もう、お昼だぞ。そうら、正午だ。

"うつし世はゆめ よるの夢こそまこと"――鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」(1980)を観ると、江戸川乱歩が好んで色紙に書いたという、そんなエピグラムが頭に浮かんできます。スクリーンを眺めているうち、それが果たして現実なのか夢なのか、はたまた冥途の出来事なのか、はじめはくっきりと見えていたはずの描線が、ふと気がつけばいつの間にかあやふやになっている――「ツィゴイネルワイゼン」は、そんな現世と常世の挟間をふらふら彷徨っているかのような、なんとも不思議で夢うつつの味わいをもった映画です。
サラサーテの呟きそのもののような映画(以下ネタバレ)
サラサーテが晩年に吹き込んだ、自奏の"ツィゴイネルワイゼン"のSP盤に過ってプレスされてしまったという、まるであの世から聴こえてくるかのような、もごもごとこもったサラサーテ自身の声。「何を言っているのか、何度聴いても分からないんだ」という劇中のセリフにも似て、「ツィゴイネルワイゼン」という作品自体、"発音のはっきりしない"、もどかしく掴みどころのない映画です。
"私"こと陸軍士官学校のドイツ語教授、青地(藤田敏八)と無頼の友人、中砂(原田芳雄)が、旅先で小稲(大谷直子)という美しい田舎芸者に出会う、確かな現実感のある第一幕。中砂が、小稲と瓜二つの女、園(大谷直子・二役)と結婚し、やがて"私"の周りで不思議な出来事が起こり始める(あるいは"私"の幻視と幻聴が始まる)第二幕。そして流行り病で園が死に、小稲を後添いに迎えた中砂が客死して五年、すっかり疎遠になっていた小稲と中砂の遺児、豊子と"私"の再会をきっかけに、この世とあの世の境界が曖昧になっていく第三幕――。
とまあ、物語が進むにつれ、まるで彼誰どきに薄闇が垂れ込めていくように、"私"を取り巻く世界から徐々に現実感が失われていくのですが、しかしいったいどこまでが現実で、そしてどこからそうでなくなってしまうのか、何度観ても、その虚実の境目は判然としません。そしてそんな不確かな描線から立ちのぼる、いわくことばにしがたい、この世のものならぬ気配――。それは、録音されるべきでないはずの声が録音されてしまった"出来損ない"のレコードに、ふとあの世からの声を聴いた気がしてぞっとする、理屈ぬきの慄きそのものといってよいかもしれません。
「何と言ってるんだね、サラサーテは」(=何と言ってるんだね、清順は)
末期の義妹を見舞った帰り、"私"と妻の周子(大楠道代)が懐石料理を食べている最中に、突如空から降ってくる声。座敷に座る"私"と園の頭の上で、屋根瓦にコツンと乾いた音を立てるそら礫(つぶて)。そして夜ごと目を覚まし、死んだ中砂と一心になにかを喋っているという、中砂の忘れ形見の豊子――。
「ツィゴイネルワイゼン」は、そんな"サラサーテの声"の変奏ともいうべき"音"の怪異をところどころに交えつつ、いかにも怪談めいた、しかし何が恐ろしいのかうまく説明できない得体の知れない出来事を、輪郭線の開いた、いかようにも解釈可能な(逆にいえばまったく合点のいかない)映像と語り口で、ひたひた、ひたひたと紡いでいきます。何度観ても、放っぽり出された気持ちにさせられる、そんな怪異の数々が、果たして現実なのか夢なのか、それはもう観る人次第というか、観たときの気分次第というか。映画の中の"私"が味わう、狐に化かされたような混乱は、そのまんま、映画(清純)に誑かされている、観客(私)の酩酊感(と陶酔感)そのものだったりします。
「ツィゴイネルワイゼン」の感想その1(Aさんの場合: 神経衰弱説)
えー、ごほん。これは要するに、神経衰弱が嵩じて幻覚を見るようになり、ついには気がふれてしまった、大正時代の知識人を描いた物語です。冒頭、女の水死体を囲んだ村人たちが蟹歩きをする様子を観て、もしやと思ったのですが、果たせるかな、その直後、女の股から這い出た蟹がぐんぐん大きくなっていく映像に、「ツィゴイネルワイゼン」が幻覚を主題にした映画であるとの私の閃きは、確信に変わりました。
すなわち、"私"は村人たちの蟹歩きに触発されて、女の股に蟹の幻覚を見たのであり、だとすれば、(映画文法的に、)中砂が小稲から生き胆を吸い取る光景もまた、鰻の生き肝の話に触発された、神経衰弱気味の"私"の幻覚にほかなりません。そうして映画は、旅先ではその程度で治まっていた"私"の心神耗弱が、"私"とまったく正反対の奔放でアッケラカンとした性格の妻が待つ日常へ戻ることによって、どんどん酷くなっていく様子を、真綿で首を絞めるように、じっくりゆっくり描いていくのです。
