ドカンと冷えとるじゃろねぇ、留置場は。

今村昌平監督がメガホンをとった、「復讐するは我にあり」(1979)。私がこの作品を初めて観てしまったのは、中学二年か三年生の頃。それまでの私にとってトラウマ映画といえば、一もニもなく「八つ墓村」(1977)だったのですが、荒唐無稽なドラマのこけ脅し的な恐怖は、実在の連続強盗殺人犯をモデルにした、この「復讐するは我にあり」の肺腑を抉る圧倒的なリアリズムの前に、軽くどこかへ吹き飛んでしまいました。
中学生の私が、この映画の何にビビッてたじろいだのかといえば、それは、緒形拳演じる凶悪な"殺人魔"、榎津巌の理解の埒外にある人物像や、生々しく凄惨な殺人描写はむろんのこと、その犯罪行脚を通じて描かれる、どろどろの情欲を剥き出しにした、男と女たちの紊(みだ)れまくった姿。キレイなところのまったくない、身も蓋もなく露骨で執拗な性描写に、官能よりもむしろ、取り澄ました世間(大人の世界)の皮をめくった裏にある底知れぬ闇を覗き見た気がして、怖気を奮ってしまったのです。
「復讐するは我にあり」の原作とカポーティの「冷血」について
本作の原作は、佐木隆三の同名のノンフィクションノベル、「復讐するは我にあり」。"トルーマン・カポーティの「冷血」のような書下ろし長編を書いたら"(改訂新版 文庫版のためのあとがきより)、と編集者から薦められた著者が、1963年10月から翌年正月にかけて日本全国を震撼させた凶悪事件、西口彰連続五人殺害事件について、"ノート三十冊分"にもなる関係者への徹底した調査取材を行い、事件発生から加害者の逮捕、死刑執行に至る過程を紙上に克明に再現した、ドキュメントスタイルの小説です。
1959年、米国カンザス州の片田舎で起きた一家四人惨殺事件に取材した、トルーマン・カポーティ畢竟の大作、「冷血」。「復讐するは我にあり」は、この、ノンフィクションノベル(そもそもこのことば自体がカポーティの造語)の嚆矢となった作品と同じ手法によって執筆されたものですが、しかし事件を再構成するアプローチに、決定的な違いがあります。
事件報道と同時に調査を始めたカポーティは、関係者への取材を重ねる中で、逮捕された加害者に直接コンタクトする機会を得、その作品に加害者の視点を持ち込み、被害者あるいは司直の視点と交互に描写を重ねることで、いかにも"小説"らしい、異様な緊迫感と臨場感を生み出すことに成功します(映画「カポーティ」(2005)によれば、カポーティは、その取材を通じて加害者のひとりに対して尋常でないシンパシーを抱き、その残りの人生に深く関わっていくことで、純粋な観察者の立場を離れ、ある意味、事件の関係者ともなっていく)。
一方、事件発生から12年、加害者の刑死から5年が経過した時点で上梓された「復讐するは我にあり」に、加害者の一次情報を素材とするすべはなく、佐木隆三は、あくまで"彼を見た人間、彼にだまされたり殺されたりした側から"(講談社版単行本付録の秋山駿との対談より)の描写によって、事件の全容を綴っていきます(加害者の視点に立った描写は、供述調書や裁判記録といった二次情報からの抜書きのみ)。78日間にわたる逃亡生活の間に重ねられた、軽重こもごもの山のような犯罪が、時系列に沿って余すことなく紡がれていく、いわば事件調書を思わせるその構成は、「冷血」に比べて遥かに客観性の高さを感じさせる反面、加害者の内面を窺い知るためのピースに乏しく、"小説"としての読後感は、驚くほど淡白かつ平板です。
