを肯定する気になるのは、たとえ枝葉にアレンジがあるにしろ、三人の活動家が保安官事務所を共犯とする白人至上主義者たちによって謀殺されたという、プロットの根幹をなす事件そのものが、まぎれもない史実であるからであり、またそのことにこそ、底知れぬ衝撃と恐怖を覚えてしまうからです。そして、この作品全体に漂う、事件を生む土壌となった60年代南部の因襲的で排他的な空気の匂いに、あくまで直感にすぎませんが――強烈なリアリティを感じるからです。 失踪した活動家の遺族の一人は、映画の内容が不正確であることに不満を述べる一方で、この作品の意義について、こんな感想を述べています。"「ミシシッピー・バーニング」は、特に若い人々の間で、彼らがそれまで知ることのなかった、当時の南部についての関心を呼び起こすことに貢献したと思う" (前記のLos Angeles Timesの記事より) むろん、"若い人々"とは、アメリカ人の若者を指しているわけですが、しかし当時十九歳だった日本人の私も間違いなく、この映画によって"関心を呼び起こされた"若者の一人でした。この映画、ドラマティックにアレンジされたキャラクターやプロットが抜群に面白いことも確かですが、かつてアメリカで、人間の尊厳を脅かすこんな醜い事件があったこと、そしてアメリカが、こんな怖い国だったことを教えてくれたことにこそ、いちばんのありがたみを覚えた映画です。「ミシシッピー・バーニング」に描かれる頑なに閉じられたアメリカの田舎 米 国のシカゴ美術館に、"American Gothic" と名付けられた絵画が常設展示されています。アメリカ人画家のグラント・ウッドが1930年に発表した油彩画で、三叉の鍬を手にした農夫とその未婚の娘が、ゴシック建築の白い家をバックに並んだバストショットが描かれています(画像はこちら→http://www.artic.edu/aic/collections/artwork/6565 )。 シカゴ美術館のウェブサイトの解説によれば、中西部の人々の気品ある性格のよりどころである(と画家が信じるところの)清教徒的倫理観と美徳の典型が描かれた絵、とされていますが、一方で、狭量な田舎暮らしによって生み出される不寛容と峻厳さを風刺した作品、とも評されています(ウッド自身はその評を否定している)。 私が、この現代アメリカ美術の重要作品のひとつとして位置づけられている絵画をはじめて目にしたのは、大学一年生のときの美術史のクラスで、テキストに載っていた図版を一目見た印象は、画家自身が否定している評にかなり近いものでした。清貧で真面目で慎ましそうな二人の、しかし固く引き締められたその頑固そうな表情には、先祖代々、連綿と受け継がれてきたフロンティア精神の表裏一体にあるともいうべき異質な者を排除しようとする精神、開拓時代からネイティブを排撃し、黒人を奴隷として弾圧し続けてきたピューリタニズムの因循で排他的な血が色濃く滲んでいるかのように感じられ、鑑賞者である"余所者"の私の存在が絵の中の二人によって頭ごなしに拒絶されているような(そしてその手にした鍬をいきなりブスッと突き刺されそうな)、なんともいや~な気分を味わったものです。 その後、シカゴ美術館を訪れる機会が4、5回あったのですが、そのたびに、ほとんどコワいもの見たさでこの絵の前に立ち、そのいわく言いがたい、生理的嫌悪感をもよおさずにはいられない一種独特の恐怖を、しみじみと噛み締めたものです。 で、何がいいたいかというと、排他的な"アメリカの田舎"のネガティブな側面を描いた映画、たとえば「夜の大捜査線」 (1967)だとか、「イージー・ライダー」 (1969)だとか、「脱出」 (1972)だとか、「悪魔の追跡」 (1975)だとかに登場する、狭量で差別的なローカルピープルを観ると、決まってこの絵のイメージが頭に思い浮かんでくるということです。「ミシシッピー・バーニング」においても、クランのメンバーたちの凶暴な表情のみならず、物語のところどころに映し出される、ローカルコミュニティの"普通の市民たち"の顔に浮かんだ剥き出しの敵意や警戒感の入り交ざった陰険な表情に、どうしても、"American Gothic"に描かれた父娘のイメージがオーバーラップしてしまいます。 特に、物語の中盤、TVのインタビューで事件の感想を述べる老齢の女性の表情と言動には、映画で描かれるクランの蛮行以上に震撼させられるところがあります。この女性、俳優ではなく素人の地元民で、あの岩石のような表情は演技でもなんでもなく、またその差別的な発言もすべて、彼女自身の素のセリフなのだそうです。