"私"とともに旅を終えることを拒否し、三人の門づけのあとを追うことにした中砂に向かって、"私"は、「君はいいな、いつも自由で、身勝手で」と、妻の命ずるがままに料理の椀を取ったり、庭の梅の木を剪定したり、あるいは紅茶を入れたり、とまめまめしく立ち働かざるをえない、小利口で小市民的な大正教養人の苦悩を正直に吐露してみせますが、その後、"私"が中砂の不在中に彼の妻、園と関係をもってしまったのは、斯様にままならない生活からくるストレスの反動、そして自由人である中砂に対する"私"の捩くれたコンプレックスの顕れとみていいでしょう。
園と歩きながら、おかしな花火を目にしたり、あるいは屋敷の中で異様な光景に出くわすのはむろん、親友の妻と密会していることに対する"私"の罪悪感が見せた幻覚です。「もう、後戻りできませんわね」などと園が誘いのことばを口にするのも、罪の意識を少しでも減らしたい"私"の記憶の書き換えにすぎず、また旅先の中砂が、"骨をしゃぶるように"がつがつと小稲を求める映像も、中砂が自分と同罪の男であることを願う、"私"の妄想にほかなりません(中砂を追いかける小稲が日傘を手にしているのは、切り通しで出会った園に自分自身がこうもり傘を奪われたことからの連想でしょう)。
その後、"私"に思いを寄せているらしい、病床の義妹の意地悪な仄めかしによって、"私"は中砂と妻の関係を疑うようになりますが、本来、一笑に付してしかるべき、若い女のそんな暗示にがんじ搦めになってゆくのも、これまた、"私"自身の妻と親友に対するやましさの裏返しにほかならず、そんな"私"の神経は、骨を「とりかえっこしよう」などという中砂の戯言を真に受けて真っ青になってしまうくらいにおかしくなりはじめていて、つい暗いトンネルの中で、中砂に憑いた女たちの幻覚を見てしまったりもする、というわけです。
しばらくして中砂家に生まれた赤ん坊の豊子が、"私"の名前(豊二郎)の一字をとって命名されていたと知った"私"は、内心、それが自分の子供ではないかとの疑念に囚われ、ますます神経をすり減らしていきます。そうこうするうちに、園が流行り病で亡くなり、"私"の罪を知る共犯者がいなくなったことに一旦は安堵するものの、しかし中砂の口から、園が今わの際に密通を仄めかす意味深なことを口にしたと聞いて(「青地さんがみえたら戸棚にコンニャクがありますから」という園のことばは、「兄さん、戸棚にしまっておいた鱈の子、召し上がってくださって」という義妹のセリフとともに、"私"に対する恋情を示すものです、いうまでもなく)、中砂が自分の裏切りに気づいているのではないか(そして妻にも知られてしまったのではないか)という恐怖が湧き起こり、以来、小心な"私"の精神は、負のスパイラルに巻き込まれるようにして、一直線に崩壊へと突き進んでいきます。
その後、豊子の乳母として中砂家にやってきた小稲を交えた男女四人の唐突な豆撒きは、むろん、中砂を少しでも遠ざけたい(また旅に出てほしい)と願う"私"の妄想であり("鬼は外"と言いながら、小稲が中砂に豆をぶつけている)、また実際に旅に出た中砂が、シンナーを吸いながら三人連れの子供の門づけの後ろをふらふらと尾いていき、「いま、鬼とすれ違いましたよ」などと言われてみたり、ラリった挙句に縄に縛られて延々ヘンテコなポーズをとり続け、「まだやってるのか」などという神の声を聴いたり、あるいは桜の樹の根元に自ら首まで埋まって最期を迎えたりするのも(これは中砂が語った、砂浜に埋まる門づけの男たちからの連想でしょう)、すべて現実でも中砂自身の幻覚でもなく、意識下で中砂に死んでほしいと願う、"私"の妄想です(女の子の門づけが豊子(と同じ子役)であることからも、あ、これは現実ではないのだ、ということがわかります)。その直後、実際に中砂が旅先で事故死するわけですが、中砂が死んだという一報を受けた"私"の口から思わず「自殺か!?」ということばが飛び出すのは、中砂が自殺する幻覚を"私"が見ていたことを示す、なによりの証といえるでしょう。