だからつまらない、ということではまったくなく、要するに、その味わいも内容も、"ノベル(小説)"というより遥かに"ノンフィクション(ルポルタージュ)"に近い、ということが言いたかったわけですが、とはいえ人物名や最初の事件が起こった地名は架空の名称に置き換えられ(改訂新版において、地名は実際ものに直されている)、また映画化の際、独自取材によって入手した捜査記録と原作を照らし合わせた今村監督が、"「この部分はフィクションだったのかぁ」と呆れたり怒ったりした"(改訂新版 文庫版のためのあとがきより)というように、創作によって補われている箇所、あるいは事実を改変している箇所が、(当たり前といえば当たり前ですが)まったくないわけではありません(たとえば、榎津が逮捕連行されるパトカーの中で鼻歌(歌オラショ)を口ずさむ印象的なエピソードも、実は佐木隆三の創作。佐木隆三著「犯罪するは我にあり 佐木隆三文学ノート」より)。
そもそも私が原作を手に取ったきっかけは、映画を観ただけでは榎津という殺人犯の心理(あるいは動機)がどうしても理解できず、原作を読めばそれが少しはわかるかも、と(浅はかにも)思ったことでした。しかし上述の通り、いたずらに加害者の心理を忖度することをしない原作に、私の疑問に答えてくれるような記述はみつからず、結局のところ、犯人の深層心理を推し量るすべは、その綿密に記された行動記録の行間に思いを馳せるほかはありません。つまるところ、映画の方が、犯人の心理について、よっぽど踏み込んで描いているのですね(=事実から類推し、あるいは事実を脚色し、独自に解釈したドラマを創っている)。
事件を独自の解釈で再構成した映画、「復讐するは我にあり」
佐木隆三の原作と、馬場当が手がけたシナリオ(*)の違いはというと――
(1)ドラマティックな構成
時系列で展開する原作とは異なり、逮捕された榎津が警察へと連行される場面を冒頭に配し、榎津の供述とともに事件を振り返る構成を採っています。そのことが、原作にはない、ドラマに厚みを持たせる要因ともなって、さらには榎津による事件の供述と警察の捜査、そして事件以前の榎津の過去が、時系列を越えて交じり合うことによって、警察史上初めてという、全国一斉捜査の網の目を掻い潜りながら積み重ねられた、広域犯罪の騒然とした雰囲気が、ダイナミックに再現されています。
(2)メリハリをつけた展開
五人を殺害した三件の殺人事件(とひとつの詐欺事件)にドラマの焦点を絞り、逃走中の榎津が犯した幾多の余罪(警察が事件送致しながら起訴に至らなかった詐欺、窃盗事件は実に十五件)をばっさり削ぎ落としつつ、事件の起きた順序を入れ替えたり、あるいはひとつにまとめたり、さらには逮捕の経緯を、原作(そしておそらく事実)とはまったく異なるものへと脚色しています。
中でも、もっとも目立つ改変が、浜松市の母子強盗殺人事件をめぐるもので、榎津と、被害者となった貸席の女将、浅野ハル(小川真由美)とその母親(清川虹子)との交情が念入りに描写され、この映画の核心をなすドラマとして、かなり分厚く膨らまされています。たとえば榎津とハルの東京での逢瀬や、榎津と母親が競艇に出掛けるくだり、あるいはハルとダンナの関係(北村和夫)など、原作にはない――そしておそらく事実ではないエピソードが追加されるとともに、榎津逮捕のきっかけとなった事件として脚色されています(原作では、浜松の事件は逃走の前半に起きており、また榎津は、熊本県玉名市の旅館に潜伏していたところを、十歳の少女の通報によって逮捕されている)。
(3)映画オリジナルのドラマと解釈
原作では、まったくといっていいほど触れられていない、榎津の家族に大きなスポットが当てられています。榎津と父親(三國連太郎)、妻(倍賞美津子)、そして母親(ミヤコ蝶々)をめぐる四つ巴の人間関係が、榎津の一連の犯罪を縁取るサブプロットとして据えられ、少年時代の榎津が非行に走った理由、そして長じた彼の無軌道な犯行の遠因が、敬虔なカトリック信者であった父親との確執にあったものと解釈されています。
「あんたは俺を許さんかしらんが、俺もあんたを許さん。どうせ殺すなら、あんたを殺しゃよかったと思うたい」