「イージー・ライダー」の終盤に登場する、トラックに乗った農夫の発散する雰囲気も相当なものでしたが(この人もやはり素人)、この「ミシシッピー・バーニング」に出てくる老女もまさに、"American Gothic"から感じるいやなイメージを、ずばり寸分の狂い無く体現している人物です。人間の尊厳を踏みにじることを臆面もなく言ってのける、その傲岸さと無知蒙昧さの凝り固まった表情を見ていると、このコミュニティから排撃される立場にある"余所者"のひとりとして、背筋がぞぞっと薄ら寒くなってきます。 開拓時代の昔から、プロテスタント系白人の間で、物理的、精神的に連綿と継承されてきた、自らと違う異質な者の存在を拒絶する前近代的な差別感情や、コミュニティの外側にいる余所者の口出しを断固拒絶する頑迷固陋さには、何を言っても無駄と思えるような、相互理解の絶望的な難しさを感じます。アメリカの田舎には、生涯、海外はおろか州外にすら出ることすらなしに一生を終える人がたくさんいます。そしてそんな外の世界に触れる機会のない人々の中には、己を取り巻く狭い地域の習慣と価値観が、この世のすべてだったりする人がいます。 映画の中で、"差別は生まれつきじゃなくて学校で教わったもの" という、差別を容認するコミュニティに内心うんざりしている保安官補の妻(フランシス・マクドーマンド)のセリフがありますが、創世記を根拠として彼らが幼い頃から教え込まれ、その人格に深く染み付いてしまっている、その宗教観に根ざしたものでもある差別感情は、論理を超越して、もはや到底抜きがたいもののようにも思えます。 事件当時、公民権法違反で起訴されながら、裁判で無罪となった保安官が(保安官補は有罪)、同事件を題材にして作られたテレビ・ドラマ、"Murder in Mississippi" (1990)の脚本家と製作者に向かって、このようなことを言っています。"1964年までは何の問題もなかった。公民権運動が始まるまで、ここの黒人はみな幸せに暮らしていた" くしくも映画の中で、主犯格のKKK幹部が似たような発言をしていますが、コレ、実に事件から20年以上(すなわち公民権法施行から20年以上)が経過した時点での発言だということに改めて憤りを感じるとともに、なんともやるせない気分に襲われます。この元保安官は、2002年に79歳でこの世を去っていますが、おそらく彼は今際の際まで、人種分離政策のいったい何が悪いのか、さっぱり理解できなかったのではないかと思われます。返す返すも、げに恐ろしきは頑なに閉じられた心、といったところでしょうか。「ミシシッピー・バーニング」と「紳士協定」 ア メリカ中西部の田舎町で過ごした大学時代、私自身が映画に描かれているような、露骨な人種差別を経験するようなことはまったくありませんでした。映画とは時代が大きく違うので、当然といえば当然なのですが、田舎とはいえ、住んでいた町が、外の世界に向かって大きく開かれた大学町だったせいもあるかもしれません。しかしそれでも、1時間ほど離れた町にはKKKの支部があるといわれていて、この「ミシシッピー・バーニング」をはじめとする、"アメリカの田舎"映画に刷り込まれたイメージが強すぎたために、その町を通過しなくてはならないときは、尾いてくる怪しいクルマはないかなどとバックミラーに目をやったりして、ついつい神経質になってしまったものです。 とまあそんな感じで、多少意識することはあったにせよ、露骨な社会的差別とは一切無縁の学生生活を送っていたのですが、では差別をまったく経験しなかったかといえば、実はそういうわけでもありません。面と向かって何かを言われたり、されたりしたことなくても、あ、差別されてるなと感じる瞬間は、何度も何度も味わったものです。それは言うなれば、目に見えない差別。なんら直接的な実害を受けるものではありませんが、目に見えないだけに糾弾するのが難しい、また説明するのも難しい、とてもやっかいなものでもあります。それがいったいどんなものなのか、具体的に書くのはやめておきますが、確かなのは、差別というものは、されてみてはじめてわかるというか、たとえそれが些細なものであっても、される方にとっては、まず間違いなく気分が暗くなり、心が萎縮してしまうものだということです。 米国社会のユダヤ人差別を扱った映画で、「紳士協定」 という作品があります。戦後すぐに製作された作品ですが(1947年)、日本で公開されたのは1987年になってからで、日比谷シャンテ シネのこけら落としの一本でした。この映画、当時前売り券まで買って楽しみにしていましたが、都合がつかなくて観に行けず、ようやく鑑賞できたのは、30歳くらいになってからのこと。で、観た途端、あ、これだ!と思いました。