ちなみに末期の義妹が、"私"が彼女の夢(中砂が"私"の妻を襲う夢)を途中から盗ってしまった、と言い出す場面は、ありとあらゆる幻覚のバリエーションを描いたこの映画の中でも特にユニークなもので、これはすなわち、柳田國男が言うところのいわゆる"共同幻覚"にほかなりません。そんな義妹が、事切れたと思った直後に生気を取り戻し、病床のベッドの上で、手鏡に向かって艶然と微笑んでいる姿はもちろん、共同幻覚という概念を知らず、義妹が自分と同じ幻覚を見ていたことに慄然とした、神経を病んだ"私"の白昼夢です。
中砂の死後、小康状態を保っていた"私"の精神状態は、それから五年、小稲と(自分の子供ではないかと疑っている)豊子に再会したことをきっかけに、また安定を失い始めます。黄昏どきになるとやってきて、"私"の家の薄暗い土間に見返り姿で佇み、「あの、レコードが一枚、こちらさまに来ているのですけれど」などと中砂の遺品を返してくれるよう、暗い声で催促する小稲の影がぞっとするほど薄いのは、(やましい過去を思い出させる、園と瓜二つの)小稲に消えてほしいという"私"の心象風景にほかならず、この後、サラサーテのレコードを携えた"私"が中砂邸を訪れたあとの支離滅裂にも思える出来事の数々は、すべて、園に瓜二つの小稲の再三の催促に追い詰められた"私"の幻覚です。死んだ中砂と豊子が夜毎会話を交わしているなどという小稲のたわ言も幻覚ならば、一瞬のうちに芸者姿に変化したり、あるいは園の羽織をまとって園が口にしたのと同じセリフを"私"の耳元で囁く小稲もまた幻覚。まして憔悴しきった"私"が太鼓橋の袂で出遭う、「お父さんは元気よ。おじさんこそ生きてるって勘違いしてるんだわ。さ、約束だからお骨をちょうだい」などと、この世のものならぬ不気味なセリフを口にする豊子もまた、幻覚に決まっているのです。
「ツィゴイネルワイゼン」の感想その2(Bさんの場合: 伝統的怪談説)
はい、これはもう観たまんまの怪談です。日本の伝統的な怪異をベースに、理屈のつかない奇怪な超常現象を散りばめた、いわば「日本霊異記」や「今昔物語」にみられる説話や民間伝承の不思議な世界を、大正時代の風俗の中に描いた物語です。あからさまな幽霊や、死後の世界が直截的に描かれていないこともあり、これは本当に怪談なのか、と戸惑ってしまいますが、この、狐につままれたような味わいこそ、実際に怪異を体験した人の心持ちそのものといっていいでしょう。要するに、「ツィゴイネルワイゼン」は、映画の中の"私"にとっての怪談であると同時に、この映画を体験すること自体が観客にとっての"怪談"になっているという、そんな構造をもった作品なのです。
この映画、妖しい雰囲気を盛り上げるため、その語り口にひとつの仕掛けが施されています。それが、一見意味不明に思える、しかし観客に対する一種の"予兆"あるいは"予知夢"の役割を果たしている、シュールな映像の数々。たとえば冒頭、水死体となった女の股から蟹が這い出てくる直前に描かれる、村人たちが蟹歩きをするスローモーション映像。これはつまり、村人の蟹歩きをまず見せることによって、さあこれから蟹が出てきますよ、ということを暗示しているわけです。
そう思って眺めてみると、案の定、この予兆めいた語り口は映画の中で何度も繰り返されていて、たとえば末期の義妹を見舞った帰りに"私"と妻が耳にする、義妹の死を予告する「だめだよ」という不吉な幻聴。あるいは書斎のテーブルに置かれた生首のような、中砂の首から上だけを捉えた意味深なカット。これらは要するに、いずれ義妹も中砂も死ぬ、ということを(観客に)事前に告げているのであり、実際彼らが亡くなるのを確認してみれば、同様に"私"邸のガラス扉に映る豊子の首から上だけを捉えたカットの意味するところも明らかで、終盤、六文銭の草鞋を履いて「お父さんは元気よ。おじさんこそ生きてるって勘違いしてるんだわ。さ、約束だからお骨をちょうだい」などと口にする豊子が既にこの世の者でないことは、もうただちに了解できるわけです。またこのように、ひとたび"予兆"がこの映画のお約束であるということを念頭に置けば、"私"宅に押し入った中砂が妻に襲いかかる"私"の幻視もまた"予兆"であることは明々白々で、すなわち中砂と"私"の妻の関係は、単なる"私"の妄想ではなく、いずれ現実になるということが、たちどころに理解されるのです。