映画の終盤、拘置所に面会に来た父親に対し、榎津が憎々しげに吐き捨てるこのセリフ、実は原作にはなく、そもそも榎津と父親が拘置所で対決するエピソード自体、原作には存在しません(原作では、父親の差し入れを喜んで食べたりしている)。同様に、たとえば少年時代の榎津の目前で、漁船の徴用を拒んだ父親が海軍士官に罵倒されるエピソード、また詐欺罪で収監中の榎津と(一旦は)離婚した加津子が働く愛媛の温泉旅館に父親が迎えにやってくるエピソード、あるいは仮出所した榎津に母親が小遣いをあげて甘やかすエピソードや、榎津が加津子と父親の関係を疑うエピソード、さらには加津子と父親が犬に煮え湯をかけて殺すのも、母親が加津子に嫉妬するのも、また刑死した榎津の骨を父親と加津子が鶴見岳の頂上から散骨するのもみな、実は原作には一切記述のない、映画のオリジナル。要するに、榎津が父親を殺したいほど憎んでいることも、加津子が父親に惚れていることも、そして父親が"ズルか人"であることも、原作には一言も書かれていないのですね。

これらのエピソードの中には、この映画を作るまでの八年間、商業映画から離れてドキュメンタリーを撮り続けてきた、"調査魔"こと今村監督の独自取材によって、新たに掘り起こされた事実が含まれているのかもしれません。しかしおそらくは、そのほとんどがドラマを盛り上げるための創作でしょう。
「復讐するは我にあり」を初めて観たときは、てっきり、ナイーブにもそのすべてが事実とばかり思い込んでしまい、必要以上のショックを受けてしまったものですが、斯様に映画は原作(あるいは実際の事件)からその器を借りながらも、しかしその独自の解釈と味付け(=嘘)によって、ノンフィクションノベルである原作とはまた異なる次元で捉えるべき、より純粋なフィクションへと昇華しています。そして結局のところ、中学生の頃の、いや今も、この映画を観て私が激しく感情を揺さぶられてしまうポイントは、この、映画独自の"拵えモノ"のドラマにあったりするのです。
(*)箱根の旅館にこもった馬場当と今村昌平、それにプロデューサーの井上和男が議論して場面を積み上げ、助手として参加した池端俊策が第一稿を執筆、それに馬場と今村が交互に手を入れ、決定稿ができあがった(香取俊介著「今村昌平伝説」より)。
今村映画の"耽醜主義"と度を越した狂気のリアリティ
専売公社の集金人(殿山泰司)を刺殺し、返り血を浴びた手を小便で洗い流す榎津。黒いスリップ姿で、榎津の股間に千枚通しを突きつける飲み屋のマダム(絵沢萠子)。皺の寄った醜い身体を晒しながら、露天風呂で我が子の嫁を後ろ抱きにする年老いた父親。西日の射す墓地の脇の狭い路地奥に佇む、根太がぐずぐずに腐ったような古びた貸席。実の娘の情交を、物陰から陰気な眼差しで覗き見する老婆(清川虹子)。薄暗いアパートの洋服ダンスに襤褸切れのように押し込まれた、老弁護士(加藤嘉)の屍体。夕景の養鰻池にうじゃうじゃとひしめきあい、ヌルヌルとのたくりまわる鰻の大群。榎津に首を絞められ、南蛮漬けまみれで失禁しながら事切れるハル(小川真由美)。そして発情期のケダモノのように、あられもなく刹那的に交わる男と女たち――。
ドキュメンタルな映像、そして俳優たちの文字通りに身体を張った演技によって表現される、とかくキレイに描かれがちなドラマの欺瞞と虚飾を剥ぎとったかのような、「復讐するは我にあり」の身も蓋もなく生々しい生(と性)のリアリズムは、今観てなお、目を背けたくなるほどに醜悪、そしてぞくぞくするほどに刺激的です。「豚と軍艦」(1961)、「にっぽん昆虫記」(1963)、「赤い殺意」(1964)、「神々の深き欲望」(1968)...じめじめとした日の当たらない地べたに蠢く蟲のようにしぶとく薄汚れた人間たちの昏い欲望を虫眼鏡で拡大し、暴き立て、さらには汚いものをことさら汚く、醜いものをことさら醜く描こうとしているかのような、いわば"耽醜的"とでもいいたくなる今村作品の露悪趣味は、野獣のように箍の外れた男を主人公に据えたこの作品で、ひとつの頂点を極めたかのようです。