この映画、私自身がアメリカで経験した、成熟した社会の"紳士的な"装いと振る舞いの襞の隙間に潜んでいる、微妙で言葉にしにくい偏見と差別の実相を、実に見事に捉えています。現実の"ミシシッピー・バーニング"事件を巡る顛末 「 紳士協定」のメッセージは、差別や偏見に対して口を噤むことは、差別や偏見に加担していることにほかならない、というものでした。"紳士協定"以下の野蛮で露骨な差別が描かれる「ミシシッピー・バーニング」においても、ウィレム・デフォー演じるFBI捜査官が、事件後に自殺した、クランのメンバーでもなく、また事件に関わっていたわけでもない町長の死体を前に、仲間の捜査官からなぜ彼は自殺したのだろうと問いかけられ、似たようなメッセージを幾分感傷的な調子で口にします。"見てみないふりをしていた人間はみんな有罪だ。我々も含めて" だから町長は(良心の呵責に耐えられなくて?)自殺した、というわけですが、正直、このエピソードはかなり唐突で違和感があり(町長が自殺したという史実はない)、おそらくこのセリフを入れたいがために創作されたエピソードだったのではないかと思います。差別問題の本質を突いた言葉として、これ以上の重みを感じられることばはないように思われ、製作者は、このセリフでもって映画を締めくくりたかったのかもしれません。 映画のエンディングで、"NOT FORGOTTEN" (忘れまじ)と刻印のされた、犠牲者のうちの一人(黒人)の墓石が映し出されます。墓石は無残に打ち壊されていて(現実に墓石は何度となく破壊を繰り返されたといいます)、事件が終わっても、差別との戦いはこれっぽっちも終わっていないことを一目瞭然で伝えてくれます。また同時に、焼け跡の教会に集い、死者を追悼する歌を歌う人々の中に、白人とその子供たちがちらほらと混じっていることも、キング牧師の言う"最悪の地"に微かな希望が芽吹き始めていることを、これまた一目瞭然で伝えてくれます。 「ミシシッピー・バーニング」において、公民権法違反の罪で有罪とされるクランの有力者(事件の主犯格)は、実は実際の裁判では、陪審が評決に達することができずに審理無効で無罪放免となっていました。しかし事件から40年以上が経過した2005年になって、遺族の強い要請と地域世論の盛り上がりを背景に、再逮捕、再起訴され、そしてやり直し裁判の結果、三人に対する故殺の罪で、一人につき20年、計60年の懲役が言い渡されています。 映画に描かれた事件が、ほんのつい最近まで、現在進行形の物語だったということに驚き、再審理の機運が高まるまでに要した40年という気の遠くなるような歳月の長さに、改めて、コミュニティの呪縛の根強さというものを感じます。しかし、たとえ代替わりするくらいの時間がかかったにせよ、外部からの圧力だけではなく、コミュニティ内部からの自発的な声によって、裁判のやり直しが実現したということは、映画のエンディングで描かれた微かな希望の芽が、現実の世界でしっかりと実を結ぶまでに成長したということの、まぎれもない証ではないかと思うのです。 * * * ちょうど一年前、ブログを始めるときに書こうと思っていた、マイフェバリットの洋画50本の紹介が終わりました。数えてみると、実に50本中の36本がアメリカ映画。つまり私にとって、洋画=アメリカ映画であって、自分のものの見方や考え方は、やっぱりアメリカ文化から強い影響を受けてきてるんだなあとつくづく思います。というわけで、次回からは残りの半分、邦画のマイフェバリット50本を、また順番に紹介していこうと思いま~す。ミシシッピー・バーニング (原題: Mississippi Burning ) 製作国: 米国 公開: 1988年 監督: アラン・パーカー 製作: フレデリック・ゾロ/ロバート・F・コールズベリー 脚本: クリス・ジェロルモ 出演: ジーン・ハックマン/ウィレム・デフォー/フランシス・マクドーマンド 音楽: トレヴァー・ジョーンズ 撮影: ピーター・ビジウ 美術: フィリップ・ハリソン/ジェフリー・カークランド 編集: ジェラルド・ハンブリング
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管理人: mardigras
恐いです・・・日本人はほぼ単一民族で、そういう問題から遠くて・・・
(多分、考えないように、見てみぬふりしています・・・)
監督さん、聞いたことあると思ったら、ダウンタウン物語の監督さんなんですね。
1年前に決められた作品は終わっても、その後出会った作品でお気に入りもある事でしょうから、邦画が終了したら、また是非、洋画もお待ちしています☆
(その頃はカラーかな?なんてね・・・)
今日も良い一日でありますように~♪