そして、この怪談話の眼目が何かといえば、それはいうまでもなく、狐に化かされるという、日本人にとってはお馴染みの怪異。昼なのに薄暗い切り通しで園に出逢った(というよりも出迎えられた)"私"は、ふらふらとあるじ不在の中砂邸へと導かれていきますが、漆黒の闇に赤い提灯が明滅する、いかにも怪しい屋敷の様子を見れば、あ、これは狐に化かされているんだなということが、日本人ならもう、理屈抜きにわかるわけです。ところが映画の中で、"私"自ら、「以前、夜道で狐に化かされたことがあったもので」などとその趣向をストレートに種明かししているため、かえって、あれっ、狐ではないのかな?などと疑心暗鬼にかられてしまったりもするのですが、その直後、屋根の上で突然石ころが転がるという不思議な現象(=そら礫と呼ばれる、狐の仕業とされる怪異)が描かれるので、ああ、やっぱりこれは狐に誑かされているのだ、ということが再確認できます。
そもそも見た目も声音もそっくり同じ人間が、この世にそうそういるはずもなく、だとすれば、(小稲に瓜二つの)園という女はハナから狐が化けたものであるに違いなく、要するに「ツィゴイネルワイゼン」は、人に化けた狐(園)が人(中砂)と結婚して子供を産むという、説話や伝承によくみられる異類婚姻譚のバリエーションといっていいでしょう。後述するとおり、終盤の展開を考慮に入れると、園の生んだ豊子の父親が"私"であることは間違いなく、ここで注目すべきは、すなわち豊子が"人と狐のあいだに生まれた子供"である、という点です。平安時代の陰陽師、安倍晴明の母親が白狐であったと言われるように、古来、人と狐のあいだにできた子供には不思議な能力が授かるものとされています。この伝承説話的なロジックこそが、終盤における豊子の不思議な能力の発揮、すなわち豊子が死んだ中砂と夜毎会話を交わす、という展開に繋がっていくわけです。
豊子と中砂の霊界通信によって端的に示される、"この世はあの世であの世はこの世"(江戸川乱歩が言うところの"うつし世は夢 夜のゆめこそまこと")という「ツィゴイネルワイゼン」のモチーフは、実は、物語の中盤で既に明確に提示されています。それが、義妹の妙子が臨終と同時に生気を取り戻し、病床のベッドの上で、手鏡に向かって艶然と微笑むシーン。あの、一見"私"の幻覚に過ぎないように思える不思議な場面こそ、この世の死者があの世で甦る様子を描いたものであり(同じ病床を映しながら、この世とあの世では蚊帳の色が変化している)、また同時に、それが視えてしまった"私"が、この時点で既に、あの世に一歩、足を踏み入れてしまっていることを仄めかしてもいるのです。

またその直後、なぜか"私"の姿が消えた病室に現れた妻の周子が、微笑みながら、ベッドに半身を起こした義妹に触れるかのような角度で手を伸ばすシーンがありますが(義妹の姿は画面からは切れている)、前述のとおり、この場面がこの世ではなくあの世だとすれば、すなわち(あの世で生き返った義妹と接触している)周子もまた、既にこの世の人間ではなくなっていると考えるのが筋です。ここで、周子が中砂に襲われた場面が現実だった、という考察に立ち返ってみれば、周子はこのとき既に中砂に殺されてしまっているものとみて間違いなく(中砂が女を毒牙にかける男であることは、トンネルの中の中砂に憑いた女たちの霊の描写に暗示されています。また周子が襲われるシーンで、とんびの陰から中砂の姿が突然消え、手鏡を見つめる周子ひとりだけが立ちつくしているのは、そこが既にこの世ではないことを意味しているのでしょう)、突如、あれほどひどかった果物アレルギーが消え、腐りかけの水密桃にむしゃぶりついてみせるのは、要するに、周子が生身の身体を失った、しかし自分が既に死んでいることに気づかずにいる幽霊だから、というわけです(その証拠に、桃を舐めながら、そして鏡を覗きながら、周子はまさに幽霊のように両手をぶらりと垂らしている)。
そして中砂が死んで五年、"私"はふと気が向き訪れた例の切り通しで、小稲と豊子に再会します(以前、狐が化けていた園が迎えに現れたように、今回は豊子が"私"を出迎えます)。この時点で、小稲の様子は明らかに尋常ではなくなっていますが、これはのちに小稲が"私"に語った、豊子が夜毎、中砂と会話を交わしているという異常な出来事に、頭がおかしくなりかけていた証でしょう。
やがて、小稲は逢魔が時になると"私"の家にやってきて、薄暗い土間に佇み、暗い声で、中砂の遺品を返してくれと催促するようになります。見返り姿で宵闇に溶け込む影の薄い小稲は一見幽霊のようにも見えますが(スクリーンに足先が映らない)、それはあくまで観客を惑わせるためのレッドへリングであり、小稲は間違いなく生きた人間です。そしてこの後、小稲は精神錯乱の末に豊子を殺してしまい("私"邸を訪問するときに、いつも一緒だった豊子が最後だけは不在)、そこに物語の中盤、流行り病によってあっけなく死んでしまっていた園(狐)の霊が、文字通りの狐憑きとして(自分の娘を殺害した小稲に)憑依する、というわけです。