「復讐するは我にあり」のプロデューサー、井上和男は、今村昌平のことを評し、"調査魔"であると同時に"リアリティ魔"だと述べています(キネマ旬報 No.759収録の座談会「闘い終わって...」より)。上記のような演出をめぐるリアリティもさることながら、驚くべきは、この映画の二件の殺人場面が、実際の事件現場で撮影されていることです(福岡・仲哀トンネルでの専売公社集金人殺害および東京・雑司が谷のアパートでの弁護士殺害)。はっきりいって、そんなリアリティ、これっぽっちも求めてないよ!と、今村監督のこだわりに、生理的な嫌悪感さえ覚えてしまうのですが、しかし、実際の事件現場が醸し出す雰囲気はさておいても、倫理を超越した、ほとんど狂気さえ感じさせる、この、今村監督の容赦も躊躇もない執着が、「復讐するは我にあり」の発する一種異様な迫力の源泉となっていることもまた、確かである気がします。
「復讐するは我にあり」を初めて観て以来、三十年近く生きていた経験を振り返って言えば、社会と人間が、ただひたすら醜く汚らわしいだけのものでないことは疑いもなく確かであり、その点、この映画のカマシには、本当にしてやられたと思っています。しかし、この映画に流れる穢れた空気が嘘っぱち一辺倒でないこともまた一面の真実であり、その悪臭立ち上る世界に紛れもない嫌悪感を抱きつつ、この映画(とほかの今村作品)を何度も繰り返し観てしまうのは、なんだかんだで私の心の中に、人間の暗部を覗いてみたいという欲求――汚いもの、醜いもの、穢れたもの、禍々しいもの、陰惨なものに惹かれてしまう、"怖いものみたさ"とよく似た"汚ないものみたさ"の衝動があるからでしょう。
榎津巌の肖像
映画の中盤、逃走中の榎津が、列車で浜松駅(実際のロケ地は土浦駅)に到着し、改札の雑踏を通り抜け、夕陽の射す駅前のロータリーからタクシーを捉まえて走り去る、1分ほどのワンショットがあります。禍々しい映像に満ち満ちたこの映画の中で、一見どうということのない場面ですが、しかし、その薄暗い映像には、まるで榎津の心象風景であるかのような、言葉に表せない陰惨の気と緊迫感が画面の隅々にまで張りつめていて、私にとっては、この映画の象徴にも思えるシーンです。
"あの人は、しょっちゅう冗談を言うて、うちらを笑わせるバッテン、黙るときはずーっと黙って、なんか恐ろしか顔になる。あんときは、そげな顔をしちょったけぇ"
(最初の殺人事件の翌日、町で榎津を目撃した知り合いの食堂店員の証言。原作より)
連続殺人犯、榎津巌を演じているのは緒形拳。オールバックに黒縁眼鏡、こわい表情で左右を伺いながら、"恐ろしか顔"で足早に駅の構内を歩くその後姿は、まるでホンモノの殺人鬼が乗り移ったかのようで、何度観ても、背筋が薄ら寒くなります。
女がノイローゼになってしまうほど異常な性欲を持つ男。弁護士や大学教授を騙り、蕩けるような笑顔で弁舌爽やかに詐欺をはたらく男。悪鬼の形相で、命乞いする瀕死の人間に向かって何度も千枚通しを突き立てる男。自分が殺した死体とひとつ屋根の下で寝ることを、なんとも思わない男。五人の無辜の命を奪っておいて、死刑になるのは不公平だと嘯く男...膂力があり、狡猾で、理不尽で、気まぐれで、生に対する強い執着をみせる、まるで肉食獣そのもののように情動の欠けた、榎津巌という男の横顔に感じる恐ろしさは、(社会生活を営む人間以前の)一個の生き物として、この男には到底かなわないだろうという怖さであり、同時に、理解できると錯覚することさえできないほど、その心理と行動原理がさっぱりわからない怖さです。