レコードを返しにやってきた"私"を出迎え、「あの人(中砂)はきっと死んだ奥様のもとへ行っています」などと嫉妬めいたセリフを陰気に呟く小稲は小稲自身にほかなりませんが、中座してビールを運んでくる、かつての芸者姿に変化した妙に明るい小稲には、すでに園の霊が憑いています。そして園の羽織をまとい、「もう、後戻りできませんわね」と、かつて園が口にしたのと同じセリフを囁いて"私"を惑わすのはもちろん園の霊で、しかし「豊ちゃんはどこに?」と、"私"の洩らしたひとことに我を失い、豊子を半狂乱になって探し回りながら、「豊ちゃん、おいで、早く...ああ、幼稚園に行っていないんだわ」と血走った目で口走るのは、豊子を殺した罪悪感に一瞬自我を取り戻した小稲自身でしょう。怪異に恐慌をきたした"私"が小稲の首を絞めあげ、"私"(豊子の実の父親)の身体を利用した、園の小稲に対する復讐は成就寸前までいきますが、しかし豊子を心配する気持ちが勝り、"私"はぎりぎりのところで我に返ります。
そして、豊子を探しに出た"私"を太鼓橋で待っていたのは、あの世の中砂のメッセージを伝えにやってきた、既にこの世の人ではなくなっている、豊子("豊子"(とよこ)という名前は"常世"(とこよ)のアナグラムにほかなりません)。六文銭の草鞋の足跡を見て、豊子が亡者であることに気づいた"私"は思わず後ろ向きに逃げ出しますが、しかしあの世に前も後ろもあるはずがなく、そこに"私"が見たものは、彼岸の岸辺に佇み"私"を手招きをする豊子...とまあ、ここで幕となるわけですが、時既に遅し、もし映画に続きがあれば、とうぜん、このあと"私"はすぐさま落命する運命だったに違いありません。
...いや、この映画に描かれる怪異の主体が"狐"であることを考えれば、もしかすると、最初に切り通しで園に出遭ったときから、"私"はずっと化かされっぱなしなのであって、最後にふと我に返った"私"があたりを見回してみると、そこは切り通しの近くの林の中、この数年間の出来事はすべてひとときの幻に過ぎなかった...なんていう可能性もなきにしもあらずです。
「ツィゴイネルワイゼン」の感想その3(Cさんの場合: そのまんま現実説)
この映画、一見怪談のようにみえて、実はもう観たまんま、すべて現実の出来事を描いているに過ぎません。そう、"この世に不思議なことなどなにもない"(by 京極堂)のです。冒頭、水死体を取り囲む村人たちが、蟹のように横這いするのがなぜかといえば、それは事実、彼らが蟹のように横這いしているからにほかなりません。同様に、"私"が目撃した、中砂が小稲から口移しに吸い取る赤黒くドロリとした何か、あれはむろん、小稲の生き胆のはずはなく、要するにゲロです。ありえないと思われるかもしれませんが、その直前まで酒を呑んでいるという伏線にそれは明らかです。
薄暗い切り通しで"私"が出会った園が妙にはしゃいでいるのも、それは単に園という女が気分屋だからです。なにせ、芸者に似ていると言われただけで気分を損ね、ちぎりコンニャクを鍋から溢れるくらいに山盛りにしてしまうような女です。中砂邸に向かう途中、鶴岡八幡宮で"私"と園が見かけた花火、あれもむろん、由比ヶ浜あたりで打ち上げられていた季節はずれの花火に過ぎません。太鼓橋の上で"私"の知り合いたちが花火を打ち揃って眺めているのも、むろん幻視などではなく、観たまんま、たまたま彼らがそこで見物していただけのことです。
中砂邸の真っ暗な廊下が明滅し、赤い提灯が妖しく灯る"狐の穴に落ちた"ような一連のシークエンスは、園の性格を深堀りするものとして、とても感心させられてしまったものです。一見、怪談めいた不可思議な出来事が連続しますが、あれは要するに、人を驚かすことが大好きな園の罪のない仕掛け――ゲストサービスです(前回の"私"の訪問時に園が突然コンニャクをぶちまける場面を観て、私には、園が人を驚かすことを趣味にしているということが、すぐにわかりました)。中でもニヤリとさせられてしまったのは、廊下に佇む"私"と園の背景がぼっと燃え上がる場面。大正時代としてはかなり手の込んだイリュージョンであり、園が山陰の名家の出(=大仕掛けを行う資金力がある)という伏線がなければ、とてもリアリティの感じられない場面になってしまっていたことでしょう。
言うまでもなく、屋根にこつりと石が転がるのも、園が仕掛けた悪戯とみなせるわけですが、あるいはそれは私の深読みで、製作者の発想としては、たまたま猫が歩いていた、くらいのことだったのかもしれません。意味深に俯いた園の着物がはらりと肩からすべり落ちるのも、あるいは上半身裸で指をぱちんと鳴らすのも、すべては"私"を驚かすための趣向であって(呆気にとられた"私"の顔を見て、園はさぞかしほくそ笑んだことでしょう)、むろん、二人が褥をともしたわけがありません。え?暗闇でライターを点した"私"の目の前に三人の門づけがいたのはなぜかって?はは、バカな。そんな映像、私、観てませんよ(以下、略)。
* * *
とまあ、つい興が乗って延々書き連ねてきましたが、すみません、実はほぼすべて、この記事を書くにあたって捻り出した、でっちあげのこじつけです。この映画を観るときはいつも、ただ奇々怪々の映像美を堪能しつつ、その目眩めく映像の意味するところがいったい何だったのかという理解は一切うっちゃって、混沌を混沌のままに丸呑みしている、というのが本当のところです。
物語の中盤、三人の門づけの顛末をめぐり、中砂と小稲が"私"の前で、まったく違うことを言い張る、"藪の中"な場面があります。お互いに、違うものを見たといって譲らない二人の対立は、まるで、この映画の無秩序で正体不明の怪異の数々に、筋の通る解釈(あるいは真実)などハナから存在しないということを、それとなく暗示しているかのようにも思えます。
何度聴きなおそうと、何を呟いてるのかはっきりしないサラサーテの声。そして何を呟いてるのかわからないからこそ湧き上がってくる、背筋がぞくりとするような恐怖――繰り返しになりますが、私にとってこの映画の肌触りは、要するに、映画に登場するサラサーテのレコードの味わいそのものなのです。
百閒の幻想小説を集大成した映画、「ツィゴイネルワイゼン」
クレジットにその名はありませんが、「ツィゴイネルワイゼン」の元ネタは、内田百閒の短編小説、「サラサーテの盤」。物語の骨格をそのまま活かしつつ、膨らませるところを膨らませ、さらにいくつもの短編からエピソードを借りてきて、見事な手際でぺたぺたと肉付けした、いわば百閒の幻想小説を集大成したかのようなシナリオです(田中陽造脚色)。
たとえば、周子が中砂の目玉をちろちろと舐める場面("Oculolinctus"というやつ)は「東京日記」。義妹を見舞った"私"と周子が不吉な幻聴を聴く場面は「山高帽子」。シンナーでラリッた挙句に命を落とす中砂の最期も「山高帽子」で、それに主人公である"私"の名前、青地豊二郎も「山高帽子」から。お園が怪しい屋敷で"私"を誘惑する、狐に化かされたようなエピソードは「枇杷の葉」と「花火」。"私"とお園が花火を幻視する場面はこれまた「花火」。屋根を転がるそら礫は「サラサーテの盤」にあるものですが、「南山寿」にも同じ描写があって、そして自分で自分が生きてるのか死んでるのかわからなくなるようなラストシーンの"私"の恐怖と戦慄は、「とおぼえ」からの連想かもしれません。
気味が悪いくらいに夢そのもののロジック(そんなものがあるとすれば、ですが)で紡がれる、夢そのもののように脈絡がなくて掴みどころのない、"気配"が主役のような百閒の幻想小説――。「ツィゴイネルワイゼン」は、そんな、可視化がとうてい不可能にも思える、辻褄の合わない夢幻の味わいを、巧緻な脚本、美醜こもごもの絢爛かつ奇態なイメージ、雰囲気のあるロケーション、そして最高のキャストでもって形象化してみせた、文字通り、奇跡としか言いようがない作品です。
小稲と園を瓜二つに設定にしてビジュアル的な混乱を誘う、一人二役という仕掛け。あるいは文字では書き表わしようのない突飛な映像表現(中砂邸の潜り戸から入った私が大戸を抜けて出てきたり、"私"と妻が隣り合わせの電話で会話したりするシーン)や、薄気味の悪い暗示(生首を連想させる中砂の首から上だけを捉えた映像や、薄暗い土間に佇む小稲の足先が映らない映像、あるいは映画の中に繰り返し登場する、この世とあの世の境界のような薄暗い切り通しや中砂邸の潜り戸、そして鏡)。さらには百閒作品のあっさりとしたエロティシズムとは似ても似つかない、扇情的で濃厚な、しかし猥褻感よりも死を強く連想させるエロティシズム("骨をしゃぶるように"小稲を愛撫する中砂や、腐りかけの水密桃の薄皮を執拗に舐める周子)――。とまあ、「ツィゴイネルワイゼン」は、映画ならではの工夫によって、文字だからこそ、いや百閒だからこそかろうじて表現しえたような、そもそも閉じた眼で見るものであるはずの夢や幻の肌触りを、開いた眼に見える映像として、スクリーン上に見事に再構築しています。