前述の通り、映画は、そんな榎津の支離滅裂にも思える掴みどころのない人格が、敬虔なクリスチャンである父親(の偽善)に対する反抗心、ひいては信仰に対する絶望によって醸成されたものと解釈しています。しかし、この男の即物的極まる衝動の理由が、そんな漠然とした観念的なものであるということが、中学生の頃はむろんのこと、今の私にとっても、いまひとつ納得いかないのですね。まして、そもそも父親と憎しみあっているわけでもなく、また刑場に連れ出される最後の最後まで信仰を捨てずにいた、原作の榎津に至っては、そんな映画の解釈すら無効に思え、もういかなる理解も受け付けない感があります(ただし原作者の佐木隆三は、映画の解釈について、"消極的ながら異論はない"と述べている(改訂新版 文庫版のためのあとがきより))。
「わからんじゃろうな...あれは、殺った俺にもようわからんのじゃけん」
映画の中で榎津は、彼が本気で愛していたようにも思える貸席の女将、ハルを殺したことについて、取調官にそう供述します。この、本人自身にもわからないという殺意...原作にはない描写ですが、しかし映画と原作を通じ、このセリフがいちばん、この男の本質を突いているような気がします。
今村監督は、榎津のことを"空洞人間"と評していて(キネマ旬報 No.759収録の対談「『復讐するは我にあり』の犯人像とその周辺」より)、実に言い得て妙だと思うのですが、榎津という男は、結局のところ、なぜ?という問い掛けが意味をなさない、世の中にはこういう人間がいると理解するしかない存在のようにも思えます。わからないということは、理屈抜きに怖いものですが、しかし、もしこの男のことがわかってしまったとしたら、そのことの方が、よっぽど怖いことのように思えたりもします。世の中にはわからなくてよいこと、考えない方がよいことがあって、この男が理解できないということは、かえって幸運なことなんじゃないか――最近は、そんなふうに思えたりもします。
「復讐するは我にあり」――タイトルに込められた意味
"愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録して「主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん」とあり"(ロマ書十二・十九)
原作、「復讐するは我にあり」の扉のウラに、上記のような新約聖書の語句が引用されています。この映画のタイトルが、聖書を引用したものであることは、水曜ロードショーでこの映画を初めて観たとき、確か解説の水野晴郎が語っていたように記憶しています。しかしその一節が、映画において何を意味しているかについての言及はなく、果たしてそれが字義通りに解釈すべきものなのか、それとも榎津の父親(そして神)に対する復讐という意味を込めたものなのか、長い間、気になっていたものです。
「俺は神様はいらん。俺は罪もなか人たちば殺した。だから殺される。そいでよか。あとはなんにもなかよ」
映画の終盤、拘置所に面会に来た父親に向かって、榎津はそう嘯きます。映画の中の榎津は、その信仰心をとうに捨て去っているようで、そんな神の御業と縁を切った人物を描いた映画のタイトルが、聖書の字句そのままの意味ととるには虚しさがあり、このタイトルの"我"とは、やはり榎津自身を指しているのだろう、なんてことを、思ったり思わなかったりしていたのですが、しかし改めて原作を読んでみて、榎津が最期まで信仰を捨てていなかったことに気づき、なるほど原作においては字句どおり、裁きは神に任せるという解釈の方が、むしろ相応しいと思った次第。
原作者の佐木隆三は、前出の今村昌平との対談で、このタイトルが、調査取材を進めるうちに、彼の中で否応なしに芽生えた、犯人に対する一種の共感から生まれたものであることを述べています。