内田百閒を主人公に据えた映画、「まあだだよ」(1993)をめぐる黒澤明監督との対談で、井上ひさしが内田百閒を評し、"ことばで成立する面白さのある人で、映像にしにくい作家の一人だと思います"と述べています(「映画をたずねて 井上ひさし対談集」より)。それに対し黒澤監督が、百閒の不思議な幻想小説を題材にして、まだまだいくつも映画ができそう、なんてことを言っているのですが...正直、読んでてオイオイ、と思ってしまいました。なぜならそこには「ツィゴイネルワイゼン」についての言及が一切なく、また「夢」(1990)を観ると、黒澤明に百閒のあいまいにもほどがある味わいを映像に置き換えることは、到底できなかっただろうと思うからです。
漫画界の巨匠、手塚治虫は、奇しくも内田百閒的な異世界を不確かな描線で描く(そして百閒の愛読者でもある)諸星大二郎のタッチを評し、"星野(之宣)さんや大友(克洋)さんの絵だったら僕は描ける。でも諸星さんのは描けない"と言ったそうですが(ユリイカ2009年3月号「ワン&オンリーな作家」(竹熊健太郎)より)、こんな感じで黒澤監督には、夢そのものみたいに理屈を無視した映画は鈴木清順だから作れるのであって、根っからストーリーテラーの(そして理屈屋である)自分にはとても作れない...くらいのことを言ってほしかったなぁ、と思ってしまいます。
「ツィゴイネルワイゼン」のロケ地について
オールロケで撮影されたこの映画、そのロケ先は、鎌倉(鶴岡八幡宮、ミルクホール、妙本寺、光明寺、浄智寺、釈迦堂切通、由比ヶ浜、稲村ヶ崎、極楽寺、江ノ電)を中心に、三浦半島(三崎、剣崎灯台)、茅ヶ崎(相模川河口)、大磯(大内館、鴫立庵)、大井川(蓬莱橋、大井川鉄道、地名駅)、浜岡砂丘と、神奈川県と静岡県の幾多の場所に跨っています(「映画芸術」 No.333 4-6合併号より)。
この、周到で綿密なロケハンによって選ばれたのであろう、玄妙怪奇で雅趣に富んだ景観が、「ツィゴイネルワイゼン」の雰囲気づくりにいかに貢献しているかということは、いくら称揚してもし足りないように思えます。中でも、幽界と顕界の境目が本当にあるとしたらこんな場所に違いないと思えるような、洞門のあちらとこちらで明暗の異なる釈迦堂切通。そして、これまたあの世とこの世の架け橋であるかのような、奇妙なボリュームでアーチを描く鶴岡八幡宮の太鼓橋。あるいは冥界まで続いているかのような、どこまでも真っ直ぐ伸びる大井川の蓬莱橋。もしこれらの風景が欠けていれば、この映画のいわく名状しがたい幽玄美は数割方減じていたのではないか、そう言っても過言ではないほどに、これらの"場"それ自体に強いオーラを感じます(そしてそんなロケ地のいくつかを、実際に訪ねてきました→「ツィゴイネルワイゼン」を訪ねて、「ツィゴイネルワイゼン」を訪ねて その2)。
実在するサラサーテ自奏の"ツィゴイネルワイゼン"(呟き付き)
スペイン出身のバイオリニスト兼作曲家、パブロ・デ・サラサーテがハンガリーに旅行した際、ジプシーのメロディーに曲想を得て作曲したとされるバイオリン曲、"ツィゴイネルワイゼン"(ジプシーの歌、という意)。そもそも初めにこの曲(レコード)ありきの小説であり、また映画なわけで、実に本末転倒な言い方になりますが、"ツィゴイネルワイゼン"の調べがもつ、不吉の予聴であるかのようなメランコリックな雰囲気とエキゾチックな騒擾感が、純日本的怪異を描いたこの映画に不思議なほどマッチして、古めかしい蓄音機が回り、漆黒の闇に桜吹雪の舞う幕開けから、その映像と音楽の一体感に、心がざわざわとざわつきます。ひどい雨降りのような、がガサガサという雑音に耳を傾けていると、まるで過去から音が聴こえてくるような錯覚に襲われて、幻想がいっそう高まってくるのですね。
原作を読んで以来(また映画を観てからも)、長いあいだ、サラサーテの呟きが録音されたという自奏のレコードは、あくまで百閒の創作(映画のレコードもそれっぽい声を入れた作り物)だとばかり思いこんでいたのですが、後年、夏目漱石の次男、夏目伸六が書いた「猫の墓」という随筆集を読んで、そのレコードが実在するものだったということを知りました。「思い違い」というそのエッセイによれば、そもそもそのレコードは、夏目漱石の長男、純一が所有していたもので、新しく買い換えて不要になった蓄音機とともに百閒にプレゼントした、二、三十枚のレコードのうちの一枚だったのだそうです(で、百閒は、それを師である夏目漱石からもらったものと思い違いしていたのだそう)。
とはいえ、映画に流れる曲もサラサーテの呟きもあくまでフェイクであって、いまやホンモノを耳にするすべはないもの、とこれまた長いあいだ勝手に思い込んでいたのですが、この記事を書きはじめたときにもしやと思い、ネットを探してみたところ、なんとあっさり、レコードのトレーラーが見つかりました。聴いてみると、その演奏も呟きも映画で流れていたものと同じものらしく、映画の音楽がホンモノだったということを、いまさらながらに知った次第。せっかくなので、リンクを貼っておきます(エッセイでは、レコードはビクター盤だったとあり、またトレーラーもビクター盤なのですが、映画の中ではグラモフォン盤と言っていて、しかし実際に蓄音機の上で回ってるレコードのレーベルは、ANGELとなっています)。
あのテントで観た人たちが、羨ましい(江戸川乱歩の「二銭銅貨」風)
この映画、これまでビデオでしか観たことがなかったのですが、先々月、京橋のフィルムセンターで上映することを知り、映画館の暗闇で初鑑賞すべく、足を運んできました(ついでに「東京流れ者」(1966)も観た)。平日だというのに、定員150席の小ホールはほぼ満席で、フィルムセンターらしく、外人の姿もちらほら。そして少し驚いたことに、上映が終わるとフィルムセンターの暗闇に、まばらながらも拍手が湧き起こりました。私は私で「ツィゴイネルワイゼン」をようやく映画館で観ることができたことに深い満足を感じながら、しかしだからこそというか、ああ、それにつけても羨ましいのは、"あのテント"でこの映画を"体験"した人たちであることよ...なんていう、「ツィゴイネルワイゼン」を観るたびにいつも感じる、そこはかとない物足りなさを、また、心の片隅にちらりと思い浮かべていたのです。
"あのテント"、というのは、1980年、この映画が初上映されたエアドーム式の移動映画館、シネマ・プラセットのこと。「ツィゴイネルワイゼン」は、そもそも既存の映画館での上映を企図して作られたものではなく、映画製作と興行の一体化を目指した映画プロデューサー、荒戸源次郎によって設立されたシネマ・プラセットの手がけた作品第一号でした(映画の冒頭に掲げられた、"1980年シネマ・プラセットVol1"というクレジットが実に誇らしげ)。公開当時、中学生だった私はこの映画の存在を知らず、まして移動映画館などという、そんな幻想溢れる試みのあったことを夢にも思わなかったのですが、当初、東京タワーの駐車場に設置された、その銀色の移動映画館は、やがて、いま私の住んでいる街の、とあるデパートの屋上にもやってきたのだそうです。それがいったい、どんな設備の小屋だったのか、いまとなっては想像するほかありませんが、おそらく映画を観る環境として、およそ理想的とはいいがたいものだったように思います(失礼!)。しかしそれでも、いやだからこそ、私はその移動映画館で「ツィゴイネルワイゼン」を観た人たちが、羨ましくて羨ましくて仕方がない。なぜならこの幻想的な映画の世界に浸る場所として、これ以上相応しい異空間がほかにあるはずがない、と思うからです。
ある日、空き地に忽然と現れ、ふと気がつけば、いつの間にかまた消えている、まるで縁日の見世物小屋のように怪しく儚い幻の映画館(多少妄想ぎみ)――。そんな空間でこの映画を"体験"した人たちは、もしかすると、私の知っている「ツィゴイネルワイゼン」とはまったく違うものをスクリーンに見ていたのではないか...この映画を観るたびに、そんな幻想めいたことを、つい心に思い浮かべてしまうのです。ああ、あのテントで観た人たちが、心底羨ましい...
ツィゴイネルワイゼン (英題: Tsigoineruwaizen)
公開: 1980年
監督: 鈴木清順
製作: 荒戸源次郎
脚本: 田中陽造
原作: 内田百閒(「サラサーテの盤」ほか) ※ノンクレジット
出演: 原田芳雄/大谷直子/藤田敏八/大楠道代/麿赤児/真喜志きさ子/山谷初男/玉川伊佐男/樹木希林
音楽: 河内紀
撮影: 永塚一栄
美術: 木村威夫/多田佳人
編集: 神谷信武
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