"聖書から題名を借りることにしたのは、私は小説の主人公を、当然ながら肯定はしないが、否定もできない。ただ、こういう男がいたことを調査しましたよ、という気持ちを表すのに、"復讐するは我にあり"というのは適切な言葉ではないか、ということなんです"
また今村昌平も、同じ対談において、映画製作の過程で犯人の人物像を練り上げていくうちに、犯人に対して親近感を抱かずにはいられなくなったということを述べ、このタイトルに関するこんな感想を口にしています。
"僕が神の立場に立つわけにはもちろんいかないが、「まあ、ええ加減にしておけ」という教えみたいな、そういう意味も含めて、この題名は、このストーリーにふさわしいと、最後になって思いましたね"
これら原作者と監督の犯人に対する共感には、たとえ何度この映画を観かえしてみても、とても頷く気になれませんが、しかし素材に対する思い入れなしに、人の心を動かすような作品の生まれるはずがないだろうことは、なんとなく理解できるところでもあります。そしてそんな彼らの発言を読んで頭に浮かぶのは、「善悪の彼岸」に記されたニーチェの箴言――
"怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである"(竹山道雄 訳)
そしてそんな深淵を覗き込み過ぎてしまったのが、「冷血」以降、アルコールと薬物に溺れて一切書くことができなくなってしまった、トルーマン・カポーティだったのかもしれません...
* * *
前出のキネマ旬報掲載の座談会において、プロデューサーの井上和男もまた、「復讐するは我にあり」というタイトルについて、思うところを述べています。
"榎津を解剖してみても、内面に潜んでいるものといったら、コンプレックスだと思う。端的にいえば、親父に対するコンプレックスだね。大げさにいえば、神に対するコンプレックスということに尽きるくらいですよ。そういった父や神に復讐するといった意味で、「復讐するは我にあり」という表題には、原作者のパラドキシカルな思いが込められていますね"
"原作者の思いが込められている"という点についていえば、佐木隆三の発言を読む限りは見当違いなのでしょうが、しかし映画のタイトルの意味として相応しい解釈は、やっぱりこっちなんじゃないか、そしてさらに突っ込んで言えば、(うがった見方ですが)むしろタイトルのそういう解釈自体が、榎木津と父親の相克という、原作にはないドラマ作りのヒントになったのではないか――とまあ、そんなふうに思えたりもするのです。
復讐するは我にあり (英題: Vengeance Is Mine)
公開: 1979年
監督: 今村昌平
製作: 井上和男
脚本: 馬場当
原作: 佐木隆三(「復讐するは我にあり」)
出演: 緒形拳/三國連太郎/小川真由美/倍賞美津子/清川虹子/ミヤコ蝶々/北村和夫/フランキー堺/加藤嘉/殿山泰司/根岸とし江/火野正平/絵沢萠子/白川和子
音楽: 池辺晋一郎
撮影: 姫田真佐久
美術: 佐谷晃能
編集: 浦岡敬一
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管理人: mardigras

「水曜ロードショー」って書いてあるし、これも多分、同じオンエアを見ていたのでしょうね~!(私は20歳でした) 中学生では・・・ホントに大変でしたね。
それに、この映画の「一番嫌いで思い出したくない場面」がちゃんとイラストになっているではありませんか~! 本当にビックリしましたよ~!
「カポーティ」も先日見ました。
色々と背景等、詳しく書かれてあるし・・・mardigrasさんのレビューは、「この映画を、また見てみたら~?」って、私にささやいてくれました。 どうもありがとう。 機会があれば、と思います。
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ビッグウェンズデー、宜しくお願いします☆